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第16話:ティリアの太腕繁盛記【後編】

クロの戦記 異世界転移した僕が最強なのはベッドの上だけのようです — novelup.plus · All chapters

第16話:ティリアの太腕繁盛記【後編】

※ カーン、カーンという音が聞こえる。 工房のドワーフが槌を打つ音だ。 最初は鬱陶しく感じたものだが、今は気にならない。「やはり、時間が掛かるな」 ティリアは幌馬車から降りると体を伸ばした。 アリデッドとデネブは明日から仕事なので、昼前にシルバニアを出発したのだが、陽は大きく傾いている。 肩越しに背後を見ると、アリデッドとデネブは幌馬車の隅で膝を抱えていた。 何やら、二人の周辺が暗く見える。 随分と疲れているようだ。 そっとしておいてやるか、と茜色に染まる西の空を見つめた。「……夕焼けか」 独りごちて、目を細める。 軍学校に在籍していた頃だろうか。 クロノは夕焼けを見ると郷愁を覚えると言っていた。 あの時は軽く流してしまったが、今にして思えばあれは生まれた世界のことを言っていたのだろう。 ティリアは郷愁を感じたりしないが、黄昏に染まるハシェルの街並みを見ていると少しだけ感傷的……寂寥感と倦怠感が入り混じったような気分になる。 いや、期待も少しだけ含まれているだろうか。 一日が終わるのは寂しいが、一日を無事に終えられた安堵もある。 そして、明日がどんな一日になるかという期待も。 当たり前のことだが、同じ世界に立ち、同じものを見ても、同じ感情を抱くとは限らない。 むしろ、同じであることの方が少ないだろう。 では、工房で働くドワーフ達は夕焼けに何を感じているのか。 カーーン、カーーン、とやや間延びした音が響く。 ひょっとしたら、終業時間と捉えているのかも知れない。「やっぱり、うちが一番だな」「あたしらの休日を潰しておきながら感想がそれみたいな!」「嘘でも良いから有意義な視察だったと言うべきみたいな!」 ティリアが小さく呟くと、アリデッドとデネブは幌馬車から身を乗り出して叫んだ。 疲れているように見えたが、思ったより元気そうだ。「分かった分かった。実に有意義な視察だった」「棒読みだし! ちっとも有意義だって感じさせないくらい棒読みだし!」「最初の部分に面倒臭いヤツら的な雰囲気を感じるみたいな! きっと、心の中で舌打ちの一つや二つしてるはずだし!」「……チッ」「ぎゃぁぁぁぁぁぁっ! ホントに舌打ちしたし!」「ホントに舌打ちするなんてあんまりみたいな!」 ティリアが舌打ちをすると、二人は頭を掻き毟った。「やり直し! やり直しを要求するみたいな!」「今にも舌打ちしそうだし! 心の傷に塩を塗りたくる気満々だし!」 二人はバンバンと幌馬車の荷台を叩いた。「……」「「じー」」 ティリアが無言でいると、二人はジッと見ていると声に出してアピールしてきた。「分かった。やり直すぞ」「夕焼けを見つめて、髪を掻き上げて欲しいみたいな!」「こう、ふぁ~って感じで!」 本当に面倒臭い二人だった。「実に、有意義な、視察だったな」 ティリアは夕焼けを見つめ、髪を掻き上げた。「シルバニアに行く機会の多いあたしらにとっては無意義だし!」「休日を満喫する方がよっぽど有意義だし!」「……」 ティリアは無言で二人の頭を掴んだ。「め、め目にも留まらぬ早技みたいな!」「あ、アイアンクローは超握力みたいな!」 割と本気で掴んでいるのだが、まだまだ余裕がありそうだ。「お前達が望むなら必殺技的な名前を叫ぶぞ。必殺の意味は分かるな?」 必殺技とはクロノの描いた絵本に登場する概念である。 主に物語の終盤で敵を爆殺するために使用される。「か、必ず死ぬみたいな!」「え、絵本では必殺技と銘打ちながら封印だけで済むこともしばしば!」「馬鹿め、必ず殺すという意味だ」「「アグレッシブ!」」 低く押し殺した声で言うと、二人は感極まったように叫んだ。「言い残すことはないか?」「あ、あたしの部屋に、く、クロノ様と、と、共に歩んだ日々の、記録が。あたしの生きた証を完成させて欲しいみたいな」「お、お姉ちゃん。だ、だから、あれは誤字脱字だらけだし。私……馬鹿の妹として歴史に残るのは嫌だから」「誰が馬鹿みたいな!」 アリデッドはティリアの手から逃れ、猛然とデネブに挑みかかった。 火事場の馬鹿力という言葉はあるが、エルフにやられるとは……。「ふご、頭が!」 しかし、火事場の馬鹿力は長続きしなかったらしく、アリデッドは頭を抱えて荷台に蹲った。 デネブから手を放す。 すると、デネブは精根尽き果てたように四つん這いになって荒い呼吸を繰り返した。 どうやって、クロノ達はこの二人に言うことを聞かせているんだ? とティリアは腕を組んだ。 特に騎兵隊長のフェイは人心掌握に長けているように見えないのだが……。「お前達はいつもそんな感じなのか?」「んな訳ないし。あたしらは空気を読んで生きてるし」「敵を作らないことが長生きするコツみたいな」 どうやら、二人はティリアが敵になっても構わない、あるいは自分達の運命を左右する存在ではないと思っているようだ。「ふ、甘いぞ。私はクロノの妻になる女だぞ」「甘いのは姫様みたいな」「クロノ様は公私混同しないし」 二人のクロノに対する信頼は何処から湧いているのだろう。「つか、姫様はあたしらがエルフであることをお忘れみたいな?」「姫様が歳を取っても、あたしらは若いまま」 ぐぬ、とティリアは呻き、あることに気付いた。「いや、エルフであることは必ずしも優位に働かないんじゃないか?」「フッ、負け惜しみだし」「その時が楽しみだし」「……クロノも歳を取るぞ」 二人はギョッとした顔でティリアを見つめた。「エルフの寿命は人間の三倍から五倍と言われているが、そんなに働くつもりなのか?」 当然のことだが、寿命が長いということはそれだけ長く働かなければならないということである。「え、あ、あたしらはお金を貯めて商売する気だし」「そ、そうだし」 う~ん、とティリアは唸った。「ど、どうして、唸っているのみたいな?」「ちょ、ちょっと不安だし」「そんなに長く続く商売なんてあるのか? 領地運営も広義の意味では商売だが、土地を担保にしているからな。安定性はズバ抜けているぞ。自分で商売をするくらいなら、クロノに家臣として仕えた方が良いんじゃないか?」「「……」」 ティリアは二人の肩を優しく叩いた。「私とクロノの子はお前達と仲良くやっていけると思うぞ?」「か、考えさせて欲しいみたいな」「あ、あたしらの人生は長いし」 二人はそっと幌馬車から降ると、何故か、侯爵邸に向かった。 しおらしい態度に深い満足感を覚えるが、すぐ元の態度に戻るような気がした。「二人とも、ご苦労だったな」「ご苦労の一言で済ませるとか有り得ないし!」「誠意を見せて欲しいし!」 二人はもの凄い勢いで詰め寄ってきた。 予感は的中した。 あっと言う間に元通りだ。 きっと、二人の前世は鶏に違いない。「……」 ティリアは無言で二人の頭を掴んだ。「二人とも言い残すことはないか?」「姫様に労いの言葉を頂けて、超幸せみたいな」「だから、折檻は勘弁して欲しいみたいな」 ティリアが手を放すと、二人は再び侯爵邸に向かった。「待て。どうして、侯爵邸に向かうんだ?」 ティリアが問い掛けると、疚しいことでもあるのか、二人はビクッと体を震わせた。「別に何でもないみたいな!」「ストレス発散のためにお酒を飲もうとか考えてないし!」「二人とも侯爵邸の酒はクロノのものだぞ」 ティリアは深々と溜息を吐いた。「あたしらはクロノ様に失望されるような真似しないし」「蒸留したお酒を地下に隠しているみたいな」「……それもどうかと思うぞ」 蒸留したお酒とは『エルフの妙薬』のことだろう。 名前は傷口にかけると化膿しなくなる所に由来しているが、本当に薬として認識されているのならばこんな短期間で出回らないはずだ。「それにしてもよく場所を覚えていられるな」 地下には前エラキス侯爵が収集した酒が大量に保管されている。 いや、死蔵されていると言うべきか。 クロノは滅多に酒を飲まない。 酒は部下に下賜する物と考えているに違いない。「そこは樽にマークを描いて対応みたいな」「……」 珍しく合いの手がなかった。「デネブ、きちんとマークを描いたみたいな?」「……」 デネブは答えない。 伏し目がちになり、ダラダラと汗を掻いている。「怒らないから正直に話して欲しいみたいな」「……か、描いてないし」 アリデッドが猫撫で声で尋ねると、デネブは押し殺したような低い声で言った。「どうして、描かなかったみたいな! 値切って値切って値切り倒した努力も、暑い思いをして蒸留したのも無駄になったみたいな!」「怒らないって言ったし! それに探すのが大変なだけでなくなってないし!」 二人はギャーギャーと言い争いを始めた。「同じ樽がいくつあると思ってるみたいな!」「マークを描けなんて言われなかったし! と言うか、丸投げしたお姉ちゃんに私を責める資格なんてないから!」 二人の前世は鶏ではなく、リスかも知れない。 ただのリスではなく、自分が埋めたドングリの場所を忘れる間抜けなリスだ。「二人とも落ち着け」「姫様は引っ込んでて欲しいし! 今こそ決着を付ける時みたいな!」「私はお姉ちゃんを倒して、新たな個性を確立する! そして、クロノ様と……っ!」 ティリアの仲裁も虚しく、二人は取っ組み合いの喧嘩を始めた。 何だか面倒臭くなったので、工房に向かう。「ゴルディ、ゴルディはいるか!」「これは、ティリア皇女、どのようなご用件ですかな?」 ティリアが叫ぶと、ゴルディが駆け寄ってきた。「シュパを出せ」「シュパ?」 ゴルディは不思議そうに問い返してきた。 もしかしたら、シュパはアリデッドが勝手に付けた名前なのかも知れない。「機織り機のことだ。画期的な発明をしたと聞いたが?」「おおっ! 飛び杼のことですな!」 ゴルディはようやく合点がいったとばかりに手を叩いた。「クロノ様のアイディアを形にするのは骨が折れましたぞ」「その飛び杼と他にも発明品があれば見せて……」 欲しいという言葉をすんでの所で呑み込んだ。 陽はすでに落ち、槌を打つ音は止んでいる。 神威術を使えば周囲を照らすことなど造作もないが、労働時間を延長させるのはマズいような気がする。「明日、飛び杼と発明品を見せて欲しい」「心得ましたぞ」「近々、飛び杼の件でシルバニアに派遣するから人選を済ませておいてくれ」「……分かりましたぞ」 ゴルディは間を開けて答えた。※「出掛ける時は予定を伝えてからにして欲しいもんだね。危うくアンタの分を作り損ねる所だよ」「……ぐぬ」 食堂を訪れたティリアを待っていたのは女将の嫌味だった。 シルバニアの代官所と侯爵邸の執務室は超長距離通信用マジックアイテムで繋がっているが、その場に人がいなければ情報を遣り取りできないという欠点がある。 しかし、それを言っても仕方がない。 女将はコックだ。 下手に言い訳をしてクロノが戻るまで雑な料理を出されたら目も当てられない。 自分の非を認めて現状を維持するか、言い訳をして機嫌を損ねるかの二択だ。「……女将の料理は美味しい」 サルドメリク子爵は鴨肉のローストを呑み込み、うっとりと呟いた。「そりゃ、腕によりを掛けて作った甲斐があるってもんだよ」「……ぐぬ」 ティリアは再び呻いた。 普段ならばプライドを優先させるのだが、今は耐え難い空腹に襲われている。「……った」「何だって?」 女将はわざとらしく聞き返してきた。「……て……った」「はぁ? 聞こえないねぇ」「予定を伝えずに視察に行って済まなかったと言ったんだ! どうだ! 謝ったぞ!」 ティリアは胸を張った。「あー、はいはい。とっとと座りな」 どうでも良さそうな口調だった。 女将の背中を見送り、自分の席に座る。「失礼しますわ」「ふむ、セシリーか」 肩越しに背後を見ると、任務完了の報告に来たのか、セシリーは食堂の出入口で背筋を伸ばして立っていた。 髪は湿り気を帯び、顔は青ざめている。 恐らく、水浴びをしたのだろう。「よし、入れ」「はっ!」 セシリーはティリアの対面に立ち、優雅に敬礼した。 流石は元近衛騎士と誉めるべきだろうか。「セシリー・ハマル、領地の巡回を終えて帰還しましたわ」「楽にして良いぞ」「はっ!」 セシリーは足を開き、手を後ろに回した。「何かあったか?」「荷馬車が泥濘に嵌まっていたくらいですわ」「ふむ、それで水浴びをしたのか」 人手が足りずに作業に加わったのだろう。 以前はハマル子爵令嬢という立場を笠に着て好き放題やっていたらしいが、随分と丸くなったようだ。「申し訳ございません」「責めている訳ではないぞ。侯爵邸の生活はお前の糧になったようだな」「……」 セシリーは無言だった。 モゴモゴと口を動かす。 頬が朱に染まっている。 青ざめていたので、余計に目立つ。「お、仰る通りですわ。こ、こ、侯爵邸の、せ、せい、生活は、わ、わたくしの、か、糧となり、なりましたわ」 クロノにされた屈辱的な経験を思い出しているのか、伏し目がちになり、震える声で言った。 別にそういう経験が糧になったとは思っていないのだが……。「私はクロノが戻ってきた後もお前に騎兵を続けて貰いたいと思っている」「……それは決定事項ですの?」 セシリーは困惑しているかのように眉根を寄せた。「私の中では、な。クロノの大隊は騎兵が少なすぎる。任務のたびに騎兵……隊長、副隊長クラスを連れて行かれたら街道の警備が疎かになるだけではなく、残った者の負担が大きくなる」「クロノ様が戻ったら、どうしますの?」「騎兵の育成を任せようと考えている」 騎兵隊を再編制しても良いが、それでは騎兵の数が少ないという問題の解決にはならない。「乗馬を教えるのは初めてですわ」「ノウハウの確立もお前の仕事だ」 セシリーは不安そうにしているが、ティリアは楽観している。 準備期間はあるし、ケインの部下や帝都から異動してきた騎士の協力があれば比較的容易に騎兵を育成できるはずだ。「分かりましたわ」「仕事の話も良いけどね。今は飯の時間だよ」 セシリーが頷いた直後、女将が荒々しく料理をテーブルに置いた。※ ティリアは脱衣所で制服を脱ぐ。 飾り気のない下着が露わになる。 個人的には気に入っているのだが、クロノには不評だ。 だからと言って、クロノの趣味に合わせるつもりはない。 レースの下着は問題ないのだが、スケスケのネグリジェはない。 明らかに下着としての用途を果たしていない物に至っては論外だ。 妥協点は普通のネグリジェとレースの下着だ。 この組み合わせ以外は断固として拒否すると伝えている。 にもかかわらず、論外系の下着が増えている。 要求に応じるべきだろうか。 いや、理不尽な要求を受け入れたら、調子に乗るに決まっている。「……それにしても」 ああいう下着を何処で仕入れてくるんだ? と内心首を傾げる。 やはり、水着と同じようにドワーフの職人に作らせているのだろうか。 下着の絵を片手に力説するクロノの姿を想像してしまい、頭を振った。「止めよう、怖い考えになりそうだ」 ティリアは下着を脱ぎ、制服とは別の籠に放り込む。 湯気の充満した浴室に入り、かけ湯をして湯船に浸かった。「ふぅ、狭いながらも楽しい我が家だ」 天井を見上げ、息を吐く。 しばらくボーッとしていると脱衣所から気配を感じた。 アリッサ、いや、他のメイドだろうか。 扉を開けて入ってきたのはフェイだった。 当然、全裸である。 フェイは跪き、肩から湯を浴びた。 汚れを洗い流せていないと考えたのか、再び肩から湯を浴びる。 そして、ティリアと向かい合うように湯船に浸かろうとした。「どうして、何事もなかったように風呂に入ろうとするんだ?」「何も言われなかったので、見えていないと思ったのであります」 フェイはそのまま湯船に浸かった。「はぁ~、こうしていると、クロノ様を思い出すでありますね」「いや、私はクロノと一緒に風呂に入ったことはないぞ」「……」 会話が途切れた。「そうか、フェイはクロノの背中を流しているのか」「流して?」 フェイは首を傾げた。「風呂でクロノの背を流しているんじゃないのか?」「……」 ティリアが問い掛けると、フェイは思案するように天井を見上げた。「泡立てたり、ヌルヌルしたりがメインであります」「泡? ヌルヌル?」「胸に石鹸を塗ってクロノ様の背中にピトッと押し付けて泡立て、浴室の床に敷いた布の上でローションを使い、組んず解れつヌルヌルするであります」 後者は想像するしかないが、入浴目的ではないことは間違いない。「……セシリーを騎兵に復帰させたが、様子はどうだ?」「最初の頃は恥ずかしさのあまりどうにかなってしまいそうでありましたが、水着を手に入れた今は大丈夫であります」「そんなことは聞いてないぞ。セシリーの様子はどうだ?」 改めて問い掛けると、フェイは微妙な表情を浮かべた。「概ね評判は良いであります、概ね」「やけに棘のある言い方だな?」「気のせいでありますよ、気のせい」 セシリーはクロノにしたようにフェイにも喧嘩を売っていたのだろうか。「このまま騎兵を続けて貰おうと考えているんだが?」「……っ!」 フェイはギョッとした顔でティリアを見つめた。「セシリーに何かされたのか?」「厩舎の掃除の仕方が悪いと怒られ、馬の世話が下手となじられ、脚甲を着けたまま蹴られ、馬糞女という蔑称で呼ばれた|だ(・)|け(・)であります。また、耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶ生活が始まるのでありますか?」 過去のことは水に流してとか、子どもじゃないんだからとか言えそうな雰囲気ではなかった。「……セシリーに騎兵を育成して貰おうと思うんだが」「はぁ、短い春だったであります」 フェイがブクブクと沈んでいく。「い、いや、フェイには騎兵隊長を続けて貰うぞ」「そうでありますか!」 フェイは嬉しそうに浮上した。「セシリー殿が騎兵の育成でありますか。時折、顔を見せて労いの言葉を掛けた方が良いでありますかね?」 意趣返しする気満々、溢れんばかりの笑顔だ。「それは止めた方が良いんじゃないか?」「部下の指導も上司の務めであります」 フェイは普段と変わらない口調で言ったが、指導にかこつけて屈辱を味合わせたいという気持ちが伝わってくる。 ともあれ、フェイとセシリーは別々に動かすべきだろう。 いざという時に喧嘩を始められたら目も当てられない。 ハードルが一気に上がってしまったな、とティリアは溜息を吐いた。※ 翌日、ティリアは工房から運び出された発明品……機織り機、ハンドルの付いた箱、樽に巻き付けられた鉄の茨、弓らしき物を見つめた。 ティリアは機織り機の前に立つ。 技術開発が目的だからか、エレインの工房にあったそれに比べると小さめだ。「……これがシュパ、もとい、飛び杼か」 機織り機の上部から紐が垂れている。 紐を引くと、杼が右から左に移動した。 もう一度引くと左から右に移動した。 う~む、とティリアは唸った。「これは作業効率的にはどうなんだ?」「三割増しという所ですな」 ティリアが尋ねると、ゴルディはこともなげに答えた。 作業効率が増す上、三人で織っていた布を一人で織れるようになる。「……画期的な発明なんだが」「気持ちは分かりますぞ。私も千歯扱きを作った際には、どうして、誰もこんな簡単なことを思い付かなかったのかと思ったものですぞ」「そうだな」 ティリアは小さく頷いた。 試行錯誤が必要だったにせよ、ゴルディに作れたということは作る技術はこの世界にあったということだ。「この箱もクロノのアイディアか?」「そうですぞ」 ティリアはハンドルの付いた箱……多分、子どもの描いたカタツムリを立体化すればこんな感じになるだろう……をしげしげと眺めた。「これは何のために使うんだ?」「玄麦と籾殻を選別するのに使いますぞ」 ほぅ、とティリアは感嘆の声を漏らした。「この中に四枚羽根の板が入っているのですぞ」 ゴルディはカタツムリに喩えるなら殻の部分を差した。「羽を動かして風を起こし、上から玄麦と籾殻を入れ、重さによって選別する仕組みですぞ」 同じようにカタツムリに喩えるなら胴体の側面に二つ、頭の部分に一つ、穴が空いている。「こっちの方が手間が掛かっていそうだな」「大変でしたぞ」 ゴルディは溜息交じりに答えた。 まあ、理屈が分かっていても実際に作るためには試行錯誤が必要ということだろう。「次は鉄の茨か」 鉄の茨と言っても茨そのものではない。 長い鉄線に短い鉄線を巻いた物を撚り合わせて作っているようだ。 樽に巻き付けられているのは絡まるのを防ぐためだろう。「休耕地に放した家畜を逃がさないために開発した物ですぞ。ただ……」「それほど需要がなかったということか?」「その通りですぞ」 ゴルディは力なく頭を垂れた。 支柱を立てた後は横板の代わりに鉄の茨を張れば良いのだから普通に柵を作るより楽に違いない。 しかし、クロノの領地は牧畜を主産業としている訳ではないし、仮に需要があったとしても放牧地を囲える量を無償で提供する訳にはいかない。「陣地を作る時に使えば良いんじゃないか?」「確かにそういうことにも使えますな。しかし、実用に耐えますかな?」「問題点の洗い出しも含めて騎士アーサー……ワイズマン教師に任せよう」 アーサー・ワイズマン教師は経験豊富で柔軟な思考を持つ男だ。 彼ならば有効な使い方を見つけてくれるはずだ。「……最後は弓か」 ティリアは弓らしき物を手に取った。 金属と木で作られたフレームに機工弓を組み合わせているようだ。 何に使うのか分からないが、輪が先端部分に付いている。 弦を引いてみるが、かなり固い。「随分、固いな」「……ティリア皇女」「まあ、待て……神よ!」 ティリアは神威術で筋力を強化して弦を引いた。 弦を引いた所には湾曲した金属板があった。 どうやら、これで弦を保持するようだ。「どうだ!」「弦は輪に足を掛けて引くのですぞ」「こ、これはどう使うんだ?」「こう構えて、引き金を引くのですぞ」 ティリアが弓を手渡すと、ゴルディは抱えるように構えて引き金を引いた。 すると、弦が弾けるように解き放たれた。「これもクロノか?」「これは私が作った物ですぞ。以前、弦が強くて引けない弓を作ってしまいましてな。威力を保ったまま、どうにかして弦を引けないか研究を重ね、これを作ったのです」 ゴルディは誇らしげに胸を張った。「この弓は誰にでも同じ威力が出せるのですぞ!」「そうだろうな」 この弓はどの位置まで弦を引くか決まっているのだ。 従来の弓のように勘と経験に頼る部分が少ない。 動いている的に当てるためには習熟を必要とするだろうが、訓練期間は弓兵に比べて短くなるはずだ。「しかし、どうして、大隊に配備されていないんだ?」「射程が短いのですぞ」 ああ、とティリアは思わず声を上げた。 機工弓は射程が長い上、鎧を貫くほど威力がある。 さらに連射性も高い。 つまり、この弓は機工弓より劣った武器なのだ。「……いや」 ティリアは小さく頭を振った。 訓練を積んだ兵士にとっては劣った武器だが、そうでない者にとってはどうだろう。 クロノはいざという時にベテル山脈の民を戦力とするつもりのようだが、実際に戦力として数えられるのは極少数だ。 いかに優れた資質を備えていても訓練なしに真価を発揮することはできない。 しかし、この弓があれば戦力になりうる。 平民を兵士に仕立てることも不可能ではないだろう。 もちろん、本人に戦う意志があればだが。「この弓に名前を付けたか?」「私は名付けていませんぞ」「ならば私が名付け親になってやろう。十字弓ではどうだろう?」「安ちょ、ゲフゲフ、名は体を表すを地で行くようなネーミングですな。ですが……」「そうだろう、そうだろう」 ティリアはゴルディの言葉を遮り、胸を張った。「では、手始めに鉄の茨を百メートル、十字弓を十挺作ってくれ」「……分かりましたぞ」 ゴルディは少しだけ間を置いて答えた。「量産するかはワイズマン教師に運用方法を研究させてから判断するとしよう。上手くすれば戦争の在り方が一変するぞ」「……まさか、それほどとは」 緊張からか、ゴルディはゴクリと喉を鳴らした。「だから、鉄の茨と十字弓の情報を漏らすな。もちろん、飛び杼もだ。このカタツムリもどきは広めても良いぞ」「唐箕という名前があるそうですぞ」「む、名前があるのか」 クロノがいた世界にある物なのだから、名前があって当然だ。「クロノ様の世界では鉄の茨を有刺鉄線、十字弓をクロスボウと呼んでいたそうですぞ」 ぐぬ、とティリアは呻き、地面を見つめた。 ならば私が名付け親になってやろうと言っていた自分が馬鹿みたいだ。「べ、別に名前を知らなかったんだから仕方がないと思うのだが?」「仰る通りですぞ。私もクロスボウが出来上がった時には自分は天才なのではないかと小躍りしたものですが、クロノ様に『ああ、クロスボウね』と言われて激しく落ち込みましたぞ」「……鉄の茨と十字弓で押し通す」「宜しいのですかな?」「ふん、別の世界に同じ物があっても作ったのはお前だ。この世界における命名権はこちらにある」「……」 ゴルディは無言だ。 何か言いたそうな目でこちらを見ている。 多分、命名権は私にあるのでは? みたいなことを考えているのだろう。「ティリア皇女、宜しいでしょうか?」「む、アリッサか」 助かった、とティリアが拳を握り締めて振り返ると、アリッサは恭しく一礼した。「『シナー貿易組合』組合長、エレイン・シナー様がいらっしゃってます。如何なさいますか?」「エレインは何処にいる?」「ティリア皇女のご予定を伺ってからと考え、門の前でお待ち頂いております」「……エレインとは約束をしていたんだが」 ティリアはゴルディに向き直った。「機織り機を残して工房に戻し、念のために布を掛けろ!」「分かりましたぞ!」 ドワーフ達は一斉に動き始めた。※ アリッサがエレインを連れて戻ってきたのは片付けが終わった数分後のことだった。 今日のエレインは気合が入っていた。 先日は事務官のように地味な服装だったが、今日は黒のドレスを着ていた。 スカートの丈はふくらはぎくらい、真珠のネックレスが胸元を彩っている。 公式な場ではなく、それに準じた場で着るような服だ。 アリッサは少し離れた場所で立ち止まると恭しく一礼した。「ティリア皇女、エレイン様をお連れしました」「ご苦労」 ティリアは短く言って、エレインを見つめた。「ご多忙な中、私のような者のためにお時間を割いて頂き、感謝の念に堪えません」「気にするな。約束したのは私だ」 ティリアは機織り機の隣に移動し、飛び杼……正確には紐を指し示した。「これがシュパこと、飛び杼だ」 紐を引くと、飛び杼が右から左にスライドする。 もう一度引くと、今度は左から右に移動した。 エレインは軽く目を見開いている。 きっと、ティリアと同じような感想を抱いているのだろう。「こんな物で、という顔だな?」「……恐れながら」「気持ちは分かるが、大切なのは発想だ」 視線を感じたが、あえて無視する。「申し訳ございません。自分の浅はかさを恥じ入るばかりでございます」「分かれば良い。だが、飛び杼が画期的な発明であることを忘れるな。そして、それだけの発明をお前に委ねることの意味もだ」「……承知いたしました。情報を漏らさぬよう細心の注意を払います」 エレインは神妙な面持ちで頷いた。「飛び杼を機織り機に付け加えるために技術者を派遣したいと思うのだが、いつならば都合が良い?」「恐れながら、部下に状況を理解させるために一日猶予を頂きたく存じます。明日、改めて参りますので、その際に技術者の方々と共にシルバニアに発たせて頂きたく存じます」「分かった。では、馬車と宿についてはこちらで手続きを進めておこう」 少し忙しくなりそうだな、とティリアはこれからするべきことに思考を巡らせた。