235.夜犬と赤い花
235.夜犬と赤い花
(※本日二話更新となっております)
ダリヤがシャワーを浴びて眠り、起きたのは昼近くだった。
本日休みのヴォルフがやって来るのは間もなくだ。慌てて身繕いをし、仕事場に下りた。
黒いシャツに改めて触れてみたが、やはりアンダーシャツ向けの触り心地ではない。
ヴォルフが来る前に片付けようと、シャツをトルソーから急いではがす。
そして何気なくテーブルの上に載せようとし、目が点になった。
「待って、なんで?」
思わずシャツに話しかけてしまった。
作業台の上、自立するシャツ。
まるで中に透明な人がいるように、裾を足代わりに、揺るぎなく立っている。
つい後ずさったとき、ドアベルが鳴った。
驚きと怖い想像、ヴォルフであってほしいという願いが混じり合い、ダリヤは走って扉を開ける。
「こんにちは、ダリヤ」
「ヴォルフー!」
「ダリヤ、何があった?!」
「何か、いる、かも……」
後に、『今にも泣きそうな顔だった』と、ヴォルフには言われた。
持っていた荷物を床に投げ捨て、ヴォルフが自分の前に立つ。
背にかばわれる形になった次の瞬間、彼は懐から短剣を抜きさばいた。
構えを取った先、テーブルに乗るのは黒いシャツ。不自然に自立している。
「ダリヤ、あれは?」
「シャツが……ええと、なぜか、ああなってしまいまして……」
説明がしづらい、というかできない。
ヴォルフはまだ構えを取ったまま、少しだけ首を傾げる。
「ダリヤ、あれ…… 首無鎧 ( デュラハン ) の試作?」
「なぜ私が、 首無鎧 ( デュラハン ) を作らなきゃいけないんですか……?」
緊張が一気に溶けた。
きっと自分の考えすぎだっただろう。
一晩トルソーに着せていたことで、昨日の付与魔法が形態固定しただけだ。
「昨日、背縫いのデザインを考えていて、ついでに丈夫なシャツの試作をしたんですが……」
「背縫いの、試作?」
ヴォルフがその黄金の目を 訝 ( いぶか ) しげに細める。
結果、帰宅後からの作業をすべて説明することとなった。
そして今、ヴォルフが楽しげに見つめているのは、畳んだシャツ、その背縫いである。
彼は話の後に作業台に歩みより、シャツをぺしゃりと叩き、それからゆっくり畳んで平らにした。
特に何もおらず、力もそれほどいらなかったそうだ。
「すごくきれいな刺繍だね」
「背縫いには大きすぎました……」
「このシャツもすごいね。耐久性は上がっていると思う」
「動きづらいことこの上ないですが……」
「でも、これなら柔らかめのレインコートになるんじゃないかな?」
「残念ながら、水を少し吸うんです……」
ヴォルフのフォローが一つも受け取れない。
丈夫なシャツを目指したはずが、なぜこうなった? もう少し早く片付けるべきだった。
「でもこれ、なかなか面白いよ」
布では絶対にありえない質感が楽しいのだろう。ヴォルフがわくわくとした顔でシャツを手にしている。
握っては離す握っては離すのくり返しをやめてほしい。
「面白いだけでは使えません……」
「いや、これ真面目に防具に使えるかも……もっと厚くできるなら、鎧の当たりを柔らかくするとか、膝当てや肘当てに。ぶつかった時の衝撃を吸収してくれそうだ」
「え?」
まさかの衝撃吸収材の提案である。
手を伸ばし、再度触れてみる。
畳んだままのシャツを握ると、むにょりとした感触があり、離すとゆっくりと戻る。
一枚地ではわからなかったが、こうして重ねた形だと、前世で知っている低反発素材と似ていた。
「今は魔物の革やクラーケンでできた裏当てがあるけど、これより硬い。寒いとさらに硬くなるし。だから、これがちょうどいい感じにできたらいい」
「どのぐらいの厚みがいいです?」
「三倍は欲しいけど、実際に肘当てや鎧を着けてみないとわからないな……」
「防具に付けるなら、耐久性の確認も要りますね。一日でぼろぼろになったら困りますし」
これに関しては鎧や肘当て、膝当てを着けての実践がいるだろう。
ダリヤでは確認のしようがない。
「これは兄とヨナス先生に相談すればいいよ。ヨナス先生なら、防具も詳しいと思うし」
「これなら魔剣と違って安全ですから、心配されなくて済みそうです。あと、イヴァーノにも伝えておきます。武具部門の話もグイード様と打ち合わせをしたと言っていたので」
「それがいいね。うちの兄はイヴァーノが気に入っているみたいで。この前帰ったら、二人で仲良くお茶を飲んでいて驚いたよ」
イヴァーノは思いの外、グイードと仲良くなっていたらしい。
もっとも、これを本人に言えば、固めた笑顔で首を横に振っていただろうが。
「それで、シャツを六枚持ってきたんだけど……多くてすまない」
ヴォルフは布包みを開けながら謝ってくる。
中から出てきたのは、薄灰の袖無しアンダーシャツだった。
「いえ、洗い替えもいるんですから、使う分は遠慮しないで持ってきてください」
畳まれたアンダーシャツを受け取ると、一枚を作業台の上で広げた。
「背縫いの位置はこのへんで、図案は、これを小さくしたのでもいいですか?」
「ああ、もちろん。これ、いい図案だね」
「ありがとうございます。 黒犬 ( ナイトドッグ ) と花なんですが。女性っぽくないでしょうか?」
「いや、男女関係なくダリヤらしいというか……ロセッティの『商会紋』になりそうだ」
「確かに……うちの『商会紋』にできそうですね」
商会紋とは、商会のマークであり、前世で言うならばロゴのようなものだ。
特に作らなければいけないという決まりはないが、商品に刻印やスタンプをすることもあるので、あれば便利なものではある。
ロセッティ商会としては、まだ作っていなかった。
ヴォルフ達、隊員の安全を願い、後ろで応援するダリヤ達、ロセッティ商会。
そう考えるとなかなかいいのかもしれない。
「商品にこれが入ると、一目でわかるから便利じゃないかな。小さいものだとマークの方がいいときもあるし、外国から来た人とか、文字が読めなくてもわかるし」
オルディネの魔導具は他国への輸出も多い。おみやげに魔導ランタンを買っていく人もいるという。
オルディネの文字が読めない人のために、このロゴを入れるのもいいかもしれない。
だが、今一番優先されるのは、次の遠征前にヴォルフの背縫いをすることである。
「一枚、縫ってみてもいいですか?」
「お願いできればうれしい。ダリヤ、昼ご飯は食べた?」
「いえ、まだです」
「じゃあ、クレープでいいかな? 今日は俺が焼くから」
ヴォルフがさっき床に投げた鞄の一つには、クレープ用の食材が入っていたようだ。
籠 ( かご ) の中の卵は、残念ながら半分ほど割れていた。
「すみません、材料を買ってきて頂いて、その上に作ってもらうとか……」
「いいや、俺がいつもご馳走になっているから、たまには任せて」
以前、ヴォルフが遠征用コンロでクレープを焼いたときは、破けて苦労していた。
器用な彼にも苦手な作業があるのだと、ちょっと驚いた。
しかし、次に焼いたときにはお店のクレープのように美しく仕上げていたので、やはり土台が器用なのだろう。ちょっとうらやましい。
そうして、ダリヤは二階の居間で刺繍の続きを、ヴォルフは台所でクレープを準備することになった。
「クレープを運んで来ていいか聞きに来たんだけど、縫うのが早いね」
「小さいですし、図案がありましたから」
どのぐらいの時間がすぎたのか、気がつけば、台所から甘くおいしそうな香りが流れてきていた。
自分の手元、刺繍枠の中の背縫いを見たヴォルフが、顔をほころばせる。
「それ、いかにも『ダリヤ製』って感じがする。それを着たら、俺も魔導具になれるかもしれない……」
「自分を魔導具化しないでください。でも、商会紋だけじゃ、確かにヴォルフが製品っぽくなっちゃいますね……」
安全を祈る背縫いなのだ、ヴォルフがロセッティ商会の製品に見えるのは避けたい。
営業と広告塔には、すでに十分なってもらっているが。
「下に私の名前を入れますね」
『ロセッティ』では、本当に商会紋以外の何ものでもなくなってしまうので、あえて名前にした。
刺繍を入れた下、『ダリヤ』の名前をシャツと同色の糸で小さく刺し始める。
ダリヤのダの字が大きめになってしまいそうで、なかなかバランスが難しい。
「ダリヤ、どうして布と同じ色で縫うの?」
「文字の刺繍は慣れていなくて、まだきれいに縫えないので。縫えるようになったら色を変えて入れますので……ええと、それに、ヴォルフがわかってればいいじゃないですか」
慌てて理由にもならない理由を述べると、彼は大きく笑った。
「そうだね……俺は同じ色でもまちがいなく、ダリヤだと読めるし、わかるから」
ヴォルフは耳だけではなく、目もいいらしい。
彼にじっと見られている中での作業は骨が折れたが、平静を装って縫いきった。
刺繍枠からアンダーシャツを外すと、針がないかを確認し、ヴォルフに手渡す。
「どうぞ。これでいいなら、とりあえずあと五枚を縫っておきます。文字がうまくなったら、他は色違いで刺しますので。次の季節のシャツには間に合うようにしますね」
「もちろん、これで! 本当にありがとう、ダリヤ。このお礼は何で返せば――何か欲しい物はない?」
ヴォルフがシャツを胸に抱くように持ち、真剣なまなざしで尋ねてくる。
お礼も物もいらない。
ただ、ヴォルフが遠征から無事に戻って来てくれればいい。
だが、ダリヤには、それをうまく言葉にすることはできず。
「では、今日のクレープは、クリーム増しでお願いします」
「わかった。クリームの他に、果物も増し増しにしよう!」
帰って来たヴォルフと二人、こうして笑い合えれば、本当にそれだけでいい。
自分はそれを祈りながら、次のシャツに背縫いをするのだろう。
なお、本日のダリヤのクレープは、中身をつめすぎて破けることになった。
・・・・・・・
「ヴォルフ、背縫いのシャツ、ダリヤさんにもう渡した?」
鍛錬前の着替え中、ドリノが声をかけた。
魔物討伐部隊棟の広い更衣室では、あちこちで隊員達が着替えている最中だ。
一昨日の飲み会で一緒だった隊員達が、時折こちらにあたたかなまなざしを向けていた。
「渡したし、一枚はもう縫ってもらった」
「早いな! ちょっと見せろよ」
「ああ、これ。花に 夜犬 ( ナイトドッグ ) だって」
ヴォルフが少年めいた 表情 ( かお ) で笑い、今着たばかりの長袖の上着を脱ぐ。
アンダーシャツの背中、その中央より少し上、小さい刺繍があった。
赤い花を背にした、黒い犬。
その図案に連想する『二人』は他になく、ドリノは笑みをこぼし、ランドルフは深くうなずく。
「いいじゃん!」
「よい背縫いだ」
一昨日の昨日という早さで縫ってもらったことと、その図案。
周囲が表情をゆるませる中、ヴォルフが笑顔で告げた。
「ダリヤに、ロセッティ商会の『商会紋』を入れてもらったんだ」
その言葉に、辺りが一瞬で静まりかえる。
「商会紋……」
「……そうか」
一昨日の飲み会に参加した隊員それぞれが、浅く咳をし、額に指を当て、薄く息を吐き、窓の外の秋空を眺め――それぞれに微妙な表情を浮かべた。
しかし、誰も口に出して指摘はしない。
背縫いに商会紋とは、やはりヴォルフは商会の保証人という立ち位置なのか。
あるいは、商会でお世話になっている御礼、友人への応援ということなのか。
ロセッティ会長は、本当にそちら方面では考えておられなかったらしい。
しかし、素直に喜んでいる青年に、自分達がかけられる言葉は何もなく――
「うん、ダリヤさんだもんな」
「縫ってもらえたことを、喜ぶべきだ」
ヴォルフの右肩をドリノが、左肩をランドルフが叩いた。
「ああ、本当にうれしいよ」
背後でため息が落ちる中、ヴォルフはただ一人、満面の笑みを浮かべていた。
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