クロの戦記another2:聖――
クロの戦記another2:聖――
帝国暦四三×年二月十四日昼すぎエラキス侯爵邸食堂――。 女将は空になったカップをテーブルに置き、対面の席に視線を向けた。 そこにはメイド長のアリッサがいる。 午後の茶会というほど大したものではない。 だが、アリッサとは情報交換を兼ねて香茶を飲みながら話すことが多い。 いや、習慣になっているというべきだろうか。 香茶を注ぎ足さないことから女将の気持ち――そろそろお開きにしたい――を悟ったのだろう。 アリッサは香茶を飲み干すとカップをテーブルに置いた。「ご馳走様でした」「はい、お粗末さん」 アリッサが小さく頭を下げ、女将はイスから立ち上がった。 ややあってアリッサも立ち上がり、二人で後片付けをする。 といってもトレイの上にティーセットと焼き菓子を盛り付けていた皿を乗せる程度だが――。「食器はこっちで洗っておくからアリッサは仕事に戻っとくれ」「……それでは、お願いできますか?」「任せとくれ」 アリッサが間を置いて言い、女将はドンと胸を叩いた。 トレイを持ち、アリッサと一緒に食堂から出る。「では、私はこれで……」「ああ……」 アリッサがぺこりと頭を下げ、女将は短く応じた。 ちゃんと挨拶すべきなのだろう。 けど、別れて一時間としない内に顔を合わせるなんてザラだ。 そのせいか、どうにも雑な挨拶になってしまう。 気にしすぎなんだろうけどね、と女将は小さく溜息を吐き、厨房に向かった。 厨房の前で足を止める。 というのも扉がわずかに開き、甘い匂いが漏れてきていたのだ。 ふとアリデッドとデネブの姿が脳裏を過る。 あの二人のことだ。 倉庫に保管している砂糖を拝借したらすぐにバレると考えて厨房にやって来たのだろう。「ったく、悪知恵ばかり働くんだから。今回ばかりはとっちめてやらないと」「「誰をとっちめるのみたいな?」」「――ッ!」 突然、背後から声を掛けられ、女将は振り向くと同時に跳び退った。 ガチャという音が響く。 食器がぶつかり合う音だ。 もちろん、それだけでは済まない。 トレイから落ちそうになる。 マズい。 このままでは落ちてしまう。 そう考えた次の瞬間――。「「ぎゃーッ!」」 声の主――アリデッドとデネブが叫びながら突っ込んできた。 食器がトレイから落ちるが、二人がキャッチして事なきを得る。「うぉぉぉ! あたしら史上最高の反応速度だしッ!」「これほどのスピードで動けるとは自分でも思わなかったみたいなッ!」 二人はホッと息を吐き、こちらに視線を向けてきた。 にまにまと笑っている。 誉めて欲しいという気持ちが伝わってくるが――。「びっくりさせないどくれよ。危うく食器を割っちまう所だったよ」「はい、びっくりさせて申し訳ありませんみたいな」「以後、気を付けますみたいな」 女将が注意すると、アリデッドとデネブはしょんぼりと俯いた。 ややあって、ハッとしたように顔を上げる。「いや、あたしらのせいじゃないし! むしろ、あたしらは食器を助けた救いの主みたいな! 末代まで崇め奉っても不思議ではないし!」「お姉ちゃん、それはちょっと図々しすぎるよ」「あたしをお姉ちゃんと――」 胸を張るアリデッドにデネブが突っ込みを入れる。 すると、アリデッドは何事かを言いかけて口を噤んだ。 デネブと手にしたティーポットと皿を交互に見て、口惜しそうに地団駄を踏む。 多分、『あたしをお姉ちゃんと呼ぶんじゃないし!』と言って、チョップでも繰り出そうとしていたのだろう。 だが、両手が塞がっているのでやめたと。「あとで覚えてやがれみたいな」「……」 アリデッドが吐き捨てるように言うと、デネブが歩み寄ってきた。 無言でカップを差し出してきたのでトレイを差し出す。 すると、デネブはカップをトレイに載せ、アリデッドに向き直った。「お姉ちゃん……」「だから、あたしを――」「私、両手がフリーなんだけど?」「――ッ!」 デネブが言葉を遮って言い、アリデッドは息を呑んだ。 ぐぅ、とアリデッドが呻く。「私、両手フリーだよ?」「すみません。調子に乗ってました。だから、勘弁して下さい」 デネブが優しく声を掛けると、アリデッドは丁寧な言葉使いで謝罪した。 ふん、とデネブは鼻を鳴らし、道を空けた。 えへへ、とアリデッドが愛想笑いを浮かべながらこちらにやって来て、トレイにティーポットと皿を置く。それから身を翻して距離を取る。「それで、誰をとっちめるのみたいな?」「そこからやり直すのかい?」「段取りは大事みたいな!」「それは段取りじゃないだろ」 女将は深々と溜息を吐き、アリデッドに付き合うことにした。 付き合わなければ『それで、誰をとっちめるのみたいな?』と何度も尋ねてくるに決まっているからだ。「はいはい、厨房に誰かがいるみたいだからアンタ達が砂糖を盗もうとしてるんじゃないかと思ったんだよ」「「冤罪もいい所だし!」」 女将の言葉にアリデッドとデネブは声を荒らげ、キッと扉を睨んだ。「「冤罪を掛けられたからにはあたしらの手で捕まえて汚名を晴らすしかないし!」」 吶喊! と言ってアリデッドとデネブは厨房に突っ込んでいき、すぐに動きを止めた。「うぉぉぉぉ、犯人発見だし!」「ま、まさかクロノ様が犯人だったなんてみたいな!」「……」 二人の声が響くが、女将は構わずに足を進めた。 コンロに向かうクロノとその背後に立つ二人を横目で眺めながら調理台の所まで行き、トレイを置く。それからクロノのもとに向かう。「一体、何を作ってるんだい?」「二月十四日だから……飴」 女将が問いかけると、クロノは鍋を掻き混ぜながら答えた。「「なんで、飴?」」「とある国には二月十四日に甘い物を送る風習があるんだよ。」「「ほ~ん、そんな風習があるとは露知らずみたいな」」 クロノが質問に答えると、アリデッドとデネブは間の抜けた声を漏らした。 女将は内心首を傾げた。 自由都市国家群から料理書を取り寄せて研究しているのだが、そんな風習聞いたこともない。「うん、まあ、こんなもんかな?」 クロノは鍋を手に取り、こちらに向き直った。 危ないよ、と言って歩き出し、鍋を調理台の上に置く。 アリデッドとデネブがおずおずと口を開く。「「クロノ様……」」「そんな声を出さなくてもあげるけど、作ったばかりだから火傷するよ?」「「ぐぅ……」」 クロノの言葉に二人は呻いた。「だから、さっき作ったヤツをどうぞ」「「もらっていいのみたいな!?」」 クロノが手の平で調理台の一角――皿に盛り付けられた飴を指し示して言うと、アリデッドとデネブは嬉しそうに声を弾ませた。「うん、でも、全部持っていっちゃ駄目だよ?」「「了解みたいな!」」 アリデッドとデネブはクロノに敬礼し、飴のもとに向かった。 途中で小皿を手に取り、飴の欠片を移す。 そして――。「約束通り全部は持っていかなかったみたいな!」「クロノ様、ごめんだし! でも、飴の誘惑には勝てないみたいなッ!」 飴の欠片が載った小皿を置いて逃げ出した。「ひどい……」「馬鹿だね。あの二人にあんなことを言ったらこうなるに決まってるだろ」「そりゃ僕もチラッとは考えたけど……、まさか本当にやるとは……」 クロノは呻くように言って、調理台を迂回するようにして小皿に歩み寄った。 飴の欠片を手に取り、こちらを見る。「女将、食べる?」「ああ……」 女将は短く答えた。 焼き菓子を食べたばかりだが、あれなら余裕で腹に収まる。 何故かクロノは歩み寄り、飴を差し出してきた。「はい、あ~んして」「は!?」 クロノが突拍子のないことを言い、女将は思わず目を見開いた。「はい、あ~んして」「いや、そんなことしなくても――」「はい、あ~ん」「ぐぅ……」 クロノに言葉を遮られ、女将は呻いた。 どうやら逃げられそうにない。「あ、あ~ん……」「はい……」 女将が口を開けると、クロノは飴を口の中に入れた。 口を閉じて飴を舐める。「美味しい?」「……美味いよ」 クロノに問いかけられ、女将は間を置いて答えた。 正直にいえば気恥ずかしくって味など感じなかったが――。