第17話:決戦 その9
第17話:決戦 その9
※ 夜――マジックアイテム特有の白々とした光が会議場を照らしている。 ラルフは席に座り、アルフォートの到着を待つ。 待っているのはブルクマイヤー尚書局長も同じだ。 彼は対面の席に座り、だらしなく相好を崩していた。 ボウティーズ財務局長が死んだ今、重臣は自分しかいない。 ならば財務局長の地位は自分のものと考えているのだろう。 くだらない妄想だ。 どうして、自分が財務局長になれると都合良く信じられるのだろう。 まったく、度し難い男だ。 財務局長の地位は自分のものだというのに。 だが、まあ、反乱が一段落したら地位を譲ってやってもいいだろう。 もちろん、ラルフを害さないという覚書を交わした上で。 それくらいしなければ信用できない。 ベティル――ピスケ宰相の姿はないが、これはいつものことだ。 体調を崩したとかで登城することもなくなっている。 変にやる気を出されても困るのでそのまま屋敷に引き籠もって欲しい。 それにしても、とラルフは会議場の扉を見つめた。 会議室に来てから大分経つが、アルフォートはまだ来ない。 自分で呼び出しておきながらとは思うが、アルフォートはそういう男だ。 外面――どうすれば皇帝らしく見られるか、そればかりを気にしている。 皇帝ぶっても中身が伴っていなければ何の意味もない。 不意に先帝――ラマル五世のことを思い出した。 今にして思えばラマル五世にはそういう所がなかった。 優秀な弟がいたからか、自分が無能であると自覚していた。 プライドもなかった。 優秀な弟のせいでプライドが育たなかったのかも知れない。 周囲が持ち上げても間近に比較対象が存在するのだ。 しかも、自分より優秀な。 よほどの馬鹿でない限り、自分が無能だと気付くというものだ。 アルフォートを見ていると、ラマル五世が有能だったように思えてくる。 まあ、実際は無能だった。 無能で、プライドを持たなかった。 だからこそ、傭兵如きに頭を下げ、アルコルなんぞに全権を委任できたのだ。 そう思ってきたが――。「……ああ」 ラルフは小さく息を漏らした。 ラマル五世は国家運営を最優先していたのだ。 だから、傭兵に頭を下げられたし、アルコルに全権を委ねられた。 結果、国を立て直した。 それこそが彼の誇りだったと考えるのは穿ち過ぎだろうか。 有り得そうな話だ。 もしかしたら、一人の時に誇らしげに胸を張っていたかも知れない。 そんなことを考えていると、扉が開いた。 もちろん、扉を開けたのはアルフォートだ。 ようやく来たか、とラルフは居住まいを正した。 アルフォートは自分の席にどっかりと腰を下ろすと俯いた。 ボウティーズ財務局長の死に心を痛めているのではないだろう。 重臣を失った皇帝はそうすると考えているはずだ。 まったく、度し難い。 もう少し彼の死を悼んでやっても良いのではないかと思う。 そう仕向けたくせに何を考えているのかと自分でも思うのだが。「…………ボウティーズ財務局長が殺された」「おお、何ということでしょう!」 アルフォートが絞り出すように言うと、ブルクマイヤー尚書局長は声を張り上げた。 あまりにわざとらしい。「余を支えてくれた重臣が殺されるとは何という悲劇か!」「ま、まさか、殺されるとは……」 お、おお~、とブルクマイヤー尚書局長は両手で顔を覆った。 この茶番にいつまで付き合わなければならないのか。 少しだけ苛々した。「だが、だがしかし、余はへこたれぬ! ボウティーズ財務局長のためにも反乱軍を打ち負かし、帝国を繁栄させてみせよう!」「陛下! 私も及ばずながら力をお貸しします!」「ブルクマイヤー尚書局長、汝の忠心に感謝する」「いいえ、いいえ、滅相もない! 陛下の尽くすことは私の喜びなれば!」 お~! と二人は顔を覆った。 犬の遠吠えのように聞こえるが、恐らく泣いているつもりなのだろう。 ラルフは手を組み、神に祈った。 信仰心に乏しい方だし、やはりそう仕向けておいてという気持ちはある。 だが、この場で自分くらいは祈ってやっても良いような気がしたのだ。 しばらくして遠吠えが途切れる。「……ボウティーズ財務局長の後任を決めねばならぬ」 陛下、とラルフは手を上げた。「何だ?」「ボウティーズ財務局長の権限を儂に与えて頂きたく存じます」「な――」「何だと!」 アルフォートの声を遮り、ブルクマイヤー尚書局長が叫んだ。「ブルクマイヤー尚書局長」「し、失礼いたしました」 アルフォートが睨み付けると、ブルクマイヤー尚書局長はしゅんと項垂れた。「それは何故か?」「陛下、帝国は非常に危険な状態です」「何と!」 アルフォートは驚いたように目を見開いた。 港を押さえられた時点でかなり危険だった訳だが、どうやら分かっていないらしい。 どんな教育を施したのやら、と小さく溜息を吐く。「すでに一万の兵が戦闘不能に陥っております」「何と! 一万も!」 アルフォートは再び目を見開いた。 きちんと報告していたのだが、本当に把握していなかったのだろうか。 これが演技だとしたら、何故そんな無駄なことをするのか。 理解できない。「……それでは」「左様……」「戦死者のために慰霊祭を行わなければ――」「違います」 ラルフは素で突っ込んだ。「では、負傷者を――」「陛下、優先順位を間違えてはなりません」 ラルフはアルフォートの言葉を遮った。「我々は反乱を鎮圧しなければなりません。慰霊祭などその後でいくらでもできます」「しかし、皇帝として――」「陛下、もう一度言いますぞ。優先順位を間違えてはなりませぬ。今は反乱軍を鎮圧するために全力を尽くす時です」「だが――」「ここで全力を尽くさなければ陛下は殺されてしまいますぞ」「――ッ!」 アルフォートは息を呑んだ。「な、何故、余が殺されるのだ?」「それは反乱軍の目的がティリア皇女の復権にあるからです」「な、何故、 義姉 ( あね ) 上が?」「ティリア皇女が皇位に就くためには陛下が邪魔なのです」「私達は母親こそ違えど、 姉弟 ( きょうだい ) では……」 アルフォートは今にも泣きそうな顔をしている。 よほど殺されることが怖いらしい。 そもそも、この反乱はアルフォートが義兄――クロノを殺そうとしたから起きたのだ。 さらに言えばアルフォートはティリア皇女を殺す気だったではないか。 それなのに、どうして自分は殺されないと思えるのだろう。 訳が分からない。 無能に権力を与えると自分が神になったと錯覚するのだろうか。 興味深い精神の働きだ。 医者であれば研究していたに違いない。「陛下、重ねて申し上げます。今は反乱を鎮圧することが最優先事項です」「いや、だが、皇帝として……」 このままでは自分が慰霊される側になるのにそんなに慰霊祭がしたいのだろうか。 ラルフは呆れながら口を開いた。「反乱を鎮圧せねば命が危ういのです。反乱軍は馬で半日ほどの距離におり、周辺諸侯は反乱軍におもねっております」「な、何故、周辺諸侯が?」「分かりかねます」 正直に言えば気持ちは分かる。 反乱軍が行き来するのを見過ごすだけで恩を売れるのならいくらでも見過ごすだろう。 連中は利己的なのだ。「ですが、これだけは確かです。周辺諸侯がおもねったことで我々は窮地に立たされております」「どういうことだ?」「……反乱軍の別働隊が我が軍の補給隊を襲撃しております」 これも報告しているのだが、アルフォートは報告書を読んでいるのだろうか。 いや、こんな状況で慰霊祭をやりたがるアホなのだ。 何も分かっていないと考えた方が良いだろう。 その方が苛々しなくて済む。「陛下の命を守るためにはもっと柔軟に動く必要がございます」「よ、余の、い、命を、ま、守るために」 アルフォートは言葉を詰まらせながら言った。「左様でございます」「……」 アルフォートは黙り込んだ。 ようやく自分の命が危険に晒されていると気付いたのだろうか。 しばらくしてブルクマイヤー尚書局長が口を開いた。「陛下!」「は、は発言をゆ、許す」「恐れながら、軍務局長が財務局長を兼任することには賛同しかねます。それでは軍が自分の裁量で動けるようになってしまいます」「ふむ、ブルクマイヤー尚書局長殿は儂が勝手に軍を動かすと?」「……そ、それは」 ブルクマイヤー尚書局長は口籠もった。 そうだと言い切ってくれれば話を進めやすかったのだが、仕方があるまい。「では、こうしましょう。今回の反乱を鎮圧したら軍務局長としての権限をブルクマイヤー尚書局長にお譲りしましょう。如何ですかな?」「ま、まあ、それならば……」 ブルクマイヤー尚書局長はあっさりと退いた。 まあ、当たり前と言えば当たり前か。「陛下、如何ですかな?」「う、うむ、よ、余を守ってくれるのだな?」 無論、とラルフは短く返した。「な、ならば、け、け兼任を認めよう」「ありがたく」 ラルフはぺこりと頭を下げた。「か、か必ず、よ、よ、よ余を、ま、ま、守るのだぞ」「もちろんでございます」 正直に言えばアルフォートの命などどうでも良い。 だが、反乱軍を鎮圧することはアルフォートの命を守ることに繋がる。 そういう意味で自分達の利害は一致している。 ともあれ、予算を気にせずに軍を動かせるようになった。 しかし、これで勝てると思うほどラルフは楽観的ではない。 いや、楽観的に考えても勝つ可能性はそれほど高くない。 兵士を掻き集めようとすれば周辺諸侯は帝国を見限るに違いない。 商人どもも敗色が濃厚と分かれば逃げ出すことだろう。 切り札 ( レオンハルト ) を使うのならば今かと考え、すぐに思い直す。 あれはパラティウム公爵家の利益しか考えていない。 何しろ、友人を裏切る男だ。 裏切れない状況を作らなければこちらが殺されかねない。「……陛下」「な、な何だ?」「檄文を書いて頂けませんかな」「だ、誰宛に書けば良いのだ?」「パラティウム公爵に」「わ、分かった」 アルフォートは悩む素振りも見せずに頷いた。 普通に考えればパラティウム公爵がアルフォートに力を貸すとは思えない。 反乱軍に力を貸した方がよほどメリットがある。 だが、人間はメリット、デメリットだけで動くものではないのだ。※ 朝――ピーターは部下を連れ、アルフィルク城に向かった。 物資を輸送するように命令されたからだ。 昨夜は酒を飲んで寝た。 物流が滞っていることもあり、酒は貴重だ。 もう少し加減すれば良かったとも思うが、気分は良い。 酒を飲み、一晩寝ただけで気分が良くなった。 要するに負傷者の件はそれくらいどうでも良いことだったのだ。 今、気になるのは仕事のことだ。 また反乱軍に襲われるかも知れない。 そう考えると、暗澹たる気分が湧き上がってくる。 とは言え、仕事は仕事だ。 真面目にこなさなければならない。 ピーターはアルフィルク城に到達し、ホッと息を吐いた。 荷馬車はなくなっていなかった。 それに、負傷者の姿がない。 残念ながら死体はそのままだが――。 ピーターが死体をどうするか考えていると、隣にいた部下が口を開いた。「……昨夜、ボウティーズ財務局長が負傷者に殺されたそうです」「そう言えばそんな話を聞いたな」「それだけですか?」 部下が訝しげに言った。 恐らく、ラルフ・リブラ軍務局長がそうなるように仕向けたと言いたいのだろう。 ピーターもそう思う。 だが、証拠がないし、謀略にしては不確定要素が多すぎる。 成功する方に賭けたと考えることもできるが、あまり賢いやり方ではない。 ああ、いや、一周回って賢いのかも知れない。 証拠を残さずに相手を殺せたのだから。「余計なことを考えるな。上の連中が何をしていようが、俺達には関係ねぇ」「そりゃ、まあ、そうですが」「お互いに身の程を弁えようぜ」 ラルフ・リブラ軍務局長を糾弾しても何も変わらない。 のらりくらりと躱されるか、死体が増えるだけだ。「分かりました」「それで良い」「では、身の程を弁え……死体をどうします?」「そうだな」 冬場とは言え、城の前に打ち捨てるわけにもいかない。 誰かが埋葬してくれるのならそうするが、そうはならないだろう。「街の北にある墓地に持っていこう」「人手とスコップを貸してくれれば埋葬しますよ」「それは俺達の仕事じゃない」 自分達は補給部隊だ。 命令なら負傷者や死体の搬送も行うが、葬儀屋ではない。「大体、数千人分の墓穴なんてすぐに掘れる訳ないだろ」「まあ、時間は掛かりますね」「そもそも、シャベルがねぇ」「沢山あったじゃないですか」「あれは補給物資だ」 ピーターは小さく溜息を吐いた。「帝国軍の陣地に届けるべき物であって俺達が使って良いもんじゃない」「使ったらこれですか?」 部下は親指で喉を掻き切る仕草をした。「そこまでは分からねーよ」「精々、営倉行きって所じゃないですかね」「試してみるか?」「嫌ですよ」「俺だって嫌だ」 部下がムッとしたように言い、ピーターも同じように返した。「そもそも、あの物資だってどうやって集めてきたんだか」「隊長」「何だ?」「それを考えるのは私達の仕事じゃありません」「その通りだな」 ピーターは部下の言葉に苦笑した。 仕事をやり遂げる。 それだけを考えればいいのだ。「死体を墓地に移動させるぞ」「はッ!」 ピーターの言葉に部下は背筋を伸ばした。※ ピーター達は墓地で死体を下ろし、物資を積んで帝都を出発した。 昨日と同じように住民の視線は酷かった。 だが、昨日に比べると気分が楽だった。 自分は仕事をしている。 その実感が気分を楽にしてくれた。 そうだ。 自分は、自分達は仕事をしているのだ。 農民や職人、商人と同じように仕事をしているのだ。 何故か。 そうしなければ食っていけないからだ。 食っていくためには望まぬ仕事をしなけばならないこともある。 理不尽だと思っても頭を下げなければならないこともある。 仕事というのはそういうものだ。 少なくともピーターはそう理解した。 悪いな。こっちも仕事なんだ。 そう考えるだけで良かったのに回り道をしてしまった。 ピーターは馬に乗り、街道を西に進む。 初めて馬に乗った時のような気分だ。 視界が高く――いや、物がよく見えるような気がする。 あくまでそんな気がするだけ。 奇襲を受けたら――何が『物がよく見えるような気がする』だと自分を罵れば良い。 そんなことを考えながら進んでいると、部下が声を掛けてきた。「隊長、反乱軍は攻めてきますかね?」「そりゃ、攻めてくるだろ」「こっちはシャベルと工具くらいしか積んでないのにご苦労なことですね」「連中も仕事だからな」 ピーターは顎を撫でた。「先遣隊、戻ってきませんね」「……ああ」 声のトーンを落とし、相槌を打つ。 数人の騎兵を先行させているが、この分だとやられたのかも知れない。「襲撃された時は――」「はい、手筈通りに」「それで良い」 手筈通りと言っても物資の輸送を優先させるだけだ。 後方に位置する兵士は殿を務めることになるが――。「けど、良いんですかね?」「何がだ?」「投降して良いのかなと思ったんですよ」「その判断は各自に任せてある」 とは言え、捕虜にしてくれるかは相手次第だ。 捕虜になった後で手酷く拷問される可能性もある。「処罰されなければ良いんですけどね」「その時は敵の兵站に負荷を掛けてやったと言え」「それで通りますかね」「案外、通るんじゃないか」「楽観て――」「静かにしろ」 ピーターは手を上げ、部下の言葉を遮った。 遥か前方に黒い影がある。 それは――。「進めぇぇぇッ!」 ピーターは叫び、馬を走らせた。 数人の部下が付いてくる。 しばらくして影の正体が分かった。 やはりと言うべきか。 街道に倒れていたのは部下だった。 ただし、一人だけだ。 他のメンバーはいない。 さらに街道には石が転がっていた。 前回と同じように数十メートルに渡って石で覆われている。 ピーターは石の数メートル手前で馬から飛び降りた。 そして、鞍に縛り付けておいた木の板を手に取る。 地面に押し付け、そのまま前に進む。 何年かに一度、帝都は雪に覆われる。 要するに除雪のノリだ。 石が板に弾かれ、車輪が通る程度のスペースが生まれる。 隣を見ると、部下が同じように石を弾いていた。 荷馬車が通れるだけのスペースを確保し、ピーターは振り返った。「くそッ!」 小さく吐き捨てる。 補給隊の後方で煙が上がっていた。 だが、助けに行くことはできない。 前回はそれで糧秣の四割を焼失した。「進め! 進めッ! 進めぇぇぇぇッ!」 ピーターが声を張り上げた直後、荷馬車が目の前を猛スピードで通り過ぎた。 積み荷を落とさんばかりのスピードだ。 紐で結わえなければ積み荷を落としていたに違いない。※ さて、どうするか? とケインは戦いの様子を眺める。 弓騎兵が矢を放ち、敵兵が応戦する。 とは言え、敵兵の矢はこちらに届いていない。 武器の性能差もあるが、煙で視界を遮られているのも大きい。 もし、敵兵が角度を付けて矢を放てばこちらに届くかも知れない。 このまま戦っても負けはしないが――。「よし! 撤退するぞッ!」「このまま戦っても勝てると思いますが?」 弓騎兵の一人が矢を放ちながらそんな疑問を口にする。 黙って従って欲しい所だが、まだ余裕がある。 部下を育てるのも指揮官の役目だ。「あいつらは殿で、本隊はとっくに逃げちまった」「ええ、確かに」 弓騎兵は頷いた。 ケインだって敵本隊が撤退したことを察知したのだ。 視力と聴覚に優れるエルフが気付かない訳がない。「捕虜にできるかも知れません」「捕虜な~」 ケインは頭を掻いた。 そう考えたこともあったが――。「捕虜にしても面倒臭ぇだけだろ。ベースキャンプまで距離があるから連行するのも一苦労だ。監視したり、世話をしたりするのも面倒だ」「なるほど」 弓騎兵は合点がいったと言わんばかりの表情を浮かべた。「そもそも、連中は一般兵だ。捕虜にした所で大した情報は持ってねぇよ」「それもそうですね」「納得したか?」「はい、しました」「よし、なら撤退だ」 ケインは馬首を巡らせ、街道を東に進んだ。 だが、と心の中で付け加える。 敵補給隊は最小の犠牲で逃げ果せた。 前回の失敗に学んだのは間違いない。 このまま成長されるのは厄介だ。 こちらも色々な手を使いたい所だが――。「……連中に気取られる訳にゃいかねーからな」 ケインはポツリと呟いた。※ 夕方――。「よう、調子はどうだ?」「見ての通りですよ」 ロイが声を掛けると、リチャードは軽く肩を竦めた。 周囲では一般兵が地面を掘っている。 深さは胸から腰ほどだが、幅は人間やエルフ、ドワーフなら跳び越せないくらいに広い。 長さは四百メートルほど。 野戦陣地の面積を考えると、進捗状況が良いとは決して言えない。 とは言え、ロイはリチャード達を責めるつもりはなかった。 シャベルやツルハシがない状況でこれだけ掘り進めたのだ。 むしろ、誉めてやるべきだろう。「連中、攻めてきませんね」「そりゃ、反乱軍の戦い方は防御戦だからな」 リチャードがポツリと呟き、ロイは軽く返した。 反乱軍は野戦陣地に頼った戦い方をする。 いや、野戦陣地に頼った戦い方しかできないのだ。 限られた手札を活かすための苦肉の策だ。 もっとも、制限があるのは帝国も同じだ。 反乱軍を相手にしながら南辺境も警戒しなければならない。 さらに上層部のせいで物流が滞り、状況が改善する目処は立っていない。 できるだけ短い期間で片を付けなければならない。 攻めるべき反乱軍が守り、守るべき帝国軍が攻める。 何ともまあ、世の中というヤツは皮肉に満ちている。 自分がここにいることさえその一環という気がしてくる。「良いことじゃねーか」「でも、不安ですよ。夜に視線を感じて辺りを見回したら近くの森からこっちをじーっと見てるんですよ」「地味な嫌がらせだな」「地味ですが、効果的です」 リチャードはうんざりしたように言った。 監督役なので余計に気付きやすいのだろう。 それにしても戦わずにこちらの精神に負荷を掛けてくるとはなかなかやる。「夜襲を受けてますからね。いつでも殺せるって言われている気分ですよ」「なんで、襲ってこないと思う?」「分かりませんね。もしかしたら、仕掛けてこないと思わせるためかも知れません」「そこまで油断するか?」「するみたいですね」「みたい?」「戦記か何かでそんな話を読んだことがあります」 ロイが鸚鵡返しに尋ねると、リチャードはそんなことを言った。「は~、真面目に勉強してたんだな」「真面目に勉強はしてましたけどね」 リチャードは溜息交じりに言った。「ってことは連中も知ってるのか?」「どうですかね。タイトルも思い出せないくらいマイナーな本ですから……」「けど、本なんだろ?」「……ああ」 リチャードはようやく合点がいったとばかりに頷いた。 本に載っているということは誰にでも学べるということだ。 極論、文字さえ読めれば亜人も同じことができるようになる。 思った以上に厄介なことになっているのかも知れない。 そう考えた時、馬のいななきが聞こえた。 馬のいななきが聞こえた方を見ると、補給隊の姿があった。 ロイが補給隊の下に向かうと、リチャードはやや遅れて付いてきた。 先頭で馬を進ませているのはピーターだ。「おう、お疲れさん」「お疲れ様です。物資を届けに参りました」 ピーターは馬から下り、ロイに敬礼した。 お、と軽く目を見開く。 まるで別人のように自信溢れる態度だったからだ。 体から光を放っているようにも見える。「反乱軍は?」「襲撃を受けましたが、死傷者は極わずかです。物資の焼失もありません」「ああ、ご苦労だったな」「……いえ、仕事ですから」 少しだけ間を置いてピーターは答えた。「物資を下ろした後なんだが、帝都に死体を搬送してくれるか?」「命令ならば」「――ッ!」 背後から息を呑む音がしたので、ロイは手を上げて制する。 そうしなければリチャードはピーターに食って掛かったことだろう。 だが、ピーターの言葉にも理はある。 ロイは直属の上司ではないのだ。 彼に命令するには手続きが必要だ。「命令だ。もちろん、後で責められないように書面に残す」「承知しました」「……変わったな」 ロイの言葉にピーターは苦笑した。「ようやく自覚したんです」「何を?」「自分が何者であるかです」「……そうか」 ロイは静かに頷いた。 自分を何者だと自覚したのか聞きたかったが、止めた。 聞いても答えてくれるか分からないし、自分が望む答えが返ってくるとも思えない。 諭すこともできない。 そんなご立派な人生を送っていないのだ。