「怪文書と、英語で書かれたさくらさんの本音」
「怪文書と、英語で書かれたさくらさんの本音」
――昨日、あなたのもとに届いた一通の奇妙な手紙。
その内容を知ったとき、まさか教育係のさくらさんが書いたものだとは、夢にも思わなかった。
1. 昼休み、美咲さんとの会話
昼休み。
あなたは食堂の隅で、中途入社してきた美咲さんと楽しく話していた。
美咲さんとは最近すっかり仲良くなり、仕事のことだけでなく、休日の話や趣味の話もするようになっていた。
「そういえば、美咲さん。昨日、ちょっと変なことがありまして……」
「変なことですか?」
「はい。実は、怪文書が送られてきまして」
「……えっ?」
美咲さんは手に持っていたお箸を止めた。
「か、怪文書!? だ、大丈夫なんですか?」
「それがですね……英語で書かれていたんですよ。しかも、差出人が書いてなくて」
「うわぁ……。それは確かに怖いですね」
「最初は心霊現象かと思いました」
「どうしてそうなるんですか!?」
「だって、誰が送ったのか分からないうえに、読めない英語が並んでいるんですよ。夜に見つけたので、怖くなって閉じました」
「ふふっ……! 幽霊からの英語の手紙だと思ったんですか?」
「笑い事じゃないですよ! 僕、けっこう本気で怖かったんですから!」
美咲さんはとうとう声を出して笑った。
「す、すみません。でも、気になりますね。どんなことが書かれていたんですか?」
「実は、まだちゃんと読んでいないんです。一緒に確認してもらえませんか?」
「もちろんです!」
あなたはスマートフォンを取り出した。
そして、昨日届いた手紙の写真を開く。
そこには、整った英語の文字がびっしりと並んでいた。
美咲さんは画面をのぞき込む。
「……あれ? これ、意外と読みやすい英語ですよ」
「えっ。本当ですか?」
「はい。ちょっと待ってくださいね」
美咲さんが文章を読み始めた、そのときだった。
「……っ!?」
突然、美咲さんの表情が変わった。
「どうしました?」
「い、いえ……。これ、もしかして……」
「もしかして?」
「いえ、まだ確信がないので。翻訳してみましょう」
あなたは不安そうにうなずいた。
そして、二人で一文ずつ確認することになった。
2. 怪文書の正体
美咲さんはスマートフォンの翻訳機能を使い、最初の一文を読み上げた。
「ええと……『あなたが庭で一人で過ごしている姿を見ると、つい声をかけたくなります』……?」
「…………え?」
あなたは固まった。
「えっ、何ですかそれ。幽霊って、庭に出るんですか?」
「ち、違うと思います!」
美咲さんは慌てて否定した。
「じゃあ、次を読みますね」
画面には、続きの文章が表示された。
『あなたが誰かを助けている姿を見ると、私まで嬉しくなります』
『あなたが小さな声で何かを呟いていると、つい耳を傾けてしまいます』
『あなたが笑っていると、今日も一日頑張ってよかったと思います』
あなたは首を傾げた。
「……なんだか、ずいぶん具体的ですね」
「そ、そうですね……」
「僕のことを知っている人が書いたんでしょうか?」
「……たぶん、そうだと思います」
美咲さんは少しだけ困ったように笑った。
そして最後の段落を読み始める。
『あなたに伝えたいことがあります。でも、面と向かって伝えるのは、まだ少し恥ずかしいです』
『だから、こうして英語で書きました。もしあなたがこの手紙を読んでくれたなら、それだけで嬉しいです』
『明日も、あなたとお話しできたらいいですね』
最後に、小さな文字でこう書かれていた。
“From someone who cares about you.”
美咲さんは翻訳結果を見つめた。
「……あなたのことを大切に思っている人より、って意味ですね」
「…………」
あなたは黙り込んだ。
「えっ、待ってください」
「はい?」
「これ、怪文書じゃないんですか?」
「少なくとも、文章だけ見ると、怖い手紙ではなさそうですね」
「よかったぁ……。僕、てっきり呪いの手紙かと……」
あなたは胸をなで下ろした。
美咲さんは笑いをこらえながら言った。
「でも、誰が書いたんでしょうね?」
「うーん……。英語が得意な人でしょうか」
「身近に、英語が得意で、あなたのことをよく見ている人はいませんか?」
「……?」
あなたは真剣に考え始めた。
そして。
「……社長?」
「なぜですか!?」
「いや、社長なら英語くらい書けそうですし……」
「もっとほかにいるでしょう!?」
二人は顔を見合わせ、笑った。
しかし、美咲さんは心の中で思っていた。
(これ……もしかして、さくらさんでは?)
3. その頃、さくらさんは……
同じ頃。
オフィスでは、教育係のさくらさんがパソコンの前に座っていた。
いつもなら落ち着いて業務を進めている彼女だが、今日は少し様子がおかしい。
カタカタカタ……。
キーボードを打つ手が止まる。
「…………」
さくらさんは、そっとスマートフォンを確認した。
あなたからの連絡はない。
「……まだ、読んでいらっしゃらないのでしょうか」
小さく呟く。
実は、あの手紙を書いたのは、さくらさん本人だった。
昨日、あなたが庭で一人、仕事のアイデアをノートに書き込んでいる姿を見かけた。
あなたはそのあと、困っていた社員を助け、最後にはいつものように優しく笑っていた。
その姿を見ているうちに、さくらさんの胸がきゅっと締めつけられた。
(……どうして、あの方はいつもあんなに優しいのでしょう)
あなたが誰かを助けるたびに嬉しくなる。
あなたが楽しそうに話していると、つい自分も会話に加わりたくなる。
そして、あなたが自分以外の女性と楽しそうに話していると……。
「…………」
さくらさんは、そこで考えるのをやめた。
「いけません。私は教育係なのですから」
そう呟いて、背筋を伸ばす。
しかし、手紙を書いた理由は、もう自分でも分かっていた。
あなたに伝えたいことがあったのだ。
けれど、日本語で書けば、気持ちがそのまま伝わってしまいそうだった。
だから、英語にした。
読めなければ、ただの不思議な手紙として終わるかもしれない。
読んでくれたとしても、誰が書いたか分からないだろう。
そう思っていたのに。
「……読んでくださったら、どうしましょう」
さくらさんは両手で頬を押さえた。
ほんのり赤くなっている。
「……恥ずかしいです」
そして、誰もいないオフィスで、小さく呟いた。
「……本当は、もっとお話ししたいのに」
4. 美咲さん、まさかの推理
昼休みの終わり。
あなたと美咲さんは、食堂からオフィスへ戻っていた。
「ところで、美咲さん」
「はい?」
「さっきの手紙、最後に名前がなかったですよね」
「そうですね」
「でも、なんだか僕のことをよく知っている人みたいでした」
「……そうですね」
「美咲さん、誰が書いたと思います?」
美咲さんは歩きながら考えた。
あなたの普段の行動をよく知っている人。
庭で過ごしていることも、誰かを助けていることも、小さな声で呟いていることも知っている。
そして、あなたに直接伝えられない気持ちを持っている人。
(やっぱり……)
美咲さんの脳裏に、一人の女性の顔が浮かんだ。
「……さくらさん、でしょうか」
「えっ?」
あなたは思わず立ち止まった。
「さ、さくらさん!?」
「いえ、あくまで推理ですよ! 確証はありませんから!」
「いやいやいや! さくらさんが、あんな手紙を!?」
あなたの頭の中に、普段のさくらさんの姿が浮かぶ。
丁寧な言葉遣い。
的確な指導。
困ったときには、必ず助けてくれる優しさ。
そして、ときどき見せる、少しだけ柔らかな笑顔。
(……いや、まさか)
あなたの心臓が、ドクンと鳴った。
(いやいや! 落ち着け僕! さくらさんは教育係だぞ!?)
美咲さんは、そんなあなたをじっと見つめていた。
「……あなた、さくらさんのことになると、少し反応が違いますね?」
「そ、そんなことありませんよ!?」
「本当ですか?」
「本当です!」
「……ふふっ」
美咲さんは、何かに気づいたように微笑んだ。
「分かりました。そういうことにしておきますね」
(……何を分かったんだ!?)
あなたは心の中で叫んだ。
5. さくらさんとの再会
午後の業務が始まってしばらくした頃。
「失礼いたします」
聞き慣れた声がした。
さくらさんだった。
「午後の業務について、確認に参りました」
「は、はい!」
あなたは慌てて姿勢を正した。
さくらさんはいつもどおり、落ち着いた笑顔を浮かべている。
しかし。
あなたの手元にあるスマートフォンを見た瞬間、ほんの一瞬だけ目が泳いだ。
(……あっ)
さくらさんはすぐに視線を戻した。
「……何かございましたか?」
「い、いえ! 何もありません!」
「そうですか?」
「はい!」
沈黙。
あなたは、どうしても気になってしまった。
昨日の手紙。
英語の文章。
そして、最後の一文。
『明日も、あなたとお話しできたらいいですね』
(……もし、本当にさくらさんが書いたのなら)
あなたは恐る恐る尋ねた。
「さくらさん……」
「はい?」
「英語、お得意なんですか?」
「…………え?」
一瞬。
本当に一瞬だけ、さくらさんの表情が固まった。
「……どうして、そのようなことを?」
「い、いえ! ちょっと気になりまして!」
さくらさんは微笑んだ。
「そうですね。業務で必要になることもありますので、多少は」
「そ、そうなんですね……」
(やっぱり、書けるんだ……!)
あなたの心臓がドクン、ドクンと鳴る。
さくらさんも、書類を持つ指先に少し力を込めた。
(……まさか、あの手紙のことを?)
二人の視線が、ほんの一瞬だけ重なる。
「…………」
「…………」
そして、さくらさんは小さく微笑んだ。
「……何か、私にお聞きになりたいことがおありですか?」
「い、いえ! 何でもありません!」
「……そうですか」
さくらさんはそれ以上、何も尋ねなかった。
けれど、去り際に。
「……お手紙、怖いものでなくてよかったですね」
「…………えっ?」
あなたは固まった。
「さ、さくらさん!? どうしてそれを!?」
「あっ……」
今度は、さくらさんが固まった。
数秒間。
二人は互いに見つめ合った。
(しまった……!)
(……えっ? 今、なんて?)
さくらさんの頬が、みるみる赤くなっていく。
「そ、それでは、私はこれで失礼いたします!」
「ま、待ってください! さくらさん!」
しかし、さくらさんは書類を抱えたまま、足早に去っていってしまった。
残されたあなたは、呆然と立ち尽くした。
「…………」
そして、ゆっくりとスマートフォンを見下ろす。
あの手紙の最後の一文。
“From someone who cares about you.”
(……まさか、本当に……?)
ドクン。
心臓が大きく鳴った。
6. 美咲さんの確信
少し離れた場所で、その様子を見ていた美咲さん。
彼女は、さくらさんが去っていった方向を見つめていた。
そして、あなたの隣までやって来る。
「……ねえ」
「は、はい?」
「私、ひとつ分かったことがあります」
「な、何ですか……?」
美咲さんは、にっこり笑った。
「その怪文書、たぶん幽霊からじゃありませんね」
「……そうですね」
「それに、書いた人はあなたのことが大切なんだと思います」
「…………」
「とっても、大切に」
あなたは返事ができなかった。
美咲さんは、それ以上追及せず、自分の席へ戻っていった。
一人になったあなたは、そっと胸に手を当てる。
(……さくらさんが、僕のことを?)
まだ確信はない。
勘違いかもしれない。
けれど、さくらさんが最後に見せた、あの恥ずかしそうな表情が頭から離れなかった。
そして、あなたは小さく呟いた。
「……明日も、お話しできたらいいな」
その言葉を。
実は、廊下を歩いていたさくらさんが、聞いていた。
「…………っ!」
さくらさんは壁の陰で立ち止まった。
頬が赤くなる。
胸が、ドクンと鳴る。
「……ずるいです」
小さな声。
「そんなことを言われたら……明日が待ち遠しくなってしまいます」
さくらさんは両手で頬を押さえ、しばらくその場から動けなかった。
一方、あなたは自分の席で、まだ何も知らない顔をして仕事を再開していた。
ただし。
パソコンの画面を見つめながら、頭の中ではずっと同じ言葉が繰り返されていた。
(……さくらさんが書いたのかな)
(いや、でも……)
(……もし、本当だったら?)
ドクン。
また、心臓が鳴った。
――怪文書の正体は、もうすぐ明らかになる。
そして、さくらさんはまだ知らない。
あなたもまた、彼女に伝えたい本音を、ずっと胸の奥に隠していることを。