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昼休み、眠ってしまった僕と、そっと見守るさくらさん

教育係のさくらには恋心を知られてはいけない。 — www.pixiv.net · All chapters

昼休み、眠ってしまった僕と、そっと見守るさくらさん

1. 午前中の頑張り

午前十一時四十分。

「……よし。これで、午前中の仕事はひとまず終わりかな」

僕はパソコンの画面を確認して、小さく息を吐いた。

ここ最近、仕事が少しずつ楽しくなってきた。

最初の頃は、書類の作り方も、電話の受け答えも、何もかも分からなかった。失敗しては落ち込み、教育係のさくらさんに助けてもらう毎日だった。

でも、今は違う。

会議で自分の意見を提案できたし、さくらさんに少しだけ本音を話すこともできた。仕事のチェックリストも、順調に進んでいる。

もちろん、まだまだ覚えることは多い。

それでも、少しずつ前に進めている気がした。

「お疲れさまです」

背後から、聞き慣れた声がした。

振り返ると、さくらさんが書類を持って立っていた。

「あっ、さくらさん! お疲れさまです!」

「午前中の作業、確認しましたよ。きちんと整理できていますね」

「ほ、本当ですか?」

「はい。以前より、確認漏れも減りました」

さくらさんは、いつもの落ち着いた笑顔を浮かべた。

その笑顔を見た瞬間。

ドクンッ。

僕の心臓が、大きく跳ねた。

(や、やっぱり……さくらさんに褒められると、すごく嬉しい……!)

初めて会った日から、ずっとそうだった。

さくらさんは仕事に真剣で、困っている人には優しくて、失敗した僕にも何度だって丁寧に教えてくれる。

そんな彼女に、僕は恋をしてしまった。

だけど。

(だ、駄目だ! さくらさんは僕の教育係なんだ! 恋心を知られたら、絶対に気まずくなってしまう!)

僕は慌てて顔を引き締めた。

「ありがとうございます! これからも頑張ります!」

「ふふっ。無理はしすぎないでくださいね」

「は、はい!」

さくらさんは微笑んで、自分の席へ戻っていった。

その背中を見送りながら、僕は胸を押さえた。

(……心臓に悪いよ、さくらさん)

午前中だけで、もう何度目だろう。

彼女の笑顔を見るたびに、僕の心臓は忙しくなってしまうのだった。

2. 待ちに待った昼休み

正午。

昼休みを知らせる時計の音を聞いた僕は、ようやく椅子の背もたれに体を預けた。

「つ、疲れた……」

今日はいつも以上に集中していた。

午前中の仕事を終わらせるために、書類の確認を何度も繰り返した。ミスをしないように気をつけて、分からないところはメモを見返して。

気がつけば、肩も首も少し重い。

「お昼ご飯、食べなきゃ……」

鞄からお弁当を取り出し、ゆっくりと食べ始める。

食事を終える頃には、窓から差し込む昼の光が、なんだかとても心地よく感じられた。

周りの社員たちは、楽しそうに雑談している。

僕も誰かと話そうかな。

そう思ったものの、今はどうにも体が重かった。

(少しだけ……休んでもいいよね)

デスクの上を片づけ、午後の仕事に備えて資料をそろえる。

それから、僕は腕を組んで、その上に額を乗せた。

ほんの五分だけ。

午後からまた頑張るために、少しだけ目を閉じよう。

そう考えたのだ。

けれど。

目を閉じた瞬間、体の奥にたまっていた疲れが、一気に押し寄せてきた。

(ああ……なんだか、すごく眠い……)

午前中の緊張が解けたせいだろうか。

まぶたが、どんどん重くなる。

(五分だけ……本当に、五分だけだから……)

僕はそんな言い訳を心の中で繰り返しながら、静かに眠りに落ちていった。

規則正しい寝息が、小さく聞こえ始める。

昼休みのオフィス。

僕は、すっかり眠ってしまったのだった。

3. さくらさんが気づいた

「……あれ?」

少し離れた席で昼食を終えたさくらさんは、ふと僕の方を見た。

いつもなら、昼休みでも午後の仕事の準備をしている僕が、今日は机に突っ伏している。

しかも、ぴくりとも動かない。

「……もしかして」

さくらさんは静かに立ち上がり、僕のデスクまでやってきた。

「もしもし?」

小さな声で呼びかける。

返事はない。

「……眠っているんですね」

僕は完全に夢の中だった。

午前中に頑張りすぎたせいで、声をかけられていることにも気づいていない。

さくらさんは、僕の机の上に置かれた資料を見た。

そこには、丁寧な字で書かれた確認事項が並んでいる。

一つ一つにチェックがついていて、最後には小さな文字でこう書かれていた。

『午後も頑張る!』

さくらさんは、その文字を見て、思わず微笑んだ。

「……頑張り屋さんですね」

以前の僕なら、失敗を恐れて何度も手を止めていた。

自信がなくて、質問することすらためらってしまうこともあった。

それでも最近は、自分から提案をしてくれるようになった。

少しずつではあるけれど、確実に成長している。

「ただ……頑張りすぎるところは、少し心配です」

さくらさんは小さくつぶやいた。

そして、僕の肩が冷えないように、近くにあった薄手のブランケットをそっと掛けてくれた。

「昼休みくらい、ゆっくり休んでくださいね」

もちろん、眠っている僕には聞こえない。

さくらさんは起こさないように気をつけながら、静かに自分の席へ戻ろうとした。

そのときだった。

「……さくら、さん……」

僕が寝言をつぶやいた。

「えっ?」

さくらさんの足が止まる。

僕は机に顔を伏せたまま、もう一度、小さく口を動かした。

「……ありがとうございます……」

どうやら、夢の中でも誰かにお礼を言っているらしい。

さくらさんは目を丸くしたあと、ふっと優しい笑みを浮かべた。

「……こちらこそ、いつも頑張ってくれてありがとうございます」

そして、今度こそ静かに自分の席へ戻っていった。

僕が自分の恋心を隠すために、普段どれだけ必死になっているのか。

さくらさんは、まだ知らない。

4. 夢の中でも、さくらさん

僕は夢を見ていた。

夢の中の僕は、なぜか会社の廊下に立っていた。

目の前には、いつものように優しい笑顔を浮かべるさくらさんがいる。

「今日も頑張りましたね」

「さ、さくらさん……!」

「でも、疲れたときは休んでもいいんですよ?」

そう言って、さくらさんは微笑んだ。

僕は、その言葉を聞いて、胸の奥がじんわり温かくなるのを感じた。

(……優しいなあ)

夢の中なのに、心臓がドクンドクンと鳴っている気がする。

(こんなことを言われたら……もっと好きになっちゃうよ……)

僕は夢の中でさえ、彼女への気持ちをどうにか隠そうとしていた。

けれど、さくらさんはそんな僕を見て、くすっと笑った。

「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ」

「えっ!? い、いや、その……!」

「ふふっ」

その笑顔が、あまりにも優しくて。

僕は何も言えなくなってしまった。

――そこで、夢は途切れた。

「……ん」

僕はゆっくりと目を開けた。

5. 目が覚めたら、ブランケットがあった

「……あれ?」

最初に目に入ったのは、見慣れた自分のデスクだった。

窓の外は明るく、オフィスには午後の準備を始める社員たちの声が聞こえている。

僕はゆっくりと顔を上げた。

「……えっ?」

時計を見る。

午後十二時五十分。

「うわっ!? もうこんな時間!?」

思わず声が出た。

五分だけのつもりだったのに、いつの間にか四十分以上も眠っていたらしい。

「や、やばい! 寝すぎた!」

慌てて姿勢を正した、そのとき。

肩に何かが掛かっていることに気づいた。

柔らかいブランケットだった。

「……これ、誰が?」

僕は周囲を見回した。

すると、少し離れた席から、さくらさんがこちらを見ていた。

目が合う。

「おはようございます」

「さ、さくらさん!?」

「ふふっ。よく眠れましたか?」

その瞬間、僕の頭の中が真っ白になった。

(ま、まさか……!)

(さくらさん、僕が寝ているところを見ていたの!?)

(しかも、このブランケットって……!)

顔が一気に熱くなる。

「あ、あの! これは、その……!」

「午前中、ずいぶん集中していましたからね。疲れていたんでしょう?」

「は、はい……。すみません、昼休みに寝てしまって……」

「謝らなくても大丈夫ですよ。昼休みなんですから」

さくらさんは穏やかに答えた。

「ただ、疲れがたまっているなら、普段からちゃんと休んでくださいね。午後に体調を崩したら大変ですから」

「……はい」

叱られると思っていた。

寝てしまったことを注意されるかもしれないと、少し不安だった。

でも、さくらさんは責めるどころか、僕の体調を気遣ってくれた。

(……やっぱり、優しい)

胸の奥が、じんわりと温かくなる。

そして同時に。

ドクンッ、ドクンッ。

心臓が、また忙しく鳴り始めた。

(だ、駄目だ! こんなに優しくされたら、顔に出ちゃう!)

僕は慌ててブランケットをたたみながら、できるだけ普通の声を出した。

「ありがとうございます! あの、ブランケットも……!」

「どういたしまして」

さくらさんは微笑んだ。

「午後も一緒に頑張りましょうね」

「は、はいっ!」

返事が、少し大きくなってしまった。

近くの社員がこちらを振り返る。

僕は慌てて口を閉じた。

さくらさんは、そんな僕を見て楽しそうに笑っていた。

(うう……!)

(お願いだから、そんなに優しく笑わないでください……!)

(僕の恋心が、ばれちゃうから……!)

もちろん、そんなことを口に出せるはずもなかった。

6. 午後の仕事と、思いがけない一言

午後一時。

僕は気持ちを切り替えて、仕事を再開した。

ブランケットをきちんと返し、パソコンを起動する。

眠ったおかげで、頭はずいぶんすっきりしていた。

(よし! 午後も頑張ろう!)

そう思って資料を開いたところで、さくらさんが隣にやってきた。

「午後のチェックリスト、確認していきましょうか」

「はい!」

二人で項目を確認していく。

以前なら、さくらさんに隣に立たれるだけで緊張して、何度も同じ場所を読み返していた。

けれど今は、少しずつ落ち着いて仕事ができるようになっていた。

「ここは、午前中に確認した内容ですね」

「はい。数字も照合しました」

「よくできています」

「ありがとうございます!」

さくらさんはチェックリストに印をつけた。

順調だった。

失敗もなく、一つずつ仕事が進んでいく。

そして、最後の項目を確認したとき。

「これで、今日の予定はほぼ完了ですね」

「やった……!」

僕は思わず小さくガッツポーズをした。

さくらさんがくすっと笑う。

「嬉しそうですね」

「だ、だって! 今日はいつもより順調だったので!」

「そうですね。最近、本当に成長していますよ」

まただ。

また、そんなに嬉しいことを言ってくれる。

僕は慌てて視線を資料に落とした。

「そ、そんなことないです! まだまだです!」

「謙遜しなくてもいいんですよ。できるようになったことは、ちゃんと自分で認めてくださいね」

「……はい」

その言葉に、僕は少しだけ素直になれた。

「……実は、今日、朝からずっと気を張っていたんです」

「そうだったんですね」

「失敗したくなくて。さくらさんに、ちゃんと成長したって思ってほしくて……」

言い終わった瞬間、僕は固まった。

(……えっ?)

(今、僕……何を言った!?)

さくらさんの前で、また本音を話してしまった。

慌てて付け加える。

「あっ、いや! もちろん、仕事を覚えることが大事だと思っていて! その、教育係としての期待に応えたいというか……!」

さくらさんは、少し驚いた顔をしていた。

けれど、すぐに優しくうなずいた。

「そう思ってくれていたんですね。ありがとうございます」

「……はい」

「でも、私に認めてもらうことだけを考えなくても大丈夫ですよ」

さくらさんは、僕の目を見て言った。

「あなた自身が、昨日より少しでもできることが増えた。それだけでも、十分に立派なことです」

僕は、しばらく言葉を失った。

その言葉が、胸に深く染み込んでいく。

失敗したくない。

褒められたい。

もっと成長したい。

そんな気持ちばかりが先走っていた僕に、さくらさんは大切なことを教えてくれた。

「……ありがとうございます、さくらさん」

今度は、照れ隠しではなく、心からのお礼だった。

「どういたしまして」

さくらさんは笑った。

僕はその笑顔を見ながら、心の中でそっとつぶやいた。

(……やっぱり、好きだなあ)

だけど、その気持ちは胸の奥にしまっておく。

今はまだ、教育係と新人社員。

僕は仕事を覚えながら、少しずつ成長していこう。

そう決めたのだった。

7. 退勤前、さくらさんからの忠告

夕方。

その日の仕事を終えた僕は、チェックリストを確認していた。

残っている項目は、ずいぶん少なくなっている。

「……今日も、よく頑張った」

自分にそう言い聞かせていると、さくらさんがやってきた。

「お疲れさまです。今日の進捗、見せてもらえますか?」

「はい!」

チェックリストを渡す。

さくらさんは一通り確認し、満足そうにうなずいた。

「順調ですね。明日もこの調子で進めましょう」

「はい!」

「それと……」

「はい?」

さくらさんは、少しだけいたずらっぽい笑顔を浮かべた。

「明日は、昼休みに寝るなら、せめてアラームをかけておいた方がいいかもしれませんね」

「――っ!?」

僕はその場で固まった。

「きょ、今日のこと、やっぱり見ていたんですか!?」

「ええ。気持ちよさそうに眠っていましたよ」

「うわああ……!」

顔が熱い。

恥ずかしい。

まさか、あの姿をさくらさんに見られていたなんて!

「す、すみません! 僕、全然気づかなくて……!」

「だから、謝らなくていいんですって」

さくらさんは笑った。

「ただ、無理はしないこと。これは教育係からのお願いです」

「……はい」

僕は観念してうなずいた。

そして、さくらさんが自分の席へ戻ろうとしたとき。

「あの、さくらさん!」

「はい?」

「ブランケット、本当にありがとうございました。おかげで、午後も頑張れました」

さくらさんは一瞬だけ目を丸くした。

それから、いつもの優しい笑顔を浮かべた。

「どういたしまして。明日も頑張りましょうね」

「はい!」

彼女が離れていく。

僕はその背中を見送りながら、そっと胸に手を当てた。

ドクン。

ドクン。

今日も、心臓は元気に鳴っていた。

(……昼休みに眠っていただけなのに)

(こんなに嬉しいことがあるなんて、思わなかった)

さくらさんは、僕の恋心を知らない。

ブランケットを掛けてくれたのも、仕事を褒めてくれたのも、きっと教育係としての優しさなのだろう。

それでも。

あの温かさを、僕はきっと忘れない。

「……明日も頑張ろう」

僕は小さくつぶやき、帰り支度を始めた。

教育係のさくらさんには、恋心を知られてはいけない。

だけど――。

彼女の優しさに触れるたび、僕の恋心は、昨日よりほんの少しだけ大きくなっていくのだった。

第8章・おしまい