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悪夢の続き――夢と現実の境界線

教育係のさくらには恋心を知られてはいけない。 — www.pixiv.net · All chapters

悪夢の続き――夢と現実の境界線

第1章 「出ていって」と告げられた夢

昼休み。

窓から暖かな日差しが差し込むオフィスで、僕は自分のデスクに突っ伏して眠っていた。

午前中の仕事が忙しかったせいか、思っていた以上に疲れていたらしい。

けれど、僕の意識は穏やかな昼休みとは正反対の場所にあった。

夢の中。

そこには、教育係のさくらさんが立っていた。

いつもなら、困ったときに助けてくれる人。

仕事で失敗すれば、改善点を一緒に考えてくれる人。

僕が少しずつ成長していく姿を、誰よりも近くで見守ってくれた人。

そんな大切な人が、今は冷たい表情で僕を見つめていた。

「……どうして、あなたは私の言うことを聞いてくれないんですか?」

「さくらさん……?」

「もう、あなたのことは信用できません」

その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がぎゅっと締めつけられた。

違う。

僕は、さくらさんを困らせたいわけじゃない。

ただ、もっと成長したかった。

いつか、さくらさんに一人前だと認めてもらいたかった。

そして、本当は――。

(……さくらさんのことが、好きなんです)

けれど、その気持ちだけは絶対に知られてはいけない。

教育係と部下。

その関係を壊したくなかったから。

「……お願いです。もう、私に近づかないでください」

「っ……!」

僕は何かを伝えようとした。

しかし、声が出なかった。

さくらさんは背を向け、そのまま遠ざかっていく。

「待って……さくらさん……!」

手を伸ばしても、届かない。

「行かないで……!」

その瞬間、僕は目を覚ました。

「……っ、はぁ……はぁ……」

目の前には、いつものオフィスがあった。

パソコンの画面。

書類の束。

同僚たちの話し声。

夢だった。

ただの夢だったのだ。

「……よかった……」

胸を押さえながら、僕は小さく息を吐いた。

しかし、そのときだった。

「……よかった、って?」

聞き覚えのある優しい声が、すぐそばから聞こえた。

「えっ……?」

顔を上げる。

そこには、さくらさんが立っていた。

「さ、さくらさん!?」

「はい。私ですけど……どうしたんですか?」

彼女は心配そうに僕の顔をのぞき込んでいた。

僕は慌てて姿勢を正した。

「い、いえ! なんでもありません!」

「なんでもない人は、そんなに慌てませんよ?」

「そ、それは……!」

「……怖い夢でも見ましたか?」

その質問に、僕は言葉を失った。

どうして分かったのだろう。

さくらさんは僕のデスクに置かれていた書類をそっと端へ寄せると、少し声を落とした。

「寝ている間、ずいぶん苦しそうでした。何度か私の名前も呼んでいましたよ」

「……えっ!?」

頭の中が真っ白になった。

まさか。

まさか、夢の中で言ったことまで聞かれていたのだろうか。

「ぼ、僕……何か変なことを言いましたか?」

「そうですね……」

さくらさんは少し考えるように視線を上げた。

「『行かないで』って、聞こえました」

「…………!」

顔が熱くなる。

よりによって、そんな言葉を。

「す、すみません! 寝言ですから! 本当に、深い意味はなくて……!」

「ふふっ。どうして謝るんですか?」

さくらさんは、いつもの柔らかな笑顔を見せた。

「夢の内容までは分かりませんけど、怖い夢だったなら、起きている間くらい安心していてくださいね」

その言葉が、胸にしみた。

夢の中では、僕を拒絶していた人。

現実では、こんなにも優しく声をかけてくれる人。

だからこそ、僕は自分の気持ちを隠さなければならなかった。

「……ありがとうございます、さくらさん」

「はい。午後のお仕事も、無理せず頑張りましょう」

彼女はそう言って、自分のデスクへ戻っていった。

僕はその背中を見つめながら、胸の鼓動が落ち着くのを待った。

(……大丈夫。夢と現実は違う)

そう、自分に言い聞かせた。

けれど――。

その日の午後、僕は夢の内容を思い出すことになる。

まさか、本当に似たような出来事が起きるなんて、思いもしなかった。

第2章 悪夢と同じ言葉

午後二時。

僕はチームの資料をまとめていた。

新しい業務の進捗を確認し、各社員から届いた報告を整理する。

最近は、以前よりも仕事を任せてもらえるようになっていた。

さくらさんの指導のおかげだ。

(この資料を仕上げたら、さくらさんに確認してもらおう)

そう考えながら、最後の数字をチェックしていたときだった。

「すみません! 少し、よろしいですか?」

同期の社員が、慌てた様子で声をかけてきた。

「どうしたの?」

「午前中に提出した企画書なんですけど……数字に間違いがあったみたいで」

「えっ?」

見せてもらった資料を確認すると、確かに一部の数値が食い違っていた。

しかも、その資料はすでに上司へ共有されている。

「……これは、早めに報告したほうがいいね」

「でも、もう少し調べてからのほうが……」

「原因が分かっていなくても、間違いがあることは伝えよう。修正できる時間があるうちに」

僕たちは必要な情報を整理し、担当者に報告することにした。

ところが、その途中で別の社員が口を挟んだ。

「どうして、こんなミスをしたんですか?」

厳しい口調だった。

同期の表情が曇る。

「それは……」

「確認したんですよね?」

その光景を見た瞬間、僕は夢の中の自分を思い出した。

責められ、言葉を失い、誰にも理解してもらえない。

そんな感覚が、ほんの一瞬だけよみがえった。

けれど、今度は違った。

「すみません。確認を手伝った僕も、見落としていました」

僕は二人の間に入り、落ち着いて話した。

「誰が悪いかを決めるより、まずは間違いを直しましょう。そのあと、どうして見落としたのかを一緒に確認すれば、次に防げると思います」

同期が驚いた顔で僕を見た。

厳しい口調だった社員も、少しだけ表情を和らげる。

「……そうですね。まずは修正しましょう」

その後、僕たちは協力して資料を直した。

報告も無事に終わり、大きな問題にはならなかった。

「ありがとう。本当に助かったよ」

同期がほっとした顔で言った。

「ううん。僕も勉強になったよ」

そう答えたものの、心の中には別の思いが残っていた。

(……夢と同じじゃないか)

もちろん、まったく同じ出来事ではない。

それでも、誰かに責められ、信頼を失うかもしれないという不安。

夢の中で味わった恐怖が、現実の出来事に重なってしまった。

そして、そのとき。

「今の対応、よかったですよ」

背後から声がした。

振り返ると、さくらさんが立っていた。

「さ、さくらさん……! いつから?」

「資料を取りに来たときからです。少しだけ、様子を見ていました」

彼女は僕の同期にも目を向けた。

「二人とも、適切な対応でしたね。間違いを隠さず報告して、原因を確認する。大切なことです」

「ありがとうございます!」

同期が頭を下げて、自分のデスクへ戻っていく。

僕も安心しかけた。

しかし、さくらさんは僕の顔を見て、ふと表情を曇らせた。

「……ところで、少し聞いてもいいですか?」

「はい?」

「あなた、さっきから私のことを避けていませんか?」

心臓が跳ねた。

第3章 「あなたのことは信用できません」

実は、僕は朝からさくらさんを避けていた。

話しかけられれば普通に返事をする。

仕事の相談もする。

けれど、必要以上に目を合わせない。

二人きりになりそうになると、別の仕事を探して席を立つ。

自分でも、不自然だと思っていた。

それでも、どうしても怖かったのだ。

夢の中のさくらさんの言葉が、頭から離れなかったから。

「……避けているつもりは、ありません」

「そうですか?」

さくらさんは少し首を傾げた。

「午前中、私が声をかけようとしたら、急に書類を持って別の場所へ行きましたよね」

「そ、それは……」

「お昼休みも、私が近くを通ったら、すぐに庭へ行ってしまいました」

そこまで見られていたのか。

僕は返事に困った。

さくらさんは、いつもの指導するような口調ではなく、静かな声で尋ねた。

「私、何かしてしまいましたか?」

「違います!」

思わず大きな声が出た。

近くの社員がこちらを振り向く。

僕は慌てて声を落とした。

「……違うんです。さくらさんは、何も悪くありません」

「でも、あなたは困っているように見えます」

その言葉に、胸が痛くなった。

本当のことを言いたい。

怖い夢を見たこと。

夢の中で、さくらさんに拒絶されたこと。

そして、そんな夢を見るくらい、僕にとって彼女が大切な存在になっていること。

けれど、最後の一つだけは絶対に言えなかった。

「……ちょっと、疲れているだけです」

僕は、そう答えた。

さくらさんはしばらく黙っていた。

そして、ゆっくりと口を開いた。

「……あなたのことは、信用できません」

「…………え?」

頭の中が真っ白になった。

今、なんと言ったのだろう。

あなたのことは、信用できません。

夢の中と、同じ言葉。

「さくら、さん……?」

彼女は驚いたように目を見開いた。

「えっ? あの、違います! 今のは……」

けれど、僕には彼女の次の言葉が聞こえなかった。

耳の奥で、夢の中の声が繰り返される。

――もう、あなたのことは信用できません。

――私に近づかないでください。

(……やっぱり、夢のとおりになるんだ)

喉が詰まる。

呼吸が浅くなる。

目の前にいるのは、現実のさくらさんだ。

それなのに、夢の中の冷たい表情が重なって見えた。

「……すみません」

僕は小さく頭を下げた。

「今まで、ご迷惑をおかけしました」

「待ってください。そういう意味では――」

「仕事に戻ります」

それだけ言って、僕は自分のデスクへ戻った。

さくらさんが何かを言いかけたのは分かっていた。

でも、振り返ることができなかった。

だって、もし本当に嫌われてしまったのなら。

もし、今まで積み重ねてきた信頼がなくなってしまったのなら。

僕は、どうすればいいのだろう。

第4章 実は、さくらさんも気づいていた

その日の夕方。

僕が資料を提出しに行くと、さくらさんはいつものように仕事をしていた。

「……資料を確認してください」

「はい。ありがとうございます」

彼女は資料を受け取った。

僕は一礼して、すぐに立ち去ろうとした。

「待ってください」

足が止まる。

「……はい」

「今日のこと、少しだけ話せませんか?」

「仕事のことでしょうか?」

「いいえ。あなたのことです」

僕は黙ってしまった。

さくらさんは資料を机に置き、真剣な表情で僕を見つめた。

「私、あなたが最近頑張っていることを知っています」

「……」

「仕事を覚えようとしていること。周りの人を助けていること。失敗しても、きちんと改善しようとしていること」

彼女は一つずつ、丁寧に言葉を重ねた。

「だからこそ、急に私を避けるようになったのが気になったんです」

僕は唇を結んだ。

「さっきの『信用できません』という言葉……あれは、あなたのことを責めたかったわけではありません」

「……え?」

「あなたが、私に何も話してくれないことが心配だったんです。私には、何も相談できないのかなって」

さくらさんは少し困ったように笑った。

「言い方が悪かったですね。ごめんなさい」

その瞬間、胸の奥に張りつめていたものが、ほんの少し緩んだ。

夢とは違う。

現実のさくらさんは、僕の話を聞こうとしてくれている。

「……さくらさん」

「はい」

「僕……今日、怖い夢を見たんです」

気づけば、言葉が口から出ていた。

「夢の中で、さくらさんに嫌われました。信用できないって言われて……もう近づかないでほしいって」

さくらさんの表情が変わった。

「……そうだったんですね」

「それで、さっき同じような言葉を聞いたとき、夢の続きみたいに感じてしまって……」

僕は視線を落とした。

「すみません。勝手に怖がって、勝手に避けて……」

「謝らなくていいですよ」

さくらさんは、すぐにそう言った。

「夢の内容は、自分で選べませんから」

その言葉は、驚くほど優しかった。

「でも……夢と現実は違います」

彼女は、僕の目を見て続けた。

「私は、あなたが困っているなら話を聞きたいです。仕事で失敗したなら、一緒に改善策を考えたい。あなたが頑張っていることも、ちゃんと見ています」

そして、少しだけ笑った。

「ですから、怖いときまで一人で頑張らなくていいんですよ」

僕は何も言えなかった。

泣きそうになったからではない。

胸の中にあった不安が、ゆっくりとほどけていくのを感じたからだ。

「……ありがとうございます」

「はい」

「もう、避けません」

そう言うと、さくらさんは安心したように微笑んだ。

「約束ですよ?」

「……はい!」

危うく、顔が緩みそうになった。

(……やっぱり、好きだ)

心の中で、僕はつぶやいた。

(こんなに優しい人を、好きにならないほうが難しいよ……)

もちろん、その言葉は口に出さなかった。

教育係のさくらさんには、恋心を知られてはいけない。

それだけは、絶対に守らなければならない秘密だった。

第5章 悪夢は、まだ終わっていない

退勤時間。

僕は荷物をまとめ、オフィスを出ようとしていた。

すると、廊下の向こうからさくらさんが歩いてきた。

「お疲れさまです」

「お疲れさまです、さくらさん!」

今度は、逃げずに挨拶できた。

さくらさんは嬉しそうに微笑んだ。

「明日もよろしくお願いしますね」

「はい。よろしくお願いします!」

彼女が去っていく。

僕はその背中を見送りながら、小さく息を吐いた。

もう大丈夫だ。

夢の中の言葉に、振り回されなくてもいい。

現実のさくらさんは、僕の教育係であり、信頼している大切な人なのだから。

そう思って帰宅した僕は、その夜、再び眠りについた。

そして――。

夢の中で、僕はまたオフィスに立っていた。

目の前には、さくらさん。

けれど、今度は彼女の隣に、見知らぬ社員たちが立っていた。

その一人が、僕を指さして言った。

「この人、さくらさんに隠し事をしているんですよ」

「……え?」

さくらさんが、ゆっくりとこちらを向く。

「隠し事……?」

「違います! それは……!」

言いかけた瞬間、別の社員が笑った。

「本当のことを言えないんだって」

「……やめてください」

僕は声を絞り出した。

さくらさんは、静かに僕を見つめていた。

そして――。

「あなたが私に隠していることは、何ですか?」

その質問に、僕は答えられなかった。

だって、僕が隠しているのは。

誰にも知られてはいけない、彼女への恋心だったから。

「……さくらさん、それは……」

彼女が一歩、近づいてくる。

「どうして、私に言えないんですか?」

「…………」

そして、さくらさんは静かに告げた。

「あなたの本当の気持ちを、聞かせてください」

――そこで、僕は目を覚ました。

「……っ!」

暗い部屋。

静かな夜。

僕は布団の中で、しばらく天井を見つめていた。

今度の夢は、さっきまでの夢とは違っていた。

さくらさんに嫌われる夢ではない。

さくらさんに、秘密を尋ねられる夢だった。

「……本当の気持ち、か」

僕は胸元に手を置いた。

心臓が、静かに鼓動を刻んでいる。

誰にも言えない。

まだ、言うつもりもない。

けれど、夢の中のさくらさんの言葉が、いつまでも頭から離れなかった。

(……もし、いつか本当に聞かれたら)

僕は目を閉じた。

(そのとき、僕は……ちゃんと答えられるのかな)

そして、翌朝。

出勤した僕は、さくらさんのデスクの上に置かれた一枚のメモを見つけることになる。

そこには、彼女の字で、こう書かれていた。

『今日の午後、少し二人でお話ししましょう。あなたに聞きたいことがあります。――さくら』

「…………え?」

夢と、同じような展開。

僕は思わず、メモを握りしめた。

(まさか……昨日の夢の続きが、本当に始まるのか?)

そして、ちょうどそのとき。

背後から、優しい声が聞こえた。

「おはようございます。昨日は、ちゃんと眠れましたか?」

振り返ると、さくらさんが微笑んでいた。

けれど、その目はいつもより少しだけ真剣だった。

「……今日は、あなたと大切なお話がしたいんです」

僕の胸が、ドクンと鳴った。

――悪夢の続きは、まだ終わっていない。