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それ、昨日の僕の独り言です……!

教育係のさくらには恋心を知られてはいけない。 — www.pixiv.net · All chapters

それ、昨日の僕の独り言です……!

昼休み。

あなたは、新しく入社した美咲さんと、教育係のさくらさんの三人で食堂へ向かっていた。

美咲さんは入社してまだ日が浅いものの、あなたが丁寧に仕事を教えてあげたこともあり、すっかり打ち解けていた。

「先輩、今日も一緒にお昼を食べてもいいですか?」

「もちろん。さくらさんも一緒ですよ」

「はい。私もご一緒させていただきますね」

さくらさんは、いつもの優しい笑顔を見せた。

……ただし。

あなたは、ほんの少しだけ気になっていた。

最近、さくらさんの様子が妙なのだ。

あなたが美咲さんと楽しそうに話していると、なぜか一瞬だけこちらを見ている。

そして目が合うと、何事もなかったかのように仕事の資料へ視線を戻す。

(……気のせいだよな?)

あなたはそう思いながら、三人で食堂へ入った。

1. 美咲さんの怖い話

「先輩、昨日のことなんですけど!」

お昼を食べ始めてしばらくすると、美咲さんが突然、思い出したように口を開いた。

「昨日?」

「はい! 私、帰ろうとして廊下を歩いていたんです」

「うんうん」

「そしたら、どこからか小さな声が聞こえてきて……」

あなたの箸が止まった。

(……え?)

美咲さんは少し身を乗り出した。

「気になって耳を澄ませてみたんです。そしたら……」

「そしたら?」

さくらさんも興味深そうに尋ねた。

美咲さんは声をひそめる。

「誰もいないはずの場所から、こんな声が聞こえたんですよ」

そして、少し低い声で再現した。

「……さくらさん、今日もかわいかったな……」

「ぶっ!?」

あなたは危うくお茶を吹き出しそうになった。

(それ、僕が言ったことぉぉぉ!?)

昨日の夕方。

あなたは庭で一人、仕事を終えたさくらさんのことを思い出していた。

そして、誰にも聞かれないと思って、小さく呟いてしまったのだ。

『今日のさくらさん、笑顔がかわいかったな……』

『あの笑顔を見られるなら、明日も仕事を頑張れそうだな……』

『……いや、何を考えてるんだ、僕は!』

その独り言を、美咲さんに聞かれていたらしい。

しかも、本人は声の主を幽霊だと思っている。

「それで私、怖くなっちゃって! 誰もいないのに人の声がするなんて、幽霊でもいるのかと思ったんですよ!」

美咲さんは肩をすくめた。

「昨日、帰るときに何度も後ろを振り返っちゃいました!」

「そ、そうなんですか……」

あなたは平静を装った。

しかし、心の中は大騒ぎだった。

(待って待って待って!?)

(僕の独り言が、会社の怪談になってる!?)

(しかも、よりによってさくらさんの名前まで……!)

あなたはそっと、さくらさんの様子をうかがった。

すると――。

さくらさんは、お箸を持ったまま静かに微笑んでいた。

「……そうですか」

「はい! 先輩、怖くないですか?」

「えっ!? あ、ああ、怖いですね! 誰もいないところから声が聞こえるなんて!」

(声の主はここにいます!!)

あなたは心の中で叫んだ。

2. さくらさんの意味深な質問

「ところで、美咲さん」

さくらさんが、にこやかに尋ねた。

「その声は、ほかに何か言っていませんでしたか?」

「えっ?」

「例えば……誰かのお名前とか」

あなたの心臓が跳ねた。

ドクンッ。

(さくらさん!? どうしてそこを詳しく聞くんですか!?)

美咲さんは、うーんと考え込んだ。

「えっと……確か、さくらさんって言っていたような……」

「…………」

一瞬。

さくらさんの箸が止まった。

そして。

「……私、ですか?」

「はい! たぶん、そうだったと思います!」

「そ、そうですか……」

さくらさんは、ゆっくりとお茶を飲んだ。

その耳が、ほんのり赤くなっている。

あなたは見逃さなかった。

(……え?)

(今、照れました?)

(いやいやいや! まさか、僕の独り言だって気づいてるわけないよな!?)

さくらさんは、あなたの方をちらりと見た。

「……不思議ですね」

「そ、そうですね!」

「誰もいない場所で、私の名前を呼ぶ声……」

「…………」

「いったい、どなたなのでしょうね?」

ニコッ。

笑顔だった。

いつもどおりの、優しい笑顔だった。

なのに。

(怖い怖い怖い!!)

あなたは思わず背筋を伸ばした。

美咲さんは、そんな二人の様子に気づかず、楽しそうに話を続ける。

「ですよね! 私、今日も帰るときに気をつけようと思います!」

「美咲さん、大丈夫ですよ」

さくらさんは優しく答えた。

「幽霊ではなく、きっと何かの聞き間違いでしょうから」

「そうですかね?」

「ええ。……きっと、そうです」

最後の言葉だけ、なぜかあなたに向けられていた。

(さくらさん……?)

3. 美咲さんの無邪気な追い打ち

食事も終盤に差しかかったころ。

美咲さんが、突然あなたに向き直った。

「そうだ、先輩!」

「は、はい!?」

「昨日の声、先輩にちょっと似ていた気がするんですよね!」

「…………」

時が止まった。

(終わった)

(僕の会社員生活、終わったかもしれない)

「えっ、そうなんですか?」

さくらさんが、すかさず尋ねた。

「はい! なんだか、先輩が普段話している声に似ていたような……」

美咲さんはあなたをじっと見つめた。

「先輩、昨日は何時ごろ帰りました?」

「ええっと……」

あなたは必死に記憶をたどった。

昨日、さくらさんの仕事を手伝い、終わったあとに庭へ向かった。

そして、誰もいないと思って独り言を呟いた。

その後、帰ろうとしたところで美咲さんとすれ違った……はずだ。

(あれ? ということは、僕が帰る前から聞かれていたのか!?)

「先輩?」

「あ、ああ! 昨日は、ちょっと庭に寄ってから帰りました!」

「庭ですか!」

美咲さんの顔がぱっと明るくなった。

「私も昨日、庭の近くを通ったんです!」

「…………」

「もしかして、あの声って……」

ドクンッ。

あなたは思わず目を閉じた。

しかし。

「……庭にいる鳥の鳴き声だったんですかね!?」

「…………え?」

予想外の答えだった。

「ほら、会社の庭って鳥がいますよね! 私、鳥の声を人の声と聞き間違えちゃったのかも!」

「そ、そうですね!! きっとそうです!!」

あなたは食い気味に同意した。

「鳥って、意外といろんな声を出しますからね!」

「ですよね!」

美咲さんは納得した様子で笑った。

(美咲さん、ありがとう……!)

(今日から君は僕の恩人です……!)

ところが。

「……鳥、ですか」

さくらさんが小さく呟いた。

あなたは恐る恐る振り向いた。

さくらさんはお茶を飲みながら、こちらを見ていた。

「そうですね。鳥の声だったのかもしれませんね」

そして、少しだけ首を傾げた。

「……ただ、鳥が『さくらさん、かわいい』と話すのは、ずいぶん珍しいですね?」

「ごほっ!?」

今度こそ、あなたは盛大にむせた。

「せ、先輩!? 大丈夫ですか!?」

「だ、大丈夫! ちょっとお茶が……!」

美咲さんが慌ててティッシュを差し出してくれた。

「ありがとうございます……!」

あなたはティッシュを受け取りながら、さくらさんを見た。

さくらさんは、口元に手を添えている。

どうやら笑いをこらえているらしい。

(……まさか)

(まさか、全部わかってるんじゃ……!?)

4. 少しだけ複雑なさくらさん

昼食を終え、三人は食堂を出た。

美咲さんは午後の仕事についてあなたに質問しながら、楽しそうに歩いている。

「先輩、午後の資料整理って、私も手伝っていいですか?」

「もちろん。わからないことがあったら、遠慮なく聞いてくださいね」

「ありがとうございます! 先輩って、本当に優しいですね!」

「いえいえ、そんなことないですよ」

あなたが笑うと、美咲さんも笑った。

その少し後ろを歩いていたさくらさんは、二人の様子を見つめていた。

(……仲良くなりましたね)

美咲さんが入社したばかりのころ、あなたは自分の仕事だけでなく、彼女の質問にも丁寧に答えていた。

失敗して落ち込んでいるときには励まし、困っているときには一緒に考え、できたことはきちんと褒めていた。

さくらさんは、そんなあなたを知っている。

だからこそ、美咲さんがあなたに懐いていることも、よくわかっていた。

(新人の方に優しくするのは、素敵なことです)

(私だって、あなたのそういうところを尊敬しています)

そこまで考えて、さくらさんは小さく息をついた。

(……でも)

前を歩くあなたが、美咲さんに向かって笑いかける。

その笑顔を見た瞬間。

さくらさんの胸が、かすかに高鳴った。

ドクン。

(……少しだけ、複雑ですね)

別に、あなたが誰かと仲良くするのが嫌なわけではない。

美咲さんに優しくするのも、あなたらしいところだ。

それなのに。

自分が知らないあなたの一面を、美咲さんが先に知っていくような気がして。

ほんの少しだけ、寂しかった。

「……さくらさん?」

不意に、あなたが振り返った。

「どうかしましたか?」

「い、いえ。何でもありませんよ」

さくらさんは、いつもの笑顔に戻った。

「お二人とも、午後のお仕事も頑張りましょうね」

「はい!」

美咲さんが元気よく返事をする。

あなたも頷いた。

「はい。さくらさんも、何かあったら僕に言ってくださいね」

「…………え?」

さくらさんが足を止めた。

「僕でよければ、いつでも手伝いますから」

あなたは何気なく言っただけだった。

しかし、さくらさんにとっては違った。

(……いつでも、ですか)

胸が、もう一度鳴った。

ドクンッ。

「……ありがとうございます」

さくらさんは少しだけ視線を伏せてから、微笑んだ。

「では、今度……お願いしてもよろしいでしょうか?」

「もちろんです!」

あなたは即答した。

その笑顔を見て、さくらさんはまた少しだけ頬を赤くした。

(……本当に、ずるい方ですね)

5. そして、午後の小さな事件

午後の業務が始まってから、あなたは美咲さんに資料整理の方法を教えていた。

「この資料は、日付ごとに分けると後から探しやすいですよ」

「なるほど……! ありがとうございます、先輩!」

「最初は慣れなくても大丈夫です。少しずつ覚えていきましょう」

「はい!」

その様子を、少し離れた席からさくらさんが見ていた。

(……本当に、面倒見がいいですね)

さくらさんは微笑んだ。

そして、机の上の資料に視線を落とした。

……落としたのだが。

数秒後。

また、あなたの方を見てしまった。

(……いけません。仕事に集中しなければ)

そう思ったところで、あなたが美咲さんに言った。

「わからないことがあったら、僕のところに来てください。いつでも歓迎ですから」

さくらさんのペンが止まった。

(……いつでも)

(……歓迎)

さくらさんは、静かにペンを置いた。

「……あの」

「はい?」

あなたはすぐに振り向いた。

「さくらさん、どうしました?」

さくらさんは一瞬迷ってから、いつもの丁寧な口調で言った。

「その……私にも、何かお手伝いできることはありませんか?」

「え?」

「美咲さんばかりではなく、私にも……」

そこで、さくらさんはハッとした。

「……い、いえ! 今のは忘れてください!」

「えっ?」

美咲さんが目を丸くする。

あなたも、きょとんとした。

「さくらさん? もちろん、さくらさんにも頼ってますよ?」

「……本当ですか?」

「本当です。むしろ、さくらさんがいてくれるから、僕も安心して仕事ができるんです」

「…………っ」

さくらさんの顔が、一気に赤くなった。

「そ、そうですか……」

「はい!」

あなたは、にこっと笑った。

さくらさんは俯き、手元の資料を整えるふりをした。

(……よかった)

胸の奥にあった小さな寂しさが、すっと消えていく。

(……私も、ちゃんと頼っていただけているのですね)

そして、ほんの少しだけ。

美咲さんに負けたくない、と思ってしまった自分に気づいた。

(……もう。何を考えているのでしょう、私は)

さくらさんは、誰にも聞こえないほど小さな声で呟いた。

「……本当に、困った方です」

「さくらさん、何か言いました?」

「い、いえ! 何でもありません!」

その返事が妙に早かったので、美咲さんがくすくすと笑った。

「さくらさん、今日はなんだか楽しそうですね!」

「そ、そうでしょうか?」

「はい! なんだか、ちょっと嬉しそうです!」

「……美咲さん?」

「はい?」

「午後のお仕事、頑張りましょうね?」

「は、はいっ!」

美咲さんは慌てて資料に向き直った。

あなたは二人を見て、思わず笑ってしまった。

(……よかった。二人とも仲良くしてくれているみたいだ)

ただし、あなたはまだ知らない。

昨日の独り言が、さくらさんの耳にも届いていた可能性があることを。

そして、さくらさんが心の中で、そっと決めていたことを。

(……今度、二人きりになれたら)

(昨日のあの言葉のこと……少しだけ、聞いてみましょう)

さくらさんは、あなたの横顔をちらりと見た。

その頬は、まだほんのり赤かった。