「臨時社長は、手柄を横取りする男」
「臨時社長は、手柄を横取りする男」
1.突然の社長交代
その日の朝、会社に緊急の知らせが届いた。
社長が急な事情で、しばらくの間、長期休暇を取ることになったのだ。
朝の全体会議。社員たちが集められ、さくらさんも前方に立っていた。
「皆さん、おはようございます。本日は急なお知らせがあります」
さくらさんが丁寧に説明を始める。
「社長がしばらくの間、お休みされることになりました。その間、臨時の社長として別の方が就任されます」
ざわざわと騒がしくなる会議室。
そして、ひとりの男性が前に出てきた。
年齢は四十代くらい。高級そうなスーツを着て、余裕たっぷりの笑顔を浮かべている。
「初めまして。今日から皆さんを率いることになりました。どうぞよろしく」
男性は深々と頭を下げた。
拍手が起きる。
あなたも周囲に合わせて拍手をした。
しかし――。
(……ん?)
あなたは、男性の笑顔に違和感を覚えた。
社員たちに向かって話しているのに、視線は社員の顔よりも、会議室のスクリーンに映された業績資料や、各部署の責任者の名前を追っている。
さらに。
「いやあ、優秀な社員が多いと聞いていますよ。特に、最近の新規事業は素晴らしい成果を出しているそうですね」
男性の目が、あなたの座っている方向に向いた。
「君が、その新規事業に関わっているのかな?」
「はい。担当しております」
あなたが答えると、男性はにこりと笑った。
「そうかそうか。これからは私が君の仕事をしっかり見てあげよう」
(……なんだろう。この人)
あなたは笑顔で頭を下げた。
(初対面なのに、成果の話ばかり。しかも、僕の仕事の中身より、誰が評価されているかを気にしているような……)
もちろん、まだ証拠はない。
だからこそ、あなたは決めた。
(しばらく、この人には警戒しておこう)
その後ろで、さくらさんがあなたをちらりと見ていた。
(……あの人、何か気になったのでしょうか?)
あなたはいつもの穏やかな表情に戻り、会議を終えた。
ただし、心の中では警戒警報が鳴りっぱなしだった。
2.最初の違和感は、やっぱり正しかった
午前十時。
あなたは新規事業の企画書を仕上げていた。
市場調査、予算計画、社員の配置、問題が起きた場合の対応策。
これまで何度も失敗と改善を繰り返してきた、大切な企画だった。
「よし……これで一通り完成かな」
あなたは資料を確認し、上司であるさくらさんに報告するため、書類をまとめた。
そのとき。
「おや、これは素晴らしい資料だね」
背後から声がした。
振り返ると、臨時社長が立っていた。
「あ、お疲れさまです」
「ちょっと見せてもらえるかな?」
「はい。ですが、まだ最終確認が終わっていませんので、現時点では社内の確認用ということでお願いします」
「もちろん、もちろん」
男性は資料を受け取り、ぱらぱらとページをめくった。
「なるほど。これは面白い。実にいい企画だ」
そして、最後のページまで目を通すと、笑顔で言った。
「この企画、私が社長会議で紹介しておこう」
「ありがとうございます。ただ、まだ担当部署との最終調整が残っていますので、正式な報告はその後に――」
「大丈夫だよ。細かいことは私に任せなさい」
男性は資料を持ったまま、あなたの肩を軽く叩いた。
「君はそのまま作業を続けてくれればいい」
そう言って立ち去ろうとする。
あなたは、にこやかな表情を崩さずに声をかけた。
「社長、お待ちください」
「ん?」
「お渡しした資料には、まだ検証中の数字が含まれています。誤解を防ぐためにも、現段階では発表しないようお願いいたします」
男性の笑顔が、一瞬だけ止まった。
ほんの一瞬。
しかし、あなたは見逃さなかった。
「……そうか。分かったよ」
男性は資料を返し、去っていった。
あなたは小さく息を吐く。
(危なかった……)
そして、すぐに別の行動に移った。
企画書の最新版を共有フォルダに保存し、作成者と更新履歴が分かるように整理する。
さらに、検証中の数字には「未確定」と明記した。
(疑うだけじゃ駄目だ。仕事をきちんと管理して、誰が何をしたのか分かるようにしておこう)
あなたは誰かを責めるのではなく、淡々と自分の仕事を守ることにした。
その判断が、後に大きな意味を持つことになる。
3.さくらさんの鋭い観察
昼休み。
あなたはいつもの庭で、ベンチに座っておにぎりを食べていた。
「……ふぅ」
今日は少し疲れた。
社長が変わっただけなのに、いつも以上に気を遣う。
しかも、初対面の相手に警戒しなければならないとは。
「お隣、よろしいですか?」
聞き慣れた声。
振り向くと、さくらさんが立っていた。
「あ、さくらさん。もちろんです」
さくらさんはあなたの隣に座り、微笑んだ。
「午前中、臨時社長とお話しされていましたね」
「はい。企画書をご覧になりたいとのことで」
「何かありましたか?」
あなたは少し考えた。
さくらさんに心配をかけたくない。
それに、根拠のない疑いを話すのもよくない。
「……いえ。まだ何も。ただ、仕事の進め方を慎重にしようと思っただけです」
「そうですか」
さくらさんは、あなたの顔をじっと見た。
「あなたは、何か気になることがあると、いつもより少しだけ笑顔が丁寧になるんですよ」
「えっ?」
「今もそうです」
(うそでしょう!?)
あなたは思わずおにぎりを持つ手を止めた。
(そんなところまで見られているの!?)
さくらさんはくすっと笑った。
「無理にお話ししなくても大丈夫です。でも、ひとりで抱え込まないでくださいね」
「……ありがとうございます」
胸が、ドクンと鳴った。
(さくらさん、優しい……)
思わず見つめてしまい、慌てて視線をそらす。
(駄目だ! 今は仕事の話! 恋心を知られてはいけない!)
さくらさんは、あなたの不自然な態度に少し首をかしげた。
「……顔が赤いですよ?」
「お、お昼ご飯が熱かったので!」
「おにぎりは、熱くないと思いますけれど……」
「そ、それは、その……!」
さくらさんが笑った。
「ふふっ。変なあなた」
(あああああ! 今日のさくらさんもかわいい!!)
あなたは必死に平静を装った。
しかし、心臓の音だけは、どうしても隠せなかった。
4.手柄を横取りする男
午後二時。
事件は、思っていたよりも早く起きた。
社内に緊急の連絡が流れたのだ。
臨時社長が、役員たちの前で新規事業の説明を始めたという。
しかも、その内容は――。
「今回の企画は、私が中心となって考案し、実現に向けて指揮してきたものです」
あなたは、共有会議室の前で足を止めた。
(……え?)
聞き間違いかと思った。
しかし、会議室から聞こえる声は、間違いなく臨時社長のものだった。
「私の方針に基づいて、各部署が協力してくれました。特に、予算の見直しと業務効率化については、私が直接改善案を出しました」
(いやいやいや!)
あなたは心の中で叫んだ。
その企画を最初に考えたのはあなた。
予算の見直しも、何度も数字を検証して作り直したのもあなた。
各部署との調整に走り回ったのもあなた。
まだ正式に完成していない企画を、まるで自分の手柄のように説明している。
あなたは、会議室に飛び込もうとした。
だが――。
(待て)
足を止める。
(ここで感情的になったら、相手の思うつぼかもしれない)
あなたは深呼吸をした。
(証拠はある。作成履歴も、会議の議事録も、各部署とのやり取りも残っている)
そのとき、会議室の扉が開いた。
臨時社長が出てきた。
「ああ、君か」
男性は、あなたの顔を見て笑った。
「いやあ、君の企画は素晴らしいね。おかげで、役員の皆さんにも好評だったよ」
「……そうですか」
「今後も私の指示に従って、頑張ってくれたまえ」
男性は満足そうに立ち去った。
あなたは追いかけなかった。
ただ静かに、手元の資料を確認した。
(やっぱり、最初から警戒していて正解だった)
あなたはその場で、必要な記録を整理し始めた。
怒りに任せて騒ぐことはしない。
でも、自分が積み上げてきた仕事を、なかったことにはさせない。
それが、あなたの決めた方針だった。
5.さくらさんは、見逃さなかった
夕方。
あなたは自分の席で、これまでの作業履歴と資料をまとめていた。
すると、さくらさんが近づいてきた。
「少し、お時間よろしいですか?」
「はい」
さくらさんはあなたの机に置かれた資料を見た。
「……新規事業の記録ですね」
「はい。念のため、作成した日付や各部署との調整内容を整理しています」
「そうですか」
さくらさんは、しばらく黙っていた。
そして、静かな声で尋ねた。
「臨時社長が、あなたの企画を自分の成果として説明した。そういうことでしょうか?」
あなたは驚いて顔を上げた。
「……ご存じだったんですか?」
「会議に参加していましたから」
さくらさんの表情は、いつもより真剣だった。
「説明を聞いていて、不自然だと思ったんです。企画の細かな部分について質問したところ、実際の検証内容を把握されていませんでした」
「……」
「それに、あなたが作成した資料と、会議で説明された内容を照らし合わせれば、確認できることもあります」
あなたは少しだけ肩の力を抜いた。
さくらさんは、あなたを見つめた。
「どうして、すぐに抗議しなかったんですか?」
「……証拠をそろえてから話した方がいいと思ったんです。それに、僕が感情的になって騒いだら、企画そのものに悪い印象がつくかもしれませんから」
さくらさんは、驚いたように目を見開いた。
それから、ふっと微笑んだ。
「あなたらしいですね」
「そうでしょうか?」
「ええ。悔しかったでしょうに。まず仕事を守ることを考えたんですね」
あなたは少し照れくさくなった。
「……自分が作った企画ですから」
その言葉を聞いたさくらさんの表情が、少し柔らかくなる。
「分かりました。私も記録を確認します。必要であれば、正式な手続きで事実を確認しましょう」
「ありがとうございます、さくらさん」
「ただし」
「はい?」
さくらさんは、少しだけ声を強めた。
「今後、同じようなことがあったら、ひとりで何とかしようとしないでください。私にも相談してくださいね」
「……はい」
(うわあ……)
あなたは内心で頭を抱えた。
(さくらさんに、こんなに心配してもらえるなんて……!)
嬉しい。
ものすごく嬉しい。
でも、顔に出したらまずい。
「ありがとうございます。頼りにしています」
あなたは何とか普通の声で答えた。
さくらさんは微笑んだ。
「はい。頼ってください」
ドクン。
(……好きだ)
胸の中で、どうしようもない気持ちが膨らむ。
(やっぱり、さくらさんには恋心を知られてはいけない……!)
6.翌日、臨時社長の誤算
翌朝。
臨時社長は、再び役員たちの前で新規事業について説明することになった。
ところが、今回は様子が違った。
さくらさんが正式な資料を持って会議室に入ったのだ。
「臨時社長、説明の前に一点、確認させていただいてもよろしいでしょうか」
「何かな?」
「昨日の新規事業について、企画の作成経緯と、各工程の担当者を確認したいと思います」
さくらさんは、落ち着いた口調で資料を開いた。
「こちらが最初の企画書です。作成日時と改訂履歴が残っています。こちらは各部署との打ち合わせ記録、そして検証結果です」
画面には、あなたが作成した企画書の履歴が映し出された。
男性の笑顔が、わずかにこわばった。
「いや、これは……私が全体を統括していたという意味で――」
「全体の統括と、企画の考案者を区別して記録する必要があります」
さくらさんの声は静かだった。
しかし、一言一言が明確だった。
「実際に作業を担当した社員の貢献が、正しく評価されるようにするためです」
別の役員も資料を確認し、口を開いた。
「確かに、この企画は以前から担当者が進めていたものですね」
「検証記録も詳細に残っています」
「作成者の説明を聞いてから、改めて成果を評価するべきでしょう」
会議室に静かなざわめきが広がった。
臨時社長は、しばらく黙っていた。
やがて、あなたの方を向いた。
「……君。今回の企画について、説明してもらえるかな?」
あなたは立ち上がった。
「はい。ご説明いたします」
緊張はしていた。
それでも、逃げる必要はなかった。
あなたは企画を考えた理由から、何度も修正した箇所、各部署との協力、今後の課題まで、ひとつずつ丁寧に説明した。
質問にも、記録に基づいて答えた。
最後に、あなたはこう締めくくった。
「この企画は、私ひとりで完成させたものではありません。各部署の皆さんが協力してくださったからこそ、ここまで進められました。今後も、関わった方々への感謝を忘れず、正式な完成を目指したいと思います」
会議室が静かになった。
そして、拍手が起きた。
今度は、あなた自身の仕事に向けられた拍手だった。
あなたは深く頭を下げた。
(……よかった)
ただ、それだけを思った。
7.庭で、ふたりきり
その日の昼休み。
あなたは庭のベンチに座って、空を眺めていた。
「……終わったぁ」
ようやく、ひと息つけた。
そこへ、さくらさんがやってきた。
「お疲れさまです」
「あ、さくらさん。お疲れさまです」
「今日の説明、とてもよかったですよ」
「ありがとうございます。でも、少し緊張しました」
「そうは見えませんでしたけれど」
「内心は、ものすごく緊張していましたよ」
あなたが苦笑すると、さくらさんも笑った。
「ふふっ。そうだったんですね」
そして、少し真剣な顔になる。
「でも、昨日からあなたを見ていて、改めて思いました」
「何をですか?」
「あなたは、誰かを責めることよりも、正しい仕事をすることを大切にしているんですね」
あなたは空を見上げた。
「……ただ、自分の仕事を守りたかっただけです」
「それだけではないと思います」
さくらさんは、優しく続けた。
「周りの社員の方々のことも考えていましたよね。各部署の皆さんの貢献についても、きちんと説明していましたから」
「……見ていたんですか?」
「はい。ずっと見ていました」
その言葉に、あなたの心臓が跳ねた。
ドクンッ。
(ずっと……見ていた!?)
いや、仕事ぶりを、という意味だ。
分かっている。
分かっているのに。
(その言い方は、反則です……さくらさん!)
さくらさんは、あなたの顔を覗き込んだ。
「……また赤くなっていますよ?」
「えっ!? そ、そうですか?」
「はい。もしかして、まだ疲れているんですか?」
「たぶん、そうです!」
「では、今日は少し早めに休んでくださいね」
「はい!」
さくらさんは立ち上がると、ふと思い出したように振り返った。
「それと、ひとつお願いがあります」
「何でしょう?」
「今度、また困ったことがあったら、私に相談してください。あなたが頑張っていることは、私もちゃんと分かっていますから」
優しい笑顔。
あなたは、胸の奥が温かくなるのを感じた。
「……はい。ありがとうございます」
さくらさんは満足そうに頷き、オフィスへ戻っていった。
あなたは、しばらくその後ろ姿を見送っていた。
そして、誰もいない庭で、小さくつぶやく。
「……今日も、さくらさんはかわいかったな」
言った直後、慌てて周囲を見回す。
誰もいない。
よかった。
「……危ない危ない」
あなたは顔を覆った。
(臨時社長の手柄横取りは回避できた。でも、さくらさんへの恋心は……全然回避できていない!)
その頃。
オフィスへ戻ったさくらさんも、ひとりで小さく微笑んでいた。
「……本当に、放っておけない人ですね」
彼女は、あなたが提出した企画書をもう一度手に取る。
その表紙には、作成者としてあなたの名前が記されていた。
さくらさんは、その名前を見つめてから、そっと資料を閉じた。
「これからも、きちんと見守っていきますね」
その声は、誰にも聞こえなかった。
そして、臨時社長の本当の目的を知るのは、まだ少し先のことだった。
彼は今回の一件で、あなたが単に仕事のできる社員ではなく、記録を残し、冷静に対処し、周囲からも信頼されている人物だと気づいてしまったのだから――。