「臨時社長の土下座と、何も知らない僕」
「臨時社長の土下座と、何も知らない僕」
第一話 休暇中に起きた事件
僕が休暇に入って、三日目。
僕は自宅でのんびりと過ごしていた。
「ふぅ……久しぶりの休暇っていいなぁ」
仕事のことは一旦忘れて、好きな本を読み、温かい飲み物を飲む。
もちろん、さくらさんのことを思い出す時間もあった。
「……さくらさん、今日も仕事してるのかな」
教育係だった頃から、ずっと憧れている人。
今では上司になった彼女は、仕事ができて、優しくて、時々びっくりするほどかわいい。
「……って、休暇中まで考えてどうするんだ、僕!」
僕は顔を覆った。
「よし! 今日は仕事のことも、さくらさんのことも忘れる!」
……その決意が、会社で起きている事件によって揺らぐことになるとは、この時の僕は知らなかった。
第二話 臨時社長の野望
一方、その頃の会社では。
臨時社長が大きなプレゼンテーションを行っていた。
「今回の新規事業が成功したのは、私の指揮のおかげです」
スクリーンには、見事な成果を収めた新規事業の資料が映し出されていた。
しかし、その資料を作り、企画を考え、問題を解決したのは――。
営業部の社員たち。
企画部の社員たち。
そして、何日もかけて現場を支えた多くの仲間たちだった。
臨時社長は、彼らの名前をほとんど出さなかった。
「私が中心となって進めた結果、このような成果を得られました」
会議室に拍手が響く。
けれど、社員たちは笑っていなかった。
「……あの企画、私たちが何週間もかけて考えたのに」
「問題が起きた時も、社長は現場に来なかったじゃないか……」
「これじゃ、誰も頑張らなくなってしまう」
小さな声が、会議室の隅々から聞こえていた。
さくらさんも、その様子を見ていた。
彼女は臨時社長に、何度も確認していた。
「こちらの企画は、企画部の皆さんが立案されたものではありませんか?」
「いや、最終的に判断したのは私だ」
「ですが、現場で問題を解決されたのは――」
「さくら君。私は社長だよ?」
臨時社長は、さくらさんの言葉を遮った。
「誰の手柄として発表するかは、私が決めることだ」
さくらさんは、静かに息を吸った。
「……承知しました。ただし、事実関係については、記録を残させていただきます」
彼女は引き下がったわけではなかった。
社員たちが積み上げてきた努力を、なかったことにさせないためだった。
第三話 社長、帰還。
事件が大きく動いたのは、その翌日だった。
長期休暇を終えた本来の社長が、会社へ戻ってきたのだ。
「皆さん、お久しぶりです。休暇中の報告を確認したいのですが」
社長は、まず各部署の業務報告を確認した。
そこで、妙なことに気づいた。
「……この新規事業の責任者は、臨時社長になっているのか?」
さらに資料を読み進める。
「こちらの改善案も?」
「このトラブルの解決まで、臨時社長の功績になっている……?」
社長の表情から、笑みが消えた。
「秘書。関係者全員の記録を集めてください。会議の議事録、企画書の作成履歴、業務報告書もです」
「かしこまりました」
数時間後。
社長室に、臨時社長が呼び出された。
「……どういうことか、説明してもらおうか」
机の上には、証拠となる資料が並べられていた。
企画を最初に立案した社員。
何度も修正を重ねた担当者。
現場の問題を解決した社員。
そして、臨時社長が発表したプレゼン資料。
すべてが記録として残っていた。
臨時社長の顔が青ざめる。
「こ、これは……私が最終的に統括したという意味でして……」
「統括した?」
社長の声が低くなった。
「君は、社員たちが努力して作り上げた成果を、自分一人の手柄として発表したのだろう?」
「そ、それは……」
「君の役目は、社員の成果を奪うことではない! 社員が働きやすい環境を整え、その努力を正当に評価することだ!」
社長の叱責が、社長室に響いた。
「私が不在の間、会社を任せたのは君を信頼したからだ。それを、こんな形で裏切るとは!」
「申し訳ございません……!」
「謝る相手が違う!」
社長は、きっぱりと言い放った。
「君の発表を信じた社員たち。自分たちの努力を踏みにじられた社員たち。まずは、その全員に謝罪しなさい」
臨時社長は、とうとううつむいた。
「……はい」
その日のうちに、社長は各部署の社員を集め、事実を説明した。
「皆さんの成果を正しく評価できなかったこと、そして、このような事態を招いたことをお詫びします」
社長は自ら頭を下げた。
さらに、臨時社長の発表内容は訂正され、実際に貢献した社員たちの名前と功績が正式に記録されることになった。
臨時社長にも、厳しい処分が下された。
そして、社長が最後に告げた。
「明日の朝、臨時社長には、社員全員に直接謝罪してもらいます」
第四話 翌朝、会社で見た光景
そして、僕の休暇は終わった。
翌朝。
「よし、今日からまた頑張るか!」
僕は会社の入口をくぐった。
「おはようございます!」
いつも通り挨拶をして、エレベーターへ向かう。
すると、ロビーの様子がおかしい。
社員たちが、何人も集まっている。
「……何かあったのかな?」
僕は首をかしげながら近づいた。
そして――。
「……え?」
思わず足が止まった。
ロビーの中央で、あの臨時社長が土下座をしていたのだ。
「この度は、皆さんの成果を自分の手柄として発表し、多大なご迷惑をおかけしました。誠に申し訳ございませんでした!」
深々と頭を下げている。
僕は数秒、固まった。
「…………えええええっ!?」
心の中で叫んだ。
(えっ!? 何!? 何があったの!?)
(僕、三日間休んでいただけなんだけど!?)
隣にいた社員が、小声で教えてくれた。
「君、休暇中だったから知らないんだね……」
「は、はい……」
「この人、みんなの手柄を自分のものにして、プレゼンで発表したんだよ」
「……えっ?」
「しかも、さくらさんが何度も指摘したのに聞かなかったらしい」
僕は思わず、さくらさんの方を見た。
彼女は少し離れた場所で、静かに様子を見守っていた。
いつも通りのきれいな姿勢。
けれど、どこか疲れた様子だった。
(さくらさん……そんな大変なことがあったんだ)
僕は休暇中、のんびり過ごしていた。
その間に、会社ではこんな事件が起きていたなんて。
「……知らなかった」
思わず、ぽつりと呟いた。
すると。
「……あら?」
さくらさんが、こちらに気づいた。
「あっ!」
目が合った瞬間、僕の心臓が跳ねた。
ドクンッ!
(さ、さくらさんだ!)
彼女は少し驚いた後、いつもの優しい笑顔を見せた。
「おはようございます。休暇はいかがでしたか?」
「お、おはようございます! はい! ゆっくり休めました!」
「それはよかったです」
さくらさんは微笑んだ。
「……ですが、出社早々に驚かせてしまいましたね」
「い、いえ! 驚いたというか……その……」
僕はロビーの中央をちらりと見た。
「何があったのか、まったく知らなくて……」
すると、さくらさんは小さく笑った。
「ふふっ。そうですよね。あなたはお休みでしたから」
(あっ……笑った)
(かわいい……!)
ドクンッ!
(違う違う! 今はそういう場合じゃない!)
僕が必死に平静を装っていると、さくらさんは少しだけ声を柔らかくした。
「あなたがいない間も、皆さん頑張っていらっしゃいましたよ」
「……はい」
「ですから、今日は安心して仕事に戻ってください。皆さんの努力は、きちんと認められることになりましたから」
その言葉を聞いて、僕はほっとした。
「よかったです……本当に」
心からそう思った。
誰かの頑張りが、別の誰かの手柄にされてしまう。
そんなことが許されていいはずがない。
僕はまだ事件の詳しいことを知らなかったけれど、ひとつだけ確信した。
(この会社には、ちゃんと見てくれている人がいるんだ)
そして、その人は――。
(……さくらさんなんだよな)
思わず彼女を見つめてしまう。
「……? どうかなさいましたか?」
「い、いえっ! 何でもありません!」
「そうですか?」
さくらさんは不思議そうに首をかしげた。
(危ない! 見つめすぎた!)
僕は慌てて自分のデスクへ向かった。
背後から、さくらさんの小さな笑い声が聞こえた気がした。
第五話 土下座した臨時社長からの、まさかの一言
ようやくロビーが落ち着き、社員たちが仕事へ戻り始めた頃。
僕も自分のデスクに向かおうとした。
すると。
「……君」
背後から声がした。
振り返ると、臨時社長が立っていた。
僕は思わず背筋を伸ばした。
「は、はい!」
臨時社長は、深く頭を下げた。
「君にも、謝罪させてほしい」
「……え?」
「君が休暇中に、私は社員たちの成果を自分の手柄として発表した。君にも、何かしらの迷惑をかけていたかもしれない。本当に申し訳なかった」
僕は困惑した。
(えっ!? 僕、休んでただけなんだけど!?)
「い、いえ! 僕は休暇中でしたし、何があったのかも今朝知ったばかりなので……!」
「それでもだ」
臨時社長は、顔を上げた。
「これからは、二度と同じことをしない」
僕は少し考えてから、答えた。
「……でしたら、これからは、頑張った人がきちんと評価される会社にしてほしいです」
臨時社長は、黙って僕を見た。
「僕も、まだまだ勉強中です。先輩たちに助けてもらうことも多いですし……。だから、誰かの頑張りが誰かの手柄になってしまうのは、悲しいと思います」
「……そうだな」
臨時社長は、もう一度頭を下げた。
「ありがとう。肝に銘じる」
そして、彼は社長の指示に従い、ほかの社員たちへの謝罪を続けるために歩いていった。
僕はその背中を見送りながら、ぽつりと呟いた。
「……なんだか、すごい朝だったな」
「本当に、そうですね」
「うわあっ!?」
すぐ横から声がして、僕は飛び上がった。
さくらさんだった。
「さ、さくらさん!? いつからそこに!?」
「先ほどからです」
「き、聞いてましたか!?」
「ええ。少しだけ」
(終わった……!)
僕は顔を覆った。
「……変なこと、言ってませんでしたよね?」
さくらさんは、にっこりと笑った。
「いいえ。とても素敵なことをおっしゃっていましたよ」
「…………え?」
ドクンッ。
「誰かの頑張りを大切にしたい、というお気持ち。私は好きですよ」
ドクンッ! ドクンッ!
(す、好き!?)
(いや、今のは発言が好きという意味だ! 落ち着け、僕!)
顔が熱くなる。
さくらさんは、そんな僕を見て少し不思議そうにした後、ふわりと微笑んだ。
「それでは、今日も一緒に頑張りましょうね」
「は、はいっ!」
彼女が歩いていく。
僕はその背中を見送りながら、胸を押さえた。
「……ああ、もう」
(やっぱり、さくらさんには恋心を知られてはいけない……!)
けれど。
デスクに戻った僕のパソコンには、さくらさんから新しい業務メッセージが届いていた。
『本日は復帰初日ですので、無理をなさらないでくださいね。困ったことがあれば、いつでも声をかけてください』
僕は画面を見つめた。
そして、誰にも聞こえないくらい小さな声で呟いた。
「……ありがとうございます、さくらさん」
頬が緩む。
その瞬間。
「……何か、うれしいことでもありましたか?」
「うわあああっ!?」
またしても、背後にさくらさん。
「ふふっ。今日のあなたは、ずいぶん驚きやすいですね」
「さ、さくらさんのせいですっ……!」
言ってから、僕は固まった。
(しまった! 言いすぎた!?)
ところが、さくらさんは怒るどころか、目を丸くした後――。
「……ふふっ。そうですか。では、今度からは足音を立てるようにしますね」
少しだけ、いたずらっぽく笑った。
ドクンッ。
(……かわいい)
僕の休暇明け初日は、臨時社長の土下座から始まり、さくらさんの笑顔で心臓が忙しくなる一日となった。
そして僕は、まだ知らなかった。
今回の事件をきっかけに、さくらさんが社長からある大切な仕事を任されることになるなんて。
それが、僕とさくらさんの距離を、ほんの少しだけ近づけることになるなんて――。