276話
276話
リスミナがサーベージボアを解体するのを見ながら、水が必要なときだけ手伝っていたら、盥一杯に肉塊と毛皮を持ったデュセスが歩いてきた。
リスミナはまだ毛皮を剥ぎ始めたばかりなのに、もう終わっているとか作業が速すぎねぇか?
「あとは私がやるから、この肉と毛皮をしまっておいてほしい。」
デュセスがリスミナに声をかけながら肉塊と毛皮が入った盥を地面に置いて、腰のナイフを取り出した。
「……そうだね。じゃああとはお願いしようかな。」
リスミナは一瞬迷うような素振りを見せてから、申し訳なさそうに解体の手を止めて、デュセスと交代した。
デュセスはリスミナが解体していたサーベージボアを一度確認し、途中で終わっている皮剥ぎから始めた。
皮を引っ張りながらナイフでちょっとずつ切っているようだが速いな。ペリペリと簡単そうに剥がしているが、俺が前にやったときと違って皮にあまり肉が付いていないように見える。
「デュセスは器用だな。」
「人の皮を剥ぐよりは簡単。慣れれば誰でもできる。」
デュセスの作業を見て、なんとなしに呟いた言葉に対する返事が予想外すぎた。
「…そ、そうか。」
そもそも人の皮を剥ぐことがねぇと思うんだが、冗談なのかデュセスの仕事ではあり得る作業なのかがわからなかったから、深くは聞かないことにした。
デュセスが解体した盥の中のものをアイテムボックスにしまい始めていたリスミナも今のセリフを聞いていたようで、驚いた顔で振り向き、特に気にした様子のないデュセスを見て頰をわずかに引きつらせていた。
デュセスが解体を代わってからは面白いくらい速かった。毛皮はペリペリと綺麗に剥がされ、肉は部位ごとに切り分けられ、不必要な部分はポイポイとその辺に捨てられていく。
リスミナはバケツリレーのようにデュセスが放り投げてくる毛皮や肉をアイテムボックスにしまっていき、あっという間に解体が終わった。
最初に洗う以外、本当に俺はなんもせずに終わった。
後片付けとして盥やロープを回収し、それらや汚れた手を洗いたいといわれたから、魔法で水を出してやった。
「2人はこの中にほしい部位はある?私は牙がほしい。」
デュセスがサーベージボアの顔や骨に視線を向けながら確認してきたが、どの部位に価値があるとかわかんねぇわ。
「私は特にないかな。」
「俺も特にないけど、牙は納品しなくていいの?」
「今回の依頼には入っていないから、売れるかわからない。売ってもたいした金額にはならないはず。」
デュセスの言葉が本当なのかわからないからリスミナを見たら、リスミナが考えるように首を傾げた。
「そうだね。良くて銀貨1枚とかじゃないかな?」
銀貨1枚あればそれなりに良いものが食べられる気がするが、金に困っているっぽいリスミナが欲しがらないってことは基本売れないものなのかもな。
「そんなものを何に使うの?」
「加工して投擲武器にする。使い切りの武器としてなら十分。」
なるほど。たしかに節約は大事だな。
金がかかってるものだと使い切りの武器として使うのに躊躇しそうだしな。実際、せっかくセリナに手裏剣とかをいっぱい買ってやったのに、遠慮してんのかあまり使ってるとこを見ないからな。
「そうなんだ。他の骨とかは使わないの?」
「メタルボアの骨なら考えるけど、この骨はいらない。」
チラッと骨の山を見たデュセスが答えた。強度とか加工のしやすさとかが違うのか?
まぁ俺は自分で加工する気がないからどっちにしろいらないんだが。
いつもならイーラに食わせるんだが、今日はデュセスとリスミナがいるからやめておこう。
「そしたらこれらはどうするの?」
「どうするとは?」
俺が質問したのにデュセスが首を傾げて聞き返してきた。
「このまま置いていっていいの?」
「あぁ、問題ない。そのうち他の魔物が食べるか地面に還る。」
「そうなんだ。」
どうやら放置することに疑問を持ったのは俺だけみたいだ。
デュセスは既に取っていた牙をウエストポーチにしまい、俺とリスミナの顔を見た。
「次の依頼に移ろうと思うけど、休憩は必要?」
「大丈夫!」
「俺も平気だよ。」
「なら行こう。」
デュセスが走り出したあと、俺とリスミナが続いた。
斜面を登る方向ではなく、高さが変わらなそうな位置を走っているみたいだが、方向とかわかるのか?
デュセスは一切の迷いなく進んでいき、途中で俺の察知範囲に魔物が現れたらデュセスが確認に行くという作業が続いた。ただ、途中で何度か現れた魔物は目当ての魔物ではなく、全部スライムだった。
「やけにスライムが多いんだね。」
「ここは山に登らなければ初心者向けらしいから。」
また見つけたスライムをデュセスが倒して戻ってきたときに聞いてみたんだが、どうやらここはもともとスライムがよく出る場所っぽいな。
「イーラもここで生まれたんだよ!」
予想外の情報をイーラが念話で伝えてきたが、だからなんだとしか思えずスルーした。
「またなんかきたよ。」
デュセスがあらためて先に進み出そうとしたところで、俺の察知範囲に何かが入ってきたことを伝えたら、デュセスは立ち止まって振り向いた。
「どっち?」
「このまままっすぐ行ったところ。」
「見てくる。」
何かを見つけるたびにデュセスが確認に行っているんだが、疲れないのかね?
たまには代わった方がいいか?
さっきまでのデュセスはスライムを倒してから戻ってきていたが、今回は気配の近くまで行ったデュセスがそのまま戻ってきた。
スライムじゃなかったってことか?
「アントラゴートだった。綺麗な角だったから、欠けることなく根元から綺麗に取りたい。出来れば殺さずに取りたいけど、あの角なら殺してでも角を優先した方がいい。」
戻ってきたデュセスが説明を始めたが、いきなりいわれてもわけがわからねぇ。
とりあえず討伐せずに角を取ればいいのか?
「欠けることなくってことはその魔物の角はけっこう脆いの?」
「普通は武器や盾で受けでもしない限り欠けはしない。でも、テキーラだと触れただけで壊しそうだから、気をつけてほしい。」
いや、俺はいくらレベルの恩恵で身体能力が上がっているといっても、金属のような硬さは持ち合わせてねぇぞ。
まぁでも、念のため注意するってのは悪いことじゃねぇか。咄嗟に攻撃して角を折るわけにもいかねぇし、最初から気をつけよう。
「わかった。魔物の強さはどの程度なの?」
「今朝いった通り殺すだけならそんなに難しくはない。サーベージボアより楽。ただ、拘束するのは少し手間。」
これも依頼を受けた魔物らしいな。しかも朝食時に話に上がっていたっぽい。ただ、名前を聞いても全く想像がつかなかったからか、記憶にも残らなかったみたいだ。
「たまに噛みつくらしいけど、角を使っての突進くらいしか攻撃方法を持っていないから、後ろに回れれば縄で縛れると思うんだよね。でも、失敗出来ないから私には難しいかも…。」
リスミナが追加で説明してくれたんだが、どんな魔物かすらわかっていないからイメージが掴めない。でもリスミナでも抑えられるっていうなら、そこまで大きな魔物じゃないだろうし、俺が拘束する役目を負うとするか。
「じゃあ俺が捕まえるから、デュセスが角を切る役でもいい?リスミナは他の魔物が近寄らないようにしてほしい。」
「「わかった。」」
リスミナがロープを貸してくれたから、それを俺のアイテムボックスにしまい、3人でアントラゴートのもとに向かった。
目視できるところまで近づいてから木の陰に隠れて様子をうかがってみたが、ぱっと見はヤギみたいな感じだな。ただ、俺の知っているヤギより首が太く、体や足もしっかりしているように見える。白くて顔がヤギっぽいからヤギに似てると思ったが、別物だな。
一番の違いは頭に乗ってる立派な角だ。いくつにも枝分かれした角の先端を捻って尖らせたような形をしている。あんなのに突進されたら即死もあり得るな。
距離がまだ少しあるからわかりづらいが、大きさは牛くらいっぽいから、今の俺ならそのまま押さえつけられるんじゃねぇか?
「あれを捕まえればいいの?」
「そう。いけそう?」
「たぶん大丈夫。回り込むから、俺が捕まえたら出てきて。」
「わかった。リスミナは私の後ろについてきて。」
「うん。」
おおまかな作戦が決まり、俺は2人と別れてアントラゴートの視界に入らない位置の方へと移動しながら近づいていった。
アントラゴートから20メートルほど離れた真後ろの位置にある木の陰で立ち止まり、しばらく観察してみたが、こちらを振り返る気配はないな。
とくに何かを食べたりしているわけでもなく、ただ佇んでいるのは隙だらけに見えるんだが、じつは俺らに気づいていて待ち伏せでもしているのか?いや、敵意があるようには見えないから大丈夫なはずだ。まぁ一応警戒はしておくか。
「イーラ、なんかあったら防御は任せる。」
「は〜い。」
「テンコ、身体強化を頼む。」
「はい。」
軽く体を動かして感覚を確かめてから木の陰から出て、一息でアントラゴートに近づいた。
全速力で近づき、勢いをつけ過ぎたために少し手前で地面を抉るように急ブレーキをかけ、アントラゴートに抱きついた。
…ん?抵抗が一切なかったんだが。
もしかして死んでるのか?と思って拘束を緩めそうになった瞬間にアントラゴートが暴れ始めた。
時間差かよ!?
左腕を喉に回して左手で右角の根元を掴み、右腕で胴体を抱いて動きを押さえようとするが、前足で地味に脛を蹴られるのがうぜぇ。イーラのおかげでどこを蹴られても痛くはないが、太ももの内側を蹴られた瞬間に下腹部がヒヤッとした。玉を潰されたりとかねぇよな?
いわれた通り縄で縛った方が良かったかもしれない。
「威圧すればいいのに。」
俺が殺さないように気をつけながら捕まえていると、イーラがアドバイス?をしてきた。
威圧なんてしたら余計に暴れそうな気がするが、同じ魔族のイーラがいうんだから正しい可能性がなくはないか。
アントラゴートの後頭部を見ながら軽く威圧を放った瞬間にデュセスが視界に入ってきやがった。
ヤベェと思ったときには遅かったようで、デュセスにめっちゃ距離を取られた。その後ろにいたリスミナは範囲外だったみたいで、意味がわからずその場で立ち止まり、わけがわからないといった感じで俺とデュセスを交互に見始めた。
デュセスには悪いことをしたが、アントラゴートの動きを止めることができた。正確には震えているみたいだが、暴れてないからいいだろう。
「デュセス、ごめん。アントラゴートをおとなしくさせようとしただけで、攻撃したわけじゃないからね。」
俺の謝罪を受けたデュセスが警戒を解いてから、走って近づいてきた。
「たしかに前のときよりは弱かったけど、いきなりだったから驚いた。でも、わざとじゃないならいい。」
近づいてきたデュセスが腰から抜いた短剣に魔力を流し、スパッと左角を根元から断ち切った。
え?
俺はさっきから右角の根元をそこそこ力を入れて掴んでいたが、折れることも砕けることもなかった。なのにデュセスは短剣で簡単に切りやがった。
デュセスの技術が優れているというのもあると思うが、たぶん短剣に仕込まれてる魔法陣は切れ味が増すようなやつなんだろうな。
「…テキーラ。その手を離してくれないと角を切れない。」
「ん?あぁ、ごめん。」
俺が角から手を離し、首を押さえるように移すと、デュセスはまた簡単に角を根元で切り取った。
切り取った2本の角を後ろにいるリスミナに当たり前のように渡した。
リスミナも当たり前のように受け取っているから、俺から何かをいうつもりはねぇけど。
「必要な素材って角だけなの?」
「そう。アントラゴートは角がなければほぼ無害。そのうえ放置しておけばまた角が生えてくるから殺さない方がいい。肉は臭みが強いから、慣れれば美味しいらしいけど、売り物にはならない。」
「じゃあもう離していいの?」
「待って。そこまでおとなしいなら乳も採取したい。リスミナ、瓶か皮袋はある?」
「皮袋が1つあるけど、アントラゴートの乳って臭いがつくからな…。」
俺が腕の力を緩めようと思ったら、デュセスからの待ったがかかった。というか、なんだか異常なまでにおとなしいから手を離しても大丈夫そうなんだが、一応捕まえておくか。
「乳?」
「そう。依頼にはないけど、せっかくだから取っておきたい。アントラゴートの乳は臭みが強いけど、カウブルの乳より体にいいといわれている。母乳の代わりにアントラゴートの乳で育った英雄の話もある。」
当たり前のようにいわれても、そもそもカウブルの乳を知らねぇよ。
というか、デュセスがリスミナにたいして手を出し続けているが、リスミナは皮袋を渡すのをめっちゃ躊躇っていた。そんなに臭いがキツイのか?
「空き瓶なら俺が持ってるから貸すよ。それで、カウブルの乳って?」
俺は左腕をアントラゴートの首から外し、アイテムボックスから空き瓶をデュセスに3本ほど渡した。どのくらい欲しいのか知らんけど、3本もあれば十分だろ。
「ん?前に朝食にも出て…あぁ、勇者がいる国では魔物の乳は全て牛乳と呼ばれていたりするけど、一般的に使われているのはカウブルの乳のはず。」
あぁ、なんの疑問も持たずに牛乳を飲んでいたが、よくよく考えたら牛がいねぇのに牛乳っておかしいわな。
勇者のいる国っていうくらいだから、勇者が牛乳って呼んでいたのが定着したのか。まぁ俺も牛乳だと思ってたからなんもいえねぇけど。
一通りの説明を終えたデュセスは俺の反対側に回って膝をついて何かをやり始めた。たぶん乳搾りを始めたんだと思うが、アントラゴートはさっきから無抵抗でやられ放題だな。首を解放しても動かなかったし、最初の暴れっぷりはなんだったんだ?
「アントラゴートの乳って売れるの?」
「売れないことはないけど、生きてる状態でしか取れないのにたいしたお金にならないから、労力には見合わない。ただ、今回はやけにおとなしいアントラゴートのようだから、取れるだけ取って売るのもありかもしれない。」
デュセスは話しながらも作業を続けている。本当に限界まで搾り取る気か?
「そういえばアリアが前にアントラゴートを欲しがってたよ。こいつはおとなしいみたいだから連れてったら喜ぶんじゃないかな?」
デュセスの作業が終わるのを待っていたら、イーラが思い出したかのように話しかけてきた。
「なんで魔物を欲しがるんだ?こいつの強さじゃ村の防衛としても使えないだろ?」
そんなことは初耳だったから、ついつい理由を念話で聞いてしまったが、イーラが知るわけねぇか。
「前にアントラゴートを生きたまま捕まえてほしいっていわれたことがあったな〜って。なんかカンノ村に捨てられた人間の赤子のために必要とかいわれたよ。だからわざわざ麻痺させて1体持って帰ったのに、麻痺が切れた瞬間に暴れ出すから飼えそうにないって殺されちゃってたね。あれからは何もいわれてないからもう必要ないのかな?」
ちょい待て。
わけわからねぇ。なにがわからねぇかわからないくらいにわからない。
そんな話が上がっていたことも、外から魔物を連れ込まれていたことも知らなかったが、それ以前に赤ちゃんがいたことすら知らねぇぞ。
「赤ちゃんなんか見たことねぇんだが。」
「イーラだって見たことないよ。」
いやいや、俺は存在すら知らなかったんだが。
というか、イーラは存在を知っているのに見たことないってのはどこかに隔離されているとかか?それともミルクを与えられなくて、もう死んでるとか?
死んでいるとしたら、さすがにアリアに確認しづらいな…。
「もう離していい。」
イーラと念話で話しているうちにデュセスは搾乳を終えたようだ。
『テイム』
「「え?」」
アリアが欲しいなら試してみるくらいはしてやるかと思い、久しぶりに『テイム』を使ったら、アントラゴートの震えが止まった。
たぶんだけど、うまくいった気がする。
このまま『使い魔契約』をしようかと思ったが、こっちは魔法ではなく魔物使いジョブの固有スキルだったような気がするから、念のため使うのをやめた。この魔物の弱さじゃ不意に攻撃されても怪我すらしなさそうだしな。
それに『テイム』で2人に驚かれているのに余計なことはしない方がいいだろう。
「気にしないで。」
アントラゴートの頭を撫でてみたが、嫌がる感じはないな。
「わかった。」
「いやいや!気にならないの!?おかしいよね?…え!?私の感覚がおかしいの!?」
デュセスは気にしないでくれたみたいだが、さすがにリスミナは流してはくれなかった。
「俺はもと魔導師だからさ。」
「あぁ、なるほどってならないよ!?」
いつものリスミナならこれで勝手に納得してくれていた気がするんだが、今回はダメらしい。基準がよくわからん。
「前になんとなくSPで取得した魔法を使っただけだよ。デュセスがわざわざ取るような乳を得られるなら、使い魔にするのもありかなって思ってさ。」
「え?『テイム』ってSPで取れるの?………本当だ。でも『テイム』って確か手懐けるだけで、使い魔にする場合は契約が必要だよね?」
「…私はSPで取得出来るスキルに『テイム』がない。」
どうやらデュセスは取得出来ないらしいが、確かSPで取得出来るスキルは人によって違うから、向き不向きみたいなのがあるんだろう。どう見てもデュセスにペットとか似合ってないしな。
「こいつはおとなしいみたいだし、契約は後ですれば平気だろうから帰ってからするよ。それより依頼を達成したなら先に進まない?それともけっこう早いけどお昼にする?もしかしてまだ依頼に足りてないとか?」
「依頼は角2本で足りている。ここから少し山を登ったところがポイッシャーの生息域のはずだから、その依頼を終えてから昼にする予定。」
「じゃあ行こうよ。そうだ、ロープは返すね。」
「わかった。」
「う、うん。……あれ?今詠唱してな…ちょっと待って!」
リスミナはいまだに何かが納得いっていないようだったが、ロープを無理やり渡してから俺とアントラゴートとデュセスが走りだしたことで、リスミナは慌ててアイテムボックスにロープをしまってついてきた。