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初めての提案――あなたに認めてもらいたくて

教育係のさくらには恋心を知られてはいけない。 — www.pixiv.net · All chapters

初めての提案――あなたに認めてもらいたくて

1.会議の朝

朝、目覚まし時計の音で目を覚ましたあなたは、しばらく天井を見つめていた。

今日は、いつもの仕事とは少し違う。

午前十時から、部署全体の会議が予定されているのだ。

しかも、今回の会議では、各自が業務の改善案を考えてくるように言われていた。

「……改善案、か」

ベッドから起き上がりながら、あなたは小さくつぶやいた。

入社してから、いくつもの失敗を経験してきた。

書類の記入を間違えたこともある。先輩への報告が遅れてしまったこともある。休日出勤の日に失敗が続き、落ち込んでしまったこともあった。

それでも、教育係のさくらさんは、あなたを見捨てなかった。

間違えたときには、どこがいけなかったのかを一緒に確認してくれた。

落ち込んでいるときには、無理に励ますのではなく、あなたが自分で立ち直るまで静かに待ってくれた。

そして、何よりも。

あなたが少しでも成長すると、さくらさんは必ず気づいてくれた。

『前より確認が丁寧になりましたね』

『この仕事、ひとりでできるようになりましたね』

その言葉を聞くたび、あなたの胸は温かくなった。

もちろん、それは教育係としての言葉なのだろう。

さくらさんは、誰に対しても優しい人なのだから。

それでも、あなたにとっては特別だった。

「……今日こそ、ちゃんとしたところを見せたいな」

机の上に置いていたノートを開く。

そこには、昨晩、何度も書き直した提案が記されていた。

あなたが考えたのは、部署内での書類確認の方法についてだった。

現在、部署では、作成した書類を担当者が確認し、その後、先輩社員がもう一度確認するという手順になっている。

しかし、確認する項目が人によって少しずつ違っており、修正が必要になることが何度かあった。

そこであなたは、よくある間違いを一覧にまとめ、提出前に誰でも使えるチェックリストを作ることを提案しようと考えたのだ。

自分自身が何度も失敗したからこそ、気づけたことだった。

ただし、問題がひとつあった。

それは――。

「……みんなの前で、話すのか」

想像しただけで、胃のあたりがきゅっと縮まった。

上司もいる。

先輩もいる。

そして、さくらさんもいる。

彼女の前で失敗したくない。

彼女に情けない姿を見せたくない。

できることなら、さくらさんに「成長しましたね」と言ってもらいたい。

そんな気持ちが、胸の奥で膨らんでいく。

「いやいやいや……!」

あなたは慌てて頭を振った。

「違う! これは仕事! 仕事のための提案だから!」

誰もいない部屋で、自分自身に言い聞かせる。

そう。

仕事のためだ。

決して、さくらさんに褒めてもらいたいからではない。

……いや、少しくらいは、そういう気持ちもあるかもしれないけれど。

「……恋心は、絶対に知られちゃいけない」

ぽつりとこぼした言葉に、あなたは自分で顔を赤くした。

今日もまた、あなたの片思いは秘密のままだった。

2.「おはようございます」

会社に到着すると、あなたは自分の席に荷物を置いた。

ノートを取り出し、提案内容をもう一度確認する。

何度読んでも、おかしなところはない。

それでも、不安だった。

「おはようございます」

その声が聞こえた瞬間、あなたの背筋がぴんと伸びた。

さくらさんだ。

「お、おはようございます!」

振り向いたあなたは、少し大きな声で返事をした。

さくらさんは、いつものように穏やかな笑顔を浮かべていた。

「今日は会議ですね。準備はできていますか?」

「は、はい! できています!」

「ふふっ。ずいぶん気合いが入っていますね」

「そ、そうですか?」

「ええ。いつもより姿勢がいいですよ」

さくらさんがくすっと笑う。

あなたの心臓が、どくん、と大きく鳴った。

(近い! 笑顔が近い!)

もちろん、物理的な距離の話だ。

さくらさんは、あなたの机のそばに立っているだけ。

それなのに、あなたの頭の中は大騒ぎだった。

「何か発表する予定でもあるんですか?」

「えっ!?」

「いえ、ずいぶん真剣にノートを読んでいたので」

あなたの視線が、机の上のノートへ落ちた。

そこには、大きな文字で『業務改善提案』と書かれている。

隠しようがなかった。

「……実は、ひとつ考えてきたことがあって」

「そうなんですね」

さくらさんの表情が、少しだけ明るくなった。

「どんな提案ですか?」

「えっと……書類の確認方法についてです。まだ、うまく説明できるかわからないんですけど……」

そう答えると、さくらさんはすぐに否定せず、あなたの目を見てうなずいた。

「いいじゃないですか」

「……え?」

「普段の仕事の中で気づいたことを、改善につなげようとするのは大切ですから」

その言葉に、胸が熱くなった。

「ただし、無理に完璧な説明をしようとしなくても大丈夫ですよ」

さくらさんは、優しく続けた。

「あなたが何に気づいて、どうしたいと思ったのか。それを自分の言葉で話せばいいんです」

「……自分の言葉で」

「はい」

彼女が微笑む。

「私は、ちゃんと聞いていますから」

――どくんっ。

心臓が、ひときわ大きく跳ねた。

(それは反則です、さくらさん……!)

そんなことを言われたら、ますます頑張りたくなってしまう。

けれど、同時に不安も増していく。

(もし失敗したら、さくらさんにがっかりされるんじゃ……)

その考えが頭をよぎったとき、さくらさんがあなたのノートを指さした。

「それでは、会議までに一度、提案の要点を整理しておきましょうか」

「えっ、いいんですか?」

「もちろんです。教育係ですから」

にっこり。

その笑顔を見て、あなたは慌ててノートに視線を落とした。

(教育係、教育係……!)

自分に言い聞かせる。

さくらさんは教育係。

あなたは新人社員。

その関係を忘れてはいけない。

そして、何より。

この人に恋をしていることだけは、絶対に知られてはいけないのだ。

3.会議室の緊張

午前十時。

会議室には、部署の社員たちが集まっていた。

長いテーブル。

並べられた資料。

壁に掛けられた時計。

そして、次々と交わされる仕事の話。

いつもの職場とは違う雰囲気に、あなたは緊張していた。

ノートを開く。

提案の内容を確認する。

何度も深呼吸する。

それでも、指先が少し冷たかった。

(落ち着け……大丈夫。何度も練習したんだから)

向かい側には、さくらさんが座っていた。

彼女は資料を確認しながら、時折、ほかの社員の話に耳を傾けている。

その横顔を見るだけで、あなたの胸は落ち着かなくなった。

(見ちゃ駄目だ。集中、集中!)

あなたはノートに目を戻した。

会議が始まり、各担当者から報告が行われる。

売上の状況。

進行中の案件。

来週の予定。

そして、最後に議題として挙げられていたのが、業務改善についてだった。

「それでは、業務上の課題や改善案があれば、順番にお願いします」

上司の声が会議室に響く。

最初に、先輩社員が発言した。

「資料の保管場所を統一するのはどうでしょうか」

「なるほど。ほかには?」

別の社員が、報告方法について提案する。

意見が交わされ、議論が進んでいく。

あなたは、ノートの端を指で押さえた。

今だ。

今、手を挙げればいい。

そうわかっているのに、腕が動かない。

(どうしよう……)

提案自体は、きちんと考えた。

問題点も整理した。

改善した場合のメリットも書き出した。

それでも、いざ発言しようとすると、言葉が喉につかえてしまう。

(新人の自分が、こんなことを言っていいのかな)

(経験のある先輩たちから見たら、当たり前のことかもしれない)

(もし、的外れだったら……)

考えれば考えるほど、手を挙げるタイミングを失っていった。

そのとき。

ふと、視線を感じた。

顔を上げると、さくらさんがこちらを見ていた。

彼女は何も言わなかった。

ただ、静かにうなずいた。

ほんの小さな動きだった。

けれど、あなたにはわかった。

――大丈夫。

そう伝えてくれているように感じた。

朝、彼女が言ってくれた言葉がよみがえる。

『私は、ちゃんと聞いていますから』

あなたは、ゆっくりと息を吸った。

そして。

「……あの!」

思っていたよりも、大きな声が出た。

会議室にいた全員が、あなたのほうを向いた。

「はい、どうしましたか?」

上司が穏やかに尋ねる。

あなたは一瞬、言葉に詰まった。

心臓が、どくん、どくん、と音を立てている。

逃げたい。

やっぱりやめたい。

そんな気持ちが、頭の中を駆け巡る。

けれど、あなたはノートを見つめ、もう一度、顔を上げた。

「……ひとつ、提案してもよろしいでしょうか」

その瞬間、さくらさんの表情がわずかに明るくなった。

「もちろんです。話してください」

上司の返事を聞き、あなたは立ち上がった。

入社してから、初めてのことだった。

あなたが自分から会議で提案するのは。

4.初めての提案

「私が提案したいのは……書類を提出する前の、確認方法についてです」

声が震えている。

それでも、あなたは話し始めた。

「今、書類を作成した後は、担当者が確認してから先輩社員に確認していただく流れになっていますよね」

上司がうなずく。

「はい」

「そのとき、確認する項目が人によって少しずつ違うことがあると思うんです」

あなたは、ノートに書いた内容を見ながら説明を続けた。

「例えば、日付や記入漏れ、添付資料の有無など、よく間違えやすい部分を一覧にして、提出前に確認できるチェックリストを作るのはどうでしょうか」

会議室が静かになった。

あなたの手のひらには、じんわりと汗がにじんでいた。

「チェックリストがあれば、確認する項目を統一できますし、修正のために書類を戻す回数も減らせると思います」

ここまで話したところで、言葉が止まった。

(……言えた)

たったそれだけのことなのに、胸の奥がいっぱいになった。

自分の考えを、みんなの前で伝えられた。

途中で声が震えてしまったけれど、最後まで説明できた。

それだけで、少しだけ自分を誇らしく思えた。

しかし、すぐに不安が押し寄せる。

(どうだろう……)

(変な提案じゃなかったかな)

(さくらさんは、どう思ったんだろう……)

あなたは、思わず彼女のほうを見た。

さくらさんは、真剣な表情であなたの話を聞いていた。

そして、あなたと目が合うと、小さくうなずいた。

それから、上司が口を開いた。

「なるほど。実際に書類を扱う中で気づいたことなんですね」

「は、はい!」

「具体的には、どのような項目を入れるつもりですか?」

「えっと……日付、記入漏れ、数字の入力ミス、それから添付資料の確認です。ほかにも、過去に修正が多かった項目を調べて、追加したいと考えています」

「いいですね。実際の業務に沿った案になっています」

その言葉に、あなたは目を見開いた。

「……ありがとうございます!」

「ただ、確認項目を増やしすぎると、チェックリスト自体が負担になる可能性もあります。まずは必要な項目に絞って、試験的に使ってみるのがよさそうですね」

「はい! 私も、最初は項目を絞って試してみるのがいいと思います!」

思わず、勢いよく返事をしてしまった。

その場にいた先輩社員が、ふっと笑う。

「おお、いいですね。自分で作ってみますか?」

「……はい!」

返事をした瞬間、胸の奥から熱いものが込み上げてきた。

自分の提案が、受け入れられた。

完璧ではないかもしれない。

まだ、改善するべきところもあるだろう。

それでも、自分の考えが仕事に役立つ可能性がある。

それが、何よりもうれしかった。

そして。

「私も、いい提案だと思います」

聞き慣れた声がした。

さくらさんだった。

あなたは、反射的に顔を向けた。

「書類の確認で何度も修正が発生することは、私たちも課題に感じていました。今回の提案は、その問題を減らすための具体的な方法になっていると思います」

彼女は、会議の参加者たちを見渡してから、再びあなたを見た。

「特に、実際に仕事を経験して気づいたことを、改善案に結びつけた点がいいですね」

「……っ」

胸が、どくん、と鳴った。

(褒められた……)

さくらさんに。

みんなの前で。

仕事のことで、きちんと認めてもらえた。

うれしい。

うれしいのに。

顔が熱い。

心臓が落ち着かない。

視線を合わせていたら、何か余計なことまで伝わってしまいそうだった。

あなたは慌てて頭を下げた。

「ありがとうございます……!」

その声が、少しだけ裏返ってしまった。

さくらさんは不思議そうに首をかしげたが、すぐに優しく笑った。

「それでは、チェックリストの試作をお願いできますか?」

上司の言葉に、あなたははっと顔を上げる。

「はい! やらせてください!」

「では、まずは今週中に案を作って、さくらさんと一緒に確認してもらいましょう」

「承知しました!」

会議室に、次の議題へ移る声が響いた。

あなたはゆっくりと椅子に座った。

ノートを見つめる。

そこには、何度も書き直した自分の提案がある。

その文字が、さっきよりも少しだけ誇らしく見えた。

(……やった)

心の中で、そっとつぶやく。

(僕、ちゃんと提案できたんだ)

その喜びをかみしめながら、あなたはノートを閉じた。

けれど、ひとつだけ問題が残っていた。

それは、会議が終わった後。

さくらさんと二人で、チェックリストを作ることになったという事実だった。

(……二人で?)

(さくらさんと?)

(えっ、待って。二人で仕事をするの?)

あなたの胸が、再び騒がしくなった。

どくん。

どくん。

どくん。

(落ち着け! 仕事だ! これは仕事なんだ!)

あなたは机の下で、そっと拳を握りしめた。

初めての提案は成功した。けれど、あなたの恋心を隠す戦いは、まだまだ続くのだった。

5.会議の後、二人きりの時間

会議が終わると、社員たちはそれぞれの仕事へ戻っていった。

あなたも資料を片づけ、会議室を出ようとした。

「少し、いいですか?」

背後から声がした。

振り返る。

さくらさんだった。

「は、はい!」

「先ほどの提案について、もう少し詳しく聞かせてもらえますか?」

「も、もちろんです!」

声が大きくなってしまった。

さくらさんは、くすっと笑った。

「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ」

「す、すみません……」

「謝らなくていいんです。頑張って説明してくれたのは、ちゃんと伝わりましたから」

まただ。

また、そうやって優しい言葉をくれる。

あなたは、胸のあたりをぎゅっと押さえたくなった。

もちろん、そんなことはできない。

「では、私の席で確認しましょうか」

「はい……!」

二人でオフィスへ戻り、さくらさんの机のそばに並んで座った。

彼女がノートを開く。

「まず、どんな項目を入れるつもりですか?」

「そうですね……。最初は、日付、氏名、金額、記入漏れ、添付資料の五つを考えています」

「いいですね。実際に間違えやすかった項目は、ほかにもありますか?」

「……はい。僕の場合、数字を入力するときに、桁を間違えたことがあって」

言いながら、あなたは少しうつむいた。

あのときは、先輩に迷惑をかけてしまった。

自分の不注意が原因だった。

「だから、数字の確認も入れたいと思っています」

すると、さくらさんは穏やかにうなずいた。

「それは大事ですね」

「でも……」

「はい?」

「僕、間違いが多かったから、こんな提案を考えたんです。自分が失敗しなければ、必要なかったのかもしれません」

口にした途端、胸の奥が少し痛んだ。

自分の失敗が、何度も頭をよぎる。

また間違えたらどうしよう。

また迷惑をかけたらどうしよう。

そんな不安は、まだ消えていなかった。

さくらさんは、すぐには答えなかった。

少しだけ考えてから、静かに口を開いた。

「私は、そうは思いません」

「……え?」

「失敗したからこそ、気づけることもあります。もちろん、同じ間違いを繰り返さないための工夫は必要です。でも、失敗した経験そのものが無駄になるわけではありません」

彼女は、あなたのノートをそっと指さした。

「今回の提案は、あなた自身が経験したことを、部署全体の改善につなげようとしていますよね」

「……はい」

「それは、立派なことだと思います」

あなたは、言葉を失った。

立派。

自分が?

何度も失敗して、何度も落ち込んで。

それでも、ようやく前を向こうとしているだけの自分が。

「……ありがとうございます」

声が小さくなった。

さくらさんは、あなたの表情を見て、ふんわりと微笑んだ。

「それに、今日のあなたは、以前よりずっと堂々としていましたよ」

「えっ……!」

「会議で、自分から手を挙げたでしょう?」

「……見ていたんですか?」

「もちろんです。教育係ですから」

また、その言葉。

教育係。

その言葉を聞くと、うれしいような、少し切ないような、不思議な気持ちになる。

さくらさんは、あなたの成長を見てくれている。

仕事のことを、ちゃんと考えてくれている。

それだけで十分なはずなのに。

あなたは、ほんの少しだけ欲張りになってしまう。

仕事のことだけではなく。

自分自身のことも、特別に見てほしい。

そんな気持ちが、胸の奥にひっそりと存在していた。

もちろん、口にはできない。

絶対に。

「……さくらさん」

「はい?」

「僕、もっと頑張ります」

思わず、そんな言葉が出ていた。

さくらさんは目を丸くした後、優しく笑った。

「はい。期待していますね」

――どくんっ。

(あああああ……!)

あなたは心の中で叫んだ。

期待しています。

その一言だけで、今日一日を頑張れてしまいそうだった。

けれど、同時に思う。

(このままじゃ、いつか本当に好きだって伝わっちゃうんじゃ……)

顔が熱くなっていく。

あなたは慌ててノートに目を落とした。

「そ、それじゃあ、チェックリストの項目を整理します!」

「ふふっ。そうしましょうか」

さくらさんは楽しそうに笑った。

あなたの心臓は、しばらく落ち着きそうになかった。

6.昼休みの秘密

昼休み。

あなたは社員食堂の隅の席で、ひとり昼食を食べていた。

手元には、朝から何度も開いたノート。

そのページには、会議で話した内容が整理されている。

あなたは箸を置き、思わず笑みをこぼした。

「……本当に、提案できたんだな」

自分で自分に驚いていた。

以前の自分だったら、きっと手を挙げられなかった。

周りの目が気になって。

失敗するのが怖くて。

結局、何も言わずに終わっていたかもしれない。

でも、今日は違った。

勇気を出して、自分の考えを話した。

そして、上司も先輩も、きちんと耳を傾けてくれた。

もちろん、すべてが自分の思いどおりになったわけではない。

チェックリストを作る際には、項目を絞る必要がある。

実際に使ってみて、効果を確かめなければならない。

それでも、最初の一歩は踏み出せたのだ。

「……よし」

あなたは、明日からの仕事に向けて気持ちを切り替えようとした。

そのとき。

「ここにいたんですね」

「……っ!?」

聞き慣れた声に、肩が跳ねた。

振り向くと、さくらさんがトレーを持って立っていた。

「隣、いいですか?」

「ど、どうぞ!」

さくらさんが隣に座る。

あなたの頭の中は、一瞬で真っ白になった。

(えっ、隣!?)

(いや、昼休みなんだから普通だよね!?)

(落ち着け! 落ち着くんだ!)

心の中で大騒ぎしながら、あなたはお茶を飲んだ。

一方、さくらさんは何事もないように食事を始めている。

「午前中はお疲れさまでした」

「い、いえ! こちらこそ!」

「提案、よかったですよ」

「……っ!」

また褒められた。

しかも、今度は二人きりの昼休みに。

「ありがとうございます……」

「最初は緊張していたようですけど、最後まできちんと説明できていましたね」

「正直、すごく緊張していました」

「そうでしょうね」

さくらさんは、くすっと笑った。

「でも、緊張していても、伝えたいことがあるなら話してみる。今日は、それができたんですよ」

あなたは、ゆっくりとうなずいた。

「……はい」

「それは、これからの仕事でも役に立つと思います」

その言葉を聞いて、あなたは少し考えた。

もし、これからも自分の意見を伝えられるようになったら。

失敗を恐れず、必要なことを相談できるようになったら。

いつか、もっと大きな仕事も任せてもらえるかもしれない。

そして、いつか。

さくらさんに、教育係としてではなく、一人の社員として認めてもらえるかもしれない。

……いや。

それだけではない。

あなたは、ちらりと隣を見た。

さくらさんは、おいしそうにお弁当を食べていた。

その横顔を見るだけで、胸が温かくなる。

(好きだなあ……)

心の中で、そっとつぶやく。

(本当に、好きだなあ……)

けれど、あなたはすぐに視線を戻した。

この気持ちは、まだ秘密。

今は、仕事を頑張ること。

少しずつ成長すること。

そして、さくらさんの教育係としての期待に応えること。

それが、あなたにできることだった。

「……あの、さくらさん」

「はい?」

「午後から、チェックリストの案を作ってみます」

「いいですね。できたら一緒に確認しましょう」

「はい!」

あなたは、笑顔で返事をした。

さくらさんも、優しく笑ってくれた。

その瞬間、あなたは決意した。

いつか、もっと自信を持って、さくらさんの隣に立てるようになろう。

ただし。

恋心だけは、まだ知られてはいけない。

それだけは、絶対に。

7.夕方、思いがけない一言

午後の仕事は、あっという間に過ぎていった。

あなたは、会議での提案をもとに、チェックリストの試作を作成した。

項目を整理し、見やすい順番に並べる。

文字の大きさをそろえ、必要な箇所にはチェック欄を設けた。

何度も見直しながら、少しずつ形にしていく。

「……できた」

時計を見ると、定時が近づいていた。

あなたは完成した資料を保存し、さくらさんの席へ向かった。

「あの、さくらさん。チェックリストの案ができました」

「もうできたんですか?」

彼女は驚いたように顔を上げた。

「はい。まだ試作ですけど……」

「見せてもらってもいいですか?」

「もちろんです」

あなたは資料を差し出した。

さくらさんは、画面を見ながら一項目ずつ確認していく。

その間、あなたは落ち着かない気持ちで待っていた。

(どうかな……)

(直すところ、いっぱいあるかな……)

やがて、さくらさんが顔を上げた。

「見やすいですね」

「……本当ですか?」

「はい。項目も整理されていますし、初めて使う人にもわかりやすいと思います」

あなたの表情が、ぱっと明るくなった。

「ありがとうございます!」

「ただ、ここは少しだけ表現を変えたほうが、確認する人が迷わないかもしれません」

さくらさんは、いくつかの修正点を教えてくれた。

あなたは真剣にメモを取る。

褒められたからといって、そこで終わりではない。

もっとよくするために、直せるところは直したい。

そう思える自分が、少しだけうれしかった。

ひと通り確認が終わると、さくらさんは資料を閉じた。

「お疲れさまでした」

「ありがとうございました!」

「今日は、よく頑張りましたね」

その言葉に、あなたは動きを止めた。

「……え?」

「朝から会議の準備をして、自分から提案して、その後すぐに試作まで作ってくれましたよね」

さくらさんは、穏やかな声で続けた。

「今日一日で、ずいぶん成長したと思います」

あなたは、何も言えなかった。

胸がいっぱいだった。

うれしい。

ただ、うれしかった。

これまでの失敗も、落ち込んだ日々も、無駄ではなかったのかもしれない。

今日、勇気を出してよかった。

そんな気持ちが、ゆっくりと胸の中に広がっていく。

「……ありがとうございます」

やっとのことで、あなたは答えた。

「僕、もっと頑張ります」

「はい。でも、頑張りすぎないことも大切ですよ」

さくらさんは、少しだけいたずらっぽく笑った。

「以前みたいに、ひとりで悩みすぎないでくださいね」

「……覚えていたんですか?」

「もちろんです。あなたの教育係ですから」

また、その言葉。

あなたは笑いそうになりながら、胸の奥が少しだけ切なくなった。

教育係だから。

彼女が自分を気にかけてくれるのは、教育係だから。

それでも、今はそれでいい。

焦らなくてもいい。

少しずつ、自分を成長させていけばいいのだから。

「はい。困ったときは、ちゃんと相談します」

「それでよし、です」

さくらさんが微笑む。

あなたも、自然と笑顔になった。

そのときだった。

「……ところで」

さくらさんが、ふと思い出したように言った。

「今日、会議で私のほうを何度か見ていましたよね?」

「…………え?」

時間が止まった。

いや、止まったような気がした。

「えっ、あ、あの……!」

「緊張していたから、こちらを確認していたんですか?」

さくらさんは、特に深い意味もなさそうに尋ねている。

けれど、あなたにとっては大問題だった。

(見られていた!?)

(僕が、さくらさんのほうを見ていたこと!?)

(ま、まさか……恋心まで!?)

顔が、一気に熱くなった。

「そ、そうです! 緊張していたので! ええと、その……!」

言葉がうまく出てこない。

さくらさんは、少し目を丸くした後、くすくすと笑った。

「ふふっ。そうだったんですね」

「は、はい……!」

「でも、最後はちゃんと前を向いて話せていましたよ」

「……っ!」

あなたは、机の端をそっと握った。

危なかった。

本当に危なかった。

けれど、さくらさんは、それ以上追及することはなかった。

「では、今日はここまでにしましょう。お疲れさまでした」

「お、お疲れさまでした!」

さくらさんが自分の席へ戻っていく。

あなたは、その背中を見送りながら、ゆっくりと息を吐いた。

「……あぶなかった……」

小さくつぶやく。

恋心は、まだ知られていない。

たぶん。

きっと。

……そう信じたい。

8.帰り道の決意

会社を出ると、夕方の空が淡いオレンジ色に染まっていた。

あなたは駅へ向かう道を、ゆっくりと歩いていた。

今日は、いろいろなことがあった。

朝は、会議で提案することが怖かった。

みんなの前で発言するなんて、自分には無理かもしれないと思っていた。

それでも、勇気を出して手を挙げた。

そして、自分の考えを伝えられた。

上司に認めてもらえた。

先輩にも、前向きに受け止めてもらえた。

そして、何より。

さくらさんが、成長したと言ってくれた。

「……えへへ」

思わず、笑みがこぼれた。

誰も見ていないことを確認してから、あなたは口元を押さえた。

「……駄目だ。思い出すだけで、うれしくなる」

『今日は、よく頑張りましたね』

その声が、何度も頭の中でよみがえる。

『ずいぶん成長したと思います』

また、胸が温かくなる。

仕事を頑張ったことを褒めてもらえた。

それは、きっと誰にとってもうれしいことだろう。

でも、あなたにとっては、それ以上だった。

さくらさんに認めてもらいたい。

さくらさんに、もっと成長した姿を見てもらいたい。

いつか、胸を張って自分の仕事を語れるようになりたい。

そして、いつの日か。

教育係と新人という関係を越えて、一人の人間として、自分の気持ちを伝えられる日が来るのだろうか。

「……いやいやいや!」

あなたは慌てて首を振った。

「まだ早い! 全然早い!」

今だって、さくらさんの前では緊張してしまう。

褒められただけで顔が熱くなる。

目が合っただけで、心臓が大騒ぎになる。

そんな自分が、恋心を伝えるなんて。

想像しただけで、倒れてしまいそうだった。

「……まずは、仕事だ」

あなたは、空を見上げた。

「もっと頑張って、ちゃんと成長して……」

小さく息を吸う。

「それから、いつか……」

そこまで言って、あなたは口を閉じた。

まだ、その先は言葉にできなかった。

でも、心の中には、確かな思いがあった。

さくらさんのことが好きだ。

その気持ちは、簡単には消えないだろう。

けれど、今はまだ秘密にしておく。

いつか自分に自信が持てるようになるまで。

そして、自分の気持ちときちんと向き合えるようになるまで。

「……明日も、頑張ろう」

あなたは、再び歩き始めた。

明日からは、チェックリストの試験運用に向けた準備が始まる。

新しい仕事。

新しい挑戦。

そして、さくらさんと一緒に進めていく日々。

きっと、これからも失敗することはあるだろう。

落ち込むこともあるかもしれない。

それでも、今日の経験は、あなたの中に残り続ける。

勇気を出せば、自分の考えを伝えられる。

失敗した経験も、誰かの役に立つことがある。

そして、自分は少しずつ成長できる。

そう教えてくれた一日だった。

ただし。

さくらさんの前で、平静を保つことだけは、まだまだ難しそうだった。

「……恋心だけは、絶対に知られないようにしないと」

夕暮れの道で、あなたは小さくつぶやいた。

その声は、誰にも届かなかった。

けれど、あなたの胸の中では。

今日もまた、さくらさんへの思いが、静かに、そして確かに膨らんでいた。

第6章・完