クロの戦記ifその5:フェイ・エンド
クロの戦記ifその5:フェイ・エンド
夕方――クロノは木箱に座り、ぼんやりと侯爵邸の庭園を眺める。 ゴルディの工房からは槌を打つ音が響き、紙工房からは湯気が立ち上っている。 帰ってきたのだな、と思う。 そんな感慨を抱きながら庭園を眺めていると、カンという音が聞こえた。 音のした方を見ると、フェイがトニーに稽古をつけていた。 トニーが自由に打ち込み、フェイが受けるという形式だ。 太股を支えに頬杖を突く。 記憶にあるそれよりもフェイの動きは鋭くなっていた。 レオンハルトとの死闘を経て、また剣士として成長したようだ。 自分はどうか。 いや、考えるまでもない。 成長した気がしない。 技量そのものは軍学校を卒業した時とあまり変わっていないのではないかとさえ思う。 変わった点があるとすれば図太さや勝利への執念くらいだろう。 くらいか、とクロノは苦笑する。 考えてみれば軍学校時代の自分には勝利への執念が欠けていた。 まあ、負けても次があると考えていたのだからそれも当然か。 そんなことを考えていると――。「ニヤニヤ笑って何が楽しいのでありますか?」 フェイに声を掛けられた。 ハッと顔を上げ、視線を巡らせる。「トニーは?」「もう帰ったであります」「そうなんだ」 う~ん、ボケッとしすぎただろうか。 バツが悪くて頭を掻く。 すると、フェイがお尻を向けた。 引き締まったいいお尻だ。 思わず手を伸ばすと、フェイがこちらに向き直った。 素早く手を引っ込める。「クロノ様……」「いや、触ろうとなんてしてないよ」「まだ何も言ってないであります」 そう言って、フェイは小さく溜息を吐いた。「それで、なんでお尻を向けたの?」「座りたいのでちょっと横に移動して欲しかったのであります」「なんだ、そうならそうと言ってくれればいいのに」「何も言わなかったとはいえ、お尻を触ろうとするのはどうかと思うであります」「そうですね」 クロノはしょんぼりと頷き、ちょっとだけ横に移動した。 フェイがどっかりと腰を下ろす。 何というか、くすぐったい気分だ。 ふふふ、とフェイが笑う。 彼女も同じ気持ちなのだろうかと考え、待てよと思い直す。 これはアレだろうか。 いや、決めつけるのはまだ早い。 探りを入れるべきだ。「何かいいことでもあった?」「あったであります」 ふふふ、とフェイは笑い、下腹部を撫でた。 慈愛に満ちた表情を浮かべている。 覚悟の時だ。「夢を見たのであります」「へ、へ~、どんな?」 フェイが嬉しそうに言い、クロノは覚悟を引っ込めた。 すまない。自分は覚悟の時を先延ばしにしてしまう弱い男なのだ。「ふふふ、私とクロノ様の子どもの夢であります」「あ、そうなんだ」 クロノは内心胸を撫で下ろした。「そうか。まだ妊娠してないんだね」「何か嬉しそうでありますね?」「そ、そそ、そんなことはないですよ」 フェイに顔を覗き込まれ、クロノは上擦った声で答えた。 当然というべきか。フェイは訝しげな表情を浮かべている。「本当でありますか~?」「ほ、本当でありますよ」 フェイがちょっとイラッとする口調で言い、クロノはこれまた上擦った声で答えた。 いざ責任を取る立場になると男はここまで弱くなるのかと思う。「ところで、どんな夢だったの?」「むふふ、聞きたいでありますか?」「うん、まあ……」「私とクロノ様の子どもが玉座に――」「ちょっと待った!」 クロノが言葉を遮ると、フェイはきょとんとした顔をした。「何か問題でも?」「あるよ! 王座を巡って骨肉の争いをしてるじゃんッ!」「優秀な子どもが王座を継ぐべきだと思うであります」「まあ、僕も優秀な子どもが継いだ方がいいと思うけど……」「だったら!」「三代連続で皇位継承権争いなんて嫌だよ」「まさに親の因果が子に報いでありますね」「縁起でもないッ!」 クロノは思わず叫んだ。「それで、どうでありますか?」「どうでありますかも何も僕とフェイの子どもが玉座にって話は嘘でしょ?」「そんなことないでありますよ。夢で見たでありますよ」 クロノが問い質すと、フェイはそっと視線を逸らした。 しばらくしてこちらに再び視線を向け、おずおずと口を開く。「どうでありますか?」「駄目であります」「駄目でありますか、そうでありますか」 フェイはがっくりと肩を落とした。「というか、フェイの子どもに玉座を継がせるのは無理だよ」「やっぱり、駄目だったでありますね」「駄目だと思ってるなら、なんで……」「世の中には駄目で元々という言葉があるであります。それに、母親として自分の子どもにはできる限りのことをしてやりたいのであります」「気持ちは分かるんだけど、駄目元で内乱の種を蒔こうとするのはちょっと……」「そうでありますか」「そうでありますよ」 フェイが溜息交じりに言い、クロノは相槌を打った。 会話が途切れる。 居心地の悪さは感じない。 くすぐったい気分だ。「本当はどんな夢を見たの?」「赤ん坊を抱いている夢でありますね」「いつ頃か分かる?」「そこまでは分からないであります。ところで、今日は久しぶりにお背中を流させてもらおうと思っているのでありますが、如何でありますか?」「じゃあ、お願い――ッ!」 クロノはハッとフェイを見た。「なんでありますか?」「そういえば神威術士は断片的な未来を垣間見ることがあるそうだけど……。まさか未来を確定させるつもりじゃ?」「……」 フェイはそっと視線を背けたが、すぐにこちらに向き直った。「どうでありますか?」「……」 クロノは押し黙った。 ここが分岐点だ。 そんな予感がある。 思い悩んだ末に――。「じゃ、お願いしようかな?」 背中を流してもらうことを選んだ。