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「女性社員たちの相談ラッシュと、頭がパンクした午後」

教育係のさくらには恋心を知られてはいけない。 — www.pixiv.net · All chapters

「女性社員たちの相談ラッシュと、頭がパンクした午後」

――午前8時45分。オフィス。

「おはようございます」

いつも通り、僕はオフィスの扉を開けて出社した。

今日も一日、いつも通りに仕事をして、いつも通りにさくらさんへ報告して、いつも通りに帰る。

うん。完璧な計画だ。

……そう思っていた。

「おはようございます!」

「おはようございます、ちょっといいですか?」

「私にも教えていただきたいことがあるんです!」

「えっ?」

気づいたときには、僕の周りに女性社員の方々が集まっていた。

美咲さんまでいる。

「おはようございます! 昨日のプレゼンの件なんですけど、私ももう少し詳しく教えていただけませんか?」

「あ、はい。もちろんです」

「ありがとうございます!」

美咲さんは、ぱっと笑顔になった。

……うん。

やっぱり、美咲さんは笑顔がかわいい。

いやいや、何を考えているんだ、僕は。

今日は仕事だ。仕事に集中しよう。

「それで、こちらの資料なんですが……」

「はい。まず、この数字を整理すると分かりやすいですよ」

「なるほど!」

「私の企画書も見ていただけませんか?」

「私も、会議での説明の仕方を教えてほしくて……」

「えっ、あ、はい。順番に見ますね!」

気づけば僕は、ひとりずつ相談に乗ることになっていた。

資料の作り方を教え、企画書を確認し、プレゼンの練習に付き合い、困っていた社員の仕事を手伝う。

美咲さんがまとめた資料にも、少しだけアドバイスをした。

「ここ、先に結論を書くと、もっと伝わりやすくなりますよ」

「本当ですね……! ありがとうございます。昨日も助けていただいたのに、今日まで!」

「いえいえ。僕も勉強になりますから」

「ふふっ。そういうところ、素敵ですね」

「…………えっ?」

「えっ? あっ、仕事の教え方が、です!」

美咲さんは、少し恥ずかしそうに笑った。

「そ、そうですか。ありがとうございます……」

危なかった。

いや、何が危なかったんだ。

僕は何を動揺しているんだ。

そのときだった。

「……楽しそうですね」

背後から、聞き慣れた声がした。

振り返ると、さくらさんが立っていた。

いつも通りの落ち着いた表情。

いつも通りの丁寧な口調。

けれど。

「皆さん、ずいぶん熱心に教わっていらっしゃるんですね」

「あ、さくらさん。おはようございます。ちょっと皆さんのお手伝いをしていまして」

「そうですか。素晴らしいことですね」

にこっ。

……あれ?

笑顔なのに、なんだろう。

なぜか背筋が伸びる。

「それでは、私は自分の仕事に戻りますね」

「あ、はい!」

さくらさんは去っていった。

しかし、数歩進んだところで。

ちらっ。

こちらを見た。

さらに数秒後。

ちらっ。

また見た。

……気のせいかな?

いや、今度は確実に目が合った。

さくらさんは、何事もなかったように仕事へ戻っていった。

僕は首をかしげながら、再び相談に乗ることにした。

1.午前中、僕の周りが相談窓口になった

「ありがとうございます! すごく分かりやすかったです!」

「私も助かりました!」

「また分からないことがあったら、相談してもいいですか?」

「もちろんです。僕に分かることなら」

そう答えると、女性社員の皆さんは嬉しそうに笑った。

美咲さんも、資料を抱えながら頭を下げた。

「本当にありがとうございました。午後の発表、頑張りますね!」

「はい。応援しています」

美咲さんは、最後にもう一度、明るい笑顔を見せてくれた。

……なんだろう。

誰かの役に立てるのは、やっぱり嬉しい。

でも。

僕は自分のデスクに戻ろうとして、ふと気づいた。

「……あれ?」

今日、まだ自分の仕事がほとんど進んでいない。

しかも、相談してくれた人たちから、次々とお礼を言われている。

嫌なわけじゃない。

むしろ、頼ってもらえるのは嬉しい。

ただ……。

「なんか、落ち着かないな……」

その小さな呟きは、誰にも聞かれなかった。

……と思った。

「そうですか」

「うわっ!?」

いつの間にか、さくらさんがすぐそばにいた。

「さ、さくらさん!? いつからそこに!?」

「今です。お仕事の進み具合はいかがですか?」

「ええと……その……」

僕は自分のパソコンを見た。

画面には、途中までしか進んでいない書類。

「……これから頑張ります」

「ふふっ。そうですね」

さくらさんは優しく微笑んだ。

「皆さんのお手伝いも大切ですが、ご自分のお仕事も忘れないでくださいね」

「はい……!」

「それから」

「はい?」

「午後、少しお時間をいただけますか? 私の担当している資料について、一緒に確認していただきたいんです」

「もちろんです!」

即答した。

さくらさんの役に立てる。

それは嬉しい。

とても嬉しい。

……なのに。

「ありがとうございます。では、午後にお願いしますね」

さくらさんは微笑んで、僕のデスクから離れていった。

そして。

ちらっ。

また、こちらを見た。

「…………?」

僕は、ますます首をかしげた。

2.昼休み。庭でひとり反省会

昼休み。

僕はお弁当を食べ終えると、いつもの庭へ向かった。

ベンチに座り、ノートを開く。

仕事の振り返りをするのは、もう習慣になっていた。

今日の午前中にできたこと。

改善できること。

午後にやるべきこと。

ペンを動かしていた僕は、ふと手を止めた。

「……あれ?」

最近、僕、女性社員の方たちに相談されることが多くなったな?

昨日は美咲さんのプレゼンを手伝った。

今日はほかの社員の方々からも、いろいろと相談された。

その前も、困っている人を見かけて手伝った気がする。

「……なんか、相談窓口みたいになってないか、僕」

思わず苦笑した。

もちろん、嫌なわけじゃない。

困っている人がいたら助けたいし、頼ってもらえるのも嬉しい。

でも。

「なんか、落ち着けなかったな……」

午前中を思い返す。

美咲さんに褒められたとき。

ほかの社員さんから頼られたとき。

みんなが笑顔でお礼を言ってくれたとき。

どれも嬉しかった。

だけど、次から次へと相談されると、何を優先すればいいのか分からなくなってしまう。

そして何より。

「午後からは、さくらさんの手伝いもあるんだよな……」

ノートに、午後の予定を書き足した。

午後:さくらさんの資料確認。

その文字を見た瞬間。

「…………」

僕はベンチの背もたれに、ゆっくりと寄りかかった。

「頭がパンクしそう……」

ぽつり。

「みんなの相談に乗るのも大事。自分の仕事も大事。さくらさんの手伝いも頑張りたい……」

空を見上げる。

「……うん。頑張ろう」

そう決めたところで、ふと気づいた。

「あれ? 僕、今日、さくらさんとちゃんと話せるかな?」

いや、午後に一緒に仕事をするのだから、話せるに決まっている。

でも、仕事の話ばかりになってしまうのも、ちょっと寂しい。

……いやいや!

何を考えているんだ、僕は!

僕は慌ててノートを閉じた。

「よし! 午後も頑張る!」

「……何を頑張るんですか?」

「うわあっ!?」

ベンチから飛び上がりそうになった。

振り向くと、そこには。

さくらさんが立っていた。

「さ、さくらさん!?」

「こんにちは。ずいぶん大きな声でしたね」

「い、いつからそこに!?」

「少し前からです」

少し前!?

ということは。

「……もしかして、独り言、聞こえていました?」

「はい。少しだけ」

終わった。

僕の社会人生活が終わった。

いや、終わってはいない。

「ええと……仕事の段取りを考えていただけです!」

「そうですか」

さくらさんは、僕の隣のベンチに腰を下ろした。

「今日、皆さんのお手伝いをたくさんされていましたね」

「はい。ちょっと相談が重なってしまって」

「皆さん、あなたを頼りにしているんですね」

「そうなんでしょうか……」

「ええ。私も頼りにしていますよ」

「…………えっ?」

ドクン。

心臓が、一度だけ大きく跳ねた。

さくらさんは、いつもの落ち着いた顔で続ける。

「ですから、午後の資料確認もよろしくお願いしますね」

「は、はい! 頑張ります!」

「ふふっ。そんなに緊張なさらなくても大丈夫ですよ」

いや、無理です。

今の一言は、反則です。

『私も頼りにしていますよ』

そんなことを言われたら。

午後の仕事、絶対に意識してしまうじゃないか!

さくらさんは、僕の顔をじっと見た。

「……お顔が赤いようですが、大丈夫ですか?」

「だ、大丈夫です! 庭がちょっと暑いだけです!」

「そうですか?」

さくらさんは小さく首をかしげた。

そして、ふわりと微笑んだ。

「では、午後もよろしくお願いしますね」

「は、はい……!」

さくらさんが立ち上がる。

その背中を見送りながら、僕は胸を押さえた。

ドクン、ドクン。

「……午後、乗り切れるかな、僕」

3.午後。さくらさんとの資料確認

午後一時。

僕はさくらさんのデスクへ向かった。

「お待たせしました」

「ありがとうございます。こちらへどうぞ」

さくらさんは資料を広げ、丁寧に説明してくれた。

「今回の企画では、この部分の数字をもう少し整理したいんです。こちらの資料と照らし合わせていただけますか?」

「分かりました」

僕は真剣に資料を確認した。

数字を照合し、見落としがないか確認し、説明の順番を整える。

さくらさんの仕事を手伝えるのは嬉しい。

だからこそ、集中しよう。

そう思っていた。

……いたのだが。

「こちらの数字ですが、前月分と比較すると――」

「はい」

「この部分を修正すれば、もっと分かりやすくなると思います」

「なるほど。ありがとうございます」

よし、順調だ。

ところが。

「……あの」

「はい?」

「午前中、皆さんにたくさん相談されていましたね」

「えっ? あ、はい。いろいろ教えてほしいと言われまして」

「美咲さんも、ずいぶん嬉しそうでしたね」

「そうですね。昨日のプレゼンのこともあったので、少しでも役に立てたならよかったです」

「……そうですか」

さくらさんは、手元の資料に目を落とした。

そして、数秒後。

ちらっ。

僕を見た。

「…………?」

まただ。

今日、何度もこちらを見てくる。

気のせいではない。

絶対に、何かある。

「さくらさん?」

「はい?」

「何か、気になることでもありますか?」

「い、いえ。何でもありませんよ」

ほんの一瞬。

さくらさんの返事が、いつもより少しだけ早かった。

「そうですか……?」

「はい。それより、こちらの資料ですが」

話題が戻った。

僕も資料に目を落とした。

しかし、しばらくすると。

ちらっ。

また視線を感じる。

ちらっ。

今度は、目が合った。

さくらさんは、ぴたりと動きを止めた。

「…………」

「…………」

沈黙。

「……さくらさん?」

「はい」

「本当に、何かありましたか?」

「……実は」

さくらさんは、少しだけ視線をそらした。

「午前中、皆さんと楽しそうにお話しされていたので……」

「はい?」

「いえ。皆さんのお役に立っているのは、とても素晴らしいことだと思います」

「ありがとうございます?」

「ただ……」

さくらさんの声が、ほんの少し小さくなった。

「最近、あなたが皆さんに頼られることが増えましたので。少し、驚いてしまっただけです」

……なるほど。

確かに、今日はいつもより人が集まっていた。

「僕もびっくりしました。まさか、あんなに相談されるとは思っていなくて」

「ふふっ。そうでしょうね」

さくらさんは、ようやくいつもの笑顔に戻った。

「でも、あなたが誰かを助けている姿を見ると、私も嬉しいです」

「…………」

「ですから、無理はしないでくださいね。困ったときは、あなたも誰かに相談していいんですから」

その言葉は、思っていた以上に優しかった。

「……ありがとうございます、さくらさん」

「どういたしまして」

僕は、胸の奥が温かくなるのを感じた。

……やっぱり。

さくらさんは優しい。

仕事にも真剣で、周りのこともちゃんと見ていて。

そんなところが、好きなんだ。

「…………っ!」

危ない!

今、心の中で何を考えた!?

僕は慌てて資料に視線を戻した。

「……この数字、もう一度確認しますね!」

「はい。お願いします」

さくらさんは、くすっと笑った。

「本当に、真面目な方ですね」

「そ、そうでしょうか……」

「ええ。そういうところも、素敵だと思いますよ」

「…………っ!?」

ドクンッ!!

僕の思考が、完全に停止した。

数字が読めない。

文字が頭に入らない。

資料のどこを見ているのかすら分からない。

頭が、パンクした。

「…………」

「……あの?」

「…………」

「大丈夫ですか?」

「だ、大丈夫です! 今、ものすごく集中しています!」

「そうですか?」

さくらさんは、少し不思議そうな顔をした。

「では、次のページもお願いしますね」

「はいっ!」

僕は必死に資料を確認した。

……しかし。

隣から、さくらさんの穏やかな声が聞こえるたびに。

ドクン。

また、ドクン。

心臓が落ち着かない。

仕事は順調なのに、僕だけが全然順調ではなかった。

4.退勤前。さくらさんが見ていたもの

午後五時半。

なんとか資料の確認を終えた。

「ありがとうございました。おかげさまで、とても助かりました」

「いえ、こちらこそ。勉強になりました」

「今日も、たくさん頑張っていらっしゃいましたね」

「……ありがとうございます」

さくらさんは、書類をまとめながら微笑んだ。

「ただ、明日はもう少し、ご自分のお仕事を優先してくださいね」

「はい……。今日はちょっと欲張りすぎました」

「ふふっ。そうですね」

僕たちは、そろって小さく笑った。

これで今日の仕事は終わり。

僕は自分のデスクへ戻ろうとした。

そのとき。

「……あの」

さくらさんに呼び止められた。

「はい?」

「明日も、少しだけお時間をいただけますか?」

「もちろんです。何かお手伝いできることがあれば」

「ありがとうございます」

さくらさんは、嬉しそうに微笑んだ。

そして、少しだけ間を置いてから。

「……それと」

「はい?」

「明日は、お昼休みにもお会いできたら嬉しいです」

「…………えっ?」

さくらさんは、自分が何を言ったのか気づいたように、ほんの少し目を見開いた。

「あっ……いえ! その、明日の業務について、少しご相談したいことがありまして!」

「そ、そうなんですね!」

「はい。ですから、もしよろしければ……」

「もちろんです!」

僕は、思わず笑顔で答えた。

「明日も庭で休憩する予定なので、ぜひ!」

「……庭、ですか?」

「あっ、はい。いつもそこで振り返りをしているんです」

「そうだったのですね」

さくらさんは、なぜかほっとしたような表情になった。

「では、明日。よろしくお願いします」

「はい!」

さくらさんが去っていく。

そして、廊下の角を曲がる直前。

ちらっ。

また、こちらを見た。

今度は、僕も気づいていた。

目が合う。

さくらさんは、少し恥ずかしそうに微笑んだ。

僕も、つられて笑った。

……そして、さくらさんが見えなくなった瞬間。

「…………」

僕はデスクに戻り、椅子に座った。

「…………明日も、庭で会いたいって……」

いや、業務の相談だ。

そう言っていた。

分かっている。

分かっているのに。

「…………」

僕は両手で顔を覆った。

「……好きだなあ、もう……」

誰にも聞こえないくらい、小さな声で。

その頃。

廊下を歩いていたさくらさんも、ひとりで小さく呟いていた。

「……今日も、何度も見てしまいました」

自分の頬にそっと触れる。

「皆さんに頼られている姿も、真剣に仕事をしている姿も……本当に、素敵でした」

そして、明日の昼休みを思い浮かべる。

「……明日は、もう少しだけ、お話しできるでしょうか」

さくらさんは、誰にも見られていないことを確認してから。

ほんの少しだけ、嬉しそうに微笑んだ。