第15話:発端
第15話:発端
※ 帝国暦四三三年三月――闘技場の空気は熱を帯びていた。 もっとも、それは第一試合に比べればかなりマシというレベルだ。 ロイ・アクベンスの試合と比較するとぬるま湯と熱湯ほどの差がある。 近衛騎士団団長というネームバリュー、絶対王者ギリアンを圧倒した実力、観客を魅了する技術、幾度かの試合を経て、対戦相手の実力を限界まで発揮させる試合運びをするようになった。 ロイの試合がメインイベントならば、午前中の試合は前座に過ぎない。 関心の低さを示すように客席には空席が目立つ。 試合そっちのけで話し込んでいる者までいる始末だ。 熱心に見ているのは余程のマニアか、選手のファンくらいだろう。「きゃーー! リッキー!」 突然、黄色い歓声が上がった。 闘技場に出てきたのはあどけない顔立ちの少年だ。 ブラウンの髪はやや長め、粗末な革鎧に身を包んでいる。 手にした槍はそれなりの一品のようだが、闘技場で使用する武器は刃引きを義務づけられているので、勿体ないと言えば勿体ない。 少年……リッキーがはにかむような笑みを浮かべ、遠慮がちに槍を掲げる。 すると、再び黄色い歓声が上がった。「フューリー! 色男をぶち殺せ!」 怒声が響く。 闘技場に出てきたのは巌の如き容貌の男だ。 剃っているのか、髪の毛はない。 背はリッキーと比べても低く、腰布しか身に着けていないが、鎧など必要ないと言わんばかりの見事な筋肉をしていた。 武器は手製と思われる棍だ。 二人は闘技場の中央に立って睨み合った。 試合開始を告げる鐘の音が響き渡り、フューリーが飛び出した。 リッキーは距離を詰めさせまいと槍を繰り出すが、フューリーは強引に距離を詰める。「行け! フューリー! リッキーを血祭りに上げろ! 棍棒で頭をかち割れ! 玉を蹴り上げて去勢してやれ!」「……」 クロノが無言で隣を見ると、ヴェルナが頬を紅潮させ、虚空に拳を繰り出していた。「ヴェルナ、君は何をしにきたんだっけ?」「あ? クロノ様の護衛に決まってるじゃん」 問い掛けると、ヴェルナは不機嫌そうな表情で答えた。「よっしゃ! フューリー! ボコれ、ボコれ!」 ヴェルナは貴賓室から身を乗り出して叫んだ。 護衛の任務を忘れ、完全に観戦モードに入っている。 クロノは深々と溜息を吐き、自分の席に戻った。「クロノ様、どうぞ」「ありがとう」 レイラが静かにイスを引き、クロノは礼を言いながらイスに座った。 小さなテーブルを挟んだ対面にはニコルが、右手の席にはネージュが座っている。「げへへ、エラキス侯爵様々だぜ」「……何だか、悪人になった気分」 クロノは悪党然とした笑みを浮かべるニコルを横目に見ながらげんなりした気分で呟いた。 折角、闘技場を合法化したのだから、周囲から顰蹙を買わない程度に上品な態度を心掛けて欲しい。「空席が目立つけど、調子はどうなの?」「本格的に盛り上がるのは午後からだから心配いらねぇよ」 どうやら、ニコルは空席を問題視していないようだ。 彼の手腕を信じたいが、一応、釘を刺しておくべきだろう。「前座だからって軽く考えられちゃ困るんだけど?」「大切な金の卵を雑に扱うわきゃねぇだろ。色々と試行錯誤してるんだよ」 ニコルはムッとしたように言った。「今の試合みたいに?」「同じようなヤツらが試合をしても面白くねぇからな」 クロノが尋ねると、話を聞いて欲しいのか、ニコルは身を乗り出してきた。「なあ、ロイのことをどう思う?」「どうって?」「カーッ! 何も分かってねぇな!」 ニコルはバンバンと太股を叩いた。「ロイは凄いヤツだ! 強い上に華がある! 絶対王者に相応しい男だ!」 ニコルは立ち上がると拳をブンブン振り回した。 声には熱がある。 興行主として、観客としてロイの強さを認めているのだろう。「……けどよ」 声のトーンを下げ、ドッカリとイスに腰を下ろす。「絶対王者ってのが曲者だ。そりゃあ、憧れられたり、尊敬されたり、畏怖されたりするだろうが、共感が決定的に欠けてるんだよ」「……共感」「そうだ! 共感だ!」 クロノが呟くと、ニコルは感極まったように叫び、両腕を広げた。「闘技場の観客はエリートじゃねぇ! そんな連中が生まれながらのエリートに自分の姿を重ねるか? 重ねねぇだろ? エリートが勝って楽しいか? 楽しくねぇよ! 観客は凡人がエリートに勝つ所を見てぇんだよ!」「……言いたいことは分かるけど、あんまりな台詞」 これがエンターテイメントとか、コンセプトは会いに行ける 剣闘士 ( アイドル ) とか言い出しそうだ。 と言うか、ニコルはクロノとネージュが貴族であることを忘れているんじゃないだろうか。「……デートする権利を売り出しそうですね」 ネージュがボソリと呟くと、ニコルは驚いたように目を見開いた。 ふとリッキーの槍が脳裏を過ぎる。「お、おいおい、馬鹿を言っちゃいけねぇ。俺は手間賃を貰ってメッセージを届けただけだぜ。そこから先は知らねぇよ」「身請けしたいと言い出す人も出てきそうですね」 ネージュが再び呟くと、そういう話が既に出ているのか、ニコルは目を泳がせた。「まあ、別に良いんですけどね」「脅かさないでくれよ」 ニコルはホッと息を吐いた。「もう堅気になったんだぜ。そっちの言い分を呑んで月一で税金を納めてるし、炊き出しするように言い含めて『神殿』に寄付もしてる。この帝都に俺達ほど国に貢献しているヤツなんていねぇよ」 大手の商会はニコル組より税金を納めていると思うが、これは言わぬが花だろう。「寄付金のキックバックは何割でしょう?」「何のことだ?」 ニコルは真正面からネージュの視線を受け止めた。「あまり派手にやらないで下さいよ?」「何のことだか分からねぇが、心に留めておくぜ」 ネージュの副官は少し不機嫌そうな顔をしていた。 不正を黙っている代わりに取引をしようとしていたのかも知れない。「ところで、選手を引き抜かれて興業は大丈夫なの?」「また、その話かよ」 ニコルは盛大に溜息を吐いた。「あまり良い顔はされねぇと思うが、貧乏人にとって身請けは悪い話じゃねぇんだぜ。中堅以上の選手にはそれなりの額を支払える。トップクラスともなりゃ人生を買えるくらいの額になる」 だが、とそこで言葉を句切る。「どれだけのヤツがトップ、いや、中堅クラスに辿り着けると思う? 苦労したって、結果が伴わねぇのがこの世界だ。たった一度の敗北で全てを失うこともある。だったら、体を壊す前にドロップアウトして金持ちの愛人に収まるのも悪くねぇ。悪いどころか、俺はそっちを勧めるぜ」「……なるほど」 クロノは小さく頷いた。 単なる守銭奴かと思っていたが、選手に対する愛情を持っているようだ。「弱くても上手くすりゃ金を掴めるってんで選手を集めやすくなるしな」「……台無しだ」「おいおい、俺は慈善事業をやってる訳じゃないんだぜ。利益を出さねぇと、興業を続けられねぇんだよ」 ニコルは身を乗り出して睨み付けてきたが、恐怖はあまり感じなかった。僕も図太くなったなぁ、とさえ思う。「チッ、調子が狂うぜ」 ニコルは舌打ちし、イスの背もたれに寄り掛かった。 かなり頑丈な作りなのだろう。 軋む音がしない。「ぎゃあああああああっ!」 突然、ヴェルナが叫び声を上げた。 フューリーがやられたんだろうな~、とクロノは何処か白けた気分でヴェルナを見つめた。「フューリー! 立て、立てよ! アンタ、スラムのヒーローだろ! 子ども達のために勝つんだろ! 立てぇぇぇっ!」「……どんな設定なの?」 クロノが視線を向けると、ニコルは照れ臭そうに頭を掻いた。 まるで何処かの覆面レスラーみたいだ。「ただの強面じゃつまらねぇから人情味を追加したんだ」「やらせは良くないのでは?」「いや、誤解するな。フューリーがスラム出身なのは嘘じゃねぇし、寄付をしてるのも嘘じゃねぇんだ。俺はちょっと部下を使って噂を広めただけだ」 ちょっと、とニコルは親指と人差し指の間に空間を作った。「本当に少しだけ?」「あ、あー、話もちょっと盛った」「嘘じゃん!」「人聞きの悪いことを言うんじゃねぇ!」 クロノが叫ぶと、ニコルは叫び返してきた。「これは、その、アレだ……演出ってヤツだ。もしくはファンタジー?」 最後の部分は囁くような声音だった。 禿頭の大男にそんなことをされると気持ち悪い。「嘘はバレるよ」「よっしゃーーーっ! 立った! フューリー、アンタは男の中の男だ! 行けぇぇぇぇっ! ここから逆転だ!」 ヴェルナは叫びながら拳を振り回す。「ヴェルナさんは妙に純朴な所がありますよね」「……純朴」 クロノはネージュを横目に見ながら呟いた。 路地裏でぶっ倒れている人間から財布を盗もうとする娘を純朴と評して良いものか。「純朴さにつけ込んじゃダメですよ?」「バレなきゃ良いんだよ、バレなきゃ」 ニコルの台詞が演出に対するものなのか、ネージュの言葉を受けてのものなのか、判断に迷う所だ。「とは言え、合法化しても真剣勝負が売りだからな。八百長だけは絶対にしねぇよ」「はあ、そうですか」 クロノは力なく答えた。 何と言うか、噂を広めたとか、話を盛ったとか、どうでも良くなってきた。「よっしゃーーーっ! フューリーの勝ちだ! フューリーに賭けて良かったぜ!」「……このアマ」 クロノは拳を握り締めた。 妙に感情移入していると思ったら、護衛任務そっちのけで賭け事に興じていやがった。「……もう少し訓練期間を延ちょ」「基礎は叩き込みました。ヴェルナさんを宜しくお願いします」「宜しくお願い致します」 ネージュと副官はクロノの言葉を遮り、深々と頭を垂れた。「いや~、儲けた儲けた!」 ヴェルナは満面の笑みを浮かべて近づいてきた。「予定がねぇんなら一緒に飯でもどうだ?」「申し訳ありません。この後、クロノ様は新兵を見送りに行かれる予定です」 レイラは淡々とした口調でニコルの申し出を断った。「すみません。彼女達には本当に何もしてやれなかったんで、せめて、見送りだけでもしっかりしてやりたくて」「ああ、それじゃ、仕方がねぇな」 ニコルは軽く肩を竦めた。「あ~、そう言えばそうだったな。すっかり忘れてたぜ」「ヴェルナも新兵でしょ」「仕方がねーじゃん! あたしはあたしで忙しかったんだから!」 クロノが突っ込むと、ヴェルナは声を荒らげた。「つーか、あたしって新兵訓練所を卒業したことになってんの?」 ヴェルナは腕を組み、首を傾げた。 ネージュの下で訓練に励んでいたのは分かるが、自分のことにもう少し関心を持って欲しい。「ご安心下さい。その件は軍務局に手配済みです」 ネージュの副官は眼鏡を押し上げた。 合法的ではない方法を使ったようだが、クロノも自分の領地にシャウラ達を配属させるために似たような方法を使っているので、指摘するべきではないだろう。「サンキュー、眼鏡の姉ちゃん! やっぱり、しっかりした人がいると違うよな!」「ね、姉ちゃん」「僕はしっかりしていないんですかね」 ネージュの副官は少しだけ嫌そうな顔をし、ネージュはしょんぼりしている。「そろそろ、行こうか」 クロノは溜息を吐いてから立ち上がった。※ 三人は荷馬車で新兵訓練所に向かった。 御者席で手綱を握るのはレイラ、その隣にクロノ、ヴェルナは……荷台で両足を投げ出すようにして座っている。 クロノは肩越しにヴェルナを見やり、小さく溜息を吐いた。 すると、ヴェルナは見られていることに気付いたらしく視線を向けてきた。「クロノ様、あたしに何か用?」「用って言うか、もう少し真面目に働きなよ」「真面目に働いてるじゃん」 ヴェルナは胡座を組み、不満そうに唇を尖らせた。「何処が?」「常に周囲を警戒してんの。つか、やることやってるんだから良いじゃん」「上官よりだらけた態度を取って良い訳ないでしょ。空気を読んで、空気を。真面目に働いてる空気を醸し出して」 新兵訓練所を途中で抜けたせいか、あるいはネージュの教育が悪かったのか、駄目な子になってしまった。 これでは一から教育しなければなるまい。「空気くらい読んでるって」「本当に?」「おいおい、クロノ様はもう忘れちまったのか。最初にセシリーがクロノ様に惚れていることに気付いたのはあたしだぜ」「お膳立てまでして頂き、その節はお世話になりました」 だろ、とヴェルナは自慢気に胸を張った。「しかしながら、それ以降の反応から察するにセシリーは僕に惚れていなかったように思います」「いや、んな訳ねーし。あいつは素直じゃねーから憎まれ口を叩いちまうんだよ。ツンデレってヤツ?」「だったら、良かったんですけどね」 クロノが優しく微笑みかけると、ヴェルナは顔を引き攣らせた。 みるみる血の気が引いていき、顔面蒼白になった。「マジ?」「マジ」 クロノは短く答えた。「ヤってると思うけど、ヤってるよな?」「色々と愉しませて頂いております」 ありがたや、ありがたや、とクロノはヴェルナを拝んだ。「クロノ様こそ空気を読めよ! 惚れてないって気付いたんなら手を出すなよ! どうして、手を出してんだよ!」 ヴェルナは四つん這いになり、バンバンと荷台を叩いた。「親征や南辺境で色々あったので、全力で追い込みました」「なんてことをしてんだよ! もう、どんな顔してセシリーと会えば良いか分からねーよ!」 ヴェルナは頭を抱えた。「笑顔で会えば良いと思う」「人でなし! アンタは悪魔か! 手を出してなければ笑い話で済んだのに何を考えてるんだよ!」「ここは逆転の発想で素直に告白するのもありじゃないかな?」「ねーよ! ホントのことを言ったら、セシリーが自殺しちまうよ!」「当事者にとっては悲劇でも、他人から見れば喜劇ってことはよくあるよね?」「他人事みたいに言ってるんじゃねーよ! アンタも当事者だろーが!」 あー! とヴェルナは頭を掻き毟りながら荷台をゴロゴロと転がった。 まあ、セシリーだって自分の立場……人質として送り込まれたことを理解しているはずなので、気に病む必要はないと思うのだが。「……クロノ様」「分かった」 クロノはレイラに呼ばれて居住まいを正し、すぐに首を傾げた。 新兵訓練所の練兵場には新兵と荷馬車が並んでいる。 ここまではおかしくはない。 自分の領地に配属される新兵を見送らせて欲しいと軍務局にお願いしていたからだ。 問題は人数だ。 クロノの領地に配属されるのはシャウラ達……十人だけだと思っていたのだが、その十倍はいる。「百人くらいいるんだけど?」「百二十人です」 レイラがすかさず訂正した。「うちは近衛騎士団扱いされてないのかな?」 クロノが士爵位を叙爵されていない点はさておき、近衛騎士団と言えば軍のトップエリートである。 人手は喉から手が出るほど欲しいが、新兵が百二十人も配属されるのはどうかなと思う。「書類の上では騎士団になっていないのではないでしょうか?」「だよね。軍服も黒だし」 部下の軍服は未だに送られてきていない。 近衛騎士団として扱われるようにきちんと手続きして欲しいものだ。「第十三近衛騎士団! クロノ団長に敬礼!」 新兵達は訓練教官の号令に従い、一糸乱れぬ動きでクロノに敬礼した。 やはり、やや崩れた敬礼である。 レイラが荷馬車を練兵場の一角で止め、クロノは颯爽と地面に降り立った。 新兵達の前に移動し、軍学校仕込みの敬礼を行う。「直れ!」 敬礼を止めて目配せすると、訓練教官は再び号令を発した。「訓練教官!」「はっ!」 クロノが呼ぶと、訓練教官は走り寄ってきた。「皆、私の領地に配属される新兵で間違いないな?」「はっ! 間違いありません!」 訓練教官は背筋を伸ばして答えた。「よくぞ、ここまで鍛えてくれた。後で個人的に礼を言いたい」「ありがたく存じます!」 訓練教官は敬礼をすると元の位置に戻った。 ちなみに礼とは新兵に声を掛ける機会を作ってくれたことに対する謝礼金である。 クロノは新兵達に向き直った。「……まずは君達が無事に訓練過程を終えたことに対して賛辞を述べておく。よく厳しい訓練を乗り切った。私は部下として君達を迎えられることを光栄に思う。君達は今日から第十三近衛騎士団の団員だ」 言葉を句切り、新兵達の様子を窺う。 皆、キラキラと目を輝かせている。「兵士となった以上、戦場で死ぬ可能性は誰にでもある。死は終わりだ。しかし、戦友や理想のために死んだ者の魂は受け継がれる。私は君達と魂の絆で結ばれることを、私達の魂が永遠であることを望む、以上だ」「第十三近衛騎士団! クロノ団長に敬礼!」 新兵達が再び訓練教官の号令に従い、一糸乱れぬ敬礼をする。「直れ! さあ、早く馬車に乗れ! クロノ団長の前で恥を掻きたくなければグズグズするな!」 緊張感が緩んだのも束の間、クロノの到着を待ったせいでスケジュールに余裕がなくなったのか、訓練教官は大声で指示を出した。「……レイラ」「はい、クロノ様」 クロノはポーチから銀貨の入った袋を二つ取り出してレイラに手渡す。「一つは訓練教官達に、もう一つは御者の人達に渡しておいて」「……はい」 クロノは練兵場に視線を移し、シャウラ達を探す。 幸い、シャウラ達はすぐに見つかった。「シャウラ!」 大声で名前を呼び、手を上げた。 すると、慌ただしく動いていた新兵達が止まった。 まるで時が凍りついたようだ。「……」 無言で手招きすると、シャウラは緊張した面持ちで駆け寄ってきた。 領地から送り出した子達も一拍置いて走り出す。 シャウラは立ち止まり、クロノを見上げた。「一回しか……ああ、いや、ちゃんと会いに来れなくてごめんね」 新兵訓練所を訪ねたのは一回きりだ。 それも新兵に対する訓示という形でしか話せなかった。 お金を渡せば融通を利かせて貰えるのだからシャウラ達と話す時間を設けるべきだったと今更のように思う。「団ちょ!、こ、侯爵様!」 どうやら、シャウラはどう呼べば良いのか決めかねているようだ。「クロノで良いよ」「はい! クロノ様!」 緊張させないように優しく語りかけると、シャウラは声を張り上げた。 その仕草が微笑ましかったので、頭を撫でる。「僕はしばらく帝都にいることになると思うけど、ミノさんの命令をしっかり聞いて、元気に過ごすんだよ」「はい!」 シャウラは目を輝かせて言った。 ふと顔を上げると、エルフの少年が期待に目を輝かせてクロノを見ていた。※ 荷馬車に乗って新兵訓練所を後にする。 時間は正午を過ぎた頃だろうか。 思いの外、時間が掛かってしまった。 エルフの少年と言葉を交わした所、新兵達が並び始めたのだ。 追い返すのも可哀想だと声を掛けたり、頭を撫でたり、抱擁したりしていたら、こんな時間になってしまった。 ふと視線を感じて振り向くと、ヴェルナが何か言いたそうな目でこちらを見ていた。「その目は何?」「……別に、新兵には優しいんだなと思っただけだよ」「棘のある言い方ですな」 どうやら、セシリーのことが気になるようだ。「やり返しただけなんだけど?」「やり方ってもんがあるだろ、やり方ってもんがさ」 ヴェルナは顔を顰めて言った。「相手の弱みに付け込むようなやり方は心に良くないものを残すぜ。貴族ってのはそういうのに拘るんじゃねーの? つか、あたしはクロノ様がそういうヤツじゃないって思ってたのによ」 何処かのスタンド使いのような台詞である。 それはさておき、どんな風にやり返しても良くないものが残るに決まっている。 一度生じた遺恨は決して消えないのだ。 少なくともクロノは絶対に忘れない。 ティリアに器が小さいと言われる所以だが、舐められるよりマシだ。「……クロノ様は」「ん?」 レイラがポツリと呟き、ヴェルナは御者席に視線を向けた。「こういう方です」「……」 ヴェルナはポカンと口を開けている。「いや、だから、やり方ってもんがさ」「半端な報復は逆効果です。やる時は肉体的なものにせよ、精神的なものにせよ、相手の想像を絶するダメージを与えなければなりません」 にべもないとはこのことか、レイラは淡々とヴェルナの反論を否定する。「あの、だからさ」「何か?」「何でもねー、いえ、何でもありません」 ヴェルナは言い返そうとしたが、レイラの迫力に負けて引き下がった。「クロノ様、この後はどうなさいますか?」「父さんの所に寄ろうかな」 例年通りなら養父とマイラは南辺境に戻っている時期なのだが、クロノが帝都にいるからか、今年は帰るのを遅らせているようなのだ。「親孝行はしておかないとね」 クロノは空を見上げた。※ 馬を厩舎に繋いで玄関に向かうと、養父とマイラが慌てふためいた様子で飛び出してきた。「わざわざ来てくれたのに| 悪 ( わり ) ぃが、俺はしばらく家を空けるぜ!」「申し訳ございませんが、只今より留守に致します!」「留守は頼んだぜ! あばよ!」「……あばよ、とっつぁん」 クロノは軽く手を上げて二人を見送った。 それにしても、何があったのだろう。「クロノ様、どうしますか?」「家を空ける訳にもいかないしね」 仕方がなく家に入ると、声が聞こえてきた。 陰鬱な女の泣き声だ。 ふとシロが何もない空間を見つめていたことを思い出す。「……声が」 はい、とレイラが静かに頷く。「ヴェルナ、先に行って」「まあ、良いけどさ」 ヴェルナは今一つ理解できていないようだ。 もしかしたら、女の泣き声が聞こえなかったのかも知れない。 首を傾げつつ先頭に立つ。「幽霊とか、幽霊とか、幽霊とか出るかも知れないけど、気を付けて」「は?」 クロノは振り返ろうとしたヴェルナの両肩を掴んだ。「振り返らずに進むよ」「振り返らせろよ! つか、幽霊って何だよ!」「幽霊とは……魂的なアレで、色々アレします」「アレばっかりで訳が分からねーよ! それ以前にあたしは幽霊の説明なんて求めてねーよ!」「ええい、とにかく進め!」 ヴェルナは激しく抵抗したが、クロノの方がやや優勢だ。 少しずつ少しずつ泣き声に近づいていく。 しかし、不意にヴェルナが動かなくなった。「へへ、あたしを舐めるなよ!」「そっちこそ、僕を舐めないでよ?」 クロノは刻印を起動、漆黒の輝跡が蛮族の戦化粧のように体を彩る。 ヴェルナが再び動き始める。「僕の熱く燃える魂は云々かんぬん」「熱気の欠片も感じられねーよ!」「口上を考えるのが面倒臭い」「クソ! 負けるかよ!」 魔力を強化したのか、火花がバチバチと散り、二人の力が拮抗する。「どうよ、あたしの力は?」「……チッ」 流石にイラッとした。 メイドだった頃、あれほど優しく接したのに勝ち誇るとは何様のつもりだろう。 やはり、ここは上下関係を教えてやらねばなるまい。「へへ、ちっとも進まねーぜ?」「……ふっ」「ぎ、ぎゃぁぁぁぁぁぁ!」 クロノが耳元に息を吹きかけると、ヴェルナは絶叫した。 集中力が切れた隙を突き、一気に廊下を進む。「こ、この!」 火花が再び散り、ヴェルナが止まる。「……ふっ」 もう一度、耳元に息を吹きかけたが、今度は身を捩っただけで進まない。「そ、そんな真似して恥ずかしくねーのかよ!」「勝てば良いんだよ、勝てば!」 クロノはヴェルナに大声で言い返した。「くっ、あたしは負けねーぞ!」「さて、何処まで耐えられるかな?」 耳元に息を吹きかけたが、ヴェルナは体を強張らせただけだ。 何度試しても体を強張らせるだけだ。「へ、へへ、ど、どうよ? どんなことをされてもあたしは負けねーぜ」「酸欠で目がチカチカする」 クロノは頭を振った。「……こうなったら、奥の手を出すしか」「奥の手?」 ヴェルナはゴクリと喉を鳴らした。「胸を揉む」「ホントに何を考えてるんだよ! ぎ、ぎゃぁぁぁぁ!」 クロノが背後から抱き締めると、ヴェルナは悲鳴を上げた。「このまま揉みしだいてくれるわ!」「や、止めろ! ぶっ飛ばすぞ!」 ヴェルナはクロノの手首を掴んで必死に抵抗した。「ふはは! 何ならパンツも脱いでみるか?」「パンツも、って何だ!」「パンツ以外も脱ぐってことに決まってるだろ!」「ぎゃぁぁぁぁ!」 不意に抵抗がなくなり、クロノとヴェルナはもつれ合うように廊下を転がった。 そして、食堂の前で止まった。 すぐ近くから泣き声が聞こえる。 恐る恐る食堂に視線を向けると、女がテーブルに突っ伏していた。 その後ろには軍服風の服を着た男が立っている。 眼鏡を掛けた男だ。 古傷が唇を縦断するように走っている。「ろ、ロバートさん?」「クロノ様、お邪魔しております」 そう言って、男……エクロン男爵領自警団の副団長ロバートは眼鏡を押し上げた。 ロバートがここにいるということはテーブルに突っ伏して泣いているのはカナンだろう。 カナンは黒を基調としたドレスを身に纏い、刺繍の施されたボレロを着ていた。 首にマフラーを巻いているが、コーディネートとしては今一つだ。 体を起こすと、柔らかいものが手の平に触れた。 二度、三度と柔らかな感触を堪能して立ち上がる。「……どうして、あたしの胸を揉んだ」「揉んでません」 視線を傾けると、ヴェルナが顔を真っ赤にしてこちらを睨んでいた。「いや、揉んだ! 絶対に揉んだ! 四度も揉んだ!」「揉んでません」「いやいや、揉んだよな? クロノ様があたしの胸を揉んだ所を見たよな?」「……私は見てません」「私もレンズが曇っておりまして」 レイラは顔を背けながら、ロバートは眼鏡を外してレンズを拭きながら言った。「……世の中に正義はないのかよ」「野良犬に噛まれたと思って諦めなよ」「張本人の言うことじゃねーぞ!」 クロノはヴェルナの肩を軽く叩き、カナンの対面の席に座った。 ムキャー! とヴェルナが足をバタバタさせているが、あえて無視する。「ところで、カナンさんはどうしたんですか?」「……それはお嬢様の名誉に関わることですので」 ロバートが気まずそうに目を伏せると、カナンがゆっくりと体を起こした。 泣き腫らした目が痛々しい。「……私の口から説明します」 カナンはポツリ、ポツリと話し始めた。 話自体は長かったが、要するに婚活が上手くいかず、養父の所に愚痴を言いにきたらしい。 婚活が上手くいかないのも無理はないかな~、と思う。 自警団の団長としてあれだけアグレッシブに活動していたのだ。 悪い噂が立たない方がおかしい。 因果応報、悪事千里を走る、人の口に戸は立てられぬ。「わざわざ帝都に来なくても誰かに相談すれば良かったんじゃ?」「相談してダメだったから帝都に来たんです」 カナンは地の底から響くような声音で言った。「どんな相手が良いんですか?」「山猿みたいな人でなければ、特に条件はないのですが……」 コホン、とカナンは咳払いした。「容姿はそれなりで構いません。年の差は十歳までなら我慢します。普段は当主である私を立て、いざという時には矢面に立ってくれるような人が好ましいです」 う~ん、とクロノは唸った。 金も権力も自由にならない上、気遣いを求められ、何かあった時には矢面に立たされる。 正直、この条件で結婚したいという男は滅多にいないのではないだろうか。「かなり妥協していると思うのですが、クロノ様はどう思いますか?」「……」 咄嗟に言葉が出てこない。 恐らく、自分の意見を言えば反論され、同意をすれば延々と愚痴に付き合わされる羽目になる。 養父とマイラはどちらも嫌だったから逃げ出したのだろう。「きっと、条件に合う人が……はっ!」 顔を上げると、ロバートが小刻みに首を振っていた。 クロノもカナンの条件に当て嵌まるのだ。 クロフォード男爵領とエクロン男爵領は隣接しているので、通い婚も不可能ではない。 むしろ、そっちの方がカナンにとって都合が良いのではないだろうか。 ここは無理にでも話題を変えるべきだ。「……そのマフラー似合ってますね」「このマフラーですか?」 カナンは物憂げな表情でマフラーを撫でる。 クロノはすぐに自分の失敗を悟った。 ロバートが苦虫を噛み潰したような顔をしていたからだ。「今日、お見合いしたケイロン伯爵から頂いたものなんです」「何ですと!」 思わずイスから立ち上がる。「クロノ様はケイロン伯爵に想い人がいることをご存じなのですね」「……ええ、まあ」 クロノは言葉を濁した。「あの、その、リオは条件に合わないと思うんですが?」「ええ、家格が釣り合わないことは承知しています」 釣り合わないどころか、玉の輿狙いも良い所だ。 何だかんだ言って、妥協するつもりがないのではないだろうか。「そのマフラーはお詫びの気持ちということでしょうか?」「はい、神聖アルゴ王国から輸入した羊毛をご自分の領地で加工したと聞きました」 ティリアかな? とクロノは内心首を傾げた。「……このまま結婚相手が決まらなければエクロン男爵家が断絶してしまいます」「それはないです」「え?」 クロノが即答すると、カナンは驚いたように目を見開いた。「ね、ねね、ね姉さんは、そ、そ、その妊娠?」「時間の問題だと思われます」 先を越されていないことに安心したのか、カナンは胸を撫で下ろした。「旦那様、宜しければ香茶を煎れますが?」「変わり身が早いですね」 ロバートは表情を和らげ、軽く肩を竦めた。 茶目っ気を感じさせる態度だが、目は真剣そのものだった。「相手がいないのなら、ロバートさんと結婚すれば良いんじゃないですか?」「ロバートと?」 カナンは振り返り、値踏みするような目でロバートを見つめた。 悪くない。 そんな気持ちが伝わってくるようだ。「申し訳ありませんが、私には婚約者がおりまして」 ロバートが眼鏡を押し上げると、レンズが拒絶の意思を示すように冷たい輝きを放った。「い、いつの間に」「私はエクロン男爵領出身ですから」 出自がしっかりしている上、『黄土にして豊穣を司る母神』の神威術士とくれば引く手あまたに違いない。「年内に式を挙げられればと考えております」「しゅ、祝福するわ」 カナンは力なく机に突っ伏した。 同類だと思っていた相手が上手く立ち回っていたと知った時のショックは計り知れない。「結婚を諦めた方が良いのでしょうか?」「どうなんでしょうか?」 クロノが問い返すと、カナンは不満そうに唇を尖らせた。 肯定的な発言や安易な慰めは慎むべきだ。 数多の戦闘によって研ぎ澄まされた勘がそう囁いている。 二人とも早く帰ってきて、と祈ったその時、レイラが口を開いた。「クロノ様、誰かが来たようです」「頼める?」「もちろんです」 レイラが食堂から出て行き、声が聞こえてきた。 ナイスタイミングだ。 上手くすればカナンに帰って貰えるかも知れない。「やあ、クロノに会いに来たよ」「……ケイロン伯爵」 おお、神よ。貴方は本当にクソッタレです。※ クロノは倒れ込むように屋敷の扉を開けた。 マントが鉛に変わったかのように重い。 脱ぎ捨てたい所だが、養父からの贈り物を粗末に扱う訳にはいかない。「……疲れた」 エントランスホールの中央で立ち止まり、深々と溜息を吐く。 養父とマイラが戻ってくるまでの数時間は地獄だった。 常識的に考えて交際を断った相手と同席するのはかなり気まずいはずだ。 恋人が一緒ならば尚更だ。 しかし、世の中には常識の枠に囚われない者もいる。 リオ・ケイロン伯爵である。 リオはクロノと恋人関係にあることを仄めかす発言を繰り返し、思わせぶりな態度を取り続けた。 誤魔化せるギリギリの線を突いてくる所がリオらしい。「クロノ様、お疲れ様です」「本当に疲れたよ」 クロノはマントを脱いで差し出すと、レイラはマントを受け取り、腕に掛けた。「誤魔化せたと思う?」「不審がられたのは間違いないと思います」「ですよね」 クロノはガックリと頭を垂れた。「あとはロバートさんのフォローに期待するしか。けど、どうして、リオはあんなことをするんだろう?」「ケイロン伯爵は恋人として扱われたいのではないでしょうか?」「扱ってますよ?」「クロノ様が考えている意味ではないと思います」 即答された。 しかも、真顔で。「人前でイチャイチャするのは世間体がね」「世間体、ですか」 レイラはわずかに眉根を寄せた。「何だかんだ言って、リオは名家出身だからさ。僕のせいで悪く言われるのは申し訳ないと言うか、できれば避けたいなと」「……クロノ様」 レイラは嬉しそうに口元を綻ばせた。 クロノは頭を掻きながら階段に向かう。 目的は二階ではなく、地下だ。「ご自分の部屋に戻られないのですか?」「その前にスノウを出してやらないと」 階段の側面にある扉を開けると、そこには地下に続く階段がある。 照明用マジックアイテムが壁に設置されているが、寿命が近いのか、その光は弱々しい。 クロノは壁に手を突き、ゆっくりと階段を下りた。 階段を下りたそこには横長の空間が広がっている。 片側の壁には扉が等間隔に並び、一番奥の扉の前には見張り役の獣人が槍を片手に立っている。「お疲れ様、扉を開けてくれるかな?」『はっ!』(がう!) 獣人はクロノに一礼すると扉の鍵を開けた。 照明用マジックアイテムがベッドの上で膝を抱えるスノウを照らしている。 こちらに気付いたのか、スノウは顔を上げた。「クロノ様、来ちゃダメ!」 部屋に入ると、スノウは顔を真っ赤にして叫んだ。「スノウ、それは上官に対する口の利き方ではありません」「だって、ここに入ってからお風呂に入ってないんだもん! そ、それにトイレも……」 レイラが静かな、それでいて妙に迫力のある声音で言うと、スノウは恥ずかしそうに顔を伏せた。 反応が気になるのか、チラチラと視線を向けてくる。「……ほぅ」 クロノが部屋の隅にある壺を見つめると、スノウは今にも泣き出しそうな表情を浮かべた。 どうやら、羞恥心を煽る方が自由や食事の制限より有効らしい。「ひ、酷いよ」「苦痛を感じてくれないと罰にならないからね」 う~、とスノウは拗ねたように唇を尖らせた。 反論してこないのは自分に課せられた罰の軽さを自覚しているからだろう。「今回の件は僕の不手際もあったし、一般人に被害が出なかったから軽い罰で済ませたんだ。そこは絶対に勘違いしないでね」「……ごめんなさい」 スノウは神妙な面持ちで頷いた。※「十二街区の犯罪発生率は減少し、新市街の犯罪発生率も減少傾向にあります。新たな財源を確保したことにより救貧院の運営や炊き出し……」「そこまでで構わんよ。あとは報告書を読むとしよう」 アルコルが言葉を遮ると、ピスケ伯爵は安堵したかのような表情を浮かべた。「では、失礼致します」「今日は家に帰って、ゆっくり休むと良い」 ピスケ伯爵は恭しく一礼すると執務室から出て行った。 一時期はどうなることかと思ったが、かなり余裕を取り戻したようだ。「……だが、いつまで続くことか」 アルコルは嘆願書を手に取った。 それは城内の警備を務める第九近衛騎士団の更迭を訴えるものだ。 ケイロン伯爵の言動を考えれば自然な成り行きのように思えるが、嘆願書に連なる名前を見ればアルフォート派の工作だと分かる。 大方、ケイロン伯爵を排除すれば城内を自由に動き回れるようになると考えているのだろう。 的外れな努力と笑い飛ばすことはできない。 アルフォート派の貴族が城内を自由に動き回るようになれば抵抗勢力は必ず勢いづく。 アルフォートは彼らの後押しで皇帝になり、アルコルは宰相を罷免され、各局の人事は刷新されるだろう。 そして、帝国は混乱に陥る。 その流れを止めることはできない。 仮に押し留めることができたとしても、いずれ押し切られる。 アルコルは溜息を吐き、背もたれに寄り掛かった。 老いたものだ。 体力も、気力も若い頃とは比べものにならないほど衰えている。 帝国に人生を捧げると誓い、そのように生きてきたが、自分に残された時間を意識すると子を成すべきだったのではないかという思いが湧き上がってくる。「……アストレア皇后の影響は削いだが」 担いだ神輿が悪すぎた。「いや、陛下の威光に頼り過ぎた儂の怠慢だな」 自嘲は苦い。 全幅の信頼を得ていたからこそ反抗勢力に煩わされることなく改革や復興を推し進められたが、その一方で多くの貴族は恩恵に与れなかったことを不満に感じたはずだ。 今の状況はアルコルが重用された反動と考えることもできる。 ならば、泥沼の権力闘争を繰り広げるべきだったのか。 それこそ有り得ない。 あの頃の帝国は内乱で疲弊しきっていたのだ。 強権を振るわなければ滅んでいた。 排除するしかあるまい、とアルコルは目を閉じた。 ティリア皇女が皇位を継げばアストレア皇后の影響力を強めることになるが、アルフォートを排除しなければ馬鹿どもに国を滅茶苦茶にされる。 問題はアルフォートを排除する方法だ。 暗殺ではダメだ。 取り巻きも排除しなければ禍根を残す。 方法は限られている。 唾棄すべき方法だが、それしか方法がないのであれば躊躇う必要はない。