第4話:行商人組合
第4話:行商人組合
※ 昏き森の終わりが見えた時、コールの胸に湧き上がったのは仕事をやりおおせた達成感や誇らしさではなく、無事に戻ってこられたことに対する安堵感だった。 早くベッドで休みたい。 神聖アルゴ王国フォマルハウト領とケフェウス帝国カド伯爵領の往復はコールを疲弊させていた。 二つの領地を結ぶ交易路は起伏に富み、舗装もされていない。 兵士や傭兵、森を熟知した狩人、獣人ならば交易路を往復しても苦にならないのかも知れないが、コールは人間の行商人だ。 交易路を苦もなく往復できる体力はない。 精神的な疲労も無視できない。 昏き森は植物の密度が濃い。 見通しが悪く、音の通りも悪い。 似たような風景が延々と続くから感覚が狂う。 まるで濃霧の中を歩いているような気持ち悪さがある。 道を外れれば遭難は必至、仲間とはぐれるのもマズい。 昏き森には| 蛮刀狼 ( バンデッド・ウルフ ) と呼ばれるバケモノが棲息しているからだ。 コールは一度だけ蛮刀狼に遭遇したことがある。 蛮刀狼はすぐに逃げ出したが、その時のことは鮮明に覚えている。 勝てない、とコールは蛮刀狼を見た瞬間に確信した。 どうして、そんな確信を抱いたのか自分でも分からない。 とにかく蛮刀狼には対抗できないし、逃げ切ることもできないと瞬時に理解したのだ。 バケモノが自分を狙っている。 そんな風に考えていたせいか、コールは寝不足気味だった。 ちょっとした物音で目を覚ますようになったのだ。 一回や二回ならともかく、朝までに五回も六回も目を覚ますと苛々して仕方がない。 しかも、荷役はリザードマンだ。 リザードマンは寒さに弱い。 防寒対策はしているが、朝から焚き火をしてやらなければ連中は満足に動けない。 苛立ちを抑えながら連中の世話を焼くのは最悪だ。 嫌がらせを受けているような気分になる。 それでも、コールはリザードマン……キャラバンのメンバーに当たり散らしたりしなかった。 いや、当たり散らせなかった。 荷役のリザードマン十人はコールが所属している行商人組合の奴隷だ。 立場はコールの方が上だが、リザードマンの所有者はあくまで行商人組合だ。 同じようなことが護衛の傭兵についても言える。 五人の傭兵を雇っているのは行商人組合なので、コールはあまり大きな態度を取れない。 行商人組合はシルバニアに拠点を持つ行商人の相互扶助を目的とした組織ということになっている。 実際は皆で協力して港の使用料を払おうという趣旨で作られた組織だ。 行商人の相互扶助云々は後付けだ。 トップは組合長、その下に幹部が三人、更にその下に組合員という構成だ。 ただし、組合長と三人の幹部は行商人としては隠居状態である。 いや、卸売業に転身したと言うべきだろうか。 彼らは今まで培った人脈を駆使して荷を仕入れ、組合員に格安で売っているのだから。 コールは下っ端の組合員だ。 毎月、組合料を支払って組合員を名乗っているが、組合員のメリットはそう多くない。 カド伯爵領にある組合の施設に宿泊できたり、仕事を斡旋して貰えたりすることくらいである。 コールは昏き森を抜け、十メートルほど進んだ所で大きく息を吐いた。 誰かがコールの肩を叩く。 コールが隣を見ると、髭面の傭兵が歯を剥き出して笑っていた。 なかなか愛嬌のある笑みだ。 もしかしたら、髭面の傭兵はコールを誉めているつもりなのかも知れない。 俺はそんなガキじゃねーよ、とコールは心の中で吐き捨てる。 コールは今年で十八だ。 子どもの頃から……荷運びもまともに出来なかった期間を職歴に数えて良いものか自分でも判断に迷う所だが……とにかく、コールは十年以上のキャリアを持つベテランなのだ。 だが、不満を口にしたりしない。 子ども扱いされるのは慣れている。 コールは自分が抜け目ない商人の顔をしていると思っているのだが、他の人間には実年齢よりも幼く見えるらしい。 コールは顔を上げた。 夕焼けに染まった畑と村が見える。 カド伯爵領の開拓村だ。 夕食時なのだろう。 美味しそうな匂いが風に乗って漂ってくる。 コールは唾を呑み込み、背筋を伸ばした。 もう少し歩けばシルバニアだ。 コールは疲れた体に鞭を打って歩き始めた。※ コールは護衛の傭兵と荷役のリザードマンを従え、シルバニアの街を南に進む。 有力な商会は港の近くに拠点を構えている。 行商人組合の拠点も港の近くにあるため街を突っ切らなければならないのだ。 それにしても、よくも、こんな短期間で、とコールは街の様子を横目で見る。 コールの記憶にあるシルバニアは街ではない。 漁村に向かうための通り道だった。 シルバ港が完成し、商館が建ち……あっという間に街になった。 道が格子状になってるってことは計画的なんだよな? とコールは自問する。 シルバニアは野放図に広がっていった。 そんな印象があるのだが、こうして道の真ん中に立つとそれなりに計画的だったんじゃないかと感じる。 意外と計算尽くなのかも知れねーな、とコールは疑問に一応の決着を付ける。 今の領主は黒い噂の絶えない人物だ。 そんな人物が無計画に街を作るはずがない。 実際は無計画だったりするのかも知れないが、論理的な思考は大事だ。 しばらく道を進むと、人と擦れ違うことが多くなる。 別の道にすれば良かったな、とコールは舌打ちした。 よりにもよって歓楽街を横切るルートを選んでしまったのだ。 歓楽街は陽が暮れたばかりだというのに賑わい始めていた。 コールは歓楽街にいる連中が好きになれない。 騒ぐのに躍起になっている感じが嫌なのだ。 アルコールと安い化粧の臭いがコールの鼻腔を刺激する。 横目で確認すると、男達が酒を飲んでいた。 化粧を施した女もいる。 男達は日焼けしているから、船員なのだろう。 女達は娼婦と考えるべきか。 コールは足早に歓楽街を通り過ぎた。 喧噪が遠ざかり、舗装された区画に入る。 ここまで来れば行商人組合は目と鼻の先だ。 三階建ての建物の前を通り過ぎる。 商館が並ぶ街の一等地にありながら、一階は酒場という奇妙な建物だ。 ただし、酒場の雰囲気は途中にあったそれと別次元だ。 色付きガラスで覆われた照明用マジック・アイテムが入り口付近を優しく照らしている。 店内の照明も外と同じようにガラスで覆っているのだろう。 窓ガラス越しに見える店内は穏やかな光に包まれている。 看板には『シナー貿易組合』とある。 エレイン・シナー……シルバニアの商人ならば駆け出しだって彼女を知っている。 裸一貫から成り上がった彼女の成功譚に野心を刺激されない商人はいないはずだ。 コールは傭兵ギルドがシルバニアに来た時のことを思い出す。 あの時、エレイン・シナーは代官と共に傭兵ギルドの面々を迎えた。 代官と対等であると言わんばかりの堂々とした態度で、だ。 いつかは俺も、とコールは拳を握り締めた。 しかし、コールの決意は行商人組合の拠点を見上げると少し勢いを失う。 行商人組合の建物は倉庫から最も離れた場所にある。 建物は木造の二階建てだ。 煉瓦や石で作られた商館に比べ、かなり見劣りする。 場末の酒場と言っても通用しそうな建物だ。 実際、一階は酒場じみている。 受付のカウンターがあり、高さのある丸テーブルが幾つか並んでいる。 二階は組合長の執務室と組合員が宿泊するための部屋だ。 いや、ここから俺の伝説が始まるんだ、とコールが自分に言い聞かせたその時、扉が開いた。 扉を開けたのは禿頭の男だった。 男の肌は赤銅、顔の下半分を覆う髭は灰色だ。 身長はコールより高く、背筋もピンと伸びている。 コールは男の年齢が六十近いと知っているが、もっと若く見える。 男の名はトマス、行商人組合の組合長だ。 コールの養い親でもある。「コール、戻ったか」 トマスはニカッと笑った。 コールが思い描く百戦錬磨の商人に相応しくない開けっぴろげな笑顔だった。 コールがどう反応すべきか迷っていると、トマスは髭面の傭兵に歩み寄り、彼の両手を握り締めた。「ありがとうございます」「我々の仕事はこれで終了と言うことで?」「はい。明日、傭兵ギルドと代官所に使いの者を出しますので」 トマスは髭面の傭兵の言葉に頷いた。 傭兵達はゆっくりと歩き出す。「お前達もご苦労だったな。明日は仕事を休んで良いぞ。それから体調が悪かったら、早めに言うんだぞ」『……』(しゅー) リザードマン達は頷くと、行商人組合の隣にある建物に向かった。 隣にある建物は横長で、行商人組合のリザードマン達はそこで寝泊まりしている。 シルバニアではきちんと奴隷の管理をしないと、領主に睨まれるのだ。 どうして、領主が奴隷の扱い方に口を出すのだろう? とコールは不思議に思ったものだが、自分が奴隷を扱う立場になった今は分かる。 よくよく考えてみれば奴隷に限った話ではないのだが、素人を一人前に育てるのは手間がかかる。 領主が奴隷の扱い方に口を出すはずである。 領主は杜撰な奴隷の管理によって生じた損失が巡り巡って、領地の経済に悪影響を与えると危惧しているのだ。「少し話さんか?」「……まあ、ちょっとくらいなら」 コールはベッドで眠りたかったが、頷いた。※ 行商人組合の一階は静寂に包まれていた。 夜はこんなもんか、とコールは窓際の席に座った。 トマスがやや遅れて席に着く。 手には陶製のティーポットとカップ……多分、トマスは香茶を飲んでいる最中だったのだろう。「まあ、飲め」 コールはトマスに勧められるまま、カップを口に運んだ。 甘酸っぱい味がコールの舌を刺激した。「酒じゃねーか」「エルフの妙薬だ」 コールが突っ込むと、トマスは真顔で言い返した。「同じものだろ」 コールはカップをテーブルに置いた。 トマスが持ってきた酒はワインや| 大麦酒 ( ビール ) から抽出した成分に果汁を混ぜた物だ。 抽出された成分を傷にかけると、傷が悪化しにくくなることから、エルフの妙薬と呼ばれている。「コール、どうだった?」「どうだと言われてもな。まあ、順調な旅だったんじゃねーかな?」 コールは天井を見上げて言った。 寝不足になってしまったが、旅そのものは順調だったと思う。「商売って意味なら、やっぱ、旨味はあるな。昏き森を越えるだけで商品が倍の値段で売れるから」 命の危険を冒す価値はある、とコールはそんな言葉を呑み込んだ。 行商は命懸けだ。 盗賊の襲撃を受けることも、猛獣に囲まれることもある。「良いか、コール。命あっての物種だぞ」「分かってるよ、親父殿」 コールは冗談めかして答えたが、トマスの言葉を軽く考えていない。 昔、コールがトマスと二人で行商をしていた頃の話だ。 他の行商人と組んで仕事をしたことがあった。 順調な旅だったが、あと少しで次の街という所で盗賊に襲われた。 トマスは迷うことなく荷を捨てたが、組んでいた行商人は荷を捨てなかった。 結果、盗賊に追いつかれ……そこから先は知らない。「なら、良い」 トマスは背を丸め、ちびちびとエルフの妙薬を飲んだ。「金に目が眩むと、人間は危険に危険を見なくなる」 コールは適当に頷いた。 トマスは酒が入ると、妙に説教臭くなるのだ。 コールはコールで酒が入ると、テンションが微妙に下がる。「コール、お前はまだまだ半人前だ」「ひゃくまんべん、きいた」 コールは体を傾けながら答えた。 トマスはコールを半人前と言うが、それなりに認めているはずだ。 そうでなければ現役時代に使っていた荷馬車を貸してくれるはずがない。「近頃の若いもんは……エレイン・シナー、エレイン・シナーと一攫千金ばかり夢見おって。コール、堅実が一番だ。だから、馬車を貸してやっとるんだぞ」「うーす」 コールは項垂れながら答えた。※ コールはベッドで微睡みながら、昔のことを思い出す。 十年以上前のことだ。 コールは孤児だった。 何処で生まれたのか覚えていないが、どうやって生きていたのかは覚えている。 コールはゴミを漁り、盗みを働き、同じような境遇の連中に暴力を振るい、居場所を確保していた。 先のない生き方だ。 万が一、大人になるまで生き延びても真っ当な人生は送れなかったに違いない。 幸いと言うべきか、コールは行商人になった。 ある日、トマスから商品を盗もうとして捕まったのだ。 どんな理由があったのか、トマスは自分の息子としてコールを育てた。 いつか、その理由を話してくれる日が来るかも知れない。 あ~、とコールは唸って、体を起こした。 コールが寝ているのは行商人組合の二階だった。 組合員用の部屋は個室だが、とんでもなく狭い。 ベッドが一つ、水の入った樽と桶が一つずつあるだけだ。 小さな窓の存在が唯一の救いか。「……買い出しに行かねーと」 旅の疲れが残ってるのか、昨夜のアルコールのせいか、体が怠い。 それでも、コールは体を洗い、身支度を整えた。 一階に下りると、テーブルは全て埋まっていた。 組合員はここで情報を交換し、商談をする。 視線がコールに集中する。 だが、それも一瞬のことだ。 コールは欠伸を噛み殺しつつ、一階を横切ろうとした。 すると、男がコールの行く手を遮った。 ひょろりと背の高い青年だ。 ワシ鼻で、雀斑が鼻梁に浮かんでいる。 中途半端に長い赤毛をオールバックにしている。 青年はトッド……『恐れ知らず』のトッドと自分で名乗っている痛いヤツだ。 まあ、コールはトッドの痛さよりもギャンブル好きな所が苦手なのだが。「よう、コール! 儲かってるか?」「そっちはどうなんだよ、トッド?」「このトッド様に愚問だぜ」 トッドは櫛で横髪を撫でつけたが、髪は乱れていない。「なあ、暇か? 儲け話があるんだけどよ?」「俺は忙しいんだよ」 コールがトッドの脇を擦り抜けようとすると、トッドが回り込んできた。 はぁ~、とコールは溜息を吐いた。「どうせ、ドワーフの使いっ走りだろ?」「大切な仕事だ。まあ、荷物持ちを手伝ってくれるんなら聞いてやっても良いけどよ」 コールが挑発すると、トッドは真っ赤になった。「わ、分かった。手伝ってやるけど、話は聞けよ、絶対だからな!」「まあ、そのくらいは」 コールはトッドと連れだって外に出た。※ 麦の粉と干し魚……干し肉、野菜、ドライフルーツとエルフの妙薬。 こんな所か、とコールは露店で買った品物を思い浮かべる。「おい、お~い、コール。俺の話を聞いてくれるんだろ?」「組合を出た時から聞いてるだろ」 断っておけば良かったな、とコールは舌打ちした。 トッドは真面目に荷物持ちをしていたが、ずっと喋り続けていた。 トッドの話は愚痴ばかりだ。 もっと大きな仕事がしたいだの、組合料が高いだの、カド伯爵領とエラキス侯爵領は何をするにも手続きが必要で面倒臭いだの、もっと金が欲しいだの、鬱陶しいことこの上なかったが、コールは最後までトッドの話を聞いた。 どうやら、トッドと何名かの仲間は一山当てようと考えているようだ。 そのためにカド伯爵領とフォマルハウト領間の交易を計画しているらしい。 しかし、交易の柱となる塩は領主から買い取らなければならない。 傭兵ギルドの傭兵を雇うのも金が掛かる。 普通にやっていたら、実入りは少ない。「で、俺らは考えた訳よ」 トッドはドヤ顔で言った。「塩は領主から買わなきゃならねーが、漁村の連中が作ってる魚の塩漬けは安く買える」「護衛はどーすんだよ?」「ギルドに所属してない連中を雇う。荷役も手配済みだ。コール、やるよな?」「やらね」 コールは即答した。「おいおい、ビビってんのかよ? 一山当てて、男になろうぜ?」「危ない橋は渡らない主義なんだよ」 チッ、とトッドは舌打ちして木箱を地面に置いた。 意外に律儀な男だった。「あー、お前を誘って損したぜ。流石、荷を捨てて逃げ出した男が養い親だけあるぜ。臆病が板に付いてやがる」「トッド!」 目の前が真っ赤に染まった。 コールが木箱を投げ捨てた次の瞬間、「キャッ!」 女の声がした。 コールはそれで一気に冷静になった。 喚くトッドを無視して女に歩み寄る。 黒い服を着た女が木箱を抱えた状態で座り込んでいた。 金持ちそうに見えないが、メガネをかけている。 コールはこの女を知っている。 いや、シルバニアの住人なら忙しそうに走り回る彼女の姿を見たことがあるはずだ。 確か、名前はロナと言ったはずだ。 クソッ、とコールは舌打ちしたい気分でロナに手を差し出した。「ケガはありませんか?」「自分から飛び込んでケガをするほど間抜けではないつもりです」 ロナは木箱を隣に置き、立ち上がった。 木箱はそれなりに重量があるのだが、ロナにはそれほどでもなかったらしい。「つい割って入ってしまいました」 ロナは服に付いた土を叩き落とした。「あ、トッドは?」「とっくに逃げ出しましたよ」 ロナは目を細めた。 コールは心臓を鷲掴みにされたような衝撃を覚えた。 任意同行、拘置、処刑という単語がコールの脳裏を過ぎる。 いや、とコールは思い直した。 トッドとは商売の話をしていただけだ。 その商売だって法に触れるようなことはしていない。「トラブルの予感がします。いえ、きっと、トラブルになります」「は?」 コールが上擦った声で聞き返すと、ロナは人差し指でメガネを押し上げた。「私の経験上、一山当ててやると豪語した人間は失敗します」 経験しなくても分かりそうなもんだけど、とコールは思った。※ シルバニアの北東……馬車で一時間くらい離れた場所に木の柵で囲まれた土地がある。 入り口は馬車で通れるだけの幅があり、柵の内側には二軒の家が建っている。 その奥には斜面を利用した窯がある。 ここにはドワーフが何人か住んでいて、陶製の食器を作っているらしいのだが、コールを出迎えてくれるのはいつもポーラというドワーフの女だ。 コールは柵の内側に馬車を止め、荷を下ろした。 一週間分の食料だが、儲けは量の割に少ない。「じゃ、代金ね」「毎度、ありがとうございま~す」 コールは間延びした礼を言い、ポーラから受け取った銀貨を革袋に収めた。「ちょっと、もう少し愛想良くしなさいよ」「毎度♪」 コールは声を弾ませ、ニカッと笑った。 ただし、笑ったのは一瞬だけだ。「まあ、良いけど」「食器を売ってくれたら、もう少し愛想良くできるかも」「順番待ち」 ポーラはプイッと顔を背けた。「まあ、そうだよな。焦らずに待つか」「待つのは良いけど、売れるの?」 ポーラはまだ怒ってるんだからと言わんばかりに腕を組んで、コールを盗み見る。 売れるの? とはコールが陶製の食器を買ってくれるような客を知っているかという意味だろう。 ポーラが心配するのも当然だ。 陶製の食器を購入するのは貴族か、裕福な商人に限られる。「フォマルハウト領の市場なら何とか」「無理しちゃダメよ」「それは、もちろん」 俺って、そんなに頼りねーのかな? とコールは頭を掻いた。「ほんじゃ、帰るわ」「じゃあね」 コールはポーラに見送られ、その場から立ち去った。※ コールがシルバニアに戻ると、傭兵が通りの角に立ち、人々が不安そうな顔で囁き合っていた。 コールは不審に思いながら、行商人組合に向かった。 行商人組合の前に馬車を止めると、トマスが顔を真っ赤にして駆け寄って来た。「コール! 無事かっ!」「は? 何を言ってんだよ?」 トマスは御者席に飛び乗り、無事を確かめるようにコールの体に触れた。 トマスの目は涙で潤んでいた。「どうしたんだよ、親父?」「良いか、よく聞け。コール、トッドが死んだ」「は?」 コールは上擦った声で問い返した。 トッドと別れてから半日も経っていない。 死んだと聞かされても信じられる訳がない。「死体は?」「傭兵ギルドに頼んだ」 コールは馬車から下りた。「トッドがお前と話していたと聞いて、ワシは……お前まで」「確かに誘われたけど、断ったんだよ」 突然、トマスが顔を上げる。 つられて顔を上げると、傭兵ギルドのギルドマスター、シフが数人の傭兵を従えて近づいてきた。 傭兵は血塗れだった。 返り血ばかりでもないのだろう。 痛みに耐えるように顔を顰めている者がいる。 担架を運んでいる傭兵は二人だけだった。 傭兵がトマスの前に担架をゆっくりと下ろした。 担架は布で覆われていた。 トマスは跪き、震える手で布を捲った。 トッドは穏やかな表情を浮かべていたが、厚みを失った布がそれを裏切っている。「……この男は一つ目の休憩所のずっと手前に倒れていた。ここまで運べたのは彼だけだった」 コールはシフの説明に疑問を抱いた。 遺体を回収したのは分かる。 酷い死に様だから血で汚れるのも分かる。 何故、傭兵達は負傷しているのか?「蛮刀狼は獲物に対する執着が強いようだ。ヤツらは遺体を取り戻そうと何度も襲い掛かってきた」 やはり、シフは淡々と言った。「連中は人間の味を覚えた。一刻も早く山狩りをしたいが、開拓村とシルバニアの警備だけで手が回らない」 トマスは項垂れた。 今の状況を招いたことを……いや、トッドに金よりも命が大事だと教えきれなかったことを後悔しているのだ。※ 夕方、コールは『シナー貿易組合』に呼び出された。 どうして、俺が? 呼び出されるのなら代官所じゃないか? とコールは自問しながら、憧れの『シナー貿易組合』に足を踏み入れた。 『シナー貿易組合』の一階は酒場になっていた。 酒場と言っても、コールが知っている酒場ではない。 応接間にあるようなテーブルとソファーが置かれていた。 それも無理に詰め込んでいるのではなく、十分な距離が空いている。 七人の男女が中央にあるテーブルを囲むように座っていた。 コールが知っているのはその内の三人だけだ。 一人はエレイン・シナー……彼女は露出度の高いドレスを身に纏い、優雅に足を組んでいた。 もう一人はピクス商会のニコラ、最後の一人はトマスだ。 シルバニアに大きな影響力を持った三人だ。 とすれば残る四人の正体は自ずと明らかになる。 シルバニアに支店を構えるベイリー商会、アサド商会、ケレス商会、イオ商会の支店長だろう。 トマスはコールを見た瞬間、大きく目を見開いた。 コールは無言でトマスの背後に移動した。「マズい、ことになったわね」 そう言って、エレインは憂鬱そうに髪を掻き上げた。「……うちの組合員が申し訳ない」「起きてしまったことは仕方がありません。今、やるべきことは被害が拡大しないように手を尽くすことです」 トマスが脂汗を流しながら謝罪すると、ニコラが神妙な面持ちで言った。「そうね。早く対策を練らないといけないわ」 エレインは腕を組み、何度か頷いた。「そうしないと、私達の能力が疑われてしまうもの」「……っ!」 コールは頭をぶん殴られたような衝撃を受けた。 エレインはトッドの死を何とも思っていないのだ。「エレインさん、人が死んでいるのですよ」「だから、こうして集まっているんじゃない」「本当に分かっているのですか?」「分かってるわよ」 ニコラが問い詰めるように言うと、エレインはうんざりしたように言った。「貴方こそ、分かっているの?」「命の重みは分かっています」 ニコラはムッとした表情を浮かべた。「ああ、命も重いわね? でも、違うわ。私が貴方に分かっていて欲しかったのは自由の重みについてよ」 エレインは溜息を吐くように言った。「ここは良い街よ。クロノ様は自分が公平でなければならないと考えていて、役人は賄賂を要求してこない。商人ギルドに煩わされる心配もない。自分のやり方で商売ができる。とても自由な街よ」 エレインは演技がかった仕草で手を伸ばした。 当然と言うべきなのか、エレインの手には何もない。「今、私達には自由が与えられている。自分のやり方で商売をする自由と自分達の才覚でシルバニアを発展させる自由よ」 ただし、とエレインは拳を握り締めた。「この自由はクロノ様から無能と思われた瞬間に失われるのよ」 沈黙が舞い降りる。 エレインと同じ意見なのか、反論する時間が惜しいと考えているのか、誰も言葉を発しなかった。「分かったら、対策を練りましょう」「……状況把握もせずにか?」 静かな声がコールの耳に届いた。 声のした方を見ると、シフが店の入り口に立っていた。「あら、早いのね?」「部下に任せてきた」 シフはテーブルに歩み寄り、近くの柱に背を預けた。「座らないの?」「席がないからな」 イスを移動させることもできたはずだが、シフは座るつもりがないようだ。「状況は?」「あれ以来、襲撃はない」「警戒は怠ってない?」「当然だ。部下が開拓村とシルバニアを警備している」「キャラバンの護衛と街の警備は同時にできる?」「キャラバンの数を減らすか、警備に割く人数を減らすかだな。今の態勢を維持し続ければ、必ず綻びが生じる」「つまり、人手が足りない?」「そういうことだ」 エレインとシフは流れるように意見を交わした。 芝居を見てるみたいだ、とコールはそんな感想を抱いた。「……キャラバンの数を減らして」「いえ、キャラバンの数を減らす必要はないでしょう」 エレインが呟くと、メガネの男がそれを否定した。 男の目は微笑むように細められていたが、人間らしい温もりは感じられない。「……ベイリー商会」「エドワードと申します。エドと呼んで頂いても構いませんよ」 メガネの男……エドワードが言うと、エレインは呆れたような表情を浮かべた。「こう考えることはできませんか? 傭兵ギルドの活躍により、事態はすでに収束していると」 エドワードはメガネを押し上げ、口角を吊り上げた。「できないわよ」「獣はヒトを恐れると聞きますが?」 エドワードは反論した。 どうやら、エドワードは他人の命より金の方が大事らしい。「それは誤った認識だ」 エドワードの言葉を否定したのはシフだった。「動物がヒトを恐れるのは経験から学んだ結果だ」「傭兵ギルドのギルドマスターは博識でいらっしゃる」「……」 シフが皮肉を無視すると、エドワードは頬を引き攣らせた。「要はヒトの恐ろしさを学ばせれば良い訳ね?」「口で言うほど簡単ではない。人手と専門家の助けが必要だ」「そうね」 エレインは思案するように目を伏せた。 ほぼ全員がエレインと似たような反応を示している。 ここにいる面々は何をするべきなのか分かっているはずだが、誰も答えを口にしない。 駆け引きをしているのだろう。 全員の思惑を台無しにしたのはニコラだった。「簡単な話じゃありませんか。当面はキャラバンの数を減らし、その間に傭兵と専門家を招く。資金面も全員で負担すれば簡単に解決できます」「……は?」 エレインは間の抜けた声を漏らした。 もしかしたら、エレインは自分が最大の利益を得られる落とし所を考えていたのかも知れない。「エレインさん、貴方の仰る通りです。ここは良い街です。一緒にシルバニアをより良い街にしていきましょう」「え、ええ、そうね」 エレインは取り繕うように答えた。 この展開を予想できなかったのか、エドワードはポカンと口を開けていた。※ 数日後、コールは馬車で街道を東に進んでいた。 今いるのはハマル子爵領だ。 ハマル子爵領の東はシェラタン子爵領だが、コールはそこまで足を伸ばそうと考えていない。 組合員仲間からシェラタン子爵領の治安はあまり良くないと聞いたからだ。 競争相手が多くても治安が良く、露店を開く手続きを済ませているハマル子爵領の方が良い。 トッドの件があるからな、とコールは空を見上げた。 あれからすぐに傭兵の増員、専門家の召致が決定した。 その費用はニコラの提案通り、『シナー貿易組合』に居合わせた全員で負担することになった。 あの提案は狙ってたのか? とコールは首を傾げた。 ピクス商会のニコラは亜人にも誠実な対応をすることで有名だ。 もちろん、コールはニコラの誠実さを疑っていない。 だが、ニコラが優秀な商売人かと言えば疑問だ。 何せ、ニコラは新しいことをやっていない。 いや、新しいことをやっているにはやっているが、常に後手に回っているような印象がある。 あの提案はピクス商会の損失を最小限に留めるためのものだったのではないか。 そんな疑念が拭えない。 コールの疑念が事実だとすれば、今回の件で最大の利益を得たのはピクス商会だ。「結局、今の俺には……何だ、ありゃ?」 コールは独り言を中断し、目を細めた。 ズタ袋としか言いようのない物が街道に転がっていた。 ロバが心配そうにズタ袋に擦り寄っているので、人間かも知れない。「……行き倒れか」 コールは面倒臭いと思いながら、馬車を進ませた。 生きていたら、まあ、助けてやっても良いかな、と思ったのだ。