第1話:シルバ港
第1話:シルバ港
※ おお~っ、とクロノは声を漏らした。 目の前に広がるのは何もない海岸でも、切り倒した丸太を運ぶリザードマンや丸太を海に打ち込むミノタウルスの姿でもなく、完成した港だった。 かつて海岸だった場所は埋め立てられ、しっかりと押し固められている。 丸太をそのまま利用しているので、手作り感が漂っているが、五百メートルに及ぶ岸壁にはそれを吹き飛ばす迫力があった。 岩を投げ込んで造った防波堤も同様だ。 不意にクロノは神聖アルゴ王国との戦争……カノプスの街へ続く隘路を思い出した。 自然と人工の違いはある。 規模の差も明らかだ。 だが、極めて限定的とは言え、地形を変えたのだ。 あまり意識してなかったけど、貴族ってのはこういうものなんだ、とクロノは今更のように実感する。 決断一つで地形を変えられる。 これだけの権力があれば男として魅力に欠けていても女性が言い寄ってくるだろう。 クロノは男女の関係になっても公私の区別を付けてくれる愛人達に感謝した。「……ティリアって凄かったんだ」 一領主とは比べものにならないほど絶大な権力を持っていたのに……まあ、何だ、かなり健全に育っている。「……港が完成した記念に宴とか、テープカットとかしようかな?」「『てーぷかっと』の意味は分からないでありますが、皆さんを労うのは大切でありますね」 階段を上がりながら呟くと、クロノの耳に届くようにか、先行していたフェイが大きな声で言った。 階段……港は作業員であるミノタウルスやリザードマンの集落がある平地よりも二メートルほど低い場所にある。 以前は土が剥き出しだったが、石が積まれ、かなり傾斜が急ではあるものの、階段も整備されている。「何か、こう、差があるよね」 階段を上り終え、クロノは港街を見ながら感想を漏らした。 港街……右手にミノタウルスとリザードマンの集落、左手に『組合』の社屋と倉庫が建っているのだが、可哀想になるくらい完成度に差があるのだ。「まあ、それだけじゃなくて」「……?」 フェイは不思議そうに首を傾げた。「記念すべき建物が娼館っぽいのは?」「営業許可を取っているので、娼館でありますよ?」「真っ先に娼館が建っちゃった!」 クロノはその場で膝を屈した。 いや、一階がお店風になっていたから、変だとは思っていたのだ。「……船乗り相手じゃないか。マイルズの店は高級そうだから、買い付けの商人を狙ってるんだろうけど、博打すぎる気もするな」 クロノは立ち上がり、手とズボンに付いた砂を払った。「人生は博打のようなものだ、とミノ殿は言ってたであります」「そんなことは言ってないよ!」 今の生活から抜け出すには賭けるしかない、と言ったのである。「敗者は全てを失い、勝者は全てを得……それとは関係なしに胴元はショバ代で潤うであります」「その例えだと、僕が胴元なの?」「今はマイラ殿の気持ちがよく分かるであります。クロノ様に賭けて正解だったであります。正に、うははっ! であります」 フェイは胸を張って高笑い。「そう?」「……今はちょっと赤字かも知れないであります」 クロノが尋ねると、フェイは自信なさそうに言った。 どうやら、お風呂プレイは控えた方が良いようだ。「冗談はさておき、ミノ殿のご家族は賭けに勝ちつつあるようでありますね」「ちょっと、ご相伴に預かりつつ、今後の予定を話に行こうかな」 集落に行くと、予想通り食事時だった。 クロノがフェイを伴って最後尾に並ぼうとすると、リザードマン達がクロノに近づいてきた。「ああ、港が完成したから、約束通り解放するよ」『……困る』(シュ~) リーダー格と思しきリザードマンはチロチロと舌を出し入れしながら答えた。「え?」『……ここにいると、困らない』(シュ~) 予想外の展開……と言うよりも予想しておくべき展開だった。 リザードマン達はクロノの奴隷という身分だが、給料は支払っているし、食事と住居の面倒も見ている。 食事はアリア達に丸投げしているし、住居は自分達で建てて貰ったが。「つまり、ここで働きたいと?」『……』(シュ~) リザードマンは無言で頷いた。「……ちょ、ちょっと、待っててね」 クロノはフェイを伴い、リザードマン達から距離を取った。「どうしよう?」「どうにかするしかないであります」 クロノは『組合』の社屋を眺め、「……こっちにいれば良いんだけど」「そうでありますね」 リザードマンの再雇用先を確保するために『組合』に向かった。※ 『組合』……この世界初となる株式会社の正式名称は『シナー貿易組合』である。 『組合』と名乗っているからにはそれを治める立場の人間は『組合長』になるのだろう。 クロノが社屋の三階にある組合長室に入ると、エレインは海を眺めていた。「そろそろ、来る頃だと思ってたわ」「そりゃ、どうも」 エレインは振り向くと、艶然と微笑んだ。 露出度の高さは相変わらずだが、血色が良くなっているような気がした。「早速なんだけど、リザードマンとミノタウルス達を雇ってくれない?」「久しぶりにあったのに仕事の話?」 エレインは頭痛を堪えるように人差し指でこめかみを押さえた。「久しぶりにあったからこそ、仕事の話をするべきだと思うんだけど?」「それもそうね。簡単な報告になるけれど、組合の運営は順調よ。元職人の囲い込みは上手くいったし、協力者のお陰で爺さん連中の嫌がらせも何とか切り抜けられたわ。後は商品が無事に届くことを祈るばかり」 そんな説明をされても、クロノは状況がさっぱりわからない。「商品を安く買って、高値で売りつけるんじゃないんだ」「そう単純じゃないのよ」 そんなものか、とクロノは思う。 まあ、確かにあっちの世界で大手メーカーと呼ばれる会社は自社工場を持っていたから、こっちの世界では職人を囲い込むという発想になるのだろう。「で、どう?」「……そうね。まだ、私は利益を出していない訳だし、ここで恩を売る意味で雇うべきじゃないかと考えているわ」 ド直球だな、とクロノは苦笑する。 冗長な駆け引きよりも貸し一つと明言される方がやりやすい。 だが、気になることもある。 港が完成しているのに、『組合』の社屋に荷役夫が一人もいないのだ。 恐らく、エレインは最初からリザードマン達を雇うつもりだったのだろう。 ただ、普通に雇っても貸しは作れない。 ここからは推測になるが……エレインはクロノに貸しを作るためにリザードマン達を焚きつけたのではないだろうか。「貸し一つだね」「そうね。恩に着てくれると嬉しいわ」 冗長でなくても駆け引きは駆け引きなんだよな、と右目を撫でる。 今までクロノがやっていたような利益を提示する駆け引きではなく、自分の手札を最も効果的に運用するための駆け引きだ。「これからのことについて話し合いましょ?」 エレインが目配せした方を見ると、隣の部屋にベッドがあった。「何処まで演技なのか分からないけど、ベッドで重要な話をしたくないなぁ」「あら、残念」 エレインからはマイラと似た『匂い』がするのだ。 欲望を満たすために悪人になりきれる……悪女とか、魔性の女と呼ばれる類の人間である。「じゃ、下に移動しましょ」 エレインに先導され、一階に移動する。 マイルズの店に比べると手狭だが、会員制の高級クラブを彷彿とさせる。 行ったことないけどね、とクロノは心の中で付け足し、誰もいない店の一番、奥の席に座った。「リザードマンは五十人、ミノタウルスは何人雇えば良いのかしら?」「十人くらいかな?」「あら、それだけなの?」 クロノが言うと、エレインは驚いたように目を見開いた。 ミノタウルスは二百人くらいいるが、純粋な労働力は五十人くらいだ。 そして、四十人にはやって欲しいことがある。「昏き森を見た?」「ええ、見事に木が切り倒されてたわね」 シルバの報告によれば港を造るのに使った丸太は三千本、使用に適した木ばかりではなく、スムーズに運搬するために切り倒すこともあったので、実際に切り倒した本数はそれ以上だ。 本当に大雑把な計算だが、二百メートル四方の木を伐採している。「土地をほったらかしにする訳にもいかないし、開拓しちゃおうかと思って」「で、開拓が軌道に乗るまで塩も造らせる訳ね」「まあ、そんな感じ」 二百メートル四方の畑を管理するのは二十人も人手がいるそうなので、もう二百メートルほど森を切り開いて開拓は一段落になるだろう。 ちなみに情報ソースはシオンだ。 一人で約三十メートル四方しか土地を管理できないのか、と落胆してしまうのはクロノが機械化された農業を知っているからだ。「リザードマンに農業をさせない理由はあるの?」「変温動物だからね。冬場でも温めた石を布でくるんで、身に付けさせれば普通に動けるんだけど」 クロノは行軍の様子を思い出しながら答える。「だけど?」「石を交換しなきゃならないし、冬場の農業には向いてないと思うんだよね」「つまり、防寒具も用意しなくちゃいけないのね」「職場環境を整えるのは組合長の義務でしょ?」 エレインは溜息混じりに言ったが、クロノは平然と返した。「それもそうね」 否定されると思ったが、エレインは自然に頷いた。「何、その目は?」「意外だな、と思って」 フゥと小さく息を吐き、エレインは優雅に足を組んだ。 ドレスの丈は短いのに見えそうで見えない。 ふと視線を感じて隣を見ると、フェイが何かを言いたそうにクロノを見つめていた。「いや、これは男の本能みたいなものだから」「何も言っていないでありますよ?」 フェイが不思議そうに首を傾げると、エレインはクスクスと忍び笑いを漏らした。「みんな、自分は悪くないって言うのよね」「深いでありますね」「女性同士で通じ合ってる!」 二人とも仲が悪いんじゃなかったの! とクロノは心の中で絶叫する。「で、うちの娼婦の相場の話だったかしら? ランクにもよるけど、一晩連れ回すなら金貨一枚よ。もちろん、飲食についてはそっち持ち」「何気に高い」「うちは高級娼館なの。教養のある娼婦と駆け引きや疑似恋愛を楽しむ場所よ。場末の娼館とは格が違うわ」 エレインは誇らしげに胸を張り、クロノの気持ちを察したのか、シニカルな笑みを浮かべた。「言いたいことは分かるつもりだけど、格って大事なのよ。ただの娼婦が上客を掴むのは難しいけど、お店そのものの格が高ければ客層もそれに準じるじゃない? だから、うちは他と差別化を図って、上客を掴みやすい環境を整えているの」「……なるほど」 付加価値、つまり、ブランド化したということなのだろう。 善意ではない。 善意ではないが、ブランド化……教養のある娼婦という付加価値はエレインが苦労して発見した効率的な稼ぎ方のはずだ。 確かに組織的にやれば利益は大きくなるだろうが、独立でもされたらノウハウが流出してしまう。 いや、そもそも、組織的にやる必要があるのか? とクロノは根本的な疑問に突き当たる。 教養は力だ。 教養を身に付けた娼婦は気づくだろう、自分が搾取される側の人間であることに。 だったら、効率が落ちても娼婦を無知なままでいさせた方が良い。 だから、それは善意ではないのか? 他人を思いやる気持ちがあるからではないか? とクロノは思ってしまう。 エレインは髪を掻き上げ、「それだけが理由じゃないけど、これでも、職場環境や雇用条件の大切さは分かっているつもり」「……」 クロノは答えなかった。 今、仲間意識を持つのは危険なような気がしたのだ。※『クロノ様、フェイ様、どうぞ』(ぷも)「申し訳ないね」「申し訳ないであります」 そこら辺に転がっていた丸太に腰を下ろしたまま、クロノとフェイはアリアからスープを受け取った。 魚のぶつ切りが入ったスープはやけにしょっぱい。 暑い場所で働いたり、多量の汗を掻く職業に従事する人は塩の錠剤を飲むと聞いた覚えがあるから、このスープはリザードマンやミノタウルス向けなのだろう。「魚は自分達で捕ったの?」『いえ、リザードマン達が』(ぷも~) 海の方を見ると、リザードマン達が岸壁の近くで日向ぼっこをしていた。「塩味が効いているでありますね」『あ、はい! シルバさんのお陰で塩を節約しなくて済みますから』(ぷも~) 目を凝らして見ると、港から離れた場所でミノタウルス達がシルバ式立体塩田で働いていた。 ちなみにシルバ式立体塩田の普及率は一……つまり、ここでしか使われていない。 クロノが不在だったことも普及率の低さに繋がっているのだろうが、発想が新しすぎるのも理由の一つだろう。『冬場、リザードマンは潜れないので、魚の塩漬けも作っているんですよ? 宜しければ……あ、申し訳ありません』(ぷもぷも) クロノが貴族であることを思い出したのか、アリアは申し訳なさそうに頭を垂れた。「塩漬けか。悪いんだけど、一樽貰えないかな?」『は、はい!』(ぷも~) アリアは嬉しそうに瞳を輝かせた。「みんな、色々と考えてるんだね」 正直、魚の塩漬けを作っているとは想像もしていなかった。「……今から耕せば冬麦の収穫に間に合うだろうし、やることも色々ありそうだね」『畑ですか?』(ぷも?) クロノが昏き森を見ると、アリアも同じ方向を見る。「ミノさんと約束したんだよ。明日は今日よりも良い日かも知れない。そんな期待を抱けるようにするって」 副官を通じて根回しはしていたのだが、どうやら、アリアの所まで話は伝わっていなかったらしい。 クロノが単に信用されていないのか、話が頓挫した時に落胆させてしまうから、アリア達に黙っていたのか、少し判断に迷う所である。「本格的な畑仕事は初めてだろうから、可能な限り援助するし」 クロノが言うと、アリアは感極まったように瞳を潤ませた。 トカトントンと軽快な音が響いたのはアリアが何かを言おうと口を開いた瞬間だった。 音は港の方から聞こえる。 クロノは残っていたスープを一気に飲み干すと、港へと向かった。 階段の最上段……何から大きな釣り竿のような物が見えた。 階段を駆け下り、全体を把握し、クロノはそれの正体に気づいた。「おおっ、クロノ様!」「ゴルディ!」 クロノはそれを見る。 各所を金属で補強されたそれの根本には金属製の歯車を組み合わせて作ったリールらしき物があった。 しかも、ストッパーまで付属している。「もしかして、クレーンを造ったの?」「クロノ様は博識ですな。弟のシルバに荷下ろしを効率的に進めるためにクレーンを造って欲しいと頼まれ、試作品を設置している所ですぞ」 車輪があるので、このクレーンは移動式のようだ。 多分、先端から吊したフックで荷物を引っ掛け、取っ手を回して持ち上げるのだろう。 その後は台座を回転させ、取っ手を回して荷物を下ろすという寸法だ。「そう言えばシルバは?」「シルバは港が完成すると同時に倒れたので、作業小屋に放り込んでありますぞ」 作業小屋? と視線を巡らせると、港の片隅に傾いた小屋があった。 適当に作りましたと言わんばかりの小屋だ。「やっつけ仕事すぎない?」「まあ、ここに住むつもりじゃないから」 答えたのはドワーフの女だった。 ドワーフの男性がそうであるように背は低いが、横幅は比べものにならないくらいに細い。「ひょっとして、忘れちゃった?」「……ポーラだっけ?」 しばらく間を開けてからクロノが言うと、ポーラは安堵したように胸を撫で下ろした。「良かった。忘れられたんじゃ、この仕事に志願した意味がないもんね」「クロノ様に口が過ぎますぞ」 は~い、とポーラは適当な感じで返事をした。 適当な話題はないかな? とクロノが考えていると、シルバが作業小屋から飛び出した。 シルバは猛烈なダッシュ……と錯覚してしまったが、疲労困憊で息も絶え絶え、気迫ばかりが先行する、そんな走りぶりで……クロノに駆け寄った。「見てくれ、この港を!」「十分すぎるほど見たよ。お疲れ様、シルバ」 う~ん、ここまで身を粉にして働いてくれたシルバやポーラに一言だけじゃ足りないよな。 だからと言って、金一封は安すぎるしな、とクロノはシルバを見つめた。「何かして欲しいことってない?」「俺は……これからも建築家として仕事をさせてくれればそれで十分だ」 欲がないと言うか、 仕事中毒 ( ワーカーホリック ) としか言いようのない台詞だ。「シルバさんの夢は歴史に名を残す建物を造ることであります」「そうだ。俺は歴史に名を残す建物を造りたい。俺というドワーフの建築家が存在した証を残したいんだ」 フェイの言葉にシルバが続く。「じゃあ、ここをシルバ港と名付けようか。港街になったらシルバニアとか、そんな感じで」「……っ!」 シルバは驚いたようにクロノを見上げた。「いや、夢が叶ったからって燃え尽きられちゃ困るんだけどね」「も、もちろんだ。これが俺の建築家としての第一歩だ!」 天高く拳を突き上げ、シルバはそのまま仰向けにぶっ倒れた。 我が生涯に一片の悔いなしとか、そんな感じの満ち足りた表情だった。「ポーラは?」「え、あたしっ? う~ん、困っちゃうな。そりゃあ、将来は工房を建てたいと思ってたけど、それだと要求が高すぎるし、仲間から突き上げくらっちゃいそうだし」 ポーラは腕を組んで唸った。「そうだ! ご褒美はあたしだけじゃなくてドワーフ全体ってことで! 月に一度くらいの割合で品評会を開いて……あ、ダメか。ドワーフだけじゃなくて、誰でも自由に参加できる品評会を開いて、クロノ様にとって価値があると思ったら」 お金、とポーラは遠慮がちに呟いた。 開けっぴろげな性格のようだが、お金を要求するのは抵抗があるらしい。「まあ、それなら大丈夫かな? そんな簡単に工房を建てられる訳じゃないから、予算を組む感じで」「それで十分!」 輸入だけじゃなくて輸出もしなきゃね、とクロノはガッツポーズを取るポーラを見ながら考えた。 船が到着したのは八日後のことだった。※ 意外に横幅があるんだな、とクロノは『組合』の船から荷が下ろされる様子を見学しながら、そんな感想を抱いた。 あっちの世界で見た漫画に出てきた船のマストは何本だっただろうか? と記憶を漁りつつ、船体の中央と船首から突き出したマストを交互に眺める。「船首に帆は……いや、でも、あれは漫画だし、そもそも、比較するだけの知識がないしな」「どう、『組合』の船は?」「ちょっと、不格好」 クロノが正直な感想を漏らすと、エレインは頬を引き攣らせた。「中古だけど、金貨七百枚もするのよ?」「それは分かるけど、一隻だけ?」 丈夫な網で甲板に運び出された箱や樽を纏め、クレーンで岸壁へ移動させる。 クレーンの操作するのは筋骨隆々としたミノタウルスである。 指示されていたのか、リザードマン達は荷を『組合』の倉庫へと運ぶ。 その後はハシェルにある『組合』の店に運ぶ手はずになっているらしい。「職人は囲い込んだし、船員はベテランを揃えたけど、それ以外は私も含めて素人ばかりだもの。荷を積むのも手探りの状態なのよ。貴方だって、最初から何もかも上手くできた訳じゃないでしょ?」「今だって上手くできてないよ」 少し文句が多かったかな、とクロノは反省する。「……そう言えば通行税の話をしてなかったわよね?」「通行税は取ってないかな」 エレインが擦り寄って……胸を押しつけてきたので、クロノは後退りながら答えた。「あら、通行税を廃止した話は本当だったのね」「知ってて聞いたの?」「もちろんよ」 クロノから離れると、エレインは自慢げに胸を張った。「僕が領主になった時に訳の分からない税金は廃止したよ」「それを気持ち一つで覆せるのが領主というものでしょう?」 これが貴族に対する一般的な認識なのかな? とクロノは少なからずうんざりした気分でエレインを見つめた。「そりゃあ、領地の産業を保護するためになら通行税を掛けるけど、道を通るたびに税金を取ってたら、巡り巡って領地が衰退するからね」「自分のため?」「合理的な判断は優しさに似るらしいよ。まあ、何もかも合理的に考えてる訳じゃないけど」 合理的な判断をしなかったから得たものもあるしね、とクロノは右目を撫でた。「そろそろ、帰るよ」「ゆっくりしていけば良いじゃない?」「明日は予定があるんだよ」 港の使用に関してハシェルの商人達と会わなければならないのだ。 もっとも、それを知っているからこそエレインはゆっくりしていけと言っているのだろうが。※ 翌日、ハシェルの商業区にある『シナー貿易組合』二号店は多くの買い物客で賑わっていた。 シルバ港にある一号店と違い、二号店はエラキス侯爵領から撤退した商会の支店を改装した物だ。 立地は良いとは言えないし、建物も古びた感があるのだが、客足は途絶えない。 クロノは普段着……最近は軍服を着ている時間の方が長いのだが……で店内を視察する。「むむ、安いでありますね」「フェイの普段着って凄く新鮮」 普段、フェイは軍服を着ているのだが、今日はレースで装飾が施されたブラウスとぴっちりしたズボンという服装だ。 腰に剣帯を付けている点がフェイらしいと言えばフェイらしい。「しかし、いざ買うとなると、尻込みする金額でありますね」「まあ、他の店に比べればみたいなレベルだからね」 去年、ピクス商会で購入したレイラの服は金貨五枚……『シナー貿易組合』で扱っている服の価格は他の商館に比べて二割以上安い。 多分、他の領地を経由していないからだろう。 例えば一つ領地を経由するのに商品の価格を基準として五パーセントの税が掛かるとする。 そうすると、五つ領地を経由するだけで商品の価格の二十五パーセントが消えてしまうのだ。 当然、商人は徴収された税金分を商品価格に反映させるので、たたでさえ高い商品価格が更に高くなるのである。「商品の価格が書かれているのが親切でありますね。それに商品の並べ方が……新しいであります。」「そう?」 フェイは店内を見渡し、適当な言葉が見つからなかったのか、沈黙した後で言った。「この、板金鎧のように服を飾っている所が新しいであります!」「ああ、マネキンね」 クロノにとっては珍しくもないのだが、マネキン……木製の人形に服を着せるというのは珍しいようだ。 そう感じているのはフェイだけではないらしく、客は立ち止まり、興味深そうにマネキンを見つめている。 そこへ三十代後半から四十代の女性店員が客に声を掛ける。 声掛けは積極的に、提案は控えめにというスタンスらしい。「……あっちの方が安そうであります」 フェイは何処となく気落ちした様子で棚の方に向かった。「むむむ、安いであります!」「金貨一枚と銀貨十枚か」 フェイは飾り気のないチュニックを手に取りながら言った。 他の領地を経由していないと言っても安すぎるような気がする。「……悪いこととかしてないよね」「してないわよ」 クロノが反射的にとなりを見ると、エレインが憮然とした表情で立っていた。 昨日と違い、かなり露出度は低い。 ヘアスタイルはひっつめ髪で、これでタイトスカートでも履いていたら地味なOLで通用しそうだ。「安さの理由は?」「貴方が工房でやっていることをマネしただけ」 一瞬、ゴルディの姿が脳裏を過ぎった。「念のために言っておくけど、紙を作ってる方よ。職人を囲い込む時に徒弟段階で放り出された子がいることに気づいて……ピンと来たのよ」「服作りにライン作業を取り込んだんだ」 職人としての修行を中断していたとしても服の作り方を把握しているのであれば慣れるのも早いだろう。「複雑な装飾はできないし、他の職人との兼ね合いもあるから、させられないけど、将来はこっちがメインになるかも知れないわね」「う~ん、どうだろう?」 機械化された紡績機やミシンがあれば大量生産も可能だろうけど、とクロノは心の中で付け加えた。「何もかも手探り状態だけど、最先端を突っ走っている感じが堪らないわ」「……」 手を出さなくて良かった、とクロノはエレインの表情を見ながら胸を撫で下ろした。※ みんな、顔が青ざめてるな、とクロノはピクス商会のニコラの顔を見つめ、そんな感想を抱いた。 『シナー貿易組合』の商品価格を見れば青ざめても仕方ないけど、港の使用許可について指示を出さずに領地を空けたのも拙かったかな、とクロノは執務室のソファーに体重を預ける。「……クロノ様、港の使用についてですが」「それなんだけど」 クロノは深々と溜息を吐いた。 港を造ったものの、どれくらいの金額に使用料を設定すれば良いのか分からない。 去年、奴隷商人達は税金を金貨千枚納めている。 売り上げの一割を税金として徴収しているのだが、これを基準にしたら港の使用料を免除されているエレインが一人勝ちしそうな気がする。 今になって港の使用料に気づくなんて、話の煮詰め方が甘かったよな。 おまけに言質まで取られてるし……いや、でも、利益の三割は株主である僕の物になる訳だし、リザードマンやミノタウルスも雇って貰うんだから一人勝ちはないか、とクロノは後悔し、すぐに考えを改める。「他の領地だと、港の使用料って幾ら?」「……」 ニコラの顔が目に見えて引き攣る。 既に他の商人から話を聞いているので、相場の見当は付いているのだが。 真実を語るべきか、嘘を吐くべきか悩んでいるのだろう。「場所にもよりますが、平均して船に積んでいる商品の二パーセントくらいだと」「やっぱり、船ごとなんだ」 月ごとの使用料が落とし所かな? とクロノは商人達の反応を思い出す。「一ヶ月、金貨二百枚でどうかな? 港と倉庫を建てる土地の使用料を合わせて……土地の面積は『シナー貿易組合』と同じで」 ニコラは安堵したように胸を撫で下ろした。「……しかし、金貨二百枚は逆に破格なのではありませんか?」「まあ、その辺は一年契約にするということで」 悪くないんじゃないかな、とクロノは思った。※「クロノ様、どうでしょうか?」「もう少し強めでお願い」 はい、とレイラは返事をしてクロノの腰を親指で押す。 指圧されている内に全身がポカポカしてきて目を閉じそうになる。「……街道の警備は慣れた?」「はい」 こっちの世界に来てから四年以上経過しているのに乗馬のスキルが向上しないクロノと違い、弓騎兵に選抜された八人は騎射術まで身に付けている。 その中でもレイラは飛び抜けて上達が早い。 デネブとアリデッドは……特にアリデッドは誤字脱字が目立つのだが、去年まで文盲だったことを思えば凄い進歩だ。 副官も実体験と知識が結びつくようになってから、工夫を凝らすようになっている。「クロノ様、港の方はどうですか?」「ん~、順調……港の使用料についても一ヶ月金貨二百枚で納得して貰えたから。他の領地を通るたびに通行税を取られるより金貨二百枚支払った方がお得だと判断したんだろうね」 港を使用する商会は五つ、一ヶ月で金貨千枚、一年で金貨一万二千枚……これだけで去年の税収の二割に匹敵する。「公共事業をやって、学校を作って、『黄土神殿』の寄付金を増やして開拓して、馬を買って騎兵と弓騎兵を充実させて……ああ、夢が広がるな」「……そのことですが」 レイラが手を休める。「商会が港を使って荷を運ぶようになったら、今まで中継地点として利用されていた領地の税収は減るのではないでしょうか?」「ああ、そうだね」 何しろ、通行税を取れなくなるのだ。 取れないばかりか、そこを経由して商売をする旨味がないと商人達が判断したら、あっと言う間に衰退するだろう。「それだけではなく、船を持っていない行商人は大きなハンディを負うことになると思うのですが」「いや、それは……どうしよう?」「あ、いえ、ただの思いつきですから。それに……ギルドだったでしょうか? 行商人同士で団結すれば商会と同じことが出来るはずなので、クロノ様が気に病む必要は」 う~ん、レイラって頭が良いんだな、とクロノは改めて彼女の凄さを思い知る。「気づいてない可能性もあるから、明日、マイルズの所で確認するよ」「本当のことを言うでしょうか?」 マイルズは基本的にエレイン側の人間である。 そんな彼がエレインの不利益になる情報を漏らすはずがない、とレイラは考えているのだろう。「エレインさんの不利益になるから、嘘は吐かないんじゃないかな? 行商人同士でギルドを作れば、みたいな情報は流したがらないだろうけど……最悪、こっそりと商品の輸送を代行する新会社を設立するし」「言葉にするのは難しいのですが、クロノ様は凄いです」「誉めすぎだよ」 と謙遜しつつ、クロノは相好を崩した。 あくまで自分は一石を投じただけで、そこから先はそれぞれの力だ。 そう思うけれど、やっぱり誉められると嬉しいのだ。