「ボカロを聴きながら眠った僕と、夢の中のさくらさん」
「ボカロを聴きながら眠った僕と、夢の中のさくらさん」
昼休み。
僕は食堂で昼食を済ませると、専務室へと戻ってきた。
「ふぅ……午後も仕事か。よし、頑張ろう」
椅子に座り、パソコンを起動する。
午後の業務が始まるまで、まだ少し時間がある。
「……少しくらいなら、いいよな?」
僕はイヤホンを取り出し、好きなボカロの曲を再生した。
軽快なメロディー。心地よい歌声。
「やっぱり、ボカロはいいなぁ……」
目を閉じて、曲に聴き入る。
午前中は専務としての仕事に加え、何人もの社員の相談にも乗っていた。
思った以上に疲れていたらしい。
「……あと一曲だけ……」
そうつぶやいた僕は、椅子の背もたれに身体を預けた。
そして、そのまま眠ってしまった。
夢の中――さくらさんと二人きり
「……ん?」
目を開けると、そこは見覚えのない場所だった。
花が咲く庭園。
柔らかな日差し。
小鳥のさえずり。
そして、目の前には――。
「おはようございます。よく眠れましたか?」
さくらさんがいた。
「…………え?」
いつもの会社の制服ではなく、淡い色のワンピースを着ている。
いつも以上に柔らかな笑顔で、僕を見つめていた。
「さ、さくらさん!? な、なんでここに!?」
「ふふっ。どうしてでしょうね?」
彼女は楽しそうに笑った。
いや、待ってほしい。
ここはどこだ?
なぜさくらさんがいる?
そして、なぜ僕はベンチに座っているんだ!?
「……夢か?」
「夢だったら、私と一緒にいても困りませんか?」
「えっ!?」
さくらさんが隣に座った。
距離が近い。
近すぎる。
普段、会社で隣に座るときだってドキドキするのに、今は二人きり。
しかも、さくらさんはずっと笑顔だ。
「……あの、さくらさん?」
「はい?」
「今日、なんだか優しくないですか?」
「まあ。私はいつも優しいつもりですけれど?」
「そ、そうでしたね……」
しまった。
余計なことを言ってしまった。
すると、さくらさんは少しだけ顔を近づけた。
「それとも……私に優しくされると、困る理由でもあるんですか?」
「ありませんっ!」
即答してしまった。
「ふふっ。即答ですね」
「そ、それは……!」
言えない。
あなたが好きだからです、なんて。
夢の中でさえ、そんなことを言えるわけがない!
さくらさんは、僕の顔をじっと見つめていた。
「……お顔が赤いですよ?」
「こ、これは日差しのせいです!」
「まあ。今日はそれほど暑くありませんよ?」
「…………」
夢の中の僕、言い訳が下手すぎる。
「もう少しだけ、一緒にいませんか?」
しばらく、僕たちは庭園を歩いた。
さくらさんは花を見つけるたびに足を止め、嬉しそうに微笑む。
「このお花、かわいいですね」
「そうですね」
「こちらのお花も素敵です」
「はい」
「……あの、先ほどから私の話に相づちを打ってばかりではありませんか?」
「えっ!? い、いや、ちゃんと聞いてますよ!」
「本当ですか?」
さくらさんが、いたずらっぽく目を細める。
「では、私が先ほど何と言ったか、覚えていますか?」
「ええっと……お花が……かわいい?」
「正解です」
「よ、よかった……」
「でも、少し残念です」
「え?」
さくらさんは立ち止まった。
そして、こちらを振り返る。
「私は、お花だけではなく……あなたと一緒に歩けて嬉しい、とも思っていたんですよ?」
「…………っ!?」
心臓が跳ねた。
ドクンッ。
ドクンッ。
ドクンッ。
「そ、それは……」
「あなたは、嬉しくありませんか?」
そんな顔で聞かないでほしい。
そんな優しい声で。
そんな幸せそうな笑顔で。
「……嬉しい、です」
気づけば、素直に答えていた。
さくらさんの目が、ぱっと明るくなる。
「よかったです」
そして、彼女は僕の隣に戻ってきた。
「では、もう少しだけ、一緒にいませんか?」
「……はい」
夢だから。
これは夢だから。
そう自分に言い聞かせながら、僕は彼女と並んで歩いた。
本当は、夢じゃなくてもこうしていたい。
でも、そんなことを考えているなんて、絶対に知られてはいけない。
……たとえ、夢の中のさくらさんにさえ。
夢の終わりと、まさかの寝言
庭園のベンチに戻った僕たちは、並んで座っていた。
さくらさんは、いつになく穏やかな表情で空を見上げている。
「……こういう時間も、いいですね」
「そうですね」
「お仕事中のあなたは、いつも頑張りすぎてしまいますから」
「……え?」
「たまには、こうしてゆっくり休んでくださいね」
その言葉に、胸が温かくなった。
夢なのに。
夢の中なのに。
まるで本当に、さくらさんが僕を心配してくれているようだった。
「……ありがとうございます、さくらさん」
「どういたしまして」
彼女は微笑んだ。
そして、そっと僕の顔をのぞき込む。
「ところで……」
「はい?」
「私のこと、好きですか?」
「…………」
時が止まった。
「えっ!?」
「ふふっ。どうでしょう?」
「い、いや、その質問は……!」
「答えてくださらないんですか?」
「そ、それは……!」
僕の心臓が、これまでにないほど大きく鳴った。
ドクンッ!!
ドクンッ!!
ドクンッ!!
「さ、さくらさんのことは……!」
そこで、視界が真っ白になった。
「……さくらさん……好き……」
現実――専務室
「…………ん?」
僕はゆっくりと目を開けた。
見慣れた専務室。
パソコンの画面。
机の上の書類。
イヤホンからは、いつの間にか次のボカロ曲が流れていた。
「……あれ?」
時計を見る。
昼休みが終わるまで、あと五分。
どうやら、曲を聴いているうちに眠ってしまったらしい。
「……夢、か」
僕は額に手を当てた。
夢の中のさくらさん。
あの笑顔。
あの言葉。
そして、最後の質問。
『私のこと、好きですか?』
「…………っ!!」
思い出した瞬間、顔が熱くなった。
「な、何を夢に見てるんだ、僕はぁ……!」
机に突っ伏す。
「いや、でも……夢の中のさくらさん、すごく優しかったな……」
思わず、笑みがこぼれた。
「……もう一度、会いたいな」
ぽつりと本音が漏れる。
その直後。
コンコン。
「失礼いたします」
「!?」
聞き覚えのある声。
僕は勢いよく顔を上げた。
ドアの向こうに立っていたのは――。
さくらさんだった。
「さ、さくらさん!? ど、どうしたんですか!?」
「午後の資料をお持ちしました。それと……」
彼女は書類を机に置いた。
「ずいぶん気持ちよさそうに眠っていらっしゃいましたね?」
「…………え?」
背筋が凍った。
「ま、まさか……」
「ええ。ドアをノックする前に、少しだけ聞こえてしまいまして」
「…………」
「『さくらさん……好き……』と」
「~~~~っ!!?」
終わった。
僕の平穏な会社生活が終わった。
いや、待て。
まだだ。
まだ夢の話だと言い張れば……!
「ち、違うんです! これは、その、夢で! 夢の中で、ええと……!」
慌てて説明しようとする僕を見て、さくらさんは不思議そうに首をかしげた。
「夢、ですか?」
「は、はい!」
「そうでしたか」
彼女は、いつものように微笑んだ。
「それなら、夢の中で誰かを好きになることくらい、ありますよね」
「……そ、そうですよね!」
助かった!
どうやら、追及されずに済みそうだ!
そう思った瞬間。
さくらさんが、ほんの少しだけ顔を赤くした。
「……ちなみに」
「は、はい?」
「夢の中で、私が出てきたのなら……少しだけ、嬉しいです」
「…………」
「それでは、午後もよろしくお願いいたしますね」
彼女は微笑んで、専務室を出ていった。
ドアが閉まる。
静寂。
僕はゆっくりと椅子に沈み込んだ。
「…………」
そして。
「うわああああああああっ!!」
声にならない叫びを上げ、机に突っ伏した。
夢の中でも、現実でも。
さくらさんには、まったくかなわない。
……そして僕は、午後の仕事が始まるまで、しばらく顔の熱が引かなかったのだった。
――なお、その日の帰り際。
さくらさんは誰もいない廊下で、そっと頬に手を当てていた。
「……夢の中でも、私のことを考えてくださっていたのでしょうか」
小さくつぶやく。
そして、誰にも見られていないことを確認してから――。
ほんの少しだけ、嬉しそうにウインクした。
「……ふふっ。明日、少しだけ聞いてみようかしら?」
その頃、専務室で明日の仕事の準備をしていた僕は、なぜか突然くしゃみをした。
「……へっくしゅん!」
そして、何も知らないまま思った。
(……明日は絶対、昼休みに寝ないぞ)
その決意が、翌日にはあっさり崩れることになるとは、まだ知らなかった。