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234.背縫いと黒いシャツ

魔導具師ダリヤはうつむかない — ncode.syosetu.com · All chapters

234.背縫いと黒いシャツ

昨夜、魔物討伐部隊の打ち上げはそれなりに盛り上がった。

ランドルフと飲み比べをしていたヴォルフだが、さすが酔うことを知らぬ 大海蛇 ( シーサーペント ) 。

足取りの乱れもなく、ダリヤを緑の塔まで送ってくれた。

なお、ランドルフに関しては途中から長椅子にころりと転がってしまい、ドリノと先輩騎士が『兵舎に帰るときに持ち帰る』と言っていた。

重いと思うので、帰りの馬車に同乗しないか聞いてみたが、『こういうときのための身体強化だから』と笑顔で答えられた。きっと慣れているのだろう。

結局、ヴォルフ一人に送られ、緑の塔に戻る。

別れ際のドアの前、いつものようにヴォルフと『おやすみなさい、よい夢を』と挨拶を交わした。

そのとき、彼は本当に小さな声で自分に言った。

『背縫い、楽しみにしてる』と。

月明かりに照らされたその顔は、王都随一の美青年という 喩 ( たと ) えに、じつにふさわしかった。

帰宅後、上着を脱ごうとし、袖に引っかかった金の腕輪を外す。

護身のための腕輪だが、案外、酒の酔いも止めていてくれたのかもしれない。

頬の火照りをおぼえたダリヤは、酔い覚ましに少しだけ背縫いの案を考えることにした。

筆記具を出すと、中心の細い炭芯を出すために、周囲の紙をぺりぺりと剥く。

メモ書き用のざらついた紙を指でなでると、候補を考えつつ、紙に向かった。

「スカルファロットの名前……スカルファロット家の家紋……私が縫うからロセッティか、ダリヤあとは……」

ヴォルフの名前を入れる。なんだか子供のお名前付きシャツのようである。

却下。

スカルファロットと姓を入れる。ふとグイードの顔が思い浮かび、何かが違う気がした。

却下。

スカルファロット家の家紋を入れる。細かい上に、氷の結晶に似ていてなんだか寒そうだ。

却下。

自分の名を入れる。なんとなく気恥ずかしい。そもそもヴォルフは自分の家族ではない。

却下。

自分の姓を入れる。なぜか父の笑顔が浮かんだ。これもまた何かが違う気がする。

却下。

針が持てないどころか、図面すら描けずに唸るばかりになった。

眼鏡を外し、一度大きく伸びをする。

腕を下ろしたとき、肩こり防止に付けているペンダントが胸元で揺れた。

ペンダントの表は 一角獣 ( ユニコーン ) の角、裏は 岩山蛇 ( クラギースネイク ) の牙。

表には先日彫った小さな花模様、そして、裏面に彫ってあるのは 夜犬 ( ナイトドッグ ) だ。なかなかかっこよくできたと自負している、お気に入りである。

番犬にたいへんいいとされる、 夜犬 ( ナイトドッグ ) 。

街から街への移動の際は、護衛を付けたり、 八本脚馬 ( スレイプニル ) の馬車も利用する方法もあるが、 夜犬 ( ナイトドッグ ) と共に移動することも多い。

遠征の安全祈願と危ない魔物除けをかねて、これと同じ 夜犬 ( ナイトドッグ ) を縫う――それはとても妙案に思えた。

こうなると、ちょっとだけでも試し縫いをしてみたくなる。

ヴォルフのアンダーシャツは手元にないので、黒いTシャツを出してきた。

自分が寝間着用にストックしていた、男物の大きいものだ。ヴォルフに貸したこともあるそのシャツで、まずは試し縫いをする。

糸は選び抜かれた 魔蚕 ( まかいこ ) の魔糸、針は強度付与ありのミスリル。

両方ともルチアからもらったものだ。どちらも滑りがよく、刺繍にはとても向いている。

彼女が高級温熱座卓の掛け毛布を縫うときに使ったものと同じだという。

魔導具でも縫い物は多いという話をしたら、ぜひ使うようにと勧められた、超高級品だ。

ヴォルフの安全を祈願するのだ、できるだけきれいに縫いたい。

しかし、黒いシャツに黒の 夜犬 ( ナイトドッグ ) はどうなのだろう?

ヴォルフのアンダーシャツの色も聞かぬうちに、そこで悩んでしまった。黒地に黒の犬では、模様が沈んでしまう。

『背縫いは赤であることが多い』そうドリノに聞いた記憶をたぐり寄せ、黒い犬の背後、赤い花模様を入れてみた。すると、犬の形がきれいに浮き上がりそうな感じがした。

その後は魔導ランタンの灯の下、脇目も振らずに縫い続ける。

どのぐらいかかったものか、ダリヤは目をしょぼしょぼさせながらも、縫い取りを終えた。

「……あ」

仕上がりを確認しようとし、思わず小さな声が出た。

背縫いというのは、小さめのワンポイント刺繍のはずである。

誰が 拳 ( こぶし ) 並みの大きな刺繍を入れるのだ? これでは最早ワッペンだ、着心地が悪いではないか。

が、刺繍を外そうとして、今度はちょっともったいなくなって手を止める。

待て、これは試作だ。あくまで試作なのだ。

実際の刺繍はこれを小さくすればいいではないか、そう無理矢理自分を納得させた。

とりあえず、ルチアがレインコート用にと持ってきていた男性用トルソーに、黒いシャツを着せてみる。刺繍は大きさ的にちょっと目立つが、悪くはない。

これは試作だし、どのみち上着を着れば背側は見えない――またも言い訳をしつつ、ふと思い立つ。

ここは魔導具師の自分らしく、シャツにも一工夫してみるべきではないだろうか?

魔物討伐部隊の遠征は過酷だ。破けたりしないよう、シャツの耐久性は上げたい。

硬化付与では着られなくなってしまうので、繊維向けの強化を試すのはどうだろうか? そう思って、棚のストック素材を確認する。

最初に手に取ったのは、 王蛇 ( キングスネーク ) の脱皮した抜け殻、その粉だ。

砂漠の魔物である 王蛇 ( キングスネーク ) 。

砂漠で迷った旅人が縄張りに入ると、ばくりと食べられてしまう怖い魔物である。

捕まえるのは案外簡単で、大きい壺に酒を入れておくと寄ってくる。そうしてとことん飲ませて泥酔したところを捕まえるか、退治するそうだ。

生粋の酒好きがアダになった形である。

なるべく退治しないのは、 王蛇 ( キングスネーク ) が砂漠の 砂漠蟲 ( サンドワーム ) の卵や幼虫を食べるためだ。

王蛇 ( キングスネーク ) がいなくなると、そこでは大型の 砂漠蟲 ( サンドワーム ) が大発生する恐れがある。

魔導科の授業でそれを聞いて、この世界の環境バランスもなかなか難しいのだと納得した。

ちなみに、脱皮した抜け殻はランタンの芯、その強化素材になる。

王都の衛兵が持つ 携帯灯 ( けいたいとう ) の芯にも使われており、熱にも水にも強い。

次に取り出したのは、イエロースライムの粉だ。

だが、いつも見ている黄色い小麦粉のような物ではなく、透明度が高く、 黄水晶 ( シトリン ) を粉にしたような色合いである。

スライム養殖場の研究主任である、イデアから贈られてきた品だ。

以前、スライム養殖場を見学したとき、イデアのスライム研究の熱意にとても共感した。

それで、イヴァーノに研究費を商会から出せないかと相談した。

結果、イヴァーノがフォルトに口を利いて、服飾ギルドからかなりの研究援助が出ることになったという。

そして、イデアからは定期的にスライムの粉が届くようになった。

最近受け取ったのが、このイエロースライムの『一級』である。

一級から五級までに区分されたスライムの中で、一番の高級品だ。

『健康的で色艶よく、魔力が高い、透明度の高いイエロースライム』という説明書きに納得した。

イエロースライムは土魔法を持ち、硬化と強化がある。

他の魔物素材と比べると効果は段違いに弱いので使われることは少ないが、布に関してならば『少し破けにくくなる』ぐらいにはなるはずだ。

薬液はレインコートと似た感じで、ローヤルミント液、 鎧蟹 ( アーマークラブ ) の酸を入れることにした。

砂漠蟲 ( サンドワーム ) の粉を入れるとより丈夫にはなるのだが、硬くしたくないので、今回は見送る。

予想される硬化と強化を紙上で計算してはみたが、イエロースライムの一級品の効果はどうか、とても気になるところだ。

薬液を丁寧に混ぜながら、魔力を注ぐ。

そして、 王蛇 ( キングスネーク ) の粉を入れ、また丁寧に混ぜた。

最後にイエロースライムの粉を入れようとし、不意に鼻のむずむずした感じに気づく。

朝方の作業場、ダリヤの身体は冷えかかっていた。

「くしゅん!」

だばり、粉が三倍入った。

あせったものの、きらきらとしたイエロースライムの粉はもう薬液の中である。

王蛇 ( キングスネーク ) の粉は溶かしてからの保管ができない。このままだと薬液すべてが無駄になる。それはあまりにもったいない。

「……魔力練習だと思えばいいのよね」

もったいない精神が、いい理由を引きつれてきた。

ダリヤは口から出た言葉にうなずきつつ、薬液を混ぜる。

失敗したら、ヴォルフが来る前にシャツを隠そう。

シャツを着せたトルソーの背中側、刺繍の部分の手前に、薬液の入ったグラスを近づける。

防水布のように平らな場に広げるのではなく、グラスから魔力で中身を持ち上げての付与だ。

魔力十単位以上からできるその付与は、ダリヤにとってはまだ難しい。失敗を覚悟しつつ、指先から魔力を強く流す。

「ヴォルフが無事でありますように……」

祈りのつぶやきと共に流れる魔力に、薬液はきれいな球となって浮いた。

月を思わせる薄黄の球は、くるりくるりと二度回ると、刺繍に吸い込まれるように消えていく。

刺繍を中心にぶわりと広がった魔力は、シャツを一気に包み込んだ。

「え?」

防水布で薄い魔力を均一にするのは難しい。ダリヤはそれなりにはできるが、得意とは言い難い。

それが今の付与は何だろう? あまりに呆気なくできてしまったことに驚いた。

だが、一滴もこぼさず、シャツに均一に付与できたのだ。これは喜ぶべきことだろう。

「確認確認……あら?」

シャツに触れると、どうもおかしい感触だった。

防水布よりは柔らかく、指にぐにゃりと絡む謎な触り心地である。

前世で言うならゴム布に近いが、布以上には伸びない。

クラーケンの外皮を薄く、うまく布状にできたらこんな形だろうか、そう思えた。

なお、水を置いてみたが三分の一ぐらいは吸い、残りははじく。つまりは、防水効果はなく、汗も吸いづらい。

アンダーシャツにもレインコートにも向かない代物ができあがってしまった。

「……私、酔ってるのかも」

もしかしたら、酔いのせいで指の感覚が鈍っているのかもしれない。

時間が経ったらもう少し硬化しているかもしれない。

そんな甘い希望を抱いてみる。まずは無理だろうが。

眠い、疲れた、目が痛い。すべては明日考えよう。

窓からの朝日に目をこすり、ダリヤは浴室に向かった。