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「専務の山積みの仕事と、誰にも気づかれない優しい手助け」

教育係のさくらには恋心を知られてはいけない。 — www.pixiv.net · All chapters

「専務の山積みの仕事と、誰にも気づかれない優しい手助け」

朝、専務室。

「……よし。今日も一日、頑張ろう」

僕はパソコンを起動し、今日の予定表を開いた。

そして。

「…………え?」

思わず、画面を二度見した。

企画書の最終確認。取引先への連絡。新規事業の進捗確認。各部署から届いた報告書の整理。さらに、午後には役員会議の資料作成まである。

「いや、待って。今日、仕事多すぎない?」

専務になってから、社員たちの仕事を手伝う機会も増えた。

もちろん、それ自体は嫌ではない。

困っている人がいたら助けたいし、僕が手伝うことでみんなが仕事を進められるなら、それは嬉しい。

……ただし。

「これ、僕ひとりで全部やるの?」

机の上には、すでに書類の山ができていた。

僕はしばらく考えたあと、椅子から立ち上がった。

「よし。誰かに少しだけ手伝ってもらおう」

そう決めて、専務室を出た。

ところが――。

第一営業部では、社員たちが真剣な表情でパソコンに向かっていた。

「この数字、もう一度確認しよう」 「午後の会議までに仕上げないと!」

……うん。無理だ。

次に企画部をのぞいてみた。

「すみません、この資料の確認をお願いできますか?」 「もちろんです! ……あっ、申し訳ありません。今、こちらの案件で手が離せなくて……」

「いえいえ! 大丈夫です!」

笑顔で返事をして、その場を離れる。

次は総務部。

そこも、問い合わせへの対応や書類の処理で大忙しだった。

「……うーん」

廊下の隅で立ち止まり、僕は小さく息を吐いた。

みんな、頑張っている。

僕が専務だからといって、無理に仕事を押しつけるわけにはいかない。

「仕方ない。今日は自分で片づけよう」

そうつぶやいて、専務室へ戻った。

その様子を、少し離れた場所から見ている人がいた。

さくらさんだった。

「……あら?」

さくらさんは、手に持っていた書類を胸元に抱え直した。

僕がいろいろな部署を回っていたこと。

誰にも頼めず、最後にはひとりで戻っていったこと。

その背中を、彼女はちゃんと見ていたのだった。

「……また、ひとりで抱え込んでいらっしゃるんですね」

少しだけ困ったように微笑む。

そして、さくらさんは静かに専務室へ向かった。

*

午前十時。専務室。

「よし、まずは企画書から……」

僕は袖を軽くまくり、作業を始めた。

数字を確認し、文章を整え、必要な資料を添付する。

一つ終わったら、次の仕事。

次が終わったら、その次。

「……よし。企画書、完了!」

時計を見る。

「まだ十時半か。いいペースだな」

そう思ったのも束の間。

「次は報告書……うわ、こっちは確認箇所が多いな」

僕は苦笑した。

一枚ずつ確認し、間違いがないかを丁寧にチェックしていく。

すると。

――コン、コン。

「はい、どうぞ!」

ドアが開き、さくらさんが顔をのぞかせた。

「お仕事中、失礼いたします。こちら、先ほどご依頼いただいた資料です」

「あっ、ありがとうございます、さくらさん!」

「いえ。……あの、ずいぶんお忙しそうですね」

「ははは……ちょっとだけ。今日は仕事が多くて」

「ちょっとだけ、ですか?」

さくらさんの視線が、机の上の書類の山へ移る。

「……かなり多いように見えますが」

「気のせいですよ!」

「そうでしょうか?」

さくらさんは、にっこりと微笑んだ。

その笑顔を見た瞬間、僕の心臓が跳ねた。

(うっ……さくらさん、今日も笑顔がかわいい……!)

(いやいや、仕事! 仕事に集中しろ、僕!)

「それでは、失礼いたしますね」

「はい、ありがとうございます!」

ドアが閉まる。

僕は胸を押さえた。

「……危ない。今の笑顔は危なかった」

誰もいない専務室で、ひとり反省する。

もちろん、さくらさんには聞こえていない。

……はずだった。

廊下の向こう側。

さくらさんは、ぴたりと足を止めていた。

「…………」

頬が、ほんのり赤い。

「……もう。お仕事に集中してくださいね」

小さな声でそう言うと、彼女は自分の席へ戻っていった。

*

午前十一時半。誰も知らない協力者。

僕が報告書の確認を終えた頃。

机の端に置いていた、次の仕事の資料が目に入った。

「うわぁ……午後の役員会議の資料、まだこんなにある……」

思わず天井を見上げる。

「昼休み、なくなるかな……」

そんなことをつぶやきながら、資料を一枚ずつ並べ直した。

そのときだった。

――カチャ。

専務室のドアが、ほんの少しだけ開いた。

けれど、僕は画面に集中していて気づかない。

ドアの隙間から顔をのぞかせたのは、さくらさんだった。

彼女は僕の様子を確認すると、静かに部屋へ入った。

手には、別の資料と小さな付箋の束。

「……やっぱり、まだ終わっていませんね」

さくらさんは、僕に気づかれないように机の反対側へ回った。

そして、山積みの書類を確認する。

「これは各部署から届いた報告書……こちらは、数字の照合が必要なもの……」

彼女は仕事の内容を把握すると、すぐに動き始めた。

確認済みの資料と、まだ確認が必要な資料を分ける。

会議資料に必要な情報を、元の報告書から探して付箋で示す。

さらに、僕が後で確認しやすいよう、関連する資料を順番に並べ直した。

もちろん、僕の判断が必要な部分には手をつけない。

あくまで、僕が仕事を進めやすくするための準備だけ。

「これで、少しは楽になるでしょうか……」

さくらさんは、僕の横顔をちらりと見た。

真剣な表情でパソコンに向かう僕。

時々、眉間にしわを寄せながら、それでも一つひとつ仕事を進めている。

「……本当に、頑張り屋さんなんですから」

彼女の声は、とても優しかった。

そのとき。

「……ん?」

僕が振り返った。

さくらさんは、さっと資料の陰に隠れた。

「…………」

「…………?」

僕は首をかしげた。

(今、何か動いたような……?)

しかし、部屋には誰もいない。

「……気のせいか」

再び画面へ向き直る。

その隙に、さくらさんは机の反対側からそっと離れ、ドアの近くまで移動した。

そして、何事もなかったかのように部屋を出ていった。

――カチャ。

ドアが閉まる。

数分後。

「……あれ?」

僕は机の上の資料を見て、首をかしげた。

さっきまで順番がバラバラだった報告書が、きれいに整理されている。

しかも、確認すべき数字には付箋が貼られていた。

「……なんだこれ?」

誰かが整理してくれたのだろうか。

でも、誰も頼んでいない。

「……妖精さん?」

思わずつぶやいた。

もちろん、そんなはずはない。

「いや、うちの会社、妖精さんがいるの?」

ひとりで小さく笑ってしまった。

そして、付箋の貼られた資料を手に取る。

「……助かるな、これ」

その言葉を聞いていたら、さくらさんはどんな顔をしただろう。

きっと、嬉しそうに微笑んでいたに違いない。

*

昼休み。庭での反省会。

十二時。

僕は、どうにか午前中の仕事を片づけ、庭へ出た。

ベンチに座り、買ってきたパンをひと口かじる。

「……ふぅ」

青空を見上げた。

「午前中だけで、かなり進んだな」

スマートフォンで予定表を確認する。

会議資料の下準備は、思っていたよりも早く終わりそうだった。

「……でも、不思議なんだよな」

僕はパンを持ったまま、首をかしげた。

「誰が資料を整理してくれたんだろう?」

営業部のみんなは忙しかった。

企画部も総務部も、手が離せない様子だった。

さくらさんは資料を届けに来てくれたけれど、そのときにはまだ整理されていなかったはずだ。

「……まさか、本当に妖精さん?」

自分で言って、自分で笑う。

「いやいや。そんなわけないだろ」

僕はベンチの背もたれに寄りかかった。

「でも……誰かが助けてくれたなら、ちゃんとお礼を言いたいな」

その頃。

庭へ続く廊下の角で、さくらさんが足を止めていた。

実は、彼女は僕が庭へ向かうのを見ていたのだ。

「……お礼、ですか」

聞こえてきた言葉に、さくらさんは少しだけ頬を緩めた。

「ふふっ。どういたしまして」

もちろん、僕には聞こえない。

さくらさんはそのまま、静かに廊下を歩いていった。

*

午後二時。専務の意外な発見。

午後の仕事が始まった。

僕は役員会議の資料を仕上げ、各部署からの報告書をまとめ、取引先への連絡も終わらせた。

「よし! 会議資料、完成!」

パソコンの画面を見ながら、思わず小さくガッツポーズをする。

「これなら、会議にも間に合う!」

残りの書類も、午前中よりずっとスムーズに処理できていた。

さくらさんが付箋を貼ってくれたおかげで、必要な情報を探す時間が大幅に減ったのだ。

「……本当に、誰だったんだろう」

僕はふと、さくらさんの顔を思い浮かべた。

(さくらさんなら、こういう整理、すごく得意そうだよな)

(いや、でも忙しいだろうし……)

(そもそも、僕の仕事をこっそり手伝ってくれる理由なんて……)

そこまで考えて、慌てて頭を振った。

「……いやいや! 変なことを考えるな、僕!」

胸がドクンと鳴る。

「仕事に集中!」

その直後。

――コン、コン。

「失礼いたします」

ドアが開き、さくらさんが入ってきた。

「お疲れさまです。会議資料の進み具合はいかがですか?」

「さくらさん! お疲れさまです! おかげさまで、もうすぐ終わりそうです!」

「まあ。それはよかったです」

さくらさんは、ほっとしたように微笑んだ。

「……本当に、よかったです」

「はい! それに、誰かが資料を整理してくれたみたいで。すごく助かったんですよ!」

「…………そうですか」

さくらさんは、一瞬だけ視線をそらした。

「それは、きっと……あなたが普段から周りの方を助けていらっしゃるからではないでしょうか」

「えっ?」

「困っている方を見かけたら、すぐに手を差し伸べていらっしゃいますよね。ですから、今度はあなたを助けたいと思った方がいらっしゃったのかもしれません」

その言葉に、僕は少しだけ黙った。

そして、ゆっくりと笑った。

「……そうだったら、嬉しいですね」

「はい。きっと、そうだと思います」

さくらさんも微笑んだ。

けれど、僕は気づかなかった。

彼女が、ほんの少しだけ照れていたことに。

*

夕方。最後の一枚。

午後五時半。

「……終わったぁぁぁ!」

専務室に、僕の歓声が響いた。

今日の仕事が、ようやくすべて片づいたのだ。

僕は椅子の背もたれに体を預け、深く息を吐いた。

「いやぁ……今日はさすがに大変だった」

それでも、やり遂げた達成感は大きかった。

「よし、明日の準備をして帰ろう」

机の上を片づけていると、ドアがノックされた。

「どうぞ!」

入ってきたのは、さくらさんだった。

「お疲れさまです。もうお仕事は終わりましたか?」

「はい! なんとか全部終わりました!」

「それは何よりです」

彼女は、いつもより少しだけ柔らかな笑顔を見せた。

「……今日も、本当にお疲れさまでした」

その一言が、不思議なくらい胸に響いた。

「ありがとうございます、さくらさん」

僕も笑顔で返した。

「さくらさんも、お疲れさまです。今日はみんな忙しかったですからね」

「ええ。ですが……」

さくらさんは少しだけ間を置いた。

「あなたも、もう少し人を頼ってくださっていいんですよ?」

「……え?」

「いつも周りの方を助けていらっしゃるのですから。ご自身が大変なときまで、ひとりで全部抱え込まなくてもいいんです」

僕は思わず目を丸くした。

まるで、今日の僕をずっと見ていたかのような言葉だった。

「……そうですね。次は、もう少し頼ってみます」

「はい。約束ですよ?」

さくらさんが、優しく小指を立てるような仕草をした。

……いや、待って。

その仕草、かわいすぎない?

(えっ、何? 約束ですよって……!)

(しかも、今の笑顔……!)

心臓が、ドクン、ドクンと大きく鳴った。

「……あ、はい! 約束します!」

声が少し裏返った。

さくらさんは不思議そうに首をかしげる。

「……大丈夫ですか?」

「だ、大丈夫です! 全然、大丈夫です!」

「ふふっ。でしたら、よかったです」

さくらさんは満足そうに微笑んだ。

僕は顔が熱くなるのを感じながら、必死に書類をまとめた。

(……危なかった)

(本当に、さくらさんには恋心を知られてはいけない……!)

しかし。

さくらさんは、すでに知っているような顔をしていた。

少なくとも、僕が思っている以上に。

*

退社後。誰にも言えない秘密。

会社を出たあと、さくらさんは自分のバッグから小さなメモ帳を取り出した。

そこには、今日の出来事が簡単に記されていた。

『専務の仕事が多かった日。

誰にも頼めず、ひとりで頑張っていた。

少しだけ手伝ったら、気づいていない様子。

でも、助かったと言ってくださった。

最後に、次は人を頼ると約束してくださった』

さくらさんは、その文章を見つめた。

「……本当は、もっと早くお手伝いしたかったのですが」

小さく笑う。

「でも、頑張っている姿を見ていたら……つい、見守ってしまいました」

そして、メモ帳を閉じる。

「次は、ちゃんと頼ってくださるでしょうか?」

夕暮れの道を歩きながら、さくらさんはふと、僕の笑顔を思い出した。

「……あの笑顔、ずるいですね」

自分の頬に手を当てる。

「……いけません。私までドキドキしてしまいます」

その胸の鼓動は、しばらく落ち着きそうになかった。

一方、その頃の僕は――。

自宅で夕食を食べながら、今日のことを思い返していた。

「……誰が助けてくれたんだろうな」

そして、ふと笑った。

「まあ、いいか。明日、もし分かったらお礼を言おう」

僕はまだ知らない。

今日、僕を助けてくれたのが、ほかでもない、ずっと隣で僕を見守ってくれている人だったことを。

そして、その人が。

僕の何気ない「ありがとうございます」という言葉だけで、帰り道までずっと嬉しそうにしていたことを。

――専務の仕事を手伝った、秘密の協力者。

それは、僕が恋心を隠し続けている相手。

教育係の、さくらさんだった。

そして翌朝。

「おはようございます、専務」

いつも通りの笑顔で現れたさくらさんを見て、僕の心臓はまた、ドクンと鳴るのだった。

(……今日も、恋心を知られないように頑張ろう)

……もっとも。

さくらさんは、そんな僕の決意すら、微笑ましく見守っていたのだけれど。