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「解雇される夢と、目が覚めた僕の覚悟」

教育係のさくらには恋心を知られてはいけない。 — www.pixiv.net · All chapters

「解雇される夢と、目が覚めた僕の覚悟」

――午前5時30分。

あなたは、勢いよく目を覚ました。

「……っ!?」

心臓が、ドクン、ドクンと大きく鳴っている。

額にはうっすらと汗。

いつもの自分の部屋。いつものベッド。カーテンの隙間からは、まだ薄暗い朝の光が差し込んでいた。

それなのに、夢の中で聞いた言葉が、頭から離れなかった。

『君には、もうこの会社にいてもらう必要はない』

夢の中の社長は、いつもと違う冷たい表情をしていた。

机の上には、あなたが今まで頑張って作り上げた資料。

他の社員たちを手伝った記録。

美咲さんの仕事を支えた日々。

そして――。

さくらさんに教えてもらったことを忘れないよう、毎日書き続けてきたノート。

そのすべてを前に、社長は静かに告げた。

『本日付で、君を解雇する』

「……そんな」

夢の中のあなたは、何も言い返せなかった。

『君がいなくても、会社は回る』

その言葉を最後に、夢は終わった。

そして今。

あなたはベッドの上で、しばらく天井を見つめていた。

「……夢、か」

ほっと息を吐く。

しかし、胸の奥に残った不安は、簡単には消えてくれなかった。

「……怖かったな」

ぽつりと呟く。

会社を辞めたくない。

今の仕事が好きだから。

困っている社員を助けるのが好きだから。

そして何より――。

「……さくらさんと、まだ一緒に仕事がしたい」

言った瞬間、あなたはハッとした。

「いやいやいや! 今のは違う! 仕事の話! 仕事の話だから!」

誰もいない部屋で、必死に言い訳をする。

そもそも、誰に言い訳しているのだろうか。

あなたは顔を覆った。

「……はぁ。朝から何やってるんだ、僕は」

けれど、次の瞬間。

あなたはゆっくりと顔を上げた。

「……よし」

その表情から、先ほどまでの動揺が少しずつ消えていく。

「夢であんなことを言われたからって、落ち込んだままじゃ駄目だ」

ベッドから起き上がる。

「僕は、今の仕事を続けたい」

洗面所で顔を洗い、身支度を整える。

いつもより早く朝食を済ませ、鞄の中身を確認する。

今日やるべき仕事。

昨日のうちに終わらなかった資料。

各部署から届いている相談事項。

そして、今日も誰かが困っていたら、できる限り助ける。

「……やれることを、全部やろう」

時計を見ると、まだ出社時刻まで十分以上の余裕があった。

あなたは鞄を手に取った。

いつもより少しだけ強い足取りで、家を出た。

第一章 誰よりも早い出社

会社に到着したのは、始業時刻よりかなり早い時間だった。

オフィスの中には、まだほとんど人がいない。

あなたは専務室に入ると、パソコンを起動した。

「よし。まずは今日の予定を整理して……」

画面に表示されたタスクリストを確認する。

いつもなら優先順位を決めて、一つずつ処理していく。

だが、今日は違った。

「この資料は午前中に仕上げる。こっちは昨日のうちに確認しておけばよかった。各部署の進捗も見ておこう」

キーボードを打つ音が、静かなオフィスに響く。

カタカタカタカタ……。

あなたは集中していた。

夢の中で味わった、あの無力感。

何も言い返せなかった自分。

大切な場所を失うかもしれないという恐怖。

それらを振り払うように、目の前の仕事へ取り組んでいく。

もちろん、ただ闇雲に仕事を増やしているわけではない。

確認すべきことは確認する。

間違いがあれば修正する。

自分だけで抱え込まず、必要なら周囲に相談する。

今まで身につけてきたことを、さらに丁寧に実践していく。

そして午前7時。

予定していた仕事の一部が、すでに片付いていた。

「……よし!」

あなたは小さく拳を握った。

そのとき。

コンコン。

ドアをノックする音がした。

「はい、どうぞ」

扉が開く。

そこに立っていたのは――。

「おはようございます。……あら?」

さくらさんだった。

いつものきちんとした服装。

いつもの落ち着いた声。

そして、あなたを見た瞬間、少しだけ目を丸くした。

「……もう、お仕事を始めていらしたんですか?」

「おはようございます、さくらさん。はい。少し早く目が覚めたので」

「そうですか……」

さくらさんは、あなたの机に目を向けた。

整理された書類。

進捗が記されたチェックリスト。

すでに処理済みになっているタスク。

そして、あなたの顔。

「……何か、あったんですか?」

「え?」

「いつもより、ずいぶん気合いが入っているように見えます」

鋭い。

さすがは、かつての教育係。

あなたの小さな変化を、見逃してくれない。

「い、いえ! 何もありませんよ!」

「本当ですか?」

「本当です!」

即答だった。

さくらさんは、じっとあなたを見つめる。

あなたは笑顔を作った。

「ただ、今日はいつも以上に頑張ろうと思いまして」

「……そうですか」

さくらさんは微笑んだ。

「頑張ることは素敵ですが、無理はなさらないでくださいね」

「ありがとうございます」

その優しさに、胸が少し痛んだ。

夢の中では、会社から必要ないと言われた。

けれど現実のさくらさんは、あなたの仕事ぶりを見て、無理をしていないか心配してくれている。

――この人を、がっかりさせたくない。

――この人と一緒に、もっと仕事がしたい。

そんな気持ちが、また胸の奥から湧き上がった。

「……よし。もっと頑張ろう」

「……今、何かおっしゃいましたか?」

「い、いえ! 独り言です!」

さくらさんは、くすっと笑った。

「ふふっ。では、私は自分の仕事に戻りますね」

「はい!」

さくらさんが部屋を出ていく。

あなたは、その後ろ姿を見送った。

「……危なかった」

心臓が、ドクン。

「いや、何が危ないんだよ……」

恋心を知られたくない。

それはいつも通り。

ただ今日に限っては、別の意味でも胸がいっぱいだった。

第二章 仕事に火がついた僕

午前9時。

社員たちが次々と出社し、オフィスが活気づいてきた。

「おはようございます!」

「おはようございます!」

あなたは普段通りに挨拶を交わしながら、各部署の進捗を確認していった。

すると、企画部の社員が困った顔で近づいてきた。

「専務、すみません。昨日の会議で使う予定だった資料なんですが、数字の一部に食い違いが見つかりまして……」

「分かりました。まず、どこで食い違っているか確認しましょう」

あなたは資料を受け取り、担当者と一緒に原因を探した。

しばらくして、原因が判明した。

集計の際に、古いデータが一部混ざっていたのだ。

「ここですね。最新のデータに差し替えて、関連するページも確認しましょう」

「助かります!」

「いえ。念のため、ほかの数字も一緒に確認しておきましょう」

その後も、あなたは別の部署からの相談に乗った。

営業部の報告書を確認し、総務部の書類の整理を手伝い、美咲さんから質問された業務上の手順を丁寧に説明した。

「専務、ありがとうございます! すごく分かりやすかったです!」

「いえいえ。分からないことがあれば、いつでも聞いてください」

「はい!」

美咲さんは、ぱっと笑顔になった。

あなたも自然と笑みを返した。

けれど、心の中では別のことを考えていた。

(……まだまだだ)

(今日の仕事を片付けるだけじゃなくて、もっと周りを見られるようになりたい)

(誰かが困ってから動くんじゃなくて、困る前に気づけるようになりたい)

夢を見たからこそ、改めて気づいた。

自分がこの会社で何を大切にしているのか。

そして、自分にできることは何なのか。

あなたは、今まで以上に真剣に仕事へ向き合っていた。

その様子を、少し離れた場所から見つめる人がいた。

さくらさんだ。

彼女は手元の書類を持ったまま、あなたの働く姿を見ていた。

(……今日は、本当にすごい集中力ですね)

あなたが社員の相談に乗り、問題を整理し、相手が理解できるまで説明している。

自分の仕事もあるはずなのに、決して相手を急かさない。

そして、相談が終わると、すぐに自分の仕事へ戻っていく。

(以前から頑張り屋さんでしたけれど……)

さくらさんは、少し心配そうに目を細めた。

(今日は、何かを無理に振り払おうとしているようにも見えます)

彼女はあなたに声をかけようとした。

しかし、その直後。

あなたが美咲さんの質問に答えながら、ふっと笑った。

「大丈夫ですよ。最初から全部できる人なんていませんから」

その言葉を聞いて、さくらさんは足を止めた。

(……ああ)

(この人は、本当に変わりませんね)

困っている人を放っておけない。

誰かが失敗しても、頭ごなしに責めない。

相手が前に進めるように、できることを考える。

さくらさんは、そっと微笑んだ。

(だからこそ……心配にもなるんです)

第三章 昼休み、庭でひとり反省会

昼休み。

あなたは食堂で昼食を済ませると、いつもの庭へ向かった。

ベンチに座り、深く息を吐く。

「……ふぅ」

午前中は、かなり集中して仕事をした。

予定していた仕事は順調に進み、相談に来た社員たちの問題も、いくつか解決できた。

それなのに。

「……なんだかなぁ」

あなたは空を見上げた。

「夢なのに、引きずるなぁ……」

そう。

本当は、まだ少し落ち込んでいた。

夢だと分かっている。

社長に解雇されたわけでもない。

会社から必要ないと言われたわけでもない。

それでも、夢の中で聞いた言葉が、耳に残っていた。

『君がいなくても、会社は回る』

あなたは、膝の上で両手を組んだ。

「……そりゃ、僕がいなくても会社は回るよな」

当たり前のことだ。

会社には、優秀な社員がたくさんいる。

社長も、部長も、さくらさんも、美咲さんも。

みんな、それぞれの仕事を頑張っている。

自分ひとりがいなくなったところで、会社そのものがなくなるわけではない。

けれど。

「……それでも、ここで働きたいんだよな」

小さく呟いた。

「みんなと一緒に働きたいし、誰かの役に立ちたいし……」

そこで、言葉が止まった。

「……さくらさんにも、もっと認めてもらいたい」

言ってから、あなたは顔を覆った。

「うわぁぁぁ……! また言った!」

もちろん、誰もいない。

しかし、あなたの恋心を知っているかのようなタイミングで――。

「……何を、またおっしゃったんですか?」

「…………え?」

聞き覚えのある声。

ゆっくり振り返る。

そこには、さくらさんが立っていた。

「…………」

「…………」

「さ、さくらさん!?」

「こんにちは」

「こ、こんにちは! いつから!?」

「今、いらしたところです」

あなたは胸をなで下ろした。

よかった。

今の最後の一言しか聞かれていない可能性がある。

いや、それでも十分に危ないのだが。

さくらさんは隣に座ってもいいかと尋ね、あなたが慌てて頷くと、ベンチに腰を下ろした。

「……少し、お話ししてもいいですか?」

「は、はい」

さくらさんは、あなたの顔を見た。

「今日、何かありましたか?」

「えっ?」

「朝からずっと頑張っていらっしゃいますけれど、少しだけ、いつもと違うように感じます」

あなたは視線をそらした。

まさか、解雇される夢を見たなんて言えない。

「……ちょっと、嫌な夢を見まして」

「嫌な夢、ですか?」

「はい。仕事に関する夢だったんですけど……」

あなたは苦笑した。

「夢だと分かっているのに、起きた後も気になってしまって。それで、今日はいつも以上に頑張ろうと思ったんです」

さくらさんは、しばらく黙っていた。

そして、静かに尋ねた。

「……もしかして、ご自分の仕事に自信がなくなってしまったんですか?」

「……少しだけ」

正直に答えた。

「僕が今までやってきたことって、本当に役に立っているのかなって。もっとできることがあるんじゃないかって……」

言葉にしてみると、自分でも驚くほど、胸の奥に不安がたまっていたことに気づいた。

さくらさんは、あなたの話を最後まで聞いてくれた。

そして。

「……私は、そうは思いません」

「え?」

「あなたが今までしてきたことを、私は知っています」

さくらさんの声は、いつもと同じように穏やかだった。

「困っている社員の方を助けて、誰かが失敗したときには一緒に原因を考えて、部署同士の連携がうまくいかないときには間に入って……」

「……」

「ご自分の仕事があるのに、周囲のことまで考えて行動されていましたよね」

あなたは、思わず彼女を見た。

「それは、決して当たり前にできることではありません」

さくらさんは微笑んだ。

「少なくとも私は、あなたが会社にとって必要な存在だと思っています」

――ドクン。

心臓が、大きく跳ねた。

「……さくらさん」

「もちろん、誰かの役に立つために、ご自分を犠牲にする必要はありません。あなたが無理をして倒れてしまったら、私も困りますから」

「……はい」

「ですから、頑張るのは素敵なことですが……どうか、ご自分のことも大切にしてくださいね」

優しい言葉だった。

夢の中で聞いた言葉とは、正反対だった。

あなたは、思わず俯いた。

「……ありがとうございます」

声が少しだけ震えた。

さくらさんは気づいていたのかもしれない。

それでも、何も聞かずに、ただ隣にいてくれた。

しばらくして、あなたは顔を上げた。

「……僕、もっと頑張ります」

「はい」

「でも、無理はしません。ちゃんと周りにも頼ります」

「ふふっ。それなら安心です」

さくらさんの笑顔。

その瞬間、あなたの胸の中にあった不安が、少しずつ溶けていった。

(……ああ、もう)

(好きだなぁ……)

心の中で呟いた、その直後。

さくらさんが、こちらを見た。

「……何か?」

「い、いえ! 何でもありません!」

「そうですか?」

「はい!」

危ない。

危うく、別の意味で仕事が手につかなくなるところだった。

第四章 社長と部長は、すべてお見通し

午後3時。

あなたは、社長室へ提出する資料を持って向かっていた。

廊下を歩いていると、開いた扉の向こうから声が聞こえてきた。

「……それで、今日の専務はどうだった?」

社長の声だ。

あなたは足を止めかけた。

「朝からずいぶん気合いが入っていたようですね」

今度は部長の声。

「そうなんです。仕事の進め方も丁寧でしたし、各部署へのフォローも行き届いていました」

さくらさんの声だった。

(……えっ?)

あなたは、思わず扉の前で固まった。

「ただ、少し心配でもあります。何かあったようですから」

「なるほどな……」

社長が唸った。

「まあ、あいつは昔からそういうところがある。悩んでいるときほど、周りを助けようとする」

「ええ。だからこそ、無理をしていないか気をつけてあげたいですね」

部長も続けた。

「本人は隠しているつもりなんだろうが、仕事への向き合い方を見れば分かる。あいつは、この会社を大切にしているんだ」

あなたは、資料を抱え直した。

(……聞こえてしまった)

嬉しかった。

自分の頑張りを、ちゃんと見てくれている人がいる。

けれど、その直後。

社長が、何気ない調子で言った。

「ところで、さくら君」

「はい?」

「君があいつを心配するのは、教育係だったからか?」

「…………」

一瞬の沈黙。

あなたは、息を止めた。

そして、さくらさんが答えた。

「……それも、あります」

(それも!?)

「それも?」

社長が、楽しそうに聞き返す。

「……大切な部下ですから」

(ぶ、部下……!)

あなたは胸を押さえた。

いや、部下であることは分かっている。

分かっているのだが。

「……なるほどな」

社長は、どこか意味ありげに笑った。

「まあ、本人も君のことになると、ずいぶん分かりやすいがな」

「社長」

さくらさんの声が、少しだけ低くなった。

「……あまり、からかわないでください」

「おっと、すまんすまん」

部長が笑いをこらえている気配がする。

あなたは、これ以上聞いてはいけないと判断した。

そっと、その場を離れようとする。

その瞬間。

「……あら?」

背後から声がした。

振り返る。

そこには、美咲さんがいた。

「専務? どうされたんですか? そんなところで固まって……」

「しっ! 美咲さん!」

「えっ!? な、何ですか!?」

あなたは慌てて彼女を連れ、少し離れた場所へ移動した。

「い、いや、何でもありません!」

「……もしかして、社長室から何か聞こえました?」

「聞いてません!」

「まだ何も言っていませんけど……」

「…………」

美咲さんは、あなたの顔を見つめた。

そして、にこっと笑った。

「専務って、たまに分かりやすいですよね」

「……美咲さん?」

「いえ、何でもありません!」

そう言って、彼女は去っていった。

あなたは、その場に立ち尽くした。

(……この会社、鋭い人が多すぎないか?)

しかも、肝心のさくらさんまで。

あなたは、深くため息をついた。

(……恋心だけは、絶対に知られたくない)

その決意だけは、今日も変わらなかった。

第五章 夢よりも、確かな現実

午後6時。

あなたは、今日の業務をひと通り終えた。

朝に立てた予定の多くを達成し、残った仕事も翌日に回せるよう整理した。

そして、最後に進捗表を確認する。

「……よし。今日はここまで」

パソコンを閉じた。

以前の自分なら、まだ仕事を続けようとしていたかもしれない。

けれど、昼休みにさくらさんから言われた言葉を思い出す。

『あなたが無理をして倒れてしまったら、私も困りますから』

「……ちゃんと、休むのも仕事のうちだよな」

あなたは立ち上がった。

そのとき、専務室の扉がノックされた。

コンコン。

「はい」

扉が開く。

「お疲れさまです」

さくらさんだった。

「お疲れさまです、さくらさん」

「もう、お帰りですか?」

「はい。今日の仕事は一区切りついたので」

「……そうですか」

さくらさんは、ほっとしたように微笑んだ。

「よかったです。今日は、ちゃんと帰ってくださるんですね」

「えっ?」

「いえ。何でもありません」

彼女は少しだけ視線をそらした。

「……以前、遅くまで仕事をされていたことがあったでしょう? あのとき、少し心配だったんです」

「……すみません」

「謝らないでください。頑張ってくださっているのは、よく分かっていますから」

さくらさんは、あなたの机に目を向けた。

「それに、今日の仕事ぶりは素晴らしかったと思います。問題への対応も、周囲への気配りも。私も、見習わなければいけませんね」

「そ、そんな! さくらさんのほうが、ずっとすごいです!」

思わず、勢いよく言ってしまった。

さくらさんが目を丸くする。

「……ふふっ」

そして、柔らかく笑った。

「ありがとうございます」

――ドクン。

(……笑顔、かわいい)

(いや、待て。今のは心の中だけだ。大丈夫。声には出していない)

あなたが内心で必死に確認していると、さくらさんが鞄を持った。

「では、一緒に帰りましょうか?」

「……えっ!?」

「帰り道、途中まで同じでしょう?」

「は、はい!」

あなたは、できる限り平静を装って頷いた。

二人でオフィスを出る。

廊下を歩き、エレベーターに乗り、会社の玄関を抜ける。

外は、夕暮れだった。

隣を歩くさくらさんが、ふと尋ねた。

「……あの夢、もう気にならなくなりましたか?」

あなたは、少し考えた。

「……完全には、まだ」

「そうですか」

「でも……」

あなたは、前を向いた。

「今日、ちゃんと仕事をして、みんなと話して……さくらさんにも話を聞いてもらって。少しだけ、自信が戻りました」

「……それなら、よかったです」

さくらさんは微笑んだ。

あなたは、ゆっくりと言葉を続けた。

「僕、もっと仕事ができるようになりたいです。みんなの役に立てるように。困ったときに、安心して頼ってもらえるように」

「はい」

「でも、今日気づいたんです。自分ひとりで全部できなくてもいいんですよね」

「……そうですね」

「みんなで協力して、少しずつ前に進んでいけばいい。僕も、困ったときはちゃんと相談します」

さくらさんは、嬉しそうに目を細めた。

「……成長されましたね」

「えっ?」

「以前のあなたなら、全部ご自分で抱え込もうとしていたかもしれません」

「……そうかもしれません」

「でも、今は違いますね」

彼女は、あなたのほうを向いた。

「私は、そんなあなたを誇りに思います」

――ドクンッ!!

あなたの心臓が、今日一番の音を立てた。

(……えっ)

(誇りに思う!?)

(さくらさんが!?)

(僕を!?)

頭の中が、真っ白になった。

「……あ、あの……」

「はい?」

「……ありがとうございます」

それだけ言うのが精いっぱいだった。

さくらさんは、少し不思議そうにしながらも、優しく笑った。

「どういたしまして」

あなたは心の中で叫んだ。

(……無理だ)

(こんなの、もっと好きになってしまう……!)

しかし、表情には出さない。

出してはいけない。

恋心を知られてはいけないのだから。

あなたは、いつものように平静を装いながら、さくらさんと並んで歩いた。

エピローグ 翌朝、夢の続きを変える

翌朝。

あなたは目覚まし時計の音で目を覚ました。

「……ん」

カーテンの向こうから、朝日が差し込んでいる。

昨日の夢を思い出しかけて、あなたはゆっくりと息を吐いた。

「……大丈夫」

ベッドから起き上がる。

「夢は夢。現実は現実だ」

そして、洗面所へ向かいながら、昨日のさくらさんの言葉を思い出した。

『私は、そんなあなたを誇りに思います』

「…………」

足が止まった。

「……いやぁぁぁぁ!!」

顔が熱くなる。

「朝から思い出すな! 仕事に集中しろ、僕!!」

自分で自分にツッコミを入れる。

その後、あなたはいつも通りに身支度を整え、会社へ向かった。

オフィスに着くと、さくらさんがいた。

「おはようございます」

「お、おはようございます、さくらさん!」

「……ふふっ。今日も元気ですね」

「は、はい!」

あなたは席につき、パソコンを起動した。

今日も仕事がある。

助けを必要としている社員がいるかもしれない。

自分が成長できる機会も、きっとある。

そして、隣には――。

「……今日も、一緒に頑張りましょうね」

さくらさんが、優しく声をかけてくれた。

あなたは笑顔で頷いた。

「はい!」

心の中で、そっと付け加える。

(……解雇される夢なんかに、負けてたまるか)

(僕は、ここで頑張りたい)

(みんなと一緒に働いて、もっと成長したい)

(そして、いつか……)

そこまで考えて、慌てて頭を振った。

(いやいやいや! 最後のは仕事と関係ない!)

「……専務?」

「はいっ!?」

さくらさんが不思議そうにこちらを見ていた。

「……何か、いいことでもありましたか?」

あなたは、少しだけ笑った。

「はい。今日は、いい一日になりそうだなと思いまして」

「……そうですか」

さくらさんも、微笑んだ。

「それは、よかったです」

その笑顔を見て、あなたの心臓がまた、ドクンと鳴る。

夢の中では、あなたは会社を失った。

けれど、現実のあなたは、ここにいる。

仲間がいて、仕事があって、そして――あなたの頑張りを見てくれている人がいる。

だから、今日も前を向いて歩いていく。

夢で失いかけた自信は、現実の一歩ずつで取り戻していけばいい。

そして、さくらさんへの恋心だけは。

「……絶対に、知られてはいけない」

あなたは小さく呟いた。

「……今、何かおっしゃいましたか?」

「な、何でもありません!」

「ふふっ。では、今日もよろしくお願いしますね」

「はいっ!」

今日も、あなたの恋心は秘密のまま。

ただし――。

あなたの仕事への情熱が、今まで以上に燃え上がっていることだけは、社長も部長も、そしてさくらさんも、すでに気づいていたのだった。