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第7話:ティリア帰還

クロの戦記 異世界転移した僕が最強なのはベッドの上だけのようです — novelup.plus · All chapters

第7話:ティリア帰還

※ そもそも歴史を紐解けば、日本が一夫一婦制に移行したのはここ百年くらいの出来事である。 イスラム圏では四人まで妻を娶れるというし、ヨーロッパの貴族社会においては使用人と肉体関係を持っても浮気と見なされなかったとか。 『そうだね』じゃないよ、僕の馬鹿! クロノは自室のベッドで昨夜の自分を罵倒した。 場所はベッド、女将は裸、同じくクロノは向き合った状態で腕枕をされていた。 子どもの頃に戻ったような、ほっとするような感覚だ。「おや、起きてたのかい?」 女将は薄く目蓋を開け、子どもをあやすようにクロノを抱き寄せ、額にキスをした。「……いや、参っちまうね。本気になっちまいそうで困るとか言いながら、しっかり本気になって」 昨夜の情事を思い出したのか、女将はくすくすと忍び笑いを漏らした。 あれで本気じゃなかったとか言われたら、雄としてのプライドが完全に粉砕されてしまう。「にしても一晩で六回は出し過ぎじゃないかい? 体の節々が痛いし、最後の方はヤり殺されるかと思ったよ、あたしゃ」「一晩で六回は僕も初めてだよ」 初めてレイラとした時も六回はシなかった、とそんなことを考えていると、「こら、こんな時に他の女のことを考えるんじゃないよ」「ご、ごめん」 ぽかりと女将に小突かれた。「べ、別に怒ってる訳じゃないんだよ。ただ、若い娘と比べられちまうと、女として居たたまれないもんがあるんだよ。若い頃に比べて、余計な肉が付いてきたし」「いやいや、女将は……綺麗だよ! 年齢のことは仕方がないかも知れないけど、む、胸も大きいし」 これだけのボリュームがあったら、少しくらい垂れるのは仕方がないのでは?「変な慰めはいらないよ」 女将は腕を引き抜き、拗ねたようにクロノに背を向けた。「女将!」「な、なにをするんだい、アンタは!」 クロノは後から女将の胸を揉んだ、揉んで、揉みまくった。「……っ! 昨夜、六回もシたくせにバケモノかい!」「自分でもびっくりだよ。まあ、それだけ女将が魅力的と言うことで」 クロノは女将に覆い被さり、サディスティックな笑みを浮かべた。「し、死んだ旦那とだって、こんなにシたことはないんだよ!」「僕って独占欲が強かったのかも……自分の性格を自覚した所で、僕の色に染め直してあげる」「怖っ!」 うるさいよ、とクロノは女将の唇を自身のそれで塞いだ。「前にも、こんなことがあったような?」「クロノ、遅いぞ!」 クロノが首を傾げると、ティリアが思いっきり扉を開けた。「おおっ!」「……私を甘く見るなよ、クロノ。お前がハーフエルフをベッドに連れ込んでいるのは百も承知だ」「ハーフエルフじゃなくて済まなかったね」 ほっと女将は息を吐き、するりとクロノの下から抜け出した。「ぬぁっ! く、クロノ? こ、コックにまで手を……手を出したのに?」「貴族様が使用人に手を出すのは普通ですよ、普通」 女将は下着を履き、気持ち悪そうに顔を顰めた。「仕方がないね」 女将は胸の開いたメイド服を着ると、外に出て行ってしまった。 去り際、投げキスを忘れない女将はサービス精神旺盛だ。「く、クロノ! うぎゃっ!」 ものすごい形相でティリアはクロノに駆け寄り、女将が着替えていた所で思いっきりすっ転んだ。 仕方がない、と女将が言った原因物質に足を取られたのだ。「な、なんだ、これは?」「……赤ちゃんの元」 少量のそれを指に取るティリアからクロノは視線を逸らした。「うぐ、ぐぐぐぐ」 ティリアは涙目で指に付いたそれを見つめ、皇女らしく毅然と振る舞うべきか、乙女らしく振る舞うべきか、葛藤するように唸り……そのまま動きを止めた。 どうやら、意識を失ったらしい。※ クロノがお忍び用のチュニックに着替えて屋敷を出ると、ドワーフの百人隊長ゴルディが鎧を抱えて近づいてきた。「おお、クロノ様! 新型の鎧が……まあ、試作品ですが、できましたぞ」「これがゴルディ考案の鎧か」 クロノはゴルディから受け取った鎧を注意深く見つめた。 鎧はファンタジーで定番のブレストプレートだ。 色は艶のない黒、重装騎兵の鎧に比べると、かなり薄い。 強度を増すためか、深い溝が表面に何本も走っている。「新しいデザインだね」「見た目だけではありませんぞ! そ、素材が違うのです! 鉄を炭で包んで鍛え、成形過程で熱処理を施しているのです! こ、この処理によって鉄の硬度と靱性を飛躍的に高めているのです!」 ゴルディが口から泡を飛ばしながら、鉄の製法について力説した。「じゃ、耐久テストを「済んでますぞ!」」 え? とクロノが改めて鎧を見ると、矢や剣を受けた跡らしきものがあった。「剣による攻撃は問題なく、弓も従来のものであれば至近距離から受けても防げたのですが、機工弓で放った矢は貫通してしまいまして……」 ゴルディが力なく頭を垂れると、別のドワーフが穴だらけになった鎧を工房の奥に運んでいった。「まあ、機工弓がデタラメなだけで鎧自体は優れてる訳だし、この鎧に切り替えよう」「あ、ありがとうございます」 嬉しさ半分、無念さ半分と言った感じでゴルディはクロノの手を握り締めた。「結果を出してくれたんだから礼は要らないよ。まあ、鎧の凄さとか、分かってあげられなくて申し訳ないんだけどさ」「いえ、クロノ様のお陰で若い頃からの夢を形にできましたぞ」 ゴルディは涙を拭い、「クロノ様のお許しが出ましたぞ!」 おおっ! とドワーフ達が威勢良く応じた。「クロノ様はどちらに行かれるのですかな?」「また、ティリアを怒らせちゃってね。ほとぼりが冷めるまで街をぶらぶらしようかと思って。ああ、そういえば、紙の方は?」「新たに五十枚用意しておりますぞ」「十枚だけ貰ってくね。じゃ、あまり根を詰めすぎないように」 クロノは和紙を受け取り、工房を後にした。※ エラキス侯爵邸から商業区に移動し、クロノはふらふらと露店を巡った。 ハシェルの街で店といえば露店がメインで、驚くほど品目は少ない。 幅広い商品を扱っているのはピクス商会のような大規模な商会だけのようだ。「……『ジャガイモ』とか、『トウモロコシ』は売ってないんだ」 考えてみれば、この世界に来てからジャガイモとトウモロコシを見ていない。「「クロノ様!」」 クロノが露店で買ったドライフルーツを食べながら歩いていると、双子のエルフ……デネブとアリデッドが抱きついてきた。 どちらがデネブで、アリデッドなのか、区別が付かないのだが。「あれ? 二人とも……」「一昨日、盗賊の討伐に行ったから!」「クロノ様がお休みくれたんじゃん」 言って、デネブとアリデッドはクロノが持っていたドライフルーツを口に運んだ。「「甘~い!」」「良ければ食べる?」 クロノがドライフルーツを差し出すと、デネブとアリデッドは礼も言わずに頬張った。「……レイラも休みなんだよね」 クロノは通信用の水晶を取り出し、思い止まった。「呼べばいいのに」「レイラも疲れてるだろうし、いきなり呼びつけるのは少しね」「そんなことないと思うけど?」「そうそう! いきなり呼びつけて押し倒しても平気だって!」「そんな、ケダモノじゃあるまいし」 クロノが言うと、双子のエルフは不思議そうに首を傾げた。「「レイラは、クロノ様の愛人なんでしょ?」」「そうだけど、そういうのはダメでしょ」 デネブとアリデッドは顔を見合わせ、難しそうに眉根を寄せた。「「何で?」」「何でって、愛してるから」「「愛なの、それ?」」 デネブとアリデッドに真顔で問い返され、クロノは自分の愛に不安を覚えたが、押し倒すのは絶対に違うと自分を納得させた。「君達やレイラが求める愛とは違うかも知れないけど、レイラを大切にしたいのは本心だよ。じゃ、もう少しぶらぶらするから」「「ね~、クロノ様?」」 デネブとアリデッドは甘えた声を出し、クロノの腕に抱きついた。 腕を絡め、ぐいぐいと胸を押しつける。「あたし達、暇なんだけど」「そうそう! あたし達と遊んでくれると嬉しいな!」「純粋に遊びって訳でもないんだけど、それで良いなら」 やった! とデネブとアリデッドは満面の笑みを浮かべた。 クロノは二人のエルフを侍らせながら露店を見て回る。「クロノ様、あれを買って」「クロノ様、こっちも欲しい」 二人に引き摺られ、クロノは言われるがままに金を支払った。 高価な品物をねだられたら断るつもりだったのだが、焼いた鶏の足とか、ドライフルーツとか、果汁のジュースとか、安い食べ物を選ぶ当たり微妙に計算高い。 お腹が膨れてきたのか、二人のおねだりが少なくなり、クロノはある露店の前で足を止めた。「切り干し大根?」 そこには切り干し大根の束が幾つも並んでいた。「いえ、ビートです」 にっこりと木箱に座っていた女性がクロノに微笑んだ。 女性の年齢は二十代半ばといった所だろうか。 肌は健康的な小麦色、ダークブラウンの髪を肩の位置で切り揃えている。 ゆったりとした黄土色のローブを着ているのだが、腰紐のせいでウェストの細さが際立つ。 ぽわんと目元が幸せそうに緩んでいて、そういう目で見ていると、無性に罪悪感を掻き立てられる。「誰かと思ったら、黄土神殿の神官さんじゃん」「デネブさん?」「ブーッ! あたしはアリデッド、あっちがデネブ」 デネブとアリデッドはクロノに隠れ、回転した後で元の位置に戻る。「「さあ、どっちがデネブで、どっちがアリデッドでしょう?」」「こちらが、アリデッドさん?」「ブーッ! あたしはデネブだってば!」 女性が自信なさそうに指差すと、デネブは両腕を振り上げて言った。「「クロノ様は分かるよね」」 二人は再びクロノから離れ、グルグルとその場で回った。「「さあ、どっちがデネブで、どっちがアリデッドでしょう?」」「君がアリデッドでしょ」「ブーッ! あたしはデネブだってば!」 あれ? とクロノは腕を組んだ。 双子といっても名乗ったばかりだ。 単純に回っただけで間違うとは思えないのだが。 クロノは二人の頭に手を乗せ、優しく髪を撫で、尖った耳を弄んだ。「えへへ」「……」 デネブと名乗った方はくすぐったそうに笑い、名乗らなかった方は涙を堪えるように上を向いた。「笑った方がアリデッドで、泣きそうになった方がデネブなんだから合ってるよ」「「……っ!」」 クロノが指摘すると、デネブとアリデッドは驚いたように目を見開いた。 まあ、要するに双子で見分けが付かないことを利用して嘘を吐いたのだ。「あの、クロノ様、怒ってる?」「僕は怒ってないよ。でも、神官さんに謝るんだ」 上目遣いに言うアリデッドにクロノは苦笑いを浮かべた。「「ごめんなさ~い」」「い、いえ、私の方こそ、見分けがつかなくて」 慌てたように言う神官を見て、クロノは素直に感心した。 どうやら、この人は亜人に偏見を抱いていないらしい。「この、ビートだっけ?」「これは『黄土にして豊穣を司る母神』様の教えに従い、私の父が何十年も掛けて品種改良したものです。これは保存するために干した物ですが、とても甘くて、栄養価があります」「え~、でも、家畜の飼料じゃん」「そうだよ、そんなの売らなくても良いじゃん」 ビートの先端を囓ると、確かに甘かった。「うえ、クロノ様! それは家畜の餌だって!」「そうだよ! 人間が食べるもんじゃないんだよっ?」「クロノ様? ……っ! も、申し訳ございません!」 ばっ! と神官はローブを翻し、もの凄い勢いで平伏した。 ケフェウス帝国では、神官は世俗の権力から自由であるなんて理屈は通用しない。 何しろ、初代皇帝が信長ばりに徹底的な弾圧をしたくらいである。「平伏されるほど偉くないんだけど……え~と、神官さん?」「し、シオンと申します」「このビートを売って下さい」「はい、銅貨一枚になります」 クロノが銅貨を一枚差し出すと、シオンは両手でそれを受け取った。「そんなにビクビクしなくてもクロノ様は酷い人じゃないよ」「ほ、本当ですか?」「そうそう、噂なんて嘘っぱちだよ」「噂って?」 デネブとアリデッドは顔を引き攣らせた。「クロノ様の噂は……眉目秀麗にして、比類なき剣技と魔術を操り、十倍の兵力差を容易く覆す神算鬼謀の持ち主、その隻眼は心底を見抜く神の目なり。ケインを仲間にしてからは盗賊すら心酔させる器の持ち主って」「一つも当てはまってないよ」 その内の一つでも持っていれば人生が変わっていたに違いない。「黄土神殿の人が炊き出しをしているって聞いたけど、それって、シオンさんのこと?」「は、はい……寄付を募るばかりでは心苦しく」「でも、家畜の餌を人間に売るのはどうよ?」 はぅ、とシオンは雨に打たれた子犬のように体を震わせた。「アリデッド。シオンさんが露店を開いているのは貧しい人を助けるためなんだから」「貧乏だったら働けばいいじゃん」「そうだよ、あたしらみたいに兵隊をやるとか」 クロノは二人の価値観に溜息を吐くしかなかった。「……デネブ、アリデッド」「「あたしら、間違ってないし」」「そうだね。でも、シオンさんだって間違っていないんだよ」 クロノは跪き、シオンの手を握り締めた。 女の子とは思えないほど固い手の平は力仕事を日常的にこなしているからだろう。「シオンさん、しばらくしたら救貧院を復活させる。他にも色々と考えてるけど、救貧院を優先させるから……もう少しだけ我慢して欲しいんだ」「く、クロノ様」 シオンは潤んだ瞳でクロノを見つめた。※「神官のくせに色気づいて」「面白くな~い」 不満そうにしているが、デネブとアリデッドはクロノから離れようとしない。 買ったばかりのビートを抱えているので歩きにくいこと、この上ない。「もしかして、クロノ様……お金を出してやるから体を好きにさせろとか?」「しないよ」 溜息を吐き、クロノはピクス商会の建物を見上げた。「「ここに残った方が良い?」」「秘密にするつもりはないから大丈夫」 クロノが二人を伴って建物にはいると、ニコラが誰よりも早く歩み寄った。「クロノ様、今日はどのような用件で?」「一応、商売の話かな?」「では、こちらに」 ニコラに促され、クロノは奥の事務室に移動した。「ヴェル! 早く香茶を!」「は~い!」 ドタドタと音が響き、クロノは苦笑いを浮かべた。「何か、ご入り用でしょうか?」「今日は……これを売りに来たんだ」 クロノが和紙の束を差し出すと、ニコラは真剣な面持ちでそれを手に取った。「これは?」「うちの工房で試験的に作った紙だよ」「書き心地を試しても?」 クロノが頷くと、ニコラは羽ペンで文字を書いた。 開発初期の和紙はペン先が引っ掛かっていたが、改良を重ねた和紙はその問題をクリアしている。「ほぅ、見事な書き心地です。薄いのが難点ですが、それも板に固定すれば問題にならない」「ニコラさんなら、いくらで販売する?」「ケフェウス帝国における羊皮紙の相場が一枚で銅貨三枚ですから……市場を切り開く意味でも銅貨一枚が妥当ではないかと」「じゃ、いくらで引き取ってくれる?」 クロノが問うと、ニコラは額に脂汗を浮かべて黙り込んだ。 駆け引きではなく、ニコラがクロノの体面を考えているからだろう。「ごめん、今の聞き方は卑怯だった。こっちは一枚の紙を真鍮貨一枚で、千枚買い取ってもらえれば赤字にならない。でも、これは人件費ベースで考えた時の話なんだ。原材料を採集から栽培に切り替えたら……多分、値段は倍以上跳ね上がる」「香茶をお持ちしました!」 ばん! とヴェルは四人分のカップを置くと、事務室から出て行った。 ニコラは震える手でカップを取った。「クロノ様が最初に仰った金額であれば、私どもは販売するだけで一日金貨四枚と銀貨十枚の利益になりますが……何故、クロノ様は原価を明かしたのでしょう?」「きちんと説明しないと、ニコラさんが協力してくれないと思ったんだよ」「……なるほど、クロノ様は商売が下手ですね」「だから、ここに来てるんだけどね」 ニコラは一息で香茶を飲み干し、カップを置いた。「では、当面はクロノ様の工房で作られた紙を真鍮貨五枚で買い取らせて頂きます。新しい工房を作った際、改めて価格を設定すると言うことで宜しいでしょうか?」「じゃ、それで」 クロノは同じ文面の同意書を二枚書き、一方をニコラに渡した。※ ピクス商会のニコラと商談を終え、マイルズが経営する娼館で軽い食事を摂る。 意外にもマイルズはデネブとアリデッドの存在に難色を示すことなく、和やかな食事風景となった。「クロノ様って、割と働いてたんだ」「マイルズってヤツ、嫌~い」「あまり好かれるタイプじゃないね。僕は屋敷に戻るけど、二人は」「「ベッドまでお持ち帰りで」」 クロノはビートと二人を見比べ、「冷気を操る魔術って使える?」「「あたしらエルフだから全系統使えるよ」」「なら、一緒に厨房まで行こう」 クロノは二人を伴い、エラキス侯爵邸へ。 今度はエルフの双子かよ! 的な家臣団の視線を受け流し、クロノは侯爵邸一階の厨房に足を踏み入れた。 エラキス侯爵邸の厨房は民家が収まってしまいそうなほど広い。 そこには巨大なテーブルがあり、壁の棚には磨かれたフライパンや鍋が並び、暖炉にはコンロのようなものが据え付けられている。「お、おや、クロノ様……ど、どうして、こんな所に」「ちょっと厨房を貸して貰おうかと思って、卵とミルクはあったよね?」「ええ、そりゃ」 クロノはビートの束を鍋に突っ込み、浸るくらいまで水を注いだ。「何をしてるんだい?」「ちょっとした実験かな」 鍋を火に掛け、ことこと煮込む。「家畜の餌なんか、どうするの?」「砂糖を作れるんじゃないかと思って」「「砂糖!」」 デネブとアリデッドはクロノの両脇から鍋を覗き込み、明らかに落胆した表情を浮かべた。「危ないから下がって」 一時間くらい茹でれば良いのかな、とクロノは鍋に蓋をした。「クロノ様は物知りなんだねぇ」「本で読んだり、聞きかじった知識ばかりだけどね」 その知識も何処まで通じるのか、クロノには分からない。 一時間くらい経ち、クロノはザルで汁とビートを分け、更に汁を煮込む。 粘性が増し、微かに焦げたような臭いが漂う。「クロノ様、焦げてるんじゃ?」「結構、ドロドロしてきたんだけど」 かなり砂糖っぽくなったのだが、このままでは焦げ付いてしまう。「湯煎しちゃ、どうだい?」「湯煎?」 クロノが問い返すと、女将は新しい鍋に少量の水を入れ、火に掛けた。「お湯を入れた鍋で容器を温めるってことさ。そんなことも知らないなんて、やっぱり、男の子だね。さあ、続きはあたしがやってあげるよ」 女将は小さめのボウルに焦げた煮汁を移し、『湯煎』を開始した。「少しざらついてきたね」 女将はへらで煮汁を掻き混ぜ、しばらくすると褐色の砂糖になった。 女将は褐色の砂糖を指で摘み、「うん、こりゃ、紛れもなく砂糖だ」「「砂糖!」」 デネブとアリデッドは身を乗り出し、鍋に指を突っ込んだ。「熱っ! けど、甘いっ!」「こ、これが伝説の砂糖!」 そういえば砂糖も貴重品だったか、とクロノは砂糖を二人から庇った。「クロノ様、独り占めする気?」「まだ、中間地点……女将、牛乳と卵!」「はいよ」 クロノは新しい容器に砂糖、牛乳、卵黄を目分量で入れ、軽く泡立てた。「「あ~、砂糖が!」」 容器を抱えたまま、壁の棚から金属製のボウルをテーブルに移し、「二人とも、ボウルを凍らせて」「「良いけど…… 氷舞 ( つららまい ) !」」 ぎしり! と空気が軋み、霜がボウルの表面を覆った。「念のため、もう一発」「「…… 氷舞 ( つららまい ) !」」 ぎち! と霜が厚みを増し、冷気が流れる。 クロノは凍り付いたボウルを脇に抱え、容器の中身を一気に流し込んだ。「冷たっ!」 乱暴に泡立てると、砂糖、牛乳、卵黄の混合液はシャーベット状に変わった。「こんなもんか」 クロノはシャーベットを皿に分け、好奇心に目を輝かせるデネブ、アリデッド、女将に差し出した。「食べ「「美味~っ!」」 クロノが言い切るよりも早く、デネブとアリデッドはシャーベットを食べていた。「美味いね。こんなに美味いもの、食ったことがないよ」 女将は子どものように顔を綻ばせた。「何て、名前だい?」「……アイスクリーム」 少し間を置いて、クロノは答えた。「クロノさ「こんな所にいたのか、クロノ!」」」 声のした方を見ると、ティリアがレイラを押し退けて厨房に入ってくる所だった。「ああ、二人とも呼びに行く所だったんだ」 クロノはアイスクリームを皿に分け、テーブルの上に置いた。「なんだ、これは」「いただきます」 ティリアとレイラはアイスクリームを同時に食べ、「「……っ!」」 動きを止めた。「こ、これは……何という、いや、こんな物で誤魔化されないぞ」「冷たくて、甘くて、美味しいです」 ティリアはしっかりと騙され、レイラは涙を浮かべ、アイスクリームを口に運んだ。「クロノ、どうやって作ったんだ?」「秘密」「また、それか!」 クロノが微笑むと、ティリアは不満そうに言った。「怒らないって約束してくれる?」「うむ、ケフェウス帝国第一皇女の名に置いて誓おう」 ティリアは胸を張り、鷹揚に頷いた。「まず、家畜の飼料から採った汁を鍋で煮込んで」「そんなものを私に食べさせたのか!」 いきなり立ち上がり、ティリアが叫んだ。「……約束を破ったから終了」「う、待て……くぅぅぅぅ」 ティリアは葛藤するように唸り、「……わ、私は家畜の飼料なんて食べないぞ」 未練がましくアイスクリームを見ながら言った。「クロノ、食事が終わったら私の部屋に来い」「「皇女様ってば、大胆」」「……っ!」 デネブとアリデッドが茶化すと、ティリアは驚いたように目を見開いた。「ち、違うぞ! 私は今後のことについて話し合おうと!」「「子どもは何人欲しい?」」「ち、散れ! エルフども! ふ、不敬罪だ!」 二人に茶化され、ティリアは顔を真っ赤にして叫んだ。「「クロノ様、フォローをお願いしま~す!」」 アイスクリームの入った容器を抱え、デネブとアリデッドは厨房から飛び出した。※「……な、何なんだ、あの双子は。わ、私とクロノが、こ、こ、子どもなんて」 食事を終えたクロノが執務室に入ると、ティリアは恥ずかしそうに頬を赤らめていた。 時折、だらしなく口元が緩むのは……何故だろう。「来たよ」「……っ! げふん、げふん」 ティリアは気まずそうに咳払いをした。「これは何だ?」 クロノが小瓶と和紙を置くと、ティリアは不思議そうに小瓶を掲げた。「家畜の飼料から作った砂糖だよ。で、紙はアイスクリームのレシピ」「砂糖だと!」 ティリアは砂糖を手の平に乗せ、ちろりと舐める。「……本当に砂糖だ。砂糖は南方でしか作れないはずだが?」 ティリアは剣呑な眼差しでクロノを睨み付けた。「クロノ、お前は何者だ? 機工弓といい、紙といい、この砂糖もそうだ! 盗賊団を討伐した時に、いや、初めてお前と話した時に気付くべきだったんだ!」「何に?」 ティリアはクロノの胸ぐらを掴み、机に叩きつけた。「……お前は劣等生ですらなかった。もう一度だけ聞く、お前は何者だ? 何処から来た? 何のためにケフェウス帝国に潜り込んだ?」「別の世界から来たと言ったら?」 お前は疲れているんだ、とそんな言葉をクロノは期待したが、ティリアの顔から一切の表情が消えた。 白刃が煌めく。 ティリアが護身用の短剣を引き抜いたのだ。 ま、マズイ! クロノは必死に抵抗したが、ティリアは一気に短剣を振り下ろした。 だん! と白刃がクロノの目の前に突き立つ。「クロノ、今の話は誰かにしたか?」「与太話だと思われているみたいだけど、部下の前で」 ふー、とティリアは呆れたように溜息を吐き、クロノから手を離した。 がくがくと膝を震わせながら、クロノは体を起こした。「クロノ、今の話は二度とするな」「理由は聞いちゃダメ?」「……ケフェウス帝国の初代皇帝は別の世界からやって来た黒髪の男だった。異界の知識を駆使して男は周辺諸国を併呑し、一代で帝国を築き上げた」 ティリアは髪を掻き上げ、不機嫌そうに言った。「僕と同じ?」「そうだ!」「どうして、殺そうとするのさ?」「分からないのか! お前は……初代皇帝の再来として、旗印に成り得るんだ。それに異界の知識は今の帝国にとって毒になるかも知れない」 ティリアはイスに座り、苦悩するように俯いた。「全く、厄介事ばかり増やして」「僕だって、この世界に好きで来た訳じゃないんだけど……そういえば、初代皇帝はどうなったの?」「普通に子どもを孕ませて、普通に死んだに決まってるじゃないか」「あ、普通に子どもを作れるんだ」 クロノは自分が殺されそうになったのも忘れて、胸を撫で下ろした。「……まさか」 ティリアは警戒するように自分の体を抱き締めた。「別の世界から来たんなら、子どもを作れるとは限らないでしょ」「?」 ティリアは訳が分からないと言うように首を傾げた。「これからどうするの?」「明日、私は帝都に帰るが、十人ほど事務仕事の得意な家臣を置いていこうと思う。お前の行動を報告させるためにな」「行動の制限はされないと考えても良いのかな?」 ふぅぅぅ、とティリアは重々しく溜息を吐いた。「好きにしろ。ただし、私を裏切るな」「裏切らないよ」「お前は……本当に、馬鹿だ」 ティリアは眩しそうに目を細め、小さく呟いた。※ その夜、レイラの様子が変だった。 本を音読させても、九九を暗唱させても何処か上の空なのだ。「疲れてるなら、早めに休む?」「……はい」 レイラは何か言いたそうな目でクロノを見つめたが、何も言わずに服を脱いだ。 いつもなら下着まで脱ぐのにどうしたんだろう? とクロノは内心首を傾げた。 ちなみにレイラの下着は麻製で、飾り気のないショーツと丈の短いタンクトップ……らしきもの……だ。「失礼します」「……っ!」 クロノはハンマーでぶん殴られたような衝撃を受けた。 レイラがクロノに背を向けたのだ。 もしかして、怒ってる? デネブとアリデッドとデートした件か? それとも、昨夜の女将の件か?「あの、レイラ? レイラさん?」「……っ!」 クロノが触れると、びくっとレイラは体を硬直させた。 落ち着け、クロノ。 素数を数えて、落ち着くんだ。 理由を聞くべきか、いや、藪蛇になったら目も当てられない。 そんなことを考えている内に、クロノは睡魔に襲われ……目を覚ますと、レイラが馬乗りになっていた。 ぎらぎらと輝く金色の瞳がクロノを見ている。「……クロノ様?」「あの、レイむぐぅぅぅぅぅ!」 レイラがクロノの唇を貪る。 クロノは抵抗を試みたが、本気になったレイラの前では虚しい抵抗と言わざるをえなかった。「……ふぅ」 レイラはクロノの胸に額を押しつけ、艶っぽくも荒々しい呼吸を繰り返した。「申し訳ありません、クロノ様」「女将の件?」 レイラは弱々しく首肯した。「……クロノ様は貴族で、いつまでも私のようなハーフエルフが独り占めできる訳がないと分かっていました。分かっていたはずなのに、私は、なんて」 浅ましい、とレイラは自分を卑下するように呟いた。 クロノは何も言えなかった。 昨夜は元同僚を殺した罪悪感もあったし、ワインを飲んだことも少なからず影響していたと思うが、女将を遊びで抱いたのかと言えば違うのだ。「レイラ、僕は君のことを愛してるよ。けど、女将のことも好きだし、デネブやアリデッドに誘惑されたら拒みきれないような気がする。跡継ぎのことを考えたら、結婚もしなきゃならないし、公私混同もしたくないから、目に見えるメリットはないと思う」 言いながら、クロノは自分が情けなくなった。 クロノ以外に犯されるくらいなら死を選ぶと言ったレイラに比べ、なんて不誠実な男なのだろう。 おまけに不誠実さを自覚しながら、公私混同をしたくないなんて都合の良い台詞まで吐いている。 不誠実、ここに極まれりだ。 レイラは、こんな不誠実な男の愛人なのだ。 愛なんて形のないものでしか繋がっていないのだから、レイラが『今』以上の愛を感じたいと思うのは当然だ。「このまま関係を続けて、もし……もし、仮に、万が一、私がクロノ様の子どもを身籠もったら?」「もちろん、認知するよ」「ハーフエルフの子を認知するなんて聞いたことがありません!」 クロノが言うと、レイラは慌てたように体を起こした。「これが僕なりの誠実さ……いや、すごく調子の良いことを言っているのは分かってるんだよ。でも、養子だったり、貴族だったり、上官だったりで、あっちを立てたら、こっちが立たない状況に」 くすりとレイラは忍び笑いを漏らした。「今のクロノ様は子どもみたいです」 レイラはクロノにキスをして、いつもの位置に戻った。 今度は背を向けていない。「多分、私もクロノ様と同じです。愛だけを望むのなら兵士を辞めるべきなのに、少しでも役に立ちたくて……私は欲張りです」「きっと、一番の欲張りは僕じゃないかな」 クロノはレイラの髪を優しく撫でた。※ 翌日、「……クロノ、達者でな」「ティリアこそ、元気で」 簡単な挨拶を交わした後、ティリアは豪華な馬車にエスコートされることなく乗り込んだ。 馬車の台数は十台以上、護衛の騎兵は五十騎……ティリアの家臣団は誰とも別れを惜しんでいないようだった。 まあ、それはこちら……クロノの部下も同じだ。 二十人の元軍人メイドはティリアのメイド衆に殴られながら仕事を仕込まれていたから名残惜しむはずないし、他の面子……百人隊長、レイラ、女将、エレナは接点そのものがなかった。「く、クロノが、どうしてもと言うのなら、もう少し残ってやっても良いんだぞ?」「早く帰りなよ」「もう良い、出せ!」 クロノが即答すると、ティリアは顔を真っ赤にして叫んだ。 じゃあね、とクロノは走り出した馬車に小さく手を振った。