LNCrawler

午前中にすべてを終わらせた日――さくらさんに褒められたくて

教育係のさくらには恋心を知られてはいけない。 — www.pixiv.net · All chapters

午前中にすべてを終わらせた日――さくらさんに褒められたくて

午前8時45分。

「おはようございます!」

僕は会社のドアを開け、いつものように元気よく挨拶をした。

「おはようございます」

周囲の先輩社員たちが挨拶を返してくれる。

そして、僕が真っ先に確認してしまう場所があった。

教育係のさくらさんのデスクだ。

さくらさんは、すでに出社していた。

綺麗に整えられたデスク。パソコンの画面を見つめる真剣な横顔。資料を手に取り、何かを確認している姿。

(……今日も、かわいいな)

「……っ!」

僕は慌てて顔をそらした。

(何を考えているんだ、僕は! 仕事だ、仕事!)

さくらさんには、絶対に知られてはいけない。

僕が初めて会ったときから、ずっと彼女に恋心を抱いていることを。

ましてや、本人を目の前にすると胸がドキドキして、いつもより声が少し高くなってしまうことなんて、絶対に知られたくない。

「あなた、どうしました?」

「は、はいっ! 何でもありません!」

「……そうですか?」

さくらさんは少し不思議そうに首をかしげた。

「今日の業務内容は確認しましたか?」

「はい! 確認済みです!」

「よろしいです。それでは、今日も一日頑張りましょうね」

「はい!」

さくらさんが微笑んだ。

(……今日も一日頑張れそうです)

僕は心の中でそう呟き、自分のデスクへと向かった。

第一話 午前中の目標

午前9時。

僕はパソコンを起動し、今日の業務一覧を開いた。

今日の予定は、なかなか多かった。

* 午前中に提出する報告書の作成

* 新しい企画の資料整理

* 昨日から持ち越しているデータの確認

* 午後の会議に向けた準備

* 他の社員から頼まれている作業の補助

普通に進めれば、夕方近くまでかかってもおかしくない量だった。

しかし、僕は一覧をじっと見つめてから、小さく頷いた。

(よし……今日は午前中に全部終わらせよう)

もちろん、適当に済ませるつもりはない。

確認を怠らず、必要なところは何度でも見直す。

ただ、仕事の順番を工夫すれば、きっとできるはずだ。

まずは報告書。

必要なデータを集め、数字に間違いがないか確認し、文章を整えていく。

午前9時30分。

報告書の第一稿が完成した。

(よし、次!)

続いて企画資料の整理。

関連する資料を分類し、必要な情報を見つけやすいようにまとめていく。

午前9時50分。

こちらも完了。

(思ったより順調だ……!)

僕は小さく拳を握った。

そのときだった。

「すみません、ちょっといいですか?」

声をかけてきたのは、隣の部署の先輩社員だった。

「このデータなんですが、確認の仕方がわからなくて……。少し手を貸してもらえませんか?」

先輩は困った顔で資料を差し出した。

僕は時計を確認した。

まだ時間はある。

「もちろんです! どこで困っていますか?」

「ここの数値が、元資料と一致しないんだよ」

「なるほど……。一度、元資料から確認してみましょう」

僕は自分の作業をいったん止め、先輩と一緒にデータを確認した。

最初は単純な入力ミスかと思った。

しかし、照合を進めていくと、集計対象となる期間が一部ずれていることがわかった。

「先輩、ここです。元資料は今月末までなのに、こちらは先月末までのデータになっています」

「本当だ! 気づかなかった……!」

「期間を合わせれば、数字が一致すると思います。念のため、ほかの項目も一緒に確認しましょう」

二人で確認を進め、無事に問題を解決した。

「助かったよ! ありがとう!」

「いえ、お役に立ててよかったです!」

先輩は安心した表情で自分のデスクへ戻っていった。

僕も自分の作業に戻ろうとした。

すると、今度は反対側から声がした。

「ちょっと相談してもいいかな?」

今度は別の先輩社員だった。

「午後の会議で使う資料なんだけど、情報が多すぎて、どうまとめればいいか悩んでいてね」

僕は差し出された資料を受け取った。

確かに、情報がたくさん詰め込まれている。

ただ、よく見ると、重要な内容は三つに整理できそうだった。

「この三つを中心にまとめるのはどうでしょう? 詳しいデータは別紙にすれば、会議では全体像が伝わりやすくなると思います」

「なるほど! その手があったか」

「必要なら、一緒に整理しますよ」

「いいのかい? ありがとう!」

僕は先輩と一緒に資料を整理した。

重要な情報を残しながら、読み手が理解しやすい順番に並べ直す。

午前10時20分。

資料はすっきりとまとまった。

「すごいな。君、こういう整理が得意なんだね」

「ありがとうございます。でも、先輩が必要な情報をきちんと集めてくださっていたからですよ」

「ははは、褒め上手だなあ!」

先輩が笑った。

僕もつられて笑顔になった。

(困っている人の力になれてよかった)

自分の仕事が進むのも嬉しい。

けれど、誰かの困りごとが解決する瞬間も、僕は好きだった。

第二話 気づけば、仕事が片づいていく

午前10時30分。

僕は再び自分のデスクに向かった。

残っているのは、データ確認と会議の準備だ。

まずは昨日から持ち越していたデータを確認する。

数字を一つずつ照合し、入力漏れがないか調べる。

途中で違和感のある箇所を見つけたが、慌てて修正することはしなかった。

元資料を確認し、変更履歴を調べ、原因を突き止めてから正しい数値に直した。

(よし。これで大丈夫)

午前10時55分。

データ確認が完了した。

次は会議の準備。

必要な資料を揃え、議題ごとに分類し、参加者がすぐに確認できるように整理した。

最後に、提出先と期限を再確認する。

そして――。

午前11時15分。

僕は画面に表示された業務一覧を見つめた。

報告書、完了。

企画資料、完了。

データ確認、完了。

会議準備、完了。

他の社員の手伝いも、すべて完了。

「……終わった」

思わず声が漏れた。

まだ午前中だった。

僕は時計を二度見した。

(えっ……本当に終わったのか?)

念のため、最初からチェックリストを確認する。

一つずつ、指で項目を追っていく。

抜け漏れなし。

提出先も間違っていない。

保存場所も確認済み。

(……本当に終わってる!)

胸の中に、じんわりと達成感が広がった。

自分の仕事だけなら、まだしも。

今日は他の社員の手伝いまで終えられたのだ。

僕は嬉しくなって、つい小さく呟いた。

「……僕、少しは成長したのかな」

その瞬間。

「何が成長したのですか?」

「うわっ!?」

背後から声がした。

振り返ると、そこには――。

さくらさんが立っていた。

「さ、さくらさん!?」

「そんなに驚かなくてもいいでしょう?」

さくらさんは少しだけ目を細めた。

「先ほどから、ずいぶん集中していましたね。何かあったのですか?」

「い、いえ! その……今日の仕事が、思ったより順調に進みまして!」

「そうですか。では、進捗を見せてもらえますか?」

「は、はい!」

僕は慌てて業務一覧を開き、さくらさんに見せた。

さくらさんは画面を確認していく。

「報告書は提出済み……企画資料も整理済み……データ確認も終わっていますね」

「はい!」

「会議の準備まで終わっているのですか?」

「はい。必要な資料も揃えました」

さくらさんは少し驚いたように顔を上げた。

「午前中で、ここまで?」

「……はい」

「他の社員の方のお手伝いもしたと聞きましたが」

「はい。データの確認と、会議資料の整理を少しだけ」

「少しだけ、ですか」

さくらさんは僕の業務一覧をもう一度見た。

「これだけの仕事を進めながら、周囲の方のお手伝いまでしたのですね」

「困っている方がいらっしゃったので……。自分にできることなら、力になりたいと思ったんです」

僕がそう答えると、さくらさんは静かに微笑んだ。

「……素晴らしいですね」

「えっ?」

「自分の仕事を終わらせるだけでも大変だったでしょう。それなのに、周囲の状況にも気を配っていたのですね」

「い、いえ! そんな、大したことでは……!」

「大したことですよ」

さくらさんは、はっきりと言った。

「仕事が早いだけではなく、周りの人を助ける余裕も持てるようになったのですね」

その言葉を聞いた瞬間。

ドクンッ。

僕の心臓が、大きく跳ねた。

(……さくらさんに、褒められた)

しかも、ただ「よくできました」と言われたわけではない。

僕が何をしていたのか、ちゃんと見てくれていた。

周囲の人を手伝っていたことまで。

(……嬉しい)

嬉しすぎて、顔が熱くなってきた。

「……ありがとうございます」

なんとか、それだけを口にした。

さくらさんは、そんな僕の様子を見て少し首をかしげた。

「顔が赤いようですが、疲れましたか?」

「い、いえ! 大丈夫です!」

「本当ですか?」

「本当です!」

(違うんです! 疲れているわけじゃないんです! あなたに褒められたのが嬉しすぎるんです!)

もちろん、そんなことは口が裂けても言えない。

教育係のさくらさんには、恋心を知られてはいけないのだから。

第三話 さくらさんの知らない本音

午前11時30分。

さくらさんは、僕のデスクの横に立ったまま、穏やかな声で言った。

「では、午後はどうする予定ですか?」

「はい。提出物の確認は終わっていますので、追加の業務があれば対応できます。なければ、今後の仕事に備えて資料を整理しようと思っています」

「なるほど。いい考えですね。ただし、仕事を早く終わらせようとして、無理をする必要はありませんよ」

「はい。確認も十分に行いました」

「それなら安心です」

さくらさんは頷いた。

「何かあれば、いつでも相談してくださいね」

「ありがとうございます!」

まただ。

また、胸が温かくなってしまう。

さくらさんはいつだって、僕の成長を見てくれている。

失敗したときは、原因を一緒に考えてくれる。

困っているときは、必要な言葉をかけてくれる。

そして、できるようになったときは、ちゃんと褒めてくれる。

(……だから、好きなんだ)

心の中で、そっと呟いた。

初めて会った日から、ずっと変わらない気持ち。

けれど、今はまだ伝えられない。

伝えてしまえば、今の関係が変わってしまうかもしれないから。

僕はこの時間が好きだった。

教育係と新人社員として、少しずつ信頼を積み重ねていく時間が。

だから今は、仕事で応えたい。

さくらさんが教えてくれたことを、一つずつ身につけていきたい。

「……さくらさん」

「はい?」

「僕、これからも頑張ります」

思わず、そんな言葉が口から出ていた。

さくらさんは一瞬きょとんとしたあと、優しく笑った。

「ええ。期待していますよ」

その笑顔を見た瞬間、僕は心の中で誓った。

(もっと成長しよう)

(もっと仕事ができるようになろう)

(そして、いつか……さくらさんに、胸を張って自分のことを話せるようになろう)

もちろん、恋心を伝えるかどうかは、まだわからない。

今はただ、この気持ちを大切にしながら、目の前の仕事を頑張るだけだ。

……そう思っていたのに。

「ところで」

さくらさんが、ふと思い出したように口を開いた。

「今日は、ずいぶん私のほうを見ていましたね?」

「…………えっ?」

時間が止まった。

(えっ?)

(今、何て言いました?)

さくらさんは不思議そうに続けた。

「朝、挨拶をしたときもそうですし、先ほども、私が近づいたら急に慌てていましたよね」

「そ、それは……!」

(まずい! まさか、気づかれている!?)

「もしかして、何か相談したいことでもあるのですか?」

さくらさんが、少しだけ心配そうに尋ねた。

僕は必死に頭を働かせた。

「ち、違います! その……今日の業務について、確認しようと思っていたんです!」

「今日の業務?」

「は、はい! その……確認です!」

自分でも何を言っているのかわからなかった。

さくらさんは数秒、僕を見つめていた。

そして――。

「ふふっ」

小さく笑った。

「わかりました。何かあれば、遠慮なく言ってくださいね」

「は、はい……!」

さくらさんは自分のデスクへ戻っていった。

僕は椅子の上で固まったまま、しばらく動けなかった。

(……危なかった)

本当に危なかった。

あと少しで、心の中の秘密が顔に出てしまうところだった。

僕は両手で顔を覆った。

(落ち着け、僕……。さくらさんは、きっと何も気づいていない)

そう自分に言い聞かせた。

けれど、少し離れた場所では。

さくらさんが自分のパソコンを開きながら、ふと僕のほうを見ていた。

そして、誰にも聞こえないほど小さな声で呟いた。

「……本当に、一生懸命な子ですね」

その表情は、いつもより少しだけ柔らかかった。

僕はまだ知らない。

自分が午前中に成し遂げた仕事が、さくらさんにとっても嬉しい出来事になっていたことを。

そして今日、さくらさんの中で、僕への信頼がまた一つ深まったことを。

午前11時45分。

僕は、午後の業務に備えて新しいチェックリストを作り始めた。

今日の目標は達成した。

でも、僕の成長は、まだまだこれからだ。

そして胸の奥には、誰にも知られてはいけない秘密が、今日も静かに息づいていた。