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第15話:南進 その4

クロの戦記 異世界転移した僕が最強なのはベッドの上だけのようです — novelup.plus · All chapters

第15話:南進 その4

※ クロノは跪くイザベラを見つめた。 彼女は降伏したふりをして背後から襲い掛かってきた。 手を打って置かなければ大きな損害を被っていたかも知れない。「クロノ様、どうか息子だけは、息子の命だけは」 イザベラはクロノを見上げ、哀願するように言った。 いや、正しくそれは哀願だった。 裏切り者の息子を幽閉か、追放するかして命だけは助ける。 そんな決断ができたのならばどれだけ楽だろうか。 だが、そんなことをすれば中立を自称する領主達はクロノを甘い男だと考えるだろう。 同盟領主から預かった兵士達もだ。 無用な戦いを強いられるばかりか、軍規が崩壊しかねない。 自殺にも等しい決断だ。 皇軍の指揮官としてそれだけはできない。 同時に怒りが込み上げてくる。 息子の命が惜しいのなら、どうしてこんな真似をしたのかと。 彼女がもう少し思慮深ければと思わずにはいられなかった。 哀願を受け入れられないとしながらも助ける方法を考えてしまった自分の甘さにも腹が立って仕方がなかった。「…………残念です。僕は本当にティリアに口添えしても良いと思ってたんです」 最初の一言を絞り出すのは大変だったが、そこから先は楽だった。 言葉が堰を切ったように溢れ出す。 マズい、と思う。 殺さなければならないのに言い訳をしてどうすると言うのか。「だから――」『大将、止めやしょう』(ぶも) 見るに見かねたのか、副官がクロノの肩に優しく触れ、力なく首を振った。 勘違いかも知れないが、その瞳には優しい光が宿っていた。 自分には分かっていると訴えかけてくるような光だった。 少しだけ気分が楽になり、そんな自分に嫌悪の情が湧き上がる。『何を言っても言い訳にしかなりやせん』(ぶも)「そうだね」 理解してくれる人がいるって分かっただけで楽になるんだから、とクロノは深い溜息を吐いた。「これから貴方達の処分について話し合います。恐らく、処刑は明日か、明後日になります」「……息子は苦しまない方法でお願いします」「それだけは約束します」 イザベラは安堵したかのように息を吐いたその時、荒々しい足音が響いた。 部下達が階段を登ってきたのだ。 そのまま廊下に雪崩れ込み、イザベラを取り囲んだ。 しばらくして、タイガが子どもを抱いて近づいてきた。「ああ、トール!」『動くのは止めて下せぇ』(ぶも) 副官がポールアクスを差し出し、駆け寄ろうとしたイザベラを制する。「母上!」「トール!」 子ども――トールが叫び、イザベラが叫び返す。『どうしやす?』(ぶも?)「二人を同じ部屋に。見張りは付けるけど、貴族として遇して欲しい」『分かりやした』(ぶも) 副官は大きく頷いた。『準備が整うまでこの部屋にいて下せぇ』(ぶも)「え、ええ、分かったわ」 副官が目配せすると、タイガはトールを下ろした。「母上!」「トール!」 イザベラはトールを抱き締めた。『タイガ、お前は部下と一緒に見張りだ。分かってると思うが……』(ぶも)『もちろんでござる』(がう) タイガが歩き出し、四人の獣人が後に続いた。 イザベラはトールを庇うように抱き寄せながら執務室に戻った。「タイガ、頼むよ?」『分かっているでござる』(がう) 笑っているのか、タイガが牙を剥き出す。 二人の獣人が扉の左右を固め、タイガ達三人が執務室に入室する。 最後尾にいた獣人はクロノに敬礼すると静かに扉を閉めた。『シロ、ハイイロ、お前達は屋敷の警備だ。くれぐれも……』(ぶも)『分かってる』(がう)『俺達でしっかり管理する』(がう) シロとハイイロはコク、コクと頷いた。『残りの連中は街の外で野営の準備だ』(ぶも) 部下達はぞろぞろと階下に向かう。 街で羽を伸ばしたいと言われるかと思ったが、そこは弁えているようだ。「……ふぅ」『大将、一息吐くにゃまだ早いですぜ』(ぶも)「そうなんだけどね。ティリアに報告して、帝国軍と折衝して、処刑台を作って……」『大事なことが抜けていやすぜ』(ぶも)「……報酬を支払わないとね」「おい、俺達はいつまで待ってりゃ良いんだッ?」 クロノは溜息を吐き、声のした方を見た。 すると、禿頭の大男――ニコルが階段を上がり、こちらに近づいてきた。 その背後には灰色の髪の青年――ネージュの姿もある。「もう少し待ってくれても良いんじゃない?」「貸した金は早めに取り立てるってのが信条でよ」「信用されてないな~」「これから戦いに行くってヤツの何を信用すりゃいいんだ? 貧乏人だろうが、金持ちだろうが、死ぬ時は死ぬんだぜ?」 ニコルは吐き捨てるように言い、ネージュが口を開いた。「枯れ草に火を点けたくらいで恩着せがましいですねぇ」「ば、馬鹿野郎! 枯れ草に火を点けるのがどれだけ大変か分かってねぇな!」「まあ、楽な仕事はないですけどねぇ」 騎兵の首を切断した青年はしみじみと呟いた。「信用はともかく、僕達――義勇軍は石切場で働いている人達を早く解放したいんですよ。そのために皇軍の力が必要なんです」「皇軍の力なんていらないんじゃない?」「僕は病気がちなので」 ゴホ、ゴホとネージュはわざとらしく咳き込んだ。「それにしても、義勇兵ね」 クロノは溜息交じりに呟いた。「おいおい、俺達は帝国の未来を憂い、集まった愛国者だぞ。もっと敬意を払ってくれてもいいんじゃねぇか?」「実体は犯罪組織の構成員、鉱山にぶちこまれた犯罪者や食い詰め者の集団です」「この!」 ニコルが裏拳を放つが、ネージュはこともなげに躱した。「愛国心はないけれど、野心はあるという分かり易い武装集団です」「武装集団って言うか」『帝国から見りゃ犯罪者ですぜ』(ぶも)「そこは言わぬが花ということで」 ネージュはニコリと笑った。「とにかく、僕達は石切場で働いている人達を解放したいんです」「その通り、俺達はそのために協力したんだからよ」「適度な所で合流しておかないと処刑されますからね」「……」 ニコルは無言で裏拳を繰り出したが、ネージュはこれも簡単に避ける。 全盛期の養父達と互角以上に立ち回った暗殺者なので当たり前と言えば当たり前だが。「面倒臭い人達に借りを作っちゃったなぁ」「馬鹿野郎、俺が関わってきた仕事の中じゃ良心的な部類だ。何事もなけりゃ貸し借りなしって約束だったんだからよ」「何事もなければ良かったんだけどね」 イザベラとトールのことを思い出して溜息を吐いた。 義勇軍がイザベラ達を見張り、何かあれば皇軍はとって返して石切場の解放に協力するという約束だった。「で、いつ手伝ってくれるんだ?」「ティリアに報告してからだね」「ティリア皇女のことか?」「そうだよ」「そうか」 ニコルはだらしなく相好を崩した。「俺も付いて行って良いか?」「……良いけど」「そんな顔をしなくても傷付けるような真似はしねぇよ」「……そういう意味じゃなかったんだけど」 多分、ニコルはティリアを神格化しているのだろう。 実物を見た時に失望しなければ良いのだが。「……犯罪組織の長だったのに」「犯罪組織の長であって革命家じゃありませんからね」 クロノがぼやくと、ネージュは溜息でも吐くように言った。※ 野営陣地は城壁から少し離れた所に設置された。 天幕が立ち並び、芳ばしい匂いが辺りに立ち込めている。 食事は行軍中の将兵にとって数少ない楽しみの一つだ。 だが、降伏したはずの相手に奇襲を受けたこともあり、緊張感が漂っている。 クロノは副官、ネージュ、ニコルを従え、悠然とその中を歩く。 こういう雰囲気の中を歩くのはなかなか堪えるが、指揮官が悠然としていれば部下は安心するものだ。 仕事と割り切るしかない。 野営陣地でもっとも豪華な天幕に近づく。 すると――。「待てぃ! ここはティリア皇女の天幕じゃ!」「中に入りたくば手続きを踏めぃ!」 護衛の兵士――マンチャウゼンとアロンソが槍を交差させて行く手を阻んだ。 声こそ大きいが、二人の顔はヒクヒクと引き攣っている。 今にも微笑んでしまいそうなほどティリアの護衛任務が嬉しいようだ。 ふと天幕の陰を見ると、老騎士達が座り込んでいた。 交替の時間を待っているのだろう。「皇軍指揮官クロノです。ティリア皇女にお目通り願います」「しばし、待たれぃ!」「ぐ、ぐぎぎ、次こそ儂じゃ」 マンチャウゼンが隙間から天幕に入り、アロンソは口惜しそうに歯軋りする。「……二人ともキャラ違いません?」「何を言っとるんじゃ。護衛というのはこういうもんじゃ」「はぁ、そうですか」 こういうもんじゃと言われたら、そうですかとしか答えられない。 もう少し真面目に礼儀作法を学んでおくべきだったかも知れない。 そんなことを考えていると、マンチャウゼンが出てきた。「ティリア皇女が謁見を許すそうじゃ」「はぁ、どうも」 クロノが天幕に入った直後、槍を打ち合わせる音が響いた。 振り返ると、マンチャウゼンとアロンソが副官の行く手を塞いでいた。「ティリア皇女が謁見を許したのはクロノ殿だけじゃ!」『あっしらは外で待ってるんで』(ぶもぶも) 副官は溜息交じりに言った。「すまないね」『これも仕事と思えば苦になりやせん』(ぶもぶも) 笑いを堪えているのか、副官は小刻みに肩を揺らした。 正面に向き直ると、ティリアは机に向かっていた。 クロノは歩み寄り、机の前で立ち止まった。「もう少し近くに来ても良いんだぞ?」「じゃ、お言葉に甘えて」 クロノは歩み寄り、机に座った。「……机に座れとは言ってないぞ」「そうなんだけど、近い方が話しやすいでしょ?」「まあ、そうだな」 ティリアは口元を隠すように手を組んだ。「どうだった?」「領主代行のイザベラと息子のトールは確保したよ。今はタイガ達に監視させている」「……そうか」 ティリアは小さく溜息を吐いた。「口元を隠している意味がないね」「相手がお前じゃなければもう少し取り繕う」「逃げてくれればと思った?」「半々だな。特に子どもを殺すのは、な」「気の進まない仕事ではあるね」 クロノは深々と溜息を吐いた。「……」「助けるとは言わないんだね?」「言って欲しいのか?」 ティリアがやや挑発的な口調で問い返す。「いや、全然。むしろ、殺さなきゃいけないんだって思ってくれてて安心している」「後世の歴史家にアホだと言われたくないからな」「判断は周辺領主と部下がしてくれるよ」 歴史家の出番があるとしても数十年後か、数百年後か。 どちらにせよ、好意的な評価はされないだろう。「どうする?」「処刑は早い方が良いと思う。急ピッチで処刑台を作って明後日って感じだね。領主のイザベラと大隊長のアークは領民の前で……」 クロノ達は先に進まなければならないし、間を空ければイザベラが約束を破ったという記憶が薄れてしまう。「トールは寝室で毒薬を飲んで貰うよ」「……毒か」 ティリアは陰鬱そうに呟いた。「苦しませないようにって約束したからね」「分かった」 クロノはホッと息を吐いた。「何だ?」「いや、断られたらどうしようかと思って」「……それくらいの慈悲は持ち合わせている」 殺すことには変わりないが、とティリアは呟いた。「それで、イザベラとアークの処刑方法は?」「天枢神楽を使う。苦しめずに済むし、インパクトがある」「お前が手を下すのか?」「甘くないって所をアピールしておかないとね」 他人の死を利用することに抵抗を覚えるが、締められるところで締めておくべきだ。「……苦労を掛けるな」「別にティリアのためだけって訳じゃないよ」 極論すれば自分のためだ。「ボウティーズ男爵領の帝国軍は?」「話し合いで大隊長を決めさせた。新しい大隊長は平民上がりで、年齢もそこそこいっているが、悪い人物ではなさそうだ」「……それは良かった」 このタイミングで大隊長になるなんて貧乏くじを引いたとしか思えないが、それを指摘しても仕方がない。「他に報告はないか?」「これから石切場を解放してくるよ」「約束だからな」「つきましては――」「一筆だな」「分かってらっしゃる」「当然だ」 ティリアは腕を組んだ。 ムフーと鼻息を荒くしている姿は皇女っぽくない。「石切場の惨状に胸を痛めているとアピールしなければならないからな。そう、私は慈悲深い為政者なのだ」「それは慈悲じゃないよ」「同じことだ」「まあ、本心を確かめる方法はないからね」 周囲の人間が慈悲深いと判断すれば慈悲深いのだ。「ああ、そう言えばニコルさんとネージュ殿が外で待ってるけど?」「……ネージュ・ヒアデス伯爵か」 ティリアは渋い顔をした。「嫌いなの?」「会ったばかりなのに嫌いも好きもない。と言うか、あの男は本当にネージュ・ヒアデスなのか?」「父さんがネージュ・ヒアデスって言ってたからそうなんだと思うよ」「う~む、実在しているとは思わなかった」「実在って」「今まで会ったことがなかったからな。架空の人物かと思っていたんだが」「なんで、そんな面倒な真似を?」「なんでって、便利そうじゃないか」 ティリアはこともなげに言った。 クロノの頭ではどう便利なのか分からないが、犯罪か、それに近い行為の役に立つという意味に違いない。「で、どうするの?」「もちろん、会うぞ」「分かった」 クロノは踵を返し、天幕の出口に向かった。 天幕の布を持ち上げ――。「どうぞ」「失礼します」「へへへ、失礼しやすぜ」 ネージュは普通に、ニコルは背中を丸めて入ってきた。 ニコルはティリアのかなり手前で跪いた。「……先の働き、ご苦労だった」「いや、はは、苦労なんてとんでもございませんぜ。監視して、火を点けるだけの簡単な仕事だったんで」 ペシペシッ、とニコルは頭を叩いた。「僕の時と態度が違わない?」「馬鹿野郎! 成り上がり者の小倅と皇女殿下が一緒な訳ねぇ――はッ!」 ニコルはクロノに向かって捲し立てたが、いきなりティリアの方を見た。「……一緒にするなんてできる訳がございません、ぐへへ」「超へり下ってる」「何故か、今の方が人の悪さが滲み出てますね」「確かに」 クロノはニコルを横目に見ながら頷いた。 愛想笑いを浮かべているつもりなのだろうが、悪人がこちらを油断させるために下手な演技をしているように見える。「帝都にいた頃は犯罪組織の長をやっていたと聞いたが?」「い、いえ、ちょいとした商売をしてまして。ですが、帝国の未来を憂う気持ちは本当でございます」「どさくさに紛れて成り上がろうと頑張ってたんですが、あちこちで騒ぎを起こしたので早めに皇軍に合流しようという話になりまして」「てめぇはどっちの味方なんだ!」 ニコルが膝を突いたまま殴り掛かるが、ネージュは軽く避ける。「今は心を入れ替えてますぜ、ぐへへへ」 ニコルは揉み手で笑う。「ちょっとがっかり」「どうかしたんですか?」「いや、犯罪組織の長なんだから権力には屈さない的なイメージがあったんだけど」「犯罪組織は権力者に擦り寄るものですよ」 ははは、とネージュは演技がかった仕草で笑った。 よくよく思い出してみればネージュも犯罪組織――暗殺者集団の一員だったのだ。 犯罪者同士、馬が合うのかも知れない。「……心を入れ替えたか」「ええ、ええ、そうですとも」 ニコルはニヤリと笑った。「ボウティーズ男爵領の統治を任せたいと思うんだが」「そ、そりゃ、もう! 命懸けでやりますぜ!」「そうか!」 ニコルが身を乗り出して言い、ティリアは手を打ち合わせた。「……だが、いきなり統治を任せるとな」「お、おい!」 ニコルがネージュのズボンを掴んだ。「分かりました。僕がサポートします」「うむ、これで心配はいらないな」 ティリアはニヤリと笑った。※ クロノは部下を率いて石切場に向かう。 兵数は二千――石切場を守る兵士は百人足らずということなので、十分過ぎるほどの人数だ。「いや、流石、ティリア皇女だぜ!」「そうですね」 やたらとティリアを褒めちぎるニコルと適当に相槌を打つネージュを見ながらクロノは小さく溜息を吐いた。『どうしたんで?』(ぶも?)「あんなに喜んでいる姿を見るとちょっとね」 再び溜息を吐く。『まあ、いきなり領主様になりゃ舞い上がりやすぜ』(ぶも)「僕は途方に暮れたんだけど?」『大将は経験がありやせんでしたからね』(ぶも)「そうだね」 ニコルは犯罪組織の長にまで登り詰めた男なのだ。 クロノとは経験に雲泥の差がある。「そう考えると、苦労を楽しんでいるのかも知れないね」「…………何だと?」 ニコルは足を止め、振り返った。「苦労って何だ?」「ボウティーズ男爵領が経済同盟の盾になるってことですよ」「何だとッ?」 ネージュの説明にニコルは目を見開いた。「帝国はニコルさんが領主になることを認めないでしょうからね。帝国軍に真っ先に攻められるポジションです」「クソッ、浮かれすぎたぜ」 ネージュがさらに説明し、ニコルは吐き捨てるように言った。「まさか、皇女様がそんな真似をするとは思っていなかったぜ」「かと言って、帝国に鞍替えするのも難しいだろうしね」 ニコルは義勇軍を率いて帝国内で問題を起こしているのだ。「いざという時に備えてトール君の助命しますか?」「いや、そいつはできねぇ。頭が二つになったら混乱するだけだ。下手すりゃ俺が殺されちまう」「でしょうね」「それに、後ろ盾がなくなるのはマズい。畜生、皇軍と合流するだけにしておけば良かったぜ」 ニコルは苦しげに呻いた。「結構、自分本位だな~」「最初から自分のことを考えているのでブレてはいませんよ、ブレては」「いやいや、ティリア皇女が皇位に就きゃ問題ねぇな!」 ぐはは、とニコルは笑った。 空元気という感じはするが、落ち込むよりはマシだろう。 しばらく進むと、木で作られた柵が見えてきた。 門番のつもりか、二人の兵士が立っている。 一人がこちらに気付き、ギョッと目を剥いた。「な、何者だ!」「俺は皇軍のニコルだ! ティリア皇女の命令で石切場を解放しにきた! これが証拠だ!」 ニコルは高々と羊皮紙を掲げた。「証拠って言ってもティリアの文字を知ってる人なんていないよね?」『それ以前に文字の読める兵士なんざいやせんぜ』(ぶも)「かと言って、これだけの戦力差があって逆らおうって人もいないと思いますけど」「責任者を連れてこい! とっとと連れてこないと皇軍の精鋭がお前らを血祭りにあげるぞ! それで良いんだなッ?」 クロノ達の会話を無視し、ニコルが叫ぶ。 すると、兵士は顔を見合わせた。「す、すぐに責任者を連れてくる!」「だから、少しだけ猶予をくれ!」「少しだけ待ってやる!」 ニコルが叫び、二人の兵士は走り去った。「……てめぇら、ちゃんと働けよ」「交渉は任せるよ」『あっしはクロノ様の付き添いなんで』(ぶも) チッ、とニコルは舌打ちした。「ネージュ! てめぇは副官なんだから俺にばかり働かせるんじゃねぇッ!」「僕は戦闘要員ですから。むしろ、僕を楽させて下さい」「クソ、役立たずばかりじゃねぇか!」 ニコルは叫び、地団駄を踏んだ。「……ミノさん、久しぶりの故郷はどう?」「お、てめぇはこの辺の出身なのか?」『今よりマシな生活を送りたくて一族で故郷を捨てちまいやしたけどね』(ぶもぶも)「その意気だぜ。やっぱり、俺達――貧乏人は賭けねぇとな」 ニコルはニヤリと笑った。「へ~、ニコルさんにも色々あるんですね」「そりゃ、色々あるに決まってるだろ。おめぇだって色々あるんだろ?」「どうですかね?」 ネージュは首を傾げた。「色々あったって言うほどの人生ではなかったような気がするんですよね」「ボケッと生きてるからだ。俺なんざ常に明後日のことを考えてるぜ」 ニコルは親指で自分を指し、自慢気に胸を張った。「で、どうなの?」『複雑な気分にゃなりやすね』(ぶも) 副官は天を仰ぎ、スンスンと鼻を鳴らした。「ミノさんも鼻が良いの?」『人間に比べりゃって感じですがね』(ぶも)「何か気になることでも?」『死臭がしやすね』(ぶも) クロノは鼻で深呼吸してみたが、死臭を嗅ぎ取ることはできなかった。『捨てたとは言え、自分の故郷が死体置き場になってるってのはどうにも堪えやすぜ』(ぶもぶも)「そうだね」 副官は溜息交じりに言い、クロノは頷いた。「お? 戻ってきやがったぜ」 ニコルの言葉に顔を上げると、小太りの男が十人ばかりの兵士を引き連れてこちらに近づいていた。「どうするの?」「戦いにはならねぇから安心しろ」 ニコルはニヤリと笑った。 悪人然とした笑みだが、頼もしく感じる。 小太りの男は柵に寄り掛かり、荒々しい呼吸を繰り返した。「何者だッ?」「俺は皇軍のニコル! ティリア皇女の命に従って石切場の作業員を解放しにきたッ!」「儂はアルフォート殿下の命で石切場の監督をしとる! そんな命令には従えん!」「うるせぇ! とっとと失せろッ! これ以上ガタガタ抜かすんならぶっ殺すぞッ!」 小太りの男が大声で怒鳴り、ニコルはさらに大きな声で怒鳴り返した。「儂にも意地がある!」「面倒臭ぇ、ぶっ殺しちまおう」「戦いにはならないんじゃ?」「考えてみりゃ交渉する必要もねーしな」「……分かった」『大将、ここはあっしが』(ぶも) 副官がクロノ達の前に歩み出て、ブモォォォォッ! と雄叫びを上げた。 黄色の光が蛮族の戦化粧のように副官の体を彩る。「おや、刻印術が使えるんですね」 ネージュが他人事のように呟き、副官は再び雄叫びを上げ、足を踏み出した。 副官の足下から小太りの男に向かって亀裂が走る。 次の瞬間、錐状の岩が地面から突き出した。 一つでは終わらない。 亀裂に沿って錐状の岩が次々と屹立する。「わ、分かった! 出ていく!」 小太りの男が叫び、屹立するスピードが緩やかなものに変わる。 最後に錐状の岩がゆっくりと屹立し、完全に動きが止まった。『こんなもんですぜ』(ぶも) ブフー、と副官は荒々しく鼻息を吐いた。※ 二日後 ( 南進五日目 ) ――クロノは暗澹たる気持ちで処刑台を登った。 不意の仕事だったにもかかわらず、しっかりとした作りだ。 ここからは見えないが、側面に施された彫刻も見事なものだった。 階段を登り切り、顔を上げる。 処刑台の正面には老騎士達に守られたティリアがイスに座っていた。 さらにその周囲を皇軍兵士が囲んでいる。 ボウティーズ男爵領の領民はかなり離れた場所にいる。 表情を窺い知ることはできないが、少なくとも喜んでいるようには見えない。「罪状を述べる!」 クロノの声が周囲に響き渡る。「領主代行イザベラは皇軍に敵対しないと契約を交わしたにもかかわらず、大隊長アークとその配下である騎兵隊に襲撃を命じた!」 おおッ! と観衆がどよめいた。「両名を死刑とし、連座としてイザベラの息子トールも死刑とする!」 再び観衆がどよめいた。 先程に比べると声が小さい。「なお、イザベラの息子トールは襲撃に関与していないため毒殺刑とする! これは無用な苦しみを与えないための処置である! イザベラ、アークの両名を!」 クロノが場所を空けると、イザベラとアークが処刑台を登る。 二人が処刑台に登り、観衆は三度目のどよめきを発した。 当然かも知れない。 二人は縄を打たれていないばかりか、豪奢な衣装――イザベラは黒を基調としたドレスを、アークは軍礼服に身を包んでいたのだから。「本来ならば罪人として処刑するところだが、自らの死を飾る権利を与える。これは慈悲である」 イザベラとアークは処刑台に立ち、目配せをした。 先に跪いたのはアークだ。「言い残すことは?」「……何もかも」 アークは静かに口を開いた。「何もかも偽りだらけの人生だった。だが、死んだ部下との絆は本物だった。俺は敗北者として死ぬ。これも本物だ」 アークはクロノを見上げ、俯いた。「……天枢神楽」 大量の文字が滝のように流れ、漆黒の球体が生まれる。 漆黒の球体がアークの頭部を覆い、クロノは拳を形作った。 頭部を失ったアークの体がゆっくりと倒れる。 まるで土下座しているかのような姿勢だが、貴族らしさを感じさせる最期だった。 イザベラがゆるりと動いた。 両膝を突き、祈るように手を組んだ。「言い残すことは?」「……貴族としての死を用意して下さり、ありがとうございます」「天枢神楽」 漆黒の球体がイザベラの頭を覆う。「ト――」 クロノが拳を形作る寸前に息子の名を呼ぼうとしてか、イザベラが口を開いた。 だが、息子の名を呼ぶことはできなかった。 イザベラの体がゆっくりと倒れる。「……遺体は埋葬されることになるが、辱めるような真似は許さない。二人の罪は死によって贖われたからだ」 クロノは小さく息を吐き、階段を下りた。※ クロノが寝室に入ると、トールはベッドに横たわっていた。 まだ毒薬は飲ませていない。「……母上は?」「もう逝ったよ」 クロノはベッドの傍らにあるイスに腰を下ろした。「……僕の番ですね」「そうだね」 クロノはポーチから紙――毒薬を取り出した。 スーに作らせたものだ。 眠るように死を与える毒らしい。 クロノが毒薬を差し出すと、トールは震える手でそれを手に取った。 黒い丸薬を取り出し、一気に呑み込んだ。「……僕は死ぬんですね」「そうだ」 トールは天蓋を見上げていた。「……何か話してくれませんか?」「何を話せば?」「何でも良いです」「……そうだね」 クロノは少しだけ考え、別の世界からやって来た男――自分のことを話すことにした。 その世界に何があるのかを淡々と話した。 トールは質問してきたが、それも最初だけだ。 少しずつ反応がなくなり、聞き返す回数が増えていく。 聞き返すこともなくなり、安らかな寝息が聞こえてきた。「……」 呼吸が止まるまでクロノはトールの傍らにいた。※「ははは、綺麗だね」 リオは舞い上がる火の粉を見上げて笑った。 夜空に吸い込まれるように舞い上がる火の粉は幻想的で、何処か淫靡さを感じさせる。「……リオ様」「何だい?」 声のした方を見ると、副官が跪いていた。「終わりました」「ああ、もう終わったのかい?」 リオは周囲を見回した。 数時間前までここには村があった。 何処にでもあるような村だったが、今はない。 建物は炎に包まれるか、焼け落ちるかし、村人は死ぬか、死にかけるかしている。「適度に逃がしたかい?」「そういう命令でしたので」「うんうん、命令に忠実なのは素晴らしいことだね」 リオは胸の前で手を打ち合わせた。「……ところで、強姦はしてないよね?」「はい、そう命じられましたので」 副官は静かに頷いた。「聞き分けの良い部下ばかりで助かるよ。たった百人の騎兵でどうすれば良いのか途方に暮れたものだけど、爺の人選は確かだね」「ありがとうございます」 リオは再び空を見上げた。「この調子ならクロノはボクを見つけてくれるよ」「……そのように願っております」「死体にメッセージを刻んだら次に行こう」 ははは、とリオは再び笑った。