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第16話:ティリアの太腕繁盛記【前編】

クロの戦記 異世界転移した僕が最強なのはベッドの上だけのようです — novelup.plus · All chapters

第16話:ティリアの太腕繁盛記【前編】

※ 帝国暦四三三年二月――ティリアは許可証に印を押し、押印済み許可証に重ねた。 執務室の机にある許可証は三種類……露店の出店許可証、娼館の営業許可証、奴隷売買の許可証だ。 有効期限は娼館の営業許可証と奴隷売買の許可証が三ヶ月、露店の出店許可証が十二ヶ月だ。 娼館と奴隷売買の審査は厳しいが、露店はグループで申請できたり、人生相談のようなふざけた露店に許可が下りたりとかなり緩い。 クロノは大きな問題が露店で起きると考えていないのだろう。 露店に関する資料の薄さがそれを証明しているように思える。「しかし、ここまで露骨だとな」 ティリアは鈍器のように分厚い娼館に関する資料を見つめて苦笑した。 分厚いだけではなく、非常に丁寧な仕事だ。 娼館と経営者だけではなく、出入りの業者の情報まで記されている。 奴隷商人の資料も同じだ。 この資料を作っているのは事務官だが、犯罪歴に関する項目から軍との連携が上手くいっていると分かる。 当然と言えば当然だ。 事務官と兵士の忠誠はクロノ個人に向けられているのだから。「三年足らずで軍閥を築くか」 軍務局は軍閥の形成を防ぐために細心の注意を払っている。 領主と大隊長の兼任を認めず、大隊が独断で動けないように最低限の軍費しか支給していない。「まあ、私のせいなんだが」 クロノに領主と大隊長を兼任させたのはティリアだ。 もちろん、最初から軍閥を築かせようと考えていた訳ではない。 正直に言えば大して期待していなかった。 軍学校の演習で手痛い敗北を喫したのは事実だが、軍学校の汚点とまで言われた男が三年足らずで軍閥を築き、四つの領地からなる経済圏を成立させるなんて想像できる訳がない。「だからこそ、私がしっかりと支えてやらねば。クロノは抜けている所があるからな」 たとえばグループでの出店許可申請だ。 クロノがこういう事態を想定した上で許可したのか非常に疑わしい。 こちらの隙を突くようなやり方に怒りを覚えなかったと言えば嘘になるが、アイディア自体は素晴らしいと思う。 露店の出店許可が下りれば一定金額を納めなければならないし、露店を建てるにも金が掛かる。 食材を売るだけならともかく、焼きソーセージなどの料理を扱う露店はレイアウトに工夫が必要だ。 倒壊や失火の危険性があれば、最悪、露店を建て直さなければならなくなる。 露店で遊ん、もとい、視察して得た情報から考えるに大金ではないが、ドブに捨てるには惜しい額だ。 だが、グループで露店を経営すれば一人当たりの負担は酒場で散財したくらいの額で済む。「……現状を維持できれば良いのだが」 難しいと言わざるを得ない。 現在、農村は開墾の真っ最中だ。 露店に回す労力がなくなってしまう可能性は否定できない。 農地が増えた方が良いに決まっているが、あの混沌とした活気が失われてしまうのは惜しい。「シフに、いや、行商人組合に声を掛けてみるか」 ベテル山脈の蛮族……いや、ベテル山脈出身の開拓者と言うべきか……が作った民芸品を露店で売るのは良いアイディアではないかと思う。 露店が賑わうだけではなく、先入観を和らげる効果も期待できる。「木の彫刻、輸入した羊毛で布を織るのも良いな」 カド伯爵領では開拓が続いている。 伐採した木は勝手に売買できないが、木片は自由に使える。「……布は厳しいか」 材料費や手間暇を考えると売れなかった時が怖い。 どうしたものか、とティリアが腕を組んだその時、扉を叩く音が響いた。「ティリア皇女、失礼致します」「……うむ」 アリッサは普段より浅めに一礼して入室する。 浅めに一礼したのは書簡を載せたトレイを持っているせいだった。「ケイロン伯爵からの書簡はあったか?」「こちらは前ハマル子爵とシェラタン子爵、メサルティム男爵、ボサイン男爵、トレイス男爵からです。現在、署名の漏れがないチェック中ですが、シェラタン子爵からは在留許可証が届いております」 そうか、とティリアは深々と溜息を吐いた。 流行を作るために断腸の思いでケイロン伯爵に手紙を送ったのは一カ月前のことだ。 ケイロン伯爵ならば流行を作って……いや、どうだろう。 むしろ、ティリアが嫌がることを率先してやりそうな気がする。「……よくよく考えてみればケイロン伯爵じゃなくても良かったな」 帝都とノウジ皇帝直轄領を繋ぐ街道を警備しているブラッド・ハマル子爵に頼んでも良かったような気がする。「ティリア皇女?」「ああ、机に置いてくれ」「かしこまりました」 アリッサは静かにトレイを机に置いた。 また、いつもと同じような内容だろうな、とメサルティム男爵の書簡を手に取る。 ティリアは書簡の封を解き、目を見開いた。 続けてボサイン男爵、トレイス男爵の書簡に目を通す。 口元が緩むのを抑えきれない。「何か良いことでもあったのですか?」「私の努力が実ったんだ」 書簡を手に取り、文面が分かるように突き出す。 すると、アリッサは申し訳なさそうに目を伏せた。 それで自分の失敗を悟った。 興奮していたからと言って、使用人に書簡を見せて良い訳がない。 得難い人材だと思う。 口数は少なく、遠慮がちな態度で諫めてくれる。「ああ、すまん。三人とも神聖アルゴ王国から輸入している羊毛に興味を持ってくれたようだ」「おめでとうございます。きっと、旦那様もお喜びになられると思います」 アリッサは手を組み、嬉しそうに微笑んだ。「待て、アリッサ。そこは私の地道な努力を誉めてからクロノも喜ぶと言うべきじゃないか?」「も、申し訳ございません!」 アリッサは慌てて頭を下げた。「いや、私の方こそ、細かくて済まないな」 ティリアは前ハマル子爵の書簡を手に取って封を解いた。 メサルティム男爵、ボサイン男爵、トレイス男爵に対する働きかけが成功した。 そう書かれているとばかり思っていたのだが、そのことには触れられていない。 心変わりは誰にでもあると思うが、三人が同時に心変わりすることなんてあるのだろうか。 次にシェラタン子爵の書簡を読む。 そこには叔父であるリードの怪我が治ったこと、彼が軍と交渉することで治安が劇的に回復したこと、通行税の撤廃と露店制度の導入によって街に活気が戻りつつあることが記されていた。 街で聞いた噂通りか、とティリアは目を細めた。 ティナは露店制度の導入によって街に活気が戻り始めていると考えているようだが、残念ながらそれは行商人組合の力によるものだ。 シェラタン子爵領にはそれほど余裕がある訳ではない。 これは領地を発展させるために惜しげもなく金と時間を投じてきた者とそうでない者の差である。「……それとなく『黄土神殿』から技術指導を受けるように伝えておくか。リードの快復祝いに千歯扱きを贈るのもありだな」 クロノは自領の農村や南辺境に千歯扱きを送っている。 できれば技術を秘匿して欲しかったのだが、それが難しいことも分かっている。 多少の試行錯誤が必要にせよ、千歯扱きは高度な技術がなくても作れるからだ。 だったら、技術提供という形で恩を売っておこうとクロノは考えたのだろう、きっと。 忘れない内に手紙を書いておくか、とティリアは引き出しを開けた。 だが、そこに紙はなかった。「うっかりしてたな。アリッサ、悪いが紙を……」 ティリアが顔を上げると、アリッサは物憂げな表情を浮かべていた。 何故だか、妙に艶っぽく感じる。 そう言えば食堂兼宿屋でアリッサを見たという話を聞いた覚えがある。 一児の母とは言え、隠れて付き合っている男がいても不思議ではない。「……旦那様」 アリッサが呟いた瞬間、ティリアは隠れて付き合っている相手がクロノだと電光石火で理解した。「……コホン」「申し訳ございません!」 ティリアが咳払いをすると、アリッサは飛び上がり、勢いよく頭を下げた。 いつから付き合っているのか問い詰めたい気持ちをグッと堪える。「私のことを奥様と呼んでも良いんだぞ?」「何故でしょうか?」 アリッサは困惑しているかのように眉根を寄せた。「私がクロノの正妻になるのは決定事項だ」「奥様と呼ぶのは結婚されてからでも良いのではないでしょうか?」「結婚しているも同然の関係なのだから、奥様と呼んでも構わないだろ?」 牽制をしたつもりだったのだが、アリッサは困惑の度合いを深める。 今一つ理解していないようだ。 いや、彼女は聡い女だ。 気付いていないフリをしているに違いない。「ところで、どのようなご用件だったのでしょうか?」「……紙を持ってきて貰おうと思っていたんだが」 ティリアは腕を組んだ。「そうだな。やはり、紙を持ってきてくれ。それと馬車の手配だ」「どちらに行かれるのですか?」「カド伯爵領だ。在留許可証の準備も頼む。視察のついでに届けてくる」「かしこまりました」 アリッサは恭しく一礼して部屋を出ていった。※ 食堂に入ると、エリル・サルドメリク子爵が席に着いていた。 一時期はポッチャリしていたが、食事制限と適度な運動によって元の肉体を取り戻した。 いや、以前より健康的な肉体になったというべきか。 しばらくすると、女将と眼帯を付けたメイドが銀のトレイを持ってやってきた。 女将はサルドメリク子爵に、眼帯を付けたメイドはティリアの隣に立ち、テーブルの上に料理を並べ始めた。 メニューはパン、白身魚のスープ、白身魚のムニエル、サラダだ。 サルドメリク子爵はパンを小さく千切って口に運んだ。 ゆっくりを咀嚼したそれを呑み込み、溜息を吐くように呟く。「……美味しい」「足りない時はちゃんと言っておくれよ?」 サルドメリク子爵はハッとしたように女将を見つめた。 嬉しかったのか、目をキラキラと輝かせている。 だが、すぐに暗く沈んだものに変わる。「それはできない」 まるで血を吐くような声音だった。「太ったら食事制限をしなければならなくなる。一人前の量で我慢した方が効率的」「食べた分だけ運動すれば良いじゃないか」「断る。今以上の運動には耐えられない」 ティリアが言うと、サルドメリク子爵は小さく首を振った。 静かな声音だったが、運動したくないという強い意志を感じた。「大丈夫なのか?」「私には鉄の意志がある」 そうか、とティリアはスプーンを手に取り、スープを口に運んだ。 味がしっかりと染みている。「私は体重を気にしたことがないな」「……」 サルドメリク子爵は無言である一点を見つめている。「どうして、私の胸を見ているんだ?」「……ティリア皇女の胸は駄乳ではなかった。母性の代わりに運動で消費しきれなかったエネルギーが詰まっている」「だ、誰が駄乳だ!」 ティリアは勢いよく立ち上がって叫んだ。「ったく、大きな声を出すんじゃないよ。子どもの言ったことじゃないか」「だから、大きな声を出しただけで済ませたんだ! 大人だったら、ぶん殴っている所だ!」 ドッカリとイスに腰を下ろし、食事を再開する。「味付けを間違っちまったかね?」「いつも通りだ」「……女将の料理は美味しい」 お前は何を食べても美味いと言うんじゃないか? とそんな言葉が出そうになる。「だったら、仏頂面を止めて欲しいもんだね。そんな顔をされたんじゃ、やる気が萎えちまうよ」「楽しくないんだから仕方がないだろう」「楽しいだって?」 女将は意外そうに目を見開いた。「そうだ。ここの食事は楽しむためのものだろう?」「そりゃ、食事は楽しいに越したことはないけどね」 女将はイスに腰を下ろした。 ティリアはムニエルを切り分ける。 サルドメリク子爵はと言えば料理を半分以上平らげている。「クロノ様が家を空けるのは初めてじゃないだろ。前回は……前回はどうだったかね?」「……エラキス侯爵が留守の時、ティリア皇女はムスッとしていた」「ははん、ティリア皇女にも可愛い所があるんだね」 女将は意地の悪そうな笑みを浮かべた。「その言葉、そのまま返すぞ」「は? 何を言ってるんだい。あたしはクロノ様がいなくても寂しくなんかないさ」「そうか、女将は寂しいのか」「な、何を言ってるんだい! ば、馬鹿なことを言ってないでちゃっちゃと飯を食っちまいな!」 女将は腕を組んでそっぽを向いた。 図星だったのか、耳まで真っ赤だ。 ティリアはパンを小さく千切る。「意外……でも何でもないな」「あ、あたしが愛してるのは死んだ旦那だけだよ!」 女将がティリアに向き直って叫んだ。 クロノと関係を持ったことを考えると、死者に生前と同じ感情を抱き続けるのは難しいということだろう。 そんなことを考えながらスープを口にする。「その割にピリピリしてるな」「ピリピリなんてしちゃいないよ」 女将は拗ねたような口調で言った。 そうか、とティリアは小さく相槌を打ち、千切っておいたパンを口に運ぶ。 パンを呑み込んだその時、女将が口を開いた。「……心配なんだよ」 やはり、拗ねたような口調だった。「クロノ様は無茶するからね。毎回毎回、死にそうな目に遭って、少しはこっちのことを考えろってんだよ」「そうだな」 ティリアは機械的に料理を口に運ぶ。 まるで砂を食んでいるようだ。 きっと、今も仏頂面をしているに違いない。 女将はクロノがいつか死んでしまうと考えているのだろう。 もしかしたら、病気で亡くなった夫と重ねているのかも知れない。 病気で衰弱していった夫と自分から死地に踏み込んでいくクロノ、どちらも死の臭いを感じさせる点では同じだろう。 ティリアはカップに手に取り、静かに傾ける。「だが、保身を考えるようになったクロノはクロノではないぞ」「そんなこた、分かってるんだよ」 女将は頬杖を突き、ティリアから顔を背けた。 男の尻を叩くのも女の器量とは言え、誰が愛する人を死地に送りたいと思うだろうか。 泣き縋ってでも止めたい。 大多数の女はそのように考えるのではないだろうか。「そっちはどうなんだい?」「私はクロノの意志を尊重したいと思っている。いや、尊重せざるを得ないというのが本音だな」 クロノは止まらない。 止まれなくなってしまった。 どうしたって止まらないのなら目の前のことに集中させてやるしかないではないか。「お互い厄介な相手に惚れたものだな」「……そこであたしが頷くとでも思ってんのかい?」 ティリアは顔を背けて小さく舌打ちした。※「……さて、カド伯爵領の視察することになったが」 護衛は必要だ。 問題は誰を連れて行くかだ、とティリアは腕を組みながら廊下の角を曲がった。 すると、アリデッドとデネブがギョッとした顔で立っていた。「うげ! ティ、ティリア皇女みたいな!」「ほ、本日はお日柄も良くみたいな!」「ナイスタイミングだ。二人とも付き……」「「お断りしますみたいな!」」 アリデッドとデネブは用件を告げる前に逃げ出した。 脱兎の如くとは正にこのことだろう。 逃げるのであれば追わなければなるまい。 という訳でティリアは駆け出した。 神威術『活性』で身体能力を強化。 距離がみるみる詰まっていく。「ぎゃひぃぃぃっ! 追ってきた!」「あたしらを追い掛けるのに神威術とか明らかにオーバーキルみたいな!」「獅子は兎を狩るにも全力を尽くす!」 手を伸ばすが、わずかに届かない。 指先が服に触れただけだ。「手心、手心が欲しいみたいな!」「兎を狩るのに全力を尽くすとか王様の割に器が小さいし!」「その器の小ささが獅子を百獣の王に押し上げたんだ!」 アリデッドとデネブは肩越しにティリアを見て、ニヤリと笑った。「何故、笑う?」「別に他意はないみたいな!」「皇位を簒奪されたくせに百獣の王とは超ウケるなんて思ってないし!」「それを他意があると言うんだ!」 ティリアは再び手を伸ばした。 今度こそ捕らえられる。 そんな確信と共に伸ばした手は空を切った。 二人が廊下の角を曲がったのだ。 標的を見失い、蹈鞴を踏む。 力尽くで体勢を立て直して横を向くが、そこに二人の姿はなかった。 どういうことだ? と腕を組んで廊下を見つめる。 扉は全て閉まっている。 扉の開閉音は聞こえなかった。 廊下を駆け抜けるにしても神威術を使わなければ不可能だ。 となれば答えは一つ。 魔術で姿を消しているのだ。「そこだ!」 ティリアは何もない空間に手を伸ばした。 突然、指先から肘までが消える。 何かを掴んだ。 次の瞬間、空気が揺らめき、アリデッドとデネブが姿を現した。 どっちがアリデッドで、どっちがデネブなのか見分けが付かないが、一方の頭を鷲掴みにしている。 それだけは間違いない。「どうして、あたしらの場所が?」「気配を読んだんだ」 魔術で気配を誤魔化すことはできない。「私が掴んでいるのはアリデッドか、それともデネブか?」「あ、アリデッドです」 デネブはアリデッドを見捨てて逃げようとしていた。「逃がさないし!」「お姉ちゃん、放して!」 アリデッドが首根っこを掴むと、デネブは手足をばたつかせた。「あたしらは一心同体! 不幸は分かち合うみたいな!」「分かち合えてないし!」 デネブの言う通り、二人とも不幸になっただけだ。 被害が拡大しただけとも言える。「普段の姿は演技なの。これが本当の私なの、と言って抜け駆けしようとする妹に天罰覿め~んみたいな!」「天罰じゃないし!」 ティリアが手を放すと、アリデッドとデネブは言い争いを始めた。 言い争いをするくらいなら別々に愛して貰えば良いのに、と思ったが、口にはしない。 ライバルは少ない方が良いのだ。※ ティリア達がシルバニアに到着したのは夕方……夜と言っても差し支えのない時間だった。 陽は既に暮れ、残照が西の空を染めている。 何処からか漂ってくる美味しそうな匂いは夕餉のものだろうか。 もう少し計画的に行動すべきだったか、と少しだけ後悔する。 一部とは言え、ハシェルとシルバニアを結ぶ街道が舗装されていなければ夜道を進む羽目になっていた。「随分、発展したんだな」 ティリアは幌馬車から降り、周囲を見回した。 街に入ってすぐの所にある庭付きの建物が代官所だろう。 記憶にあるシルバニアは港が完成した頃のものだ。 あの頃はまともな建物が『シナー貿易組合』くらいしかなかった。 それが立派な街になっている。「……港はあっちだったな」 記憶を頼りに港の方を見るが、建物に阻まれて見えない。 建物の外観は様々だ。 手作り感の漂うものもあれば、職人が作ったと思しきものもある。 木造の建物が圧倒的に多いのは昏き森が近くにあるからだろう。「……アリデッド、デネブ?」 いつまでも降りてこないので、幌馬車を覗き込む。 すると、二人は幌馬車の片隅で膝を抱えて座っていた。「えへへ、あ、あたしらの休暇が」「な、なくなちゃったみたいな」 二人は何事かを呟いている。「……お前達」 ティリアは深々と溜息を吐いた。 レイラが不在の状況で視察に付き合わせるのは酷すぎるかなと思ってセシリーを復帰させたのだが、侯爵邸を出てからずっとこの調子だ。「休みを増やしてやったのに何が不満なんだ?」「あたしらは休暇がなくなったことが超不満みたいな!」「振替休日を却下されたことに憤りを感じるし!」 ティリアが尋ねると、二人は凄い剣幕で詰め寄ってきた。 セシリーを復帰させたことで負担が軽減しているのだが、この二人は短期的な視野しか持っていないようだ。 取り敢えず、近くにいた方の頭を掴んだ。「お前はどっちだ?」「あ、アリデッドです。姫様、頭蓋骨がギシギシ鳴って、目の前がチカチカするから少し力を緩めて下さい。お願いします」 アリデッドの態度に深い満足感を覚えた。 それとわずかばかりの悲しみも。 言葉で分かり合えず、肉体言語を駆使しなければならないなんて悲しすぎる。「代官所に行って、事情を説明してくるんだ」「分かりました」 事前連絡を忘れたことを責められるかと思ったが、心配しすぎだったようだ。 手を放すと、アリデッドはこけつ転びつしながら代官所に併設された宿舎に向かった。 アリデッドが扉を叩く。 しばらくすると扉が開き、メイドが出てきた。 年齢は少女の息を出ない。 可愛らしいと形容しなかったのは無愛想すぎたからだ。 メイドは不機嫌そうな態度のまま扉を閉めた。 アリデッドが再び扉を叩く。 まるで家を閉め出された子どものようだ。 しばらくして扉が開き、メイドが何かを投げる。 そして、アリデッドがそれをキャッチするかしないかのタイミングで扉を閉じた。 心配なのか、デネブが幌馬車から身を乗り出す。「姫様、どう?」「うむ、失敗したことだけは分かった」 アリデッドは力なく頭を垂れている。 一部始終を見ていたが、この姿を見ただけでも事情を上手く説明できなかったと分かる。 しかし、一応、結果を尋ねておくべきだろう。「どうだった?」「も、物乞いだと思われたみたいな」 アリデッドは頭を垂れたまま手を開いた。 そこには一枚の銅貨があった。「使えないヤツだな」「その言葉がどれだけ他人を傷付けるか分かってないし! 物乞い扱いされた後にそんな言葉を吐かれたら退役を考えちゃうレベルみたいな!」 アリデッドは涙目で訴えた。「デネブ、行け」「……気が進まないし」 デネブはノロノロと馬車から降りると代官所に向かった。「姫様は下々の者の気持ちが分かってないし! そんなだから謀反を起こされたみたいな!」「ぐぬ、痛い所を」 ティリアは呻いた。 皇位に未練はないが、臣下のことを慮るべきだったし、臣民の生活に興味を持つべきだった。 まあ、アルコルの領分を侵すような真似をしたら今と同じ状況になっていた可能性が高いが。 適当に相槌を打ちながら話を聞いていると、デネブが戻ってきた。 まるで水をぶっ掛けられたようにずぶ濡れだった。 上手く事情を説明できなかったと一目で分かる。 しかし、結果を尋ねておくべきだろう。「どうだった?」「また来たのか、と水を掛けられたし」 そうか、とティリアは頷いた。「「じー」」「その目は何だ?」 アリデッドとデネブは何か言いたそうな目でこちらを見ている。 気持ちは分かる。 ティリアにも痛い目に遭って欲しいのだろう。「もしや、そこにいらっしゃるのはティリア皇女ではありませんか?」「その通りだ。では、そこの代官所に行き、事情を説明してきてくれ」 ティリアは振り返り、声の主に命令した。 地味な服を着た女である。 化粧や香水の匂いを漂わせている点を考えると見た目ほど大人しい人生を送ってきた訳ではないはずだ。「承りました。代官のケイン様とは親しくさせて頂いておりますので、ご期待に添えるかと存じます」「姫様、ズルい!」「次は姫様の番みたいな!」「ズルくない! 私は持っているだけだ!」 ティリアはしがみついてきたアリデッドとデネブを振り払った。 地味な服を着た女がクスクスと忍び笑いを漏らした。「申し遅れました。私は……」「『シナー貿易組合』のエレインさんみたいな!」 アリデッドが地味な服を着た女……エレインの口上を遮った。「申し遅れました。私はエレイン・シナーと申します。今後ともよしなに」 地味な服を着た女……エレインは優雅に一礼すると代官所に向かった。 感嘆の声を漏らしてしまいそうなほど洗練された動作だった。 エレインは代官所の扉を叩いた。 今回、扉を開けたのはケインだった。 ケインはすぐに駆け寄ってきた。「本当に姫様じゃねーか」「そう言えばエレインには事情を説明していなかったな」「説明は宿舎で聞かせて貰うぜ。シルバニアには真っ当な宿は少ないからな。宿舎に泊まって貰うけど、大丈夫だよな?」「話が早くて助かる」 ティリアは安堵の息を吐いた。※ ティリアはクロノを見下ろしていた。 乗馬には慣れているが、こちらの乗馬にはまだ慣れない。 馬 ( クロノ ) には馬なりの意見があるだろうが、 騎手 ( ティリア ) には騎手なりの意見があるのだ。 とにかく、こういうのは恥ずかしいことなのだ。 だが、こうしていると支配欲が満たされる。 口角が吊り上がるのを抑えきれない。 怯えたようなクロノの顔を見ているとイジメたくなってしまう。「どうした? もう終わりか?」 位置取りに成功すればティリアの勝利は揺るがない。 クロノは刻印術という切り札を持っているが、存在が明らかになった切り札は大した脅威ではない。「ティリアこそ、もう終わりなの?」 突然、クロノが体を起こし、ティリアは押し倒された。 体を起こそうとしたが、できない。 いつの間にか手首を縛られていたのだ。 状況を理解できない内にひっくり返され、ベッドに顔を埋める羽目になった。 肩に痛みが走る。 手首を引かれたのだ。 クロノの意図は明白だ。 自分に向けて尻を突き出させようとしているのだ。 歯を食い縛って痛みに耐えるが、耐えきれなくなり、膝立ちになる。 なってしまった。 背後から愉悦の感情が伝わってくる。 クロノはティリアが屈辱と恥辱に苛まれているのを見て、愉しんでいる。「こうしてると、心が満たされると言うか、イジメたくなるよね?」「ど、何処を触っている! 私は奴隷じゃないんだぞ! 殺せ! いっそ殺せ!」 クロノが近づいてくるのを感じる。「や、止めろ! 止め……み、みぎゃぁぁぁぁっ!」 ティリアは叫び声を上げて飛び起きた。 慌てて周囲を見回すが、そこは侯爵邸のクロノの部屋でも、自分の部屋でもなかった。 必要最低限の家具しか置かれていない代官所の宿舎だった。「……ゆ、夢か。しかし、なんて夢だ」 小さく吐き捨てる。 どうして、あんな夢を見てしまったのだろう。 どうせなら、もっとマイルドに愛し合う夢を見たかった。 ティリアはベッドから下りたその時、扉を叩く音が響いた。「姫様! 何かあったみたいな!」「発情期の猫みたいな声が聞こえたみたいな!」「誰が発情期の猫だ!」 ティリアは猛然とダッシュ、扉を開けると同時に叫んだ。 怒られないと思っていた訳ではないだろうが、アリデッドとデネブは驚いたように目を見開いていた。 二人とも制服姿だ。「早起きなんだな」「そりゃ、あたしらは腐っても兵士だし」「早寝早起きは基本中の基本みたいな」 二人は自慢気に胸を張った。まあ、こんな二人でも軍で長く過ごしていれば多少はまともになるのだろう。「丁度良かった。髪を梳かしてくれ」「ナチュラルに命令したし」「他人を働かせることに何の疑問も持ってないみたいな」 二人が文句を言っているが、無視して踵を返す。「櫛と手鏡は鞄に入ってるぞ」 ティリアはイスに腰を下ろした。「髪を梳かすくらいできるだろ?」「あたしら自分で髪を梳かしてるし」「以下同文みたいな」 肩越しに背後を見ると、一方が鞄から櫛と鏡を取り出していた。 性格的にデネブだと思うのだが……。「梳かしにくいから前を向いて欲しいみたいな」「分かった」 どっちなんだ? とティリアは内心首を傾げながら正面を向いた。「お客さ~ん、こういう店は初めてみたいな?」「アリデッドだな」「ま、まあ、見破られてもどうってことないし」「そうか」 アリデッドは拗ねたような口調で言い、ティリアの髪を梳かし始めた。 手付きは丁寧と雑の中間、要は手慣れているということだ。「ふ、ふぉぉぉぉっ!」「いきなり叫ぶな。びっくりするだろ」「それはこっちの台詞みたいな! な、何たる髪質……細いながらも強度があり、さらに指に吸い付くような質感! ご、極上!」 驚きすぎのような気はするが、母譲りの金髪を誉められて悪い気はしない。「少し興味があるみたいな」 デネブが横から手を伸ばし、ティリアの髪に触れる。「た、確かに、どんな手入れをすれば、こんな髪質に……」「クロノと変わらないぞ」 特別な手入れはしていない。「クロノ様と全然違うし!」「次元が違うみたいな!」「そんなことを言われてもな」 ティリアは腕を組んだ。 本当に特別な手入れなどしていないのだ。「やっぱり、気苦労の差みたいな」「極上の髪質はストレスフリーな生活のお陰みたいな」「そういうことは思っても口にするな」 は~い、と二人は真剣みの欠片も感じられない返事をした。 失礼な双子だ。 まあ、お陰で気を遣わずに済むが。「ところで、さっきの叫び声の原因は何みたいな?」「……クロノの夢を見たんだ」 ティリアは少しだけ間を置いて答えた。 答えても答えなくてもアリデッドはしつこく理由を聞き出そうとするだろう。「ほうほう、クロノ様の……クロノ様の夢を見て、あんな声を上げるって訳が分からないし」「そうそう、ちょっと物憂げな雰囲気を漂わせた方がらしいみたいな」 アリデッドが困惑しているかのような口調で言い、デネブがそれに同意する。 まともな夢を見たのならば物憂げな顔をしたが、あの夢では無理だ。 クロノは夢の中でもクロノだったのだ。「姫様はクロノ様と離れて欲求不満みたいな?」「夢は潜在意識の表れとか、表れじゃないとか」「だ、誰が欲求不満だ!」 思わず声を荒らげる。 クロノがいなくて寂しいが、寂しいだけだ。 そう、欲求不満な訳がない。 ましてや、あの夢が自分の潜在意識……願望だなんてあってはならない。 あれは最終防衛ラインだ。 決して突破されてはならない。「くふふ、姫様がどんな夢を見たのか……」「それ以上、踏み込むな。死ぬぞ」 はい、とアリデッドは口を噤んだ。※ ティリアはパンの欠片を呑み込み、テーブルナプキンで口元を拭った。 アリデッドとデネブはとっくに料理を平らげ、満足そうにお腹をさすっている。 ケイン、ウェスタ、ロナの姿はない。『ティリア皇女、如何でしたか?』(ぷもぷも)「うむ、美味かったぞ」 朝食は新鮮な魚と海藻を使った料理だった。 味は可もなく不可もなくという感じだったが、アリアはナイーブそうなので、甘めに評価する。 その甲斐あってか、ブンブンと尻尾を振っている。 それがミノタウルス流の感情表現なのかは分からないが、落ち込んではいないようだ。 不意にアリデッドとデネブの耳が動いた。「む、誰か来たみたいな!」「人数は二人みたいな!」「せめて、武器に手を伸ばすなり、立ち上がろうとするなりしろ」 ティリアはイスに寄り掛かったまま動こうとしない二人に突っ込んだ。「あたしらより姫様の方が強いし」「姫様があたしらを殺した刺客に勝ったりすると、あたしら完璧に犬死にみたいな。噛ませ犬は嫌だし」「……お前ら」 ティリアは深々と溜息を吐いた。『私が行ってきます』(ぷも~) アリアが慌てて玄関に向かう。「働き者だな」「それに比べてお前らは、と言われそうな予感」「その時は兵士が暇なのは良いことと言い張るし」 ティリアが横目で見ると、二人は髪を弄りながら答えた。『シナー貿易組合のエレイン様と傭兵ギルドのシフ様が挨拶にいらっしゃいました。如何なさいますか?』(ぷも、ぷも~) アリアがバタバタと足音を立てて戻ってきた。「……ふむ」 挨拶などと言っているが、目的は権力者と懇意にしているとアピールすることだろう。「通してくれ」『かしこまりました』(ぷも~) アリアは一礼して踵を返した。 しばらく待っていると、エレインと頬に刺青を入れた男を連れて戻ってきた。 三人はティリアから少し離れた所で立ち止まった。 最初に動いたのはエレインだった。 エレインは優雅に一礼し、片膝を突いた。「突然の訪問にもかかわらず、拝顔の栄えを賜り、恐悦至極に存じます」「昨夜の礼だ。そこまでかしこまらなくて良いぞ」「ありがたき幸せ」 エレインが頭を垂れ、シフが動いた。 エレインと同じように一礼して片膝を突く。 洗練されているとは言い難いが、出自を考えれば及第点と言える。 いや、礼儀作法より隙のない立ち居振る舞いを称賛すべきか。「お初にお目に掛かります。私は諸部族連合の長を務めるシフと申します。我々を受け入れて下さったばかりか、手ずから在留許可証をお持ち頂き、感謝の念に堪えません」 ふむ、とティリアは思考を巡らせる。 わざわざ諸部族連合の長を名乗ったのはクロノが不在の際にも自分達の立場を保証して欲しいからだろう。 もっと露骨に言えば言質を取りに来たのだ。 カド伯爵領にはベテル山脈の民が千人以上住んでいる。 彼らを率いる身であれば言質を取っておきたいと考えるのは自然なことだ。 このタイミングで言質を取りに来たのは領民の反発とクロノの不興を買うことを恐れてだろう。 新参者が権利を主張すれば軋轢が生じる。 自分から領主代行に会いに行き、言質を取ればクロノの言葉を信じていないと公言するようなものだ。「ベテル山脈の民を受け入れたのは夫であるクロノの決定だ」「ふはっ! どさくさに紛れて夫とか言ってるし!」「既成事実を積み重ねようという本心が透けて見えるみたいな!」 ティリアは睨み付けると、アリデッドとデネブはわざとらしく顔を背けた。「しかし、ベテル山脈の民が法を遵守し、忠誠心と融和の意思を示し続ける限り、私は夫の決定に従おう」「ご夫妻の寛大な御心に感謝致します」 むふ、とティリアは小鼻を膨らませた。 こうして逃げ道を塞いでいけばクロノの方から結婚を切り出すに違いない。「許可証は視察のついでに持ってきただけだ。感謝されるほどのことではない」「お心遣い感謝致します」 シフが静かに頭を垂れると、エレインは静かに口を開いた。「ティリア皇女、恐れながら」「発言を許可する」「シルバニアを視察されるのであれば是非とも私達を案内役に」 う~む、とティリアは唸った。 露店巡りをするようにシルバニアをほっつき歩きたかったのだが、エレインとシフが一緒では重要人物だと喧伝しているようなものである。「アリデッド、デネブ、何処を視察すれば良いと思う?」「ん~、ぶっちゃけ、シルバニアは姫様好みの露店が少ないみたいな」「けど、強いてお勧めするなら職人街みたいな?」 アリデッドとデネブは面倒臭そうに答えた。「職人街?」「デネブ、説明」「ひ、酷いし!」「言い出しっぺはそっちみたいな」 取りつく島もないとはこのことか。 デネブが抜け駆けしてクロノに愛されようとするのも無理からぬ話である。「ん~、元々、シルバニアは港があっての街みたいな」「まあ、そうだな」「最初は大きな商会が港のすぐ近くにお店を建てて、少し遅れて行商人組合、もう少し遅れて民家や小さな商店が建ったみたいな。大金が動き始めると……まあ、色々あって、最後に職人街ができたみたいな」 面倒臭くなったのか、デネブは説明を端折った。「エレインも工房を構えているのか?」「はい、小さな織布工房を構えております。宜しければ見学されますか?」「ああ、頼む」 ティリアは鷹揚に頷いた。※ 結論から言うと、小さなという形容は謙遜だった。 街の南東部にある織物工房は四軒の民家が優に入る広さだった。 工房には十六台の機織り機があった。 大きさはティリアが使っている天蓋付きベッドの三分の二くらいだろうか。 縦糸は上下に分かれていて、足下の木を踏むことで上下を入れ替えているようだ。 縦糸の上下を入れ替え、横糸を通し、機織り機の上から伸びる木枠のようなものでそれを手前に寄せている。 この一連の作業を三人一組で行っている。 と言うのも幅の広い布を織っているため、横糸を通すのに人手がいるからだ。「……見事なものだ」 本当に糸から作っているんだなという感想をすんでの所で呑み込む。 知識はあっても実際に布を持っている所を見ると感慨深い。「どんな風に仕事をしているんだ?」「三交代制のシフトを組み、二十四時間体制で布を織っております」 当然のことながら答えたのはエレインだ。「品質は?」「メサルティム男爵、ボサイン男爵、トレイス男爵とお取引させて頂いておりますが、ご好評を頂いております」 ティリアは軽く目を見開いた。 ここで三人の名前を出るとは思わなかったのだ。 どうやら、三人の心変わりはエレインの画策によるものだったようだ。「ふむ、色々と動いているのだな?」「いいえ、ティリア皇女のご尽力があればこそと考えております」 そうか、とティリアは頷いた。「話が逸れてしまったが、休みはあるんだろうな?」「もちろんです」 エレインは即答した。 嘘ではないだろう。 職人は黙々と仕事をこなしているが、疲労困憊という風ではない。「どうして、工房を作ろうと考えたんだ?」「我が組合は自由都市国家群のヴィオラに工房を構えておりますが、それでは布を求めているお客様の要望にお応えできません」 なるほど、とティリアは頷いた。 海路でもシルバニアと自由都市国家群の往復には二週間掛かる。 これでは商機を逸してしまう。 しかし、シルバニアに工房を構えたのは要望に応えるためだけではないだろう。「ふむ、お前達のように服飾も手掛けていれば注文がなくても布を織れるからな」「その通りでございます」 布を買いに来る者がいれば売り、在庫が余れば自由都市国家群に送って服にすれば良いのだ。 どちらに転んでもエレインは損をしない。「アリデッド、デネブ、何か気付いたことはあるか?」「ん~、別に。機織り機くらいゴルディの工房にあったし」「シフト制とか、福利厚生の充実とか、ドヤ顔で言われてもみたいな」 妙に辛い評価だった。 どうやら、クロノの優しさは二人の目を肥えさせ、駄目な部分を助長したようだ。 ティリアは二人の頭を鷲掴みにした。「あ、あれ? 目の前が真っ暗みたいな?」「気のせいか、頭蓋骨が軋んでいるような?」「握り潰されたくなければ気付いたことを言え」「ご、ごめんなさい。わ、私達、少しだけ調子に乗っていました」「気付いたことを言うので、力を緩めてくれると嬉しいです」 手に力を込めると、二人はあっさりと降伏した。 反省しているとは思えないが、握り潰す訳にも行かないので、手を放す。「で、どうなんだ?」「と言われても、あたしらはゴルディの機織り機くらいしかみたことないし」「気付いたことと言えばシュパがないくらいみたいな」「シュパ?」 ティリアはシュパが何か分からずに問い返した。「ゴルディの機織り機は紐を引っ張るだけで横糸を通せるみたいな」「グイ、シュパで終わりみたいな。三人で一枚の布を作るなんて超非効率だし」「……お前達」 ティリアは二人の馬鹿さ加減に目眩を覚えた。 今まで三人で布を織っていたものが一人で織れるようになる。 隠しておけば圧倒的優位に立てる大発明だ。 どうして、そんな重要な情報を漏らしてしまうのか。「エレイン、シフ、この話を絶対に漏らすな」「御心のままに」「御意」 ティリアが命令すると、エレインとシフは素直に頷いた。 シフはともかく、エレインには喉から手が出るほど欲しい発明のはずだ。 こうしている今も発明を手に入れる方法を考えているはずだ。「あ、あ~、二人とも、そのシュパはどういう経緯で作られたんだ?」「ん~、クロノ様のアイディアみたいな」「ゴルディもノリノリで作ったけど、あの頃は神聖アルゴ王国と交易してなかったから工房の肥やしになってるみたいな」 帰ったら工房を徹底的に漁ってやる、とティリアは拳を握り締めた。「エレイン、時間のある時で構わないから侯爵邸に来い」「かしこまりました。お気遣いに感謝致します」 エレインは恭しく頭を垂れた。 できれば発明を独占したいが、クロノの性格的に難しいような気がする。 だったら、発明を提供して恩に着せた方が良いだろう。 あとは無闇にシュパとやらを提供しないようクロノを説得するしかない。「次は開拓村だな」 ティリアは深々と溜息を吐いた。※「……これは、凄いな」 ティリアは開拓村を見つめ、そんな台詞を口にした。 蛮刀狼 ( バンデッドウルフ ) を狩りに来た時は本当に小さな集落だったのにちょっとした規模の街になっている。 しかし、それ以上にティリアを驚かせたのは昏き森が大きく後退し、広大な畑が広がっていたことだった。 紙の製造に乗り出した時、クロノは資源の枯渇を心配していた。 あの時は心配しすぎだと笑っていたものだが、変化を目の当たりにすると自分が楽観的だったのだと考えを改めざるを得ない。 一部とは言え、神代から存在する昏き森が神威術や災害ではなく、開拓によって失われたのだ。 人間……ヒトはあるだけ資源を食い潰してしまう。 クロノはそれを知っていたからこそ木を栽培しようとしたのだろう。「む、あれは何だ?」「あれは姫様もぶち殺したことのある蛮刀狼みたいな」「ボケるには早すぎるみたいな」「そんなことは分かっている。私はどうして蛮刀狼の死体が畑にあるのかを聞いているんだ」 ティリアはムッとして言い返した。 畑のあちこちに蛮刀狼の死体がある。 それも串刺し刑に処されたような無残な姿で。「あれは案山子のようなものです」 質問に答えたのはシフだった。「案山子にしては悪趣味だな?」「蛮刀狼には知能があります」「警告、ということか」「御意」 知能があっても仲間の仇を討つという発想に結びつかないようだ。 その意味では動物に近いのだろう。「効果はあったか?」「開拓村での遭遇件数は十分の一程度になりました」「つまり、予断を許さないということだな?」「御意」 シフは静かに頷いた。「対策はあるか?」「開拓村の者には……開拓村の全住人にということですが、呪具を持たせています。音と光を発生させる程度の簡素な物ですが、脅しには使えるかと」 ふむ、とティリアは腕を組んだ。 自発的にやったこととは言え、負担を強いた事実はクロノの評価を下げかねない。「こちらの配慮が足りなくずに迷惑を掛けた。埋め合わせをしたいのだが?」「いえ、受け入れて下さっただけで十分です。我々はクロノ様のために女子どもに至るまで身命を賭して戦います」 やはり、そのために受け入れたのか、とティリアは心の中で毒づいた。「何もいらないと言われてもな。はい、そうですかと頷けないのが為政者の辛い所だ」 ティリアは肩を竦めた。「工房で製作した武器ではどうだ? 使わないのであれば代官所に預けても構わん」「ありがたく頂戴致します」「なら、ケインには私から話を通しておこう」 拒否されるかと思ったが、こちらの面子を立ててくれたようだ。 だが、これでは埋め合わせにならない。「これはあくまで提案だが、侯爵邸のメイドに二名空きがある。お前さえ良ければ推薦してくれ」「ありがたき幸せ」「クロノが戻ってくるまでに頼む」 侯爵邸のメイドには亜人もいれば人間もいる。 長く蛮族と蔑まれていた部族をメイドとして雇うことは立場を保証するだけではなく、クロノが領民として認めているというアピールにもなるはずだ。 気苦労の差か、とティリアは前髪を摘まんだ。