10-8 ★ ありがとう、ミミ
10-8 ★ ありがとう、ミミ
身重 みおも になった女性には、喜びと同等の苦しみもつきまとう。
本は多くのことを教えてくれるが、これほど 辛 つら いとは。
「たす……けて」
産婦人科の寝台で、真っ青の彼女は全身をブルブル 震 ふる わせる。
「すぐに 看護師 かんごし さんを呼んでくるよ」
俺は夜勤の看護師さんを病室へ呼んだ。
看護師さんはミミに体調について質問を 重 かさ ねると、
「ん~、まだね。本当の 闘 たたか いはこれからですよ、ミミ様」
「こ……ここ、これ……から?」
ガタガタと 慄 おのの くミミに、看護師さんは「ええ」と笑顔で返した。
出産予定日が近くなり、ギョーム陛下のすすめでこの病院でお世話になり始めて三日目。 陣痛 じんつう らしきものが度々押し寄せてはいるが、 熟練 じゅくれん の 看護師 かんごし さんと 医師 いし 曰 いわ く「こんなものじゃない」という。
――女性って大変なんだな……。
男の俺には 計 はか り知れない伴侶の痛みを共有しようとしても、 側 そば で見ていることしかできない。
「あ……あの、お下品なことを 訊 たず ねても?」
看護師さんは「なんでしょう?」とミミへ身を乗り出した。
「鼻からカボチャを出すくらい痛いというのは本当ですか?」
「えっ、俺はスイカって聞いたことあるけど。どこかで」
看護師さんは小首を 傾 かたむ けた。
「お二人は面白い 喩 たと えをなさいますね。まぁ、カボチャでもスイカでも出せるんですよ。人体って不思議ですよねー、アハハ」
アハハ、と笑える 余裕 よゆう が俺たち夫婦には無い。
「また 辛 つら くなったら呼んでください」
――な、なんてあっさりと。
おそらく慣れているのだろう。王立病院に勤める看護師の中では 最 もっと も腕が立ち、 知見 ちけん 豊 ゆた かな女性だという。
「アルは寝ていて。目に 隈 くま が出来ているわ」
「いや寝ないよ。ミミの苦しみは俺の苦しみだから 一人 ひとり にさせたくない」
ミミは「ありがとう」と言って、俺の手に触れた。
それから俺は一晩中、ミミの苦しみが 紛 まぎ れるように、他愛の無い会話を続けた。朝日がのぼる頃には 流石 さすが に両の 目蓋 まぶた が重くなり、 眠気 ねむけ が頂点に 達 たっ したが、ミミに何かあったら俺の責任だ。教会区は、後任のザックに 任 まか せたので他に心配事はない。ミミの 安産 あんざん を 昼夜 ちゅうや 祈念 きねん するだけだ。
「おはようございます!」
朝一番に病室へやってきたのは、なんと。
「チャールズ、おはよう……」
「あ、兄上。目に 隈 くま が! ミミ、顔色が悪いようだけど」
「あ……アハハ、大丈夫、まだ大丈夫みたいよ?」
「みたい、って。全く大丈夫そうに見えないけど……看護師さんを呼んでこようか?」
「いや、チャールズ。昨夜だけで三回も呼んでしまったんだ。俺が心配性なばかりに」
その度に「まだですねー」「もう少しですねー」「うーんまだかなー」と笑顔で返された。
「ご 歓談中 かんだんちゅう 、失礼します。チャールズ殿下からお花でございます」
チャールズ殿下の背後から、花籠を抱えた秘書ジーニーが入室する。個室の窓際に花籠が置かれた。
「優しい香りね。 和 なご むわ~。いつもありがとう、チャールズ」
――ここは花屋か? というくらい増えたなぁ。
チャールズがお見舞いの度に花をもってくるので、この部屋は右を見ても左を見ても鮮やかだ。毎日この病院へ通ってくれているナンシーが水を替えてくれるおかげで活き活きとしている。
「チャールズは花が好きなんだな?」
「はい、兄上。花は元気をもたらしてくれます。それにこれは 予祝 よしゅく を 兼 か ねていて」
「 予祝 よしゅく とは一体なんだ?」
弟の口から俺も知らない言葉が飛び出るとは意外だ。
「物事が起こる前に 予 あらかじ めお 祝 いわ いすると願いが叶うというおまじないです。安産で良かった、母子ともども健康で良かった、と」
チャールズは俺よりも 遥 はる かに素直で純粋だ。
「いいな、その願い方。俺もお前に 倣 なら って祈り方を変えよう」
両手を組み合わせ、朝の祈りを捧げる。赤ん坊を抱える幸せそうなミミの姿を頭に思い浮かべ「全ての恐れは 杞憂 きゆう だ」と昨夜から不安ばかりを唱える心の奥の自分へ語りかける。
コンコンッと扉が鳴らされたので「どうぞ」と声をかけた。
「おはようございます、皆様」
「奥様、体調はいかがですか?」
ナンシーとアラベラさんが病室へ顔をのぞかせた。
「二人とも、来てくれて……あり、がとう」
「奥様、真っ青ですよ!」
「ミミさん、しっかり!」
――昨夜の俺を見ているようだ……。
女性同士だから「頑張って」「大丈夫よ」と励まし合うわけでもなく、夫である俺と同じくらい心配している。つまり俺がとりわけ心配性だったわけでもないようだ。何度も看護師さんを呼びにいくから流石に「しつこい」と思われたのではないかとか、 狼少年 おおかみしょうねん の悲劇のように、本当の大事に 駆 か け付けてもらえないのではと新たな心配の種が生まれていた。
「私、看護師さんを呼んできます」
アラベラさんが病室を飛び出していく。数分もしないうちに、例の看護師さんが飛んできた。「大丈夫、まだですよ~」と笑顔で言われるのかと思いきや。
「ふむ。これはすぐに先生を呼ばないと」
――え?
ミミの調子を見た途端に、看護師さんは顔色を変えた。彼女はアラベラさんへくるりと振り向く。
「 貴女 あなた 、看護師志望だそうね? 良い勘してるわ」
看護師さんはそれだけ言うと、病室を足早に出ていき、すぐに医者を連れて戻ってきた。ミミへ 手短 てみじか に 問診 もんしん がされ、 分娩室 ぶんべんしつ の用意が始まった。
「え? 今から? え?」
俺の 語彙力 ごいりょく は遠方へ旅に出たようだ。睡眠不足で頭が回らないせいか、ドタバタと現場の雰囲気が一変するのを、風に吹かれる 案山子 かかし のように 佇 たたず んで 傍観 ぼうかん していた。
「司祭様も 分娩 ぶんべん に立ち会われますか!」
「は、ハイ」
「ダメ! それはダメ!」
ミミが汗だくで悲痛な声を上げた。
「は、鼻からカボチャを出すとこなんか……見られたくないのよ」
「鼻じゃなくて、出るのはその…… 下 した だろ?」
「だからよ! 下 した からいろいろ出るの! 兎 と にも 角 かく にも私は見られたくないの!」
「奥様」
例の担当看護師さんがそっと声をかけた。
「 分娩 ぶんべん が始まったら、隣に誰がいるかも分からなくなりますよ」
「な、なんです……って?」
「旦那様のお声がけで頑張れたという方もいるくらいです。司祭様はお立ち会いされた方が良いと思いますね、個人的に」
相変わらずスパッと物を言う看護師さんだ。ミミは黙った。俺はどうしたらいいのだろう。ひとまずは彼女の意思を尊重すべきだ。
「アル……すごい 形相 ぎょうそう になっても引かないでね」
「引くもんか」
俺はミミの両手を握る。そういうわけで俺は 分娩 ぶんべん に立ち会うこととなった。
お 産 さん の現場は 壮絶 そうぜつ なものだった。ミミの体内からどれだけの量の血液が出たのだろう。いろいろな本を読み 漁 あさ ったし、経験者の話も積極的に聞いたが、死にそうなほど苦しむ彼女を見るのは身が引きちぎられるようで 辛 つら かった。けれどこの日以上に生命の 尊 とうと さを実感した日は無い。
「おめでとうございます。女の子でございます」
予 あらかじ め 祝 いわ うように 祈 いの り続けた俺に、天から 一筋 ひとすじ の光が差して、神の 竪琴 たてごと と 笛 ふえ が 一斉 いっせい に 奏 かな でられた心地がした。
「ありがとう、ミミ。ありがとう。ああ神様、感謝します」
御姫様 おひめさま を 両腕 りょううで で抱きかかえ、泣きながらひたすらに感謝を告げた。
【つづく】
〈備考〉
分娩の立ち会いの可否については、妊婦さんによってご意見が違うので、どちらの主張も尊重する形でお話を構成しました。