第5話:子ども
第5話:子ども
※ ケインはゆっくりと目を開けた。 ここはハシェルじゃねーんだよな、とケインは立ち上がり、ヘッドボードに掛けたズボンを履いた。 代官所に隣接する騎兵隊用兵舎の構造はハシェルにあったそれと同じ、部屋の間取りも同じだ。 いや、二つの違いがある。 一つは備え付けの家具が新品であること、もう一つは男が一階の部屋を使い、女が二階の部屋を使うというルールがあることだ。 理由は考えるまでもない。 余裕のない時は別として、余裕のある時は良識や分別を大事にするべきだ。 ケインは欠伸を噛み殺しつつ、部屋を出た。 食欲を刺激される匂いが漂っている。 代官所のメイド……ミノの妹アリアの料理は素材の味を活かしたと言えば聞こえが良いが、田舎料理である。 しかし、アリアの料理はケインの味覚に合った。 美味いと言うよりも懐かしい感じがするのだ。 ケインは食堂に直行したい気持ちを堪え、代官所の庭に出た。 クアントは代官所の庭で木剣を振っていた。「……っ! ……っ!」 ケインは兵舎の壁に背を預け、クアントを見つめた。 クアントが代官所に転がり込んで三日が過ぎた。 クアントは一日目、二日目と部屋に閉じこもり、三日目に空腹に耐えられなくなって、部屋から出てきた。 四日目の今日、クアントは剣術の訓練に励んでいる。 励むを通り越して、体を痛めつけているように見える。「おい、クアント」「……っ! ……っ!」 ケインが呼びかけても、クアントは木剣を振っていた。「どうして、素振りなんてやってるんだ?」 ケインがもう一度、話しかけると、クアントは素振りを中断してケインを睨んだ。「父上に勘当を解いて貰うためだ。俺が戦士として成長すれば、きっと、父上も考え直すはずだ。分かったなら、もう話しかけないでくれ」 ケインは子どもらしい浅はかさだと思ったが、口にしなかった。 クアントは素振りを再開した。「お前、童貞か?」「……っ! な、な、何を言うんだ、お前は!」 クアントは素振りを中断し、顔を真っ赤にして叫んだ。 どうやら、この分だと、クアントは童貞のようだ。 まあ、性的な意味で。「勘違いするなよ。人を殺したことはあるかって意味だ」「……ない」 クアントは悔しそうに俯いた。「なるほどな」「俺はすぐに童貞を捨てる!」「いやいや、童貞は大切にしておけ。つーか、童貞を捨てることに躍起になってると初陣で死ぬぞ?」「俺は戦士だ! 戦士は死など恐れない!」「……バカが」 ケインは吐き捨てた。 幸い、ケインの呟きはクアントに聞こえなかったようだ。 ケインは近くにあった箒を手に取り、クアントに歩み寄った。「やる気か? 受けて立つぞ! 今度こそ、お前に勝つ!」「 違 ( ちげ ) ーよ。剣術の訓練をする前に三日分の宿代と一日分の飯代を払えって言ってんだよ」 ケインが箒を突き出すと、クアントは不機嫌そうに唸った。「……俺は戦士だ」「それがどうした? 俺は働かない奴に飯を食わせるほどお人好しじゃないぜ。ああ、いや、『飯と寝床を恵んで下さい』って言えば考えないでもないけどな」「貸せ!」 クアントはケインから箒を乱暴に奪った。「木剣は置いていけよ」「分かってる」 クアントはケインに木剣を押しつけ、荒々しい足取りで代官所の玄関に向かった。「さて、始めるか」 ケインは木剣を握り、素振りを始めた。※ ケインは素振りを終えると、浴室で汗を洗い流した。 春とは言え、浴室の空気は冷たかった。 ケインは湯を用意して貰えば良かったと考えたが、すぐに贅沢は敵だと自分を戒める。 代官所のメイドは一人だ。 ケイン一人が湯浴みをするためだけに彼女に負担を強いるのは悪いような気がする。 ケインが髭を剃って食堂に行くと、ウェスタとロナは席に着いていた。 クアントもちゃっかり席に着いている。 ケインは席に着いた。 すると、アリアが絶妙のタイミングで料理を運んできた。 アリアは最初にケインの前に料理を置いた。白身魚のスープと麦粥だ。 ケインは黙って料理を食べた。 会話のない食卓は寂しい。 そんなことはケインだって分かっているのだが、どんな話を振れば良いのか分からない。 安宿や酒場、娼館の女ならば話は簡単だ。 相手も商売だから、よほどトチ狂った話題を振らなければ乗ってくれる。 結局、ケインは一言も喋らないまま、食事を終えた。『ケイン様、今日の料理はどうでしたか?』(ぷも?)「ああ、悪くねーよ。けど、まだ、塩気が多いな」 クロノの話によれば、アリアは港の建築中、作業者に炊き出しをしていたらしい。 なので、アリアの料理は肉体労働者向けの味付けになっているのだろう。『もう少し減らしてみます』(ぷも) そう言って、アリアはトレイに皿を乗せた。 代官所の 雑役女中 ( メイド・オールワークス ) アリアは働き者だ。 当初、ケインはミノタウルスがメイドを務めると聞いて、有り得ないと思ったが、これはこれでありなんじゃないかと思えるようになった。 ミノタウルスのアリアは掃除、洗濯、料理の他、力仕事までこなせる。 この力仕事をこなせる点が 雑役女中 ( メイド・オールワークス ) として非常に役立っている。 アリアはロナの皿を回収し、ウェスタの隣で立ち止まった。 大麦粥が少しだけ残っている。 ウェスタは没落したとは言え、裕福な商家の出身だ。 ウェスタの舌はそれなりに肥えているだろうから、アリアの料理が舌に合わないのかも知れない。 ロナはウェスタと逆の意味で心配だ。 ロナは出された料理を完食するのだが、好みや味付けに関することを言わないのだ。「なあ、ロナ。飯は美味かったか?」「え?」 ケインが好奇心に駆られて尋ねると、ロナはきょとんとした顔でケインを見つめた。「ただでご飯を食べられるだけで」 ロナは恥ずかしそうに俯いた。「クロノ様は家賃とか取らないからな」 クロノは光熱費も、食費も、屋敷で着る服代も使用人の給与から差し引かない。 年末年始は特別休暇や特別手当がある。「おい、そこ! しれっと食堂を出ようとするんじゃねえ!」「どうしてだ? 朝食は食べ終えたぞ?」 ケインは食堂を出て行こうとするクアントを呼び止めた。「飯を食ったなら、皿洗いを手伝え」「今の話を聞く限り、クロノという奴はただ飯を食わせてくれるんだろう?」「 違 ( ちげ ) ーよ。クロノ様は部下や使用人に対して優しいんだよ。お前はクロノ様の部下か? クロノ様の使用人か?」「……違う」 クアントは不機嫌そうに答えた。「だが、俺は戦士だ。戦士としての待遇を要求する!」「よーし、戦士様。いつも剣を握ってるその手で宿泊費代わりに皿を洗っちゃくれませんかね? 代官所の玄関を掃除したくらいじゃ、飯代にもならねーぞ」 うぐぐぐぐ、とクアントは奇妙な唸り声を上げた。「……分かった。アリア、皿洗いを教えてくれ」『はい』(ぷも)「アリアさんだ、アリアさん。お前の先輩だぞ」「……お前なんか、嫌いだ」 そう言って、クアントはアリアと食堂から出て行った。「ケインさん、少し言い過ぎじゃないでしょうか?」「あの手のガキは優しくしたら、つけあがるぞ」 あはは、とウェスタは乾いた声で笑った。 ケインは頬杖を突き、ウェスタの皿を確認した。 皿は空だ。 どうやら、アリアの麦粥はウェスタの舌にも合ったようだ。 ウェスタが我慢している可能性もあるが。※ ケインは自分の部屋に戻り、服を着替えた。 鏡で髭の剃り残しがないかを確認し、苦笑した。 ケインがクロノの部下になって、二年が経とうとしている。 その間、髭の手入れをおざなりにしていた。 それが代官になった途端、髭の剃り残しを気にしている。 苦笑の一つも出るというものだ。 ケインは代官所に向かい、その途中でクアントと出くわした。 クアントは忌々しそうにケインを睨んだ。「クアント、きちんと皿は洗ったか?」「洗った」 クアントは吐き捨て、その場から立ち去ろうとした。 ケインは壁に手を突き、クアントの行く手を遮った。「まだ、何か用があるのか?」「皿を洗い終えたら、兵舎の掃除と洗濯だ。掃除と洗濯が済んだら、湯浴みの準備だ」「俺は戦士だ! お前の奴隷じゃない!」「そういう台詞は奴隷みたいに働いてから言え。大体、お前は戦士つっても、自分の食い扶持も稼げない半人前だろうが」 クアントは鬼のような形相でケインを睨んだ。「稼いでくれば問題ないんだな?」「ああ、金さえ払ってくれりゃ、お客様として扱ってやるよ。ま、自分で金を稼げればだけどな」「その言葉、忘れるな!」「忘れねーよ」 クアントはケインの手を払い除け、荒々しい足取りで去って行った。 まあ、無理だろうな、とケインは首筋を掻いた。 ケインは食堂に立ち寄る。 食堂ではアリアがテーブルを拭いていた。『まあ、ケイン様!』(ぷも!) アリアはケインを見ると、テーブルを拭く手を休めた。「よお、クアントはどうだった?」『……?』 アリアは意味が分からないと言うように首を傾げた。「クアントが真面目に働いてたか、気になってな」『ああ、はい、クアントちゃんは真面目に働いてました』(ぷも、ぷも~) 何故、『ちゃん』を付ける、とケインは突っ込みたかったが、グッと堪えた。 アリアはクアントより十歳も年上なのだから、『ちゃん』付けでも不思議ではない。『……ただ』(……ぷも~) アリアは頬に手を当て、憂鬱そうに溜息を吐いた。「ただ、何だ?」『クアントちゃんはあまり家事をしたことがなかったようなので』(ぷもぷも) どうやら、クアントは皿洗いが下手だったようだ。 族長の子どもという立場を考えれば皿洗いが下手でも不思議ではない。「 悪 ( わり ) ぃんだが、クアントに色々と教えてやってくれねーかな?」『……それは構いませんが』(……ぷも) アリアは困惑しているようだ。「シフが何処まで本気か分からねーけど、覚えて損はねーだろ。いくら傭兵たって、戦うだけじゃねーんだからよ」 戦闘技術は傭兵にとって重要だが、家事のスキルも重要だ。 家事全般は何処の傭兵団でも新入りの仕事なのだから。『はい、私でよければ』(ぷも) 頼んだぜ、とケインは食堂を後にした。 ケインは中庭の真ん中で足を止めた。 ふと違和感を覚えたのだ。 何処の傭兵団でも家事全般は新入りの仕事だ。 それなのにクアントは皿洗いが下手だった。 ケインはクアントが族長の子どもだから、家事をしてこなかったのだろうと安易に考えてしまったが、シフが自分の子どもを特別扱いするだろうか。 シフがクアントを特別扱いすれば、必ず古参の部下から不満が出る。 それに気付かないシフではないだろう。「……クアントは傭兵としての常識を知らないってことか? ああ、いや、これから教育するつもりだったのかも知れねーよな」 ケインはガシガシと頭を掻いた。※ 当然のことながら、受付担当のメアリーとケイトは受付カウンターにいた。 代官所の一階は待合室だ。 待合室は長イスが並んでいるだけの殺風景な部屋だ。 傭兵ギルドと契約を交わす商人は受付で名前を記入し、順番を待つことになっているのだが、待合室で待つ必要はない。「よお、どうだ?」「こんなに暇だと解雇されないか心配です」「折角、職に就けたと思ったのに」 メアリーとケイトは憂鬱そうに溜息を吐いた。 二人は自分の部屋を借りているので、今の状況に対して思う所があるのだろう。「いきなり解雇はないと思うけどよ」「それなりに蓄えはありますが、あくまで『それなり』なので」「この歳になると、雇ってくれる所も」 はぁ~、とメアリーとケイトは再び憂鬱そうに溜息を吐いた。 ケインは気休めを言う訳にもいかず、代官所の二階に上がった。 代官所の二階ではウェスタとロナが掃除に勤しんでいた。 ウェスタとロナは掃除ばかりしているので、ゴミらしいゴミはない。 ケインは自分の席に着き、頬杖を突いた。 代官所の仕事は基本的に傭兵ギルドの活動に依存している。 傭兵稼業はケフェウス帝国で正業とされていないので、代官所が暇になるのは当然のことなのかも知れない。 ケインは頬杖を突き、ウェスタとロナが掃除をする様子を眺めた。 ウェスタの手際はお嬢様育ちらしく悪い。 ロナの方はてきぱきと掃除をこなしている。 二階の掃除は一時間あまりで終わった。『ケイン様、仕事です』「おお、通してくれ」 メアリーの声がケインの机の上にある通信用マジック・アイテムから響いた。 ケインの机の上にある通信用マジック・アイテムは一階と二階を繋ぐ超短距離専用だ。 シフと商人が入室すると、ロナは契約書を受け取り、ウェスタの机に置いた。 ウェスタが契約書を読み上げ、契約内容に齟齬がないかをシフと商人に確認する。 ケインが立会人として契約書に署名し、仕事は完了だ。「シフ、少し残ってくれ」「分かった」 シフは商人と簡単な打ち合わせを行い、商人が先に退室した。 シフはケインの机の前に立つ。「あの、外しましょうか?」「大した話はしねーよ」 ケインはウェスタに答え、ケインを見つめた。「クアントのことなんだけどよ」「あれは勘当した。焼くなり、煮るなり、皮を剥ぐなり好きにしろ」「鬼か、お前は」 ケインは顔色一つ変えずに言い切ったシフに突っ込みを入れた。 まあ、シフはケインがクアントを酷い目に遭わせないと確信しているのだろうが。「なあ、勘当するくらいなら、どうして、クアントを連れて来たんだ?」「……クアントは族長候補の一人だ。だが、何処で育て方を間違えたのか、ああなってしまった」 シフは腕を組み、溜息を吐いた。「族長候補の一人とは言え、あれでは我が一族の未来は暗い」「まあ、そうだな」 ケインはシフの言葉に頷いた。「猪武者では話にならん」「それで、勘当して再教育か?」「そういうことだ。親として広い世界を見て欲しいという気持ちもないわけではないが」 どっちだよ、とケインは心の中で突っ込んだ。「ところで、クアントは?」「なんだかんだ言って、親ってことだな。あいつは戦士として金を稼ぐとか言って、外に出てるぜ。まあ、腹が減ったら、帰ってくるんじゃねーか?」 ふむ、とシフは考え込むように顎を撫でた。「ならば、見間違いではなかったようだな」「お、真面目に仕事を探してるみたいだな」 ケインはクアントが仕事を探している様子を想像し、苦笑いを浮かべた。「ああ、檻の中にいた。どうやら、奴隷商人に捕まったようだ」「『ようだ』じゃねーよ! 広い世界どころか、狭い檻の中にいるじゃねーか!」 ケインは立ち上がり、机を叩いた。「自分の子どもを本気で見捨てて、どーすんだ!」「勘当とは、そういうものだ」「本気で鬼か、お前は!」 ケインは部屋を飛び出した。 階段を駆け下り、勢いよく扉を開けると、「危ないじゃない!」 エレインの怒声がケインに叩き付けられた。「文句なら、後で聞く! クアントが……って、クアント!」 ケインはクアントがエレインの隣にいることに気付き、驚きのあまり目を剥いた。 クアントはボロ布を羽織っていた。 ボロ布の下は全裸か、それに近い状態のようだ。「食い扶持稼ぐどころか、身包み剥がされてるじゃねーか」「……う~」 ケインは内心で胸を撫で下ろしつつ、クアントを皮肉った。 クアントは今にも泣き出しそうだ。「ちょっと、そういう言い方はないんじゃない?」 エレインはクアントを庇うように歩み出た。 ケインはエレインらしくない行動に驚きを隠せない。「……二人とも退いてくれないか」 シフの声がケインの背後から響く。 ケインが道を空けると、シフは何も言わずにケインの目の前を通り過ぎた。「……父上」 クアントが憐れみを誘う声音でシフを呼んだ。 だが、シフは答えない。 まるで声が聞こえていないかのようだ。「……父上」 クアントは先程よりも強めの口調で言った。 見捨てないで、父上、とクアントは目で訴えていた。 シフはクアントを見た。 ただし、クアントが望むような反応ではなかった。 シフは虫でも見るような目でクアントを見た。 それでクアントの心は折れた。 クアントは俯き、ポロポロと涙を零した。「あ~、何だ、部屋に戻ってろ。服は後で届けさせる」 クアントは素直にケインの命令に従った。 フラフラと覚束ない足取りで兵舎に向かった。「貴方、子どもが嫌いなの?」「俺はお前が子ども好きって方が意外だけどな」「子どもは好きよ? 幸せそうにしている家族はあまり好きではないけれど」「歪んでるな」 ケインはしみじみと呟き、半眼でエレインを睨んだ。「で、貴方は子どもが嫌いなの?」「ああいう生意気なガキは、な」 何の力もないくせに粋がって、口先ばかりで何もできない。 自分の近くにいなければ我慢もできるが、近くにいると苛々する。「その理屈で言えば、エレナと言ったかしら? あの 娘 ( こ ) もそうなの?」「あいつが攻撃的なのは色々あったからだろ?」 ふ~ん、とエレインは意味ありげな視線をケインに向けた。「貴方が嫌いなのは生意気な子どもじゃなくて、昔の貴方よ」「そうかもな」「あら、怒らないの?」「もう少し若けりゃ、怒りもしただろうけどな」 ケインは肩を竦めた。 怒らせると思ってるなら、わざわざ口にするなよ、と思わないでもない。「俺は仕事に戻るぜ」「ええ、私も仕事に戻るわ」 そう言って、エレインは髪を掻き上げた。※ ケインは仕事を終えると、兵舎に向かった。 代官所の井戸から水を汲んでいるアリアに声を掛けた。「クアントは?」『あの後、部屋から出て来ないんです』(ぷも、ぷも)「分かった。俺が見てくる」 ケインは兵舎の一階にあるクアントの部屋に向かった。 扉を叩いても、反応はなかった。 ケインは溜息を吐き、クアントの部屋に入った。 クアントの部屋はケインの部屋と同様に殺風景だ。 薄暗い部屋の中、クアントはベッドで丸くなっていた。「……来るな」「お前が閉じ籠もってるから、心配で見に来たんだろうが」 ケインはクアントが丸くなっているベッドに近づき、勢いよく腰を下ろした。 クアントはビクリと体を震わせた。 ケインはクアントに話し掛けなかった。「……あの後、仕事を探した」「そうか」 クアントの声は惨めったらしいほど震えていた。「仕事を紹介してくれるって言われて、香茶を飲んで、気が付いたら、檻の中にいた」 ケインは顔を顰めた。 クロノは奴隷売買や売買春の他、領民が奴隷にならないように気を配っている。 建前は領地の生産力を低下させないため、本音は領主として領民を保護したいと考えているからだ。 付き合いの長い商人は分かってるはずだよな? ってことは景気が良くなって質の悪い奴らが流れ込んできてるってことか? とケインは髪を掻き毟った。「父上も、皆も、俺が檻にいること、知ってた」「おいおい、本気で鬼か」 クアントは堪えきれなくなったように嗚咽した。 シフも、シフの部下もクアントが勘当されているため表だって助けられなかったのだろう。「俺は、何も、できない」 シフの期待通り、クアントは心が折れている。 クアントは今回の件で傭兵ギルドの後ろ盾や族長の子どもという立場がなければ無力だと痛感したのだろう。 痛感しすぎて戦士としての矜恃まで失った感があるが。「あのな、子どもってのは何もできねーもんなんだよ」「……」 ケインはクアントの頭を撫でた。「本当に何もできねーんだ、本当にな」 力があれば、知恵があれば、何らかの才能があれば……優しい誰かが手を差し伸べてくれていたら、妹は今もケインの隣にいただろう。 だが、力も、知恵も、あの頃のケインにはなかった。 才能は今だってない。 優しい誰かが手を差し伸べてくれることもなかった。 だから、妹はケインの隣にいない。 ケインは息を吐いた。「クアント、お前が独り立ちできるようになるまで俺が守ってやる」「……」 ケインはクアントの頭を軽く叩き、クアントの部屋から出た。 後ろ手に扉を閉め、もう一度だけ息を吐く。「あの、どうでしたか?」 ケインが声のした方を見ると、ウェスタが心配そうな顔で立っていた。「大丈夫だろ、多分な」「あの、私……エレナちゃんから奴隷商人について聞いてて」「心配するな、こっちで何とかするからよ」 ケインはウェスタの肩を軽く叩き、代官所に向かった。 今回の件を通信用マジック・アイテムでクロノに報告するためだ。※ クロノが部下を率い、シルバニアに到着したのは深夜のことだった。 人数はそれほど多くない。 人数は百人程度、割合はエルフの弓兵が二、獣人が八と言った所か。 全体の指揮は副官のミノ、エルフの弓兵はナスル、獣人はシロとハイイロが指揮するようだ。「相変わらず、フットワークが 軽 ( かり ) ぃな」 ケインは街道に並ぶ荷馬車を見つめた。「兵は神速と尊ぶって言うし、相手に準備させないことが大事かな~、と」 クロノは緊張感の欠片も感じられない口調で言った。 煮え湯を飲まされたケインとしては苦笑するしかない。「人選に意味はあるのか?」「狙撃部隊の指揮官はナスルだし、シロとハイイロを選んだのは消去法……ミノタウルスとリザードマンは小回りが利かないし、タイガは得物が大剣だからね」 クロノは肩を竦めた。 消去法で連れて来ましたと言われたシロとハイイロは寂しそうな目でクロノを見つめていたりするのだが。『大将、どうしやす?』(ぶも?)「馬車の中で話した通りだよ。できるなら生け捕りにしたいけど、相手が抵抗するならその限りじゃない」 クロノは通信用マジック・アイテムを取り出した。※ 結果から言えば、クアントを攫おうとした商人はあっさりと捕まった。 商人は護衛らしい護衛を付けておらず、荒事の経験も乏しかったようだ。 多少の経験が商人にあったとしても、クロノの部下に勝てるはずがない。 クロノの部下は実戦経験者が多く、厳しい訓練を積んでいるのだ。 商人は賢明だったかも知れない。 何しろ、商人はシロとハイイロが部下と突入した時点で降参したのだから。 そういう訳でクアントを攫おうとした商人と四人の仲間はシルバニアの空き地に引き立てられ、後ろ手に縛られている。「首を斬るなら、さっさとやった方が良いんじゃねーか?」「ん~、良い機会だから、釘を刺しておこうと思って」 クロノはイスに座り、足を組んでいた。 不貞不貞しい領主という感じだ。 クロノの態度は街からシルバニアを代表する七人の商人……その中にはエレインもいる……が到着しても続いた。「……エレイン、エレイン・シナー? この男がケインが保護している……クアントを攫おうとした犯人?」「ええ、そうよ」 クロノは億劫そうに立ち上がった。「という話だけれど?」「私は善良な商人でございます。人攫いなど、とても、とても」 クロノが問い掛けると、主犯格と思しき商人は首を横に振った。「シロ、指」「お、まさか……ひぃぃぃぃぃぃぃっ!」 シロは主犯格の背後に回り込み、何かを行った。 シロはクロノに走り寄り、血に塗れた商人の指をクロノに差し出した。「……折れって言いたかったんだけど?」『俺、失敗』(がう!) シロは商人の指を投げ捨てると、再び商人の背後に回り込んだ。「やめ、止めろ! 私が、私がやった、私がやりました!」「シロ、優しくね?」 ベキン、ベキンと乾いた音が断続的に響いた。「それで処分はどうするの?」「う~ん、まあ、初犯だしね」 クロノはエレインに笑って答えた。 口調は穏やかだったが、目が笑っていなかった。 クロノは主犯格の商人に歩み寄った。 次の瞬間、クロノの爪先が主犯格の商人の顔に突き刺さっていた。 クロノがゆっくりと爪先を引き抜くと、支えを失った主犯格の商人は地面に倒れた。「……初犯だから、命だけは助けてあげるよ。ただし、財産は全て没収! 今日中に僕の領地から出ていかないと、殺すよ」 クロノはエレイン達に向き直った。「商売に励むのは結構だけど、無法は困るんだよね。全員、分かってると思うけど」 クロノは肩を竦めた。 そして、その日の夕方……クアントを攫おうとした商人とその仲間は死体になってシルバニアに戻ってきた。 その死体は獣に襲われたように激しく損傷していた。※ 僕が帰った後、この箱を開けて欲しい。 ケインに必要な物が出てくるはずだよ、とクロノは言い残してシルバニアを去った。 ちなみにケインはクロノから預かった箱をアリアに預けた。 翌日、ケインは欠伸を噛み殺しつつ、代官所の玄関に向かった。 代官所の玄関には『契約の立ち会いを行っています』と書かれた立て札がある。 クアントの件は極端にしても、シルバニアの発展に伴い、多くのトラブルが発生するだろう。 ケインが代官所で様々な契約の立ち会いを請け負おうと考えたのはトラブルを未然に防ぐためだ。 もちろん、クロノの許可も得た。「……契約の読み上げも必要だな」『ケイン様、おはようございます』(ぷも~) ケインはアリアの方を見た。 アリアは箒とチリ取りを手に立っていた。 何故か、クアントがアリアの影に隠れていた。『クアントちゃん、挨拶なさい』(ぷも)「……う~」 クアントはアリアの影に隠れたままだ。 クアントは心を折られ、アリアに心の拠り所を求めたのかも知れない。『クアントちゃん?』(ぷも?)「分かった」 クアントはゆっくりとアリアの影から歩み出た。 クアントはメイド服を着ていた。 スカートの丈は短い。 エレインの服より少しマシ程度の長さだ。 袖はなく、胸元が大きく露出している。 クアントの胸は小振りを通り越して平坦だ。 真っ平らに近い。「お前、女だったのか?」「お、俺は……戦士だった」 クアントは恥ずかしそうにスカートを抑え、もじもじと太股を摺り合わせた。 羞恥心のせいか、クアントは耳まで真っ赤だ。「つか、その服は何処にあったんだ?」『ケイン様からお預かりした箱の中に』(ぷも)「人聞きの悪い言葉を残して、帰るんじゃねーよ!」 ケインは叫び、ふと我に返った。「ば、馬鹿野郎! そんな格好で出てくるな! シフが見たら……」「父上、見ないで」 クアントが今にも泣き出しそうな顔で言った。 ケインが父上という言葉に振り返ると、シフは顔面蒼白で立っていた。 シフは片手で顔を覆った。「念のために言って置くけどよ。あれはクロノ様の趣味だぜ?」「話した限り、真っ当な男だと」「クロノ様は概ね真っ当だぜ? 一部分が 尖 ( とんが ) ってるけどよ。エレインに聞いてなかったのか?」 シフは今にも卒倒しそうだ。 だが、今の状況を招いたのはシフ自身だ。 ケインは苦笑いを浮かべ、覚束ない足取りで去って行くシフを見送った。