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第6話:視察

クロの戦記 異世界転移した僕が最強なのはベッドの上だけのようです — novelup.plus · All chapters

第6話:視察

※ 帝国暦四三三年六月中旬――こんなことをして何になるのか。 そんな思いが胸中を過ぎり、ファルノスは報告書を書く手を止めた。 アルフォートが即位してから二ヶ月……帝都の治安は悪化の一途を辿っている。 窃盗、恐喝、強盗は日常茶飯事だ。 原因はアルフォートが自分の権力を確かなものとするために地方領主や辞職した汚職役人を重要なポストに就けたせいだった。 せめて、アルコル宰相に冷遇されていた文官を重要なポストに就けてくれれば問題を最小限に留めることができただろう。 少なくとも彼らには知識と経験がある。 だが、地方領主にはそれがない。 だから、財務局と尚書局は機能不全に陥り、汚職が再び横行するようになった。 量刑は金次第。 捕まっても賄賂を渡せば釈放される。 事件そのものがなかったことにされることもある。 さらに失業者対策が治安の悪化に拍車を掛けた。 国が失業者に職を与える。 本来ならば歓迎すべきことだ。 しかし、それが鉱山や石切場の仕事ならば、過酷な環境で死ぬまで働かされるという噂がまことしやかに囁かれるようになればどうか。 その答えをファルノス達は身を以て経験することになった。 犯罪者……貧民は死に物狂いで抵抗するようになった。 そうなると、こちらも力で対抗せざるを得なくなる。 死に物狂いで暴れる犯罪者相手に言葉を尽くせと部下に命じることはできなかった。 苛烈な暴力を振るわれると知って大人しくなる者もいたが、さらに苛烈な暴力で対抗しようという者も少なからずいた。 自分の部下から死者は出ていないが、他の街区では死者が出ている。 捕まえたいが、犯人がスラムに逃げ込んだせいでできない。 以前のスラムも酷いものだったが、今は輪を掛けて酷い。 警備兵の力が及ばない無法地帯と化している。「……どうして」 こんなことになってしまったのか、と深い溜息を吐く。 アルフォートが即位した時、彼が若い力で新風を吹かせてくれるのではないかと期待した。 我ながら馬鹿なことを考えたものだ。 危機的状況下で秘めたる力の覚醒や悪魔的閃きに期待するくらい馬鹿げている。 今にして思えば自分はアルコル宰相の……文官が出世する時代に反感を抱いていただけだったのだろう。「……はぁ」 再び溜息を吐き、ペンを動かす。 こんなことをして何になるという思いを消し去ることはできない。 それでも、仕事を投げ出す訳にはいかない。 ここで仕事を投げ出したら、大切なものを失ってしまう。 そんな気がした。※ 執務室の机の上には二種類の契約書が置かれている。 一枚はカイ皇帝直轄領の商業連合がクロノの領地で活動することを認めるという契約だ。 と言っても港の使用料と借地代についてしか明記されていない。 かなり大雑把な条件だが、これは商業連合に所属する商会が足並みを揃えられなかったからだ。 当然のことながら各商会は構成人数はもちろん、財政状況、経営計画も違う。 すぐに動ける商会もあれば、そうでない商会もある。 故に大雑把な条件を決め、あとは個別に契約を結ぶ形に落ち着いたのだ。 決して足下を見ようとした訳ではない。 もう一枚は職人に関する契約書だ。 招致に応じた職人は借地代と二年分の税を免除するという内容だ。 その中には商業連合が窓口となることや身元の保証をすること、保証金として一人頭金貨十枚を預けることも明記されている。 ナム・コルヌ女男爵はすでに署名を済ませており、あとはクロノが署名するだけである。「クロノ、自分の名前を忘れたのか?」「お爺ちゃんじゃないんだから」 クロノが見上げると、ティリアは腕を組んだ。「まあまあ、ティリア皇女。百人を超える職人の人生が掛かっているのです。むしろ、私はその慎重さを好ましく感じます」 前を見ると、ナムは胸の前で手を合わせていた。 優しげな笑みを浮かべているが、彼女の目を見ていると生存本能を刺激される。 入念に打ち合わせしているので、大丈夫だと分かっているのだが、何か良からぬことを考えているのではないかと邪推してしまう。「クロノ、気持ちは分かるが……」「……気持ちは分かるだなんて」「……ぐぬ」 ナムが悲しげに目を伏せると、ティリアは小さく呻いた。「気持ちは分かるが、もう話は動き出しているんだ」「まあ、そうなんだけど、どうしても慎重になっちゃうんだよね」 エレイン達……シルバニアの顔役には商業連合が参入することは伝えてあるし、職人達が工房を構える土地も確保して誰が何処を使うか決めてある。 契約書に署名をするのは最終確認の意味合いが強い。「そう言えば本当に調印式をやらなくても良かったんですか?」「ええ、ティリア皇女が立ち会って下さるだけで十分です」 ふ~ん、とクロノは頷いて羽ペンを手に取った。 経済同盟の面々を呼んで大々的に調印式を行いたかったのだが、それはやんわりと断られた。 まあ、勝手なことをしてアルフォートに睨まれたくなかったのだろう。 クロノはそんなことを考えながら契約書に署名し、ティリアに渡した。「うむ、この署名を以て、契約が成立したとみなす。双方とも意義はないな?」「ないよ」「ございません」 クロノとナムが言うと、ティリアは満足そうに頷いた。「保証金として収められた金貨は問題がなければ二年後に返却される」 問題がなければの部分に力を込める。 これは職人がトラブルを起こさなければという意味だ。「契約は成立した。双方とも契約の履行に努めるように」「わかったよ」「かしこまりました」 ティリアが宣言し、場の空気が少しだけ緩む。「では、私はこれで失礼致します」「よければ送りますよ」「いえ、そのお気持ちだけで」 ナムはやんわりと断る。「分かりました。アリッサ!」 クロノが声を張り上げると、アリッサが扉を開け、恭しく一礼した。「旦那様、どのようなご用件でしょうか?」「ナムさんを玄関まで送ってあげて」「かしこまりました。では、こちらに」「ご丁寧にありがとうございます」 ナムはクロノに一礼するとアリッサと共に執務室から出て行った。「……疲れた~」「疲れたも何も署名をしただけじゃないか」 クロノが机に突っ伏すと、ティリアは呆れたように言った。「それでも、疲れるものは疲れるんだよ」「そんなものか?」 ティリアは机に座り、優雅に脚を組んだ。「……その図太さを見習えれば良いんだけど」「お前は十分図太いぞ」 クロノが溜息交じりに言うと、ティリアはムッとしたように眉根を寄せた。「身内に対する図太さと比べられても困るよ」「クロノ、この世の中には親しき仲にも礼儀ありという言葉が存在しているんだぞ?」「知ってるよ」「……そうか、残念だ」 何が残念なのか、ティリアは俯いた。 擬音を付けるとすれば『しょぼん』だろうか。「どうしても失敗した時のことを考えちゃうんだよね。今回はシッターさんに交渉を丸投げしてる訳だしさ」「つまり、シッターがミスをしていないか気が気でなかったと言うことだな?」「僕がミスをしてないか、シッターさんの仕事を台無しにしてないか気が気じゃなかったんだよ。今回の契約には職人さん達の人生も掛かってるし」 人間は分かり合えない生き物なのだな~、とクロノは小さく息を吐いた。「とにかく、契約は無事に済んだんだ。視察に行って羽を伸ばしてきたらどうだ?」「遊びじゃないんだから」 クロノは体を起こし、イスに寄り掛かった。「じゃあ、遊びに行け」「一応、仕事中なんだけど?」「だから、視察に行けと言ったんだ」 ティリアは腕を組み、やれやれと言うように息を吐いた。「良いのかな?」「仕事が一段落したんだ。少しくらい羽を伸ばしても文句は出ないと思うぞ。ちなみに私のお勧めは演劇だ」「そう言えば公演を始めたんだっけ。それでお客さんの反応は?」「それを今から確認しに行くんじゃないか」 ティリアは溜息交じりに言った。 お前は性急すぎる、と言いたげな態度だ。「仕方がない。あくまで私見だが、演技も、客の反応も悪くないように思える。教訓を分かり易く伝えている点も好感が持てる」「どれを公演するか揉めたからね」 クロノはしみじみと呟いた。 最終的に『金の斧』を公演することになったのだが、そこに至るまでが大変だった。「カチカチ山はどうなるんだろ?」「ああ、あの猟奇的な話だな。あれは老婆が撲殺されるシーンをマイルドにするだけで良いんじゃないか?」「マイルドに撲殺」「どんな撲殺だ、それは」 すかさず突っ込みが入った。「鈍器で数回殴打されるだけで良いんじゃないか?」「生々しい表現だね。いや、でも、殴っただけで火達磨にされて、溺死させられるの?」「因果応報だ。これを見た者は他人を害すれば想像を絶する報復を受けるという教訓を得るに違いない」 違いないと言われても困る。「私刑推奨って思われないかな?」「兎が死刑になれば良いんじゃないか?」「死刑っ?」「そうだ。他人を害すれば想像を絶する報復を受け、個人的に制裁を加えれば法によって裁かれるのだ。最後に処刑人が『兎、気持ちは分からなくもないが、お前は役人に訴えるべきだったんだ』と諭せば完璧だ」「後味悪っ!」「後味の良い復讐があってたまるか」 ティリアは当然のように言い放った。 情状酌量を求めても計画殺人だから認められないと言われそうだ。 この分だとお爺さんは殺人教唆だろうか。「参考までに聞くけど、ティリアはどの絵本は好き?」「うむ、一番印象に残っているのはアレだ。金太郎だな」「金太郎なんて書いてないよ?」「あったぞ」 言われてみれば書いたような気がする。「どんな話だっけ?」「自分で書いたのに忘れたのか。仕方がない。私が話してやろう」 ティリアは呆れたように言い、コホンと咳払いをした。「昔々、ある所に金太郎という子どもがおりました」「オーソドックスな出だしだね」「斧を担ぎ、熊に乗って馬術の訓練……原稿はここで途絶している」「ああ!」 思わず声を上げる。「そうだった、そうだった。出だししか覚えてなくて投げ出したんだ」「どういう話なんだ?」「出だししか覚えてないって言ったじゃない」「他にも知っていることがあるんじゃないか?」 気になるのか、ティリアは身を乗り出して言った。「と言っても、知ってるのって鬼退治に行ったことくらいで、途中経過は覚えてないんだよね。あとは息子の名前が金平で、キンピラゴボウの由来になったとかならないとか」「……そうか」 ティリアは残念そうだ。 まあ、それはクロノも同じだ。 童謡のインパクトが強くて、どんな話だったのか覚えていないのだ。 どうして、覚えてないのに金太郎を書こうと思ったんだろ? クロノは頭を掻きつつ、立ち上がった。「ん、行くのか?」「視察に行って、羽を伸ばしてくるよ」「うむ、そうしろ」 ティリアは満足そうに頷いた。※ 執務室を出て、一階に下りる。 すると、豪奢な服に身を包んだ少年が早歩きで侯爵邸を出て行く所だった。 超長距離通信用マジックアイテムを利用するために侯爵邸に詰めている商人だ。 身なりは立派だが、商会内での地位はそんなに高くないらしい。 当たり前と言えば当たり前の話だ。 店を預かる者が一日中侯爵邸に詰めていたら仕事が滞ってしまう。 ベテランも同様だ。 必然的にそれほど重要でない仕事を任されている者が侯爵邸に詰めてることになる。 クロノは清潔感のある格好をしてくれれば問題ないと思っているが、ニコラとエレイン以外の商人はそう考えていないようだ。「……使用料金が一カ月金貨十枚だったから『シナー貿易組合』くらいしか利用してくれないと思ってたけど」 蓋を開けてみれば七件の申し込みがあった。 まあ、最初は『シナー貿易組合』が新しいことをしようとしているから取り敢えず乗っておこうくらいに考えていたのだろう。 あとはクロノに対するアピールか。 開放当初の様子から察するに商人達はあまり期待していなかったはずだ。 しかし、それも超長距離通信用マジックアイテムの便利さを実感するまでのこと。 エレインが言っていたように早馬を走らせる必要がなく、情報伝達に齟齬が起きにくい。 商人達はそれに気付くと積極的に利用するようになった。「……規模を大きくしたくなるな~」 経済同盟に加盟している領地に超長距離通信用マジックアイテムを設置する。 それだけで商業活動が活発になるはずだ。 もちろん、問題はある。 どのように相手を説得するのか、設置費用の分担はどうするのか、保守・点検の方法と費用、効率的に通信網を張り巡らせる方法、ちょっと考えただけでこれだけ課題が出てくる。「経済同盟の盟主って位置付けだけど、皇族の権威に頼ってるだけじゃダメだよね。名実共に主導できる立場にならないと」 相手が大失敗をやらかした時に援助する代わりに超長距離通信用マジックアイテムの設置を認めさせる手もあるが……。「結局、うちの領地が豊かじゃないとそれもできない訳で……変に策を弄したりしないで真面目に領地経営をしよう。うん、それが一番だ」 クロノは自分の出した結論に満足しながら外に出た。「ようやく温かくなってきたな」 春になってからも寒い日が続いていたが、最近は温かくなってきた。 とは言え、例年よりも寒いことに変わりはなく、農作物の生育に悪影響を及ぼしている。「折角、農地が増えたのに」 小さく溜息を吐く。 農地が増えたお陰で領地全体の収穫量は例年と変わらないらしいが、農村の人達には働いた分だけ豊かになるという形で報われて欲しかった。「……そう言えば」 クロノは花壇に向かった。 花壇には誰もいなかったが、種はすでに芽吹き、膝の高さくらいに成長している。 花壇の近くで跪く。 今まで庭園に興味がなかったのにどんな花が咲くのか楽しみになっているのだから勝手なものだ。 そんなことを考えていると、不意に視界が翳った。「何を見てるのよ」「……ああ、リュカか」 見上げると、隣にリュカが立っていた。 メイド服ではなく、民族衣装……ゆったりとしたローブのようなものを着ている。「仕事は良いの?」「今日は非番よ、非番」 リュカは髪を掻き上げ、プイッと顔を背けた。「カリスは?」「同郷だからって何もかも把握してる訳じゃないわよ」 クロノは苦笑しながら立ち上がった。「……部屋で本を読んでたわ」「絵本?」「あたし達のことを馬鹿だと思ってるの? 革の装丁がされた分厚い本よ。ああいう本に触れる機会なんてなかったから珍しいんでしょ」 何もかも把握している訳じゃないと言っていた割に詳しい。 もしかしたら、読書の邪魔をしたくなくて出てきたのかも知れない。 つっけんどんなように見えて気を遣うタイプのようだ。「これから視察に行くんだけど、暇だったら付き合わない?」「視察?」 リュカは怪訝そうな表情を浮かべた。 口調も視察ではなく、しさ~つ~である。 明らかに面倒臭がっている。「夕方くらいまで。何だったら、小物を買ったり、食事を奢ったりするけど?」「……夕方までなら良いわよ」 少し間を開けて答える。「下心はないわよね?」「まさか、小物や食事くらいで歓心を買えるとは思ってないよ」「ふん、どうだか」 警戒心剥き出しだ。「じゃあ、行こう」「はいはい、分かったわよ」 工房の前を通ると、ゴルディが駆け寄ってきた。 ビックリしたのか、リュカがビクッと体を竦ませる。「クロノ様、お出かけですかな?」「ちょっと街を歩いてこようと思って」「それは良い考えですな」 ゴルディがチラリと視線を向けると、リュカはムスッとした表情を浮かべた。 疚しいことは何もないと態度で訴えているようにも見える。「侯爵邸に引き籠もっていたら気分が塞いでしまいますからな。気晴らしは必要ですぞ」 どうやら、ゴルディはクロノがリュカに付き合っていると解釈したようだ。 実際は逆なのだが、藪蛇になりそうなので、黙っておく。「じゃ、行ってくるよ」「ごゆっくりですぞ」 クロノ達はゴルディに見送られ、侯爵邸を出た。※「……ここは商業区。ちょっと高めの商品を取り扱っているエリアだね」「ふ~ん、ここってそういう場所なのね」 クロノが洗練された街並みを歩きながら説明すると、リュカはキョロキョロと周囲を見回した。 リュカの手を握って引き寄せる。 すると、馬車が通り過ぎて行った。 露店が賑わうようになったこともあって徐行を義務づけているが、轢かれたら死んでしまう。「ありがと。で、いつまで手を握ってるのよ?」「ちょっと荒れ気味だね?」 リュカは舌打ちしてクロノの手を振り解いた。「この店に入ろう」「ちょっと手を掴まないでよ!」 クロノは再びリュカの手を掴み、店……『シナー貿易組合』に入る。「もう放してよ」 リュカは勢いよく腕を振り、クロノの手を振り解いた。 そこで他の客に見られていることに気付き、恥ずかしそうに俯いた。 自分の着ている服が見窄らしく感じたのかも知れない。 『シナー貿易組合』は若者に人気のハイセンスな店なのだ。 クロノにしてみれば普通だが、リュカにとっては未知……アウェイも同然である。「一人で回る?」「……碌な死に方しないわよ」 リュカは吐き捨て、クロノの服の袖を摘まんだ。「遠慮せずに胸をグイグイ押し付けてきても良いんだよ?」「……男ってヤツはどいつもこいつも」 クロノはブツブツと呟くリュカを連れて店内を見て回る。 最初こそ不機嫌だったが、新しいものに触れたせいか、少しずつ機嫌が良くなっていった。 ある陳列棚の前で立ち止まる。 すると、リュカは息を呑んだ。 そこに並んでいたのが鮮やかな刺繍の施された櫛入れや財布だったからだ。「……これって?」「開拓村で作られた櫛入れと財布だよ。リュカに作って貰った財布を見せて、粘り強く交渉した結果、商品化されたんだ」 粘り強く交渉したのはシフで、立会人として根気良く付き合ったのはケインである。 エレインは煮え湯を飲まされたと言うべきだろう。 クロノはエレインから送られてきた手紙の内容……正確には乱れた筆致を思い出して苦笑した。 ちなみに下着はエレインの経営する娼館の売上に貢献したらしく、新しいアイディアがあったら教えて下さいと書かれていた。 何処までが計算で、何処までが素か分からないが、インクの飛び散った跡が印象的だった。「……ベテル山脈で子どもを産めない女性が冷遇されているのは役割が限定されているからだと思うんだよね」「そうかも知れないわね」 リュカは淡々と答える。「だから、それ以外の役割が増えれば待遇は改善されていくと思わない?」「そう理屈通りにいくかしら?」「子どもを産むって役割を期待されているんだからなかなか難しいと思うけど、切っ掛けになれば良いと思ってる」「……領主って、そこまで考えてるのね。見直したわ」「最初から考えてた訳じゃないよ」 リュカが作った財布を見て、商売にならないかな~と思ったのが原点だ。 役割が限定されている云々は商品化が決まってから気付いた。「計算通りって顔をすれば良いのに」「それだと次からハードルが上がっちゃうからさ。少し頼りないと思われているくらいで良いんだよ。ところで、何か気に入ったものはあった?」「お給料を貰った時に買うから良いわ」 リュカは微かに口元を綻ばせた。「じゃ、次だね」「次は何処を案内してくれるの?」「露店区だね」「分かったわ」 店から出て、露店区に向かう。 外に出てもリュカはクロノの服の袖を掴んでいるが、ここは黙っておくべきだろう。「露店区は商業区の先だよ」「ああ、人が沢山いた所ね」「この時間だと、あまり人がいないだろうけどね」 露店区が賑わうのは昼まで、それを過ぎると徐々に人が減っていく。 しばらく歩くと、露店が見えてきた。 営業しているのは全体の八割程度だろうか。 不意に柔らかなものが腕に触れる。 リュカが胸を押し付けてきたのだ。「あまり人がいないって言うけど、あたしにとっては大勢よ」「昼前に来たら驚くよ。今度、一緒にどう?」「嫌よ」 にべもないとはこのことか。 リュカは即答した。「舞台は……あそこか」 目を細めて露店区の隅を見ると、そこには木製の舞台が設置されていた。 休憩中なのか、劇団員の姿はない。「おお、エラキス侯爵ではないか!」「ああ、神官さ……っ!」 クロノは目を見開いた。 神官さんがイスに座っていたからだ。 何と言うことか。 イスとテーブルが揃っている。「この女は何よ?」 怯えているのか、リュカはクロノの陰に隠れた。「一応、侯爵邸に住んでるんだけど、会ったことない?」「ないわよ」 リュカは即答した。 どうやら、二人の生活圏は全く重なっていないようだ。「この人は神官さん。神聖アルゴ王国にある『漆黒神殿』のお偉いさんで……まあ、働かないブラウニーみたいなもんだから気にしなくて良いよ」「相変わらず、ひっどいことを言うの! この机とイスを見るが良い!」「……神官さん」「どうじゃ?」 神官さんは自慢気にテーブルを叩く。「街娼行為は禁止だとあれほど……」「お主はワシを何だと思ってるんじゃ!」 神官さんはテーブルを叩き、立ち上がった。「冗談はさておき、信者からお布施を貰ったんですね」「うむ、それでイスとテーブルを購入したという訳じゃ」 クロノがイスに座ると、神官さんもイスに座った。 ちなみにリュカはクロノの陰に隠れている。「どんな教えを?」「む、お主も興味があるのか?」「僕は領主ですよ?」「どういう意味じゃ?」 神官さんは神妙な面持ちで問い返してきた。「領民に信仰の自由を認めていますが、宗教的価値観が絶対になってはいけないと考えています」「その点は心配しなくても良いぞ。『漆黒にして混沌を司る女神』を信仰すれば存在を肯定されると言っとるだけじゃ。もちろん、お布施は常識の範囲でお願いしとる」「良かった」 クロノは胸を撫で下ろした。「これで弾圧しなくて済みます」「弾圧っ?」 神官さんは声を張り上げた。「まあ、神官さんは神聖アルゴ王国でやらかしている訳で……」「いや、やらかしたのはワシではないぞ」「でも、間違いを指摘しなかったんですよね?」「それは、その、そうじゃけど、でも、ワシの神殿は政治に介入しとらんし、勢力的に最下位じゃし」 神官さんはしどろもどろになって弁明した。「僕は何もしなかったことも罪だと思います。神聖アルゴ王国の轍を踏まないようにしっかりとお願いします」「はい、分かりました」 丁寧な言葉遣いは反省している証拠だろう。 言い過ぎたような気もするが、神官さんが適切に介入していればイグニスが苦労することはなかったはずだ。「そう言えば部下の方やイグニス将軍から連絡ってありました?」「うむ、部下からイグニスと合流して頑張っとると連絡があったぞ」「戻って来いとは言われなかったんですか?」「……ワシがいなくても大丈夫と言われた」 神官さんは俯き、ボソボソと呟いた。「イグニス将軍は?」「神聖アルゴ王国の未来はワシに掛かっとるから友好関係の構築に勤しめと……ワシ、いらない子扱いされとるんじゃけど!」 神官さんは感極まったように叫ぶと顔を覆った。「……プッ」「また、お主か! お主はワシに恨みでもあるのか!」 隣にいた占い師が噴き出し、神官さんは吠えた。 なかなか良いコンビである。 次も隣同士にしよう。「と言う訳で、ワシはケフェウス帝国に骨を埋め、神の教えを広めようと思う」「……」「な、何か言ってくれんか? ワシ、いらない子認定されて不安なんじゃけど!」「大丈夫、神様は見てます」「今は神よりもヒトの愛が欲しいんじゃ!」 神官さんは顔を覆って、机に突っ伏した。 チラチラと視線を向けてきているので、まだまだ余裕がありそうだ。「じゃ、僕は視察を続けるんで」「ワシを放置するとは何事じゃ!」 クロノが立つと、神官さんはガバッと体を起こした。「…… 他人事 ( ひとごと ) です」「あんまりじゃ」 チェッ、と神官さんは舌打ちをする。 なかなか可愛らしい仕草だが、半神と言うべき存在ならばそれらしくして欲しいものである。「長生きしてるだけじゃ悟りは開けないんですね」「地味に傷付くんじゃけど!」 クロノが溜息を吐くと、神官さんは涙目で言った。「……そう言えば公演は?」「今日の公演は終わっとるぞ」 スケジュールを調べておけば良かったかな、とクロノは頭を掻いた。 それにしても、この切り替えの早さ。 傷付いたと口にしながら、本当は何も感じていないんじゃないかと勘繰りたくなる。「い、いや、ワシは傷付いとるぞ?」「……心を、読んだ」「そんな虫でも見るような目で見られたら誰だって気付くと思うんじゃが?」 神官さんは力なく頭を垂れた。「で、次は何処に行くの?」「次は……外かな」 クロノは空を見上げた。※ クロノとリュカはハシェルの城壁に沿って歩く。 目的地は練兵場……ではなく、その手前に作られた馬場である。「……見えてきた」「結構、広いのね」 クロノが呟くと、リュカは感心しているかのように言った。 しばらく進むと、馬場の様子が明らかになる。 木の柵で周囲を囲み、砂を敷いたシンプルな馬場である。 そこでは二十人の兵士が馬術の訓練に励んでいる。 騎兵に抜擢したのはエルフとハーフエルフだ。 エルフとハーフエルフを選んだ理由は消去法に近い。 ミノタウルスやリザードマンは大柄過ぎて騎兵に向かない。 ドワーフはその逆……もちろん、戦時には工兵として働いて欲しいという意図あったが……だ。 獣人は馬が怯えてしまった。 ボンドは訓練をすれば馬が獣人に怯えなくなるかも知れないと言ったが、今回は騎兵の拡充を優先した。「……見事なもんだね」 クロノは小さく呟く。 馬場には丸太が幾つか設置されていて、馬は兵士を乗せてその間を行ったり来たりしている。 見事に馬を乗りこなしているように見える。 僕は何年経っても上手く馬に乗れないのにこの差は何なんだろう、と思わないでもない。「そこ! 乱暴に手綱を引くのをお止めなさい! そこ! 馬には毅然とした態度で接しなさい! 少し反抗したからといって貴方が引いてたら馬が従わなくなりますわ! そこ……」 ややヒステリックな声が馬場に響き渡る。 馬術の訓練教官として軍に復帰したセシリーである。「怒ってるわね」「彼女はエリートだからね」 天才的な馬術の腕を誇るブラッド・ハマルを兄に持ち、優秀な騎兵である彼女にしてみれば兵士達は欠点だらけに見えるのだろう。「あんなに怒ってばかりで……何よ、その目は」「……別に」 クロノはリュカから顔を背けた。 自分のことを棚に上げてとは思うが、訓練教官が怒ってばかりというのも考えものだ。「まあ、言いたいことは分かるよ」「なら、さっさと注意しなさいよ」「もう対策済み」「そ……ごっ!」 セシリーは口を開き、脇腹を押さえて蹌踉めいた。 隣にいたヴェルナに膝蹴りを喰らったのだ。「今、思いっきり膝蹴りを入れたのが補佐役です」「補佐役? 膝蹴りを入れるのが?」 リュカは信じられないという表情を浮かべている。「訓練の補佐じゃなくて、外付けされた良心って感じ?」「良心は外付けされるものじゃないわよ」「そうなんだけどね」 外付けされた良心……ブレーキ役がいないと、セシリーに訓練教官を任せるのは不安で仕方がない。「い、痛いじゃありませんの!」「お前が怒鳴り散らさなければあたしも蹴らねーよ」 セシリーが脇腹を押さえて詰め寄ると、ヴェルナはうんざりしたように言った。 神官さんと占い師くらい良いコンビである。「あ、クロノ様!」「ちょっと脇に抱えないで下さらない!」 ヴェルナはセシリーの頭を脇に抱え込み、こちらに近づいてきた。「こんな所にどうしたんだよ?」「視察と言うか、外の空気を吸いにね」「領主の仕事は大変そうだからな」 うんうん、とヴェルナは何度も頷いた。 セシリーが抜け出そうと足掻いているが、抜け出せそうにない。 どうやら、ヴェルナはネージュの下で修業した結果、セシリーを上回る身体能力を手に入れたようだ。 それでこそ、良心に相応しい。「で、そいつは?」 ヴェルナはリュカを見た。「新しいメイドのリュカだよ」「そっか、あたしはヴェルナだ。よろしくな」「こっちこそよろしく」 ヴェルナとリュカは握手を交わした。「練兵場には行くのか?」「う~ん、いや、止めておくよ」 練兵場ではワイズマン先生が鉄の茨と十字弓の運用方法を研究しているはずだ。 その邪魔をしたくない。 クロノは踵を返して歩き出すと、リュカが後を追ってきた。 しばらくしてヴェルナとセシリーの言い争う声が聞こえてきたが、無視する。「視察は終わり?」「一応ね」 そう、とリュカは小さく呟く。 その声が寂しそうに聞こえるのは気のせいではないだろう。 戻っても居場所がないのかも知れない。 考えてみれば刺繍を依頼したせいで彼女には自由になる時間がなかった。 それでは友人など作りようがない。「軽く食事をしていこうと思うんだけど、付き合ってくれる?」「付き合えじゃないのね?」「……食事に付き合え」 クロノは少し間を置いて言い直した。 命令でなければ付き合えないと言うのであれば言い直すくらいのことはする。「分かったわ。けど、あまり人の多い所は嫌よ?」「任せてよ」 歩きながら何処に行くか考える。 もっとも、選択肢はないに等しい。 女将の店は兵士の溜まり場だし、マイルズの店は利用した事実がエレインに伝わってしまう。「……あそこしかないか」 クロノは空を見上げた。※「……人の多い場所は嫌だって言ったけど」 リュカはブツブツと文句を言いながら豆茶を口にした。 豆茶は焙煎した豆を砕き、ドリップしたものである。 コーヒーのように黒く、苦みがある。 飲んだことはないが、代用コーヒーとはこんな味ではないかと思う。「ここしか思い浮かばなかったんだよ」「だからって、宿はないんじゃない?」「そうかな?」 ここもそんなに悪くないと思うけどな~、とクロノは部屋を見回した。 部屋にはベッドとテーブル、イスが置かれている。 アリッサとの逢い引きによく使っている宿だ。 表通りから外れた所にあり、店主は無愛想だが、お金さえ払えば融通を利かせてくれる。「それに、誤解されるじゃない」「誤解ね」 リュカがボソボソと呟き、クロノは頬杖を突いた。 彼女の誤解されたくないという気持ちは分かる。 妾になることを期待されているが、本人にその気がないのだから。「アンタこそ良いの?」「今更、気にしても」 誤解されるのが嫌ならば女性を連れて街を歩いたりしない。「ま、アンタはそうよね」「……納得されても」 自分が女好きと思われているのは知っている。 本当のことだし、自分のダメさ加減は自分が一番分かっている。 しかし、他人に面と向かって言われるのは地味に傷付くのだ。「一応、言っておくけど、あたしはお茶を一杯奢られただけで股を開く安っぽい女じゃないから」「凄い台詞」 牽制しているつもりならば大成功だ。 お茶を一杯奢っただけでこんな台詞を吐かれたら普通はドン引きする。「そんなつもりはないんだけどな~」「よく言うわ」 ハッ、とリュカは鼻で笑った。「……ここでの生活はどう?」「藪から棒に何よ?」「これでも、心配しているんだよ」「……っ!」 クロノが言うと、リュカは意外そうに目を見開いた。「あたしの何を?」「ルームメイト……カリスと上手くやれてるかとか、同僚と上手くやれてるかとか。僕が刺繍を頼んだせいでその機会を奪っちゃったんじゃないかと心配だったんだ」「……」 リュカは何も答えない。 何を考えているのか。 忙しく目を動かしている。 やがて、クロノから顔を背けた。「べ、別にカリスとは上手くやってるし、同僚とも上手くやってるわ。それに刺繍はあたしが好きでやってるんだから、アンタに心配される筋合いはないわ」 彼女の声は尻すぼみに小さくなり、最後の方は殆ど聞き取れなかった。「……良かった」「何がよ?」 クロノが胸を撫で下ろすと、リュカはこちらに視線を向けてきた。 目が潤んでいるような気もするが、ここは黙っておくべきだろう。「人間関係が上手くいってるみたいで安心したんだよ。リュカは……誤解されそうな話し方をするからさ」「……」 リュカはまたしても答えない。 クロノはカップが空になっていることに気付いた。 ポットを手に取り、豆茶を注ぐ。 湯気が立ち上り、香ばしい匂いが漂う。「どうぞ」「……あ、ありがとう」 リュカはカップを手に取り、蚊の鳴くような声で言った。 豆茶を口にし、安堵したかのように息を吐く。「……アンタってさ」 カップを両手で支え、豆茶を見下ろす。 沈黙が舞い降りる。 鳥の鳴き声が何処からか聞こえてくる。 クロノはカップを手に取り、静かに豆茶を飲む。 苦みはあるものの、本物のコーヒーには及ばない。 やがて、リュカは意を決したように口を開いた。「あたしのこと……やっぱり、下心はあるのよ、ね?」「まあ、ヤレたらラッキー程度には」「アンタ、マジで最悪ね!」 リュカは表情を一変させてクロノを睨み付けてきた。「『あたしのこと』の続きは?」「あたしのことがムカつかないか聞こうと思ったのよ」「……なるほど」 怖じ気づいて別の質問をしたって感じかな、とクロノは頷いた。「別にムカつきはしないよ」「性格のキツい愛人がいるから?」「そうだよ」 リュカには年相応の分別がある。 そう考えれば話し方など気にならない。 むしろ、いつデレてくれるのか楽しみでさえある。「もちろん、度が過ぎたら僕も人間だから怒るし、報復も視野に入れるけど、気楽に話してくれると嬉しいかな?」「報復するって言われて、どうやって気楽に話すのよ」「普通に話せば良いんだよ」「……普通」 そう言って、リュカは口を結んだ。「ほら、感情的に喚き散らさないとか、暴力を振るわないとか、その程度で良いんだよ」「……そんな当たり前のことを言われても困るんだけど」 リュカは困惑しているかのように眉根を寄せた。「普通って難しくない?」「じゃあ、少し練習してみよう」「馬鹿にされているような気がするけど……そうね、練習中に怒らせても報復しないって約束してくれたら良いわ」「条件を出すの?」「当たり前でしょ」 クロノが尋ねると、リュカは呆れたように言った。「僕が約束を破るとは考えないの?」「……そこは信じるしかないわ」 なかなか重い一言である。 あたしはお茶を一杯奢られただけで股を開く安っぽい女じゃないから、なんて言葉よりも効果的だ。「分かった。この部屋にいる間の粗相を責めたりしないって約束する」「これで心置きなく練習ができるわ。じゃあ、始めましょ?」 開始を宣言した途端、沈黙が舞い降りた。「……始めないの?」「僕から話すの?」「当たり前でしょ」 リュカは当然のように言い放った。「話せと言われても何から話せば良いのか」「故郷の話とか色々あるでしょ?」「……故郷か」「話したくないなら別に良いけど?」 クロノが独りごちると、リュカは心配そうに言った。「いや、そうじゃないよ。うちは少し複雑だから……」「そんな複雑な所まで教えてくれなくても良いわよ。どうせ、練習なんだし、適当で良いわよ、適当で」「……僕の故郷は」 クロノはゆっくりと自分の故郷……南辺境について話し始めた。 話が進むにつれてリュカの表情は穏やかなものに変わっていった。※ クロノは人が動く気配を感じて目を覚ました。 そこは路地裏にある宿屋……正確には二階の一室にあるベッドである。 窓を見ると、カーテンの隙間から夕陽が差し込んでいた。 眠ってしまったようだが、それほど時間は経っていないようだ。 ほんの少しだけ体を起こすと、テーブルとイスが視界に飛び込んできた。 イスには二人分の服が掛けてある。「……あ、あ~」 隣を見ると、リュカが両手で顔を覆い、枕に顔を埋めていた。 何を考えているのか、お尻を天井に突き出している。 会話の練習はなかなか楽しいものだった。 リュカは聞き上手であったし、尋ね上手でもあった。 話せる内容については上手く尋ねてくるが、話せない内容についてはそもそも興味を示さなかった。 コツを尋ねた所、『うちは複雑って言ってたから家庭に関する話題は避けたのよ』という素っ気ない答えが返ってきた。 聞き上手、尋ね上手な反面、話すのは苦手なようだった。 まあ、クロノの下に来た経緯を考えれば当然かも知れない。 好ましくない結末を迎えた時、それまでの過程を肯定的に受け入れられる者はそう多くないだろう。 負の感情は確かにあったはずの楽しい思い出の価値を、その輝きを曇らせる。「あ、あ、あたしって、あたしって……安い女」「豆茶を一杯奢られただけでうっかり股を開いちゃいましたな」「う、うっさいわね!」 リュカは体を起こし、クロノを怒鳴りつけた。 体を起こした拍子にたわわに実った果実が揺れた。「あの時は『ま、いっかな』って思っちゃったのよ!」 そう言って、リュカは再び枕に顔を埋めた。「……もう、最悪だわ」「最高じゃなくて?」 クロノが尋ねると、リュカは顔を上げ、悔しそうに歯軋りした。「だから、最悪なのよ。あれじゃ……」「ビッチみたい?」「誰がビッチよ!」 リュカは体を起こすと枕で叩いてきた。 手加減しているらしく痛くない。 しばらくすると、疲れたのか、叩くのを止めた。 クロノは下腹部にある刺青を見つめた。 受胎祈願の 呪 ( まじな ) いらしい。「ま、まあ、やっちゃったものは仕方がないわ」 リュカは体を隠すように枕を抱き締めた。「割り切りが早いね」「そうするしかないじゃない」 それに、と続ける。「悪い気分じゃないわ」「さっき最悪って言ったばかりだよ?」「悪い、気分じゃないって、言ったのよ」 リュカは言い含めるように言った。 雰囲気に流されて関係を持ってしまったことは最悪と感じているが、それ以外はそうでもないと言うことか。「部族の因習から解き放たれたって不特定多数の男性と……」「だから、あたしはビッチじゃないって言ってるでしょ!」 リュカはクロノを一回だけ枕で叩いた。 今回は少しだけ痛い。「何と言うか、ざっくばらんな感じが気に入ったわ」「それは良かった」 これが本当にざっくばらんな関係なのかは分からないが、リュカが気に入っているのならばそれで良いと思う。「……リュカ」「悪いけど、次に『ま、いっかな』って思わせてくれるまでお預けよ」 リュカは不敵に微笑んだ。