「オフ会当日――変装した僕と、目の前にいる教育係」
「オフ会当日――変装した僕と、目の前にいる教育係」
第1章 絶対に、正体を知られてはいけない。
土曜日、午前九時。
僕は自分の部屋の鏡の前で、何度も自分の姿を確認していた。
黒いキャップ。 縁の太い眼鏡。 いつもはかけないマスク。 そして、普段の会社では絶対に着ない、少し大きめのパーカー。
「……よし。これなら、たぶん大丈夫だ」
今日はいよいよ、オンラインゲームのオフ会当日。
僕がプレイしている協力型オンラインゲーム。その中で、僕と何度も一緒に強敵を倒してきた仲間たちが、ついに現実で集まることになったのだ。
そして、その仲間の一人が――。
『さくら』さん。
ゲームの中では、冷静な判断力を持ち、誰よりも仲間を気遣う頼もしいプレイヤー。
僕がボスの攻撃を避けきれず、ピンチになったときも、必ず助けてくれた。
『大丈夫ですか? 無理をしないでくださいね』
そんな言葉を何度もかけてくれた人。
その優しさに触れるたび、僕はどんどん彼女に惹かれていった。
……ただし。
「まさか、さくらさんが来るなんて……」
そう。
僕の教育係であり、会社で僕が密かに恋心を抱いている女性。
さくらさん本人が、ゲームの中の『さくら』さんなのだ。
最初に気づいたときは、本当に驚いた。
ゲームでの話し方。 仲間への気遣い。 そして、時折こぼれる少し照れたような言葉。
それらが、会社でのさくらさんと驚くほど似ていたのだ。
本人に確認したことはない。
けれど、僕はほぼ確信していた。
「会社では教育係。ゲームでは大切な仲間。そして、僕が好きな人……」
口に出した瞬間、顔が熱くなった。
「いやいやいや! 何を言っているんだ、僕は!」
慌てて頭を振る。
今日の目的は、あくまでゲーム仲間との交流だ。
決して、さくらさんに会いに行くわけではない。
……いや、会えるのは嬉しい。
ものすごく嬉しい。
でも、正体が知られたら大変だ。
普段の僕は、会社ではまだまだ未熟な社員。
そんな僕が、ゲームの中では彼女と息の合った連携を見せているなんて知られたら、どんな顔をされるだろう。
ましてや、ゲームの中で僕は何度も――。
『さくらさんがいると、安心します』
なんて発言している。
「……思い出すな、僕!」
僕は両手で顔を覆った。
「よし。今日は別人だ。絶対に別人として振る舞う!」
そう決意して、家を出た。
しかし、このときの僕はまだ知らなかった。
今日のオフ会が、僕の恋心をこれまでにないほど揺さぶる一日になることを。
第2章 会場にいた、見覚えのある後ろ姿。
オフ会の会場は、駅から少し歩いたところにある貸し切りのイベントスペースだった。
入口の前には、すでに何人かの参加者が集まっている。
「こんにちは! もしかして、ゲームのオフ会ですか?」
僕が声をかけると、若い男性が笑顔で振り返った。
「あっ、もしかして『白銀の騎士』さん?」
「は、はい! そうです!」
僕のゲーム内の名前は、白銀の騎士。
普段の僕からは少し想像できない、立派な名前だ。
「やった! 俺、『炎の狼』です! いやあ、いつもボス戦で助けてもらってます!」
「あ、いえ! こちらこそ、いつも助かっています!」
ゲームの中で何度も一緒に戦った仲間と、初めて顔を合わせる。
不思議な感覚だった。
声だけしか知らなかった相手が、目の前で笑っている。
それだけで、胸が温かくなった。
「それにしても、ずいぶん変装してるね?」
「えっ!?」
「いや、帽子に眼鏡にマスクって。芸能人みたいだなって!」
「そ、そうですかね! ははは……!」
僕は乾いた笑いを浮かべた。
まさか、会社の人間に会う可能性があるからです、なんて言えるはずがない。
すると、会場の入口付近から女性の声が聞こえてきた。
「すみません。こちらが、ゲームのオフ会の会場でしょうか?」
その声を聞いた瞬間。
僕の背筋が、ぴんと伸びた。
落ち着いていて、柔らかくて、聞き慣れた声。
まさか。
いや、そんなはずは。
ゆっくりと振り返る。
そこにいたのは――。
淡い色のブラウスに、落ち着いたロングスカート。
普段の会社とは少し違う、休日らしい装い。
そして、少し困ったように微笑む女性。
「……さくらさん!?」
危うく、声に出してしまうところだった。
僕はとっさに口を押さえた。
違う。
今の僕は白銀の騎士だ。
会社の後輩ではない。
ましてや、彼女に恋をしている男でもない。
「……あの?」
さくらさんが、こちらを見た。
「どうかされましたか?」
「い、いえ! 何でもありません!」
思わず声が裏返った。
さくらさんは少し首を傾げたが、すぐに受付のほうへ向かった。
僕は壁際に移動し、深呼吸を繰り返した。
「落ち着け……落ち着け、僕……!」
しかし、心臓はまったく落ち着いてくれない。
だって、今日のさくらさんは――。
会社で見るより、少しだけ柔らかい表情をしていたから。
仕事中のきちんとした姿も素敵だけれど、休日の彼女はどこか自然体で、見ているだけで胸がいっぱいになった。
「……かわいい」
ぽつりと呟いた。
直後。
「え?」
背後から声がした。
僕は飛び上がった。
「な、何でもありません!」
振り返ると、そこには『炎の狼』が立っていた。
「いや、まだ何も聞いてないけど……」
「すみません!」
「白銀の騎士さん、今日ずっと面白いな……」
お願いだから、これ以上話しかけないでほしい。
僕の心臓が、今日一日もつかどうか分からないのだから。
第3章 まさかの隣の席。
受付を済ませた参加者たちは、会場内のテーブルに案内された。
ゲームの話をしながら、順番に席へ座っていく。
僕は、できるだけ目立たない場所を探した。
端の席。
人の少ない席。
さくらさんから、なるべく離れた席。
そう考えていたのに。
「白銀の騎士さん、こちら空いてますよ!」
『炎の狼』が手を振っている。
その隣には、もう一人。
「こんにちは。白銀の騎士さん、ですよね?」
さくらさんだった。
「…………」
頭の中が真っ白になった。
「私、ゲームでは『さくら』という名前で参加しています。いつもありがとうございます」
彼女は、丁寧に頭を下げた。
「えっ、あっ、はい! こちらこそ!」
「あなたの立ち回り、とても頼りにしているんですよ。危険な場面でも、周りをよく見ていらっしゃるので」
「そ、そんなことは……!」
「ふふ。謙遜しなくてもいいんですよ」
微笑まれた。
終わった。
僕の人生が終わったわけではない。
しかし、僕の理性は大きな危機を迎えていた。
好きな人に褒められている。
しかも、その好きな人は僕が誰なのか知らない。
いや、知らないからこそ、素直に褒めてくれているのだ。
それが嬉しくて。
同時に、少しだけ切なかった。
「白銀の騎士さん?」
「は、はい!」
「お隣、よろしいですか?」
「ど、どうぞ!」
さくらさんが、僕の隣に座った。
距離が近い。
会社ではいつもデスク越しに話しているのに、今日はすぐ隣にいる。
彼女がバッグを椅子の横に置く。
その何気ない動作さえ、意識してしまう。
僕は必死に正面を向いた。
「……緊張していますか?」
「えっ?」
「少し、肩に力が入っているように見えたので」
「い、いえ! 初めてのオフ会なので!」
「そうですよね。私も少し緊張しています」
さくらさんは、ふっと笑った。
「でも、皆さんと実際にお会いできるのは嬉しいですね。ゲームの中では何度も一緒に戦っているのに、不思議な感じです」
「……そうですね」
僕は小さく頷いた。
本当は、別のことを考えていた。
――僕は、あなたと何度も一緒に戦ってきました。
――あなたが落ち込んでいたとき、ゲームの中で元気づけられたこともあります。
――そして、あなたが僕の教育係だと知ってからも、あなたを好きな気持ちは変わりませんでした。
でも、それを伝える勇気はなかった。
「白銀の騎士さんは、普段どんなお仕事をされているんですか?」
「ぶっ!?」
危うく飲みかけのお茶を吹き出しそうになった。
「だ、大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫です!」
「すみません、突然聞いてしまって。答えにくければ、もちろん大丈夫ですよ」
「いえ! その……普通の会社員です!」
「そうなんですね。私も会社員なんですよ」
知っています。
心の中で叫んだ。
あなたの教育を受けています。
毎朝、あなたに挨拶しています。
あなたが出張から戻ってきた日は、少し嬉しくなります。
そして今日も、あなたの笑顔に胸が高鳴っています。
「……そうなんですね」
僕は、精いっぱい平静を装った。
すると、さくらさんが僕の顔をじっと見た。
「……あの」
「は、はい?」
「白銀の騎士さんって、どこかでお会いしたことがありませんか?」
「…………え?」
血の気が引いた。
さくらさんは、真剣な表情で僕を見つめている。
「いえ……声が、少しだけ誰かに似ている気がして」
「き、気のせいですよ!」
即答だった。
速すぎるくらいに。
さくらさんは目を丸くした。
「あら。そんなに慌てなくても」
「す、すみません!」
「ふふっ。面白い方ですね」
彼女は楽しそうに笑った。
その笑顔を見た瞬間、僕は思った。
――この人には、やっぱり敵わない。
僕のことを知らないはずなのに、僕の心だけは簡単に揺さぶってくる。
第4章 ゲームの中の僕と、会社の僕。
オフ会が始まって一時間ほど経った頃。
主催者が、参加者たちに向かって声を上げた。
「それでは皆さん! せっかく集まったので、いつもの協力プレイを実際にやってみましょう!」
会場から歓声が上がった。
大画面にゲームが映し出され、参加者たちはそれぞれの端末を準備する。
「白銀の騎士さん!」
さくらさんが、僕のほうを向いた。
「いつものように、一緒に組んでいただけますか?」
「……え?」
「あなたと組むと、とても安心できるんです」
胸が、大きく鳴った。
会社では、いつも僕を指導してくれる人。
僕が失敗すれば改善点を教え、うまくできれば褒めてくれる人。
その彼女が今、僕を頼りにしている。
しかも、仕事上の立場とは関係なく。
一人のゲーム仲間として。
「……もちろんです!」
思わず、いつもの調子で答えてしまった。
「はい。よろしくお願いしますね」
さくらさんが微笑む。
僕たちはパーティーを組み、強敵の待つステージへ挑んだ。
ゲームが始まる。
敵の攻撃を見極め、味方の位置を確認し、回復のタイミングを合わせる。
僕が敵を引きつければ、さくらさんが援護する。
さくらさんが危険な位置に入れば、僕がすぐにカバーする。
「右から攻撃が来ます!」
「分かりました!」
「今です、白銀の騎士さん!」
「はい!」
息が合っていた。
驚くほどに。
周囲の参加者たちも、次第に僕たちのプレイに注目し始めた。
「えっ、何この連携!?」
「二人とも、打ち合わせしてたの?」
「いや、してないですよ!」
僕は思わず答えた。
すると、さくらさんが楽しそうに笑った。
「何度も一緒に戦っていますからね。自然と分かるようになったのかもしれません」
何度も。
一緒に。
戦ってきた。
その言葉が、胸に深く響いた。
やがて、強敵の体力が残りわずかになった。
「白銀の騎士さん、最後はお願いします!」
「任せてください!」
僕は最後の攻撃を繰り出した。
画面に勝利の文字が浮かび上がる。
会場が拍手に包まれた。
「すごい!」
「この二人、最強コンビじゃないか!」
僕は照れくさくなりながら、隣を見た。
さくらさんも、こちらを見ていた。
「……ありがとうございました。とても楽しかったです」
「こちらこそ!」
「また、ぜひ一緒に遊んでくださいね」
その言葉に、僕は思わず顔を伏せた。
嬉しい。
本当に嬉しい。
でも、同時に思う。
――もし、僕が会社の後輩だと分かったら。
――もし、僕があなたに恋をしていると知ったら。
この笑顔は、変わってしまうのだろうか。
そう考えると、胸が少し苦しくなった。
第5章 「あなたに、似ている人がいるんです」
オフ会も終盤に差しかかった頃。
参加者たちが飲み物を取りに行ったり、別のテーブルで話したりしている中、僕は窓際で一人、外の景色を眺めていた。
ようやく、心臓が落ち着いてきたところだった。
「……今日は、すごい一日だな」
小さく呟く。
さくらさんと一緒にゲームをして。
褒めてもらって。
また一緒に遊ぼうと言ってもらえた。
それだけで、十分すぎるほど幸せだった。
「白銀の騎士さん」
聞き慣れた声。
振り返ると、さくらさんが立っていた。
「少し、お話ししてもいいですか?」
「は、はい!」
彼女は僕の隣に立ち、窓の外を眺めた。
「今日、本当に来てよかったです」
「……僕もです」
「皆さん、とても優しいですし、ゲームの中で知っていた人たちと実際に会えるのって、素敵ですね」
「そうですね」
少しの沈黙。
それから、さくらさんはふと、こちらを向いた。
「実は……今日、ずっと気になっていることがあるんです」
「……な、何でしょう?」
「あなたのことです」
心臓が止まりかけた。
「ぼ、僕ですか?」
「はい」
さくらさんは、少し考えるように視線を落とした。
「あなたを見ていると、会社にいるある人を思い出すんです」
――終わった。
僕は心の中で、静かに頭を抱えた。
「その人も、あなたと同じで、周りの人をよく見ているんです。困っている人がいると、さりげなく手を差し伸べるんですよ」
「…………」
「自分のことは後回しにしてしまうところも、少し似ています」
それは、僕のことだった。
最近、仕事で周囲を助けるようになったこと。
自分の仕事だけでなく、困っている社員の手伝いもするようになったこと。
さくらさんは、そんな僕の変化を見てくれていたのだ。
「……その人のこと、信頼しているんですね」
僕は、なるべく自然に聞いた。
さくらさんは、少し驚いた顔をしたあと、柔らかく微笑んだ。
「はい。とても」
胸が熱くなった。
「まだ成長途中ですけれど、少しずつ頼もしくなってきていて。見ていると、私も頑張らなくちゃって思うんです」
僕は何も言えなかった。
まさか、そんなふうに思ってくれていたなんて。
嬉しい。
でも、今は僕の正体を知られたくない。
この気持ちを知られるのも、まだ怖い。
だから僕は、眼鏡の位置を直しながら、精いっぱい平静を装った。
「……素敵な方なんですね」
「ふふっ。そうですね」
さくらさんは、少しだけ頬を緩めた。
そして。
「白銀の騎士さん。あなたも、きっと素敵な方なんでしょうね」
「…………っ!」
不意打ちだった。
僕は思わず、窓の外に顔を向けた。
「……あ、ありがとうございます」
声が小さくなる。
「どうして、顔を隠すんですか?」
「い、いえ! ちょっと、外が眩しくて!」
「今日は曇っていますよ?」
「…………」
さくらさんが、くすくすと笑った。
「本当に、面白い方ですね」
お願いだから、これ以上優しくしないでほしい。
僕の恋心が、どんどん大きくなってしまうから。
最終章 秘密は、まだ守られている。
帰りの時間が近づき、参加者たちは少しずつ会場を後にしていった。
僕も、さくらさんに正体を知られないうちに帰ろうと決めた。
「今日はありがとうございました!」
「こちらこそ。とても楽しかったです」
さくらさんは、丁寧に頭を下げた。
「またゲームの中でお会いしましょうね、白銀の騎士さん」
「……はい! ぜひ!」
本当は、もう少し話していたかった。
もっと彼女のことを知りたかった。
でも、これ以上一緒にいたら、いつか正体がばれてしまいそうだった。
僕は後ろ髪を引かれる思いで、会場を出た。
駅へ向かう道を歩きながら、深く息を吐く。
「……危なかった」
何度も正体を見破られそうになった。
けれど、どうにか最後まで秘密を守ることができた。
スマートフォンが震えた。
ゲームのチャット通知だった。
画面には、『さくら』からのメッセージが表示されている。
『今日はありがとうございました。白銀の騎士さんと一緒にプレイできて、本当に楽しかったです』
続けて、もう一通。
『実は、今日お会いしてから、少し気になっていることがあるんです』
「…………え?」
僕は足を止めた。
さらに、メッセージが届く。
『あなたの話し方や、周りへの気遣いが、私の知っている人にとても似ていて……』
「ま、まさか……!」
そして、最後の一文。
『今度、もう少しゆっくりお話ししてみたいです。よかったら、二人でゲームをしませんか?』
僕はスマートフォンを握りしめたまま、しばらく動けなかった。
二人でゲーム。
さくらさんと。
誰にも邪魔されずに。
嬉しくないわけがない。
むしろ、飛び上がりたいくらい嬉しかった。
けれど――。
「……どうしよう」
僕は空を見上げた。
恋心を知られてはいけない。
正体も、知られてはいけない。
なのに、彼女との距離は、少しずつ近づいている。
僕は迷った末に、返信を打ち始めた。
『こちらこそ、今日はありがとうございました! ぜひ、一緒に遊びましょう!』
送信。
すぐに既読がついた。
そして。
『ありがとうございます。楽しみにしていますね』
そのメッセージを見つめながら、僕は小さく笑った。
「……次も、頑張ろう」
会社では、彼女の教育を受ける後輩として。
ゲームでは、彼女と肩を並べる仲間として。
そして、誰にも知られないまま、彼女を好きでいる一人の人間として。
僕の秘密の毎日は、まだ終わらない。
……ただ、一つだけ問題がある。
次に二人きりでゲームをするとき、僕はちゃんと平静を保てるのだろうか。
その答えを知るのは、もう少し先の話だった。