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朝七時、誰もいないオフィスで清掃員さんと過ごす昼休みまで

教育係のさくらには恋心を知られてはいけない。 — www.pixiv.net · All chapters

朝七時、誰もいないオフィスで清掃員さんと過ごす昼休みまで

病み上がりのあなたは、今日も会社に来ていた。

体調はすっかり戻った。

……はずだった。

「よし、これで終わりっと」

カタカタカタ、と最後のキーを叩き、あなたは保存ボタンを押した。

画面に表示されたのは、すべての業務が完了したことを示すチェックマーク。

あなたは椅子の背もたれに体を預け、ふうっと息を吐いた。

そして、何気なく壁の時計を見上げた。

「……ん?」

午前七時。

「……朝の七時?」

思わず二度見した。

昨日の夕方から残業を始め、途中で何度か休憩を挟みながら、溜まっていた仕事を片付けていた。

しかし、あなたは気づいていなかった。

自分の仕事だけではなく、ほかの社員たちから頼まれていた作業も、さくらさんが抱えていた仕事の補助も、いつの間にかすべて終わらせてしまっていたのだ。

デスクの上には、整理された書類。

共有フォルダには、更新済みの資料。

さくらさんが昨日困っていた集計表も、確認しやすいように整えてある。

「……あれ? 僕、全部終わらせちゃった?」

自分で自分に驚いた。

しかも、不思議なことに。

「……全然眠くない」

病み上がりだというのに、頭は妙に冴えていた。

もちろん、体に無理をさせてはいけないことは分かっている。

けれど、目の前の仕事がきれいに片付いている光景を見ていると、どうにも気分がよかった。

あなたは、さくらさんのデスクに目を向けた。

「……さくらさん、これ見たら驚くかな」

ふと、昨日のことを思い出す。

体調を崩して会社を休んだとき、心配してくれたさくらさん。

仕事のことは気にしなくていいから、今はしっかり休んでね。

そう言ってくれた声が、今でも耳に残っていた。

「……あんなに心配してくれたんだから、今日はちゃんと仕事で返さないと」

そう呟いてから、あなたはハッとした。

「いやいやいや! 別に、さくらさんのためだけじゃないから!」

誰もいないオフィスで、なぜか言い訳をする。

「……ほかの社員さんの分もやったし。うん。みんなのため。みんなのためだから」

自分に言い聞かせるように頷いた。

けれど。

さくらさんのデスクに置かれた、いつもの小さなペン立てを見るだけで、なぜか頬が緩んでしまう。

「……好きだなあ」

ぽつり。

「……って、今のなし!」

慌てて口を押さえた。

もちろん、聞いている人はいない。

それでも、あなたにとっては重大な問題だった。

教育係のさくらさんには、絶対に恋心を知られてはいけない。

それが、あなたの密かな目標なのだから。

第一話 朝の清掃員さんとの出会い

午前七時半。

あなたは、ふとオフィスの隅にある清掃用具入れに目を向けた。

普段なら、社員たちが出勤する前に清掃員さんが会議室や廊下を掃除してくれている。

そういえば、今日はまだ清掃員さんの姿を見ていない。

「……そうだ」

あなたは立ち上がり、軽く伸びをした。

「せっかく仕事も終わったし、何か手伝えることないかな」

もちろん、勝手に備品を動かしたり、専門的な清掃をしたりするつもりはない。

ただ、邪魔にならない範囲で何かできればと思ったのだ。

廊下に出ると、ちょうど清掃カートを押している年配の清掃員さんと出会った。

「あ、おはようございます!」

あなたが頭を下げると、清掃員さんは少し驚いたように振り返った。

「あら、おはようございます。今日はずいぶん早いですねえ」

「ええ、ちょっと仕事が早く終わりまして」

「そうですか。お仕事、お疲れさまです」

優しく微笑んでくれた清掃員さん。

あなたは、そのカートに積まれた清掃用具を見た。

そして、ふと思いつく。

「あの、もしよかったら、何かお手伝いできることはありませんか?」

「えっ?」

「会議室の椅子を整えたり、机の上を拭いたり。僕でもできることがあれば、ぜひ」

清掃員さんは、困ったように笑った。

「でも、あなたは社員さんでしょう? そんなことまでしなくても」

「いえいえ! いつもきれいにしていただいているので。僕たちも、少しはお手伝いしたいんです」

あなたは真剣だった。

清掃員さんは、しばらくあなたの顔を見つめたあと、ふっと表情を和らげた。

「……それじゃあ、会議室の椅子を整えるのをお願いしてもいいですか?」

「はい! 任せてください!」

あなたは元気よく返事をした。

こうして、あなたの不思議な朝が始まった。

第二話 社員が来る前の秘密の仕事

午前八時。

あなたは会議室で椅子を整えていた。

机の位置を揃え、椅子をきれいに並べ、ホワイトボードの前に置かれていた備品を元の場所へ戻す。

「……こんな感じですかね?」

「まあ、きれいになりましたねえ!」

清掃員さんが感心したように言った。

「ありがとうございます。でも、いつも清掃員さんがやってくれているんですよね」

「そうですよ。皆さんが気持ちよくお仕事できるようにね」

その言葉を聞いて、あなたは少し考えた。

「……それって、僕たちの仕事と同じですね」

「え?」

「僕たちも、誰かが困らないように資料を作ったり、準備をしたりしますから。目立たなくても、誰かの役に立てたらいいなって」

清掃員さんは、ゆっくり頷いた。

「いいことを言いますねえ」

「い、いえ! そんな大したことじゃ……」

あなたは照れくさくなって頭を掻いた。

そのときだった。

「……あら?」

背後から声がした。

振り返ると、そこには出勤してきた社員が立っていた。

「えっ、君!? 何してるの!?」

「お、おはようございます!」

「いや、挨拶じゃなくて! なんで会議室を掃除してるの!?」

あなたは少し困ったように笑った。

「仕事が終わったので、清掃員さんのお手伝いを……」

「仕事が終わった?」

社員は、あなたの言葉を聞いて目を丸くした。

「昨日、あんなに仕事が残っていたのに!?」

「ええ、まあ……」

「それに、さくらさんの仕事まで手伝ったって聞いたけど?」

「……はい」

社員は、しばらく黙っていた。

そして、あなたの肩をぽんと叩いた。

「君、ほんとにすごいな……」

「い、いえいえ! たまたまですよ!」

あなたは慌てて手を振った。

けれど、その社員は笑いながらオフィスへ戻っていった。

「……さくらさんにも言っておこう」

その言葉を聞いたあなたは、ぴたりと動きを止めた。

「……えっ?」

嫌な予感がした。

「ちょ、ちょっと待ってください!」

しかし、社員はすでに廊下の向こうへ消えていた。

「…………」

あなたは天井を見上げた。

「……僕、何かまずいことしたかな」

もちろん、悪いことなど何もしていない。

ただ、問題はひとつ。

さくらさんに褒められると、あなたはどうしても嬉しくなってしまうのだ。

そして、嬉しそうな顔を見られれば見られるほど、恋心がばれてしまう可能性が高くなる。

「……平常心。平常心だ、僕」

あなたは深呼吸をした。

「さくらさんに会っても、いつもどおり。普通に。冷静に」

そう自分に言い聞かせながら、会議室の清掃を続けた。

第三話 さくらさん、朝からあなたを探す

午前九時。

さくらさんが出勤してきた。

「おはようございます」

いつもの落ち着いた声。

社員たちが次々に挨拶を返すなか、さくらさんは自分のデスクに鞄を置いた。

そして、パソコンを立ち上げる。

「……あれ?」

画面に表示された資料を確認したさくらさんは、首を傾げた。

昨日まで残っていた集計作業が終わっている。

確認待ちの資料も、きれいに整理されている。

さらに、自分が後回しにしていた補助資料まで完成していた。

「……これ、誰が?」

近くにいた社員が、すぐに答えた。

「ああ、それなら君がやってくれたみたいですよ」

「……君?」

「はい。昨日の残業で、自分の仕事だけじゃなくて、みんなの仕事も手伝ってくれたみたいです」

さくらさんは、画面を見つめた。

「……そうだったんですね」

嬉しそうに微笑んだあと、ふと眉を寄せる。

「でも、あの人……病み上がりですよね?」

「ええ。昨日から頑張っていたみたいですが」

「……もう」

さくらさんは、小さく息を吐いた。

怒っているわけではなかった。

むしろ、心配していた。

体調が戻ったとはいえ、病み上がりなのだから、無理はしてほしくない。

「……どこにいるんでしょう」

さくらさんは席を立った。

オフィスを見回しても、あなたの姿はない。

廊下にもいない。

休憩スペースにもいない。

「……まさか、また無理して仕事をしているんじゃ……」

少し不安になりながら歩いていると、会議室のほうから声が聞こえてきた。

「ここの机は、これで大丈夫ですか?」

「はい、ばっちりです!」

聞き覚えのある声だった。

さくらさんは、会議室の入口からそっと中を覗いた。

そこには、清掃員さんと一緒に机を拭いているあなたがいた。

「…………え?」

さくらさんは、思わず立ち止まった。

あなたは袖を邪魔にならないよう整え、清掃員さんと楽しそうに話しながら作業をしていた。

「いやあ、助かりますねえ。あなたがいてくれると、ずいぶん早く終わります」

「いえいえ! こちらこそ、いつもありがとうございます!」

その笑顔を見たさくらさんは、しばらく何も言えなかった。

いつもの仕事中の真剣な表情とは違う。

誰かの役に立てたことを、心から喜んでいる顔だった。

「…………」

さくらさんは、そっと微笑んだ。

「……本当に、あなたらしいですね」

その声が聞こえた瞬間。

あなたの手が止まった。

「…………え?」

ゆっくりと振り返る。

そこには、さくらさんが立っていた。

「さ、さくらさん!?」

思わず背筋が伸びた。

持っていた布を落としそうになり、慌てて握り直す。

「お、おはようございます!」

「おはようございます」

さくらさんは、あなたのそばまで歩いてきた。

「……何をしているんですか?」

「えっと、その……清掃員さんのお手伝いを……」

「それは見れば分かります」

「ですよね……」

あなたは苦笑いした。

さくらさんは、あなたの顔をじっと見つめた。

「ところで、昨日の仕事は?」

「終わりました!」

「私の仕事も?」

「はい!」

「ほかの社員の方の仕事も?」

「……はい!」

「それで、今度は清掃のお手伝い?」

「……はい」

さくらさんは、目を閉じて小さく息を吐いた。

「……あなたという人は」

「す、すみません!」

あなたは思わず頭を下げた。

すると、さくらさんは慌てて首を横に振った。

「怒っているわけではありません」

「……え?」

「あなたが周りの人を助けようとするのは、とても素敵なことです。でも……」

さくらさんの声が、少しだけ柔らかくなった。

「病み上がりなのに、頑張りすぎです」

あなたは言葉に詰まった。

「……体調は、もう大丈夫です」

「本当ですか?」

「はい!」

「眠くないんですか?」

「……全然!」

そう答えた直後、さくらさんの眉がぴくりと動いた。

「……ちなみに、何時から起きているんですか?」

「昨日の……」

あなたは、時計を見た。

そして、小さく答えた。

「……昨日からです」

「…………」

さくらさんの笑顔が消えた。

「……あなた?」

「は、はい」

「それは、もう十分に休むべき時間です」

「……ですよね」

「ですよね、ではありません」

いつもより少しだけ厳しい声。

しかし、その目は心配そうだった。

「今日は仕事が終わったら、ちゃんと休んでください。清掃のお手伝いも、ここまでです」

「……はい」

あなたは素直に頷いた。

すると、清掃員さんがくすくすと笑った。

「あらあら。教育係の先生に見つかっちゃいましたねえ」

「そ、そうですね……」

「でも、あなたのおかげで会議室はぴかぴかですよ。本当にありがとうございました」

「いえ! こちらこそ、ありがとうございました!」

あなたは深く頭を下げた。

さくらさんも清掃員さんに向かって、丁寧にお礼を言った。

そして、あなたに視線を戻す。

「……少し、こちらへ来てください」

「は、はい!」

あなたは、さくらさんの後ろをついていった。

心臓が妙にうるさい。

仕事を見られたことよりも、さくらさんに心配されていることが、どうしようもなく嬉しかった。

(……だめだ、だめだ)

あなたは心の中で必死に言い聞かせた。

(嬉しい顔をするな。これは教育係としての心配。そう、教育係として……!)

けれど。

さくらさんが振り返って微笑んだ瞬間、あなたの心はあっさりと負けてしまった。

(……やっぱり、好きだなあ)

もちろん、口には出さない。

絶対に。

第四話 昼休みまで、あと少し

午前十時。

あなたは、さくらさんに言われたとおり、無理のない範囲で仕事を切り上げる準備をしていた。

といっても、あなたの担当業務はすでに終わっている。

そのため、残っていたのは、清掃員さんと一緒に使った備品を片付けることと、午後の業務に必要な資料の最終確認くらいだった。

「……本当に、やることがない」

思わず呟いた。

すると、隣の席の先輩社員が笑った。

「君、昨日まであんなに忙しそうだったのにね」

「そうなんですよ。自分でもびっくりしています」

「それにしても、さくらさんの資料まで終わらせたんだって?」

「……はい」

「すごいなあ。さくらさん、朝から何度も君を探してたよ」

「…………え?」

あなたは、キーボードを打つ手を止めた。

「さくらさんが、僕を?」

「うん。君が無理してないか心配だったみたい」

「…………」

胸の奥が、じんわりと温かくなる。

さくらさんが、自分を探していた。

自分のことを心配してくれていた。

それだけで、今日一日を頑張れてしまいそうだった。

……いや。

もう十分頑張ったのだけれど。

「……そっか」

あなたは、つい微笑んでしまった。

先輩社員が、にやりと笑う。

「……君、さくらさんのこと好きなの?」

「ぶっ!?」

危うく飲みかけの水を吹き出しそうになった。

「な、ななな、何を言ってるんですか!?」

「いや、今の顔がさあ」

「普通です! 普通の顔です!」

「へえ?」

「本当です!」

あなたは必死だった。

先輩社員は楽しそうに笑いながら、両手を上げた。

「はいはい。そういうことにしておこう」

「……もう!」

あなたはパソコンに向き直った。

けれど、耳まで熱くなっているのが自分でも分かった。

(……危なかった)

さくらさんだけではない。

どうやら、ほかの社員たちにも気をつけなければならないらしい。

恋心を隠すというのは、仕事よりも難しい。

あなたは、今日もひとつ学んだ。

午前十一時半。

あなたは再び会議室へ向かった。

清掃員さんに、朝のお礼を伝えるためだった。

「清掃員さん、今日はありがとうございました!」

「あら、こちらこそ。お手伝いしてくれて助かりましたよ」

「また何かあったら、声をかけてください!」

「ふふふ。ありがとう。でも、今度はちゃんと休んでからにしてくださいね」

「……はい!」

清掃員さんと笑い合い、あなたは会議室を後にした。

廊下に出ると、ちょうどさくらさんが歩いてきた。

「あ、さくらさん!」

「……あら。今度は何をしていたんですか?」

「清掃員さんにお礼を言ってきました!」

「そうですか」

さくらさんは、少しだけ目を細めた。

「あなたは、本当に人のことをよく見ていますね」

「……え?」

「誰かが困っていたら助ける。自分にできることを探す。そういうところ、私は素敵だと思います」

「…………」

あなたの頭が、一瞬真っ白になった。

素敵。

さくらさんが、自分のことを。

素敵だと。

(……待って。今、何て?)

心臓が、どくんと跳ねた。

「……あ、ありがとうございます」

声が少し裏返った。

さくらさんは不思議そうに首を傾げた。

「……どうしました?」

「い、いえ! 何でもありません!」

「顔が赤いですよ?」

「廊下が暑いんです!」

「……今日は、そんなに暑くないと思いますけど」

「そ、そうですかね!?」

さくらさんは、ふっと笑った。

「ふふ。変な人」

その笑顔を見て、あなたは心の中で叫んだ。

(……好きです!!)

もちろん、声には出さない。

絶対に。

「……ところで、もうすぐ昼休みですね」

さくらさんが時計を見た。

「はい!」

「お昼はちゃんと食べてくださいね。病み上がりなんですから」

「分かっています!」

「本当ですか?」

「……本当です」

「なら、よろしい」

さくらさんは満足そうに頷いた。

そして、少し考えるような仕草をしたあと、あなたに言った。

「……もしよかったら、今日のお昼、一緒に食堂へ行きませんか?」

「…………え?」

今度こそ、あなたは完全に固まった。

さくらさんと。

一緒に。

昼食。

「……あ、あの」

「嫌でしたか?」

「い、いえ! 嫌なわけありません!」

思わず大きな声が出た。

通りかかった社員が、びくっと肩を揺らして振り返る。

あなたは慌てて声を落とした。

「……ぜひ、ご一緒させてください」

さくらさんは、嬉しそうに微笑んだ。

「よかった。では、昼休みになったら声をかけますね」

「……はい!」

さくらさんが去っていく。

あなたは、その後ろ姿を見送った。

そして、誰にも聞こえないくらい小さな声で呟いた。

「……今日、頑張ってよかった」

すぐにハッとする。

「……いや、違う! 仕事を頑張っただけ! お昼は偶然! そう、偶然だから!」

自分に言い聞かせながら、あなたはデスクに戻った。

時計の針は、午前十一時四十分を指していた。

昼休みまで、あと二十分。

普段なら、あっという間に過ぎる二十分。

けれど、今日のあなたにとっては、とてつもなく長い二十分だった。

なぜなら。

大好きなさくらさんと、一緒にお昼を食べることになったのだから。

そして、あなたはまだ知らなかった。

昼休みの食堂で、さくらさんがあなたに、ある意外な質問をすることを。

その質問が、あなたの隠している恋心を、ほんの少しだけ揺さぶることになるのを――。