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第X話:TALK & TALK

クロの戦記 異世界転移した僕が最強なのはベッドの上だけのようです — novelup.plus · All chapters

第X話:TALK & TALK

【女将】 こ、このエロガキ! と女将……シェーラ・エクロンは心の中で罵倒し、クロノを睨んだ。 小憎たらしいガキである。 ベッドで浮かべる嗜虐的な笑みが小憎たらしい。 無駄な性欲と体力が小憎たらしい。 後始末をしている間に眠っている所が……、「……ふぅ」 シェーラは小さく溜息を吐いた。 あどけない寝顔を見ていると、先程までクロノに抱いていた怒りが薄れ、口元が緩んでしまう。 あたしは怒ってるんだよ、とシェーラは口元を引き締めたが、それも長く保たない。「……参ったね、こりゃ」 シェーラはクロノを起こさないように小さく呟いた。 最初にクロノを誘惑したのも、同僚を殺して落ち込んでいるクロノを慰めてやろうと思ったのも自分なので、何を今更と思う。 だが、冷静になって考えてみると、今の状況は非常にマズい。 今も死んだ夫を愛しているのにクロノと肉体関係にあることも、そのクロノと十歳以上も年齢差があることも、妹のカナンが 嫁 ( い ) き遅れていることもマズい。 その一方で満更でもないと感じている自分もいる。 まあ、本気で嫌だったら、こんな関係をズルズルと一年以上も続けていないのだが。 だからこそ、参ってしまう。 いっそのこと、クロノから別れ話を切り出してくれれば踏ん切りも付くのだが、そういう兆候は見られない。「こっちが悩んでるってのに、幸せそうな寝顔をしちゃって。こんなオバちゃんの何処が良いんだかね」 やっぱ、胸かね? とシェーラは左右から胸を寄せて谷間を作った。 ツンと汗以外の臭いが鼻腔を刺激する。 ぬるりとした感触が残っているような気がする。 布で拭いたのだが、拭き方が足りなかったらしい。 あたしか、ティリア皇女にしかできないワザだね、とシェーラは苦笑い。 クロノの愛人の中で自分の胸が一番大きい。 次に大きいのはティリア皇女、三番目以降は大差……文字通り、大きな差はない。 単純な大きさではシェーラがティリア皇女に勝っているが、総合的に判断すればティリア皇女が一番だろう。 大きさこそシェーラに及ばないものの、ティリア皇女の胸はかなりのボリュームだ。 歩数に喩えれば半歩、その半歩を腰の細さが覆す。 ティリア皇女の腰は細い。 それがティリア皇女の胸や尻の大きさを実物よりも大きく見せる。 若い頃ならば対抗できたのだが、今のシェーラの胸や尻は張りがあるとは言えず、腰回りにも肉が付いてきた。 まあ、同世代に比べればプロポーションを維持しているし、若々しさを保っていると思うのだが。 若い娘と比べられちまうとね、とシェーラは体を傾けた。 マイラという例外を除けばシェーラに次いで年齢が高いのはフェイである。 フェイは胸はそれほど大きくない。 むしろ、慎ましい部類に属するだろう。 だが、フェイの魅力は鍛え上げられた体にある。 そこには性を感じさせない、美術品めいた美しさがある。 デネブとアリデッドは胸の大きさで言えばフェイに勝る。 あの突き抜けた陽気さはマネできないし、クロノを交えて三人でするとかムリだ。 六番目、デネブとアリデッドを一組と考えれば胸の大きさで五番に位置するのがレイラだ。 クロノが兵士の食糧事情を改善させたことにより、出会った時よりもレイラの体は女性的な丸みを帯びている。 出会った時のレイラは明らかに栄養が足りていない感じだったので、その変化は『健康的になった』で収まる範囲だ。 リオ・ケイロン伯爵は判断が難しい。 飄々として捉え所がない。 クロノとは親友のようにも見えるし、拙い駆け引きを愉しんでいる恋人同士のようにも見える。 エレナはクロノの愛人の中で最年少だ。 スーは自称『嫁』で、肉体関係はないようなので……それまで暫定的にエレナが最年少だ。 エレナはシェーラに次いでクロノと長い付き合いだ。 胸は性格と真逆で慎ましく、体つきも華奢だ。 特に体を動かしている訳でもないのにエレナは太らないのだ。 そんな彼女はちょっとばかり特殊な性癖をしているようで……表面上は嫌がっているが、イジメられるのが好きらしい。 シェーラは改めてクロノを見つめ、苦り切った笑みを浮かべた。「あの頃は可愛かったんだけど……どうして、こんなになっちまったんだか?」「女将の教育が良かったんじゃない?」 視線を傾けると、クロノと目があった。「人聞きの悪いことを言うんじゃないよ! さっさと寝ちまいな!」「は~い」 シェーラが横になると、クロノはもぞもぞと擦り寄ってきた。「ったく、こんなオバちゃんの何処が良いんだか」「胸も大きいし、女将は綺麗だよ」 それに、とクロノは邪悪な笑みを浮かべた。「僕の色に染め直してあげる、って言ったじゃない」「ずっと、そんなことを考えてたのかい?」 驚きの余り、シェーラは声を裏返らせた。「言っておくけど、あたしは死んだ旦那を愛してるんだ。どんなに頑張っても、アンタは一番になれやしないんだよ」「二番でも構わないよ。それはそれでありだと思うし、目標があった方が頑張れるよね」 こ、このクソガキ……! とシェーラは心の中で罵倒した。【ティリア】 ふと何かが動く気配でティリアは目を覚ました。 いや、意識の大半は夢の世界……要するに寝ぼけた状態である。 グイグイと羽布団を引かれ、ティリアは反射的に抵抗する。 しかし、抗いきれずに羽布団の冷たい部分……多分、羽布団が片側に大きく偏ってベッドからはみ出していたのだろう……がティリアの肌に触れる。 意識が半ばまで現実に引き戻される。 薄く目を開けると、クロノがティリアに手を伸ばす所だった。 クロノはティリアの髪を意外なほど優しく撫でる。「……本当に太陽みたいだったよ」 クロノの声は優しかった。 あまり聞いたことのない声音だ。 自分に原因があるのか、それとも、クロノに原因があるのか、クロノはティリアに優しげな声音で話し掛けてくれないのだ。 友達だった頃からティリアとクロノの関係は変わっていないような気がする。 そういう所に救われている部分もあるし、ちょっとだけ不満に思う部分もある。 それにしても、とティリアは笑みを浮かべた。 太陽とは素晴らしい表現だ。 過去形なのが気に入らないが。「今は、どうなんだ?」 ティリアが嬉しさ半分、気恥ずかしさ半分で問い掛けると、クロノは戸惑うように沈黙した。「ホントに太陽みたいでした」「どうして、投げやりな感じなんだ!」 一気に覚醒し、ティリアは勢いよく体を起こした。「……っ!」 あまりの寒さにティリアはすぐに布団に潜り込み、クロノを睨み付けた。「微妙な差から今の気持ちを察して頂ければ幸いです」「悪意以外の何を感じろと言うんだ、お前は」 クロノはこういうヤツなのだ。 ちょっとくらい良い気分にさせてくれてもバチは当たらないだろうに。「で、今はどうなんだ?」「ん? ああ、太陽の喩えね。軍学校時代はティリアのことを完璧超人だと思っていたけど……」 そこでクロノは言葉を句切った。「鬱陶しいくらいムキになるし、すぐに怒るし、我が侭だし」「く、クロノ、私にも良い所はあるぞ、沢山だ」 ティリアはクロノの言葉を遮った。「ほ、ほら、私は学もあるし、腕っ節はかなりのものだし、神威術も使えるぞ」「学があるのは分かるんだけど、何気に負けてるイメージが」「い、いや、エリル・サルドメリク子爵には勝ったぞ、完勝だ」 え~、とクロノは不満げに言った。 まあ、クロノの言う通り負けてるのだ。 リオ・ケイロン伯爵には二度目の敗北を喫し、クロノにも敗北した。「わ、私は身持ちが堅いぞ?」「ティリアに押し倒された記憶があるんだけど?」 ティリアは言葉に詰まった。 どちらかと言えば指摘されたくない過去だ。「……驚いたよ」「その疲れたような声音が私にはショックだ」 確かに押し倒してクロノに乗った。 思う存分、蹂躙した。 か、可愛いぞ、クロノ、と張り切った。 一時的な勝利を収め、後の、後々の……今に至るまでの勝利を手放した。「で、他には?」「……む、胸」 ティリアは呻いた。「そ、そう、胸だ。私の胸はかなりの大きさだと思うぞ。実に立派なものだと自負している」 捲し立てた後で、ティリアは枕に顔を埋めて呻いた。「い、今のは無しだ!」「どれ?」 枕から顔を話して叫ぶと、クロノはティリアの胸を掴んだ。 正に、鷲掴みだ。「ぎゃあああっ!」 ティリアの体が神威術『神衣』と『活性』の白い光に包まれると同時にクロノは『刻印術』を起動させた。 集中力を欠いて神威術の威力が低下しているのか、『刻印術』の性能が上なのか、意外にも勝負は拮抗した。 それも序盤だけだ。 先に根を上げたのはクロノだった。「ご、ごめん、ストップ! ストップ! 刻印術が切れる! う、腕がもげる!」「それはマズいな」 マズいが、ティリアも神威術を簡単に解く訳にはいかないのだ。 『刻印術』によって底上げされたクロノの握力に耐えなければならないのだから。 ティリアはクロノの体を彩る刻印の明滅に合わせて『活性』の強度を落とした。 こればかりは経験がものを言う。 わずかな力比べで力を使い果たしたのか、ぐったりとクロノはベッドに横たわっていた。「お前の『刻印術』は実戦で使えないな」「ここぞと言う時に使えれば、何とか実戦でも」「実力差がある相手には使えないと思うぞ?」 それだけじゃないんだろうな、とティリアは思う。 この前の負け方が負け方だけに実力を隠しているんじゃないかと勘繰ってしまう。「う~、もう寝るよ」 クロノは欠伸を噛み殺しながら言った。「そろそろ寝ないと、明日に響くよ」「そ、そうだな」 ティリアは横臥状態で目を閉じた。「……太陽の喩えなんだけど、言葉遊びみたいなもので」「寝るんじゃなかったのか?」「太陽って手が届かないでしょ。直視すると、目を痛めるしさ。分不相応に近づくと、地面に落ちる。僕にとってティリアはそういう存在で……」 最後の比喩はよく分からないが、軍学校時代の自分はクロノにとって近寄り難い存在であったようだ。「今は、手が届く感じ」 クロノはティリアの髪を摘み、ゆっくりと手を離した。【フェイ・ムリファイン】 不意に体が軽くなる。 耳元をくすぐるような吐息と背中で感じていた体温が離れ、ほんの少しだけ寂しさを覚える。 ほんの少しである。 満足感や達成感もあるが、それらの感情も全体としては少しに分類されるだろう。 現在、フェイの心を支配する感情とは……、 よ、ようやく終わったであります。 安堵だった。 フェイは枕にしがみついたまま、盛大に安堵の息を吐いた。 今晩はこれで終了、そのはず、終わってくれると嬉しいであります! とフェイは突き出していた尻を下げた。 フェイの体力はクロノを上回っている。 数え切れないほど剣術の訓練に付き合っているのだから、それくらいは見極められる。 だが、剣術と夜伽は勝手が違う。 夜伽はフェイを著しく消耗させる。 それは主に精神面の消耗なのだが、心の働きは肉体にまで作用するらしく夜伽が終わる頃には消耗しきっている。 ここで重要なのはクロノがフェイほど消耗していない点である。 消耗度合いを数値で表すことはできないが、ベッドという特殊な戦場においてクロノとフェイの体力差……彼我の兵力差は逆転するのだ。 著しく消耗する理由は分かっている。 とにかく恥ずかしいのだ。 裸を見られるのが恥ずかしい。 顔を見られるのが恥ずかしい。 恥ずかしくてクロノの顔も見られないという有様だ。 この問題に正面から向き合い、フェイは一つの解決策を見出した。 目を閉じ、手で顔を覆うのだ。 素晴らしい発想であります! とフェイは拳を握り締めたのだが、全く解決策になっていないことにすぐ気づいた。 目を閉じても、自分が見られていることに変わりないからだ。 むしろ、目を閉じることで想像力が刺激される。 フェイがクロノに背を向けて丸くなる。「フェイ、フェイさ~ん?」「だ、ダメであります」 クロノは息を吐き、後ろからフェイを抱き締める。 首筋がチリチリする。「そろそろ、向かい合って寝たいなぁ」「だ、ダメであります」 フェイは羽布団の隙間から漏れる匂いに顔を覆い、首を小さく横に振った。「お、押しつけないで欲しいでありますよ」「……」 クロノは無言だった。 フェイ・ムリファインの夜はもう少し長く続きそうだった。【デネブ&アリデッド】 どれくらい眠っていたのだろうか。 それほど長くないようにも、そこそこ長く眠っていたようにも感じられる。 デネブは体を起こし、周囲を見渡した。 エルフであるデネブは夜目が利く。 デネブの目に映るのは青く澄んだ世界だ。 戦争の時、クロノの手を引いて歩いた時もデネブの目は青い世界を捉えていた。 同じ世界に立っている。 同じ空気を吸っている。 けれど、同じ世界に立っていない。 この青く澄んだ世界をデネブとクロノは共有できない。 デネブはエルフで、クロノは人間だからだ。 エルフのデネブが天寿を全うするよりも早く、人間のクロノは死んでしまうだろう。 それは凄く怖い想像だ。 生物は死ぬ。 病気で、事故で、飢餓で、戦争で、あっさりと死ぬ。 死んで土に還る。 誰もが永遠ではいられない。 ほんの少し前まで意識さえしていなかったのに、そんな当たり前のことが怖くて堪らない。 ふと横を見ると、クロノがアリデッドに抱きつかれて眠っていた。 うん、寝苦しそうだ。 二人一緒って約束だけど、一度くらいは一人でクロノ様と寝てみたいし、とデネブは横になり、そっとクロノに抱きついた。「 何 ( あに ) ?」「そっちこそ」 顔を上げると、アリデッドが不機嫌そうにデネブを睨んだ。「あたしは目が覚めただけだし」「あたしだって、そうだし」 デネブとアリデッドはクロノの陰に隠れるように横になった。「……悩み事でもあるワケ?」「エルフは人間よりも長生きだって、そんだけ。アリ……姉ちゃんは怖くないの?」「ん~、いずれはクロノ様も枯れちゃうんだろうと思うくらい。あたしらも人間より長生きできるかも、ってだけで死ぬ時は死ぬし……そんな訳で、あたしはあたしの生きた証を残そうと努力してるみたいな」「でも、アレ」 タイトルが間違ってるじゃん、とデネブは心の中で突っ込んだ。「誤字は修正したし! あたしはクロノ様の存在を後世に伝えるから!」「今度は脱字だし、後世にバカだって名前が残るし」 アリデッドは非番の日に聞き込みまでしてクロノの人生を書き残そうとしている。 もっとも、文章は誤字脱字の嵐で、内容はありのままのクロノを書いてしまっている。「いつか、あたしの本を誰かが発見して……クロノ様の存在に気づくみたいな?」「つか、クロノ様が英雄として名前が残ったりしたらどうすんの?」 今まで読んだ本を見る限り、英雄は美化される。 少なくともデネブは歴史に名を残す英雄が完璧な存在だと信じていない。 歴史に名を残すような活躍をすればクロノだって、レオンハルトばりの超人として描かれるに違いない。 もしかしたら、後世は神格化されているかも知れない。 そんな時にアリデッドの本が発見されたら最悪だ。「それはそれ!」「……数百年後の同胞が心配だし」 エルフは恩を仇で返す、と思われたら最悪だ。「二人とも……早く寝なよ」「「……クロノ様!」」 デネブとアリデッドが声を上げると、クロノは不機嫌そうに目を細めた。「クロノ様、起きてたの?」「あんだけ大声で話してれば起きるよ」 そりゃ、そうだ、とデネブはクロノに擦り寄った。 アリデッドも同じようにクロノに擦り寄っている。「で、クロノ様はどうよ?」「……焚書」「あたしの生きた証は燃やさせないし!」「滑らかな突っ込みは勉強の成果みたいな!」 アリデッドはクロノに抱きつき、「じゃなくて、寿命について」「マンガとか、小説とかで寿命に差がある種族の恋愛はよく見たけど、自分が当事者になるのは初めてだから」 クロノは気怠そうに答えた。「このままの流れに沿って行ける所まで行くしかないと」「ダメなギャンブラーみたいな台詞だし」「つか、誰も孕ませてない時点で超一流みたいな」 一発で当てたら、それはそれで超一流だと思うが。「「クロノ様の赤ちゃん、生んでも?」」「きちんと責任は取ります」 グッとデネブは拳を握り締めた。「でも、今日は打ち止めでござる」「「頑張れば一回分くらい」」「打ち止めでござる」 ブー、ブー、と言いながら、デネブはクロノに抱きついた。【レイラ】 クロノは勤勉である。 朝から夕方まで執務室で書類の処理を行い、街を視察し、夜は夜で書類の処理を行う。 最近はブラッド・ハマル子爵や自由都市国家群の傭兵ギルドの長であるシフと頻繁に会話している。 クロノは次の段階に進みたいらしいのだが、ブラッド・ハマル子爵とシフはもう少し契約内容とクロノの人格を見極める時間が欲しいようだ。 そんな忙しい毎日を送りながら、クロノはスーと『刻印術』の、フェイと剣術の鍛錬を欠かさずに行っている。 ただ、週に一度の休みはダラダラしていることが多い。 クロノの休日に夜伽を務めるのはレイラだ。 夜伽なのでしょうか? とレイラはベッドに寝転び、本のページを捲りながら首を傾げた。 本はクロノの世界の本だ。 書かれている文字は読めないが、精緻極まる絵を見ているだけでも飽きないし、絵を見ながら想像を巡らせるだけでも十分に楽しい。 夜伽のために来たのですが……、とレイラが隣を見ると、クロノが仰向けになっていた。 この分だと夜伽に挑む余力はなさそうである。「クロノ様?」「ん~、質問?」 レイラが呼ぶと、バタンと板が倒れるようにクロノは俯せになる。「お邪魔でしたら、帰りますが?」「邪魔じゃないよ。こうして隣にいてくれると、すごく安心する」 クロノはレイラに擦り寄り、目を細めた。 何とも怠そうな声音だが、しっかりとレイラのお尻を揉んでいる。「癒されますか?」「引き締まったお尻の感触に癒されるよ」 夜伽にも色々あるのだ、とレイラは今更のように痛感する。「クロノ様は……元の世界のことを話されませんね?」「まあ、話す機会がなかったと言うか」 クロノは自分がいた世界の話をしない。 レイラも積極的に尋ねたことはなかったが、こうしてクロノの世界の本を読んでいると、好奇心が刺激される。「正直、どんな風に説明して良いのか分からないんだよね」 なるほど、とレイラは無言で頷いた。 クロノがいた世界と今いる世界……二つの世界には数百年の時差がある。 クロノにとっては当たり前でも、この世界では存在していない概念や発明も数多く存在する。 例えば『千歯扱き』だ。 この道具はクロノの世界では既に廃れている……今でも使っている地域があるかも知れないようなのだが……ため、レイラが尋ねるまでその存在を思い出せなかった。 住む世界だけではなく、住んでいる時代までも違うのだから、どんな風に説明して良いのか分からないのも当然だ。「……それに泣き言になりそうだし」「クロノ様は、帰りたいのですか?」 次の瞬間、レイラは自分の浅はかさを恥じた。 帰りたいに決まっている。「マイラにも同じようなことを言われたよ」 クロノは寂しそうに微笑んだ。「未練はあるかな? 家族のことが心配だしさ。でも、仮に、万が一、奇跡的に帰れることになったとしても、こっちの世界を選ぶよ」「何故、ですか?」 クロノは優しくレイラの耳を撫で、悪戯っ子のような笑みを浮かべてレイラの額にキスをした。「これが答えですか?」「その通り。明日も早いから寝るよ」 その夜、レイラはクロノと向かい合って眠った。【リオ・ケイロン】 ベッドに俯せになり、リオは交互に足を動かす。 今は夜……一日の仕事を終え、食事を終え、湯浴みも終えた。 なのに、クロノは机に向かって仕事中だ。 悪くない気分なのだけどね、とリオは頬杖を突いてクロノの後ろ姿を眺める。 どんな風にクロノが愛してくれるかを想像しながら待つ。 違うか、とリオは苦笑する。 待つことを愉しんでいるのだ。 少なくとも今はリオがクロノを独占している。 やけに耳元がくすぐったい。「……そう言えば」「何だい?」「リオって、いつ帝都に帰るの?」 この野郎、とリオは頬を引き攣らせた。「ボクがいたら、迷惑かい?」「……せめて、ティリアと喧嘩をするのを控えてくれればと思うけど」「それは無理さ」 リオはティリア皇女が嫌いだ。元々、好きではなかったが、クロノという要素が絡むことでより嫌いになった。「……どうしてだろう?」「ティリア皇女が幸せな人間だからさ」 ああ、なるほど。 だから、ボクはティリア皇女が嫌いなのか、とリオは自分の言葉に頷いた。 ティリア皇女は幸せな人間だ。 生まれ持った不幸はなく、才知に恵まれた『女』だ。 少なくともリオのように自分の『性』について悩んだことはないだろう。 ティリア皇女に隙がなければ何もしなかったはずだが、愚かにも彼女は隙を作り、リオの天秤はアルコル宰相の方へと傾いた。 愉快だった。 台無しにしてやったのだ。 不幸にしてやった。 一時とは言え、絶望させてやった。「クロノ、ボクは幸せな人間が嫌いみたいだ。軽蔑したかい?」「……まあ、誰にでもあるんじゃない?」 どうでも良さそうにクロノは言った。 まるで本当に誰にでもあると思っているような口調だ。「クロノ、ボクは真面目な話をしているのだけれど?」「……僕も真面目に答えたよ?」 バン! と仕事終了というように机を叩き、クロノはリオを見つめた。「僕は軍学校で落ち零れた訳だけど……」 うん? とリオはベッドの上に座り、足を組んだ。「落ち零れた身としては上位にいる人間は気に食わないもんだよ。落ち零れてない時でも……あっちの世界の話だけど、さっさと進路を決めた人間を素直に祝福できたかと言えばそうじゃないと断言できるね」 小さい、とリオは素直に思った。 価値観は非凡だが、クロノの人間としての器は凡人レベルだ。「口に出すのはどうかと思うけど、わざわざ確認するなんて、リオって意外に潔癖な所があるんだね」「『意外に』は余計さ」「うん、そうかも」 リオが言うと、クロノはあっさりと前言を翻した。「リオは嗜好が独特なんだと思う。普通はダメな方を避けるのに、リオの場合はダメな方を選ぶ感じ?」 リオは丸裸にされたような居心地の悪さを感じてクロノから視線を背けた。 クロノでなければ鼻で笑うこともできたのだが、そうかも知れないと思わされてしまった。「その理屈だと、ボクがクロノを選んだのはダメな選択だったのかな?」「答えにくい質問だね、それは」 微妙に顔を引き攣らせ、クロノはベッドに上がった。「リオはダメな選択だと思ってる?」「意地悪な質問さ、それは」 リオはクロノの首に手を回す。こういう動作からぎこちなさが抜けたのは良いことなのか、悪いことなのか。「ダメな選択だったかも知れないけれど……不思議と居心地が良いさ」「そりゃあ、良かった」 口付けを交わし、リオはクロノに身を委ねる。「クロノは胸が好きだね。こんな、真っ平らな胸を愛撫して楽しいかい?」「楽しいよ。いつもは飄々としているリオが素直になったり、切羽詰まった感じになったりするのも」 それは、どうなんだろうね、とリオは苦笑した。【エレナ・グラフィアス】 扉を開けると、クロノがベッドで横になっていた。 そりゃあ、こいつの部屋なんだし、とエレナは後ろ手に扉を閉めた。 久しぶりの訪れるクロノの部屋は以前と変わらない印象だった。 端的に言えば質素だ。「……枕を取りに来たわ。つか、アンタ、あたしの部屋に来るの止めたの?」「『開陽回廊』が見抜かれたから」 こいつは、とエレナは拳を握り締めた。 『開陽回廊』は姿を消す魔術だが、エレナは何度もクロノに部屋に忍び込まれた末に対処方法を編み出した。「アンタ、どんだけあたしの嫌がる顔を見たいのよ」「普段、小生意気な態度を取るから、その分の仕返しをしなければならないと」「……あたしが素直になれば優しくしてくれる、ってこと?」「そうかも知れないね」 ふぅ、とエレナは溜息を吐いた。 まあ、こいつとも長い付き合いなのよね。 こいつに命を助けられてる訳だし、復讐に協力をしてくれないけど、こいつのお陰で仕事にもありつけてる訳だし。 うん、ちょっとくらい素直になっても良いわよね。「良いわ。今日から素直になる」「じゃあ、早速」 クロノはベッドの縁にドッカリと腰を下ろし、「獣のように四つん這いになって、ピチャピチャと……」「アンタ、優しくするって言ったばかりじゃないの!」 エレナが叫ぶと、クロノは不満げな表情を浮かべた。 実に、不満そうだ。 ズカズカとエレナは歩み寄り、クロノを睨み付けた。「あたしとアンタって付き合い長いわよね。あたしなりに多少は思う所があるのよ。これを機に……正常な関係を築ければと思ってるの」「今までは異常だったと?」「アンタね、よく考えなさいよ。あたしは仮にも準貴族だったのよ。それが、尻よ、不浄の……あたしの常識が悲鳴を上げてるわ」 体の方は畜生、とエレナは拳を震わせた。「優しくしてくれるんなら……ま、まあ、普通にしてあげても良いわよ。アンタはあたしに遠慮してるのかも知れないけど、今更よね。それとも、あたしが自分を買い戻すのを待ってくれてるの?」「え?」「え? え? って何よ?」 クロノが驚いたように目を見開いたので、エレナは突っ込んだ。 純潔を捧げるという話をしていたのに驚く理由が分からない。「僕はエレナが嫌がる顔が純粋に見たいだけで、そんな高尚な理由は」「アンタ、何処までブレないのよ」 あたしってば、そんなに嫌われることしたかな? とエレナは自問自答する。「た、確かにあたしは少し生意気かも知れないけど」「少し?」「ええ、ええ、あたしは生意気よ! もの凄く! それで人生詰みかけたり、友達が娼館に売られそうになったわよ! だから、反省してるの!」 クロノに聞き返され、エレナは叫んだ。「分かったよ。じゃあ、改めて」 クロノは机に移動し、何かを紙に書き始める。 書き終えると、クロノは丁寧に紙を折った。 再びクロノはベッドに座り、エレナに紙を渡した。「はい、読んで」「ご主人様、イヤらしい雌……って、読めるか!」 エレナは紙を床に叩きつけ、グリグリと踏み躙った。「アンタ、ワザとやってない?」「いや、真面目に」「余計にタチが悪いわ!」 エレナは叫び、クロノの隣に腰を下ろした。「それから、こんな本も用意しています」「どうして、敬語なのよ」 ド畜生、とエレナは本を受け取って呻いた。 その本は『大地の秘儀』。「……アンタ、誰に聞いたの?」「『黄土神殿』に寄付金を積んだ所、頂きました。さあ、読もうか。黙読じゃなくて、音読で」 と言って、クロノはエレナに覆い被さるように座り直した。「音読だけで済ませる気はないってこと?」「当然」 畜生、とエレナは心の中で吐き捨てる。 すっぽりとクロノの胸の中に収まっている状態に奇妙な安心感を抱く。 エレナが音読を始めると、クロノも行動を開始した。「……アンタね」「何かして欲しいことがあったら、言ってくれると嬉しいな」 言えるか! とエレナは太股を擦り合わせた。※ 翌日、目を覚ましたエレナは悶絶した。 焦らされた挙げ句、クロノが期待する行動を取ってしまった。 エレナが睨み付けると、クロノはゆっくりと目を開いた。「……調子はどう?」「気分のことなら良くないわ。ホント、マジで最悪の気分」 エレナは俯せになり、クロノを睨んだ。「その割に枕を取りに来て、いつもいつも忘れて帰るよね」「理由が必要なのよ、あたしには」 ふ~ん、とクロノは興味がなさそうだ。「面倒臭いね」「そうしてるのはアンタでしょ」 エレナは体を起こした。「もう少しゆっくりして行けば?」「そういう訳にもいかないのよ。いつもウェスタと一緒に使用人用の食堂に行ってるんだから。あたしがアンタの愛人だってウェスタは知ってるだろうけど、知り合いに昨夜はそういうことをしたんだって知られたくないじゃない」 エレナは床に落ちている下着に手を伸ばし、そのまま動きを止める。「アンタ、ウェスタに部屋を掃除させようとか考えてないわよね?」「エレナが部屋に戻る前に、か」「ホントに、マジで、それだけは止めてよね」 にっこりとクロノは笑った。「残念、もう遅い」 コンコンと扉をノックする音が響き、エレナは悲鳴を上げてベッドに潜り込んだ。「……旦那様、湯浴みの準備が整いました」「って、アリッサじゃない!」 ガバッとエレナは体を起こした。引っ掛けの可能性も、とエレナは振り向いたが、そこにいるのはアリッサだけだ。「普通、事務で雇っている 娘 ( こ ) に掃除は頼まないよね」「アンタなら掃除くらいさせられるでしょ」 エレナは深々と溜息を吐き、ベッドに倒れ込んだ。