560.別邸庭の子犬とサマードレス
560.別邸庭の子犬とサマードレス
・『護衛騎士ヨナスはふりむかない』 9月25日発売です。どうぞよろしくお願いします!
「今日は、ダリヤとこっちで夕食にしようと思って」
スカルファロット家の別邸の馬場に着くと、ヴォルフがマルチェラに向かって言う。
御者台から下りてきたマルチェラは、うなずいた後、ダリヤの方を見た。
「わかりました。こちらですと、会長の護衛は不要でしょうか?」
「護衛は要らないけど、この時間だし、マルチェラも夕食を一緒にどうだろう?」
「いえ、私は邪魔、じゃなくて、護衛が仕事なので、その場合は廊下で待機を――」
マルチェラが固辞する中、明るい声が響く。
「ヴォルフ様、ロセッティ会長、お帰りなさいませ!」
「ただいま。ドナも今日はこっち?」
「はい、犬の世話にきました」
ヴォルフがこちらで過ごすことを伝えると、彼は笑顔になった。
「皆、暇だったので喜びます! あ、マルチェラは家に帰してやってくれませんか? 明日の夏祭りで、朝早くから本邸の警護があるので。そうですよね、マルチェラ?」
こくり、ドナがうなずく。
こくり、その向かいで、マルチェラもうなずいた。
「――そうでした、朝早くからなんです」
それは早めに帰ってもらった方がいいということになり、マルチェラとは馬場で別れる。
ダリヤの帰りは、ドナが送ってくれることになった。
ちょうど外にいるのだからと、そのまま犬舎へ向かう。
夜犬 ( ナイトドック ) の訓練をするのは主に本邸なので、あちらほど数はいないそうだ。
「領地から来た二匹を放しますんで、足元に気をつけてください」
言葉の意味はすぐわかった。
ドナが犬舎のドアを開けると、子犬達が黒い弾丸のように駆けてきた。
そして、ヴォルフとダリヤの足元をぐるぐる回る。
覚えていてくれたのだろうか、その尻尾はちぎれんばかりに振られていた。
「うわ! 一回り、いや、もうちょっと大きくなってるね」
領地で会ったときから半月ほど、一回り大きくなった子犬は、動きが速くなり顔も凜々しい感じになっている。
それでも、まだかわいさの方が強く、ふわふわの毛並みだ。
ぐるぐると回りに回った後、大きい方の子犬が前脚を上げ、ヴォルフに抱っこをせがんだ。
彼がかがんで持ち上げると、もう一匹がダリヤの前でお座りをした。
こちらは撫でてほしいのかもしれない。
「ローブに犬の毛がつきますから、犬と遊ぶ間、持っておきますよ」
子犬に手を伸ばしかけたとき、ドナに言われた。
その間に、お座りをした子犬は片足をあげて抱っこをねだりはじめている。
ダリヤは急いでローブを脱ぎ、ドナに手渡した。
「お願いします」
待ちかねたように子犬が飛びついてきて、よじよじと自分を登り始める。
おかしい。
抱っこではなく、ダリヤがアスレチック遊具になっている。
体勢を変えつつ、子犬をなんとかつかまえ、胸の前で抱っこする。
近くなったかわいさに目を細めたとき、背側からドナに呼びかけられた。
「ロセッティ会長、失礼ながら、背中に汚れが――」
「あ……」
緊張が解けて、完全に忘れていた。
モーラに拭いてもらったが、セラフィノの靴底の 痕 ( あと ) が薄く残っていたのだろう。
「ロセッティ会長、お怪我はありませんでした? それ、靴跡みたいですが?」
「ええと、これは……」
「うっすらですけど、両足なんで、ぶつかったとかじゃなく、踏まれてますよね? ヴォルフ様はご存じで?」
「ええと、訓練で……」
「魔物討伐部隊って、相談役も訓練に参加するんですか? ロセッティ会長が対人戦で踏まれるような?」
ドナが淡々と質問してくる。
声を高くしているわけでも感情的な響きでもないのだが、普段との落差で落ち着かなくなる。
腕の犬達は尻尾を振るのをやめ、ぴたりとその頭を抱っこしている者の胸につけた。
ダリヤの腕の中の子犬から、わずかな震えが感じとれる。
自分が叱られたと思ったのかもしれない。
「――ダリヤ、ドナは信頼できるから、話してもらってもいいだろうか?」
「はい」
ここまでドナにはお世話になったし、ダリヤとしても信頼している。
ヴォルフの願いにちょっとほっとしつつ、説明することにした。
内容は、イヴァーノがマルチェラ達に説明するものを参考にする。
相手がオルディネ大公とは言わず、王城で襲撃訓練がある部屋に、偶然居合わせた。
巻き込まれたダリヤは、高位の方が逃げるときの踏み台役を自ら引き受けた。
背中の治療はしてもらったし、充分すぎるほどのお詫びもされた。
グイードにもすでに報告している――
そこまで言うと、ドナは長く息をつき、草色の目にたっぷりの同情を宿した。
「つついてもいない 藪 ( やぶ ) から大蛇が出てきて、そのまま上を這ってったような話ですね……」
「その通りです」
即答した自分は悪くないと思う。
ヴォルフが苦笑しているが、本当にそんな感じだ。
「大蛇が落としたウロコが金貨に代えられても、手放しでうれしくは思えないでしょうし……」
「ええ、本当に……!」
ドナの表現が一々合っていて、クッションを複数枚、進呈したくなるほどだ。
こくこくうなずいていたら、子犬に顎を舐められ、くすぐったさに笑ってしまった。
「でも、まだよかったです。もしロセッティ会長をいじめるようなのがいたら、月のない夜に家の犬全部で襲わなきゃいけないので」
物騒な物言いをするドナだが、けらりと笑っている。
いつの間にか、数匹の犬がその後ろをうろうろと歩いていた。
「その前に俺が噛みつきに行くよ」
「ワフ!」
ヴォルフが言うと、その腕の子犬も同意するように鳴く。
周囲を見渡した後、ダリヤは笑む。
「皆さん、やめてくださいね。もし、いじめられたら、自分でちゃんと対処しますから」
「えー、そこは頼ってくださいよ。内緒でガブッといってきますよ。なんなら、靴の持ち主の名前をこっそり教えてもらえません? 今から靴の踵くらいは噛んできますから」
「……あの方の靴の踵は、いくらするんだろう……?」
ヴォルフは真面目に考えないでほしい。
オルディネ大公の靴の値段はわからないが、きっと超高級品、付与もつけているだろう。
そもそも、バルコニーで大人しくダリツムリになっていなかった自分が悪い。
今日で忘れてほしい。
いや、自分が一番忘れたいが。
ダリヤは笑って話を打ち切ることにする。
「やめてくださいね。きっととっても丈夫な靴ですから」
その後は、犬達にボールを投げたり、おやつをあげたりして遊ばせてもらった。
成犬は即座にボールを持って帰ってきたが、子犬はそのまま咥えて持っていってしまい、茂みに突進する。
出てきたらボールは口になく、不思議そうにキョロキョロしていた。
一番大きな 夜犬 ( ナイトドッグ ) が茂みに入り、ボールを探すと、なぜかダリヤに持ってくる。
すると、ドナにその日の犬のおやつを袋ごと渡された。
ヴォルフと二人で、目を輝かせる犬達に囲まれるのは、なかなか楽しかった。
犬達と戯れまくった結果、ダリヤの上着とスカート、ヴォルフの騎士服には、犬の毛がついた。
洋服ブラシを貸してもらうしかなさそうだ、そう思っていると、ドナがくんくんと犬のように鼻を動かす。
「ヴォルフ様、今日ってきつい鍛錬でした? 失礼ですが、ちょっと汗の匂いが……」
「ああ、訓練のせいだと思う。急いでシャワーを浴びてくるよ」
「急がなくていいです、ヴォルフ」
彼を止めると、ドナが自分に向き直る。
「ロセッティ会長も、せっかくですから、踏まれた服を着替えるついでに、お湯につかってきた方がいいんじゃないですか?」
「え?」
もしや、自分は匂うのだろうか? 今日は香水もつけていないのだが、やはり威圧訓練の冷や汗か。
思えば、抱っこした子犬も、くんくんとダリヤを嗅いでいた。
「訓練に巻き込まれた上、お偉いさんとのやりとりなんて緊張しっぱなしでしょ。肩とかバリバリになってません?」
「なっていますが……」
ドナの的確すぎる言葉に、うなずくしかない。
「料理人だけじゃなく、暇なメイド達にも仕事をくださいよ。お二人がテーブルにつくまでには、エールも氷で冷やしておきますから」
気が利きまくる庭番に笑顔で言われ、ヴォルフと共に了承した。
・・・・・・・
「ロセッティ様のお世話ができて光栄です。何かあれば遠慮なくお申し付けください」
ベテランのメイドと若いメイド――ロセッティ商会への来客でお茶を出してくれることの多い二人に、にこやかな笑みを向けられた。
ダリヤの着替え用として準備されていた部屋には、隣に浴室がついていた。
貴族女性は、入浴時に世話をする女性が共に浴室へ入ることも多い。
だが、それは慣れられそうにないので断り、一人で入った。
浴室を出てからは髪を乾かしてもらい、本当に凝りまくっていた体をマッサージでほぐしてもらうという、自分からすれば贅沢リラックスコースを味わった。
魔導具の付与で汗をかいたり汚したりすることに備え、下着や仕事向けの着替えは部屋に置いていた。
だが、今回着せてもらったのは、エンパイアラインのサマードレス――胸の下で切り換えがあり、コルセットも要らないものだ。
貴族女性のくつろぎの装いである。
胸下のリボン、裾のレースといった飾りはあるが華美ではない。
肩にふわりとした袖がついており、腕の上げ下げも楽。
絹ではなく加工した綿、涼しいが透けない。
アイボリーだが、特殊な仕上げ糊を吹きつけており、汚してもすぐ拭けば落ちる。
ウエストラインが高めなので食べ過ぎても目立たない。
ちなみにどうしてこんなに詳しいかというと、デザインも作ったのも納品したのも、友人のルチアだからである。
まさか自分が着るものだとは思わなかったが。
そうして、髪をゆるく結い上げ、薄く化粧をしてもらう。
遊びにきたはずがここまで手間をかけさせていいのか、罪悪感がこみあげたとき、メイド達に笑顔を向けられた。
「別邸では手が空く上、女性の髪に触れることも、お化粧もできませんでしたので、とても楽しく――ぜひ、また機会をいただけますようお待ちしております。ヴォルフレード様がお留守のときも、どうかお声がけくださいませ」
「次はぜひ、私も学びの機会をお願いいたします、ロセッティ様」
気遣われての言葉だとわかる。
それでも向けられた柔らかな声は、心からのものだとわかった。
「ありがとうございます。そのときはどうぞよろしくお願いします」
ダリヤはこの別邸に、今日、ようやく慣れた気がした。