06.大型犬爆誕
06.大型犬爆誕
「……あわ? あわわ……?」 日牧は自身の鼻の頭と木崎の部屋の床とを何度も交互に指差した。自分が、ここに?と言っているつもりなのだ。何なんだろう先ほどからのこのお泊まりジョークは。流行っているのか?「フハハ、変な顔」 木崎はまた笑っている。悪口のオマケつきで。そして日牧の前髪を指でつまみ、さらりと梳かす。埃でもついていただろうか。「ゴメン、無理は言わない。……けど、帰したくなくて、つい」「え! ……か、監禁……? あっ……臓器?」 警戒してできるだけ後ろへ身を捩る日牧が小さく口走った単語に、木崎はガックリと項垂れた。「……だから、ヤクザじゃないって」 そうは言われてもこの家は落ち着かない。惨めになるので我が家と比べるのはもうやめておくが、しかしこんなにも金の匂いのする家に住む人間がまともなはずが無いのだ。……と、つい考えてしまうのは貧乏人の僻みである。 そのあと一応、真面目に勉強はしていた。復習の甲斐あって、木崎からの質問に偉そうに答えてやることもできたし、ノートが分かりやすいと褒められてドヤ顔になったりもした。当然だ。木崎だけでなく他のクラスメイトたちにもよく貸してやっているため、誰が見ても読みやすいようにまとめることを日々心がけているのだ。 だが、国語、英語を終えて数学に入った辺りから、どうも記憶が曖昧なのだ。 次に意識がハッキリしたとき日牧は、木崎の太過ぎる二の腕に頭を乗せて床に転がっていた。「ヒギャアア!!」 悲鳴をあげて飛び起きると、真隣で横になっていた木崎もゆっくりと目を開けて欠伸をした。何だ?! 何があった?! 殴られて気絶でもしていたか?! それともやはりあの麦茶に違法な何かが…… グルグルと思考する日牧の後頭部を、木崎が撫でつけるように触れてくる。「……よく寝てたな。寝不足だった?」「あ」 そう言えば、午後の授業でもうとうとしてしまっていたくらい、今日はずっと眠かったんだった。苦手な数学でつい寝落ちてしまったのか。「ゴ、ゴメン木崎くん! 僕こんな……よそのお家で行儀の悪いこと……」「いいよ全然」 木崎はまだ日牧の髪に指を差し込んだままでいる。そんなにも寝癖がついているのだろうか。だとすればそれはオレの髪質ではなくおまえの腕のゴツさのせいだきっと。 ……て言うか、そもそもさっきのはいわゆる腕枕だったんじゃないのか? 屈強な男の腕ですやすやと眠ってしまっていたとは何たる不覚。こんな嫌過ぎる居眠りへの罰は無い。「ベッドに運ぼうかと思ったんだけど、さすがにちょっと……、我慢できなくなると困るし」「?」 木崎の言葉に、日牧は見るからにふかふかの布団を被せられた大きなベッドに目をやった。まあな、本格的に熟睡してしまうと確かにまずいかもな。まだこんな時間だし。「あ! でももう7時になっちゃってる、帰らなきゃ! うわーっホントにゴメンね木崎くん! 僕のせいで全然勉強進まなかったよねー!」 腕を伸ばし膝立ちで、広げていた参考書やノートをバタバタと片付け始める日牧。だが木崎はそんな焦る日牧の手の甲に、上から分厚い手のひらを重ねた。握り潰されるのかと思った。「……良かったら、夕飯」「え?!」「食ってけよ。日牧の分も用意してもらうから」「え!!」 ものすごい勢いで日牧は首を振った。振り過ぎてクラリと頭がよろけ、握られていた手を引いて木崎に支えられてしまう。「大丈夫か?」「だ、だ駄目! 木崎くん家にご迷惑かけられないよ! お母さんにも叱られちゃう!」「連絡しとけば? うちは迷惑とか無い。オレは日牧と長くいられるほうが嬉しい」「駄目だったら!そういうだらしないのは僕も好きじゃないから! 」「…………」 昼食も毎日いっしょだというのに、夕食までは勘弁してもらいたい。 ム、と唇を突き出して木崎が眉を下げる。ふおお、何だその顔は。変な顔なのはテメーのほうだぞ木崎。いつもの怖さが微塵も感じられないどころか、情けなくてまあまあ笑えるんだがそれ。「…………どうしても、帰る?」 ふおおおお。木崎の拗ねたような上目遣いに、日牧は雄叫びを声に出しそうになって口を押さえた。面白過ぎる。笑ったり拗ねたり、今日の木崎はどうかしている。 そんな顔を見せられたら、おまえなんて怖くなくなってしまうじゃないか。「……フフフ」 日牧は、木崎の頭頂部を3回、ポンポンポンと叩いてやった。普段は階層が違うのかというほど遥か上にあるレアなつむじだ。木崎のほうだって気安く何度も日牧の髪を触ってきたのだし、多少仕返しするくらい構わないだろう。驚いて目を丸くする木崎。よっしゃ怖くないぞ、くくくく。「…………ひま、」 最後まで名前を呼び終わらないうちに木崎は、膝立ちのままの日牧の体に片腕を回して、思い切り顔を埋めた。力が強い、動けない。みぞおちの辺りに木崎の吐く息がかかって生ぬるいし、片手は先ほどからガッシリと5本の指を絡ませ握り込まれている。「木崎、くん、あの……」「……日牧……。なんで、そんなに……っ」 なんで、そんなに? 続きを予想して頭をひねる。なんでそんなに親切にしてくれるの?だろうか。以前から割とよく言われる台詞だ。 実際には親切ではなく根回しなのだが。自分の周りでは誰1人として怒らないで欲しいし、怒鳴ったり争ったりもしないで欲しい。ましてや血が流れるようなことだけは、何としても防ぐ。そのためにできることなら何でもやる。 そういえば、2度目の木崎の怪我ももう、跡すら分からなくなってきているようだ。日牧は空いているほうの手で、木崎の目の下にそっと触れた。「ねえ木崎くん、もう喧嘩したりしないでね。僕見たくないよ、木崎くんが怪我してるとこ」 オレの精神衛生上、どうかよろしく。 木崎は日牧の胴にひしとしがみついたまま、何度も頷いた。 何だろうこの気持ちは。人には決して懐かないはずの猛獣が、自分にだけは仰向けになり腹を見せてくれているような優越感。気分が良い。ついニヤニヤしてしまう。「よしよし」「…………~っ!」 ……だなんて、増長してついつむじをワシャワシャと撫でてやったのがいけなかった。 翌週から木崎は、野生のヒグマから大型犬へと見事な変貌を遂げる。----------「日牧、いっしょ行こ」「……あ、うん」「日牧、こっち来て」「え……、うん」 日牧が他の誰かといると、木崎が目敏くやって来ては日牧を引き剥がして連れてゆく。クラスメイトたちからは、何故急に下の名前呼びなのかと散々問い詰められたりもしたけれど、そういえば何故だったんだろう。委員長でも大鈴でも日牧でも、別にこだわりは無いので誰であろうと好きに呼んでもらって構わないのだが、それにしても毎日飽きもせずに木崎は日牧を呼び過ぎている。「日牧!」「ハーイ」「なあ日牧」「なあに?」「日牧、日牧」「うん」「…………ひま」「……うん?」 時折ボーッとした目でこちらを凝視しながら勝手に省略までしてくる始末。「ひま、次理科実験室」「そうだね。早めに移動しとこっか」「ん」 木崎は日牧にほとんど擦り寄りつつ廊下を歩いていた。斜め上から押し付けられるように体重がのしかかるので、まことに鬱陶しい。まさしく大型犬だ。なんかネットで見たことある海外の、遠近感がおかしくなりそうなほどデカいヤツ。昔から犬を飼ってみたい気持ちはありつつも、ずっと団地住まいなので叶わない夢だと諦めていた。だがまさかこんな形で成就するとは思ってもいなかった。想像の中ではせいぜいチワワとかダックスとか、小さな室内犬のイメージだったのだけれども。「理科室ちょっと遠いよね」「ん」 1、2年の教室が並ぶ新校舎を1度出て、渡り廊下で繋がった旧校舎へと向かう。外はもうかなり気温が高くなってきている。すっかり夏だ。 しかし、そのとき。「おい木崎い!」 日牧の顔面は、数秒を待たず蒼白になった。 明らかに敵意を持った目、分かりやすく挑発する声色で、そこには上級生らしき数名が薄ら笑いを浮かべて立っていた。----------