「怖い話と、さくらさんの本音」
「怖い話と、さくらさんの本音」
昼休み。
午前中の仕事を終えた僕は、社員食堂で昼食を済ませ、数人の社員たちと会社の庭にある休憩スペースへやってきた。
今日は天気もよく、みんなの機嫌もいい。
先輩社員が、ふと思いついたように言った。
「なあ、今日は怖い話でもしないか?」
「いいですね!」 「昼休みにホラーですか?」 「お化け屋敷の話ならありますよ!」
次々と声が上がる。
僕は飲み物を片手に、苦笑いした。
(怖い話かぁ……。まあ、聞くくらいならいいか)
すると、背後から聞き慣れた声がした。
「皆さん、楽しそうですね。私も参加してよろしいですか?」
振り返ると、そこには教育係のさくらさんがいた。
「さ、さくらさん! もちろんです!」
思わず声が大きくなった。
(やばい! さくらさんが来た! いや、別に何もやばくないけど!)
さくらさんは、いつもの上品な笑顔で僕の隣に腰掛けた。
「それでは、怖いお話を始めましょうか」
「さくらさん、怖い話は得意なんですか?」
「ふふっ。どうでしょう?」
意味深な笑み。
その瞬間、なぜか僕の背筋に寒気が走った。
(……あれ? なんだろう。この感じ)
さくらさんは一度咳払いをすると、静かに話し始めた。
「これは、ある会社で実際に起きた……かもしれないお話です」
「かもしれないんですか!?」
社員たちが笑う。
さくらさんは構わず続けた。
「その会社には、とても真面目で、優しくて、少し鈍感な男性社員がいました」
(……ん?)
「彼は毎日、昼休みになると庭へ行き、ひとりで景色を眺めていました」
(…………んん?)
「そして、誰もいないと思っているとき、よく小さな声で呟くのです」
さくらさんは、そこで少しだけ声色を変えた。
「……今日のさくらさん、かわいかったなぁ」
「ぶっ!?」
僕は飲み物を吹き出しそうになった。
「だ、大丈夫ですか!?」
隣の社員が慌てて背中をさする。
さくらさんは、にこにこしている。
「その男性は、仕事で疲れた教育係の女性が眠っているのを見つけると、そっと布をかけてあげました」
(待って、待って、待って!?)
「そして、その女性が寝言で何かを呟くたび、心配そうに顔を覗き込んでいたのです」
「……っ!」
僕は思わず顔を伏せた。
(それ、僕じゃね!?)
しかし、話はまだ終わらなかった。
「ところが、ある日から不思議なことが起きるようになりました」
さくらさんの声が、少しだけ低くなる。
「その男性は、ときどき誰もいない場所で呟くのです」
「……さくらさん、今日もかわいかった……」
「さくらさん、笑顔が素敵だな……」
「さくらさんと、もっとお話ししたいな……」
「できれば……ずっと一緒に……」
「わあああああっ!」
僕は両手で顔を覆った。
社員たちは大爆笑。
「おい、それ、お前の話じゃないのか!?」
「モデルが身近すぎるだろ!」
「さくらさん、妙に詳しくありません!?」
さくらさんは口元に手を添え、くすくすと笑った。
「まあ。どうしてでしょうね?」
(絶対わざとだあああああ!)
僕は心の中で叫んだ。
しかし、次の瞬間。
さくらさんの笑顔が、ほんの少しだけ曇った。
「……そして、その女性にも秘密がありました」
社員たちが静かになる。
「実は彼女も、ここ三週間ほど、ひとりになると同じようなことを呟いていたのです」
(……え?)
「彼がほかの社員と楽しそうに話していると、少し寂しくなってしまう」
「彼が困っていると、すぐに助けてあげたくなる」
「彼が自分のために何かしてくれると、嬉しくて、つい笑顔になってしまう」
さくらさんは、そこで一度言葉を切った。
「そして……」
頬が、ほんのり赤くなっていた。
「彼が優しく微笑んでくれると、胸がドキンと鳴ってしまうのです」
僕の心臓が跳ねた。
ドクン。
(……え?)
さくらさんは、少し恥ずかしそうに目を伏せた。
「彼の前では教育係らしく、しっかりしていなければいけないのに……。ひとりになると、つい考えてしまうのです」
そして、まるで自分の失敗を打ち明けるように続けた。
「今日も、彼とお話しできて嬉しかったな……って」
僕は固まった。
(…………)
(………………)
(あれ?)
(それ、僕じゃね?)
いや、待て。
男性社員の話は、どう考えても僕だ。
そして、女性の話は。
(さくらさん自身のこと……なのか?)
僕は恐る恐る、隣に座るさくらさんを見た。
さくらさんも、こちらを見ていた。
目が合った。
にこっ。
いつもの優しい笑顔。
ただし、頬は赤い。
「……というお話でした。皆さん、怖かったでしょうか?」
「いやいやいや! 怖いというより、甘酸っぱすぎません!?」
「途中から恋愛小説になってましたよ!」
「男性社員、絶対に本人だろ!」
社員たちの笑い声が広がる。
僕は机に突っ伏した。
(お願いだから、これ以上は勘弁してください……!)
すると、さくらさんが僕の耳元に少しだけ顔を近づけた。
「……ところで」
「は、はいっ!?」
「ここ三週間ほど、庭で小さく呟いていらっしゃいましたよね?」
「…………」
「それから、眠っている私に布をかけてくださったり……。私がうなされていると、優しく声をかけてくださったり」
「………………」
「私、ちゃんと覚えていますよ」
声はいつもどおり丁寧だった。
でも、その表情はいつもよりずっと柔らかかった。
「……ありがとうございます」
その一言に、僕は顔を上げた。
「さくらさん……?」
「私、嬉しかったんです。あなたが、そんなふうに気にかけてくださって」
そして、さくらさんは小さく微笑んだ。
「ですから……私も、あなたのことを、もっと知りたいと思っています」
ドクンッ!
(や、やめてええええ! 心臓がもたない!)
僕は必死に平静を装った。
「そ、そうですか! それはよかったです! あはは!」
「ふふっ。顔が真っ赤ですよ?」
「き、気のせいです!」
「そうでしょうか?」
さくらさんは楽しそうに首を傾げた。
その様子を見ていた先輩社員が、ニヤニヤしながら口を開いた。
「……なあ、お前らさ」
「な、なんですか!?」
「怖い話の続き、今度は二人きりで聞かせてくれよ」
「お断りしますっ!!」
僕とさくらさんの声が、見事に重なった。
一瞬の沈黙。
そして。
「「あははははは!」」
休憩スペースは、みんなの笑い声に包まれた。
さくらさんは笑いながら、そっと僕のほうを見た。
その目が、ほんの少しだけ優しく細められる。
(……さくらさん、かわいいな)
思わず、心の中で呟いた。
すると。
「……今、何かおっしゃいましたか?」
「い、いえ! 何も!」
「そうですか?」
さくらさんは、いたずらっぽく微笑んだ。
「では、午後のお仕事もよろしくお願いいたしますね」
「は、はいっ!」
さくらさんが立ち上がり、オフィスへ戻っていく。
僕はその後ろ姿を見送った。
そして、ふと思った。
(……待てよ)
(この三週間、僕が呟いたり、うめき声を上げたりしていたのは……)
(まさか、さくらさんのことばかり考えていたから……?)
いや、違う。
それだけじゃない。
さくらさんもまた、僕のことを考えていたのかもしれない。
そう思った瞬間。
胸が、またドクンと鳴った。
(……教育係のさくらさんには、恋心を知られてはいけない)
(……でも)
僕は、誰にも聞こえないくらい小さな声で呟いた。
「……さくらさんと、もっとお話ししたいな」
その直後。
オフィスの入り口から、ひょこっとさくらさんの顔が現れた。
「私もですよ?」
「…………えっ?」
さくらさんは、最高にかわいい笑顔でウインクした。
「午後も頑張りましょうね」
そして、今度こそオフィスへ戻っていった。
僕はその場で完全に固まった。
先輩社員が、肩をぽんと叩く。
「……お前、もう隠せてないぞ」
「…………ですよね」
昼休み終了まで、あと五分。
僕の心臓は、その五分間ずっとドクンドクンと鳴り続けていた。
――そして午後。
僕は仕事の書類を開いた。
最初の一行を読んだ。
……読んだはずだった。
(さくらさん……僕のこと、どう思ってるんだろう)
二行目が読めない。
三行目も読めない。
すると、社内チャットに通知が届いた。
送り主は、さくらさん。
『先ほどのお話ですが、実はまだ続きがあるんです』
(……えっ!?)
続けて、もう一通。
『その続きは、今度お二人でお話しできたらと思います。……内緒ですよ?』
僕はスマートフォンをそっと伏せた。
(……午後の仕事、終わるかなぁ……)
遠くのデスクで、さくらさんがこちらを見ていた。
目が合うと、彼女は恥ずかしそうに微笑んだ。
そして、小さく口を動かした。
――「楽しみにしていますね」
ドクンッ!!
(……もう、絶対に恋心なんて隠せないかもしれない)
僕は机に突っ伏した。
その日、社員たちの間では新しい噂が広まった。
「うちの会社で一番怖い話は、怪談じゃない」
「じゃあ、何だ?」
「さくらさんと、あの男性社員の恋心だよ」
もちろん、その噂を聞いたさくらさんは。
「……もう。皆さん、からかわないでください」
そう言いながらも、誰よりも幸せそうに笑っていたのだった。
おしまい。