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新しい会社、上司になったさくらさん

教育係のさくらには恋心を知られてはいけない。 — www.pixiv.net · All chapters

新しい会社、上司になったさくらさん

第1話 再会は突然に

新しい会社が設立されてから、数日が経った。

あなたは新会社の立ち上げメンバーとして、慣れない環境の中で仕事を覚えていた。

以前の会社とは違い、オフィスは広く、設備も新しい。社員たちも新しい挑戦に胸を膨らませている。

もちろん、あなたもその一人だった。

……ただし、一つだけ気がかりなことがあった。

それは、教育係だったさくらさんと離れてしまったこと。

仕事で困ったとき、いつも的確な助言をくれた人。

失敗して落ち込んでいるとき、厳しくも優しい言葉で励ましてくれた人。

そして、あなたが初めて会った日から、ずっと心を奪われている人。

(さくらさん……今頃、どうしているんだろう)

そんなことを考えながら、あなたは新しいデスクでパソコンを起動した。

「よし……今日も頑張ろう」

恋心を胸の奥にしまい込み、仕事に集中しようとした、そのときだった。

「皆さん、少しよろしいでしょうか?」

オフィスの入口から、聞き覚えのある声が響いた。

あなたは何気なく顔を上げた。

そして――。

「……え?」

思わず、声が漏れた。

そこに立っていたのは、紛れもなく、さくらさんだった。

いつもの整った身だしなみ。落ち着いた表情。手には資料の入ったファイル。

以前と何も変わらない姿だった。

「本日から、この部署の責任者を務めることになりました、さくらです。皆さん、よろしくお願いします」

丁寧に頭を下げるさくらさん。

周囲の社員たちが拍手を送る。

あなたも慌てて拍手をした。

けれど、心の中はそれどころではなかった。

(さ、さくらさんが……上司!?)

(どうして!? 新しい会社に来たはずなのに!?)

(しかも、これから毎日、顔を合わせるってこと!?)

胸がドクンッと大きく鳴った。

まさか、こんな形で再会するなんて思ってもいなかった。

さくらさんは社員たちを見渡し、仕事の進め方や今後の目標について説明していく。

その説明は明快で、無駄がなく、聞いているだけで安心感があった。

あなたが教育係だった頃に教わったことも、随所に生かされている。

(やっぱり、さくらさんはすごいな……)

思わず見とれてしまう。

しかし、その瞬間。

さくらさんと目が合った。

「……あら?」

彼女の表情が、ほんの少しだけ変わる。

「あなたも、こちらに配属されていたんですね」

「は、はい! 本日もよろしくお願いします!」

あなたは勢いよく立ち上がった。

声が少し裏返った。

周囲の社員が不思議そうにこちらを見る。

さくらさんは一瞬きょとんとしたあと、くすっと笑った。

「ふふっ。そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ。以前と同じように、分からないことがあれば相談してくださいね」

「は、はい……!」

(無理です! 以前と同じようになんて無理です!)

(だって、さくらさんが上司になっちゃったんですよ!?)

心の中では大騒ぎだった。

けれど、あなたは必死に平静を装った。

教育係のさくらさんには、恋心を知られてはいけない。

それが、あなた自身に課した絶対のルールだった。

第2話 上司としてのさくらさん

午前十時。

あなたはさくらさんのデスクに呼ばれた。

「少し、今後の担当業務についてお話ししましょうか」

「はい!」

さくらさんの向かいに座る。

距離は、ほんの数メートル。

それなのに、以前よりもずっと緊張する。

「今回の新会社では、これまで以上に自主性が求められます。あなたには、まず業務管理と企画補助を担当してもらいたいと思っています」

「業務管理と企画補助……ですか?」

「ええ。以前の仕事ぶりを見ていて、あなたには周囲をよく観察する力があると思ったんです」

「僕に、そんな力が……?」

「ありますよ」

さくらさんは迷いなく答えた。

「あなたは、困っている人を見つけると、自然に声をかけられるでしょう?」

あなたは目を丸くした。

以前、体験に来た人が困っていたときも。

同僚が仕事で悩んでいたときも。

書類の山に困っているさくらさんを見かけたときも。

あなたは、できることを探して行動してきた。

自分では、当たり前のことだと思っていた。

「仕事では、そういう小さな気づきが大切なんです。だから、あなたには期待しています」

「……ありがとうございます」

胸の奥が温かくなった。

好きな人に褒められる。

それだけで、こんなにも嬉しいものなのか。

しかし、あなたはすぐに視線を資料へ戻した。

(落ち着け……!)

(これは上司としての評価だ。変な意味なんてない)

(嬉しいからって、顔に出すな……!)

さくらさんが少し首をかしげた。

「……どうかしましたか?」

「い、いえ! 何でもありません!」

「そうですか?」

さくらさんは不思議そうにしながらも、話を続けた。

「困ったことがあれば、遠慮せずに相談してください。あなたが一人で抱え込んでしまうのは、以前から少し心配していたので」

その言葉に、あなたは顔を上げた。

「……覚えていたんですか?」

「もちろんです。教育係でしたから」

さくらさんは微笑んだ。

「あなたが成長していく姿を、ずっと見ていましたよ」

――ドクンッ。

心臓が大きく跳ねた。

(ずっと……見ていてくれた?)

たった一言。

それだけなのに、胸がいっぱいになる。

あなたは慌てて資料を持ち直した。

「ありがとうございます! 期待に応えられるよう、頑張ります!」

「はい。期待していますね」

さくらさんは優しくうなずいた。

あなたは頭を下げて、急いでデスクへ戻った。

そして椅子に座るなり、両手で顔を覆った。

(……危なかった)

(今のは本当に危なかった……!)

もし、あのまま見つめられていたら。

もし、嬉しい気持ちが顔に出ていたら。

自分の恋心を見抜かれていたかもしれない。

「……仕事、仕事」

あなたは小さくつぶやき、パソコンの画面に向き直った。

第3話 初めての業務報告

午後。

あなたは任された業務の確認を進めていた。

新しい会社では、まだ手順が整っていない部分も多い。

部署ごとの連携方法も、資料の管理方法も、これから決めていかなければならない。

あなたは関係者に確認を取りながら、必要な情報をまとめていった。

そして、あることに気づいた。

「……あれ?」

共有されている資料の数字と、別部署から送られてきた報告書の数字が一致していない。

小さな違いだった。

しかし、そのまま進めれば、後の会議で問題になるかもしれない。

(念のため、確認しておこう)

あなたは担当者に連絡を取り、資料の作成経緯を調べた。

すると、古いデータが一部残っていたことが分かった。

あなたは関係者に確認したうえで資料を修正し、変更箇所を分かりやすく整理した。

さらに、同じミスが起こらないよう、確認用のチェックリストも作成した。

気づけば、時計は午後四時を回っていた。

「……よし。これで大丈夫かな」

あなたは資料を持って、さくらさんのデスクへ向かった。

「さくらさん、今、お時間よろしいでしょうか?」

「はい。どうしましたか?」

あなたは、問題の内容と対応について説明した。

さくらさんは資料を一枚ずつ確認していく。

その表情は真剣だった。

(説明、分かりにくくなかったかな……)

(勝手に進めすぎたと思われていないかな……)

不安になりかけた、そのとき。

「……よく気づきましたね」

さくらさんが顔を上げた。

「この段階で確認できたのは、とても大きいです。修正するだけではなく、再発防止まで考えたんですね」

「はい。同じことが起きたら、ほかの人にも迷惑がかかると思ったので……」

「素晴らしいと思います」

さくらさんは、資料を机に置いた。

「ありがとうございます。あなたに任せてよかったです」

「…………っ」

言葉が出なかった。

顔が熱くなる。

胸の音が、ドクンドクンと響く。

(任せてよかった……?)

(さくらさんが、僕に……?)

嬉しい。

ただ、嬉しかった。

仕事を認めてもらえたことも。

信頼してもらえたことも。

何より、大好きな人に、自分の努力を見てもらえたことが。

「……ありがとうございます」

あなたは、何とかそれだけ答えた。

さくらさんは穏やかに微笑んだ。

「これからも、よろしくお願いしますね」

「はい!」

あなたは深く頭を下げた。

そしてデスクへ戻る途中、心の中で何度も自分に言い聞かせた。

(これは仕事の話だ)

(上司と部下の会話だ)

(決して、特別な意味があるわけじゃない)

……そう思わなければ、顔が緩んでしまいそうだった。

第4話 残業中の二人

午後六時半。

オフィスには、まだ何人かの社員が残っていた。

あなたも明日の会議に向けて資料を整理していた。

すると、ふと気づく。

さくらさんのデスクにも、書類が積み上がっていた。

電話対応をしながら、別部署からの報告を確認し、会議の準備まで進めている。

新会社の責任者という立場は、想像以上に忙しいらしい。

(さくらさん……大変そうだな)

あなたは少し考えた。

自分の仕事は、予定よりも順調に進んでいる。

ならば、何か手伝えることがあるかもしれない。

あなたは席を立ち、さくらさんに声をかけた。

「さくらさん。何か、お手伝いできることはありませんか?」

「えっ?」

彼女は顔を上げた。

「あなたの仕事は、もう終わったんですか?」

「はい。明日の会議資料も、ひととおり確認できました」

「そうですか……。では、この報告書の分類をお願いしてもいいですか? ただし、無理はしないでくださいね」

「もちろんです!」

あなたは報告書を受け取り、自分のデスクで整理を始めた。

一つずつ内容を確認し、必要な資料をまとめ、優先順位をつけていく。

しばらくすると、さくらさんがあなたの隣に立った。

「……手際がよくなりましたね」

「そ、そうですか?」

「ええ。以前は、分からないことがあると、すぐに自分だけで何とかしようとしていたでしょう?」

「……そんなこともありましたね」

「今は、必要な確認をしながら進められています。成長しましたね」

さくらさんは、少し嬉しそうだった。

あなたは照れくさくなり、頬をかいた。

「さくらさんが、いろいろ教えてくださったおかげです」

「ふふっ。私は、きっかけを作っただけですよ。成長したのは、あなた自身です」

その言葉を聞いた瞬間、あなたは彼女を見つめてしまった。

優しい声。

穏やかな表情。

仕事に真剣で、周りの人をよく見ているところ。

やっぱり、自分はこの人が好きなのだ。

初めて会ったときから。

何度も助けてもらったときも。

離れて働くことになったときも。

そして、再び同じ職場になった今も。

気持ちは少しも変わっていなかった。

「……どうしました?」

さくらさんが不思議そうに尋ねる。

「い、いえ! 何でもありません!」

あなたは慌てて書類に視線を戻した。

「そうですか? 何かあったら言ってくださいね」

「はい!」

さくらさんは自分のデスクへ戻っていった。

あなたは小さく息を吐いた。

(危なかった……)

(本当に、いつかバレるんじゃないか……?)

しかし、心の中にはもう一つの気持ちがあった。

(……明日も、さくらさんと一緒に仕事ができるんだ)

それが、たまらなく嬉しかった。

第5話 「あなたがいてくれて助かりました」

午後七時。

ようやく、さくらさんの仕事も一段落した。

「お疲れさまでした。おかげで、予定より早く終わりました」

「いえ、僕は少し手伝っただけですから」

「その少しが、大切なんですよ」

さくらさんは、丁寧に書類をファイルへしまった。

「新しい会社は、まだ決まっていないことも多いです。これから忙しくなると思います」

「はい」

「だからこそ、みんなで協力していきましょう。あなたにも、頼りにしていますから」

「……はい。頑張ります」

あなたは、まっすぐに答えた。

さくらさんは満足そうにうなずくと、ふと窓の外へ視線を向けた。

夜の街に、明かりが灯っている。

「……でも、少し安心しました」

「安心、ですか?」

「ええ。新しい会社で、あなたとまた一緒に働けると分かって」

あなたの動きが止まった。

「……え?」

「以前、あなたがこちらの立ち上げに参加すると聞いたとき、どんな仕事ぶりを見せてくれるのか、楽しみにしていたんです」

さくらさんは、いつもの穏やかな声で続けた。

「今日一日、一緒に仕事をしてみて、安心しました。あなたは、ちゃんと前に進んでいるんですね」

その言葉は、あなたの胸に深く響いた。

(さくらさんも……僕との再会を、楽しみにしてくれていたんだ)

もちろん、それは仕事仲間としての話だろう。

上司として、以前の部下の成長を喜んでいるだけなのかもしれない。

それでも。

その言葉をもらえただけで、明日からも頑張れる気がした。

「……ありがとうございます。僕も、さくらさんとまた一緒に働けて嬉しいです」

言ってから、あなたはハッとした。

(あっ……!)

(今の、ちょっと素直すぎたんじゃないか!?)

さくらさんが、こちらを見つめている。

「……そう言ってもらえると、私も嬉しいです」

彼女は微笑んだ。

その笑顔を見て、あなたの胸がまた大きく鳴った。

ドクンッ。

ドクンッ。

(……だめだ)

(この人の笑顔、やっぱり好きだ)

けれど、あなたはその気持ちを口にしなかった。

ただ、いつものように頭を下げた。

「明日もよろしくお願いします、さくらさん」

「はい。こちらこそ、よろしくお願いしますね」

二人でオフィスを出る。

エレベーターの中では、仕事の話を少しだけ交わした。

そして、一階に到着すると、さくらさんはあなたに向かって手を振った。

「それでは、また明日」

「はい! お疲れさまでした!」

彼女の背中が遠ざかっていく。

あなたは、その場で少しだけ立ち止まった。

(……また明日)

以前は、教育係と新人という関係だった。

今は、上司と部下。

立場は変わった。

環境も変わった。

けれど、あなたの気持ちだけは、変わらない。

教育係のさくらさんには恋心を知られてはいけない。

それでも――。

(明日も、さくらさんの役に立てたらいいな)

そう思いながら、あなたは夜の街へ歩き出した。

まだ、このときのあなたは知らなかった。

新しい会社での仕事が軌道に乗るにつれて、さくらさんがあなたを頼る機会も、二人きりで話す時間も、少しずつ増えていくことを。

そして、いつか。

さくらさん自身も、あなたのことを以前とは違う目で見るようになるかもしれないことを。

もちろん、あなたはそんな未来など想像もしていなかった。

ただ一つ、確かなことがある。

明日もまた、あなたは彼女の前で平静を装うのだ。

――大好きな上司に、恋心を知られないために。