第3話 澄んだ声って言ってくれた。
第3話 澄んだ声って言ってくれた。
――ここで一緒に雨宿りをしよう。 そう、その人は言ってくれた。 俺は、こんなに色々してくれているのこの人のコートを汚してしまったのに。 それなのに、そう言って笑ってくれた。「怖がらなくていい」「!」「大丈夫だよ」 それだけじゃない。 こんなことになってる俺を抱き締めてくれて、頭を優しく撫でてくれる。「あのっ、貴方が汚れっ」「服は洗えばどうにでもなる」 その言葉に全部預けて甘えてしまいたくなる。「でも、スーツ」「仕事柄、すごく腕のいいクリーニング屋を知っていてね。どんな汚れも全部綺麗にしてくれるんだ。だから、平気だよ。君こそ」「っ」 ぎゅっと肩に力がこもった。 恥ずかしい。 こんなこと、本当に、何をしているんだろう。こんなかっこいい人に助けてもらっておいて、助けてもらっただけじゃなく、こんな失態まで晒して、それでも優しくしてもらえて。「何か、飲まされた?」 その質問に慌てて、首を振った。「睡眠薬とか催淫剤、何か錠剤のものとか、液体とか」「な、ないですっ」 そんな怖いこと、って。 想像しただけで一気に血の気が引いていく。 それを察知したこの人はまた頭を撫でて、キツくではなく、やんわりと近くに引き寄せてくれる。ここなら大丈夫だからって教えてくれるみたいに。 俺が安心するようにって。「変な物を飲まされたわけじゃないなら、よかった」」「あの、飲まされた、んじゃなくて、その……」「?」「中に……お尻の……」 間接照明で、煌々と……とまではいかないけれどうっすらと照らされた部屋で顔はそうよく見えないと思う。それでも見えないようにって、首を折りたたむように俯いて、小さな声で告げた。「ロー……ション……を……そこから急に身体がおかしくなって、それで」 それで怖くなって逃げたんです、と消えてしまいそうな声で伝えた。 何をされたのかはわからない。ローションなら自分でちゃんと塗ってきたってあのお客さんに言ったんだ。それなのに、お客さんが、いいからって、これを塗ったら気持ち良くなるよって、かまうことなく半ば強引に何かを注入してきて。 怖かった。 すごく。 けれど、こんなこともされるかもしれないって想像できなかったのがいけないんだ。見ず知らずの人がお金で行為を買うのだから、何でもあり、なのかもしれない。そこまで考えなかった俺がバカなだけで。「……そうだったのか」 本当にバカなことをした。「とりあえず、水を飲んだ方がいい。身体が熱い。ルームサービスは……もう頼めないか。でも今はまだ食事どころじゃないかな。必要なら後で買ってきてあげるから」「いえっ、そんなっ、ぁ、あの……ご、ごめんなさいっ本当にっ。見ず知らずの人に、こんな」「そう、見ず知らずの人には油断しない方がいい」「! すみませんっ」「これからは、ね。とりあえず、今は謝らないでいいよ。怖かっただろうし。まぁ、僕は……いい人ではないけれど、大丈夫。君に害は加えないから安心して」「そんなっ」 思ってない。危害を、この人が加えるなんてこれっぽっちも思ってない。こんなに色々としてもらって、お礼なんてどうしたらいいのかわからないくらいたくさん感謝してる。「吐きそうだったり、頭が痛いなら、横になろう。でも、立っていられそうなら、シャワーを浴びた方がいい。手伝うから」「そんなこと、申し訳ないからっ」「興奮を促すような何かが混ざったローションだったんじゃないかな」「っ」「おいで、掻き出した方がいい。シリコン系ので、中で固まったりしたら大変だから」「そ、んなっ」 ゾッとした。 中で固まるって、そんなの、知らない。 聞いた瞬間、もっと血の気が引いていく。「どう……」 どうしたら。 そして、いますぐにでもシャワー室に行って中をキレイにしたくて。 だって自分の身体の、自分が全く見えない体内に得体の知れないものなんて、怖くて仕方がない。後悔が込み上げてきて、おかしくなりそうなくらい。「平気だよ」「っ」「大丈夫」 怖さと後悔で暴れ出したくなった。「そこにいて」 けれど、この人の優しい、柔らかい声が落ち着かせてくれる。そして、彼がバスルームへといって、そこから顔を出して、俺を手招いた。「そ、そんな、い、いいです! そんなの、助けてもらった上にこんなことっ、き、汚いしっ」 彼は服を脱いで、腰にタオルを巻いていた。洗ってもらうなんて、そんなこと、させられない。「一人じゃ無理だろう?」「っ」 確かに、そうだけど。いまだって、さっきほどには混乱していないけれど、それでもまだ指先がおかしいんだ。心臓はドクドクと忙しないし、指先も小さく震えていて、ボタンひとつ外すのだってきっとこんなじゃ苦労する。「手伝うよ」 彼は脱ぐのすらままならない俺の指先の代わりに脱がせてくれる。「っ、ごめんなさい」「謝らなくていい」「でも、こんな汚いこと、貴方みたいな」「綺麗だ、と思うよ」「っ」「君の身体」 申し訳なさに消えてしまいそうだった。「むしろ僕にしてみたら眼福、かな」「ぇ……?」「ゲイだから。恋愛対象が男性なんだよ。それもあって今、君がどういう状況なのかは大体わかる。だから眼福。もちろん、何もしない。中のローションを掻き出すだけ」 こんな人にそんなことをさせてしまぅなんて。「平気。慣れてるよ。ただじっとしてて」 けれど、羞恥心で消えてしまいたくなる俺に微笑んでくれた「ンっ」 さっきは怖くてたまらなかったのに。 お客さんにやめてくださいって話しているのに、邪魔だという顔でのしかかられて、構わず、そこに指を挿し込まれた時は、恐怖しかなかったのに。「あぁ、そうだ」 そして、そこで、その人は苦笑いを溢した。 何? って、助けてあげたらこんなことになってしまったって。こんなことをする羽目になってしまったって苦笑いをしたんだと覗き込んだ。「今更だけど」 やっぱりやめたいって、そう言われてしまうんだと。「君の名前は?」「……ぇ?」 名前って……。「この状況で聞くって言うのもなんだけど……名前」「あ……」 名前を聞いてないから、苦笑いを?「あ。汰由、です」「たゆ? 響きの素敵な名前だ。漢字は?」「ぇ、漢字」「そう、なんて書くの?」「汰、は、さんずいに太いって書いて、由、は……」 なんて説明すればいいんだろう。「あの……手を」「手?」 そう、手を貸してくださいって、言って、何度も優しく頭を撫でてくれたその人の手を取った。掌に書いたらわかるかなって……。「あぁ……自由の由、か」「自由……」「そう。素敵な名前だ」 自由の、由。「貴方、は?」「僕は、義信、っていうんだ。漢字だと正義の義に、信じる」「……すごい……良い名前」「そう?」「義信、さん」「うん」 その名前の通りの人だと思った。正義の人。「あっ……義信、さんっ」「汰由」「っ」「大丈夫。汰由……」「っ、あっ」「上手だ」 指、が……。「力入れないで。声、我慢しなくていいよ」 そう言ってくれたから。 怖くなかった。「あ、ごめっ……あ、あ、あ」「汰由、澄んだ綺麗な声だ」 そう言って褒めてくれるから。 長い指が、無理矢理なことをされてぎゅっと力んでいるそこを撫でて、ゆっくり入ってきてくれた。「汰由」「あっ」 優しく名前を呼んでくれる彼にしがみついて。 優しい手にしがみついていた。