第8話:烈火
第8話:烈火
※ 行軍二日目、帝国軍は無人となったエルフの集落を横切り、予定よりも大幅に遅れて東西街道に到達した。 理由は幾つかあるが、誰の目にも明らかな理由は飲み水の確保……池で汲んだ水を煮沸しなければならなかったからだ。 これなら飲めるんじゃないか? という程度に池の水は澄んでいたが、生水を飲んで腹を下したり、風土病に罹りでもしたら戦力の低下は免れないし、戦いもせずに敗走したとなれば人生の汚点になりかねないと実利と面子が珍しく一致したのである。 それ以外……目に見えないレベルの理由としてはジョゼフの処刑による士気の低下が挙げられる。 第一、第二、第十二近衛騎士団がエリート集団であるのに対し、それ以外の大隊は基本的に食い詰め者の集団である。 貴族である大隊長とその側近はそれなりに高い士気を保っていたが、命令されて仕方なく神聖アルゴ王国に来ている兵士は任地にいた時よりも遙かに重い罰を受ける事実に士気を低下させたのである。 士気の低下が最も深刻だったのはジョゼフが所属していた大隊だった。 他所の大隊長が白刃に身を晒してエルフの双子を庇ったのに、自分達の大隊長は部下であるジョゼフを見殺しにしたのだから無理からぬ話である。※ 神聖アルゴ王国と自由都市国家群を結ぶ東西街道は荒野を貫くように伸びていた。 地面を踏み固めただけにしか見えないが、あまり立派な道路を造りすぎると、敵国に利用されかねないので、国防という観点から見れば仕方がないのだろう。 街道封鎖ってのは良いアイディアかも知れない、とクロノは街道を見下ろした。 内陸にある神聖アルゴ王国は塩を輸入に頼っているはずなので、街道を封鎖すれば国力を削げるかも知れない。 仮に岩塩の鉱脈や塩湖があったとしても、神聖アルゴ王国内の力関係に影響を与えられるはずだ。「クロノ殿、これで糧秣は全てですな?」「ええ、これで全部です」 エルナト伯爵は荷車三十四台の糧秣……いや、その傍らで不機嫌そうな表情を浮かべる青年を見つめ、苦笑いを浮かべた。 年齢は二十歳くらいだろうか。 短く刈り込んだ髪はブラウン、笑えばそれなりに愛嬌のある顔立ちになるのだろうが、残念ながら今は不機嫌そうに唇を結んでいる。 大型の亜人に匹敵する巨躯を白銀の 板金鎧 ( プレートメイル ) に包んだ姿は戦車を彷彿とさせた。「息子さんですか?」「ええ、愚息です」 クロノが尋ねると、エルナト伯爵は渋い顔をして頷いた。「昔は素直な子だったのですが、今はプライドばかり高くて難儀しておる所です。あれが昔の素直さを少しでも取り戻してくれれば、安心して引退できるのですが……全く、クロノ殿のような後継を得られたクロード殿が羨ましい」「羨ましがられるほどまともな息子じゃないですよ、僕は。軍学校じゃ落ち零れちゃいましたし、副官のミノさんがいてくれないと、隊を率いることもできないですし」 褒められるのって気恥ずかしいものなんだな、とクロノはちくちくと痒みを訴える首筋を掻いた。 少しくらいプライドが高くても軍学校で落ち零れたクロノに比べればマシなような気もするのだが、エルナト伯爵は違う考えらしい。「……指揮官にとって大切なものとは何でしょう?」「難しい、質問ですな」 何となく尋ねると、エルナト爵は腕を組んで考え込むように唸った。「難しいですか?」「ワシが今まで有能と感じた指揮官はあまり共通点がないのでな。悪鬼羅刹のような武を備えた者もおれば、生まれ持ったカリスマで軍を率いた者も、秀でたものを持たずに堅実な用兵で部下の信頼を勝ち取った者もおりました」 エルナト伯爵はグローブのように大きな手でクロノの肩を叩いた。「ワシが見る限り、クロノ殿は指揮官として十分な素養を備えておられる。これに奢ることなく、精進を重ねなされ」 エルナト伯爵は頼もしくも愛嬌のある笑みを浮かべると、クロノに背を向けて歩き出した。「エルナト伯爵、御武運を!」「クロノ殿も!」 クロノが叫ぶと、これに応じるようにエルナト伯爵は太い腕を掲げた。『大将、糧秣の引き渡しは済んだんで?』(ぶもぶも)「……もう少し余韻を楽しみたかったんだけど」 クロノが見上げると、副官は気まずそうに顔を背けた。 もちろん、クロノは本気じゃないし、それなりに長い付き合いなので副官も分かっているはずだ。「少し見回ってくるよ」『お供しやす』(ぶも) 一万人近い兵士が街道で休んでいる光景はかなり怖いものがある。 自分の部下と一緒にいる時は心が安らぐのだが、これだけの兵士がいるのに恐怖や不安を感じるのは一体感のようなものが感じられないからだろう。 いや、大多数の兵士にとって戦争は他人事なのだ。 自分達の知らない所で戦争をすることが決まって、大義を実感できぬままに戦場に引っ張り出されたに過ぎない。 フィクションだと偉い人が戦意高揚を図ったり、戦争の正当性を声高に主張していたりするのだが、この世界だとメディア戦略は難しいのかも知れない。 そんなことを考えていると、デネブとアリデッドの姿が目に止まった。「エラキス侯爵領だと一日に三回も食事ができるし」「少しだけ胸が大きくなったんだよね」 どうやら、他の大隊に所属しているエルフと話し込んでいるようである。「……デネブ、アリデッド」「「クロノ様!」」 クロノが声を掛けると、デネブとアリデッドは嬉しそうに声を弾ませた。 もっとも、クロノの部下以外は驚いたように目を見開いていたが。「えっと、どうしたの?」「今は休憩中だけど、あたしらは真面目に仕事してるし」「それは分かってるよ。ただ、あれから嫌がらせを受けてないか心配になってさ」「そんなに心配なら天幕に呼んでくれれば問題なし!」「そうそう! あたしらのテクニックでクロノ様も昇天だし!」「……指揮官が昇天するなんて縁起でもない」 遣り取りが面白かったのか、クロノの部下は笑い声を漏らした。 他のエルフは無言だったが、何処か羨ましそうにデネブとアリデッドを見つめていた。「まあ、身の危険を感じたら天幕に転がり込んでも構わないから」「「は~い!」」 デネブとアリデッドの耳を撫で、クロノはホルスの元に向かった。「調子はどう?」『東西街道は行軍がしやすいけんど、喉が渇いて仕方がねえでよ』(ぶも、ぶ~も) クロノが中腰で問い掛けると、ホルスはだらだらと涎を垂らしながら言った。「ホルスとリザドの部隊は荷車を引いてるからね。うん、休憩の時はホルスとリザドの部隊に優先して水を支給するように女将に伝えておくよ」『頼むでよ』(も~) クロノは苦笑いを浮かべ、リザドの所へ。『……』「えっと、調子はどう?」『…………平気』 リザドは細長い舌を蛇のように出し入れしながら答えた。 どのようにしてリザードマンが声を出しているのか、気になる所である。『……朝、寒い、動けない』「あ~、リザードマンは変温動物だもんね」 ホッカイロがあれば真っ先に支給するのだが、残念ながらクロノはホッカイロの作り方を知らない。「石を火で熱して布で包むというのはどうかな?」『……』「僕の知識が確かなら、昔の人はそうやって寒い冬に暖を取っていたらしいし」『……』 こくんとリザドは小さく頷いた。「じゃあ、夕食の準備をする時に適当な大きさの石を探そう」『……了解』 寒さに弱いのは知っていたのに対処しなかったのは怠慢だな、とクロノは侯爵領から連れてきた医者の所に向かった。 十人の医者は十人とも青い顔をしていた。「……顔色が悪いよ」「普段から運動をしておくべきでした」「え~、部下の様子はどう?」 今にも吐きそうな医者にクロノは恐る恐る声を掛けた。「普段から食事を取っているせいか、クロノ様の部下は健康そのものです。ただ、他の大隊に所属する亜人……人間もですが、体調を崩す者がちらほらと」「他の大隊も医者を連れてきてるんじゃないの?」「精々、一人か、二人です」 なるほど、とクロノは頷いた。 多分、交渉が上手くいかずに医者を連れ出せなかったのだろう。「その辺りは縄張り意識みたいなのがあるから……まあ、放って置くのも後味が悪そうだし、レオンハルト殿に相談をしてみるよ。それから君達は荷車に乗って良いからね」「ありがとうございます」 侯爵領にいる時とやってることが変わらないな、とクロノは部下達の間を歩き回りながら苦笑いを浮かべた。※ 行軍三日目……帝国軍は一人の落伍者を出すことなく、丘陵地帯に到達した。 丘陵地帯の先は小高い山に挟まれた隘路であるという斥候の報告を受け、帝国軍は丘陵地帯に布陣し、神聖アルゴ王国軍を迎え撃つことになった。 緩やかに波打つような丘陵地帯……どんな意図で選んだのか、クロノには見当も付かないが、小高い丘の頂上にアルフォートと第一近衛騎士団が、中腹に三個大隊が、すそに第十二騎士団と四個大隊が斜面に沿うように並んでいる。 どの隊も歩兵が中央を、左右を弓兵が固め、攻撃の要である騎兵は歩兵の背後に待機するという配置である。 クロノの隊はアルフォートとレオンハルトの本陣の裏手で糧秣の警備……レオンハルトは予備兵力としてみたいなことを言っていたが、クロノとしては最後まで予備兵力としての立場を貫きたい所だ。「……」『大将、あっしらはどうすれば?』(ぶもぶも)「僕らは糧秣を守らなきゃいけないから、アルフォート様とレオンハルト殿の後ろで待機だよ。もちろん、医者や女将達もね」 クロノはナイフで木の先端を削りながら副官に答えた。 もちろん、副官も、手が空いている部下は三メートルくらいある丸太……ちょっと立派な木の棒を削っている。『また、柵を作るつもりなんで?』(ぶも?)「騎兵に生身で立ち向かうのは遠慮したいからね。本当は落とし穴なんかも作りたいんだけど」『前も思いやしたが、大将は正面から戦うつもりがないんですかい?』(ぶもぶも)「ないよ」 クロノは木を削りながら即答した。「誤解しないで欲しいんだけど、真面目に考え抜いた結果、柵を作ったり、落とし穴を掘るって発想に結びついてるだけで戦意がない訳じゃないんだ」 前回……去年の五月に神聖アルゴ王国を迎え撃った時は苦肉の策以外の何物でもなかったが、一人でも部下が生き延びられるように最大限の努力をすることが指揮官としての義務だとクロノは考えていた。『軍学校で勉強していた頃もその調子だったんで?』(ぶも~)「うん、こんな感じだったよ」『……』 クロノが答えると、ブフ~と副官は鼻息を吐いた。 もしかしたら、呆れているのかも知れない。「殆どの教官から嫌われてたけど、不思議と話の合う教官もいてさ。その人は騎士で怪我をして一線を退いたんだけど、戦場での苦労話を色々と聞かせてくれたんだ」 かなり冷遇されてたみたいだし、先生として招くのもありかもね、とクロノは心の中で付け足した。『……何となく、あっしはクロノ様が落ち零れた理由ってヤツが分かってきやした』(ぶもぶも)「クロノ様って落ち零れなの?」「マジで?」 副官が溜息混じりに呟くと、デネブとアリデッドが好奇心に目を輝かせて身を乗り出した。「そうだよ」「「……」」 肯定されると思わなかったのか、デネブとアリデッドは気まずそうに顔を見合わせた。「いや、ほらさ、クロノ様が落ち零れてくれなかったら、出会わなかった訳だし」「そうそう、クロノ様がいなければあたしらは神聖アルゴ王国のヤツらに殺されてたし」 落ち零れたことに感謝みたいな、とデネブとアリデッドはクロノを元気づけるように微笑んだ。「そう言ってもらえると、少しは気分が楽になるよ」 クロノは背を丸め、木を削り続けた。※「どうだ、イグニス将軍! これならばケフェウス帝国の侵略者どもに負けまい!」「……」 神祇官は勝利を確信したように胸を張り、馬上から兵士……最前列に弓兵七百、真ん中に歩兵五千、最後尾に騎兵千百、総勢六千八百……を見下ろした。 数だけ見ればそれなりの戦いができそうな気もするが、歩兵五割以上が近隣の村々から集められた農民であることを考えると、暗澹たる気分が加速度的に増していくのを抑えられない。 正規兵であれば敵が布陣しているはずの丘陵地帯まで二日で済む所を三日も掛けているのだ。 それだけで彼らの士気の低さが分かりそうなものだが、どうやら神祇官の目は節穴らしい。「となれば国境砦との連携が肝になりますが?」「すでに使いを出している。なに、国境砦の警備隊長とは旧知の間柄だ。彼ならば我々の動きに合わせて動いてくれるはずだ」 援軍は見込めないと考えるべきだな、とイグニスは神祇官を見ながら考えた。 斥候の報告によればケフェウス帝国軍は背面からの襲撃に全く備えていないらしい。 加えて、幾度となく神聖アルゴ王国軍を退けた第二近衛騎士団が不在となれば、すでに東西街道は封鎖されていると考えるべきだろう。 せめて、あと七日……マルカブの街に籠城してイグニスの部下が到着するのを待ってくれれば撃退も容易だったのだが、とイグニスは頭を振った。 無い物ねだりをしていても事態は好転しない。 今あるもの、今ある権限を使ってできることを考えなければ、とイグニスは右腕の断面を押さえた。※ 四日目……クロノは副官と共に丘の頂上から間近に迫る神聖アルゴ王国軍を眺めていた。 ゆっくりと、だが、確実に神聖アルゴ王国軍が近づいてくる。 初めは影が動いているようにしか見えなかったが、しばらくすると影が数千人の兵士によって形作られていると分かった。 敵兵が地面を踏み締める音や荒い息遣いが聞こえるような気がした。 もちろん、幻聴である。クロノの耳はエルフや獣人ほど高性能ではないので、足音や息遣いが聞こえるはずがない。 理屈では分かっているのだが、クロノの膝は情けないほど震えていたし、少しでも気を緩めたら盛大に脱糞してしまいそうだった。「クロノ殿、武者震いかね?」『大将、脱糞だけは堪えて下せえ』(ぶも~) レオンハルトと副官は同じようなタイミングでクロノに声を掛け……気まずそうに顔を見合わせた。「……クロノ殿は初陣ではないと聞いたが、その、初陣の時に漏らしたのかね?」『あの時は漏らしてなかったと思いやすが、ホントの所は誰にも分からないんで』(ぶも~)「……」 副官が溜息混じりに言うと、レオンハルトは押し黙った。「ピスケ伯爵は慎重すぎる傾向があるが、それほど心配する必要はないよ」 レオンハルトは勇気づけるようにクロノの肩を叩き、本陣に戻っていった。「……ミノさんから見て、この戦いはどうなると思う?」『しばらく睨み合って、互いに矢の応酬ってのがセオリーでさ。適度に矢を撃ったら、騎兵が突撃を仕掛けて陣形を崩された方が負けなんで』 なるほど、とクロノは睨み合う両軍を眺めた。 神聖アルゴ王国軍は大きな正方形、こちらは小さな正方形を積み重ねて三角形を形作るように布陣している。『始まりやすぜ』(ぶも) 副官の台詞が切っ掛けになったかのように矢の応酬が始まったが、すぐに優劣は明らかになった。 ケフェウス帝国軍が神聖アルゴ王国軍を圧倒したのだ。 これは弓兵の技量の差による者ではなく、単に数の問題である。 こちらは一個大隊に三百の弓兵が所属しているとして前列だけで千二百、真ん中の列を含めれば二千百、対する神聖アルゴ王国軍は千に満たない。「ミノさん、通信用のマジック・アイテム持ってる?」『そりゃ、あれはクロノ様に認められた証みたいなものなんで、あっしと百人隊長は持ってきてますぜ』(ぶもぶも) クロノが副官と話している間に神聖アルゴ王国の弓兵は数を減らし、その背後に控えていた歩兵にも矢の雨が降り注いだ。 敵の歩兵は木の盾を構えていたが、それで全てを防ぎきれるはずもない。 矢が降り注ぐたびに敵の歩兵は徐々にその数を減らしていった。『この分だと、あっしらの出番はないかも知れやせんね』(ぶもぶも)「……そう願いたいけど」 敵を圧倒しているはずなのにクロノの気分は晴れない。『どうしたんで?』「神威術だよ」 クロノは去年の戦いを思い出しながら副官に答えた。「今回みたいな場所での戦いなら、戦況を覆されるかも知れない」『こっちにもレオンハルト様って神威術の使い手がいますぜ?』(ぶも?)「まあ、そうなんだけど」 レオンハルト殿がいるから勝てると信じられたら、とクロノは思う。 クロノが下腹部を押さえたその時、神聖アルゴ王国の騎兵が動いた。 一人の騎兵が斜面を駆け下りると、千近い騎兵もまた追従する。 弓兵はすぐに標的を切り替えて矢の雨を降らせたが、矢の密度が薄すぎた。 機工弓が全軍に配備されていれば、あるいは上手く連携が取れていれば騎兵の突進を食い止められたかも知れない。 先陣を切る騎兵が構える 突撃槍 ( ランス ) を深紅の光が包んでいた。 いや、突撃槍だけではなく、全身が深紅の光に包まれている。 神威術『祝聖刃』、『神衣』……この二つを使いながらフェイは盗賊にフルボッコされていたが。 深紅の騎兵は槍を構える歩兵に真っ正面から突っ込んだ。 一瞬、一瞬だけクロノは騎兵が串刺しにされるのを期待したが、深紅の騎兵は歩兵など存在していないかのように駆け抜け、歩兵の背後に控えていたケフェウス帝国軍の騎兵に襲い掛かった。 深紅の騎兵は突撃槍を投げ捨て、左腕のみで剣を振るう。 細い……本来ならば 板金鎧 ( プレートメイル ) で完全武装した騎兵に何の痛撃も与えられないはずの剣があっさりと鎧を焼き、いや、溶かし斬る。『……大将、あれは?』(ぶも?)「去年の、指揮官かな」 隻腕以外に共通点はないのだが、クロノも、副官も深紅の騎兵が因縁の相手だと確信していた。『大将!』「……っ!」 副官の叫びに反応して視線を動かすと、深紅の騎兵が生み出した間隙に敵の騎兵が突っ込む所だった。 混乱から脱し切れていなかったケフェウス帝国軍の歩兵は為す術もなく蹂躙され、そこに敵の第二波が追い打ちを掛ける。 一旦、総崩れになった兵士は脆い。 その気になれば騎兵を押し潰せるにも関わらず、それができずに蹂躙を許している。「クロノ殿! 後を頼む!」「え?」 クロノが振り向くと、レオンハルトは愛馬を駆り、斜面を駆け下りた。「後を頼むって、僕にどうしろと?」『あっしに聞かれても』(ぶも~) とは言え、光を纏って駆け下りるレオンハルトが神威術の使い手と敵にも分かったのだろう。 深紅の騎兵は……ついでに他の騎兵も……レオンハルトが駆けつけるよりも早く、撤退を開始している。 ここでやる気を取り戻してしまったのが深紅の騎兵に一方的にやられていたケフェウス帝国軍の騎兵である。 彼らは歩兵を掻き分け、敵を追った。 意外にもピスケ伯爵は部下を押し止めているようだった。 まあ、レオンハルトの人物評通りであればピスケ伯爵は敵を追うリスクが高いと踏んだのだろう。 理性によるものか、経験によるものか、性格的なものかは分からないが、ピスケ伯爵の判断は正しかった。 敵騎兵の動きは鈍く、こちらの騎兵の動きはまちまちだった。 加えて、名誉挽回、汚名返上とばかりにこちらの騎兵は斜面を駆け上がり、一直線に並んでいた。 敵騎兵は馬首を巡らせて反転、一塊になって襲い掛かった。 それもジグザグに蛇行しながら攻撃したのである。『クロノ様!』 通信用のマジック・アイテムからデネブか、アリデッドの声が響いた。 どうした? と改めて問い返すまでもなかった。 敵……五十にも満たない数だが、敵騎兵が本陣に迫っていたからだ。 多分、丘に隠れながら馬を走らせていたのだろう。「やられた!」 クロノは駆け出しながら舌打ちした。 敵はこれを狙っていたのだ。 敵がレオンハルトの存在を知っていたかは分からないが、こちらの大隊長クラスは偽装撤退によって大隊から引き離され、部下に命令を下せない状況に追い込まれている。 クロノが部下と合流すると同時に第一近衛騎士団と敵騎兵が激突した。 敵騎兵が突っ込んだのは最も防御力の低い弓兵だ。 歩兵がカバーに入るが、敵騎兵は死にもの狂いの抵抗を示す。 その意図にクロノが気づいたのは事態が再び動いてからだった。「「ま、また、敵が来たよ!」」「……っ!」 デネブとアリデッドが悲鳴を上げた。 悲鳴を上げたいのはクロノも同じだった。 新たな敵騎兵が五十騎……隊列が乱れきっている今、第一近衛騎士団は頼れない。「ミノさんとホルス、リザドは糧秣と女を守れ! レオは杭を持って付いてこい! デネブとアリデッドは援護しろ!」 クロノは余った丸太を担ぎ、百人の獣人と共に敵騎兵の正面に移動した。 丸太と言っても先端を削ったそれは槍として使えるはずだ。 ホントに漏らすかも、とクロノは頬を引き攣らせながら丸太を地面に置いた。「よ、横に並べ! 合図をしたら丸太を構えるんだ! 大丈夫! 騎兵は縄一本で倒せるくらい弱い!」 叫びながら、クロノは自分の言葉を信じていなかった。 ドドドドドッ! と地響きを立てながら筋肉の塊のような軍馬が近づいてくるのだ。 何を血迷って、こんな馬鹿なマネを! そう思うが、逃げるという選択肢は最早ない。 クロノと百人の獣人は横一列に並び、「今だ!」『……っ!』 一斉に丸太を敵騎兵に向けた。 ぞっとする風切り音が耳元を通過。 敵騎兵の突撃槍がこめかみを掠めたのだ。 直後、衝撃がクロノを襲った。 丸太が馬の首を刺し貫き、敵騎兵の喉元に突き刺さっていた。 慌てて周囲を見渡すと、敵騎兵は獣人の構えた木の杭に貫かれていた。 予想外のアクシデントに生き残った敵騎兵は馬首を巡らせて斜面を駆け下りる。「凄い衝撃だったね、レオ」 振り向き、クロノは息を呑んだ。 レオは大の字になって天を仰いでいた。 衝撃で吹き飛ばされたんだ、とクロノは自分に言い聞かせた。「……レオ」 すぐに起き上がって、レオは答えてくれるはずだと思い込もうとした。 けれど、無理だと理解してもいた。 レオの頭は半分なかった。 多分、レオはクロノのこめかみを掠めた突撃槍をまともに受けたのだろう。 ストンと何かが落ちたような気がした。 クロノは遂に脱糞してしまったのだとズボンの尻を押さえたが、排泄物の感触は伝わってこなかった。「デネブ、アリデッド……敵を逃がすな!」『『了解!』』 斜面を駆け下りる敵騎兵……完全武装の騎士に真横から突き刺さった。 矢の雨ではなく、弾幕だ。 ある者は馬と共に矢に貫かれ、ある者は馬上で絶命し、ある者は馬から投げ出された。 たった一人でクロノは斜面を駆け下り、運良く生き延びた騎兵に襲い掛かった。 馬から振り落とされているので、騎兵と呼ぶべきか悩む所だが。 クロノは前回り受け身の要領で敵騎兵が振り下ろした剣を潜り抜けると、彼が振り向くのに合わせて鋼の剣を振り下ろした。 ポンと冗談のように敵騎兵の腕が飛び、クロノは後先考えずに突きを放った。 腕を切断された直後にも関わらず、敵騎兵はクロノの突きを躱した。 もつれ合うように斜面を転がり、敵騎兵の肘がクロノのこめかみを殴打する。 クロノは剣から手を離し、近くにあった石で敵騎兵を殴りつけた。 兜が大きく歪むが、敵騎兵の抵抗は弱まらない。 ならば、とクロノは何度も、何度も、敵騎兵が動かなくなるまで石で殴りつけた。 ようやく敵騎兵が動かなくなったので、クロノは血で汚れた石を投げ捨てた。※ 日が暮れれば、戦闘は終了となる。 夜目の利かない人間にとって夜戦は大きな危険を伴うため、半ば不文律のようになっているのだった。 夜戦をすればケフェウス帝国軍は優位に立てるってのに、とミノはレオの墓を見つめながら思った。『大将、夜は冷えますぜ』(ぶも)「……もう少し、ここにいたいんだ」 ミノと同じようにクロノはレオの墓を見つめながら言った。「じゃ、あたしらが温めてあげるし」「慰めてあげるし」「ありがとう。でも、気分じゃないかな」 デネブとアリデッドに左右から抱きつかれ、クロノは弱々しい笑みを浮かべた。 不謹慎だ、と言うつもりはなかった。 敵わない、と思う。 もし、自分がクロノの立場であればデネブとアリデッドを罵倒していただろう。 それなのに彼は自分に余裕がないのに部下を……それも亜人を気遣ってくれる。「……たかだか、亜人が死んだくらいで何を落ち込んでいるんだか」「っ!」 ギリッ! と何かが軋む音が響いた。 ミノが振り向くと、そこには一人の男が立っていた。 布で腕を吊っている点を鑑みるに、今日の戦闘で大きく兵士を損耗させた大隊長か、その副官だろう。「亜人を埋めている暇があるんなら……っ!」 男は最後まで言葉を紡げなかった。 クロノが無言で男に襲い掛かったからだ。『大将!』(ぶも!) 拳が男の顎を捉える寸前、ミノは辛うじてクロノを組み敷くことができた。「は、離せ、ミノさん!」『大将!、堪えて下せえ!』(ぶも!) どれだけの力が小さな体に秘められていたというのか、クロノは骨が軋むほどの力でミノを押し退けようとしていた。「そいつは……レオの命を、僕の誇りを汚した! 殺して、殺してやる!」 ゴキン! とクロノの肩から音が響く。 ミノとクロノの力に耐えきれずに肩が脱臼したのだ。 痛いはずだ、場合によっては骨折を上回る痛みのはずだ。 それなのにクロノは足掻き続けた。 烈火……激しい怒りをそのように喩えるが、クロノの怒りがそれだった。『大将、堪えて! レオはそんなことを望んじゃいやせん!』(ぶもぶも!) ミノの叫びにクロノの体から力が抜けた。「……レオは僕の部下だったんだ」『分かってやす。今、ここでクロノ様が決闘をしちまったら、あっしらはどうしたら良いんで』 ギリッ! とクロノは再び歯を食い縛った。「……失せろ、次は殺す」 ようやくクロノの本気を悟ったのか、男は小走りにその場から走り去った。「ミノさん、もう大丈夫」 ミノが手を離すと、クロノはその場で胡座を掻いた。 クロノは右目の傷を撫でた。「父さんが言ってたんだけど、指揮官は辛い時ほど笑わなきゃいけないんだって」『……そりゃ、随分な親父さんで』(ぶもぶも)「そうだね、随分な父さんだ」 今は泣けないんだ、と自分に言い聞かせるようにクロノは呟いた。