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第17話:決戦 その5

クロの戦記 異世界転移した僕が最強なのはベッドの上だけのようです — novelup.plus · All chapters

第17話:決戦 その5

※「ふぁぁ……」「貴様、今は作戦会議中だぞ」 ロイが大きな欠伸をすると、アルヘナは顔を顰めて言った。 ボウティーズ財務局長も不愉快そうに顔を顰めている。「悪ぃな。昨夜は寝付けなくてよ」「それでも、指揮官ならば皆の模範となるように己を律するべきだ」「へいへい」「返事は一回だ」「へ~い」「だらしない口調で言うな。それと、『へい』ではなく『はい』だ」「分かってるよ」 チッ、とアルヘナは舌打ちをした。 お前も自分を律しろよと嫌味たっぷりに言ってやりたいが、ぐっと堪える。「今日は――」「そのことなんだけどよ」 アルヘナがキッとこちらを睨む。「……何だ?」「聞く耳はあるんだな」「嫌味を言わなければ話せんのか、貴様は」「そういう訳じゃねーよ」 ロイは軽く肩を竦めた。「さっさと言え」「陣地を強化してぇんだが、人手を貸してくれねーか?」「却下だ」「おいおい、待てよ」「却下と言ったはずだが?」「せめて、話を聞けよ」 ロイはうんざりした気分で呟いた。「そのような命令は下されていない」「現場の判断ってもんがあるだろ、現場の判断ってもんが。大体、夜襲を受けて死者を出したのはこっちの陣地が攻めやすいからじゃねーか」 反乱軍はいくつもの障害物で陣地を守っているばかりか周辺の森まで利用している。 だと言うのにこちらは物資を分散して保管しているだけだ。 これで攻めてこないのであれば相手は相当なお人好しだ。 軍人なんぞ辞めて田舎で畑を耕していた方が良い。 残念ながら反乱軍――クロノはお人好しではない。 争いは苦手かも知れないが、やるのならば徹底的にやるタイプだ。「……どうするつもりだ?」 アルヘナはムッとした表情で問いかけてきた。「ようやく聞く気になったのか?」「案があるのならば言え。実行するかどうかは聞いてから考える」 ロイは深々と溜息を吐いた。 女を口説いているような気分だ。 それもお高く止まった面倒臭い女だ。 いや、お高く止まっていようが、面倒臭かろうが、女ならば良いのだ。 女を口説くのは戦闘訓練にも似た楽しみがある。 だが、アルヘナを口説くのは楽しくない。 首尾よく口説き落としても本来やるべきことをやれるようになるだけなのだ。 マイナスをゼロに戻す。 得る物が何もないのに楽しめるわけがない。 とは言え、楽しくないからと投げ出すわけにもいかないのが辛い所だ。 何しろ、部下の命が懸かっている。 特にリチャードだ。 結婚すると言っていたあの男を故郷に帰してやらなければならない。「どうした? 早く言え」「はいよ。俺の提案は大したもんじゃねぇ。陣地を堀で囲む。それだけだ」 ようやく切り出せた、とロイはしょぼつく目を擦った。 これが寝不足の原因だ。 反乱軍を追い払った後、リチャードとこれからのことについて話し合ったのだ。「反乱軍の真似をしろと言うのか?」「そうじゃねぇ」 ロイはうんざりした気分でアルヘナの言葉を否定した。「反乱軍のは堀じゃねぇ」「堀がどれほどの役に立つ?」「何もないよかマシだろ」「……」 気分を害したのか、アルヘナは黙り込んだ。「根拠は?」「昨夜会った指揮官は慎重だ」 戦闘能力も高く、思い切りも良い。 よほど戦闘経験を積んでいるのか、それとも――高度な教育を施されているのか。 どちらにせよ、厄介な敵には違いない。 だからこそ、無警戒に堀に近づかないはずだ。「……」 アルヘナは再び黙り込んだ。「……貴様の言いたいことは分かったが、実行は難しい」「何でだ?」「道具がない」「それはこっちで何とかする」 ロイは小さく溜息を吐いた。 傭兵どもに陣地構築を任せて反乱を起こされたくないという気持ちからだろう。 だが、それなら作業が終わったら道具を取り上げれば良い。 それだけの話だ。 にもかかわらず、それだけのことをしてくれないのだ。 溜息の一つも出る。 とは言え、想定内と言えば想定内の反応だ。「その代わり人手が欲しい」「何人だ?」「一般兵を一万」「無理だ」 アルヘナは間を空けずに言った。「分かった。五千だ。五千で良い」「……五千か」 アルヘナは唸るように言い、考え込むような素振りを見せた。 十中八九、折れるはずだ。 そう考えたから最初に一万と口にしたのだ。 だが、念には念を入れるべきだろう。「おいおい、勘弁してくれよ。これだけ譲歩してるのにまだ考えるのかよ」「分かった! 五千で良いんだなッ?」 ロイの挑発にアルヘナはあっさりと乗った。 もう少し考えろと言いたいが、こちらの思惑に乗ってくれたのだ。 文句を言うのは筋違いというものだろう。「ああ、五千で良い」「分かった。一般兵五千を貴様に預ける」「ありがとよ」 肩の荷が下りたような気分とはまさにこのことだろう。 すぐ作業に取り掛からせるかと考えたその時、外から兵士達の声が聞こえてきた。 しばらくしてリチャードが見知らぬ兵士と共に入ってきた。 見知らぬ兵士の方は薄汚れた格好をしている。「失礼いたします!」「何だ? 今は作戦会議中だぞ」「はッ! 昨夜から行方不明になっていた兵士が倒れていたので連れて参りました」 アルヘナは不愉快そうに言ったが、リチャードは気分を害した素振りも見せず――軍内での立場を考えれば仕方がないが――に答えた。「逃げ出して戻ってきたのではないか?」「そん――」 リチャードは弁明しようとした兵士を手で制した。「それはありません」「何故だ?」「手足を縛られた上、目隠しと猿轡をされていました」「……なるほど」 アルフォートであれば自分で自分を縛ったなんて頓珍漢なことを言うかも知れないが、アルヘナはそう考えなかったらしく素直に頷いた。 当たり前と言えば当たり前の対応だ。 もし、これで自分で自分を縛った云々と言い出したら友達をやめるしかなくなる。 これでも、地頭は良いと考えているのだ。「それで、その男は行方知れずになっていた兵士で間違いないのだろうな?」「間違いありません」「そうか」 アルヘナは頷き、兵士を見つめた。「……攫われたということは捕虜になったということだが、よもや情報を漏らしていないだろうな?」「はい、もちろんです。拷問されても言いません」 兵士は即答した。 恐らく、嘘だろう。 一般兵は自称・傭兵どもに比べればマシだが、それでも高い職業倫理を備えているとは言い難い。「何故、解放された?」「ティリア皇女が解放するように反乱軍の指揮官に命令したからです」「ティリア皇女が?」 アルヘナは驚いたように目を見開いた。「何でも臣民の血が流れるのは好まないと……」「なるほど、反乱軍の首魁に成り果てたとは言え、皇族としての誇りは捨ててないか。これは敬意を以て打ち倒さねばな」「いや、納得するなよ」「何だと?」「話を聞いたくらいで納得してるんじゃねーよ」「だが、エラキス侯爵に命令できる者はティリア皇女以外にいないはずだ」「そもそも、一般兵……平民が皇女殿下の顔を知ってる訳ねーだろ」 ロイは男に視線を向けた。「なんで、ティリア皇女だと分かった?」「それは……反乱軍の指揮官が従っていたし、爺さん達がティリア皇女と言ってたし、良い匂いがしたから」 男はごにょごにょと言って俯いた。「ほらな」「何がだ?」「鈍いヤツだな。影武者かも知れねぇだろ」「……確かに」 激昂するかと思いきやアルヘナは頷いた。「いや、だが、ティリア皇女の顔を見たはずだ」「見たのか?」「い、いえ、白いローブを着ていて、顔は見えませんでした」 リチャードが問いかけると、男は首を横に振った。「白いローブ?」「喪に服していると言ってました」 ロイの問いかけに男は答えた。「どうなんだ?」「質問をするのならば正確に聞け」「皇族つか、『純白にして秩序を司る神』の信者にはそういう風習があるのかって意味に決まってるだろ」「何故、私に聞く?」「俺はそういうのに詳しくねぇんだよ」 歴代皇帝に纏わるエピソードに興味はなかったし、信心深い方でもないので、喪に服す習慣があるのか分からない。「……私も聞いたことがないが、状況を考えれば不自然なことではないように思える」「まあ、そうだな」 アルフォートとそれに与する貴族に反抗しているのであって、それ以外の者達に敵意はないというアピールかも知れないが、皇族として臣民の死を悼むこと自体はさほど不自然ではないように思える。 結局、白いローブを着ているのがティリア皇女が分からないままだ。「他には何かねーのか?」「あ! ボウティーズ財務局長殿にと手紙を預かりました」「私に?」 ボウティーズ財務局長が訝しげに眉根を寄せる。 これも不自然なことではないように思える。 男が懐から手紙を取り出し、ボウティーズ財務局長に差し出す。 ボウティーズ財務局長が手を伸ばし、ロイは槍の切っ先を首筋に突き付けた。「何をするッ?」「何をって、敵の策略かも知れねーのに渡せる訳ねーだろ」「待て!」 ロイが手紙を取ろうとすると、アルヘナが鋭く叫んだ。 この後の展開は予想できるが、従っておく。「何だよ?」「貴様はエラキス侯爵と面識があるな?」「俺を疑ってるってことか?」「そうだ」「友達がいのねぇヤツだな」 とは言え、アルヘナの気持ちも分かる。「じゃ、お前が読めよ」「分かった」 アルヘナは男から手紙を受け取り、慎重に広げた。「なんて、書いてあった?」「読めん」「何だって?」「読めんと言ったのだ。文字のようにも見えるが、絵のようにも見える。もしかしたら、暗号かも知れん」 アルヘナはボウティーズ財務局長に視線を向けた。「ま、まさか、私を疑っているのかッ?」「そういう訳ではないが、心当たりは?」「私は! 愛する妻と子を殺されたのだぞッ! その私が、どうして反乱軍に通じなければならんのだッ!」 ボウティーズ財務局長はヒステリックに叫んだ。 本当のことを言っているように見えるが、演技という可能性も否定できない。 この中にはボウティーズ財務局長の妻子が殺される場面を見た者はいないのだ。「それを言うのなら――」「疑って申し訳ありません」 ボウティーズ財務局長の言葉を遮り、アルヘナは頭を下げた。 計算してではないだろう。 良くも悪くもアルヘナは計算をしないタイプだ。 計算する頭はあるし、計算することもできる。 だが、しない。 そのように自分を律しているのだ。 残念ながら美徳にも、長所にも成り得ていないが。「わ、分かってくれればいいのだ。それで、手紙はどうするのだ?」「こうします」 アルヘナは手紙を二つに裂き、さらに細かく割いた。「な、何をしている!」「見ての通りです。ティリア皇女の意図は分かりかねますが、こうするのが確実です」 アルヘナの言い分にも一理ある。 どんな思惑があるのか考えても検証する方法がないのだから考えても無駄だ。 だったら目の前の出来事に集中した方が良い。 だが、相手がロイ達を相互不信に陥れようとしているのなら成功だ。 少なくともアルヘナはボウティーズ財務局長を疑っている。 ボウティーズ財務局長も疑われていると分かっているはずだ。「ティリア皇女の件だが……」「俺は影武者だと思う」「私は本物だと思う」 ロイは横目でボウティーズ財務局長を見た。 意見が二つに割れてしまった。 リチャードを見ると、何か言いたそうな顔をしていた。「おい、何か意見があるのか?」「一般兵に何を聞いている」「俺は色々なヤツから話を聞く派なんだよ。どうなんだ?」「はッ、恐れながら……」「分かった。発言を許可する」 アルヘナはうんざりしたように言った。「恐れながら、ティリア皇女が本物か偽物かは問題にならないのではないでしょうか」「どういう意――」「質問は私がする」 アルヘナが苛立ったようにロイの言葉を遮った。「どういう意味だ?」「はッ、仮に偽物であってもティリア皇女だと言い張れば良いのではないでしょうか」「つまり、本物が現れても偽物と断じ、反乱軍の求心力を低下させようと言うことだな?」「……はッ、その通りであります」 リチャードは意外そうに目を見開き、アルヘナの言葉を肯定した。 きっと、アルヘナのことを馬鹿だと思っていたに違いない。「貴様のそれは一兵卒の領分を超えている」「はッ、申し訳ありません」「だが、心に留めておこう」「はッ、ありがとうございます」「良い。では、仕事に戻れ」「はッ! 仕事に戻ります」 リチャードが踵を返すと、置物と化していた男も後に続いた。 その時、ロイの耳は微かな音を捉えた。「……待て」「はッ!」「お前じゃねぇ」 ロイは槍の切っ先を男に突き付けた。「な、何をするんですか?」「ポケットに入っている物を出せ」「何もありませんよ!」「良いから出せ!」 ロイが怒鳴ると、男は渋々という感じでポケットに手を入れた。「――ッ!」 息を呑んだ直後、みるみる顔が青ざめていく。「ポケットから手を出せ。出さなけりゃ死ぬ」「わ、分かりました」 男がポケットから手を引き抜くと、何かが地面に落ちた。 それは金貨だった。「これは何だ?」「し、知らない!」 ボウティーズ財務局長が金貨を拾い上げて言うと、男は激しく首を振った。「反乱軍が俺のポケットに入れたんだ! 俺は本当に知らないッ!」「そんな戯れ言を信じていると思っているのかッ?」「本当に俺は知らないんだ! 信じて下さいッ!」 男は両膝を突き、祈るように手を組んだ。「……その男を閉じ込めておけ」「はッ!」 アルヘナが溜息混じりに命令すると、リチャードは背筋を伸ばした。「さあ、来るんだ!」「信じてくれよ! 俺は何もしてねぇよ!」「良いから来い!」 リチャードは男の首根っこを掴んで天幕から出て行こうとした。「おい!」「はッ!」 ロイが呼ぶと、リチャードは立ち止まった。「そいつを閉じ込めたら一般兵五千を率いて堀を掘れ」「はッ! 承知致しました!」 リチャードはロイに敬礼すると今度こそ天幕を出て行った。「ボウティーズ財務局長、攻撃の準備をお願いします」「分かった」 ボウティーズ財務局長は鷹揚に頷き、天幕を出て行った。「良いのか?」「兵士を処罰しなくて良いのかという意味なら仕方がないとしか言えん」 ふ~ん、とロイは相槌を打った。 クロノとの関係を疑っていたが、本心ではなかったのだろう。「アイツはこっちの内情を話してると思うぜ?」「証拠がない」 やれやれ、とロイは肩を竦めた。 軍人ではなく、尚書局にでも務めりゃ良いのにと思わないでもない。 自分の希望と適性が合わないのは誰にとっても不幸だ。「あの手の輩は死に際まで自分は悪くないと言い張るものだ」「まあ、士気に関わるな」「そういうことだ」 アルヘナはうんざりとした口調で言った。「……ボウティーズ財務局長のことは信じるのか?」「証拠がない」「また、それかよ」「とは言え、無邪気に信じる訳にもいかん」「どうするんだ?」「昨日と変わらない。傭兵を指揮してもらう」「……そういうことか」 アルヘナは早めに傭兵どもを使い潰すつもりなのだろう。 やれやれ、とロイは溜息を吐いた。※「さあ、諸君! 今日こそ障害物を無力化するのだ! 障害物を無力化すれば約束通り報酬を支払うぞッ!」 アルヘナの思惑を知ってか知らでかボウティーズ財務局長は馬上で声を張り上げる。 多分、知らねぇんだろうな、とロイはぼりぼりと頭を掻き、空を見上げる。 太陽の位置はまだまだ高いが、昨日と同じ回数だけ攻められれば御の字だろう。 陣形を組むのに時間が掛かりすぎた。「どうする?」「どうするって、選択肢なんてねぇよ」「くそッ、逃げちまえば良かったぜ」 傭兵達はぼやきながら前に出る。 一日が過ぎたからか、傭兵達の士気は低い。「おい、黙れ」「何だよ、今更イイ子ぶってるんじゃねーよ」「殺されるぞ」「……チッ」 似たような会話があちこちで聞こえる。「六百人だ! 六百人前に出よッ!」 ボウティーズ財務局長が叫ぶと、アルヘナの部下が移動し、槍を地面に突き刺した。「槍より前にいる者は進め!」「クソッ!」「なんで、俺はこんな所に立ってたんだ」「死ぬ前に飯をたらふく食いたかったな」 殆どの傭兵は文句を言いながら命令に従ったが――。「い、嫌だ! 俺は死にたくねぇッ!」 一人の傭兵が喚き、逃げ出した。「てめぇ! 逃げるんじゃねぇッ!」「そうだそうだ! 俺達まで巻き込まれたらどうするんだッ!」 見過ごすのかと思いきや、傭兵達が捕らえる。「勘弁してくれ! 俺にはお袋がいるんだよぉ!」「知るか、そんなこと!」「男なら潔く死ねッ!」「畜生! 男だからってどうして死ななきゃならないんだ! お袋ぉ!」 べそべそと泣き出した傭兵は仲間達によって最前列に引き摺られて行った。「……ここは地獄か」「今頃、気付いたのかよ」「さあ、進め! 勇者達よッ!」 ボウティーズ財務局長が叫ぶと、傭兵達は渋々という感じで歩き始めた。 いきなり走り出さないのは反乱軍の攻撃パターンを知っているからだ。 まず、反乱軍は一番手前にある障害物を通り過ぎてから攻撃を仕掛けてくる。 次に目標としている障害物付近でマジックアイテムを使う。 一番手前の障害物までは体力を温存できる。 反乱軍が手の内を見せていない可能性もあるが。 ロイは目標の障害物を見つめ、内心首を傾げた。 横転した荷車が放置され、死体が転がり、樽の蓋や毛布が散乱している。 ここまでは分かるが、障害物に掛けられた毛布まで昨日と同じ状態だったのだ。 荷車や死体ならまだしも樽の蓋や毛布を片付けないのはおかしい。 これではまるで――、と考えたその時、泣き喚く声が響いた。「嫌だぁぁぁ! 死にたくないぃぃぃぃッ!」「観念しろ!」「くそッ、なんでこんなヤツの面倒を見なきゃならないんだ」 件の傭兵は泣き喚いたが、二人の傭兵に引き摺られる。 ようやく障害物の近くに辿り着き――。「帰る帰る帰るんだッ!」 火事場の馬鹿力というヤツか、傭兵は仲間を振り払って逃げ出した。「逃げ――ッ!」 傭兵は再び捕まえようと手を伸ばし、そのまま動きを止めた。 背中に触れ、手を見る。 すると、手は血に塗れていた。 矢が背中に突き刺さったのだ。 傭兵が前のめりに倒れ――。「う、うぉぉぉぉぉぉぉッ!」「と、止まって止まぁぁぁぁぁッ!」 傭兵達が雄叫びを上げて走り出し、逃げだそうとしていた傭兵は呑み込まれた。「攻撃が来るぞぉぉぉぉッ!」「盾だ! 盾を拾えッ!」「それは俺のだッ!」「寄越せ!」 樽の蓋を巡って争いが始まった。「くそッ! 走れ走れ!」「くそくそくそッ!」 傭兵達が二つの集団に分かれる。 一つは樽の蓋を奪い合う集団、もう一つは毛布を持って走る集団だ。「ぎゃ!」「ぐぎゃッ!」 短い悲鳴が連続して上がる。 樽の蓋を奪い合っていた集団に矢が降り注いだのだ。「よし! 良いぞッ!」「こっちは狙われてない!」「今の内に走れ走れ!」 毛布を持って走っていた集団が勢いづく。 あと少しで目標に辿り着く。 その時、爆発が起きた。 傭兵達は天高く舞い上がり、あるいは吹き飛ばされ、地面に倒れる。 マジックアイテムによる攻撃だった。「くそッ、毛布だ!」「とにかく、障害物を無力化しろ!」 傭兵達が障害物に毛布を掛けた次の瞬間、二度目の爆発が起きた。「少し外す。あとを頼む」「はッ、お任せ下さい」 ロイは副官に後を任せ、作業を監督しているリチャードの下に向かった。※ 本陣の外縁部では一般兵が地面を掘っていた。 先端を斜めに切った材木を使っているせいか、作業は進んでいないようだったが。「おう、どうよ?」「はッ!」 ロイが声を掛けると、リチャードは背筋を伸ばした。「楽にしろ」「はい、分かりました」 リチャードはホッと息を吐き、姿勢を崩した。 崩したと言ってもロイよりもよほど姿勢が正しい。「で、どうだ?」「ご覧の通りです」 リチャードは兵士達に視線を向けた。 堀の幅は一メートル、深さは足首ほど、長さは二百メートルくらいか。 そこで作業に従事している兵士の数が少なすぎることに気付く。「兵士の半分は休ませています」「ぶっ続けで作業をするってことか」「その通りです。もし、問題が――」「ねーよ」 ロイはリチャードの言葉を遮った。「お前が最適だって思ったんならそれが最適だ。それに、ぶっ続けで作業させることで反乱軍を牽制する意図もあるんだろ?」「はッ、ありがとうございます」 リチャードは背筋を伸ばし、ロイに敬礼した。 軍学校を出ただけあって綺麗な敬礼だ。 ロイも軍学校を出ているが、これほど綺麗な敬礼はできない。 馬鹿らしくて手を抜いていたのだ。 真面目に取り組んだのは実技くらいだ。 それでも座学ではそこそこの点を取れたが。「もうちょい真面目に勉強しときゃ良かったな」「ロイ様は十分な能力を備えているかと思いますが……」「世辞は良い」「いえ、お世辞ではありません」「背中がむず痒くなるぜ」 ロイはぼりぼりと頭を掻いた。 文脈的に考えてリチャードの言う十分な能力とは余計なことを言わずに部下に仕事を丸投げすることのようだが、デキるヤツに誉められて悪い気はしない。「戦況はどうですか?」「昨日と大して変わらねーよ」「そうですか」 リチャードは何処か落胆したように言った。 無視しても良かったが、何故か気になった。「何かあるのか?」「はい、糧秣のことが心配で……」「糧秣か」 ロイは腕を組んで呟いた。「帝都は目と鼻の先だから問題ねぇと思うが……」「私もそう思います」 ですが、とリチャードは続ける。「傭兵達の分はこれだけ集まるという予測で見積もっていたはずです」「確かに……けどよ、傭兵の損耗率は相当なもんだぜ」「はい、それは分かっているのですが……」 リチャードは口籠もった。 傭兵がばたばたと死んでいる状況だが、糧秣を消費する方が早いのではないかと考えているのだろう。 そんな状況で何かがあれば帝国軍は反乱軍のみならず、飢えとまで戦う羽目になる。 それを心配しているのだ。「分かった。糧秣の減り具合を確かめてみる」「よろしくお願いします」「いや、構わねーよ」 そう言って、ロイは空を見上げた。 嫌な予感がした。※ 夜――アリデッドは木の陰から敵陣地を眺めた。 敵陣地周辺では篝火が焚かれ、大勢の兵士が地面を掘り返している。 塹壕を掘っているのかとも思ったが、すぐに思い直す。 敵の主力は歩兵だが、十字弓を持っていない。 つまり、敵兵が掘っているのは堀だ。「こちらアリデッド、敵兵は篝火を焚いて、地面を掘ってますみたいな。恐らく、堀を掘っていると思われるみたいな」「木の棒で地面を掘ってるから効率はとても悪いですみたいな」 アリデッドが通信用マジックアイテムに向かって呟くと、デネブが補足した。『嫌がらせはできそう?』「やってやれないことはないと思うけれど、昨日のこともあるからちょっと心配だし」 通信用マジックアイテムからクロノの声が響き、アリデッドは感想を伝える。『無理はしなくて良いや』『よろしいのでござるか?』(ぐるる?)『これ以上、敵が少なくなるとね』 タイガの質問にクロノは困ったような口調で言った。 苦笑している姿が目に浮かぶようだ。「まあ、今日はちょっと殺し過ぎたかもみたいな」「お、お塩入れ過ぎちゃったみたいな口調にドン引きだし」 アリデッドが呟くと、デネブが震える声で突っ込んできた。 言いたいことは分かるが、昨日今日で三千人は殺している。 こちらの被害はゼロだ。 悪いことではないが、あまりに簡単に殺せるので命の価値に無頓着になりそうだ。「不感症は良くないみたいな」「お、お姉ちゃん」「そうじゃないし」 アリデッドは手の甲でデネブの胸を叩いた。「兵士は心身共に消耗する職業みたいな。この戦いが終わったら――」「お姉ちゃん!」『駄目でござる!』(がう!) デネブとタイガに突っ込まれ、アリデッドは両手で口を覆った。「危ない危ない。危うく死亡フラグを立ててしまう所だったみたいな」「気を付けて欲しいみたいな」『そうでござる』(ぐるる) ふぅ、とアリデッドは手の甲で汗を拭い、視線を巡らせた。 それで何かが見える訳ではないが、気持ちを切り替える役には立つ。「ふぅ、危なかったし」 もう一度、息を吐いて空を見上げた。