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585.侯爵対職人

魔導具師ダリヤはうつむかない — ncode.syosetu.com · All chapters

585.侯爵対職人

彩綺いろは先生『服飾師ルチアはあきらめない』6巻、

住川 惠先生『魔導具師ダリヤはうつむかない』9巻、発売中です。

「魔導具師ダリヤ×pixivプレミアムダリヤ&ヴォルフ バースデーキャンペーン」

開催していただいております。花ヶ田先生による壁紙、書き下ろしSSを書かせていただきました。

どうぞよろしくお願いします!

「防御の腕輪をもう一本増やせば、なんとか……」

「前もってわかっていれば、どうにか……」

何事にも例外はある。

それに賭け、もう一枚の 眩夢 ( げんむ ) 板 ( ばん ) で、フェルモが二つ目の箱を作った。

だが、こちらの箱もやはり効果は同じ。

コルンはくらりと体勢を崩し、ドナは作業テーブルに突っ伏しかけ、思いきり己の頬を叩いていた。

四人でなんとも言えない 表情 ( かお ) のまま、蓋を閉めた小箱を見つめる。

少しの沈黙の後、口を開いたのはドナだった。

「グイード様へお知らせに行ってきます。お仕事もあるところ申し訳ないんですが、ロセッティ会長とガンドルフィ会長は、このままお待ち願えませんか?」

とても申し訳なさそうに言われたが、元凶は自分である。

ダリヤは即座に了承し、フェルモもそれに続いた。

ドナが部屋を出て行くと、コルンがとても慎重な手つきで紅茶を淹れてくれる。

ダリヤ、フェルモ、コルンの待機組で向き合うと、自然、話は小箱に戻った。

「この箱があれば結構便利だと思うんだがな」

「正直、扱いが難しいところです……」

フェルモの言葉に対しコルンが言葉を濁す。

「俺は、これが病院か神殿にあって、しんどい患者が眠れればいいと思う。バルバラ――妻も、アカザシの痛みで眠れない日が続いた。睡眠薬が合わない体質で、どうにもならなかった」

アカザシは、ダリヤにとっては前世の帯状疱疹と思える病気だ。

初めて会ったとき、アカザシの治療が遅れたというバルバラは、動くのも辛そうだった。

「ダリヤさんが 一角獣 ( ユニコーン ) のペンダントを用意してくれたおかげで普通に暮らせているが、結構な値段だし、庶民はそうそう入手できない。この箱も結構な値段になるかもしれないが――病院や神殿に備え付けられたら、重い怪我や痛みのきつい病気の者は助かるんじゃないか?」

「魔導具では仮眠用ランタンというものがあります。今後、病院や神殿にそういったものを納めていくことはできますよ」

コルンの言うように、確かに代替品として使える。

すでにあるものなので安全性も分かっている。金額的にも安くなるとは考えづらい。

けれど、ダリヤが今、考えるのは別のことだった。

それに気づいたのか、フェルモが自分に顔を向ける。

「ダリヤさんは、これをどうしたいっていうのはあるか?」

「魔物討伐部隊で、魔物と戦うときに使えればと思います。大きさと形によっては、戦わずにすむかもしれません」

九頭大蛇 ( ヒュドラ ) 戦のときに、つくづくと思った。

魔物討伐部隊の強い武器を作っていれば、ヴォルフの魔剣を作っていれば、と。

遠征環境だけではない。

勝利を後押しするものを作る、それも魔物討伐部隊相談役の自分の役目だろう。

強い魔物が出てきたら、その時に対応できる魔導具は一つでも多くあった方がいい。

「なら、そっちも合わせて何とか使えるようにできないだろうか?」

フェルモの問いかけに対し、コルンが渋い顔をする。

「お二人の希望はわかりますが、これは扱いが難しいかと……」

迷いのこもる低い声に、ダリヤは相槌も打てぬまま、手元の紅茶を飲む。

砂糖を入れているはずなのに、少し苦く感じた。

・・・・・・・

「とても興味深いものを作ったと聞いたよ」

目の前のグイードが、整った貴族の笑みで言う。

ただし、その青い目に少し冷えを感じるが。

幸いと言うべきか、本日は執務の関係で、グイードもヨナスもスカルファロット本邸にいた。

作業部屋から移動した先は、窓のない部屋――来たくない、そして見慣れたくもない、お叱り部屋である。

テーブルのこちらは、コルン、ダリヤ、フェルモ。

向かいにはグイードとヨナスが座っている。

ドナは廊下で、ドアの番となった。

「こちらの箱について、ご説明申し上げます」

グイード達への説明役を買って出てくれたのはコルンだ。

眩夢 ( げんむ ) 板 ( ばん ) に関しては、ダリヤも説明できる。

だが、小箱となったそれが睡眠効果を強化、特に高魔力の者に効く、そういったことの説明を含めると、彼の方が適している。

淡々とした声でわかりやすい説明がなされると、グイードが浅くうなずいた。

「内容は理解した。では、試すとしよう」

彼がそう言うと、ヨナスが立ち上がり、その右側につく。

「コルン、左側を頼む」

「わかりました」

ヨナスに願われる形で、コルンもグイードの隣についた。

急に眠ってしまい、倒れて怪我をしないようにである。

グイードは小箱の一つを持ち上げ、手の中で一周させた後、蓋を開けた。

周囲の緊張に対し、彼は楽しげなまなざしを箱の内へ向ける。

「湖を思わせるようなきれいな青だね。大切なものを入れておくのにもよさそ――」

言葉の途中、かくりと頭が前へ 傾 ( かし ) ぐ。

だが、両手をテーブルにつくと、軽い居眠りを振り払うように頭を動かし、姿勢を正した。

隣のコルンが、すかさず小箱の蓋を閉める。

「なるほど、これは強めだね」

言葉の割に、グイードの 表情 ( かお ) に眠気は感じられない。

ただ、その視線が右に流れた。

「次は私ですね」

ここまで無表情だったヨナスが、眉間に皺を寄せつつ椅子に戻る。

その左右、今度はグイードとコルンがついた。

ヨナスは一度息を吐くと、テーブルに上半身を前へ少し傾け、小箱を開ける。

「一、二、三、四、五……六」

つぶやくように数える声が、間延びし、止まった。

彼はずるずるとテーブルに倒れていき、途中で左手を口にもっていったが間に合わず、それを下敷きに動かなくなる。

規則正しい呼吸音が響き始める中、コルンが小箱の蓋を閉じた。

それに合わせたかのよう、皆も口を閉じる。

壁の小型魔導ランタンの灯りが、テーブルに二つの小箱の影を濃くしていた。

「――貴重なヨナスの寝顔だが、観察しているのがバレると後が怖いからね」

冗談めかしたささやきをこぼすと、グイードがヨナスの背を揺らす。

「ヨナス、起きなさい」

「キュー……」

「ヨナス、鍛錬に遅れるよ」

「すぐ参ります」

日頃の鍛錬の 賜物 ( たまもの ) であろう、ヨナスは目を閉じたまま、両腕をテーブルに置き、無理矢理に上半身を持ち上げる。

ゆらりとしたのは一度だけ。

首をぎゅうと音がしそうなほどに伸ばし、後ろに反らした後、目を開いて姿勢を整えた。

いろいろと 炎龍 ( ファイヤードラゴン ) の魔付きだと納得してしまったのは内緒である。

「顔を洗ってくる必要はあるかい?」

「不要です」

ヨナスの返事を聞いたグイードが、ダリヤ達に向き直った。

「参考までに言っておくが、私の睡眠防止魔導具はコルンとリチェットによる三つだ。ヨナスは元々睡眠耐性が高いが、そこに魔導具を着けている。この箱はそれをすべて突破した。魔力の高い王族や高位貴族の暗殺、拉致に最適だね」

まずさと危険が完全立証されてしまった。

やはりこれを使うのは難しいだろうか、ダリヤがそう思う中、言葉は続く。

「これに関し、知っているのはここにいる五人と、廊下のドナだけだ。『なかったこと』にするのは簡単だろう」

あっさりとした声に対し、浅い咳が響く。

隣を見れば、フェルモが眉間に深い皺を寄せていた。

それはグイードも気づいたらしい。

「ガンドルフィ会長、何かあれば遠慮なく言ってくれ。あなたはコルンバーノの先生役でもある。不敬を問うようなことはないよ」

「では、遠慮なく――」

フェルモはそこで一度声を切り、グイードへまっすぐ向いた。

「隠しても時間の問題だと思います。効果はどうあれ、ダリヤさん、いえ、ロセッティ会長が板を作った、私が箱にした、それだけのものです。同じ 月光蝶 ( げっこうちょう ) の 翅 ( はね ) を使った仮眠用魔導ランタンというものがあるんですから、ここで隠したところで他の誰かが生み出すでしょう」

「――なるほど。だが、それは近いうちにありえることかい?」

「時期はわかりません。技術っていうのは波みたいなものじゃないかと、ここで止めてもどこかで打ち寄せるでしょう。ですが、いつか同じ物が生み出されて悪用されるのは、先に作った者として、腹の収まりが悪いです」

フェルモは作り手の 表情 ( かお ) で、きっぱりと言い切った。

ダリヤとしては納得しかないが、グイードの受け取りは違ったらしい。

「それは先行開発者として、名を刻み、利を得たいということかな?」

「いいえ、これで名も利も要りません。できることなら活かしたい、それだけです。対応策をできるかぎり準備してから、有効に使ってもらえるところへ繋げていただけないでしょうか?」

いつになく言葉の多いフェルモだが、その底、バルバラの存在がある気がした。

家族や近しい人が痛みに耐えている姿は、見ていて本当に辛いものだ。

「ガンドルフィ会長の希望はわかった。これに関して、ダリヤ先生はどうかな?」

「危険は承知しておりますが、できるなら、この仕組みを魔物討伐部隊で活かしたいです。魔物にもよりますが、戦う前に眠らせることができれば、そのまま倒せます」

王族や高位貴族、高魔力の者にとっては危ないものだというのはわかる。

だが、魔物も高魔力で強いものがいるのだ。

魔物討伐部隊員達が少しでも有利に戦えるなら、これを使いたい。

ただ、グイードの立場として難しいのも理解している。

対応が浅いままに公開した日には、悪用者の拉致暗殺コースが始まり、責任追及を受ける可能性もあるだろう。

それを覆すほどの何かがなければ、スカルファロット家当主の彼が動くことはできない。

自分は魔導具師だ。素材となる魔物のことは多少は学んでいる。

ヴォルフと共に魔物図鑑も読み込んだ。

頭の中のそれらから利になりそうなものを必死に引っ張り出し、思いつくままに言う。

「魔物を眠らせて捕獲できたら、冒険者ギルドでも便利かと思います。養殖向けにも向いているかと。この箱を大きくして、野生の 緑馬 ( グリーンホース ) や 八本脚馬 ( スレイプニル ) の餌場に置くとか、罠にして捕まえられれば、騎馬にできるかもしれません。ワイバーンにも効果があるなら、捕獲して、おいしい餌でなつくかどうか試すのもありかと。あと、魔物を生きたまま捕らえられるなら生態確認ができるので、魔物の研究が進むかもと……」

つらつらと話し、はっとする。

全員がダリヤをじっと見つめており――完全に一人で喋りすぎた。

身を縮めたい思いでいると、ヨナスが笑んで助け船を出してくれる。

「さすが、ダリヤ先生です。同じ魔物討伐部隊相談役として、私も考えませんと――ワイバーンを眠らせている間に巣の卵を回収、雛を 孵 ( かえ ) せばなつく確率が高いです。他の魔物も卵や幼獣が獲りやすくなりますね。捕獲は生き物の生態と解剖学を研究なさっているストルキオス殿下が、大変お喜びになるでしょう」

さすがなのは、ヨナスである。目の付け所が違う。

もしかすると、この先の光が見えるかもしれない、そう思ったとき、グイードがにっこりと笑った。

「うん、見事な暗殺と誘拐と隷属化だね。魔物討伐部隊の相談役も魔物の敵なのを、よく理解したよ」

ダリヤもヨナスも、一切反論しなかった。

フェルモとコルンは口を開くことなく、苦笑している。

「さて、私の見立てが甘かったようだ。『フェルモ先生』の言う通り、波を抑えようとするのは愚かだね。実用化に向けて切り換えよう」

「スカルファロット侯爵様、俺、いえ、私は先生と呼ばれるような者では――」

「『グイード』でかまわないよ、フェルモ先生。私も教えをもらった身だ」

「あ、ありがとうございます、『グイード様』……」

あせりまくるフェルモに同情した。

自分も以前、同じような経験をしているので、その気持ちがよくよくわかる。

それにしても、よかったとの思い半分、残りは悪用への心配だ。

こういった対策に詳しい者が、ダリヤには思いつかない。

考える自分の前、グイードが小箱の一つを手にした。

「開発者には失礼なことを承知で言うよ。ダリヤ先生、フェルモ先生、これを開発の事実ごと譲ってくれないか?」

「もちろんです」

「かまいません」

自分達の返事は即、ほぼ同時だった。

「代価は――ガンドルフィ工房と家の警備を、信用に足る者へ依頼しよう。期間は私かフェルモ先生の生きている限り。まあ、その頃にはガンドルフィ家で雇えるようになっているだろうが。それでどうかな?」

「ありがとうございます、お願いします」

フェルモの工房と家は安全になるようだ。何よりである。

納得していると、自分に話が振られた。

「ダリヤ先生には、ヴォルフを送る形でいいかな?」

「え……?」

一瞬、リボン付き箱入りのヴォルフを想像し、即、蓋を閉めた。

頂けるものなら頂きたいが――いや、そうではなく!

ダリヤはなんとか 表情 ( かお ) を整え、言葉の続きを待つ。

「ヴォルフが魔物討伐部隊を退役したらロセッティ商会に就職する、それをスカルファロット家当主として正式に認めるよ。そうなれば、相応の応援をさせてもらおう。文具に馬、その他、かわいい弟が男爵となり商会員として働く際のものは、できるかぎり準備したいのでね。あと、ロセッティ商会には水と氷の魔石はお得に融通する、そのあたりでどうかな?」

即座にうなずきたくなったが、思い返す。

イヴァーノには代価をきちんととれと言われている。

しかし、今回の件に彼を巻き込むのは――そう思いかけてやめた。

ロセッティ商会の商売は、副会長の領分だ。

巻き込む巻き込まないではなく、同じ船に乗っているようなもの。

「とてもありがたい内容ですが、イヴァーノと相談してからの御返事でよろしいでしょうか?」

「かまわないよ。ああ、私からイヴァーノに話してもいいかな? ちょうど魔石の仕入れについて打ち合わせをしたかったんだ」

「はい、よろしくお願いします」

グイードは、まだ小箱が気になるらしい。

手のひらの上、くるりくるりと回し、面ごとを眺め始めた。

小箱の側面が小型魔導ランタンの光を反射し、少し目に眩しい。

「この箱の行く先だが、私では手に余るね」

「え……?」

声を出したのはダリヤではなく、フェルモだ。

グイードへ訝しげな視線を向けた。

「スカルファロット武具工房で偶然できた内側がきれいな青の箱。私はそれを友人のオルディネ大公に自慢する。彼は手にしてとても驚き――後はいい感じに利用してくれるだろう」

本当にそれでいいのか? そう問いたいが、他の方法が思い浮かばない。

いや、考えるほどにそれが最善の気もしてくる。

だが、セラフィノを知る自分はともかく、フェルモは不可解さを増した 表情 ( かお ) となった。

「少し砕いて言おうか。この箱でできる可能性のあること――さきほどダリヤ先生とヨナスの言ったことを大公にささやき、効果確認と安全対策を丸投げする。天秤の反対側に、スカルファロット武具工房と関係者全員の安全をのせる。うまくいったら追加でもらう金貨は山分けしよう」

「本当に、それでいいんですか……?」

フェルモの迷い深い問いかけに、ダリヤは答えることができない。

けれど、おそらくなんとかしてくれるのがセラフィノに思え――自分もだいぶ影響されてきたかもしれない。

「オルディネ大公には、宝物庫管理副長と備品の倉庫管理長の肩書きがあるからね。昔の珍しい魔導具を発掘することがあるかもしれない。今は 灰宝 ( チェネストーロ ) ――グレースライムの粉で、魔導具の話題はもちきりだ。どさくさに紛れて情報を小出しにし、その間に対策をきっちり固めていくのも可能だろう。ああ、さきほどの内容なら、ストルキオス殿下も喜んで協力してくれるだろうね」

グイードの言葉を聞き終えると、隣のフェルモは額に指を当てる。

落とされるささやきは、隣のダリヤにぎりぎり聞こえるかどうか。

「頭の痛ぇ話になってきた……理解が追いつかねえ……」

とてもわかるが、ここで説明できない。

後でゆっくり――いや、それでもうまく説明できる気がしないが、イヴァーノも一緒に、しっかり話す方がいいだろう。

ことん、グイードが小箱をテーブルに戻す音が響いた。

フェルモと共についそちらを見ると、彼が口を開く。

「フェルモ先生、銀の小物入れ――アクセサリーケースで、六面彫り入れ、内側は青い布貼りのものを注文していいかな? これを見たら、妻へ贈りたくなった。急ぎではないから、ゆっくり仕上げてくれればいい」

「ありがとうございます。喜んでお引き受けいたします」

「後で寸法と仕様を送るよ」

そう言ったグイードは、コルンへ視線を移した。

「コルン、二人を送ってくれ。私はヨナスと打ち合わせがある」

「わかりました」

コルンが立ち上がるのに続き、ダリヤとフェルモも席を立つ。

「グイード様、本日は急なご相談にお応えいただき、ありがとうございました」

「直接のお仕事をいただけて光栄です。それと共に、スカルファロット侯の貴重なお時間をいただけましたこと、御礼申し上げます」

ダリヤの挨拶に続き、フェルモが見事な貴族向け口上で言い切った。

自分の貴族の学びが足りないのかもしれない、そう反省しつつ、ドアを過ぎる。

「お疲れ様でした! お話は無事、済みました?」

廊下に出ると、ドナがいつもの調子で声をかけてきた。

「無事だと思います、ええ……」

「なんとか無事に、うまく……?」

「たぶん、なんとかしてくれるだろ、上の皆様が……」

答えの難しい問いに、それぞれが声を濁して答える。

今の三人の 表情 ( かお ) は、きっと似ているだろう。

・・・・・・・

「昨年から魔導具師は怖いものだと理解したが、目と腕のある職人も怖いものだね」

ダリヤ達が出て行った後、グイードはテーブルの上で両の指を組む。

そうしてようやく、指先の冷えに気づいた。

貴族の笑みは通せても、血の流れまでは整えられない。

隣のヨナスにいたっては、人差し指の爪でコツコツとテーブルを叩いていた。

先ほどまで整えていた 表情 ( かお ) が崩れ、迷いが 滴 ( したた ) っている。

「一歩間違えれば、こちらも傷を負うぞ」

「その場合でも王族が盾だ。それ以上の深手は負わない。それに、他で開発される方が厄介だろう。フェルモ先生の言う通りにね」

「まったく、ダリヤ先生に次いで、ガンドルフィ会長までとは……確かに職人は怖いというのは正しいな」

声には苦さと同量の感心が入っている。

自分も似たようなものだ。

けれど、グイードが感心する先は、職人だけではない。

「彼らの近くにも、なかなか怖い者がいるがね」

「怖い者……」

そこまで言ったヨナスが、錆色の目を細める。

以前、彼もその者を怖いと言ったことがある。どこまで腕を伸ばすかわからないと。

「ダリヤ先生もフェルモ先生も、一年前までは目立たなかった。商会もなく、貴族との交流もなく、金貨にも爵位にも執着なく、望むのは自由な開発と物づくり。だが、今の貴族界でロセッティ商会を敵に回したい家はそうそうない。ガンドルフィ商会もいずれそうなるだろう。後ろにイヴァーノがいるからね」

その二人を表舞台、魔導シャンデリアの下に引き出した彼もまた、一年前までは無名。

それが今や、耳ある貴族や商人で名を知らぬ者はない。

ロセッティ商会の副会長――イヴァーノ・メルカダンテ。

「紺の 烏 ( からす ) は、 盥 ( たらい ) で泳いでいた魚達を池に放ち、今は湖の準備中だ。どこまで広い場を用意するつもりか――本当に怖くなったものだ。二人の番犬と願うのは失礼なほどにね」

ダリヤとヴォルフ、二人を守る番犬となってほしい、その願いはもう不要だ。

イヴァーノは、二人を含め、ロセッティ商会を守りきれるだけの力と縁を手にした。

「では、ここからはどうする? 接待も金銭も通じない相手だ」

イヴァーノは自分と同じ、揺らぐことなき愛妻家である。

商会で金貨を積み上げる一方で、個人として堅実な暮らしを守っている。

優遇や便宜を図る必要もないほどに仕事は多く、他の貴族家とも近しい。

グイードが他に思いつく方法は一つ。

もっとも、これがなかなか難しそうだが。

「できるなら、友人になりたいものだね」

親友は無言のまま、自分からそっと視線を外した。