LNCrawler

第9話:準備

クロの戦記 異世界転移した僕が最強なのはベッドの上だけのようです — novelup.plus · All chapters

第9話:準備

※ 話はクロノとレオンハルトが握手を交わす前に遡る。※ クロノは帝都から届いた羊皮紙を掲げ、太陽に透かしてみた。 羊皮紙を縦にしたり、横にしたり、裏返してみたり、火で炙ってみたり……水に浸けこそしなかったが、あらゆる方法で文章の解読を試みた結果、「また、戦いでござるぅぅぅ!」 クロノは羊皮紙に隠されたメッセージがないことを認め、執務室で絶叫した。 亜人の地位向上のため、世界人権宣言を実現するために覚悟を決めたが、やはり怖いものは怖いのだ。「……うぐぐ」 クロノは頭を抱えて呻いた。「いや、前向きに考えるんだ。今度は軍同士の戦いじゃない。リオも、レオンハルト殿もいるけど……ああ、前向きに考えられない。うぐぐ、宗教なんか嫌いだ」 クロノは『神殿』が国家を食い潰そうとしているという状況を今一つ理解できない。 もっとも、クロノが納得できなくても、神聖アルゴ王国の『神殿』は大きな力を持ち、国王に匹敵する権威を持っているのだが。「まあ、納得しよう。そういうもんなんだ」 でも、どうやって、内戦を引き起こせば良いんだろう? とクロノは作戦について考えた。 神聖アルゴ王国に侵入し、国王に協力するフリをしながら、内戦を引き起こす。 レオンハルトは東西街道を封鎖して『神殿』を弱体化させ、新たな交易路を確保して国王の力を増大させようとしているようだが、それだけで内戦が起きるだろうか。 国王は是が非でも内戦を回避しようとするだろうから、国王を援助するだけで終わりかねない。 下手をすれば盗賊として討伐されるし、こちらの意図を気取られれば作戦が成功する前に追い出されてしまう。「と言うか、素性を明らかにする時点で工作は無理なんじゃ? 当たり前と言えば当たり前だけど、別の意図があるのかな?」 クロノはしばらくして考えるのを止めた。 アルコル宰相の意図を推測するには材料が少なすぎる。 でも、悪いことばかりじゃないか。 今回の作戦は自由度が高い。 この状況を利用して利益を得ることも可能だ。 上手くやれば、とクロノは口角を吊り上げた。 ティリアが執務室に入ってきたのはそんな時だった。「何を企んでいる!」「入ってくるなり、酷い言いようだ」 クロノは頬杖を突き、ティリアに言い返した。「そうは言うが、さっきまでのお前はエロい顔をしていた」「エロい顔?」「そうだ。夜伽で私に酷いことをする、その少し前……私がどんな反応をするか想像している時の顔だ」 クロノが尋ねると、ティリアは妙に具体的に答えた。「で、どうしたんだ?」 ティリアはクロノに歩み寄ると、机に寄り掛かった。 どうやら、ティリアはクロノの絶叫を聞き、駆けつけてくれたらしい。「また、戦いだよ」「戦い……そういうことか」 クロノが視線を傾けると、ティリアは手を組み、恥ずかしそうに太股を擦り合わせていた。 ティリアの顔は仄かに上気し、何処か嬉しそうだ。「つまり、最後に私を抱いておきたいと言うことだな?」「最後だなんて縁起でもない! 僕は絶対に生きて帰ってくるよ!」 クロノが抗議すると、ティリアは憐れむような目でクロノを見た。「それは前に説明してくれた死亡フラグというヤツじゃないのか?」「違うよ! それに死亡フラグはフィクションだから! 所謂、物語上のお約束! リアルとフィクションをごっちゃにしちゃ、だめぇっ!」 クロノはティリアの死亡フラグ説を必死に否定した。「だ、大丈夫。初陣の時も、撤退戦の時も、死の試練の時だって、生き延びたんだから」「四度目はないというオチだな。上げて上げて、もう一つ上げて落とす。質が悪いな」 ひぃぃぃぃっ! とクロノは悲鳴を上げた。「落ち着け、クロノ。ごっちゃにしちゃダメと言いながら、お前が一番、ごっちゃにしているぞ」 ティリアはクロノの両肩を優しく叩いた。「そんなに危険なのか?」「危険じゃない戦いなんてないよ」 クロノはティリアに羊皮紙を差し出した。 ティリアは羊皮紙を受け取り、ふむふむと頷いた。「ティリア、アルコル宰相の狙いが何か分かる?」「分かるぞ」「え? あ~、でも」 クロノは思いがけないティリアの言葉に腰を浮かしかけたが、すぐに思い直してイスに座った。「でも、何だ?」「ティリアって、アルコル宰相の真意に気づけなくて皇位継承権を奪われた訳だし、信用度が今一つ」「ぐぬっ! 過ぎたことをグチグチと!」「皇位継承権を奪われたことを過去の話にするのはマズいよ」 取り返しのつかないミスをしておきながら、とクロノは思う。 その一方で皇位継承権の一件はティリアの中で区切りが付いているかと感心もしていた。「まあ、いいや。ティリア、アルコル宰相は何を考えていると思う?」「帝国を安定させるまでの時間稼ぎだな」 ティリアは即答した。「時間稼ぎ?」「私が皇位継承権を奪われてから、そろそろ一年半だ。それだけ経っているのに義弟のアルフォートは皇帝になっていない。多分、アルコル宰相にとって解決したい問題が沢山あるんだろう」「まあ、時間が欲しいのは分からなくもないけどさ。今回の作戦にどれだけ効果があるのか疑問なんだよね。僕がアルコル宰相の立場なら、効果があるかも分からない作戦に人と金を投入しないよ」 クロノが言うと、ティリアは思案するように腕を組んだ。「クロノがアルコル宰相の立場なら同じことをするんじゃないか?」「そんなことしないよ」 クロノは思わず、言い返した。「資金も、人材も十分あるのに、効果があるかも知れない作戦を試さないのは怠慢じゃないか?」「ああ、なるほど」 クロノは舌打ちしそうになった。「そういうことだ。きっと、アルコル宰相は他にも手を打ってるぞ」「なるほど、なるほどね」 やりようによっては美味しい話ってことか、とクロノは笑みを浮かべた。 次の瞬間、ティリアは怖気が走ったかのように身震いした。「クロノ、その笑い方を止めろ」「ティリアに迷惑を掛けている訳じゃないのに」「迷惑だ! お前がそういう笑い方をすると、こう、背中がゾクゾクするんだ」 はいはい、とクロノはイスに座り直した。※ 昼過ぎ、クロノはティリアを伴い、侯爵邸の会議室に向かった。 クロノが会議室に足を踏み入れると、部下達……副官、レイラ、アリデッド、デネブ、フェイ、タイガ、シロ、ハイイロ、ゴルディの九人は立ち上がり、クロノに敬礼した。「ボクも立ち上がった方が良いのかな?」『……』 リオは言葉と裏腹に立つ気配を全く感じさせず、スーは机に突っ伏して眠っている。「ん、二人は僕の部下じゃないから、そのままで」 会議室の机とイスの並びはスクール形式だ。 クロノは教卓に当たる席に座る。 ティリアはクロノの隣だ。 ふふん、とティリアは挑発的な視線をレイラとリオに向けた。「着席!」 部下達はクロノの号令に従い、席に着いた。「……はい、と言う訳で再び厄介事が舞い込んで参りました」「うぇぇぇ! また、戦争?」「もう戦争は勘弁して欲しいみたいな!」 アリデッドとデネブは机に突っ伏した。「まずはお手元の資料をご覧下さい」『全員、目を通してやす』(ぶも) そう言いながら、副官は資料の束を手に取った。 資料には二つの作戦について書かれている。 帝都から送られてきた作戦とクロノがティリアと一緒に考えた作戦だ。 クロノとティリアが考えた作戦は元の作戦の補正案に近い。「クロノ様、我々はクロノ様の作戦を元に行動すれば?」「私も考えたぞ」「失礼しました、ティリア皇女」「一度、お前とは決着を付けなければならないようだな」 レイラは淡々と謝罪したが、それがティリアには面白くなかったようだ。『大将、新しい交易路を確保ってのは分かりやすが、どうして、『シナー貿易組合』を使うんで?』(ぶも、ぶも?)「ぶー、金儲けの種を他人に譲るとか有り得ないし」「ぶー、ぶー、交易で儲かれば更なる待遇改善みたいな」 アリデッドとデネブは副官に便乗して不満を口にした。「資金はどうとでもできますが、残念ながら商売に詳しい部下がいません。それに僕の目的は交易をすることであって、利益を独占することじゃないよ」 独占できるものでもないだろうし、とクロノは肩を竦めた。「『シナー貿易組合』には呼び水になって貰う。『シナー貿易組合』が利益を出せば、他の商人も便乗してくるだろうからね。そして、商人達が交易で儲けたお金は巡り巡って、僕の懐に転がり込んできます」 クロノは親指と人差し指でリングを作った。 お金を表すジェスチャーである。「むむむ、クロノ様お得意の根っこを押さえる作戦でありますね」「持てる者と持たざる者の差を思い知らされるし」「こういう構造を作れる人がお金を儲けるみたいな」 フェイ、アリデッド、デネブの三人は資本主義に否定的なようだ。「ま、まあ、皆の利益になるよ。神聖アルゴ王国は内陸国だから、塩も、魚の塩漬けも売れるはず。傭兵ギルドの仕事も増えるしね」『そいつは開拓村の皆も喜びやすぜ』(ぶも)「ようやくシルバさんの立体塩田の出番でありますね。けれど、立体塩田を増やすことになったら、シルバさんは働き過ぎてしまうであります」「……シルバが働き過ぎないようにケインに監督を頼むよ」 塩で儲けられると知ったら、カド伯爵領の人達は立体塩田を造って欲しいって言うんだろうな~、とクロノはフェイの心配が現実になると予感した。「クロノ様、作戦の一つに『炊き出し』とありますが、シェーラ様を連れて行かれるのですか?」「「シェーラ?」」 レイラが言うと、アリデッドとデネブは不思議そうに首を傾げた。「女将のことね、女将の。いや、今回はシオンさんにお願いしようと思って」「シオン様に?」 レイラは不思議そうに首を傾げた。 不思議そうにと言っても、レイラの表情の変化と首の傾きは極わずかだ。「はい、女将よりもシオンさんの方が一般受けすると思いまして」「一般受けですか?」 レイラは困惑しているようだったが、それ以上は口にしなかった。『大将、この寸劇とビラ配りってのは?』(ぶも?)「神聖アルゴ王国の人に楽しんで頂こうかと」 副官は腕を組み、訳が分からないと言うように首を傾げていた。「本当の所はどうなんだい?」「いえいえ、説明した通りでございます」 リオはクロノの真意に気付いているらしく悪戯っぽく微笑んだ。「クロノ、本当の狙いは?」「ちょっと、真面目に仕事をしておこうと思いまして」 クロノは観念して何を目的として炊き出しや寸劇、ビラ配りをするのか説明した。 もっとも、寸劇の詳細な内容は説明しなかったが。 神妙な面持ちで頷いたのは副官、レイラ、リオの三人、ポカンとしているのがアリデッド、デネブ、フェイ、タイガ、シロ、ハイイロ、ゴルディの七人だ。 クロノはフェイに分かっていて欲しかったのだが。『大将、新しいっちゃ新しいと思いやすが』(ぶも~)「……クロノ様」「ハハハッ、クロノは悪魔の類なんじゃないかな?」 ティリアも副官やレイラと同じような反応をした。「良いアイディアだと思ったんだけど?」「その一言で済ませてしまうのがお前の怖い所だ」 ティリアは呆れたような口調で言った。「じゃ、作戦の説明は以上。続きまして今回の作戦に参加するメンバーを発表します!」「外れろ! 外れろ!」「神様!」 アリデッドとデネブは真剣に祈っていた。「え~、リオは確定です」「ま、六ヶ月もだらだらしていたからね。きちんと働くよ」 リオは大仰に肩を竦めて言った。「次、フェイ」「今回も頑張るであります!」 フェイは立ち上がり、ガッツポーズ。 東西街道の封鎖はレオンハルトの部下に任せ、クロノ達は少数精鋭での工作を担当する。 少数精鋭ならばフェイの存在は欠かせない。 配役的にも必要だ。「次はミノさん」『大将、あっしは工作の役に立たないと思いやすぜ』(ぶも~)「むしろ、ミノさんがいてくれないと。シロとハイイロもよろしく!」『俺、頑張る!』(がう!)『俺も、俺も!』(がう、がう!) シロとハイイロは立ち上がって尻尾を振った。 クロノはやる気満々の二人に少しだけ罪悪感を抱いた。「それから、アリデッド、デネブ……自分の隊を率いて、東西街道の封鎖をよろしく!」「どひぃぃぃぃぃっ! ま、またしても!」「クロノ様の信頼が重い! 重すぎるし!」 アリデッドとデネブは悲鳴を上げた。「う~ん、帝都から派遣される騎士が東西街道の封鎖を担当するんだけど」「知ってるし!」「資料を読んだみたいな!」 アリデッドとデネブは抗議するように机を叩いた。「実戦経験がない連中ばかりなんだよね」「うぐぐ、お守りとかありえないし」「しかも、貴族……そりが合うとは思えないし」 アリデッドとデネブは机の上で身悶えした。「クロノ様、これだけ百人隊長クラスを引き抜くと、領地の治安維持に問題が生じるのではないでしょうか?」「街の警備はタイガとナウルに担当して貰う。それから、アリデッドとデネブの穴は……」 クロノがその人物の名を口にしようとしたその時、会議室の扉が開いた。 扉を開けたのはセシリーだ。「何の用ですの? 私は仕事で忙しいんですの」「え~、アリデッドとデネブの穴はセシリーに是が非でも埋めて貰います。セシリー、アリデッドとデネブがいない間、臨時で騎兵隊を率いるように」「私の価値にようやく気付きましたのね」 クロノが言うと、セシリーは勝ち誇ったような笑みを浮かべた。 オーッホッホッホと高笑いが聞こえてきそうだ。「彼女は軍を辞めているのでは?」「そこは対処済み」 クロノは怪訝そうな表情のレイラに答えた。 一度、軍籍に身を置いた者は必要に応じて招聘可能だ。 ピスケ伯爵に手紙を送っておいたので、問題はないだろう。「では、領主代行は?」「ケインは代官所の仕事があるから、ティリアが領主代行を務めます」「うむ、任せておけ」 ティリアは鷹揚に頷いた。「ぶー、ティリア皇女が領主代行とか」「ぶー、ぶー、人材不足も良いとこみたいな」「……」「アリデッド、デネブ、黙ってろ! ハーフエルフ、文句があるなら言え!」 ティリアは矛盾したことを言った。 まあ、心情的には全く矛盾しないが。「最後、スーは昏き森の案内をお願い」『……分カッタ』 スーはムクリと体を起こした。「ちゃんと聞いてた?」『オレ、嫁。従ウ、当然』「断られたら困るから、良いんだけどさ」 スーは昏き森に分け入り、薬草を採取している。 森に詳しい者 ( スー ) の力が必要なのだ。「じゃあ、レオンハルト殿が来るまでに各自引き継ぎをしておくように……解散!」 部下達は一斉に立ち上がり、クロノに敬礼した。※ 夕刻、露店の立ち並ぶエリアは静寂に包まれつつあった。 店主の多くは店じまいの準備を始めている。 もう少し粘って売り上げを伸ばそうとしている店もチラホラと見受けられるが、それは少数派だ。 露店は明日も賑わうだろう。 クロノは露店を横目に眺めながら、少しだけ寂寥感を覚えた。 祭が終わってしまう。 そんな寂しさだ。 何処からともなく漂ってくる美味しそうな匂いが寂しさを際立てる。 露店の食べ物は美味いが、家庭料理は別格だ。 クロノは露店の前で足を止めた。 『漆黒神殿・エラキス侯爵領出張所』は妙に煤けて見えた。 神官さんが店を構えてから、ほんの数日しか経っていないのだが。 神官さんは閑古鳥が鳴いている現状を示すように机に突っ伏していた。「……神官さん」「おお、お主か」 クロノが声を掛けると、神官さんは体を起こした。「儲かってる?」「儲かっているように見えるかの?」 クロノは神官さんに問い返され、首を横に振った。「うむむ、このままだとフェイに金を返せんのう」 クロノは神官さんが金を返そうとしていることに驚いた。 いや、この仕事でお金を返そうとしていることに驚きだ。「真面目に働いた方が良いんじゃないかな?」「真面目に働いとるじゃろ、真面目に!」 クロノは唸った。 生産性という言葉に全力で背を向ける仕事に全力で取り組まれてもな~、と思わなくもない。「神官さんは神聖アルゴ王国で何をしてたの?」「ワシは大神官じゃから、何もすることがなくての。日々、飲んだくれておったぞ」「いや、働けよ!」 クロノは全力で突っ込んだ。「神官さんの……『漆黒にして混沌を司る女神』の役割って何?」「む~、ワシは存在の承認じゃと思うとる」 神官さんは呻くように言った。「存在の承認?」「『漆黒にして混沌を司る女神』の仕事は存在の承認じゃ。あぶれ者を愛することと言い換えても良いかも知れんな」 神官さんは頬杖を突き、微笑んだ。 それは慈母のような……ここにいても良いのだと思わせてくれるような微笑みだった。「ワシは、愛とは存在の肯定じゃと思っとる。じゃが、人間の愛は不完全じゃ。親子だから、恋人だから、友達だから……人は関係性の中でしか愛を見出せん。だが、神の愛は無限じゃ」 クロノは拳を握り締めた。 六柱神は人間が想像するような神ではない。 システムが何を愛せると言うのか。「分かっとる。アレが神ではないとワシが一番、分かっとる。だが、だがな、必要だと思わんか? 存在を肯定してくれる何かが……」「そうだね。神様は必要だ」 クロノは自然と神官さんの言葉を肯定していた。 きっと、それはクロノがいた世界でも変わらないのだろう。「……神官さん、割の良い仕事があるんだけど?」「ふ、美しさは罪じゃな」「そっちじゃないから」 クロノは髪を掻き上げる神官さんに突っ込んだ。「では、ワシに何をしろと?」「神聖アルゴ王国に行くことになったから、道案内と……エラキス侯爵領に来るように亜人を説得して欲しくて」「ふむ、亜人を受け入れて領地を発展させるつもりじゃな。ワシは構わんが、何人まで受け入れられるんじゃ?」 ミノさんの開拓村には一人当たり金貨二枚を支給してるから、とクロノはざっくりと計算する。「……開拓民としてなら、まあ、千人くらい」「千人!」 神官さんは驚いたように目を見開いた。 無理をすれば三倍……三千人を受け入れられるが、他のことに予算を割けなくなってしまう。 ジレンマだ。 神聖アルゴ王国の亜人を何とかしてやりたいという気持ちはあるが、クロノは気持ちだけで動けない。「いつから始めるんじゃ?」「詳しい内容は……夕食の後にしない?」「他に用事でもあるのかの?」「救貧院に用事があって。実はシオンさんにお願いしたいことがあるんだよね」 ん? と神官さんは不思議そうに首を傾げた。「お願い?」「神聖アルゴ王国で炊き出しをやろうと思って」 ん? んん? と神官さんは不思議そうにしている。 どうやら、神官さんはシオンが神聖アルゴ王国で炊き出しを行うことの意味を理解できないようだ。「じゃ、そういうことで」「ワシは一足先に帰っとるぞ」 今日の夕飯は何じゃろうな♪ と口ずさむ神官さんをクロノは見送った。※ シオンの献身の賜物か、救貧院は数日前よりも騒がしかった。「エラキス侯爵」「やあ、ディノ」「兵士にする者達を選んだ」 ディノが目配せすると、十人の少年、少女が通路に並んだ。 少年が三、少女が七という編成だ。 クロノは人選の基準を尋ねなかった。 少女が七人という時点で……愛人候補か、口減らしのために選んだと分かる。「……男の子も何気に可愛い系が多いのはアレですか?」「何のことだ?」 僕が男の子もいける口だと思っていらっしゃる? という突っ込みをクロノは飲み込んだ。 クロノは少年少女を見渡し……一人の少女を見つめた。 何と言うか、元気のなさそうな少女である。「あの子は?」「……別の集落から逃げてきた娘だ」 ああ、とクロノは頷いた。 恐らく、少女は集落が襲撃され、一人だけ生き延びたのだろう。 手品くらい覚えておけば良かったな。 今はこれが精一杯なんちゃって、とクロノはエルフの少女に歩み寄った。 エルフの少女はぼんやりとクロノを見上げた。 クロノが頭を撫でようとしたら、エルフの少女は避けようとした。 クロノは少女の頭を掴んで前後に揺すり、しばらくしてから手を離した。 エルフの少女はアホのように口を開け、クロノを見上げている。「僕の名前はクロノ、君は?」「……シャ、ウラ」「素敵な名前だね」 誉めておけば問題ないはず、とクロノはドキドキしながら、微笑んだ。 エルフの少女……シャウラは照れているのか、拗ねているのか、俯き加減で唇を尖らせた。「帰ってくるのを待ってるよ」 シャウラはコクンと小さく頷いた。「シオンさんは?」「シオン様は二階だ」 二階ということは仕事中か、とクロノはディノの肩を軽く叩き、階段を登った。 シオンの部屋……正しくは救貧院の院長として仕事をするための部屋だが……は二階の突き当たりだ。 クロノが扉を叩くと、すぐに反応があった。「……クロノ様」 シオンは扉を開け、驚いたように目を見開いた。「どうぞ、中へ。すぐに香茶を煎れますね」 クロノはソファーに腰を下ろし、シオンの後ろ姿を見つめた。 シオンはカップを二つテーブルに置き、ソファーに浅く腰を下ろした。「クロノ様、今日はどのような用件で?」「実は神聖アルゴ王国に行くことになって……そこでシオンさんに炊き出しをして欲しいな~、と」 シオンは不思議そうに首を傾げた。「もちろん、寄付金は上乗するし、炊き出しの費用もこっちで持つから」「危険、なんですか?」「……かなり」 クロノは正直な予想を口にした。 もし、神聖アルゴ王国の『神殿』がクロノの意図に気付いたら、クロノ達の排除に乗り出すだろう。「勝手なことを言ってるのは分かってる。シオンさんが断っても、寄付金や救貧院の予算を削減するようなマネはしない」 卑怯な言い回しだな、とクロノは思った。 クロノが金のことを口にすれば、それは交渉材料になってしまう。「協力してくれるなら、僕の力が及ぶ範囲内で守るから」「クロノ様の力が及ばなかった時は?」「僕は死ぬんじゃないかな」 はぁ~、クロノは溜息を吐いた。「……」 シオンは俯き、時折、クロノの反応を探るように顔を上げた。 重苦しい沈黙がしばらく続き、「分かりました。クロノ様に協力します」 シオンは絞り出すような声で言った。※「……と言う訳で、エレインさんに事情を伝えて欲しいんだけど」『まあ、良いけどよ』 ケインの声が透明な球体……超長距離通信用マジック・アイテムの端末から響く。 クロノはイスの背もたれに寄り掛かった。『大変なことになってやがるな。なあ、俺が戻らなくても大丈夫か?』「本音を言えば戻ってきて欲しいんだけど、ケインがいないと代官所がね」 神聖アルゴ王国との交易が軌道に乗れば、傭兵ギルドの出番が増える。 傭兵ギルドの出番が増えればケインの仕事も増える。「それ以前に戻って来れるの?」『あ~、悪ぃ』 ケインは呻くように言った。 契約の立ち会いが仕事に加わって以来、代官所の仕事量は大幅に増えている。 商人にしてみれば、契約の立ち会いはありがたい制度だ。 何しろ、わずかな手数料で互いに納得の上で取引をしたという証拠が残るのだから。 建物の賃貸契約の立ち会いも増えているというから、代官所は更に忙しくなるだろう。『相変わらず、人手が足りねーよな。ティリア皇女まで引っ張り出すくらいだから、人手不足も極まってやがるな』「ティリアは僕と対等でいたいらしいからね」『はぁ? 何だ、そりゃ?』「僕がいない時は代わりに仕事をしてくれないと」 ああ、でも、自由を満喫しすぎてダメになってるかも知れない、とクロノは一抹の不安を覚えた。『引き継ぎはしっかりな』「……了解」 クロノはケインと打ち合わせをして通信を終了した。※ 帝国暦四百三十二年六月……クロノは部下から報告を受け、屋敷の外でレオンハルト一行を待っていた。 この一ヶ月で出来るだけのことをした。 その中でも特に大変だったのが昏き森を貫く交易路……ルートの選定と休憩所作りだ。 山の専門家であるスーと人間を辞めている感のある神官さんがいなければ短期間でこの二つを成し遂げることはできなかっただろう。 クロノが一ヶ月の苦労を思い出していると、馬に乗ったレオンハルトの姿が侯爵邸の門の近くに見えた。 レオンハルトが門を通り、その後に馬に乗った男達が続いた。 レオンハルトの部下は全員が士爵位を持つ騎士のはずだが、騎士然とした格好をしていない。 レオンハルトも古びた旅装束姿である。 少し気合いを入れすぎたかな? とクロノは軍服の襟を摘まんだ。 父から譲り受けたマントを羽織ろうと思っていたのだが、羽織らなくて正解だったようだ。 レオンハルトは馬から下り、クロノに近づいてきた。 服こそ古ぼけているが、レオンハルトが纏う空気は変わらない。 レオンハルト周辺の空気が光を帯びているようだ。 クロノは軽く息を吐いて 衝撃 ( ・・ ) を受け流した。「久しぶりだな、クロノ殿」「そうだね」 クロノはレオンハルトが差し出した手を握り返した。