LNCrawler

薔薇と指輪と贈り物

Lover, Tailor, Soldier, Spy — www.pixiv.net · All chapters

薔薇と指輪と贈り物

白薔薇と青年

※ 登場キャラ

トム・ハイド:トム・Hランド(PRADA, アンチャーテッドなど)イメージ。

御曹司で、ホテルや友人宅を住まいとする。身体能力が高く、手先が器用。アルバイトでバーテンやテーブルマジシャン等、いろんなバイトを渡り歩いている。

夢主:Kingsmanで働くテイラー。ノット諜報員。

朝、職場に出勤したリヒトに手渡されたのは、一本の真っ赤な薔薇だった。

「……もう一度伺って良いですか?」

普段なら聞いたことは一度で覚え、復唱をする若者が今日ばかりは目を点にして店の責任者である男に確認を取る。

「St.ジェームズ・パーク、時間は16時丁度。胸元に薔薇を差し、届け物を持って待つこと」

「大変失礼な言い方をしますが……正気です?」

「先方の指定だ。君も行けば相当のチップが貰えるぞ」

スーツの代金は先払い――それどころか配達料としてかなりの額を上乗せされたのだという。

「あの……お客様はどのような方ですか?」

「若く、金を持ち、時間もある、加えてハンサム」

「……あーっと、姿やお顔立ちを伺ったんですけれど」

「人相? 人好きのする仔犬のようなイケメンといったところか」

「イケメン……」

老年にさしかかった上司から珍しい単語が出てきて、修行中の職人は眉を寄せる。

「ほらほら。わかったら仕事仕事。作業場に届け物のことは伝えてあるから、途中で抜けなさい。直帰していいよ」

「はぁ……あ、いえ縫い物の練習をしたいので戻ってきます!」

「お好きにどうぞ」

片手を振られて追いやられてしまい、リヒトはすごすごと奥の部屋を後にした。

午後三時五十分。St.ジェームズパークの水辺を前にテイラーはぼんやり突っ立っていた。胸元に挿した薔薇が痛々しいほどに注目されている気がして恥ずかしい。

「……鳥って薔薇を食べるかな」

水鳥たちが羽を休めているところへ顔を向ければ、す、と傍に黒い影が差す。片眉を上げてそちらを見ると、丸いサングラスをかけた痩躯の男がフンと鼻を鳴らした。

「花なんて食べやしない。それどころかお前さんよかいいもんくってるぜ」

「そうなんですか?」

くい、と顎で湖面を見るように指図され言われたとおり視線を向ければ、獲物を捕りにいった最中のようで水鳥の白い羽で覆われた尻が水面に突き出している。

「あ、かわいい」

プリプリ揺れるふかふかの尻に、思わず微笑んだところで、鳥が顔を現す。その嘴には、頭と首の長さよりも大きな魚を挟んでいた。ぱくん、と一口で魚を飲み込む光景に、リヒトはぶわりと鳥肌が立つ。

「……お、おっきいの食べるんだぁ~」

「ヒトでもあそこまででかいのは食うまい?」

男はそれだけいうとサクリとアイスクリームのコーンを口に入れて去る。猫背の後ろ姿は緑の中へ消えていった。

さてリヒトは一人きりになり、傍にあるベンチに腰掛けた。

右を見て、左を見て、腕時計を見る。時刻は16時になった。

もう一度、右を見て、左をみて、湖の対岸を眺める。相変わらず穏やかなロンドンの午後が広がっている。

「……十分遅刻、まぁそんなもんか?」

ハリー・ハートから譲り受けたオメガは今日も正しく時を刻む。文字盤を指でなぞり、商品の入ったケースを撫でて再び湖面に目を戻す。空は夕暮れへと近づいている。

更に三十分が経った。おかしい。店に連絡を取ってみるが、先方からは何も言ってこないという。事故か事件に巻き込まれたのだろうか。生憎と店側が連絡を取ろうとしても、電話は繋がらないという。もう少し待ってみます、といってリヒトはそこにとどまることにする。

夕方のロンドンの風が体を撫でていき、思わず首を竦めた。しまった。すぐに帰れると思って、防寒の準備はしてこなかったのだ。紅茶でも買ってこようか、けれどその間に依頼主が来てしまってはいけないし、と思っていると細身のパンツを穿いた若者が目の前に立った。

「やぁ」

「……こんにちは?」

「君、テイラーでしょう? キングスマンの……そうだね?」

「は、はい。リヒト・ハートといいます」

リヒトよりも背丈も年齢も少し上くらいだろうか。白いシャツにくすんだ赤の革ジャケット、それからパンツと革靴を合わせた若者はラフに調えた茶髪と少し垂れた目元がチャーミングだ。彼はリヒトの胸元に手を伸ばし、差した薔薇を抜き取る。

「薔薇もつけてくれたんだ。ありがとう。集合時間もぴったりだったし」

「え……」

「老舗のテイラーってどのくらい待ってくれるんだろうと思ったんだけど、寒そうだったから出てきちゃった」

「……は?」

「そうだ。僕はトム。ネイトって呼ぶ友達もいるけど君にはトムって呼んで欲しいな」

差し出された手を握り返すと、ワオ本当に冷えてる部屋にいこう!と引っ張られる。リヒトはその手を振り払うと、困惑しながら青年に尋ねた。

「あの、あなた、四時にいたの?」

「うん」

「……見てたの?」

「そうだよ?」

悪気なさそうに頷く青年に、リヒトはハッと喉の奥からこみ上げてきた自嘲を吐き出した。わざと待ちぼうけを食わされていただなんて!

「なんて失礼な人だろう! はい! こちらお届けの商品です。以上、さようなら良い夜を。楽しんで」

スーツの入ったバッグを押し付けると、リヒトは怒りのまま嫌みたらしく挨拶の口上を述べてその場を後にする。

ぽつりぽつりと小雨が降り出した。傘も持っていないし、本当に今日はついていない。

「まってまって! 怒ったの? 謝るよ、ねぇ」

大きな歩幅で歩くリヒトを、トムは慌てて追いかけた。軽い動作でリヒトの前に回り込むと、膝をついて薔薇を差し出す。

「試してごめん。本当は……君が素敵でどう声をかけようかずっと迷っていたんだ」

くるん、と手元で薔薇がひとつ回ったかと思うとそれは三輪に増えていた。リヒトは目の前で突然行われた手品に吃驚して、わ、と思わず歓声を上げてしまう。もう一度、手首を返すと今度は薔薇が白色に変わる。

「……すごい」

「気に入ってくれた?」

「い、いや。気に入る気に入らないじゃなくて……あ、ズボン! それに靴も汚れちゃう!」

土肌が見える地面は、コットン地の黒のパンツにじわりとシミを作り始めている。こんなことで膝を折らないで、とか跪いて薔薇の花を掲げるなんてプロポーズみたいじゃないかとかいろんな事が頭を巡るが、テイラーが口にしたのは洋服の心配のことだった。

「さすがプロ。ねぇシミ取りを教えてよ」

「しみ抜きなんて、クリーニング頼めばプロがやってくれるでしょう?」

「君にして欲しいんだ……ていうのは嘘。お詫びにお酒か、お茶をごちそうさせて?」

「……わかりました」

「やった」

パチン、と楽しげに指を鳴らすとそれじゃいこうかとリヒトの手を握った。絡ませた指先は二人交互になって、まるで恋人同士のようだ。

「や、あの……これ」

「わぁ、本当に冷たい。ごめんね、今はこうしてあたためさせて?」

「……」

うるうるとした瞳がリヒトを覗き込んできて、どうにも断りづらい。リヒトは小さくため息を付き、いきましょう、と先を促す。

トムが案内したのは公園からほど近いホテル・リッツであった。王室御用達の五つ星ホテル。リヒトはレストランで食事をしたことが一度あるだけだ。緊張してしまう。リヒトの手を引く青年は、おかえりなさいとドアマンから声をかけられて、名前を呼び返し挨拶をし合う。その姿は気さくで情があるように見えた。自分には待ちぼうけをさせていたが、実は思ったより悪い人ではないのかもしれない。

「さぁどうぞ。ドレスコードがある以外は過ごしやすいよ」

「リッツでそんな台詞を言えるの、ロイヤルファミリーか貴方だけですよ、Sir」

「あー、ダメダメ! Sirはダメ! トムって呼んで。ただのトム。それと話し方もフランクにして欲しいな」

案内された部屋は煌びやかなシャンデリアの下にキングサイズのベッドがあり、他にテーブルと二脚の椅子、壁には大きな鏡と暖炉が備わっている。

「こんなことならスイートにしておくべきだったかな」

言いながら、トムはジャケットを脱いでベッドに放り、部屋の隅においてある電話を手に取る。フロントへ何事か頼んでいる間にリヒトは放り投げられた衣服を手に取り、ハンカチで水気を取った。革製品は防水加工をしてあるのが常だが、なるべく水滴は取り去る方がいい。ハンガーはどこだろうかとキョロキョロしていると優しく肩を叩かれた。

「君って本当に仕事熱心だね」

「……普通でしょう?」

革のジャケットを放置出来るほうがどうかしている、とリヒトは思うのだがトムは違うようだ。

「それより、こっち座って、君のスーツも濡れちゃったね。今タオル持ってくるよ」

寝室からバスルームに飛び込んで、慌ただしくタオルを手に戻ってくる。

「そんなにあわてなくても」

「だって、君、どこかに消えてしまいそうなんだもの」

僕のせいなんだけどさ、といいながら頬をかく青年。ああ彼はまだまだ若いのだなと感じて、自分が普段どれだけ年配の落ち着いた人々と付き合っているのかを思い出す。ここはひとつ、大人なところを見せないととテイラーは慈愛のまなざしを若者へ向けた。

「大丈夫。ここにいるよ」

ジャケットを脱ぎ、シャツにウエストコートの姿になると受け取ったタオルで水気を取る。その間にフゥ、と隣からため息がこぼれた。何事かと眉を上げればトムがうっとりとした瞳で此方を見ている。

「トム?」

「……そのスーツ、君によく似合うと思って」

「それは、どうも?」

首を傾げるリヒトを、トムは頬杖をついてじっと眺めた。細い腰を包むウエストコートと張り出した尻がなんともセクシーだ。太股はさほど筋肉量がないせいか、腰のくびれと尻が強調されていて官能的なバランスをしている。

スーツの下にこんな蠱惑的なラインを隠していたなんて! ほぅとため息をついたところで、部屋の扉がノックされる。

「お茶を頼んでおいたんだ。それと簡単なカクテルを作る道具も」

ワゴンに積まれたリキュールやシェイカー、氷を見てトムは嬉しげだ。

「お茶、いれますね」

「ううん僕にやらせて!」

お酒はどう? と言われたがまだ時間も早いのでと辞する。

「じゃあ次は遅い時間にお誘いしようっと」

「……は、はぁ」

断ってもいいのだろうか、と思いながら紅茶をすする。さわやかな香りがするダージリンに気持ちを慰められる。

「あ、ねぇこのブレスレット君に似合うと思うんだけどどうかな? 貰ってくれない?」

「い、いえあの、僕は薔薇でお腹いっぱいなんで……」

「そんなぁ! ほら細身だし邪魔にならないよ、ね!」

トムが手首を一撫ですると、銀のチェーンが腕時計に並んで巻き付いた。音もせずについた装飾品を目の前に掲げ、トムを見やる。彼は嬉しそうに目を細めていた。

「うん。よく似合う」

「……ありがとう、ございます……」

帰宅してから、ブレスレットに刻まれたハイブランドの名前を調べると、目玉が飛び出るような金額でリヒトはお金持ちの考えることってわからない、と目眩がした。そして後日、青年と同じ名前を持つ男に目敏く手首についたそれを見つけられ、根掘り葉掘り入手の経路を聞かれるハメになるのだった。

(友情出演;GoodOmensの悪魔さん)

お酒はほどほどに

※登場キャラ;ヘンリー(エージェントH):イメージは、Hugo BossのCリス・Hムズワース。陽気な調香師で、リヒトのことはからかう対象。

店の外からキャアと甲高い声が聞こえて、リヒトはパターンナーから型紙を受け取りながら首を傾げた。小さくため息をつくのはこの店に来て三十年経つ大先輩で、安心なさいなと声をかける。

「え、でも、誰か転んでたり事故だったりしたら……」

「やぁ諸君」

「……ヘンリー、様」

男は長い足で入ってくると店の奥にいた二人に声をかけた。

「さ、君は工房(した)へこれを運んで」

「彼に計測をしてもらいたい」

「わたくしではご不満ですか?」

「いいや。だが若者に経験を積ませるのは有意義だろう?」

「ええ、たしかに」

五十路がらみの男は早々に引き下がると、リヒトにいきなさいと促した。

「……それでは第一試着室へどうぞ」

「ああ、そこが広くて一番好きだ」

開襟シャツにジャケットを合わせたヘンリーは意気揚々と入室する。リヒトはポケットから出したメジャーを首にかけながら、ヘンリーのカルテを取り出して後を追う。

「……リヒトくんは本当にいろいろな方から好かれますね」

扉が閉じた後に職人が呟けば、二階から下りてきたハリー・ハートが目を瞬いた。

「おや、試着室はリヒトが?」

「ええ、ご指名で……あなたも苦労をしますね」

「……ああ」

扉を睨む男の瞳に悋気を見て取ったが、職人は静かに仕事へ戻るのだった。

「あの、ヘンリーさま、動かれると困るんですけれど」

「だが、力を入れたときとそうじゃないとき、太さが異なるんだ」

いいながら、男は鏡の前でリヒトを抱き上げる。ちょうど子供をあやすときに高い高いをしているようで、リヒトは滅入ってしまう。

「この状態では私は測れません! ほかのスタッフを呼んで二人で計測させていただきます」

「それはつまらない」

せっかく君といるのに、と囁くとちゅ、と耳の上にキスを落とす。ヘンリー様! と悲鳴のような声をあげるが、男は朗らかな笑い声を返すだけだ。

「さぁ存分に測ってくれリヒト。そうだ俺の竿の向きだが……」

「全裸になる必要はありません、ヘンリー様!」

一癖ある客と丁々発止のやりとりをしつつ、リヒトは仕事をこなすのだった。

一杯飲まない? 携帯端末にトムから誘いがきたのはヘンリーの相手を終え、工房へ戻ろうとしていた時だった。年上の男の姿を思い浮かべ、どこに連れて行ってくれるのだろう、と楽しみに思いつつ返事を送ったところで、相手が思い浮かべていたトムとは別の青年であることに気がつく。

飲みに誘ってきたのは、先日受け取りに三十分以上も遅刻した若者だったのだ。

「やば……トム……って、あー、くそっ」

連絡先の登録名にPuppyとでも頭につけておけばよかった! と失礼なことを思うが後の祭りである。次回からは間違えまいと、P. Tomと登録し直す。返信には若者らしく一分もたたずに返事が来て、喜びを表すエモティコンも添えられている。

「……はぁー」

リヒトの返答を待つことなく、待ち合わせ場所はここね! と地図とURLが送られてきた。あとで確認しようと携帯をポケットにしまうと、扉の傍にヘンリーが立っている。音もなく扉を通ってきたように思えて内心驚くが、高級洋装店勤めはただにっこりと微笑んだ。

「ヘンリー様。おかえりなさいませ、何かお忘れ物か……追加のお品などございましたか?」

「おかえりか……いいね、それ」

ぱちん、とウィンクをするとヘンリーはソファへリヒトを誘い自分と並んで座らせる。

「ヘンリーさま?」

「君に」

スーツのポケットから取り出したのは、男物の指輪だった。台座は四角くシルバーの輝きが美しい。黒地の面にはHと彫られている。少々無骨な見目のソレは男の手によく似合いそうだ。

「これを……?」

「ああ人差し指用だが……うん、君にはサムリングになっちまうな」

ハハッと笑うと、男はリヒトの右手親指に銀のそれをはめた。

「……おっきいですね」

まるで封建制度の領主がつけるような指輪だ、と思った。これで封蝋できるかしら、と考えているとヘンリーは右手の中から華奢なチェーンを取り出す。

「仕事中は邪魔になるだろうから、これで首にさげて」

心臓の近くに俺をおいて、と耳元で囁きながら、とん、と胸の中央を叩くヘンリーにリヒトはぶわわと鳥肌が立ち、思わず後ずさる。

「ヘンリー様ッ」

「じゃあな」

ヘンリーは本当にそれだけが目的だったのだろう。楽しげに笑い、リヒトの頬に軽くキスをして去っていった。リヒトの手には、リングと銀のチェーンが残る。

「リヒト、大丈夫か? ヘンリー様の用事は済んだのか」

「あっはい!」

先輩からの言葉に慌てて腰を上げると、ポケットに指輪をしまいこみ仕事にとりかかるのだった。

午後六時――仕事を終えたリヒトはネクタイを締め直し鏡の前で身繕いを調えるとポケットに入れていた指輪を思い出した。

「……つけて、みようかな」

しっとりとした金属の感触が心地良い。先程は不相応すぎるほど大きなものだと思ったが、改めてみると親指に付けるくらいならこれくらい丁度良いのかもと思えてくる。

「……ヘンリー様は人差し指につけるんだろうなぁ」

僕だってあのくらい背があれば……!とブツブツいいながらスプリングコートとボディバッグを手に取る。仕事が終わったとトムにメッセージを入れ、職場を後にした。

「あれ……いない、か」

店で待ってる、という返事を鵜呑みにして指定されたオーセンティック・バーの扉をくぐったが、カウンターにもテーブルにもテラス席にも、トムの姿はなかった。照明が絞られているから見つけられていないのかな、と思いながらも席に着く。

ひとまず飲んで連絡をしよう、と思い仕事後の一杯、とエールを頼む。

「エールでいいの? お兄さん」

「うん。ひとまずは」

「じゃあ二杯目は面白いカクテルにしてよ」

「面白いカクテルって何……」

バーテンのおかしな物言いに、眉を寄せて苦笑しつつ顔をあげるとどこかで見た顔がビールグラスを此方に差し出しているではないか。

「……トム?」

「正解ッ」

ティンドンティンドーン、と軽快な効果音を口で奏でると、オリーブを数個盛った小皿を差し出した。

「正解者の貴方にはこちらをサービス」

「……え、えっと、えっと?」

「今日は早番なんだ。夕方から七時までね。折角だし君に見て貰おうと思って」

「君……仕事してたの?」

「うわ、わお、失礼だなぁ」

「ごめん……」

まさかリッツに部屋を取る人間が、ソーホーでバーテンをしているとは思うまい。仕事をするにしても、大企業のビルの中で働いているか、はたまた郊外のマナーハウスで土地や株の管理だとかをしていると思っていたのだ。

「いいじゃない。バーテンがどこに泊まろうとさ」

あ、でも店の人には内緒にしてね、いじめられたら困ると小声で言いながらチャーミングな笑みを付け加える。

「……変な人」

「そこも魅力的?」

「ふふ、自分で言っちゃうんだ」

はいはい魅力的、と流せば冷たいなぁと甘えてくる。

リヒトはビールを呷って遠慮なくオリーブを摘まむ。その間に仕事中のトムは他の客からのオーダーを聞いて、華麗なシェイカーさばきを見せ、アクロバティックなボトル・ジャグリングをしていた。

リヒトはぽかんと口を開け、すごいと言って小さく拍手をすると、トムは対応していた客が去った後に仰々しくお辞儀をしてみせる。

「お楽しみ頂けましたか?」

「うん。すごい特技。この前の手品もすごかったし……僕が出来るのなんてせいぜい指が取れちゃった~とか……あれ」

言いながら、親指を折り曲げて子ども向けの遊びをやりかけた時、リヒトはビクリと体を震わせた。

「指輪が、ない」

「……あーっと」

「どうしよ、今日ヘンリー様から頂いたばっかりなのに!」

トイレには行っていないし、ビールのグラスにあたる指輪の感覚もあった。だとしたらどこで落としたんだろう? リヒトの顔がみるみるうちに青くなる。今日飲んだのは、ビールとアペロール・スプリッツを一杯。指輪のありかが分からなくなるほど酩酊していただろうか。

「と、トムごめん。落とし物、したみたいなんだ。親指にはめてた指輪でちょっと大ぶりで、Hって刻んであって、それ、お客様から頂いたものなんだ……ああ、うそうそ。僕のバカ!」

覚えていないがポケットに入れてしまったのだろうかと思い、スーツのポケットもズボンの尻ポケットまで探すがどこにも金属の感触はない。

リヒトはくしゃりと顔を歪めて、今にも泣きそうな顔で自分の行動を振り返る。

「お店に来て、ビールを頼んで……」

「リヒト」

「何、トムちょっと待って今何したか思い出してるところだから」

「それって、銀色をしてる? クールなリングだよね?」

「え……?」

パチン、とトムが左手指を弾き、視線を自分の顔へくるように誘導する。そして、右手でリヒトの耳元に触れた。流れるような動作で掲げた右手にはまさしくリヒトが探していた指輪が乗っていた。

「トム! ど、どこで!」

「そこに」

首をちょいと傾けて示すのはバーテーブルの上だ。

「おしぼりを渡したでしょ。そのときに外してお皿の陰に隠れちゃったんだ」

「あ、そっか……はあ本当に良かった。ありがとうトム」

指輪の顛末を立て板に水のように話すが、実はトムが掏っていたのだ。十分と持たぬうちにリヒトが気付いてしまったため、慌てて作り話をし指輪を返却したというわけだ。

リヒトはポケットに入れていたチェーンに指輪を通すと慎重に首にかけ、ウェストコートの下へと仕舞った。ぽん、と服の上からリングを叩き、目元を緩める。

「それ、特別なものなの?」

「ううん……特別っていうか、お客様から頂いたものだし」

「そうなんだ」

トムは見つかって良かったね、と微笑む。内心では指輪に特別な意味がないと知って、満足だった。

「特別なのはこっち。時計の方かな……」

言いながら指先が優しく文字盤をなぞる。トムは興味を引かれてリヒトの言葉を待った。青年の手首にあるオメガは、若者がするには少々古びた型だが大事に使い込まれた良いものだとわかる。

「ハリー……養父から貰ったものなんだ。格好いいだろ? 将来これに見合うテイラーになるのが僕の目標」

「へぇ……いいね」

思わぬところで聞けたリヒトに関する踏み込んだ話にトムは僅かに息を呑み、それからいつもと同じように微笑んだ。

「まぁどうなるか分かんないけど努力はしてみようかなって」

「リヒトは頑張り屋さんだ」

「そんなことない。世の中、みーんな頑張ってるし」

「それでも――」

指輪を盗んで、都合が悪くなったからと戻した自分よりはずっと、真摯で魅力的だ。

「トム……? ねぇトムは? 何か特別な持ち物ってある?」

「んー、そうだな。手始めにこのネクタイピン。これはエリザベス王妃から僕の叔父が譲り受けたもので、王室に次ぐほど高貴に生きろと言われて贈られたんだ」

「うーん、嘘か本当か、微妙な線をついてくるなぁ」

「あはは、おかわりはどう?」

「じゃあ、マティーニ」

「任せて」

シェイカーに材料と氷を入れ、軽い動作でシェイクを始める。

「あれ、マティーニって、シェイカー使うんだ」

「え? そうだよ?」

「知り合いが……マティーニはステアして出してって……あれってジェームズの頼み方だったのか」

小気味よく振っていたシェイカーをゆっくりと下ろすと、トムは丁寧な仕草でカクテルグラスに注ぎ込む。オリーブを添えれば完成だ。

大ぶりなカクテルグラスの縁を持って、そろそろと口に運ぶリヒト。その姿が子どもっぽくて可愛いな、なんてトムは思う。

「ねぇ、ジェームズって?」

「……ふふ、誰でしょう」

一口飲んでおいしい、と呟いたリヒトに名前の主について訊ねる。しかし、リヒトは酔いが回ってきたのか、意味ありげな返答をするだけだ。アルコールで頬を上気させ、そっと上目遣いをするリヒトに、思わずドキリとしてしまう。相手は酔っ払い、慣れてるだろ、と言い聞かせる。リヒトはもう一口マティーニを呷ると、は、と酒気が香る吐息を零してトムをみた。

「ね、仕事いつおわるの?」

「あ……えっと」

もうとっくに勤務時間は過ぎている。もうあがるよ、と言いかけた唇にちょんと冷たい感触。

「オリーブ、さっき沢山たべたからあげる」

「……サンクス」

「ふふふ」

「リヒトって、お酒飲むと性格が変わる?」

「そうかなぁ?」

頬杖をつき、とろんと蕩けた瞳がトムを眺める。ただの酔っ払いの潤んだ瞳のはずなのに、どこか心の中を見透かされそうだ。だというのに、視線をそらすのは勿体ない気がする。

トムがじっと見つめ返すと、リヒトはくふんと笑って言った。

「バーテンダーってさ、セクシーだよね。タンブラー……シェイカーを振る腕とか……きん、にくが、さぁ」

「リヒトもしかして相当酔ってる?」

「酔ってない」

「ワオ、それまんま酔っ払いの台詞だね」

「酔ってない。ていうか身長そんなに変わらないのに、どうしてそんなムキムキなのトムゥ……ジェイムズも、ヘンリーさまも、みんな、みんなムキムキ……ぷろていん」

「リヒト」

「チップス食べたい」

「あ、うん。キッチンに通すよ」

「トムもこっちきて?」

「わかった。今行く」

その日のリヒトの記憶は、此処で終わっている。

朝、目が覚めると隣には半裸のトムが居た。朝日の中、瞼を僅かに下ろしてうっとりとした表情でリヒトを見つめている。首筋から胸元までがあらわになり、健康的に焼けた肌はしっとりとして柔らかそうだ。まるで……まるで一晩を共に過ごした翌朝のような雰囲気に、リヒトはカッと頬を染める。

「おはよう、王子様?」

「……おはよう、ございます」

以前訪れたリッツとはまた違ったモダンな雰囲気だが、調度品や電気のスイッチの位置からみて、ホテルだとわかる。

「あの、僕……」

「昨日は大変だったよ」

「え、もしかして吐いたりとか」

「そうじゃないけど。一緒に寝てくれなきゃやだやだってくっついてきて」

「……っ申し訳、ございませんんん」

リヒトは頭を抱えると、その場でキュッと丸くなってジャパニーズ・ドゲザをしてみせた。寝起きにいきなり動いたせいか、シーツに押し付けた頭がクラクラする。

「いいよ、昨夜のリヒトとっても可愛かったし」

「その言い方、なんかいや」

「一夜を共にしたのは同じでしょう?」

「うう、ううう」

「それとも……本当にしちゃう?」

リヒトよりも分厚い体がのしかかり、あっという間に仰向けに体を開かれる。何が起きたのかわからぬリヒトは、ぱちぱちと瞬きをした後にあ、と小さく声をあげた。

その声が、どうにも期待に満ちているような甘いものに聞こえてトムは喉奥で忍び笑いをする。

「本当に、君って……」

「トム、あの、ぼく」

「じゃあキスだけ。ね?」

ちゅうと柔く甘く唇を吸われると、背筋に快感が走り思わず体の力が抜ける。腔内の浅い部分を優しくそっと探っていく器用な舌先に、首筋がゾクゾクとしてしまう。

「と……む」

はた、と下をみればボクサーパンツを穿いたトムの下肢が目に入る。シーツで影が作られているが、熱く滾るその様子にハと息を呑んだ。

「……ん、怖がらないで今日はここまでにする……バスルーム先に使って」

ちゅ、ちゅ、と軽いバードキスを唇に、頬に落とすとトムは体を避けて、ベッドサイドに腰掛けた。

「あ……」

「いいよ。ほら早くしないと食べちゃう」

ガウガウッと犬の吠える真似をしたので、リヒトは慌ててベッドをおりてバスルームへ駆け込んだ。

残ったトムはフーと長く息を吐いた後、熱の籠もった頬を擦る。

「まいった、はまりそう……」

ぼそりと呟いた言葉は誰にも聞かれることなく、広い客室へと消えるのだった。

Let's go to Picnic!

シャワーを浴び、トムに服を借りて一心地ついたところでリヒトは帰り支度をしながらはたと思いついた。

「トム、今日何か予定はある? なかったらブランチ代わりにピクニックにいかない?」

「いいね! それならランチボックスを頼もう!」

バスローブを羽織り、髪から雫をしたたらせた青年は嬉々として部屋にある電話を手に取る。ワンコールも鳴らぬうちにホテルマンが応対をしているのがリヒトにもわかった。

「ちょ、ちょっとまって!」

「うん? そうそう、二人分の食事と……シャンパン、ピクニックシートもいるかな? 毛布がある? じゃあそれで」

次々と品物を頼むと、トムは「バイ」と挨拶をしてくるりと受話器を手の中で回し、電話を終えた。静かになった部屋にはリヒトが行き場もなく手を伸ばし、そのままどさりとソファに横たわる姿がある。

「どうしたの?」

「……もっと、リーズナブルにすませるつもりだったん、だけど」

サンドイッチ屋で食事を買って、スタンドで紙カップに入った紅茶を買う。ピクニックシートはなければベンチを探すか、芝生に新聞紙を敷いて座ればいい。それがリヒトの思い描いていたピクニックだった。

「どうして? スープもいれてくれるってさ」

まだ肌寒いからきっと特別おいしく感じるね、と目を細めるトムに、リヒトは横たわったままはぁとため息をつく。

「大丈夫?」

「……お金持ちの方とのお付き合いはよくあるけど、久しぶりに感覚の差異に打ちのめされただけ」

「……ふうんよく、付き合ってるの」

トムはソファに腰掛けて、リヒトの言葉前半部分を繰り返す。心なしか声色が低い。リヒトは己の発言の恥ずかしさに気がつき、ハッと顔を上げた。

「付き合うって恋人とかじゃないよ! 仕事上でのお話とか、食事とかのことね」

「食事に行くんだ」

「……行かないの?」

「行くかもね。ねぇ、デートはするの?」

「しないよ」

首を横に振ってから、そういえばトム様とはベッドインしちゃっていたなと思う。それに雰囲気のある場所で貸し切りのクリスマスディナーもご馳走になった。あれは仕事の顧客関係ということで片づけられるのだろうか。友人、というのもおこがましい気がしていたが……と首を傾げる。

「やだな。リヒト、誰かほかの奴のこと考えてる」

「えーっと」

「まぁいいや。ね、今日のピクニック、僕はデートだと思ってるんだけど?」

「へ」

「デートってことにしよ、ね!」

いいでしょ、といいながらトムはちゅ、とリヒトの頬にキスをした。ぎょっとするも髪の毛乾かしてくる~と軽快な足取りでソファを離れていった。文句を言う暇もなく、トムの姿は寝室に消えてしまう。

「……な、なんなんだ」

強引でマイペースな人々には慣れているが、トムにはそこへ子供っぽいかわいらしさが付加されているようだ。そんなタイプと相対するのは初めてで、リヒトはいつも以上に戸惑ってしまう。

ドキドキと乱れる心拍に困惑しながら、キスをされた頬を指先でそっとこするのだった。