聞かれていた本音と、二人きりの告白未遂
聞かれていた本音と、二人きりの告白未遂
昼休み。
会社の休憩スペースでは、昨日の怖い話の続きをしようと、社員たちが集まっていた。
あなたもコーヒーを片手に、いつもの席に座っている。
そして、向かい側には教育係のさくらさん。
「では、昨日の続きをお話ししましょうか」
さくらさんは、いつもどおりの穏やかな笑顔を浮かべた。
「実はですね。私、最近とても不思議なことがあったんです」
社員たちが身を乗り出す。
「えっ、さくらさんも怖い話ですか?」
「はい。ここ三週間ほどの話なのですが……」
さくらさんはコーヒーを一口飲んだ。
「ある方が、私のことを考えながら、小さな声で何かを呟いていたんです」
「……ぶっ!?」
あなたは、危うくコーヒーを吹き出しそうになった。
(待って。)
(それって……)
(僕のことじゃないか!?)
さくらさんは、あなたの反応を見逃さなかった。
「どうかなさいましたか?」
「い、いえ! なんでもありません!」
「そうですか?」
にこっ。
さくらさんの笑顔が、なぜか怖い。
「その方は、私が仕事をしているときにも、庭にいるときにも、ときどき小さく呟いていたんです」
(やめて! それ以上はやめてください!)
「しかも……」
さくらさんは、少しだけ頬を赤くした。
「『今日のさくらさん、かわいかったな』とか」
「…………」
「『できれば、もっと一緒にいたいな』とか」
「…………」
「『好きだなあ……大好きだなあ』とか」
「ごほっ!? ごほっ、ごほっ!」
「だ、大丈夫ですか!?」
社員たちが慌ててあなたの背中をさする。
しかし、あなたはそれどころではなかった。
(全部、聞かれてたあああああ!?)
(しかも三週間分!?)
(僕の独り言、全部!?)
さくらさんは心配そうにあなたを見つめていた。
ただし、その耳は真っ赤だった。
「……ちなみに」
さくらさんが、そっと尋ねる。
「その方は、私のことをどう思っていらっしゃるのでしょうね?」
「し、知りません!」
「ふふっ。そうですか」
彼女は笑った。
けれど、その指先はコーヒーカップの取っ手を何度も触っていた。
まるで、自分の気持ちを落ち着かせるように。
1.昼休み終了間際、まさかの二人きり
午後の業務が始まる直前。
あなたは、さくらさんに呼び止められた。
「すみません。少しだけ、お時間をいただけますか?」
「は、はい!」
(来た。)
(ついに来た。)
(僕の人生、ここで終わるのか……!)
案内されたのは、社内の小さな打ち合わせ室だった。
窓からは庭が見える。
いつもあなたが考え事をしている、あの場所だ。
さくらさんはドアを閉め、向かい側の椅子に座った。
「そんなに緊張なさらなくても大丈夫ですよ」
「そ、そうですよね……」
「はい。怒っているわけではありませんから」
「……本当に?」
「本当です」
彼女は優しく微笑んだ。
それから、少しだけ視線を落とした。
「ただ……確認したいことがあるんです」
「確認、ですか?」
「はい」
さくらさんは両手を膝の上で重ねた。
「あなたは、私がいないときにも、私のことを考えてくださっていたんですよね?」
「…………」
「私が眠っていたとき、そっと布をかけてくださったことも」
「…………」
「私の仕事がうまくいかないとき、気づかれないように手伝ってくださったことも」
「…………」
「そして……私があなたのそばにいるとき、いつも少しだけ緊張していらっしゃることも」
さくらさんは、一つひとつ、確かめるように話した。
「私は、ずっと不思議だったんです」
「……何が、ですか?」
「どうして、あなたはそんなに優しいのだろうって」
胸が痛いほど、ドクンと鳴った。
「誰に対しても一生懸命で、困っている人を放っておけなくて。私が困っているときには、いつも助けてくださって……」
彼女は顔を上げた。
「でも、私と目が合うと、急に逃げてしまうんですもの」
「うっ……」
「この間なんて、私がお礼を言おうとしただけなのに、廊下の角を曲がってしまいましたよね?」
「そ、それは……!」
「少し、寂しかったです」
「……え?」
思わず顔を上げた。
さくらさんは、困ったように笑っていた。
「私、あなたとお話しするのが好きなんです」
ドクン。
「一緒に仕事をするのも、昼休みにお話しするのも。庭で偶然お会いするのも……」
ドクン、ドクン。
「ですから、避けられてしまうと……少し悲しいんです」
(待って。)
(それ以上、優しくしないでください。)
(僕、もう……!)
2.言ってはいけない言葉
「……すみません」
あなたは、思わず口を開いた。
「え?」
「避けていたのは……さくらさんが嫌いだからじゃ、ないんです」
「はい」
「むしろ、その逆で……」
そこまで言って、口をつぐんだ。
(危ない。)
(今、何を言おうとした?)
(僕は、さくらさんが好きなんだ。)
(ずっと前から。)
(初めて会ったときから、ずっと……!)
しかし、さくらさんは静かにあなたを見つめていた。
「その逆、というのは……?」
「い、いや、その……!」
逃げたい。
今すぐ、この部屋から逃げ出したい。
でも、さくらさんが寂しかったと言ったことが、どうしても頭から離れなかった。
自分の気持ちを隠すために、彼女を傷つけていたのかもしれない。
それだけは嫌だった。
あなたは、ぎゅっと手を握った。
「……さくらさん」
「はい」
「僕は……」
心臓が、うるさい。
「さくらさんと話していると、すごく嬉しいんです」
「…………」
「仕事で失敗して落ち込んでいても、さくらさんが笑ってくれると、なんだか頑張れるんです」
「……はい」
「さくらさんが困っていたら助けたいし、笑っていてほしいし……」
そこまで話したところで、あなたは自分の顔が熱くなるのを感じた。
(待て待て待て!)
(これ、もう告白じゃないか!?)
しかし、言葉は止まらなかった。
「それに……できることなら、これからもずっと……」
あなたは、彼女の目を見た。
「さくらさんのそばに、いたいんです」
…………。
静寂。
窓の外から、小鳥の鳴き声が聞こえた。
さくらさんは目を丸くしていた。
そして。
頬が、ゆっくりと赤くなっていった。
「……ずっと、ですか?」
「…………あ」
(言った。)
(言ってしまった。)
(僕、今、何を言った!?)
「い、いえ! その! 教育係として尊敬しているというか! 仕事上の信頼というか! つまり、その……!」
「ふふっ」
「……え?」
さくらさんが笑った。
いつもの上品な笑顔ではない。
どこか照れくさそうで、少し困っていて、それでも嬉しそうな笑顔だった。
「そんなに慌てなくても大丈夫ですよ」
「……すみません」
「謝らないでください」
彼女は小さく首を振った。
「私、嬉しかったですから」
「…………え?」
「あなたが、そんなふうに思ってくださっていたこと」
さくらさんは、そっと胸元に手を当てた。
「……実は、私もなんです」
「え?」
「あなたが庭で楽しそうにしていると、つい目で追ってしまいますし。あなたが一日お休みになると、いつもより職場が静かに感じますし……」
「…………」
「あなたから何かをいただいた日は、仕事が手につかなくなってしまうこともあります」
(お土産のときのことだ……!)
「それから……」
彼女は一度、言葉を切った。
そして、あなたをまっすぐ見つめた。
「あなたが私を避けていると、嫌われてしまったのかと思って……とても不安だったんです」
その声は、いつもより少しだけ小さかった。
「私は、あなたに嫌われたくありません」
ドクンッ!!
あなたの心臓が、大きく跳ねた。
(さくらさん……?)
(それって、どういう……?)
聞きたい。
でも、怖い。
もし、聞いてしまったら。
もし、自分の期待が間違っていたら。
あなたが黙っていると、さくらさんは慌てて付け加えた。
「も、もちろん、教育係としてですよ? その……あなたは大切な部下ですから!」
「……はい」
「ですから、変な意味では……」
そこで、彼女はぴたりと止まった。
自分で言っておきながら、何かに気づいたようだった。
「…………」
「…………」
二人の視線が合う。
さくらさんの顔が、さらに赤くなった。
「……すみません。今のは、少し無理がありましたね」
「さくらさん……」
「はい……?」
あなたは、もう一度だけ勇気を出した。
「僕、本当に……さくらさんのことを大切に思っています」
それは、告白そのものではなかった。
けれど、ただの上司への言葉とも言い切れなかった。
さくらさんは、しばらく黙っていた。
やがて、ふわりと微笑んだ。
「……ありがとうございます」
その笑顔を見た瞬間。
あなたの心臓は、またドクンと鳴った。
3.ドアの向こうには、社員たちが……
そのときだった。
ガタッ!
「「「…………!!」」」
ドアの向こうから、妙な音がした。
二人そろって振り向く。
「……今、何か聞こえませんでしたか?」
さくらさんが尋ねる。
「き、気のせいじゃないですかね……?」
ガタガタッ!
「「…………」」
「……失礼しますね」
さくらさんがドアを開けた。
すると。
「うわあああっ!?」
「押さないでくださいよ!」
「だから、聞こえないって言ったじゃないですか!」
「いや、聞こえてたでしょう! 『ずっとそばにいたい』って!」
「声が大きいです!!」
社員たちが、見事な団子状態になって転がり込んできた。
…………。
…………。
「皆さん?」
さくらさんの笑顔が、ぴたりと止まった。
「これは……どういうことでしょうか?」
「い、いや、あの、その……」
「偶然、通りかかっただけです!」
「全員でですか?」
「…………はい」
「しかも、打ち合わせ室のドアに耳を近づけて?」
「…………」
さくらさんは、にっこりと微笑んだ。
「午後の業務が始まりますよね?」
「は、はいっ!」
「では、皆さん。ご自分のお仕事に戻りましょうか」
「「「はいっ!!」」」
社員たちは蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
最後の一人が振り返り、あなたに親指を立てた。
「頑張れよ!」
「戻れえええええ!!」
あなたの叫び声が、廊下に響いた。
4.午後の業務、さくらさんの異変
自分のデスクに戻ったあなたは、書類を前に頭を抱えていた。
(終わった……。)
(絶対、みんなに知られた……。)
(いや、そもそもさくらさんには三週間分の独り言が知られている。)
(今さら何を隠せばいいんだ……。)
「……あの」
聞き慣れた声。
顔を上げると、さくらさんが立っていた。
「こちら、先ほどの資料です。確認をお願いしますね」
「あ、はい! ありがとうございます!」
資料を受け取ろうとした、その瞬間。
指先が、ほんの少し触れた。
「……っ」
二人同時に手を引っ込めた。
「す、すみません!」
「い、いえ! 私こそ……!」
なぜか二人とも、視線を合わせられない。
さくらさんは資料をあなたのデスクに置いた。
「……では、よろしくお願いします」
「はい!」
彼女は歩き出した。
しかし、数歩進んだところで、ふと立ち止まる。
「……あの、もう一つだけ」
「はい?」
さくらさんは振り返った。
そして、誰にも聞こえないくらい小さな声で言った。
「これからは……あまり、私を避けないでくださいね?」
「…………!」
「私も、あなたともっとお話ししたいですから」
にこっ。
そして彼女は、自分のデスクへ戻っていった。
あなたは、しばらく動けなかった。
(…………。)
(…………。)
(無理だ。)
(こんなの、もっと好きになるに決まってるだろ……!)
あなたは机に突っ伏した。
一方のさくらさんも、自分のデスクで書類を見つめたまま、まったくページをめくれていなかった。
(……ずっと、そばにいたい、だなんて)
思い出すだけで、胸がドクンと鳴る。
(どうしましょう……。)
(私、嬉しかったんですけれど……)
彼女はそっと頬に手を当てた。
(……もし、あの言葉が本当に私への恋心だったら?)
そこまで考えたところで、さくらさんは慌てて首を振った。
(いけません! 仕事に集中しなくては……!)
しかし。
デスクの端に置いてあったコーヒーを手に取ろうとして、なぜかペンを持ってしまった。
「…………」
その様子を見ていた同僚が、そっと声をかける。
「さくらさん?」
「は、はい! 何でしょう?」
「……今日、何かありました?」
「な、何もありませんよ?」
「そうですか?」
「はい!」
即答だった。
けれど、さくらさんの頬は、まだ赤かった。
そしてあなたも、書類の隅にうっかり書いてしまっていた。
『今日のさくらさん、かわいかったな』
……もちろん、誰にも見られないように慌てて消した。
ただし。
その様子を、少し離れたところから見ていたさくらさんが、くすっと笑っていたことには、最後まで気づかなかった。