第18話:終わりの始まり
第18話:終わりの始まり
※ 帝国暦四三三年三月下旬――見知らぬ貴族がアルフィルク城を闊歩している。 豪奢な衣装を身に纏っている者もいれば、古い軍服を着ている者もいる。 老獪そうな男もいれば、間抜けそうな男もいる。 外見は統一感を欠いているが、アルフォートに取り入ろうとしている点は共通している。 やれやれ、ここは社交会ではないのだけれどね、とリオはそんな貴族達を横目に見ながらそんな感想を抱く。 彼らがお互いをライバル視して足の引っ張り合いをしてくれれば助かるのだが、なかなか仲が良い。 小人閑居して不善を為す……凡人が暇を持て余すと碌なことをしないというような意味である。 面を向かって言い放てば間違いなく喧嘩になる言葉だが、リオはこれほど彼らに相応しい言葉はないと考えていた。 彼らは招かれざる客だ。 アルフォートは彼らを歓迎しているが、近衛騎士や宮廷貴族は邪魔だと考えている。 口に出さなくても感情は伝わるものだ。 そのせいだろうか、彼らは有形無形の圧力に抗うために群れるようになった。 ここまで人数が増えてると一人、二人惨たらしく殺しても大人しくなるどころか、勢いづく可能性がある。 そんなことをすればアルフォートは嬉々として問題解決に乗り出し、リオを処罰して得意げに小鼻を膨らませるに違いない。 自分や部下のミスで処罰されるのならまだしも、子どもの遊びに付き合わされて処罰されたくはない。 そんなことを考えている内に目的の場所……ピスケ伯爵の執務室に到着する。 扉をノックしてから執務室に入る。 ピスケ伯爵は口元を隠すように手を組んでいた。 顔色は悪く、ピリピリした雰囲気を漂わせている。 帝都の治安が多少なりとも改善したお陰で持ち直していたのだが、また厄介事を押し付けられたのだろう。 政治で近衛騎士団長の座に就いた男が、政治に翻弄されるとは皮肉な話である。 体を壊す前に引退すべきだと心から思う。 しかし、引退を勧めてもピスケ伯爵は首を縦に振らないだろう。 追い詰められている人間は視野が狭まるのだ。「やあ、何のようだい?」「……」 リオが努めて陽気に声を掛けてもピスケ伯爵は答えない。 一、二分待っていると、ピスケ伯爵はゆっくりと口を開いた。「第九近衛騎士団は三月末日で城の警備任務を解かれることになった」「おや、突然だね」 いずれ、警備任務を解かれることになると考えていたので、動揺は少なかった。 もっとも、その時がこんなに早く訪れるとは思わなかったが。「理由を聞かないのか?」「教えてくれるのなら聞くさ」 リオは軽く肩を竦めた。 近衛騎士団は皇帝直属の部隊だが、辞令は軍務局経由で下される。 ピスケ伯爵が伝える時点で裏があると言っているようなものなのだ。「……職務放棄が原因だと聞かされている」「おや、ちゃんと許可は取ったのだけれどね?」 職務放棄とはエラキス侯爵領に士爵位の叙爵証書を届けに行ったことだろう。 居心地が良くて居座ってしまったが、それも含めてきちんと許可を取っている。「十ヶ月も帝都を離れられては……」 庇いようがない、とピスケ伯爵は押し殺したような声で言った。「嘘は嫌いなんだけれどね」「本当のことだ」 ピスケ伯爵はリオの目を見つめて言ったが、そんな言葉を信じられるのならもっと楽に人生を歩んでいたことだろう。 本人だって信じて貰えるとは思っていないはずだ。 つまり、問題にしないと確約したことを反故にしなければならなくなったということである。 十中八九、アルコル宰相の仕業だろうが、納得できない点がある。 今、第九近衛騎士団の警備任務を解けばアルフォート派を勢いづかせることになる。 ただでさえ、影響力が低下しているのにそんなことして何になるのか。 それともアルフォート派の訴えを退けられないほど力を失っているのだろうか。「で、ボクらは何処に行けば良いんだい?」「しばらくは城で待機任務だ」「もう城の中を自由に歩き回れなくなるね」 残念だよ、と溜息交じりに呟く。 ドロドロの宮廷恋愛を特等席で観察できなくなることが残念でならない。「後任は決まっているのかい?」「まだだ」 ピスケ伯爵は渋い顔をしている。 もう苦笑するしかない。 今回の辞令がリオの権限を奪うため……ひいては馬鹿どもを自由に歩き回れるようにするためと白状しているようなものだからだ。「まったく、何を考えているんだろうね」「……ケイロン伯爵、済まない」「いや、そっちにはそっちの事情があるんだろうし、気にする必要はないさ。じゃあ、ボクは行くよ」 リオはヒラヒラと手を振って踵を返した。※ リオが自分の執務室に戻ると、副官は恭しく頭を垂れた。 そんな副官を横目に自分の席に着き、小さく溜息を吐く。「リオ様、お疲れ様でした」「ただいま」 副官は香茶を注ぐと机の上に置いた。 リオは爽やかな香りを愉しみながらカップを口元に運ぶ。 いつ戻ってくるか分からなかったはずなのに香茶はリオ好みの温度を保っている。 こういう時、彼を副官に据えて良かったと心から思う。「ピスケ伯爵は何と?」「警備任務は今月一杯で終了だってさ」「……」 副官は無言だったが、その顔は憤怒で赤く染まっている。「まあまあ、落ち着きなよ」「落ち着いておりますとも。宜しければ私がピスケ伯爵に抗議をして参りますが? もちろん、冷静沈着に理路整然と抗議いたします」 副官は右腕を振り子のように振りながら言った。 これならば冷静沈着にピスケ伯爵を撲殺できそうだ。「許可は出せないよ」「……リオ様がそう仰るのならば」 副官は渋々という風に頷いた。 流石に『ちょっと、ぶっ殺してきます』と言われて許可を出す訳にはいかない。「しかし、どのような理由で?」「クロノの所で遊び呆けたせいらしいね」「八ヶ月も経ってから処罰するとは納得できかねますな。ましてや、リオ様が不在の間に抗議をしてこなかったのですから」 信賞必罰は世の習いとは言え、何事にも期限というものがある。 報償も、罰も速やかに与えなければならない。「理由として正しいかじゃなく、口実として使えるかだろうね」「ますます承服致しかねます」「訴えた所で勝負は目に見えているさ。ボクは色々やらかしているからね」 決闘で相手を刻み殺したことも、ドレスを着て舞踏会に参加したことも口実に使おうとすれば使えるのだ。「……政治ですか?」「厄介なことにね」 徹底抗戦して深みに嵌まっては目も当てられない。 出世願望がある訳でもなし。 面倒なことからはさっさと手を引くに限る。「嫌なものですな」 副官は渋い顔をしている。「政治は嫌いかい?」「好きではありませんな。自分達が巻き込まれるなら尚更」 よくもまあ、こんな性格で伯爵家の家令を務められたものだね、とリオは苦笑した。「君がボクの父上を見限ったのも政治だろうに」「政治とは好き嫌いでやるものではありますまい」 そういう彼の政治的手腕は見事なものである。 彼がいなければリオは父親を殺すことになっていただろう。 親愛の情は絶えて久しいので、殺すこと自体に抵抗はなかったのだが、穏便に家督を継げるのならばそれに越したことはない。「ふ~ん、ボクの父上を嫌いではなかったということかい?」「好きでも嫌いでもありませんな」 彼は軍の再編制によって職を失い、ケイロン伯爵家の使用人になった経緯がある。 年齢だけ考えれば兄弟のような関係でも不思議ではないのだが、父は信頼関係を築くのに失敗したようだ。「ボクも追い落とされないように注意しないといけないかな?」「ご冗談を」 副官は鼻で笑った。 ケイロン伯爵家の使用人や第九近衛騎士団の忠誠心が何処から湧いているのか思い当たる節がなくて居心地が悪い。「理由はさておき、ボクらはお役御免だ。あとはテキトーに……」「それはできかねます」 副官がリオの言葉を遮った。「三月末日まで城の警備は第九近衛騎士団の管轄です。政治的な判断があったにせよ、最後まで責任を以て任務をこなさなければなりません」「真面目だねぇ」 リオは溜息を吐いた。 副官と言い、ワイズマン教師と言い、古い騎士は頑固だ。 新しい騎士としてはそれが羨ましくもある。 二人とも方向性は違うが、芯というべきものを持っている。 さて、とリオは立ち上がった。「何処かに行かれるのですか?」「警備の任を解かれたら自由に城を歩けなくなりそうだからね。今の内に知り合いに挨拶をしておこうと思って」「ああ、ファーナ殿ですな」「彼女以外に友達がいなくてね。それが済んだらクロノの所に遊びにいってくるよ」「……エラキス侯爵ですか」 副官は顔を顰めた。「クロノが嫌いかい?」「リオ様の恋人でなければ好きになれたでしょうな。まあ、年寄りというものは若者に嫉妬するものです」 何に嫉妬しているんだか、とリオは苦笑して執務室を後にした。※ 皇帝陛下がご存命だったら寝室で張っていれば良かったのだけれど、とリオはファーナの姿を求めて城内を彷徨う。 彼女の執務室と女官の休憩室の場所は知っているが、直接訪ねるなんてことをしたら良からぬ噂を立てられてしまう。 痴話喧嘩や刃傷沙汰は大好物だが、根拠のない噂話の主役になりたくはない。 偶然を装うのが一番良いのだ。 幸いと言うべきか、女官長であるファーナは多忙で城内を歩き回っている。 運が悪くなければ三月末日までに出会えるだろう。「あら、ケイロン伯爵」「その声はナム殿だね」 背後から名前を呼ばれて振り返る。 すると、ナム・コルヌ女男爵とその娘……アイナが近づいてきた。「やあ、アイナ殿。元気そうだね」「はい、お陰様で」 アイナはナム・コルヌ女男爵の陰に隠れながら軽く会釈をする。「ナム殿はどんなご用件で?」「部屋に閉じ籠もっているのも息が詰まりますので、気分転換に娘と城内を歩いていたんですよ」「三月と言ってもまだまだ寒いですから部屋にいらした方が宜しいのでは?」「少しくらい体を動かさないと鈍ってしまいます」 リオがマフラーを撫でながら言うと、ナム・コルヌ女男爵は童女のように微笑んだ。 ただし、目は笑っていない。 彼女の言い分は完全に建前だ。 娘がレオンハルトに相手にされなかったので、男あさりをしているのだろう。「それで感想は?」「やはり、まだまだ寒いですね。なので、もう少ししたら部屋に戻ろうかと思います」 どうやら、お眼鏡に適う男はいなかったようだ。「あの、ご都合の宜しい時で構いませんので、帝都を案内して頂けませんか?」「帝都は治安が悪いですから、アルヘナ殿か、ロイ殿に頼まれては如何でしょう?」 一応、二人とも名家出身だ。 どちらも面倒臭い性格をしているが、護衛として申し分ない実力を有している。「ケイロン伯爵は近衛騎士団長の中でも一、二を争う実力者と聞いております」「ご覧の通り、ボクは強そうに見えないので、護衛としては役立たずです」 そのリオと互角以上の戦いを繰り広げておきながら白々しい。 彼女ならスラムでも鼻歌交じりに通り抜けられるだろう。「謙虚、なのですね」「騎士の剣は軽々に振るわれるものではないと考えています」 リオは胸に手を当てて答えた。「では、仕方がありませんね。けれど、他に頼れる方がいらっしゃらないので……」「お母様、エラキス侯爵にお願いすれば良いのではないでしょうか?」 ナム・コルヌ女男爵が目配せすると、アイナがすかさず答えた。 本意ではないのか、声が上擦っている。「おや、クロノ殿と知り合いなのですか?」「ええ、ちょっとした縁がありまして」「クロノ殿は仕事で忙しいと思いますよ」「……三人で帝都を歩けば気晴らしになると思ったのですけれど」 リオが剣の柄に手を添えながら言うと、ナム・コルヌ女男爵は髪を掻き上げた。 いざとなれば腕を一本犠牲にしてでもリオと距離を取るつもりだろう。 『蒼にして生命を司る女神』の神威術士ならではの戦法だ。「やはり、お仕事の邪魔をしてはいけませんよね。なかなか手広くお仕事をされている方ですからお話をしたかったのですけれど」 彼女の前任地はカイ皇帝直轄領……『蒼にして生命を司る女神』の信仰が盛んな貿易都市だ。 住民感情に配慮して彼女を派遣したと思っていたが、期待された役割をこなすだけの女ではなかったようだ。 いや、こういう女だからカイ皇帝直轄領に派遣されたのかも知れない。「今の任地はアルフィルクですが?」 ナム・コルヌ女男爵はわずかに首を傾げただけだ。 もうすでに根回しは済んでいるということか。「クロノ様とは家族ぐるみのお付き合いをしたかったのですけれど、別のアプローチを考えます」 馬に蹴られたくないので、と囁くような声音で付け加える。「では、失礼致します」 ナム・コルヌ女男爵は軽く頭を下げると踵を返したが、歩き出そうとしない。「そう言えば『三月と言ってもまだまだ寒い』と仰ってましたが……」「去年に比べれば寒いと思いますよ」「今年は冷夏になるでしょうか?」 リオは少しだけ考え、口を開いた。「根拠はありませんが、今年は涼しい夏になると思います」「ええ、それで十分です」 何が十分なのか、ナム・コルヌ女男爵はゆっくりと歩き始めた。※ 城の居住エリアは静寂に支配されていた。 掃除が隅々まで行き届き、調度品が空間を彩っている。 にもかかわらず、寂れた印象を受けるのは居住エリアの主……ラマル五世がいないせいだろう。 陛下がご存命の頃からこうだったかな? とリオは小さく首を傾げた。 そうだったような気もするし、そうでなかったような気もする。 そんなことを考えながら歩いていると、ファーナが寝室から出てきた。「やあ、ファーナ殿」「ケイロン伯爵、奇遇ね」 リオが呼びかけると、ファーナは立ち止まり、小さく微笑んだ。 こちらが追いついてからゆっくりと歩き出す。「久しぶりに来たけれど、寂れたような気がするね」「そんなことないわよ。ここは昔とちっとも変わってないわ」「ファーナ殿が言うのなら間違いないだろうね」 リオは軽く肩を竦めた「どうして、こんな所に?」「こんな所なんて酷いわね。仮にもここは陛下が住んでいた所なのよ」 非難するような雰囲気はなく、友人と話すような気楽さがある。「陛下のことを忘れられないのかい?」「サボってただけよ」「ファーナ殿は真面目な人だと思っていたんだけれどね」「女官長は真面目なだけじゃ務まらないのよ。騎士だってそうでしょう?」「さて、どうだろうね?」 リオは首を傾げた。 近衛騎士団長は真面目な性格の者が多いが、自分でも務まるくらいだから誰にでも務まるのかも知れない。「ケイロン伯爵は何のためにここに来たのかしら?」「三月末日で警備の任務を解かれることになってね。挨拶をしておこうと思ったのさ」「何処かに行くの?」「配置転換はないみたいだけど、自由に城内を歩き回れなくなるからね」 そうなの、とファーナは残念そうに呟いた。 自分が何とかしてあげると言い出さないのは彼女の美徳だ。 女という生き物は男の力を自分の物と錯覚する傾向にあるが、彼女はきちんと区別している。 少なくともリオにはそのように見える。「恋人とは順調なの?」「まあ、それなりだよ」 ご無沙汰だけれどね、と心の中で付け加える。 折角、帝都に来ているのだから、思う存分とは言わずとも不満を覚えない程度に愛し合いたい。 しかし、その機会がない。 多分、レイラとは愛し合っている。 それを思うと妬心が湧き上がる。「……羨ましいわ」「そうかい?」 大勢の愛人を囲っている男と付き合うのは大変だ。 こんな体でも他の女と比べられたくないし、いつか選ばれない日が来るのではないかという不安が付き纏う。 それでも、普通の女に羨ましいと言われるのは気分が良かった。 リオの気持ちが分かったのか、ファーナは困ったように微笑んでいる。「……私はそういうのなかったから」「陛下のことを愛していなかったんだね」 城の警備を務めていればファーナがどのような経緯で妾妃となったのか耳に入ってくる。 ラマル五世の行動を見ていればそれが真実だということも分かってしまう。「愛はなかったわね」 ファーナはさっぱりとした口調で言った。 それはそうだろう。 これで愛情を持っていると言われたら、どんな反応をして良いのか分からない。 まあ、始まり方は最悪でも終わった後でこんな風にしていられるのならばまだしも救いがあるような気がする。「じゃ、ボクはそろそろいくよ」「何か用事でもあるの?」「恋人に会いに行こうと思ってね」 リオとファーナは廊下の分岐点で別れた。※ 第十三近衛騎士団の拠点は第一街区にある。 そこは名だたる大貴族の屋敷が建ち並ぶ区画だ。 金銭的な理由から拠点を置くのに不適当な区画なのだが、訳ありの物件であれば話は別だ。 ピスケ伯爵がクロノのために用意した屋敷も訳ありの物件だ。 その屋敷には内乱期に惨たらしく殺された貴族の幽霊が現れるらしい。 もちろん、リオは信じていない。 大方、人を遠ざけるために噂を立てたとか、そんな所だろう。 リオは屋敷の門を通り抜け、扉の前で立ち止まった。 そこには二人の獣人が槍を構えて立っていた。 ふと二階を見ると何かがこちらを見下ろしていた。「ボクは何も見てないさ」『何の用ですか?』(が~う?) 獣人の兵士はリオの呟きを無視して尋ねてきた。「クロノを呼んで欲しいんだ」『分かりました』(がう) 獣人の兵士は頷くと屋敷の中に入って行った。 リオは庭の木を盗み見た。 木の枝から縄が垂れ下がっている。「……ボクは何も見ていない」 余計なものを見ないようにしてしばらく待っていると、獣人がクロノとレイラを連れて戻ってきた。「リオ、何かあったの?」「逢い引きの誘いに来たのさ」「いや、僕には仕事が……」「折角ですから出掛けられては如何ですか?」 レイラがクロノの言葉を遮った。「でも、仕事が……」「クロノ様は働き過ぎです」「きちんと休日は取ってるよ」 クロノが言い訳がましく言うと、レイラは深々と溜息を吐いた。「休日も屋敷に待機していては意味がありません。私が留守を預かりますので、クロノ様は羽を伸ばしてきて下さい」 レイラはバツが悪そうにしているクロノを残して屋敷の扉を閉めた。「何処に行くの?」「最後は第二街区にあるレストランに行こうと思ってるけど、それ以外のスケジュールは白紙だね」「レストランの予約は?」「会員制だから心配はいらないさ」 第二街区にあるレストランは完全個室制だ。 外観は城館然としていて看板もない。 貴族が密談を行うための店だ。「観光しようにも治安が良くないしな~」 クロノはウンウンと唸っている。 近衛騎士に突っかかってくるヤツがいるのなら見てみたいものだが、黙っていた方が良いだろう。「そもそも、観光スポットって帝都にあったっけ?」「郊外なら初代皇帝に焼き討ちされた神殿の跡があるよ。あとは皇弟派の貴族が吊された木とか」「それは観光スポットじゃなくて、心霊スポットだよ」「似たようなものだと思うけどね」 帝国の黎明期とそれ以前の宗教建築は初代皇帝によって破壊されているし、破壊を免れた建物は今も何らかの形で利用されているので、簡単に見学できない。 歴史的背景を持つ建造物も似たようなものだ。 どの建物でも血生臭い事件の一つや二つ起きている。 クロノはウンウンと唸り、「あ!」 と声を上げた。※ レオンハルト・パラティウムの屋敷は第一街区の一角を占有するように建てられている。 高い塀と四方に円筒を備えた城館は幾度かの改築を経て完成したものだが、帝都でも指折りの古さであることは間違いない。 レオンハルトは東屋で優雅にカップを傾ける。 まだまだ寒いが、注意深く見れば庭園から春の息吹を感じ取れるだろう。 カップをテーブルに置き、静かに息を吐く。「……それで二人とも何をしに来たんだい?」「観光に来ました」 レオンハルトの質問に答えたのはクロノだ。 お世辞にも優雅とは言えない仕草でカップを傾け、ホッと息を吐く。「観光?」「帝都は物騒だからね。レオンハルト殿の屋敷なら安全に珍しいものが見られると思ったのさ」 リオは香茶を口に含み、少しだけ顔を顰めた。「レオンハルト| 様 ( さんま ) 、顔を顰められただ! 教養のないオラには接待なんて無理だ! 他の人に代わって欲しいだよ!」 レオンハルトの背後に控えていたメイド……リーラというらしい……が今にも泣き出しそうな顔で喚いた。 ポッチャリとした女である。 醜女ではないが、人並み以下であることは間違いない。 胸や尻には必要以上に肉が付き、腰回りはダルッとしている。 口調と言い、欠けた八重歯と言い、垢抜けない雰囲気が漂っている。 税を払えなかった農民が娘を差し出してきたと言われても信じてしまいそうだ。 女の扱い方を勉強させるために宛がったのかな、とリオは脚を組んだ。「いえいえ、僕らのことは気になさらないで下さい」 そう言って、クロノはクッキーに手を伸ばした。 レオンハルトは苦笑している。 もしかしたら、出来の悪い弟のように考えているのかも知れない。 当たり前のことだが、対面や面子を気にしていたらリーラのようなメイドを傍に控えさせたりしない。 きっと、レオンハルトもクロノに心を許しているのだろう。「……近衛騎士団長が仲良くお茶会とはね」「私はこういうのも悪くないと思っているよ」 リオが頬杖を突きながら呟くと、レオンハルトはカップを両手で支えながら言った。「第二近衛騎士団にいた頃はエルナト伯爵に香茶や酒をご馳走になったものだよ」「押し掛けたり、押し掛けられたりしたことはないんじゃないかな?」「まあ、ね」 レオンハルトは困ったように笑う。 近衛騎士団長……貴族の友情はなかなか難しい。 家格や肩書きが関わってくる。 不意にカチャという音が聞こえた。 音のした方を見ると、クロノがギョッとした顔でこちらを見ていた。「ご迷惑でしたか?」「……そんなことはないとも」 レオンハルトは少し間を置いて答えた。「では、香茶を飲み終えたら屋敷を案内するとしよう」「ところで、クロノはどんな物を見たいんだい?」「……ドラゴンの骨とか」 リオとレオンハルトは顔を見合わせた。 パラティウム家は初代皇帝の血に連なる大貴族ではあるが、ドラゴンを退治したなんて話は聞いたことがない。「いや、ドラゴンの骨じゃなくても珍しい動物の剥製でも何でも良いです。ほら、僕の前任者もそうでしたけど、貴族って変なも……面白そうな物を収集してたりするじゃないですか」 どうやら、クロノは本当に珍しい物が見たくて来たらしい。 リオは楽しくて仕方がないが、レオンハルトは気まずそうだ。「クロノ殿、流石にそういう物は……」「あるだよ」 リーラがレオンハルトの言葉を遮った。 使用人が主の言葉を遮るなどあってはならないのだが、二人の関係がそうさせるのだろう。「そんな物があっただろうか?」「巨人の骨とか、でっかい鳥の剥製だとか、一角獣の角とか飾ってある部屋があるでねぇか。ホントに知らねぇだか?」 ふむ、とレオンハルトは思案するように顎を撫でる。「もしかして、それは開かずの間のことか?」「開かず? 何言ってるだ。月に一回、オラ達が掃除してるだよ」 レオンハルトは不思議そうに首を傾げている。「ふむ、父はそういうことにお金を注ぎ込むタイプではなかったと思うのだがね?」「そりゃ、レオンハルト様の買い被りすぎだ。今はともかく、昔は大枚叩いて変な物を買い集めてたって爺やさんが言ってただ」「……なるほど」 レオンハルトは神妙な面持ちで頷いた。 まあ、要するにその部屋は父親の恥ずかしい過去と言うか、若気の至りの集大成なのだろう。 大金を投じたせいで捨てるに捨てられず、真面目な息子に知られたくないという理由から開かずの間にしたに違いない。「口止めはされていなかったのかね?」「いつまでも隠せるもんでもねぇだよ。ちゅうか、オラは今の今までレオンハルト様が興味を持たなかったことの方が不思議でならねぇだ」 レオンハルトはほんの少しだけ顔を顰めた。 どうやら、パラティウム家はパラティウム家で問題を抱えているらしい。 血が繋がってない方は仲が良いのにね、とリオはクロノを見つめた。※ 銀の器に盛られたフルーツとワインが小さなテーブルの上に置かれている。 ワインの質はもちろん、部屋の調度品も一流どころが揃えられている。 もっとも、城の居住エリアやレオンハルトの屋敷を訪れた後だと見劣りしてしまうが。 リオは舐めるようにワインを味わいながらクロノを見つめた。 開かずの間に飾られていた品々はクロノの心を鷲掴みにしたようだった。 何が面白いのか分からなかったが、人魚のミイラには笑ってしまった。 どうやら、レオンハルトの父親も騙された口らしい。「リオ、ちょっと気になることがあるんだけど?」「何だい?」「どうして、ベッドがあるんでしょう?」 クロノが肩越しに背後を見ると、そこには天蓋付きのベッドがあった。 もちろん、枕は二つある。「ふふふ、初心な娘じゃあるまいし、今更そんなことを聞くのかい?」「やっぱり、そういうレストランなのね」 クロノはリオに向き直り、ワイングラスに口を付ける。 飲み干したりせずに唇を湿らせる程度だ。「こういうことをするためのレストランではないよ」 リオは立ち上がってクロノに歩み寄り、その太股の上に静かに腰を下ろした。「こういうこともさせてくれるレストランさ。思う存分、愛し合おうじゃないか」「……」 クロノは無言だ。 無言でリオの上着のボタンを外している。「おやおや、揉むほどの大きさはないのだけれどね」「いえいえ、揉みがいがありますよ」 反応的な意味で、とクロノはリオの耳元で囁いた。※ ドーン、ドーンという音が響き、そのたびに突き上げられるような衝撃を感じる。 城砦はパニックに陥っていた。「……くっ」 リオ将軍は小さく呻いた。 自分の率いる軍は精強だと思っていたが、電光石火で蹴散らされ、城砦に逃げ込む羽目になってしまった。 援軍を期待できない以上、籠城しても意味がないと分かっている。 だが、残存兵力を結集しようにもパニックに陥った兵は容易に従ってくれない。 こんな状況で判断力を保っていても絶望が深まるだけだ。 クロノ将軍の軍は城砦を取り囲み、攻撃の手を緩めようとしない。「……ああ」 リオ将軍は小さく喘いだ。 ドーン、ドーンという音が響いている。 破城槌を城門に叩き付ける音だ。 今の自分にできることは城門が破られる瞬間を待つことだけだ。 音は激しさを増し、城門は破られる寸前だ。 不意に音が止み、次の瞬間、城門が破られた。※ 糸が切れたように力が抜ける。 そのままベッドに突っ伏したかったが、クロノの破城槌が邪魔をしてできなかった。「いつにも増して大量ですな」「……久しぶり、だからね」 リオは荒い呼吸を繰り返しながらクロノに答えた。 太股の辺りがヌルヌルして気持ち悪いが、布を取りに行く余力はない。「揉みがいがありました」「……」 クロノは満足そうだ。 いや、満足していない。 声に余裕がある。 あっちの方もまだまだ元気そうだ。「……リオさん」「少し、休ませて、くれない、かな?」 嫌な予感がした。 よりにもよって、さん付けである。 これで嫌な予感がしなければ恋人失格である。「リオさんはヴラド・ツェペシュをご存じですか?」「知ら、ない」 これはいけない。 逃げようとしたが、脚に力が入らない。「……またの名を串刺し公。串刺し刑はご存じでしょうか?」「知って、る」 串刺し刑とは口や肛門などから木の杭を打ち込むという処刑方法である。「ま、さか」「いえいえ、流石にそっちはね」 ホッと息を吐く間もなく、リオはクロノに抱えられていた。「ズブッといきます」「く、クロノ、心のじゅ……んんっ♪」 突然の浮遊感、その直後に襲い掛かってきた衝撃に甘い声を漏らした。※ その夜、リオとクロノは箱馬車で屋敷に戻った。 クロノが箱馬車から降りると、レイラが駆け寄ってきた。「クロノ様、ピスケ伯爵から手紙が届いています」「何の用だろ?」 クロノはレイラから手紙を受け取るとその場で開封した。「何が書いてあるんだい?」「三月末日で任務を解くってさ」 リオは首を傾げた。 一瞬、ピスケ伯爵がクロノの手柄を横取りしようとしているのかと思ったが、今の彼にそんな余裕はないと思い直す。 恐らく、アルコル宰相の差し金だろう。「どうしますか?」「どうするも何も命令だからね。帰るしかないよ」 そう言いながら、クロノは今一つ納得していないようだ。 アルコル宰相に利用されて部下を失っているのだから無理もない。「……面白くないな」 クロノは手紙を睨み、不満そうに言った。※ 帝国暦四三三年四月一日――円卓の間に入室したアルコルはすぐにアルフォートの異変に気付いた。 笑うのを必死に堪えている。 そんな表情を浮かべていたのだ。 四人の長官……皇軍長、財務長、尚書長、宮内長もそのことに気付いている。 アルフォートだけが気付かれていることに気付いていない。 この分ではアルコルが手を回して第九近衛騎士団の警備任務を解いたことにも、ナム・コルヌ女男爵をカイ皇帝直轄領に戻したことにも気付いていないだろう。 アルコルは小さく溜息を吐いた。 最高の教育ではないが、何処に出しても恥ずかしくない程度の教育は施してやった。 少なくとも環境は与えた。 にもかかわらず、出来上がったのは深く物を考えず、他人に 煽 ( おだ ) てられてその気になる盆暗だ。 しかし、真に責められるべきは盆暗を神輿としたアルコルだ。 アストレア妃を憎み、恐れる余り目を曇らせた。 愚かとしか言いようがない。 なればこそ、責任は取らねばならない。 たとえ、自分の命だけでは贖いようのない過ちだとしても。 アルコルは自分の席に向かう。 ふとクロードのことを思い出した。 初めて出会った時、彼を疎ましく感じた。 粗野で、自分勝手で、物語に出てくる英雄のように強く、勇敢だった。 傍にいるだけで劣等感に苛まれた。 だから、彼が南辺境に封じられた時は安堵し、開拓の予算を工面する時は暗い愉悦を抱いた。 しかし、彼はそんな自分の気持ちなど歯牙にも掛けていなかったに違いない。 彼らは貧困の中にあっても笑っていたからだ。 そして、彼らは数々の苦難を乗り越え、南辺境の開拓をやってのけた。 その頃には劣等感に苛まれなくなった。 今では劣等感に苛まれた日々も良い思い出になっている。 ただ、クロードの妻……エルアのことを思うと今でも胸が痛む。 子どもを産めない体を知りながら、嫁がされた気持ちはどうだっただろう。 子どもを産めなかったことを詫びながら死んでいった気持ちはどうだっただろうか。 せめて、エルア・フロンドが生きた証を残してやろうとクロードの提案に乗って戸籍を操作した。 クロノにしたことを思えば偽善の誹りを免れないだろうが、それでも、彼女のために何かしてやりたかった。 その気持ちに偽りはない。 アルコルが自分の席に着くと、大勢の貴族が扉を開けて雪崩れ込んできた。「……退室して貰えませんかな?」「退室の必要はない」 アルコルに答えたのは貴族ではなく、アルフォートだった。 吃音が酷かったが、どうやら、治ったらしい。「余は皇位を継承する」「戴冠式を行おうにも予算がありません」「それならば我々が工面しよう」 先頭に立っていた男が胸を張って言った。 もちろん、善意からではない。 金を出して要職に就くつもりなのだ。「余が思うに帝都が乱れているのは皇帝がいないためだ」 その通りです、と貴族達が追従した。「貧民の救済もままならぬほど浪費したせいとは考えぬのですか?」「余は浪費などしていない」 アルフォートは胸を張った。「……宜しい。皇位を継承することを許可しましょう」 アルコルが言うと、怒りからか、アルフォートは顔を真っ赤にしていた。「よ、余はお前を糾弾するぞ!」 アルフォートは立ち上がり、アルコルを指差した。「お前が理由を付けて余の皇位継承を阻んだせいで帝都の治安は乱れた! その罪は決して軽くはない!」「……儂は亡き陛下の遺言に従ったまで。それに罪があると言うのならばどんな罪を犯したのか明確にして頂きたいものですな」 幾つか仕込みをしてあったのだが、アルフォートとその取り巻きはそこまで辿り着けなかったようだ。「……退室させて頂きますぞ」「アルコルを捕らえよ!」 アルフォートが叫ぶと、貴族達が動いた。 もっとも、その動きは亀よりも遅い。 牽制し合っているのではなく、互いに嫌な役割を押し付け合っているのだ。「……ティリア皇女を幽閉していた主塔に行けば宜しいかな?」 アルコルは立ち上がり、悠然と歩き出した。 道を譲る者はいたが、捕らえようとする者は一人もいなかった。 帝国の終わりはこうして始まった。