ナショナル・ギャラリーの密談、ベイカー街の疾走
ナショナル・ギャラリーの密談、ベイカー街の疾走
ご注意!
Kingsman+009+BBC SHERLOCK
すべての世界がつながっている設定。Qがホームズ兄弟の末弟という捏造あり。
夢主はKingsmanで働くテイラー(notスパイ)でハリー・ハートの養子、21歳。
-----
01.ナショナル・ギャラリーの密談
ナショナル・ギャラリーにいる青年に届け物を。
時間と見た目は書いてあるとおり。
そして、青年の名前は──秘密だ。
「ミスタ・ホームズ、これって何かの試験?」
小学校以来だろうか、試験、という言葉を口にする。
いいや、と紳士──マイクロフト・ホームズは言った。
優しげな表情をしているが、この上顧客は時に冷たい目をすることを知っている。
この『店』の面接に合格してから少し経った時のことだ。
スーツの届け物を仕事として請け負う事が多くなった。
店の先輩たち、そしてハリー・ハート曰く『洋装店の下っ端の仕事』だそうだ。
先週はこの上客のすぐ下の弟―変人の探偵として知られている、彼の自宅は店から徒歩20分ほどだ―へ、燕尾服を届ける仕事だった。
ベイカー・ストリートの彼との出会いは―あまりいい思い出ではない。その話はまた今度することにして、今は新しい依頼だ。
「渡したら伝言を。これを着て、食事会にくるようにと」
「それはご自身でお伝えになった方が……」
「簡単な要望だ。それとも客に意見するのか?ここの従業員は」
「いいえ、サー。喜んで」
「それでは、頼んだよリヒト」
「承ります」
笑顔を見せて、一礼。余計なことは聞くべからず。怪しいと思ったことは、後に調べよ。
店に入ってから学んだことだ。
目の前の男も英国社会において重要なポストに位置する。下っ端が余計なことを言えば消されるかもしれない。立ち去る男を見送って、出来上がった細身のスーツに目を落とした。丈から考えて背は高くない。華奢でまだ若い男だ。マイクロフト・ホームズが若い男のためにスーツを仕立てた、なんてひょっとして若い男の愛人?ありえない話じゃない。妄想ばかりが膨らむ。
リヒトは仕立ての最終チェックを済ませると、『青年』に会うため支度を始めた。
ナショナルギャラリーの指定の場所へとたどり着くと、そこには二人の男がシートに座っていた。
一枚の絵を見ながら何やら話している。片方の見た目が指示された青年に当てはまる。
リヒトは二人の傍から少し離れた場所で熱心に絵画を見るふりをしていた。
二人のやり取りが、耳に入ってくる位置に立つ。
「ダブルオーセブン……」
青年の呼びかけに、リヒトは思わず肩をはねあげた。
ダブルオーセブン、噂だけは聞いたことがある。英国諜報部のエース。凄腕のスパイ。そんな彼がこんなところに?興奮が隠せそうにないが、同時に慎重に動けと脳が警告する。
相手はMI6だったとは、マイクロフトも人が悪い。否、彼が『良い性格』をしているのは知っていた。
下手をうつと本当に殺されかねない。顔は見せない方がいい、それがわかっていながらも好奇心には逆らえない。
そっと肩ごしに振り返り二人を見た。
くしゃくしゃの髪に大きな眼鏡の細身の青年と、女性が好みそうな渋い顔つきの色男。ギークと素敵なおじさまという組み合わせ。残念ながら声が聞こえたのは初めの呼びかけのみで、何を話しているかわからない。青年は色男に白い包と黒い箱をプレゼントしていた。美術館で秘密の取引、まさに物語だ、と思いながらゆっくり部屋を回る。オックスフォードが床を鳴らす。
話が終わると青年が立ち上がり、背を丸めながら部屋を出て行く。
リヒトはそのあとを追いながら、残された男を最後にちらりと見やる。
「──ッ」
そっと見たはずだというのに、彼の薄いブルーの瞳とバチリと目があってしまって、慌てて目をそらした。気づかれていたのだろうか。鼓動が早まる。彼の視線から逃れようと思わず小走りしてしまうのだった。
***
「尾行が下手ですね。目的は彼ですか?それとも僕?」
ギャラリーの出口では、今回のターゲット──眼鏡の青年が待ち構えていた。
「……あなたに、お届けものが」
「届け物?」
計画では余裕を持って彼に呼びかけるのは、リヒトのはずだったのに。試験は落第かしら、と思いながら彼に要件を伝えた。
「とある方から、スーツの仕立てと配達を頼まれました」
「とある方──」
「それと、伝言も。それを身につけて『食事会』にいらっしゃるように、と」
ではこれで、と任務を果たした達成感に僅かに頬が緩み、彼にスーツの入ったカバンを預けて踵を返そうとした。
しかし、それは彼の細長い指先が許してくれなかった。
「あの……」
「君は何者?」
小さな頭がクッと倒れる。分厚い眼鏡の向こうから探るような視線を受ける。どうしよう、MI6に目を付けられた。リヒトはこの場にいないマイクロフトを呪った。
「ただの、洋装店の使い走りです」
「ふん」
「本当です。職人をいじめないで」
「職人?君はまだ職人ではないのでは?」
言いながら青年はリヒトの手をとった。大きな手、長い指がリヒトのまだやわらかさの残る、ところどころに豆の出来た手をなぞる。最近やっと裁ち鋏を持たせてもらえるようになった。練習のあとの豆が残っている。
「豆が出来立てだ。職人と言うにはまだまだなんじゃないか?」
この物言い、ベイカー・ストリートの彼に似ている。よく見れば面立ちは似ていないがその輪郭や髪の質、体格はそっくりだ。もしかして、彼はマイクロフトの愛人ではなく親族なのでは、と考える。
その間にも何か観察するように青年はリヒトの手に触れていた。
「ええ、そうです。納得して頂けたなら放して── Q」
「……っその名も、依頼人から?」
「……」
驚いた視線、いちかばちかの賭けだった。困ったら、彼のことをそう呼びなさい、隙が出来る、と教えてくれたのはマーリンだ。緩んだ手からするりと逃げ出し、スーツの入ったバッグを押し付けるようにして身軽になった。二三歩下がって、彼から距離を取る。
そこで、ひとつ言い損ねていたことを思い出す。
このまま、人ごみに紛れてしまいたかったが、アフター・サービスも従業員の大切な仕事だ。
「丈が短いだとか、ボタンが気に入らないだとか―似合うネクタイが欲しいとか―何かあったら店までいらしてください。オプションでクリーニングも承ります」
「君の名前は」
「……あ」
「いいよ。後で店に聞くさ」
「リヒト、です」
「リヒト。いい職人になるよう頑張って?」
「ありがとう、ございます。ミスタ……Q」
「本当言えば、その名は外では呼ばれるべきではないんだ。気をつけて」
「……承知しました」
そっと頭を下げ、その場を辞した。
横断歩道を渡り、角を曲がるまでQの視線はリヒトに向いていた。
「男にはよくナンパされるのか」
Qは背後から声をかけられ、長くため息をついた。その反応に面白げに口の端をあげている男は先程別れたはずのエージェント・007ことジェームズ・ボンドだ。
「見ていたんですか」
「余興だと思って」
「興味がありますか?」
「彼はなんだい?」
「洋装店の店員ですよ」
渡されたスーツバッグを掲げて見せる。
黒地の布に金で、Kingsmanと店の名前が捺されている。
「サビル・ロゥのテイラーか。ここはいい仕事をする。若い職人もいるしな」
「あなたも顧客でしたか」
「意外か?」
「いいえ。──ここが副業でも活躍していることは?」
「副業?どういうことだ?」
「なんでもありません」
Qはゆるく首を振ると一人歩き出した。携帯電話がタイミングを見計らったように鳴り響く。
着信画面をみれば、彼の年の離れた兄の名前がそこにあった。
「スーツをありがとう、マイクロフト兄さん。それと、新人を揶揄うのはやめてあげてください」
Qは冬の冷たい風に首をすくめながら、電話の向こうの男に文句を言うのだった。
02.ベイカー街の疾走
「なんだってこんなことに!!」
大事な商品が入ったバッグを抱えて、リヒトはハイド・パークを一直線に走っていた。
どういうわけだかしらないが、ホームレスの集団に絡まれて夜のロンドンの街を疾走する羽目になったのだ。
彼らの言い分はこうだ。遊ぶ金がないからお金貸してよ、良いスーツ着てるおぼっちゃん、だそうだ。
いいスーツも何も、今は上からコートを羽織っているし、彼らのみなりでコートの下から見えるトラウザーやシューズの質がわかる気がしなかった。だとすればこれは、誰かの悪戯?店の副業のせいでやっかまれることは多々ある。それは致し方ないし、それに対処する方法も教示されていた。
けれど、大事な一点ものの商品をかばいながら逃げるのは中々に難儀なことでリヒトは肩で息をしながら疾走していた。
相手は薬でもキメているのか、甲高い声を上げながら迫ってくる。
「今日は、なん、なんだっ!!」
依頼された配達先は、ベイカー・ストリート、名前はホームズ。ファーストネームは――たしか、シャーロック。
そこまで思い出して、リヒトは今更ながら気がついた。
シャーロック・ホームズ―巷で話題の、コンサルタント探偵―彼の相棒が記すブログがネット上で人気で、ツイッターでも連日リツイートが上位になるほど。近頃ではゴシップ誌も彼の活躍をネタにしていた気がする。無能な国家警察に代わり、事件を解決する民間の探偵―ただし変人―であると。
断片的な記憶を掘り起こし、さてはこれは『彼の』仕業ではなかろうかと思い始めた。
そうこうする内に、ベイカーストリートにたどり着く。
鬼ごっこのおかげで、片道20分のところを50分も使ってしまった。一時間で帰ると言って店を出たのに、これでは怒られてしまいそうだ。
息を整えて、汗だくになった額をハンカチーフで拭う。オードトワレは汗で全部流れ落ちてしまった。汗臭さはどうにもならないから、目を瞑ってもらうことにしよう。
ベルを鳴らし、深呼吸。現れた婦人に挨拶をし、彼の部屋へ通して貰う。
「ミスタ・ホームズ。お届けものです」
「53分、まぁまぁか。しかしピザのデリバリーもこんな遅くはないぞ?」
「よせよ、シャーロック」
細身の男が部屋の中で待っていた。長い脚を組み、指先で肘掛を叩く。
ソファの向かいに座る男は、彼を嗜めるとリヒトに向かって笑顔を見せた。
「やぁどうも。彼の兄さんから贈り物の配達があると聞いてね。わざわざありがとう」
「いいえ、サー。ミスタ、ホームズ、貴方の部下はかけっこが得意なんですね?」
「ああ、あと金をせびるのも上手い」
「おい、シャーロック、君まさか彼に何かしたのかい」
「何か、とは―?ただ彼のお手並みを見たかっただけだ」
僕の兄が気に入りの洋装店の店員の実力をね、と付け足すシャーロックに、ジョン・ワトソンが首をひねる。
「洋装店の店員の実力?布の裁断とか?」
「そうじゃない。君は知らなくていいことだ」
「あなたはなんでも知っていらっしゃるご様子ですね、ミスタ・ホームズ」
「ああ、もちろんだとも。君が単身イタリアから渡ったことも知っている。幼い頃虐待を受けていたことも。しかし、何故わざわざあの堅物な―よりにもよってサビル・ロウのテイラーになったのか、その理由はわからん」
「あー、わるい、失礼なことを。気にしないで。彼の悪いくせでー」
ジョンが侘びを入れるが、リヒトは素直にシャーロックの観察眼に驚いていた。
「わお、僕そんなにイタリア人っぽい顔してます?」
「矯正された発音は美しい。しかし教えられた言葉というのはどうしても癖が出てしまう。そして君のハドソン婦人への対応はイギリス人よりもイタリア人だ」
「褒め言葉として受け取ります」
「その返しは、イギリス人っぽいな」
にっこり微笑んだリヒトに、ジョンが嬉しげに言葉を付け足した。むっとした顔のシャーロックがジョンを睨むが、素知らぬ顔だ。
「それでは僕の仕事は配達だけですから、これで」
「お茶でも飲んでいけばいいのに」
「ありがとうございます。また機会があれば―ミスタ―」
「ワトソンだ。ジョン・ワトソン」
「ミスタ・ワトソン。僕はリヒトです。スーツのご要望があればぜひ」
「ありがとう。フル・オーダーなんて僕の月給じゃ買えそうにないけど」
「セミ・オーダーや小物も揃えていますから。お気軽にどうぞ」
ショップカードを差し出して、愛想笑いを一つ。
英国の街はクリスマスに向けて彩りを増やす季節のことだった。