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昼休み、眠っているさくらさんと小さな寝言

教育係のさくらには恋心を知られてはいけない。 — www.pixiv.net · All chapters

昼休み、眠っているさくらさんと小さな寝言

昼休みのチャイムが鳴った。

午前中の仕事を終えた僕は、書類を整理してから、いつものように席を立とうとした。

「ふぅ……午前中も、なんとか終わったな」

最近の僕は、以前よりも仕事ができるようになってきた。

失敗して落ち込んだ日もあった。さくらさんに助けてもらった日もあった。それでも、少しずつ自分で考え、行動できるようになっている。

その成長を実感できるのは、やっぱり嬉しかった。

……ただし。

僕には、どうしても慣れないことがひとつだけある。

「……さくらさん」

つい、彼女のデスクを見てしまうことだ。

教育係だった頃から、ずっと僕を支えてくれた人。

今では上司となった彼女は、仕事中こそ頼もしいけれど、ときどき見せる柔らかな笑顔がとてもかわいい。

そして僕は、そんなさくらさんに初めて会った日から恋をしている。

もちろん、そのことは絶対に知られてはいけない。

「……よし。昼ご飯でも買いに行こう」

そう呟いて、さくらさんのデスクに目を向けた。

すると――。

「……あれ?」

さくらさんが、机に伏せるようにして眠っていた。

いつもなら昼休みになっても書類を確認していたり、午後の会議の準備をしていたりする人だ。

そんな彼女が、珍しく眠っている。

「さくらさん……寝てるんだ」

僕は思わず足を止めた。

机の上には、整理された書類と閉じられたノート。それから、飲みかけのお茶が置いてある。

どうやら午前中、かなり頑張っていたらしい。

「……いつも忙しそうだもんな」

声をかけようか迷った。

でも、気持ちよさそうに眠っている彼女を見ていると、起こすのが申し訳なくなった。

そのときだった。

「……ん……」

さくらさんが、小さく身じろぎした。

僕はびくっと肩を震わせる。

「さ、さくらさん?」

もちろん、返事はない。

彼女は眠ったまま、唇をほんの少し動かした。

「……もう少しだけ……」

「……え?」

思わず聞き返してしまった。

けれど、さくらさんは目を覚まさない。

「……大丈夫、ですから……ちゃんと……できますから……」

その寝言を聞いた瞬間、僕は胸の奥がきゅっとなった。

(……夢の中でも仕事をしてるのかな)

さくらさんは、いつも責任感が強い。

誰かが困っていれば助けるし、自分が忙しくても周囲を気遣ってくれる。

僕が仕事で失敗して落ち込んでいたときだって、彼女は決して見放さなかった。

だからこそ、今くらいはゆっくり休んでほしかった。

「……本当に、頑張り屋さんだな」

僕は小さく笑った。

そのとき。

「……ふふ……」

さくらさんの口元が、ほんの少しだけ緩んだ。

そして――。

「……よく、できました……」

「…………っ!?」

僕は思わず口元を押さえた。

(い、今の……!)

普段、仕事を教えてくれるときのさくらさんは、落ち着いた優しい声をしている。

けれど、眠っている彼女の声は、いつもより柔らかくて。

まるで、誰かを褒めてあげているような声だった。

「……さくらさん……」

胸が、ドクンと鳴った。

(だめだ。寝言を聞いただけなのに、なんでこんなにドキドキするんだ……!)

僕は慌てて周囲を見回した。

幸い、近くの社員たちは昼食を買いに行ったり、休憩室へ移動したりしている。

誰にも見られていない。

……いや、そもそも僕は何を慌てているんだ。

寝言を聞いただけじゃないか。

そう自分に言い聞かせていると、ふと、さくらさんの肩が目に入った。

空調の風が少し当たっている。

「……ちょっと寒そうだな」

僕は自分の椅子の背もたれに掛けてあった、清潔な薄手のブランケットを手に取った。

以前、冷房が強い日に備えて置いておいたものだ。

さくらさんを起こさないよう、そっと近づく。

(起こさない、起こさない……)

足音を立てないようにして、ブランケットを広げる。

そして、彼女の肩から背中にかけて、ふんわりと布をかけた。

「……これで、少しはいいかな」

端が書類に触れないように整える。

最後に、顔にかかっていないことを確認した。

「……よし」

これで安心だ。

僕は満足して、自分のデスクへ戻ろうとした。

その瞬間――。

「……ん……」

「!?」

またしても、さくらさんが寝言を言った。

「……ありがとう……ございます……」

僕は、その場で固まった。

(えっ……今、ありがとうって……?)

もちろん、僕に向けた言葉なのかはわからない。

夢の中で誰かにお礼を言っているだけかもしれない。

それなのに。

「…………」

顔が熱くなっていく。

(いやいやいや! 寝言だから! 夢の中の話だから!)

心の中で必死に言い訳をする。

すると、さくらさんはブランケットを少しだけ手元に引き寄せた。

まるで、その温かさを確かめるように。

そして、また静かな寝息を立て始めた。

「…………かわいい」

ぽろりと、声が漏れた。

「……っ!?」

自分で自分の口を塞ぐ。

(な、何を言ってるんだ、僕は!)

幸い、さくらさんは眠ったままだった。

僕は真っ赤になった顔を片手で覆いながら、自分の席へ戻った。

昼休みの後半

僕はコンビニで買ってきた昼食を、デスクで静かに食べていた。

けれど、さっきの出来事が頭から離れない。

「……もう少しだけ……」

「……よく、できました……」

「……ありがとう……ございます……」

(なんで全部、覚えてるんだよ……!)

おにぎりをひと口食べて、深呼吸する。

(落ち着け。僕は仕事をしに来ている。さくらさんの寝言を思い出してニヤニヤするために会社に来たわけじゃない)

そう考えていたところで、視界の端に動きがあった。

「……ん……」

さくらさんが、ゆっくり顔を上げたのだ。

「……あれ?」

ぼんやりとした表情で周囲を見回している。

そして、自分の肩に掛かっているブランケットに気づいた。

「……これ……?」

さくらさんは、ブランケットをそっとつまんだ。

「私、いつの間に……」

首を傾げている。

僕はおにぎりを持ったまま、ぴたりと動きを止めた。

(まずい。起きた!)

さくらさんの視線が、ゆっくりこちらへ向く。

「……あ」

目が合った。

「お疲れさまです、さくらさん!」

僕は必要以上に元気よく挨拶してしまった。

「……お疲れさまです」

さくらさんは、まだ少し眠そうな声で微笑んだ。

「ごめんなさい。少しだけ眠ってしまったみたいです」

「い、いえ! 午前中、忙しそうでしたから!」

「そうですね……。ちょっと集中しすぎたみたいです」

さくらさんは小さく笑う。

それから、肩のブランケットを見つめた。

「ところで……これ、あなたのものですか?」

「は、はい!」

「もしかして、掛けてくれたんですか?」

「そ、それは……!」

心臓が、ドクンドクンと激しく鳴り始めた。

(どうする!? 正直に言うしかないよな!?)

「……少し、寒そうだったので。勝手に掛けてしまって、すみません」

僕がそう言うと、さくらさんは一瞬、目を丸くした。

それから。

「……ふふっ」

柔らかく笑った。

「謝らなくても大丈夫ですよ。ありがとうございます」

「…………っ」

まただ。

その笑顔。

その優しい声。

僕が何度も心の中で思い出してしまう、さくらさんの笑顔。

「い、いえ! 全然、大したことじゃないですから!」

僕は慌てて昼食へ視線を落とした。

「そうですか?」

「はい!」

「……ふふ。あなたは、相変わらず優しいですね」

「…………」

(やめてください、さくらさん……!)

(そんなことを言われたら、もっと好きになってしまうじゃないですか……!)

もちろん、口には出せない。

絶対に。

さくらさんはブランケットを丁寧に畳み、僕のデスクまで持ってきた。

「これ、ありがとうございました。午後も使うなら、ここに置いておきますね」

「ありがとうございます……」

「それと」

「は、はい?」

さくらさんは、少しだけ首を傾げた。

「私、眠っている間に何か変なことを言っていませんでしたか?」

「………………」

時が止まった。

(き、来たぁぁぁぁぁっ!?)

さっきの寝言が、頭の中で一斉に再生される。

『もう少しだけ……』

『よく、できました……』

『ありがとう……ございます……』

(言えるわけない! そんなの言えるわけない!)

「い、いえ! 特には!」

「本当ですか?」

「ほ、本当です!」

さくらさんは僕の顔をじっと見た。

「……なんだか、少し顔が赤いですよ?」

「き、気のせいです!」

「そうですか?」

「はい!」

さくらさんは不思議そうにしながらも、やがてくすっと笑った。

「ふふっ。では、そういうことにしておきますね」

そう言って、自分のデスクへ戻っていく。

その背中を見送った僕は、机に突っ伏しそうになるのを必死にこらえた。

(危なかった……!)

(もう少しで、寝言のことを全部話してしまうところだった……!)

午後の仕事、そして小さな秘密

午後の仕事が始まると、さくらさんはいつもどおり、頼もしい上司に戻っていた。

資料を確認し、社員たちに指示を出し、必要なところでは丁寧に説明する。

僕が質問をすると、以前と変わらない優しい口調で答えてくれた。

「ここは、先ほどの資料と照らし合わせるとわかりやすいですよ」

「なるほど……! ありがとうございます!」

「はい。いい調子ですね」

その言葉に、僕は嬉しくなった。

でも、ふとした瞬間に、昼休みのことを思い出してしまう。

眠っていたさくらさん。

小さな寝言。

ブランケットを掛けたときの、静かな横顔。

そして、目を覚ましたあとの柔らかな笑顔。

(……今日のさくらさん、かわいかったな)

そう心の中で呟いた、そのときだった。

「……何か考えごとですか?」

「うわっ!?」

目の前に、さくらさんが立っていた。

「さ、さくらさん!?」

「先ほどから、少し嬉しそうな顔をしていたので」

「そ、そうですか!?」

「ええ。何かいいことでもあったのかな、と思いまして」

僕は慌てて首を横に振った。

「いえ! なんでもないです!」

「……ふふっ。そうですか」

さくらさんは、それ以上追及しなかった。

ただ、最後にひとこと。

「午後も無理をしないでくださいね。私も、少し休憩を取るようにしますから」

そう言って、優しく微笑んだ。

「……はい!」

僕も笑顔で返事をした。

さくらさんが離れていく。

僕は胸に手を当て、深く息を吐いた。

ドクン。

ドクン。

まだ、心臓が落ち着かない。

(……よし)

(今日も、恋心はバレていない)

それに、ひとつだけ、誰にも話さない秘密ができた。

昼休みに眠っていたさくらさんに、そっとブランケットを掛けたこと。

そして、彼女の小さな寝言を聞いたこと。

それは、僕だけが知っている、ささやかな思い出。

(……また疲れていたら、今度もそっと気遣ってあげよう)

そんなことを考えながら、僕は午後の仕事に取りかかった。

もちろん、さくらさんへの恋心は胸の奥にしまったまま。

――ところが。

自分のデスクへ戻ったさくらさんは、畳んだブランケットをそっと見つめていた。

「……優しいですね、本当に」

小さく呟いて、微笑む。

それから、誰にも聞こえない声で付け加えた。

「……ありがとう」

その言葉が僕に届くことはなかった。

僕はただ、いつもどおり仕事を続けていた。

教育係のさくらさんには、恋心を知られてはいけない。

けれど今日、ほんの少しだけ。

僕とさくらさんの距離は、近づいた気がした。

そして僕は、まだ知らない。

さくらさんが、ブランケットを掛けてくれた僕の優しさを、午後になってもずっと覚えていたことを――。