LNCrawler

第18話:決戦・裏 その6

クロの戦記 異世界転移した僕が最強なのはベッドの上だけのようです — novelup.plus · All chapters

第18話:決戦・裏 その6

※ ティリアは肘掛けを支えに頬杖を突き、ジョニーの報告に耳を傾ける。 要点を押さえているものの、報告は辿々しい。 軍人としての教育を受けていないのだから無理もない。 この戦いに勝てたら軍人として育てるのも悪くない。 もちろん、彼が望めばだが――。「……という訳で兄貴、じゃなくて皇軍は濃霧に紛れて野戦陣地を作ってるッス。黄土にして豊穣を司る母神の神官さんが――」「シオンだ」「そう、シオンさんッス。シオンさんが神威術で塹壕を作ったんで、あとは塹壕を補強したり、罠や障害物を作ったりって感じッス」「順調だな」 ティリアは小さく呟いた。 あとは野戦陣地を構築し終えるまでナム・コルヌ女男爵の力が保つかだ。 だが、これに関しては楽観していた。 彼女は帝国最高の神威術士だ。 たった二日、濃霧を発生させるなど造作もないはずだ。「……雌狐め」「何スか?」「いや、何でもない。こっちの話だ」 ナム・コルヌ女男爵が協力してくれたのは嬉しいが、それは善意からではない。 彼女は自分達の利益を考えている。 周辺諸侯と一緒だ。 その上で皇軍と帝国軍――どちらが勝つのかぎりぎりまで見極めようとしている。 だからこそ、二日間しか協力しないのだ。 皇軍が劣勢になればすぐに手の平を返すに違いない。 背後から襲い掛かってくる可能性も否定できない。 むしろ、その可能性が高い。 帝国軍とだけではなく、周辺諸侯がどう考えるかまで考えなければならない。 まったく、嫌になる。 ティリアの苛立ちが伝わったのだろう。 ジョニーがおずおずと口を開く。「あ、姐さん?」「ああ、すまない。報告は以上だな」「そうッス。ああ、忘れてたッス。兄貴からの贈り物ッス」 ジョニーは報告を終えると、机の上に木箱を置いた。 ティリアはイスに座ったまま木箱に視線を向けた。 視線に気づいたのだろう。 傍らに控えていたマイラが静かに歩み出た。「念のために中身を改めさせて頂きます」「そんなに心配しなくても盗んだりしないッスよ」「盗む心配はしていませんが、落として壊したのではないかと」「い、いやッスね。そ、そんなこと、す、する訳じゃないッスか」 マイラが視線を向けると、ジョニーは顔を背けた。 肌寒いくらいの室温なのに汗を流している。 体温調節のための汗ではない。 精神性発汗のべとついた汗だ。「何故、汗を掻いているのですか?」「な、なんでッスかね? わ、分からないッス」「……そうですか」 マイラは溜息を吐くように言い、木箱を開けた。 中から透明な球体――通信用マジックアイテムを取り出し、じっと見つめる。「壊してはいないようですね」「も、もちろんッスよ」「では、どうして汗を?」「な、なんでなんスかね。じ、自分でも分からないッス」 マイラの言葉にジョニーは忙しく目を動かしながら答えた。「もう止めろ」「承知しました、奥様」 ティリアが声を掛けると、マイラは静かに頷いた。「も、もう、行っていいッスか?」「ゆっくり休みなさい」「了解ッス」 ジョニーは崩れた敬礼をし、踵を返した。 そのまま扉に向かい――。「……ジョニー」「な、な、なな何すか?」 ティリアが声を掛けると、ジョニーはぎくしゃくした動作で振り返った。 まるで錆びた蝶番のようだ。「ご苦労、また頼む」「もちろんッス。俺は兄貴の舎弟で、帝国一の短剣使いになる男ッスからね」 ジョニーはニッと笑った。 先程まで脂汗を流していたとは思えない笑顔だ。 しかし――。「私の、弟子であることもお忘れなく」「も、も、もちろんッスよ。俺は師匠の弟子ッス」 マイラが言い含めるように言うと、ジョニーは再び脂汗を流し始めた。「私が貴方を育てるのにどれだけ苦労したことか」「か、か、感謝してるッス」 ジョニーはがたがたと震えている。 これも精神的なものだろう。 二人の間に――いや、どんな教育を施されたのか。 気になるが、ここで踏み込むべきではない。 そんな気がする。 代わりに、これ以上は止せと目配せする。 すると、マイラは小さく息を吐き、目を閉じた。 しばらくして再び目を開ける。「ゆっくり休みなさい」「じゃ、俺はここで、ふへへ」 ジョニーは愛想笑いを浮かべ、小屋から出て行った。 ふぅ、とティリアは息を吐き、背もたれに寄り掛かった。 そして、天を仰ぐ。 もっとも、見えるのは梁と天井くらいだが――。「……お疲れ様でした」「労われるほどのことじゃないぞ」 何しろ、イスに座って報告を聞いただけだ。 それに、体調もよくなっている。 それはそれとして――。 マイラに視線を向ける。「何か?」「ジョニーに何をしたのか気になっただけだ」「教育を施しただけですが?」「それだけで、あんなになるのか?」 ティリアはジョニーの様子を思い出しながら尋ねた。 精神性発汗、体の震え――小動物のように怯えていた。「心が弱かったのでしょう。まったく、最近の若い者は……」「お前が言うと違和感があるな」 実年齢はともかく、外見は妙齢の美女だ。「お誉めに与り、恐悦至極に存じます」「うん、まあ、うん……」 ティリアは押し黙った。 気の利いた言葉を捻り出せればよかったのだが、どうも思い浮かばなかった。 思い浮かんだとしても皮肉の類いは通じないような気がする。 これが年の功だろうか。 いや、単に面の皮が厚いだけか。「きっと、ジョニーは……」 まだ続いていたのか、とティリアは思いながら居住まいを正す。 何となく、そうするべきだと思ったのだ。「己の中に闇を見たのでしょう」「明らかにお前に怯えていたと思うんだが?」「ご冗談を」「本気だぞ」「……」 ティリアが言い返すと、マイラは押し黙った。「無理もありません。奥様はお若いので」「年齢の問題か」「はい、年齢の問題です」「そうか」 断言されては仕方がない。 ティリアは小さく溜息を吐き、肘掛けを支えに頬杖を突いた。 木箱に視線を向ける。 すると、マイラが通信用マジックアイテムを差し出してきた。「どうぞ」「すまんな」 ティリアは通信用マジックアイテムを受け取り、目を細めた。 傷も、亀裂もない。 やはり、ジョニーが脂汗を掻いていたのはマイラが原因だったようだ。「これで連携が取れるようになるな」 別働隊は千人――二十組に分かれて潜伏している。 通信用マジックアイテムがなかったらまともに連携できない。「素晴らしいマジックアイテムです」「お前達ならこれくらい用意していると思ったが?」「数を揃えるのは大変なのです」「……確かに」 ティリアは通信用マジックアイテムを手の中で転がした。 マジックアイテムは基本的に高価だ。 通信用マジックアイテムのように用途が特殊ならば尚更だ。 そういう意味でエリルを抱き込んだクロノは先見の明があったのだろう。 もちろん、今の状況は想定していなかったと思うが――。「ともあれ、これで通信網を築ける」「……」 溜息交じりに呟くが、マイラは何も言わなかった。 何かあったのだろうか。 不審に思い、顔を見る。 すると、何か言いたそうな表情を浮かべていた。 何が言いたいのだろう。 気になるが、理由を聞くのは躊躇われた。 禄でもないことを口にするのではないか。 そんな予感めいたものがある。 視線に気づいたのだろう。 マイラがこちらを見る。 ティリアは慌てて顔を背けた。 ふと風を感じた。 隙間風ではない。 マイラが背後で右に、左に動いているのだろう。 そんなに理由を尋ねて欲しいのだろうか。 深い溜息を吐き、マイラに視線を向ける。「…………何だ?」「坊ちゃ――クロノ様と通信をしなくてもよろしいのかと」「それも考えたんだが、数が足りん」 ティリアは溜息交じりに応じた。 ここから皇軍の野戦陣地まで半日ほどの距離がある。 そこまで通信網を伸ばすには通信用マジックアイテムの数が足りない。「それに機密を守る必要がある」「奥様がここにいることを知られてはマズいと」「そういうことだ」 ティリアがここにいることを知っている者は限られている。 クロノ、ミノ、レイラを始めとする士官――あとは供回りの老騎士達だ。「では、引き続き、ジョニーを偵察兼伝令としましょう」「すまんな」「いえ、苦労するのは私ではありませんので」「お前には情がないのか」「情はありますが、ジョニーには向いておりません」 マイラはしれっと言った。「ひどい師匠もいたものだ」「押しかけ弟子ですので。それに……」「それに?」「下手に優しくすると図に乗ります」 ティリアが鸚鵡返しに呟くと、マイラは溜息を吐くように言った。「ふむ、師匠として自分を律しているのだな」「いえ、全く」「……本当に情が向いていないんだな」 恐らく、マイラは死んでもいいやと思ってジョニーを育てたのだろう。「実際、ジョニーはどれくらい強いんだ?」「周辺国家を含めた場合でも屈指の短剣使いではないかと」「ほぅ、それはすごいな」 ティリアは感嘆の声を上げた。「まあ、図に乗らなければですが……」「そんなにひどいのか」「ええ、ちょっと誉めただけで隙だらけになります」「精神面の修行が必要だな」「はい、その通りです」 マイラは小さく溜息を吐いた。「ところで、お前の情は誰に向いているんだ?」「クロノ様ですが?」「……」 マイラが当然のように言い放ち、ティリアは口を噤んだ。「お前の情は誰に向いているんだ?」「クロノ様です」 改めて尋ねるが、答えは同じだった。「歳を考えろ」「私はエルフなので問題ないかと」 マイラはしれっと言った。「クロノの何処に惚れているんだ?」「最低でも皇配になられる方ですので」「惚れてないじゃないか!」 ティリアは声を荒らげたが、マイラは何処吹く風だ。「……奥様」「何だ?」「地位と甲斐性も男性の魅力だと思いませんか?」「思わん」「……」 ティリアが即答すると、マイラは苦虫でも噛み潰したような顔をした。「まあ、奥様はお若いので。ところで、奥様はクロノ様の何処に魅力を感じたのですか?」「何処……」 ティリアは呟き、何処に魅力を感じているのかと自問した。 当たり前だが、地位には魅力を感じない。 甲斐性はあるに越したことはないが、そこに魅力を感じるかと言えば違う。 そもそも――。「気がついたら惚れていたという感じだからな。何だ、その顔は?」「いえ、何でもございません」 マイラは顔を背けたが、ティリアは苦虫を噛み潰したような表情を見逃さなかった。「言いたいことがあったら言え」「甘酸っぱい台詞に苦く、えぐいものが込み上げて参りました」「そこまで言うか!」「言いたいことがあったら言えと仰ったので」 くッ、とティリアは呻いた。 言い返したいが、言葉が出てこない。 その時――。『こちらケイン、誰か聞いてるか?』「――ッ!」 突然、通信用マジックアイテムから声が響いた。 あまりに突然の出来事だったので、落としそうになったほどだ。 深呼吸して通信用マジックアイテムを口元に運ぶ。「ティリアだ」『ああ、姫さんか。知り合いがいてくれてよかったぜ』「それで、何かあったのか?」『それが……』「道に迷ったのか?」『……合流地点が分からなくてな』 恥ずかしかったのか、ケインは間を置いて答えた。 仕方がないと言えば仕方がない。 彼は帝都周辺の地理に詳しくないのだ。 むしろ、ここまで来られたことを評価すべきだろう。「分かった。すぐに迎えを行かせる」『悪いな』「気にするな」 ティリアが目配せすると、マイラは恭しく一礼した。※ ケインが通信を終えると、古参の部下――サッブが馬を寄せてきた。 眼帯を付け、無精髭を生やした容貌は山賊じみている。 前歯がないので笑うといい感じに間が抜けて見える。 本人もそれを理解しており、親しくない相手と接する時は歯を剥き出して笑う。 これで殆どの相手は警戒心を解く。 サッブなりの接客術だ。「お頭、どうでした?」「ああ、すぐに迎えが来るとよ」「そいつはよかった」 サッブは歯を剥き出して笑った。「お前でもか?」「そりゃあ、もう!」 サッブは大仰に頷いた。「クロノ様の所は、まあ、恵まれてるんで。感覚を取り戻すのに時間が掛かりますぜ。お頭はどうなんで? 代官生活で鈍っちゃいやせんか?」「見ての通り、いつでも戦えるように準備してたぜ」「それでこそ、お頭だ」 ははッ、とサッブは笑った。 古参の部下達が笑い、弓騎兵、新参――ブルーノ達が笑う。 まだ大丈夫そうだな、とケインは内心胸を撫で下ろした。 周辺諸侯は話の通じる相手が多かった。 しかし、だからと言って油断する訳にはいかない。 信じて裏切られればケイン達の命運は尽きる。 常に周囲を警戒する必要があった。 せめてもの救いは合流すれば休めると分かっていたことだ。 いつ終わるとも知れない状況はそれだけで心身を摩耗させる。 だが、終わりがあれば何とか踏み止まれる。 もちろん、それとて限界はあるが――。 俺達はまだ大丈夫だ、とケインは自分に言い聞かせる。 まだ、笑えた。 それだけで自分達に余裕があると信じられる。 余裕があると信じられる内は頭を働かせられる。 ふとエレインのことを思い出した。 彼女なら何と言うだろうか。 鼻で笑うか、呆れたような表情を浮かべるか。 あるいは真顔で同意するか。 どれもありそうだし、予想外の反応をされる可能性もある。 要するに自分は彼女のことをよく知らないのだ。 それは彼女も同じだろう。 よく知らない者同士がよく分からないままに惹かれ合った。 生きて戻れたら、と考えて笑う。 まったく、嫌になる。 あれだけ格好を付けて出てきたくせに未練を残している。 いや、そう思っているのは自分だけという可能性もある。 生還したら笑われそうだ。 だが、まあ、そんなものかという気もする。 自分は凡人だ。 妹を守れず、その死に囚われている。 この戦いを乗り越えても妹の死に囚われ続けるに違いない。 そんな自分に何ができるのか。 大したことはできない。 だが――。「……精々、足掻いてやるさ」 ケインは空を見上げ、小さく呟いた。 少しだけ気が楽になった。「どうかしやしたか?」「いや、俺は大したことがねーんだなって思ったんだよ」「そいつは謙遜が過ぎやすぜ。お頭が大したことねーんなら俺らは何なんで?」「大したヤツらなんじゃねーか」 ケインは苦笑しながら返した。 その時、ガサッという音が響いた。 街道脇の茂みが揺れる音だ。 サッブ達が音のした方に視線を向ける。 それが正しい判断のはずだ。 にもかかわらず、ケインは反対側を見ていた。 理由は――自分でもよく分からない。 強いて言えば勘だ。 すると、何処かで見たような青年と目が合った。「――ッ!」 青年が息を呑み、腰に手を伸ばす。 だが、それよりも速くケインは馬上で剣を抜き放っていた。 切っ先を向けると、青年は降参とばかりに諸手を挙げた。 そこで、サッブ達が異変に気付いた。「お頭ッ?」「油断するな」 ケインが短く告げると、サッブ達は青年を取り囲むように馬を移動させた。「降参ッス」「見りゃ分かるって。お前は――」「ジョニーッス。姐さんの命令で迎えに来たッス」「ジョニー?」 ケインは首を傾げた。 そう言えばマイラが来た時に一緒にいたような気がする。 見覚えはあるが、油断する訳にはいかない。 何しろ、三年も前のことだ。 流石に自分の記憶を信じる訳にはいかない。「証拠は?」「通信用マジックアイテムに話しかけてもらえれば分かるッス」「……サッブ」「分かってやす」 青年を見据えたまま呟くと、サッブが馬を前に進ませた。 ケインは籠手を口元に近づけた。「姫さん、聞こえているか?」『『……ああ、聞いている』』 やや間を置いてくぐもったティリアの声が響いた。 それも重なり合うようにだ。 ケインの籠手と青年からだ。「ジョニーを名乗る男が来てるんだが、こいつが迎えで間違いないか?」『『ああ、間違いない』』「特徴だが――」 ケインはジョニーに視線を向け、顔の特徴や服装を口にした。『『……ああ、合っている。だが、どうしてそんなことを聞くんだ?』』「背後から忍び寄って来たからだ」 ケインはうんざりした気分で答えた。 正面から、せめて茂みから出てきてくれれば警戒せずに済んだのだが――。 ふぅ、と通信用マジックアイテムから溜息が響いた。 呆れているのだろう。『『とにかく、待ってるぞ』』 ああ、とケインは短く返事をして腕を下ろした。「裏が取れた。こいつが迎えだ」「そいつはよかった」「よかったッス」 サッブが胸を撫で下ろし、ジョニーが続けて胸を撫で下ろす。「何だって、誤解されるような真似をしたんだ?」「有利な位置にいたかったんス」 ケインが尋ねると、ジョニーは申し訳なさそうに言った。「そろそろ、剣を鞘に収めて欲しいッス」「…………分かった」 ケインは迷った末に剣を鞘に収めた。 背後から忍び寄る男を信用していいのだろうか。 そんな思いが胸を支配している。 警戒しているのはジョニーも同じらしくゆるゆると手を下げた。「生きた心地がしなかったッス」「そいつは悪かったな」 謝罪の言葉を口にしてみたものの、同じことがあれば再び切っ先を突き付けるだろう。「さあ、こっちッス」 ジョニーが踵を返して歩き出す。 その手は腰の短剣に添えられている。 ふと部下が消耗していることを思い出した。「……ジョニー」「何スか?」 ジョニーは振り返り、こちらを見上げた。「部下を先に休ませたいんだが?」「……そうッスね。聞いてみるッス」 ジョニーは視線を巡らせ、ポケットから通信用マジックアイテムを取り出した。※「…………遅いな」「案内に手間取っているのでしょう」 どうぞ、とマイラがテーブルの上にカップを置いた。 ティリアはカップを手に取り、口元に運んだ。 すぐに口を付けず、香りを愉しむ。 ケホッと軽く噎せる。 かなり刺激的な香りだった。「オリジナルか?」「体を冷やさぬよう生姜をベースにしております」「生姜ベースの香茶なら何度も飲んでいるが、ここまでではなかったぞ」 ティリアはカップを離し、まじまじと中の液体を見つめた。 アリデッドとデネブが作ったエルフの妙薬を想起させる。 と言っても臭いは異なるのだが――。「さあ、ぐいっと」「飲むのか?」「もちろんです」 どうやら飲まなければならないようだ。 だが、動機はさておき、マイラは信用できる。 毒を盛りはしないだろう。 意を決して、ティリアは香茶を飲んだ。 刺激的な感覚が食道を通り、胃に到達する。 瞬間、胃がかっと熱くなった。 程なくして熱が全身に伝わる。 熱い。全身がじっとりと汗ばむほどだ。 マイラがそっとハンカチを差し出す。「どうぞ」「うむ、すまんな」 ハンカチを受け取り、汗を拭う。「どうでしょう?」「思ったより悪くない」 汗を掻いたせいか、少しだけ晴れやかな気分だ。「……売れるでしょうか?」「売るつもりなのか?」「もちろんです」 ティリアが問い返すと、マイラは胸を張って答えた。 相変わらず、図太い。 ふむ、と空になったカップを見下ろす。 軽く噎せるほど刺激的な臭いだが、悪くないというのは正直な感想だ。「普通に売るのは難しいんじゃないか?」「やはり、そうですか」 マイラは神妙な面持ちで頷いた。 ふとあるアイディアが思い浮かんだ。「付加価値を付けたらどうだ?」「付加価値ですか」「そうだ。風邪を引いている時に最適とか、冷え性に効くとかだな」「なるほど、素晴らしいアイディアです」「そうだろう」 ティリアは深い満足感を覚えた。「では、ティリア皇女の名前を使わせて頂いてよろしいでしょうか?」「……私の名前」 ティリアは顔をしかめた。 自分の名前――ティリア茶なんて名前で売り出すのは勘弁して欲しい。 売れなかった時はもちろん、売れた時もショックだ。 ブームで終わればいいが、孫の代まで売れ続けたら――。 想像しただけで恐ろしい。「駄目でしょうか?」「……」「駄目でしょうか?」 ティリアが黙り込んでいると、マイラは顔を覗き込んできた。 目が本気だ。 冗談で済ませられそうにない。「…………いいぞ」「ありがとうございます」 マイラは小さく微笑んだ。 その笑みを見ていると計算尽くだったのではないかという気がしてくる。 皮肉の一つも言ってやろうと考えたその時――。「姐さん、戻ったッス」「入りなさい」 脳天気な声が響き、マイラが応じる。 扉が開き、ジョニーに先導されてケインが入ってきた。 ジョニーが扉の近くで立ち止まるが、ケインはそのまま近づいてきた。 二メートルほど距離を取って立ち止まり、片膝を突く。「ケイン、ご苦労だったな」「ああ、本当にしんどかったぜ」 ケインは大仰に肩を竦めた。 わざわざ口にするくらいだから本当に疲れているのだろう。「ということはすぐに動くのは無理か」「俺も含めて疲れてるからな」「……そういうことならば仕方がないな」 帝国軍が動いた時にとも考えたが、無駄に兵を損耗させるだけだ。 じっくり休んでもらい、補給隊を襲わせるべきだろう。「二、三日じっくり休め。マイラ、食糧には余裕があるな?」「もちろんです」「では、ケイン達に精の付くものを……」 言いかけ、口を閉ざす。「どうかなさいましたか?」「うむ、疲れている者に精の付くものを食べさせてよいものかと思ってな」「そこは、私が対応するのでご安心を」「では、頼むぞ」「承知いたしました」 マイラは静かに頷いた。「という訳だ。ゆっくり休め。今後の予定についてはまた説明する」「ありがとうよ。正直、もう限界でな」 ケインは立ち上がり、踵を返した。