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「少しでも意識してほしくて、頑張った一日」

教育係のさくらには恋心を知られてはいけない。 — www.pixiv.net · All chapters

「少しでも意識してほしくて、頑張った一日」

朝、専務室。

あなたはパソコンの画面を眺めながら、珍しく仕事に手がつかなかった。

「…………」

画面に表示されているのは、今日の予定。

しかし、あなたの頭の中を占めているのは仕事ではない。

さくらさんのことだった。

教育係として出会ってから、ずっと好きだった人。

仕事ができて、優しくて、困ったときには必ず助けてくれる。普段は丁寧な敬語で話すのに、ときどき見せる柔らかな笑顔が、どうしようもなく好きだった。

けれど、あなたは専務。

彼女は大切な社員であり、あなたの教育係でもあった。

「……打ち明けるべきなのかな」

ぽつりと呟いた。

好きです、と伝えたらどうなるだろう。

今までどおり話せなくなったら?

さくらさんを困らせてしまったら?

それに、もし断られたら……。

「うわあああ! 駄目だ! 考えれば考えるほど無理だ!」

あなたは机に突っ伏した。

そして、しばらく悩んだあと、顔を上げた。

「……いや。告白はまだ早い。でも、少しくらい僕を意識してもらう努力なら、してもいいんじゃないか?」

そう。

今日は決めた。

さくらさんに、少しでも自分を意識してもらう。

ただし、恋心は絶対に知られてはいけない。

あなたの、無謀な一日が始まった。

第一作戦・いつもより格好よく挨拶する

午前九時。

さくらさんが専務室を訪れた。

「専務、おはようございます。本日の会議資料をお持ちしました」

「お、おはようございます、さくらさん!」

あなたは背筋を伸ばし、爽やかに微笑んだ。

完璧なはずだった。

ところが。

「……?」

さくらさんが不思議そうに首を傾げた。

「専務、今日はずいぶん姿勢がよろしいですね。腰でも痛められたのですか?」

「違います!?」

「えっ。では、どうかなさいましたか?」

「い、いえ! 健康です! 絶好調です!」

声が裏返った。

さくらさんは心配そうにあなたの顔を覗き込んだ。

「本当に? 無理はなさらないでくださいね」

「は、はい……」

近い。

顔が近い。

あなたの心臓が、ドクンッ! と跳ねた。

(違う! これは意識してもらう作戦なんだ! 僕が意識してどうする!)

「それでは、失礼いたします」

さくらさんはいつもどおり、丁寧に一礼して部屋を出ていった。

あなたは椅子に沈み込んだ。

「……初手から健康状態を心配されてしまった」

作戦失敗。

第二作戦・仕事のできる男を見せる

午前十時。

あなたは社員たちの業務状況を確認していた。

(そうだ。専務として頼りになるところを見せればいいんだ!)

ちょうどそのとき、さくらさんから相談があった。

「専務、こちらの案件なのですが、少々判断に迷っておりまして……」

「見せてください」

あなたは真剣な表情で資料を受け取った。

そして、関係部署の状況を確認し、必要な人員を調整。問題点を整理して、解決策を提示した。

「これなら、各部署に負担をかけずに進められると思います」

さくらさんは資料を確認すると、ぱっと笑顔になった。

「素晴らしいです、専務。私では少し見落としていた部分まで考えてくださったのですね」

「い、いえ! 当然のことです!」

(きた……!)

(これは、少しくらい意識してくれたのでは!?)

期待に胸を膨らませるあなた。

すると、さくらさんは資料を大切そうに抱え、深く頭を下げた。

「専務が上司で、本当によかったです」

「…………」

「これからも、どうぞよろしくお願いいたします」

にこっ。

「では、私はこの資料を各部署に届けてまいりますね」

さくらさんは、軽やかな足取りで去っていった。

あなたはしばらく動かなかった。

「……上司として、か」

褒められた。

頼りにされた。

それは、とても嬉しい。

けれど。

「恋愛対象として意識してほしかったんだけどなぁ……!」

専務室に、あなたの小さな叫びが響いた。

第三作戦・さりげなく優しくする

昼休み。

あなたは食堂で昼食を済ませ、庭のベンチに座っていた。

すると、さくらさんがやってきた。

「あら、専務。こちらにいらしたのですね」

「さくらさん。お昼はもう食べましたか?」

「はい。先ほど済ませました」

「そ、そうですか!」

(よし。自然に会話を続けるんだ……!)

あなたは隣のベンチを手で示した。

「よかったら、少し休んでいきませんか?」

「ありがとうございます。では、少しだけ」

さくらさんが隣に座る。

二人きり。

庭には穏やかな風が吹いていた。

(落ち着け。これは絶好のチャンスだ)

あなたは、さくらさんが持っていた書類に目を向けた。

「……さくらさん、最近、少し忙しそうですね」

「そうでしょうか?」

「はい。無理をしていないか、心配で」

さくらさんは一瞬、目を丸くした。

それから、ふわりと笑った。

「ありがとうございます。専務は、本当に社員のことをよく見ていらっしゃいますね」

「い、いえ……」

「私のことまで気にかけてくださって、嬉しいです」

ドクンッ。

心臓が大きく鳴った。

(嬉しい!? 今、嬉しいって言った!?)

あなたの顔が熱くなる。

しかし、さくらさんは続けた。

「専務は、皆さんにとって頼れる上司ですから。私も、これからもっとお力になりたいと思っています」

「……あ、はい」

(上司……)

(また上司……!)

さくらさんは、あなたの様子を見て首を傾げた。

「専務? お顔が赤いですよ。やはり体調が……」

「健康です!!」

「そ、そうですか……?」

またしても心配されてしまった。

しかも、さくらさんは立ち上がると、あなたの顔を覗き込んだ。

「本当に無理はなさらないでくださいね。専務が倒れられたら、私も困りますから」

「…………っ!」

(そんな優しい顔で言わないでください!)

(好きになっちゃうでしょうが! いや、もう好きなんだけど!)

さくらさんは最後まで、あなたの恋心には気づかなかった。

そして、午後の仕事へ戻っていった。

あなたはベンチに残り、空を見上げた。

「……無理だ」

第一作戦、失敗。

第二作戦、失敗。

第三作戦、大失敗。

「そもそも、意識してもらうって、どうやるんだ……」

第四作戦・少しだけ特別扱いしてみる

午後三時。

あなたは専務室で、さくらさんの好きそうな紅茶とお菓子を用意していた。

(別に、特別扱いじゃない。いつも頑張ってくれているから、お礼をするだけだ)

自分に言い聞かせる。

そこへ、さくらさんがやってきた。

「専務、先ほどの書類についてご報告が……」

「さくらさん! ちょうどよかったです。これ、よかったらどうぞ」

あなたは紅茶とお菓子を差し出した。

「えっ……私に、ですか?」

「はい。いつもありがとうございます」

さくらさんは少し驚いたあと、嬉しそうに微笑んだ。

「まあ……ありがとうございます。いただいてもよろしいのですか?」

「もちろんです!」

「では、お言葉に甘えて」

彼女は紅茶を一口飲んだ。

「……おいしいです」

その笑顔を見て、あなたは思った。

(ああ、よかった)

(喜んでくれた)

(この笑顔が見られただけで、十分かもしれない)

しかし。

「専務も、どうぞ」

さくらさんは、お菓子の包みをあなたのほうへ差し出した。

「え?」

「お一人で召し上がるより、一緒にいただいたほうがおいしいですから」

にこっ。

「…………」

ドクン。

ドクン、ドクン。

(駄目だ……)

(こんなの、意識してもらうどころか、僕のほうが何倍も意識してしまう……!)

あなたは震える手でお菓子を受け取った。

「ありがとうございます……」

「ふふ。どういたしまして」

さくらさんは楽しそうに笑った。

その笑顔は、いつもと変わらない。

優しくて、穏やかで、誰にでも丁寧で。

あなたの気持ちだけが、どんどん大きくなっていく。

夕方・結局、無理でした

午後六時。

仕事を終えたあなたは、専務室の椅子に深く座っていた。

今日一日を振り返る。

格好よく挨拶しようとした。

頼れる上司になろうとした。

優しく声をかけた。

お礼の紅茶まで用意した。

結果。

「……いつもより心配されただけだった」

あなたは机に突っ伏した。

「少しでも意識してほしかっただけなのに……」

そのとき。

コンコン。

「専務、まだいらっしゃいますか?」

さくらさんの声だった。

あなたは慌てて姿勢を正した。

「は、はい! どうぞ!」

扉が開き、さくらさんが顔を覗かせた。

「お疲れさまです。今日は少しお疲れのようでしたので、気になっておりました」

「……え?」

「何か悩み事でもおありですか?」

あなたの胸が、ぎゅっと締めつけられた。

悩み事。

ある。

あなたの目の前にいる人のことだ。

好きで、好きで、どうしようもなくて。

けれど、その気持ちを伝えられないこと。

「……いえ。ちょっと、考え事をしていただけです」

「そうでしたか」

さくらさんは無理に聞き出そうとはしなかった。

ただ、優しく微笑んだ。

「もしお困りのことがございましたら、いつでもおっしゃってくださいね。私でよろしければ、お力になりますから」

「…………はい」

本当は、言いたかった。

あなたのことが好きです。

仕事をしているときも、休んでいるときも、あなたのことばかり考えてしまいます。

少しでも、僕を特別な人だと思ってほしい。

でも。

「ありがとうございます、さくらさん」

あなたは、いつもの笑顔を作った。

「明日もよろしくお願いします」

「はい。こちらこそ、よろしくお願いいたします」

さくらさんは丁寧に一礼し、部屋を出ていった。

扉が閉まる。

静かになった専務室で、あなたは天井を見上げた。

「……結局、何もできなかったな」

けれど、口元には小さな笑みが浮かんでいた。

今日一日、さくらさんは何度も笑ってくれた。

心配してくれた。

あなたを頼りにしてくれた。

それだけで、嬉しかったのも本当だった。

「……でも、いつかは」

あなたは小さく呟いた。

「いつか、ちゃんと伝えられたらいいな」

その日がいつ来るのかは、まだわからない。

少なくとも今日のあなたには、無理だった。

恋心を隠すことには成功。

さくらさんを意識させる作戦は、見事に全敗。

そして何より――。

あなた自身が、昨日よりもっと、さくらさんを好きになってしまったのだった。

おまけ・翌朝のさくらさん

翌朝。

さくらさんは同僚の美咲さんと廊下を歩いていた。

「ねえ、さくら。昨日、専務と何かあった?」

「え? どうしてですか?」

「なんだか、昨日の専務、いつも以上にそわそわしていたから」

「そうなのですか?」

さくらさんは少し考えた。

「確かに、昨日は少し不思議でしたね。挨拶の声が裏返ったり、お顔が赤くなったり……」

「……ふうん?」

美咲さんが、意味ありげに笑う。

「それで、さくらはどう思ったの?」

「どう、と申しますと?」

「専務のこと」

「……?」

さくらさんはきょとんとした。

「とても優しくて、頼りになる上司だと思いますが……」

「なるほどねえ」

美咲さんは笑いをこらえた。

「さくらって、意外と鈍感なのね」

「えっ? 私、何か見落としていましたか?」

「ううん。何でもない!」

一方、その頃。

専務室では、あなたが盛大なくしゃみをしていた。

「はっくしょん!」

そして、ぼそり。

「……明日こそ、少しくらい意識してもらえるかな」

その願いが叶う日は、まだ遠い。