「恋人たちが結ばれるレストランと、聞こえていた心の声」
「恋人たちが結ばれるレストランと、聞こえていた心の声」
夕方。
今日の仕事を終えたあなたは、隣を歩くさくらさんと一緒に帰り道を歩いていた。
「今日も一日、お疲れさまでした。今日は私が予約しておいたレストランに行きましょう」
「えっ、レストランですか?」
「はい。以前から気になっていたお店がありまして。あなたと一緒に行けたらと思って、予約しておいたんです」
にこっ。
さくらさんは、いつもどおり優しく微笑んだ。
(……待って。さくらさんと二人きりでレストラン?)
(いや、落ち着け。これは食事だ。食事をするだけ。僕は専務で、さくらさんは僕のサポートをしてくれている。つまり、これは仕事仲間との食事……!)
(……そうだ。そういうことにしておこう)
あなたは心の中で自分に言い聞かせながら、さくらさんの隣を歩いた。
ところが。
レストランに近づいた瞬間、あなたは入り口に飾られた看板を見て、思わず足を止めそうになった。
そこには、こんな言い伝えが書かれていた。
『このレストランを訪れた、想い合う二人は結ばれる』
(……えっ?)
(ここって、あの有名な……!)
(確か、恋仲の男女が一緒に来ると、必ず結ばれるって噂のレストランじゃないか!?)
(なんで!? なんでさくらさん、ここを予約したの!?)
(いやいやいや! まさか、さくらさんに好きな人がいて、その人と来る予定だったとか……?)
(……いや、僕と来ているんだけど!?)
あなたの頭の中で、緊急会議が始まった。
議題はただ一つ。
『これは偶然なのか。それとも、何か意味があるのか』
もちろん、結論は出ない。
なぜなら、あなた自身が一番、答えを知るのを怖がっていたからだ。
「どうかなさいましたか?」
「い、いえ! 何でもありません!」
「そうですか?」
さくらさんは少し首をかしげると、あなたの顔をじっと見つめた。
そして、そっと微笑んだ。
「では、入りましょう?」
「は、はい……!」
あなたは覚悟を決めて、店内へと入った。
第一話 隣に座るさくらさん
店内は、落ち着いた照明に包まれていた。
窓際の席には小さな花が飾られ、テーブルの上には二人分の食器がきれいに並んでいる。
案内された席に座ると、あなたはメニューを開いた。
(落ち着け……落ち着くんだ……)
(ここはただのレストラン。恋人たちが結ばれるなんて、単なる言い伝えだ)
(そもそも、僕とさくらさんは恋人じゃない)
(……恋人じゃないんだよな)
そこまで考えて、あなたはメニューを持つ手を止めた。
(……あれ? なんで今、ちょっと寂しくなったんだ?)
「あなた?」
「はいっ!?」
「お料理、決まりましたか?」
「ま、まだです! ええと……このおすすめセットにします!」
「ふふっ。ずいぶん慌てていますね」
「そ、そんなことはありません!」
さくらさんは楽しそうに笑った。
「私は、あなたと同じものにしようかしら」
(やめてください!!)
(そんな自然におそろいにしないでください!!)
(心臓がもたないんですけど!?)
あなたは必死に平静を装いながら、水を一口飲んだ。
そのときだった。
「そういえば……」
さくらさんが、何気ない口調で話し始めた。
「このレストランには、面白い言い伝えがあるそうですね」
「…………え?」
「想い合っている二人が訪れると、結ばれるとか」
「ゴホッ! ゴホッ!!」
あなたは危うく水を吹き出しかけた。
「だ、大丈夫ですか!?」
さくらさんが慌ててナプキンを差し出してくれる。
「だ、大丈夫です……!」
(なんで知ってるんですか!?)
(いや、そりゃ有名な話だから知っていてもおかしくないけど!)
(まさか……僕がさっき心の中で思ったことまで……!?)
あなたは恐る恐る、さくらさんの顔を見た。
さくらさんはナプキンを手渡しながら、ほんの少しだけ目を細めた。
「……あなたも、そう思っていたんですね?」
「…………え?」
「ここに来ると、恋仲の男女は結ばれるって」
「…………」
「先ほど、心の中でおっしゃっていましたよね?」
時間が止まった。
あなたの脳内で、緊急会議が解散した。
代わりに、非常事態宣言が発令された。
(聞こえてたああああああああ!?)
(僕の心の声、聞こえてたの!?)
(待って、どこから!? どこまで!?)
(まさか、さっきの『さくらさんと二人きりでレストラン!?』から全部!?)
「……あ、あの、さくらさん?」
「はい?」
「今のは、その……」
「はい」
「……何でもありません」
「ふふっ。そうですか」
さくらさんは、優しく微笑んだ。
しかし、その頬はほんのり赤くなっていた。
第二話 さくらさんの本音
料理が運ばれてきても、あなたはなかなか落ち着かなかった。
一方のさくらさんは、いつもどおり穏やかに食事を楽しんでいる。
ただし、ときどきあなたをちらりと見ては、嬉しそうに微笑んでいた。
(……気になる)
(絶対に気になる)
(さくらさん、どうしてここを予約したんだろう)
(まさか、本当に何か意味が……?)
あなたがそんなことを考えていると。
「……実はですね」
さくらさんが、フォークを置いた。
「このお店を予約した理由なのですが」
「は、はい……」
「以前、同僚の方から聞いたんです。このレストランは、恋人たちの間で有名なのだと」
(やっぱり知ってたんだ!?)
「それで、少し気になりまして」
「……気になった?」
「はい」
さくらさんは、グラスに視線を落とした。
「もし……もしもですよ?」
「は、はい」
「好きな人と一緒に来たら、どんな気持ちになるのかなって」
あなたの手が止まった。
(……好きな人?)
(さくらさんの、好きな人……?)
胸の奥が、ドクンと鳴る。
さくらさんは少しだけ恥ずかしそうに笑った。
「それで……あなたをお誘いしたんです」
「…………え?」
「あなたとなら、きっと楽しいだろうと思いまして」
「…………」
(待って)
(今、何て言った?)
(僕となら楽しい?)
(それって、どういう……)
あなたは顔が熱くなるのを感じた。
けれど、ここで聞き返す勇気はなかった。
なぜなら。
(いやいやいや! 期待するな、僕!)
(さくらさんは優しい人だ! きっと、そういう意味じゃない!)
(……でも、もしも……)
「……あなた?」
「は、はい!」
さくらさんが、そっとこちらを見つめた。
「お顔が赤いですよ?」
「料理が! 料理が温かいので!」
「ふふっ。スープもありますけれど?」
「そ、それも温かいので!」
「まあ……」
さくらさんは口元に手を当てて笑った。
「あなたって、本当に面白い方ですね」
(もう帰りたい……!)
(いや、帰りたくない……!)
(さくらさんと一緒にいたい……!)
(僕は一体、どうすればいいんだ……!)
第三話 聞こえていた、もう一つの言葉
食事を終える頃には、あなたも少しだけ落ち着いていた。
二人で会話をしながら、楽しい時間を過ごせた。
仕事の話もした。最近あった社員たちの面白い出来事も話した。
さくらさんは何度も笑ってくれた。
それだけで、あなたは十分に幸せだった。
そして、会計を済ませて店の外へ出たとき。
夜風が、そっと二人の頬を撫でた。
「今日はありがとうございました。とても楽しかったです」
さくらさんが微笑む。
「こちらこそ、ありがとうございました」
あなたは少しだけ迷ったあと、心の中で呟いた。
(……また、さくらさんと来たいな)
(今度は、もっと落ち着いて……)
(できれば、いつか……本当に恋人として……)
そこまで考えた瞬間。
「……私もです」
「…………え?」
あなたは振り返った。
さくらさんは、夜の街灯の下で、恥ずかしそうに微笑んでいた。
「また、あなたと来たいです」
「……あ、ありがとうございます」
「それから……」
さくらさんは少しだけ視線をそらした。
「先ほど、もう一つ聞こえてしまいました」
「…………」
(えっ)
(まさか)
「いつか、本当に恋人として……と」
「………………」
あなたの思考が、完全に停止した。
(終わった)
(僕の恋心、完全に知られた)
(教育係のさくらさんには恋心を知られてはいけない、って決めていたのに……!)
あなたが両手で顔を覆おうとすると、さくらさんがくすっと笑った。
「……隠さなくても、大丈夫ですよ」
「……え?」
「あなたの気持ちを聞いて、嫌だなんて思っていませんから」
その言葉は、とても優しかった。
そして、さくらさん自身も頬を赤くしていた。
「むしろ……」
「むしろ?」
「……嬉しかったです」
ドクン。
あなたの心臓が、大きく鳴った。
「さ、さくらさん……それは……」
「ごめんなさい。今すぐ、何かお返事をしなければいけないということではありません」
さくらさんは、いつもの丁寧な口調で続けた。
「ただ、私もあなたと過ごす時間が好きなんです。今日も、あなたをお誘いできて嬉しかったです」
「…………」
「ですから、これからも……一緒にお食事をしたり、お話ししたりできたら嬉しいです」
あなたは、ゆっくりと顔を上げた。
さくらさんは、いつもと同じ優しい笑顔だった。
けれど、ほんの少しだけ違う。
その笑顔には、あなたと同じように、何かを大切に思っている人の照れくささがあった。
「……はい。僕も、さくらさんと一緒にいたいです」
思わず口にしてしまった。
今度は、心の中ではなく。
自分の声で。
「……ふふっ」
さくらさんは嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます」
そして、二人は並んで帰り道を歩き始めた。
エピローグ 翌朝、専務室にて
翌朝。
あなたは専務室の椅子に座り、頭を抱えていた。
(……昨日のこと、夢じゃないよな?)
(さくらさんに恋心が知られた)
(しかも、嫌じゃないって言われた)
(さらに、嬉しかったって……)
(…………)
「……よし」
あなたは顔を上げた。
「今日も仕事を頑張ろう!」
そう言ってパソコンを起動した瞬間、ドアがノックされた。
コンコン。
「失礼いたします」
「ど、どうぞ!」
入ってきたのは、さくらさんだった。
「おはようございます。今日もよろしくお願いいたしますね」
「お、おはようございます!」
さくらさんは書類を机に置くと、ふとあなたの顔を見た。
「……あの」
「はい?」
「今日のお昼休みなのですが」
「は、はい!」
「よろしければ、また一緒にお食事をしませんか?」
「…………え?」
「昨日のお店とは違いますよ?」
さくらさんは、いたずらっぽく微笑んだ。
「今度は、普通のレストランです」
「そ、そうですか……!」
(普通のレストランなら大丈夫……!)
あなたが心の中で安堵した、その瞬間。
さくらさんが、そっと付け加えた。
「……でも、あなたと一緒なら、どこでも嬉しいですけれど」
「………………っ!?」
ドクンッ!!
あなたは椅子の背もたれに、勢いよく寄りかかった。
「だ、大丈夫ですか!?」
「だ、大丈夫です……!」
「本当に?」
「はい……!」
さくらさんは心配そうにあなたを見つめていたが、やがて小さく笑った。
「それでは、お昼に迎えに来ますね」
そう言って、彼女は専務室を出ていった。
扉が閉まる。
静寂。
あなたはゆっくりと机に突っ伏した。
「……もう、無理だ」
(恋心を知られてはいけない)
(そう決めていたのに……)
(さくらさん、最近、僕の心臓を壊しに来てないか……?)
その頃、廊下を歩くさくらさんも、書類で口元を隠しながら小さく呟いていた。
「……昨日の『恋人として』って言葉……」
頬が、ほんのり赤くなる。
「……私も、そうなれたら嬉しいです」
そして、いつもの仕事の顔に戻ると、彼女は専務室へ続く廊下を振り返った。
「……お昼、楽しみですね」
こうしてあなたは、恋心を隠すどころか、さくらさんの笑顔ひとつで一日中ドキドキすることになったのだった。
そして、あのレストランの言い伝えが本当だったのかどうかは――。
まだ、二人だけが知らない。