第15話:南進 その5
第15話:南進 その5
※ 南進六日目――ニコルは執務室のイスに座り、背もたれに寄り掛かった。 笑みが零れるが、今の地位が盤石とは程遠いことは分かっている。 ちょろっと狼煙を上げて手に入れた地位だ。 あとは石切場で働かされている連中を解放したくらいか。 皇女の権威と皇軍の力を借りて解放したのだから成果とは呼べない。 これを成果などと言ったら不興を買うだけだ。 それだけは避けなければならない。 今の地位はティリア皇女の不興を買えば容易く失ってしまうものなのだから。 だが――。「俺が貴族……男爵か」 笑みが深まる。 恐らく、今の貴族――特に旧貴族はニコルのことを貴族だと認めないだろう。 クロノの父親――クロード・クロフォード達が新貴族と揶揄されるように。 それでも込み上げてくる愉悦を堪えられない。「……この俺が男爵」 ニコルはスラム出身だ。 父親は知らない。 母親のことは思い出したくもない。 境遇を呪ったこともあったが、自分だけが不幸な訳ではなかった。 スラムには恵まれない境遇のヤツなんて掃いて捨てるほどいた。 ニコルはその中の一人だったというだけの話だ。 それを受け容れるまでに他人より時間が掛かったように思う。 なまじ腕っ節が強かったのもマズかったのだろう。 弱ければ半殺しの目に遭うことなく、自分の程度を理解できたに違いない。 犯罪組織に入ったのは成り行きだ。 いや、今になって考えてみれば成り行きの域を出ないと言うべきか。 組織に入ってから色々あったが、トップにまで登り詰めることができた。 自分よりも強い者、頭の良い者、強かな者は大勢いた。 そんな中で自分がトップにまで登り詰めることができたのは運が良かったからだろう。 運だけに頼っていた訳ではないが、結局はそこに辿り着く。 運が悪ければ殺されていたと思えるようなことが何度もあった。「……この俺が貴族か」 ニコルは立ち上がり、窓に向かう。 やりたいことは沢山ある。 何しろ、貴族になったのだ。 犯罪組織のトップではできなかったことが簡単にできるはずだ。 ニコルは窓から街を見下ろし――。「……何か 塩 ( しょ ) っぺぇな」 そんな感想が漏れた。 街を歩いている時は何も感じなかったが、ここから見ると貧しさがよく分かる。 石造りの建物よりも木造の建物の方が多い。 特に城壁に近い建物は酷い有様だ。「こんなんでやりたいことなんてできるのか」 今でさえ、こんな有様なのだ。 重税を課したら餓死者が続出するかも知れない。 そうなれば領民は自分を恨むだろう。 恨まれるのは駄目だ。「どうすりゃ良いんだ?」「……犯罪組織のトップをしていた時と同じですよ」「うぉッ!」 背後から声が響き、振り返る。 すると、ネージュが立っていた。「ノックぐらいしやがれ。これでも、俺は領主様なんだぜ」「次からはそうします」「本当かよ」 ニコルは小さく吐き捨てた。 気を付けると良いながら同じことを繰り返すのがネージュという男だ。 どうにもテンポが合わない。 まあ、そんなヤツでも使ってやるのが領主というものだろう。「死体の片付けはどうした?」「イザベラさん達の死体ですか?」「そいつらはもう埋葬しただろ。俺が言ってるのは石切場の方だ」「そっちは片付けました。指示通り、墓石もおきました。と言っても、石切場にあった大きめの岩ですけどね」「十分だ。大事なのは俺達が墓を作ってやったって事実だからな。しかし、よくもまあ、あんなに人を死なせやがったな」「ボウティーズ男爵が先祖代々働いていたミノタウルス達を売り飛ばしてしまいましたからね」「馬鹿じゃねぇか」「そうですね」 ネージュはへらへらと笑った。「よくよく考えてみたら俺が尻拭いをしなきゃならねぇのか。ったく、宝の山が目の前にあるってのに手出しできないなんて最悪じゃねぇか」「最悪と言っている内はまだ底があるんですよ」「俺は素人を働かせるような真似をしねぇからこれが底だ」 おや、とネージュが演技がかった仕草で目を見開いた。「犯罪組織のトップとは思えない台詞です」「俺は部下を大事にしてるぜ。役立たずのボンクラでも大事にしてやれば肉の盾になってくれるからな」「それは大事にしていると言うんですかね?」「飯を食わせてやってるんだから大事にしてるんだよ」「ああ、確かに大事にしてますね」 やはり、ネージュはへらへら笑いながら言った。「で、俺はこれからどうすりゃ良いんだ?」「と言うと?」「だから、犯罪組織のトップだった頃と同じことをしろっていっただろ? 一体、俺は何をすりゃ良いんだ?」「頼りになる領主だと思わせれば良いんですよ」 ネージュはこともなげに言った。 お前は実践してるのか? と突っ込みそうになったが、ネージュの場合は強いだけで仕事をしたことになるのだろう。「……頼りになる領主か」 パッと思い付くのは上前をはねすぎないことだ。「あとは仕事……石切場があんな有様だからな」「経験者を雇って現場の責任者にすれば良いんじゃないですか?」「一朝一夕にゃいかねぇか。畜生、組織を引き継いだ時の方が楽だったぜ」「のんびりやりましょう、のんびり」「のんびりやってたら爺になっちまうよ」 枯れてから好き放題できるようになっても意味がない。「クソッ、あちこちに頭を下げる羽目になりそうだな」 ニコルはうんざりした気分で呟いた。※ 先遣隊はボウティーズ男爵領を抜け、ゼギヌス男爵領を進んでいた。 正確に言えばゼギヌス男爵領にある緩やかな上り坂か。 先遣隊は騎兵三十名、弓騎兵二十八名、合わせて五十八名からなる。 これを三つの隊に分け、レイラ、アリデッド、フェイの三人が率いていた。 先頭を進むケインの役割は三隊を指揮することだ。 ちなみにデネブはアリデッド隊の隊員である。 レイラはケインの背中を見つめた、 長らく現場を離れていたが、ケインはブランクを感じさせない。 もしかしたら、仕事をしながら鍛錬を続けていたのかも知れない。 ケインはこうなることを予想していたのか。 それとも、いざと言う時に備えていただけか。 後者と思われるが、それを聞いてもはぐらかすだけだろう。 よくよく考えてみればクロノも鍛錬を怠っていなかった。 領主という立場にもかかわらずだ。 自分は現場を離れても鍛錬を怠らずにいられるだろうか。 無理かも知れない、とレイラは思う。 鍛錬を怠らないようにしようという意思はある。 だが、日々の仕事に追われている内に意思が挫けてしまうのではないかと思う。 最初はちょっとしたことから始まるに違いない。 色々と言い訳をして、それが常態化する。 クロノが聞けば一笑に伏すかも知れないが、レイラはそこまで自分を信じられない。 フェイはもちろん、アリデッドとデネブも仕事と鍛錬を両立する気がする。 なんだかんだと要領のいい二人なのだ。 不意に何かが焦げたような臭いが鼻を突き――。『焦げ臭い、止まれ』 籠手の通信用マジックアイテムから声が響き、レイラは手綱を引いて馬を止めた。 戦いの予感に全身が総毛立つ。 敵がいるとすれば坂道を上りきった所のはずだ。 いかに視力が優れてても地形的に見えない所は見えない。 当然の理屈だが、何とも歯がゆく感じる。 クロノの本に載っていた空飛ぶ乗り物があればこんな歯がゆさから解放されるのかも知れないが、無い物ねだりだ。 だから、レイラは敵の痕跡を見つけようと馬上で視線を巡らせた。 だが、何もない。『レイラ、アリデッド、デネブ、声は聞こえるか?』「いえ、聞こえません」『以下同文』『同じく』 レイラは小さく息を吐いた。 焦げたような臭いが漂っているにもかかわらず、声が聞こえない。 それは――。『フェイ、偵察を頼む』『了解であります!』 しばらくして馬に乗ったフェイが隣を駆け抜けていった。 何事もなく坂を上りきり、馬首を巡らせた。 何かを叫ぼうと口を開き、籠手に視線を落とす。『焼けた村があるであります』『他には何かあるか?』『死体が凄いことになっているであります』 レイラは首を傾げた。 死体が凄いあるなら分かるが、凄いことになっているのはどういうことか分からなかったからだ。『……あ、嫌な予感がするし』『あたしもだし』 どうやら、アリデッドとデネブには思い当たる節があるようだ。『フェイはその場で待機しろ。敵が現れても戦おうとするな。こっちに逃げてこい』『了解であります』 ケインの指示にフェイは素直に頷いた。『よし、進むぞ』 レイラは小さく頷き、馬を前に進ませた。「――ッ!」 坂を上りきり、息を呑んだ。 そこに五十戸ほどの集落は破壊し尽くされていた。 家々は焼け落ち、家畜も、住民も殺されている。『隊を二つに分けるぞ。俺とフェイの隊は周囲の警戒をする。レイラ、アリデッド、デネブの隊は生存者の捜索を頼む』 ケインはフェイ隊を率いて街道を南に進み、レイラは馬から下りた。 アリデッド達もそれに倣った。「あまり離れすぎないようにしましょう。何かあれば通信用マジックアイテムに話しかけて下さい」「了解だし」「いきなり距離を詰めるあたしらだったり」 レイラは籠手の通信用マジックアイテムを通して指示をすると、すぐ近くからアリデッドとデネブの声が聞こえた。「……アリデッド、デネブ」「そんな目で見なくてもみたいな」「これでも、あたしらは真面目に仕事する派だし」 二人がそんなことを言っている間に部下達は適度に距離を取って散開し、生存者の探索を開始した。 レイラは弓を持ち、周囲を警戒しながら生存者を探す。 集落の屋根は焼け落ち、土壁は無惨に崩れている。 焼け落ちた家の中に、道、井戸の近くに死体は転がっている。 レイラは道に横たわっている死体を見つめ顔を顰めた。 男性の死体だ。 服がはだけ、剥き出しになった肌に犠牲者を冒涜するような文字が刻まれていた。 さらに死体には眼球がない。 口の中に眼球を押し込まれているのだ。 正気の沙汰ではない。「死体を片付けるべきか悩み所みたいな」「襲撃を受けるかも知れないから本隊と合流してからにすべきみたいな」「……二人とも」 レイラは溜息を吐き、背後にいるアリデッドとデネブに向き合う。「適度に距離を取って生存者を探索しろと言いたかったり?」「隊長の仕事は部下の指揮みたいな」「違います。二人ともこれを見て、何とも思わないのですか?」「お気の毒と思ったり」「レイラは冷静さを欠いていると指摘してみたり」「私が?」 レイラは思わず問い返した。「この死体はメッセージ、もしくはアピールだと思ったり」「むむ、あたし的にはびびらせる目的もあると思ったり」「……あ」 レイラは声を上げた。 死体の異常性に気を取られ、誰が何の目的でこのようなことをしたのか考えなかった。 隊長――指揮官にあるまじき愚鈍さだ。「何故、そのように考えるのですか?」「死体の周囲を見れば一目瞭然みたいな」「血が飛び散ってないし、押さえつけた跡もないから殺してから死体を傷付けたと推測できるみたいな」 レイラは改めて死体とその周辺を見つめた。 確かに二人が言う通り、死体の周辺には血が飛び散ったり、暴れたりした形跡がない。 正気の沙汰ではないと思ったが、敵は正気だったのだ。「……そうですね」「気落ちする必要はないし」「あたしらも未経験なら損傷具合に目がいくと思うし」 気を遣ってくれているのか、二人は軽い口調で言った。「誰が、何のためにこのようなことをしたと思いますか?」「あたしの予想ではリオ・ケイロン伯爵だと思ったり」「多分、クロノ様に対するアピールみたいな」「ケイロン伯爵がこんなことをするなんて……」 思わず問い返す。 レイラの知るリオは独占欲の強い所はあるが、飄々とした人物だ。 何気に面倒見も良い。 街道の警備をしていた時に指揮官としての心構えを教えてくれたこともある。 こんな蛮行をするとは思えなかった。「レイラがそう思うのは勝手だけど、あたしらは一緒に戦ったことがあるし。そもそも、これは親征の時にクロノ様が使った戦術だし」「こうすることでクロノ様に自分の存在をアピールしているみたいな」「……そう、ですね」 帝国軍が皇軍の戦意を挫くために死体を辱めたとは考えにくい。 ゼギヌス男爵は中立――帝国に与しつつもティリア皇女と敵対しないという立場だ。 わざわざ敵を増やすメリットはない。「まあ、でも、皇軍に罪を押し付けるための工作という線もあるみたいな」「あたしらは親征でかなりやらかしちゃったし。クロノ様がそういう人だと知っている人も多いはずだし」「どっちなのですか?」「思い込みで否定するのは危険みたいな」「材料が揃うまで判断を保留するのも手だし」 二人はいつもと変わらぬ調子で言った。 レイラは改めて感情的になっていたことを反省すると同時に二人が自分よりも冷静に物事を見ていることを思い知らされる。「取り敢えず、途中報告しておいた方がいいみたいな」「報告は大事だし」 ええ、とレイラは頷き、通信用マジックアイテムの付いた籠手を口元に近づけた。「ケイン隊長、レイラです。現在、生存者は確認できません。また、死体は意図的に傷付けられています。周囲に血が飛び散っていないことから殺した後に傷付けたものと思われます」『こちらはケイン、了解した。申し訳ねぇが、生存者の探索を切り上げてくれ』 通信用マジックアイテムからケインの声が響く。 緊張しているのか、声が固い。「何かあったのですか?」『騎兵隊のお出ましだ。すまねぇが、こっちにきてくれ』「了解しました」「レイラ隊、アリデッド隊は馬に乗って急行だし!」「ただし、命令があるまで攻撃は禁止みたいな!」 レイラが返答した直後にアリデッドとデネブが叫んだ。 部下達が生存者の捜索を切り上げ、馬に向かって走る。「さて、行くし!」「行け行けゴーゴーみたいな!」 アリデッドとデネブが走り出し、レイラは後を追った。 街道で待機させていた馬に飛び乗り、街道を南に進む。 すると、すぐにケイン達の姿が見えてきた。 だが、ゼギヌス男爵領の騎兵隊の姿は見えない。 いや、まだ、かなり遠くにいた。 フェイ隊に配属されている弓騎兵――エルフがゼギヌス男爵の騎兵隊が接近していることを伝えたのだろう。 街道を警備していた頃から感じていたことだが、弓騎兵の真価は戦闘力よりも探索能力にあるのではないかと思う。 レイラはケインの隣で馬を止めた。「……殺気立っちゃいるが、話し合えそうだな」 ゼギヌス男爵領の騎兵隊が二十メートルほど離れた所に止まり、ケインが呟いた。 ピリピリとした緊張感が伝わってくるので何かあれば戦闘に突入するだろう。 それが分かっているのだろう。 部下達も緊張しているようだ。「どうして、話し合えると分かるのでありますか?」「勘だな」 フェイの質問に低めの声で応じる。「念のために言っておくけど、山勘じゃねーからな。皇軍の置かれている状況や経験則に基づいて判断してるからな。お前の野生動物並の勘は信じてるが、やるんなら戦闘だけにしておけよ。勘だけで行動することはするなよ」「もちろん、分かっているであります」「もう一度だけ念を押しておくが、絶対にやるなよ?」『こ、これは壮大な前振りの予感!』『い、嫌な予感がするし!』 まるでケインを援護するようにアリデッドとデネブの声が籠手の通信用マジックアイテムから響いた。「……分かってるであります」「ああ、肝に銘じておけよ」 フェイがしょぼんと頭を垂れ、ケインは馬から下りた。「俺の名はケインだ! 皇軍の先遣隊を率いてる! 責任者と話がしてぇッ!」 ケインが大声で呼びかけると、先頭にいた騎兵が馬を下りた。「私の名はハリス! ゼギヌス男爵の甥だ! 村が襲撃されたと報告を受け、その確認に来た! 皇軍を敵対するつもりはない!」 騎兵――ハリスが叫ぶと、背後にいた騎兵達が鐙から片足を外した。 これは自分よりも身分が高い者に対する作法の一つだが、同時に敵意がないと示すためのものでもある。 ケインが肩越しに視線を向け、レイラ達は鐙から片足を外した。 緊張感が緩み、ホッと息を吐く。 それは相手も同じだったらしくホッと息を吐いたり、胸を撫で下ろしたりしている。 少なくともいきなり戦闘に突入することはなさそうだ。 ケインとハリスはゆっくりと歩み寄り、帝国式の敬礼を交わした。 ケインの敬礼は崩れているが、ハリスのそれは美しい。 叩き上げと軍学校卒業者――それが敬礼一つで分かってしまう。 しばらくして――。『……ゼギヌス男爵がクロノ様と話したいことがあるそうだ』 通信用マジックアイテムからケインの声が響いた。※ 夕方――クロノは周囲に警戒しながら森の中を歩いていた。 いや、警戒しているつもりでと言うべきか。 日の入り間近と言うこともあり、森の中は薄暗く、歩くだけで気力と体力を消耗する。 二人ともよく平気だな、とクロノは前を歩くフェイとティリアを見つめた。 神威術を使っているのか。それとも森を歩く才能があるのか。 どんどん森の奥に進んでいく。 これで遭難したら笑いものだ、とそんなことを考え――深々と溜息を吐く。 溜息が聞こえたのだろう。 ティリアが前を向いたまま口を開いた。「やはり、気になるか?」「まあ、ね」 クロノは溜息交じりに答えた。 あの時はリオの後ろにはレオンハルトがいた。 もし、リオが寝返るような素振りを見せればレオンハルトに殺されていただろう。 レオンハルトは公爵家の嫡男だ。 私情を優先させることはない。 正しい選択をしたはずなのに――。「リオと敵対するのは堪えるよ」 無辜の民を殺したことに対する憤り、道が分かれてしまった悲しみ、敵意を向けられることへの恐怖、もしかしたらという淡い思いが胸中で渦巻いている。 身も蓋もなく言えば憂鬱だった。「お前の気持ちは分かるが、躊躇うなよ?」「ティリアは平気なの?」「……平気だ」 ティリアはわずかに間を置いて答えた。「私は何度も敗北の苦渋を味わわされているからな」「仲がいいのかと思ってたよ」「ヤツとは死闘を繰り広げていたつもりなんだが」 ティリアは呻くように言った。「フェイは……」 大丈夫なの? と言いかけ、口を噤む。 誰だって知り合いと戦うのは嫌なものだ。 だから、皆はそれを口にしないのだ。「ゼギヌス男爵が待っている天幕はまだなの?」「もう少しであります」「……そう」 クロノは再び溜息を吐いた。 ゼギヌス男爵が何のために話し合いを希望しているのか。「見えてきたであります」「……ああ、あれか」 フェイが指差した先には木に埋もれるようにして天幕が張られていた。 その前には騎士――恐らく、彼がハリスだろう――が立っていた。「フェイ・ムリファイン、ティリア皇女とクロノ様を連れてきたであります」「ご尽力、感謝いたします」 フェイが敬礼すると、ハリスは返礼した。 そして、クロノ達に向き直る。 まあ、見ているのはティリアだが。「ティリア皇女、お目にかかれて光栄です。本来ならば礼をすべきなのでしょうが……」「構わん。とっとと話し合いとやらを始めよう」「お気遣い感謝いたします」 ハリスが天幕を開け、クロノ達は中に入る。 中にはテーブルとそれを挟むように二脚のイスがあった。 一方のイスには誰も座っていないが、もう一方のイスには老人が座っていた。 枯れ木のように痩せた老人だ。 生え際は大きく後退し、白髪がわずかに側頭部に残っている。 養父より遥かに老けているように見えるが、それにはリオの件も関係しているはずだ。「待たせたな」 そう言って、ティリアはイスに座った。 クロノとフェイはティリアの背後に控える。「……私は周囲を警戒しておりますので」 ハリスはそっと天幕を閉じた。「ティリア皇女、ご足労お掛けして申し訳ございませんでした。私が領主のイザル・ゼギヌスでございます」「此度の戦で中立を選んでくれたことを感謝する」「いえ、とんでもございません」 ゼギヌス男爵は恐縮したように言ったが、中立と言っても皇軍が領内を通ることを許可しただけだ。 何かあれば裏切るに違いないが、形だけでも感謝の意を示すのは大事だ。「で、どんな用件だ?」「実は……第九近衛騎士団のリオ・ケイロン伯爵が百騎ほどの騎兵を従えて近隣の領地を暴れ回っているのです」 やっぱりか、とクロノは何度目かの溜息を吐いた。「それは正式な作戦なのか?」「ああ、いえ、事前に送られてきた書簡にはケイロン伯爵が遅滞作戦を行うと」 ゼギヌス男爵は呻くように言った。 恐らく、その書簡は協力を要請するものではなく、命令だったのだろう。「つまり、どういうことだ?」「……それは」 ゼギヌス男爵は口籠もった。 ティリアとて彼がリオの排除を望んでいると分かっているだろう。 だが、こちらから切り出せば恩に着せられなくなってしまう。 後になって皇軍が勝手にやったと言い出すかも知れない。 証拠を残さなければならない。「途中、ケイロン伯爵に襲撃されたと思しき村を見た。一体、いくつの村が滅ぼされたんだ?」「……」 ゼギヌス男爵は俯き、脂汗を流している。 ハリスからもたらされた情報によれば滅ぼされた村は五つだ。「生き残った村人が何人いるか知らないが、このままでは立ち行かなくなるぞ」「……」 ゼギヌス男爵は俯いたままだ。 ハリスによれば村の規模に比べて死者は少ないらしいが、この状況を放置すれば人心は離れていく。「…………ケイロン伯爵とその部下の討伐をお願いします」 長い沈黙の末、ゼギヌス男爵は絞り出すように言った。「……討伐か」 ティリアは思案するように腕を組んだ。「敵、だからな。戦うのも止む得ないが、一筆――」「敵襲だ!」 叫び声がティリアの言葉を遮り、ハリスが天幕に飛び込んできた。「叔父上!」「ハリス、どうした?」「ケイロン伯爵の襲撃です! 早く避難して下さい! 万が一、叔父上がティリア皇女と会談していることが帝都に伝わったらマズいことになります!」 ハリスは捲し立てるように言って、ゼギヌス男爵を立たせた。「ティリア皇女、申し訳ございません! 我々は引き上げます! 御身の無事を祈っております!」 ハリスの部下が天幕に入り、ゼギヌス男爵を担ぎ上げた。「では!」 ハリスは部下達と共に天幕から飛び出した。「私達も逃げるぞ!」 ティリアが叫び、クロノ達は天幕から飛び出す。 それほど時間は経過していないはずだが、周囲はすっかり暗くなっていた。 クロノはポーチに手を入れ――。「先導するであります!」 フェイが駆け出し、ティリアがその後に続く。 クロノは眼鏡――暗視用のマジックアイテムを掛けてから走り出した。「二人とも速すぎッ!」 クロノは文句を言い、ティリアの背――白い制服を追う。 獣道と大差ない道を駆け抜け、街道に出る。 すると、ティリアとフェイが待っていた。「遅いぞ!」「もう少しでありますよ!」 フェイがチラリと横――街道に止まっている幌馬車に視線を向けた。 次の瞬間、轟音が鳴り響き、火柱が上がった。 光がマジックアイテムで増幅され、目の前が真っ白になる。「痛ッ!」 眼球の奥に鋭い痛みが走り、クロノはマジックアイテムを投げ捨てた。 強烈な光のせいか、視界がチカチカする。 だが、見えてはいる。「ケイロン伯爵の襲撃か?」「どうするでありますか?」「いや、でも、リオは『翠にして流転を司る神』の神威術士なんだから――ッ!」 クロノは刻印を起動し、全力で地面を蹴った。 ティリアとフェイは神威術を使って身体能力を強化した直後、緑色の光がクロノ達を分断するように地面に突き刺さった。 ティリアとフェイはクロノの反対側に跳躍、着地するか着地しないかのタイミングで光が炸裂した。 爆風が押し寄せ、クロノは吹き飛ばされた。 何度も地面を転がり、立ち上がる。「やあ、久しぶりだね」 涼しげな声が響き、リオが爆発によって生み出された穴の近くに舞い降りる。 手には弓――神器を持っている。「……リオ」「何だい?」「僕は――」「何も言わなくていいよ」 リオがクロノの言葉を遮る。「ずっと、感じていたんだ」「何を?」「この関係は長続きしない、いつか終わる、選ばれない日が来るって分かっていたんだ」「それは違うよ」「同じことだよ、同じことなんだ」 クロノは否定したが、リオは小さく頭を振った。「だから、最初から――」「ケイロン伯爵!」 ティリアが叫び、リオは小さく溜息を吐いた。「お前の狙いは私だろうッ?」「それは自意識過剰だよ。ボクの狙いはクロノだよ」 リオは嘲るような笑みを浮かべた。「でも、まあ、ついでだから死んで……おくれよ!」 リオは振り向き様に矢を放った。 いや、それは光の奔流だ。「神よ!」 光の盾がティリアを守るように現れる。 だが、その光は神器のそれに比べてあまりに弱々しい。「失礼するであります!」 フェイが飛び出し、腰だめに構える。「神器召喚! 抜剣ッ!」 フェイが鞘から剣を抜き放つような動作を取ると、手元から闇が噴き出した。 闇は妖しくも美しい剣に変わり、光の奔流を上下に斬り裂く。 二つに斬り裂かれた光は大蛇のようにのたうち、街道沿いにある物を破壊する。 植物を薙ぎ払い、地面を抉り、やがて消え去る。「フェイ、強くなったんだね」「お誉めに預かり恐悦至極であります! ここであの時の決着を付けるであります!」「それでかい?」 リオは肩を竦め、フェイの握る神器を見つめた。 剣はひび割れ、消えたり現れたりを繰り返している。「根性でありますッ!」 フェイが叫ぶと、闇が噴き出し、神器が安定する。「どうでありますか?」「凄いね」 フェイが勝ち誇ったように言い、リオは感心したように言った。 いや、呆れているのかも知れない。「……ケイロン伯爵」「何だい?」 リオはうんざりしたような表情を浮かべてティリアを見つめた。「お前が望むのなら皇軍に迎えてもいい」「…………ボクを憐れんでいるのかい?」 リオは低く押し殺したような声で言った。「クロノはお前を捨てた訳じゃない」「そのことはもういいんだよ」「私はよくないぞ。お前と争った日々は――」「もういいって言ってるじゃないか!」 リオは耐えきれなくなったかのように叫んだ。「もういいんだ。ずっと、予感がしてたんだ。いつか終わる、選ばれない日が来る、そんな予感があったのさ」「予感がしていたのなら、どうしてクロノを殺そうとする?」「どうすればいいのか考えていたんだ」「何を言っているんだ?」 ティリアは訝しげに眉根を寄せた。「クロノをボクのものにする方法だよ」 リオは小さく息を吐き――。「殺してしまえばよかっただよ! ははははッ! どうして、こんな簡単なことに気付かなかったんだろうねぇ? 殺してしまえばこんなに苦しむことはなかったのに、舞踏会の翌日に切り刻んでおけばよかった! 初めて結ばれた日に首を掻き切ってやればよかった! ボクの隣で寝ている時に殺せばよかったのに! どうせ、選ばれないって分かっているのに愛されるかも知れないなんて夢を見てしまったんだ! 滑稽だ! 何度も、何度も裏切られてきたのに! 一度も愛されたことなんてなかったのに!」 リオは笑っていた。 笑いながら泣いていた。「だから、死んでおくれよ……クロノッ!」 リオが振り向き様に光の奔流を放つ。 クロノは地面を蹴った。 目的はティリア達との合流だ。 ティリア達を盾にし、部下と合流する。 恥知らずな真似だ。 だが、恥を取らなければ殺されて終わりだ。 それだけは避けなければならない。「気付いてたよ」 トンという音が響く。 それは足下に光の矢が突き刺さる音だ。「さあ、吹き飛べ!」「――ッ!」 クロノは渾身の力で地面を蹴った。 光が炸裂し、右足の感覚が消える。 傷を負ったのか、吹き飛ばされたのか分からない。 構わずティリア達の陰に隠れ、ホッと息を吐いた。 右足はなくなっていなかった。「残念だよ。右足だけでもボクのものにしたかったのに」「リオ、僕は……」 何と言えばリオの心を解きほぐすことができるのか。 どれほどの言葉を費やせば元の関係に戻ることができるのか。 答えは出ず、リオの足下に矢が突き刺さった。 赤と緑の光に包まれた矢だ。「――チッ!」 リオは舌打ちし、後方に飛んだ。 跳躍ではなく、文字通りの飛翔だ。 わずかに遅れて赤と緑の光が炸裂した。 恐らく、アリデッドとデネブの刻印術だ。「はははッ! クロノ、君の部下はやる気満々みたいだね?」 リオは宙に浮きながら楽しそうに笑った。「クロノ、ボクは死ぬまで止まらないよ。ふふふ、止まらないんだ。これでクロノにもボクを殺す理由ができただろ?」「リオ、話を聞いて」「嫌だよ。武器を向けられて、どうして話ができるんだい? 自分のことを棚に上げるようだけど、話し合おうって態度じゃないよ、それは」 リオは嘲るように言って、森の中に消えた。