【アル】 純粋で不道徳な動機 〈前編〉
【アル】 純粋で不道徳な動機 〈前編〉
司祭にはハゲが多い。聖職者ならではの頑固な理性が性欲を抑制することにより、心と身体の均衡が取れなくなるからだという説がある。
ヴェルノーン国教会は「妻帯し、家族を持つこと」を許可している。
一つ目は、家庭を持つことで信徒の悩みに寄り添えるから。
二つ目は、厳格な禁欲生活は、聖職者の心身の健康に障りをもたらすからだ。聖別された者も等しく人間らしい生活を送るべき、というのが国教会独特の教義である。
ミミと結婚したというのに、俺は相変わらず宗教知識と時事に詳しいだけの一端の聖職者だ。
――将来ハゲになったら、どうしよう。最近、ミミの視線を感じる。主に…… 頭部 とうぶ に。
我が家を訪れた町の役員と玄関先で話している時も、一歩後ろに立つ彼女の眼差しを感じた。まさか俺の頭部にハゲの兆候が見えるのだろうか。
役員が帰ったので、ミミへ振り返る。
――なんだろう。俺をじっと見て……。
こちらが 蕩 とろ けるような甘い眼差しから、期待感と恥じらいの感情が伝わってくる。
――違う。ハゲを心配されているんじゃない。俺は……男としてミミに期待されているんだ!
大した刺激がなく、退屈な愛撫しか心得の無い自分が、甲斐性がなさ過ぎて情けない。学生時代は勉強に専念しすぎて、男女のことは概要しか知らなかった。
――分からない時には、本だ! 知識だ!
とりあえず図書館に行って、男女の営みに関する項目の書かれた書を見つけた。
――違う! 俺が知りたいのはこれじゃない!
図書館の蔵書は、医学的な専門誌や、長寿のコツについて記された健康読本ばかりだ。
――こうなったら、書店で 猥本 わいほん を買うしかないな。
だが司祭は 猥本 わいほん が買いにくい。近所の書店には顔が割れているので、暇を見て王都へ行くことにした。オスカルを書店の前につなぎ止め、中へ入る。意外と盛況で、親に連れられた子供のお客さんもいる。
――さあ! 目的の物を買ったら、すぐに帰るぞ。
成人向けの書架を探していると。
「あの人、リンドバーグ司祭様じゃない?」
「馬で法廷に乗り込んだっていう?」
「今日はミミ様と、ご一緒ではないのね」
「一体何の御本をお求めになるのかしら」
「司祭様だから神学書でしょう」
「俺も、司祭様と同じ本を読んでみたいな。オススメを教えてもらおう」
私服なのにあっさり身バレしてしまう世間の狭さよ。
――おお、神よ。世間に顔が割れすぎて、不道徳な本が一冊も買えません。
こんなこと神に祈ってどうするんだ。妻の上手な愛し方を、本に手ほどきして欲しいだけなのに、なんて世知辛いんだ。
新刊の神学書を一冊手に取る。
――これを買えと神は 仰 おっしゃ っているのか?
本来の目的とは違う本を手に取り、書店を出る。
「ヒヒン?」
オスカルが心配そうに俺の顔をのぞきこむ。
「聞いてくれ、オスカル。純粋な理由で、極めて不道徳な本が欲しいだけなのに、一冊も手に入らないんだ」
溜め息が一つ零れた。
「ん? あそこに見えるのは、カツラ?」
書店近くの理髪店の展示窓をのぞく。
「案外高いんだなぁ、カツラって。 眼鏡 めがね も高いしなぁ」
カツラ一つで、 猥本 わいほん が何冊買えるのだろう。そこまでして変装するのはあまりに馬鹿らしいというものだ。
「おや。リンドバーグ司祭ではありませんか?」
声をかけられたので振り返ると、そこにいたのはいつぞやお世話になった化学部の研究員だった。
「こんにちは。ご無沙汰しています、お元気でしたか」
「はい、おかげさまで。おひとりですか? 奥様は?」
「あ、今日は自分だけ、 野暮用 やぼよう で」
「何を熱心にご覧になっていたのですか」
「あ、いや、目に留まっただけです」
「ふーん、そうですか。……あっ、ちょうど良かった、これをご覧ください」
研究員は鞄から一冊の雑誌を取り出した。今し方書店に寄っていたのだろうか。おそらく店を出た俺とはすれ違いだったのだな。
「私の研究記事が、医学雑誌に載ったのです」
本人の写真が、長文の記事とともに掲載されていた。
「以前、貴方が資料をご提供くださった例の薬草ですよ。注意喚起の記事をまとめたら、大反響をいただきました」
「それは良かったですね」
「ここで会ったのも何かの縁ですし、研究所に寄っていかれませんか。渡したいものがあるんですよ」
俺は研究員のあとについて、オスカルを引いていく。辿り着いたのは、大聖堂に隣接する、煉瓦造りの小さな建物だ。オスカルを教会の繋ぎ場に留めて、中へ入る。
「おや、リンドバーグ司祭、ようこそ」
「今日は何用ですか? 毒入りの菓子の新作ですか?」
他の研究員から声をかけられる。どうやら俺はネタの宝庫とみられているらしい。
「リンドバーグ司祭、コレです。 貴方 あなた にこれを渡したかったのですよ」
研究員が俺に渡したのは、ハゲ男の絵がついた茶色い小瓶だった。
「これは?」
「育毛剤です」
――やっぱり俺に、ハゲの兆しが見えるのか!?
【つづく】